写句集11

長句(短歌・狂歌)旅行編その3

笠と笠 重なり合って 一つ旅 旅への夢は 尽きる時なし(深川/奥の細道輪行記1)39

いにしえの 詩人の心に 憧れて 桜や月に 思い重ねん(同上)

下町の 家並の残る (いろり)(ぜき) 偲べは遠き 人ぞ懐かし(同上)

ときめきて 旅立つ時の 楽しさを 自由と呼ばず 何と例えん(千住)

旅の日は 諸行無常が 常ならん 平穏無事は ほんの一時(同上)

死を見つめ 命を見つめ 旅すれば 歌より他に 残すものなし(草加)

破れ笠 繕い見ゆる 風雅かな また旅立つも 人の好き好き(同上)

振り帰り 眺める松の 並木道 草加の宿(しゅく)の 江戸の面影(同上)

街道の 名残伝わる 旅の宿 安い料金 永き営み(杉戸宿)

武蔵野の 古き住家の 梅の木に 鶯は鳴き 春はまた来し(同上)

いよいよと 思えば心 高ぶって 瞼に浮かぶ 奥の細道(幸手宿)

目に見えず 心に浮かぶ 宿の跡 間々田に薫る 花は変らず(間々田宿)

見渡せば 遥かな天平 眼前に 礎のみが 地面に浮かぶ(しもつけ風土記の丘)

下野(しもつけ)の 薬師寺跡に 薬師堂 三戒壇は 幻と消え(同上)

来て見れば 清水は涸れて 夢の中 室の八島に 煙りは見えず(室の八島)

歌枕 室の八島の ある場所は 大神(おおみわ)神社の 社叢の一部(同上)

下野の 総社とされる 大明神(だいみょうじん) (しょう)(おう)と曾良が 参拝したり(同上)

稲葉宿 古民家見ては 立ち止まり 往時の宿場 追憶をする(稲葉宿)

鹿沼では 寺に二泊し 笠変えた 案内板なく 素通りしたり(鹿沼宿)

徳川の 時代は遠く なりつつも 通れば近き 杉並木かな(日光杉並木)

しばらくは 滝に打たれて ひと休み 百十キロの 道を走らば(裏見の滝)

流れ落つ 水は新たな 雨なれど 昔ながらの 滝の裏側(同上)

日光の 含満ヶ淵の 慈雲寺は 江戸時代初期 創建とされ(含満ヶ淵)

苔むして 風化しつつも 石地蔵 平穏願う 思いは同じ(同上)

青い目も くるりと回る 東照宮 日光結構 東照宮

本堂の 三仏堂は 本尊は 三所権現 本地仏とか(輪王寺)

山中に 十五の支院 建ち並び 安養院も その一院なり(同上)

観音の 像より目立つ 地蔵かな 背筋を伸ばし (けっ)()()()する(同上)

日光の 帰路も走るか 杉並木 気分高まる 自転車の旅(日光杉並木)

栃木には 報徳の思想 残るなり 轟村に 農家のモデル(報徳仕法農家住宅)

俳聖の 一夜の宿の 石碑さえ 尊く思う その旅の跡(玉生宿)

楼門を 潜れば浮かぶ 物語 那須の与一の 弓矢の(ほまれ)(那須神社)

寺の名を 通称すれば 仏頂寺 観光寺院 如何(いかが)なものか(雲巌寺/奥の細道輪行記2)39

雲厳寺 仏国国師 再興し 鎌倉中期の 禅寺道場(同上)

大雄寺 大関氏の 菩提寺で 安土時代の 中興と聞く(黒羽大雄寺)

七棟の 茅葺き堂宇 貴重なり いずれは指定 国の重文(同上)

間違えば 乞食に見ゆる 芭蕉かな 見る人見れば 黄金(こがね)の如し(芭蕉の館)

大関氏 約二万石 ()(ざま)にて 黒羽(くろばね)(じょう)は 明治に続く(黒羽城跡)

茅葺きの 直屋を見つけ 立ち寄れば 黒羽町の 物産センター(くらしの館)

揺れ動く 三十代は 早や過ぎ 一人旅する 那須の篠原(犬追物跡)

那須原の (たま)藻前(ものまえ)の 伝説に 平安末期の 事件を思う(玉藻稲荷神社)

妖怪は 鏡ヶ池で 討ち取られ 玉藻前は ()()の狐と(那須鏡ヶ池)

蕉門に 名を連ねたる 翠桃の 邸宅跡は 水田に帰し(鹿子(かのこ)(はた)翠桃邸跡)

白旗は 源氏の旗で 城跡は 頼義・義家 宿営せしと(白旗城跡)

消え去りし 足駄を思い 手を合わす 芭蕉の旅が 人を誘わば(修験光明寺跡)

那珂川に 何気なく見る 高岩は 数万年の 自然の造化(高岩)

寂れたる 商家も点在 城下町 黒羽藩の 面影遠く(黒羽町)

銀行は 明治末期の 建築で 土蔵二階の 和洋折衷(足利銀行)

那須岳を 遥かに眺め ペダル踏む 今夜は温泉 脳裏に描き(那須篠原)

二泊した 高久の宿は 残るかな 荒れ地とならず 子孫は暮らし(那須高久)

高久家の 屋敷の横に (おきな)(づか) 百十一年 生誕記念(同上)

飛鳥期の 創建と聞く 神社にて 那須連山の 恵みが神か(那須温泉神社)

死にもせず 殺生(せっしょう)(せき)に (へん)()した 九尾の狐は 毒気を吐きし(殺生石)

昭和(まつ) 千体地蔵は 建立し (いし)()一人の 作品と聞く(同上)

湯川から 賽の河原に 進み行き 千体地蔵 殺生石へと(同上)

和泉屋や 宿名変り 清水屋に 一泊するも (えにし)ありしか(湯本/奥の細道輪行記3) 39

芦野路の 夫婦石の 一里塚 対で残るは 珍しきかな(芦野)

芦野氏は 三千石の 旗本で 陣屋を構え 統治したとか(同上)

陣屋跡 町の史跡と 表示して 建物なきも 寂しき限り(同上)

芦野には 武家屋敷門 残るのみ (ひら)()江家(えけ)は 家老職とか(同上)

進むほど 情緒薄れる 田植えかな 裳裾をぬらす 早乙女いずこ(同上)

坂道に ペダル重く なるけれど 一里塚見て 安堵するなり(板屋の一里塚)

門構え 立派な旧家と 思いきや 茅葺き破れ 哀れな主屋(豆沢)

野を分けて 春風そよぐ 里を過ぎ 山越えたどる 白河の関(境の明神)

国境 いずれにも明神 祀られて 別れと出会い 手を叩くなり(同上)

まだ咲かぬ 庄司戻しの 桜花 いずれ散り行く 時のいたずら(白河関)

田の畔に おくのほそ道 石柱が 年季を帯びて 建っているなり(和平)

卯の花に ふと思い出す 人もあり 雨の晴れ間の 白河の関(白河の関)

俳文が 石碑となりて 鎮座する 白河の関 夢の歌枕(同上)

空堀に 堅固な関所 偲ぶかな 越すに越せない 白河の関(同上)

みちのくに 入りて最初の 宿場町 旗宿通り 面影もなく(旗宿)

一宿の 形見を残す 人もなし 風雅の心 消ゆる街角(白河)

小峰城 三重櫓 復元し 徐々に始まる 再建工事(同上)

入れ替わる 白河藩の 殿様で 忘れられない 老中定信(同上)

太鼓楼 小峰城址(じょうし)の 遺構にて 移築されては 茶室に変化(同上)

須賀川の 宿場手前の 一里塚 国の史跡で 街道遺構(須賀川)

須賀川は 美人ばかりが 眼にうつる 芭蕉の家の 受付見ても(同上)

十念寺 円谷選手に 手を合わせ 芭蕉句碑を 拝み見るなり(同上)

禅宗の (ちょう)(しょう)(いん)を 参拝す 相楽(とう)(きゅう) (はか)と句碑あり(同上)

須賀川に 静かな宿を 求めれば 阿武隈川の 見晴らしの丘(阿武隈川)

阿武隈の 乙字ヶ滝の 景観は ミニナイアガラ 滝百選に(同上)

みちのくの 阿武隈川の 朝霧は 行く末迷う 人の溜息(同上)

集落の 外れにポツンと 宮の杜 芭蕉も眺め 過ぎた景色か(羽黒神社)

守山に 旧街道の 面影が 踏んで覚える 新たな出会い(守山)

田村氏の 発祥の地に 神社あり 守山城の 城跡の上(田村神社)

築城は 平安初期の 坂上(さかのうえ)の ()(むら)()()とか その子孫とも(同上)

拝殿に 左右対称 摂社建ち 桜芽吹きや 田村神社は(同上/奥の細道輪行記4) 39

街道に 兜造りの 古民家が 圧倒されて 眺め見るかな(郡山)

日和田宿 古民家並ぶ 景観に 街道走る 心地良さあり(日和田)

松並木 衰退しつつも 街道を 旅行く人に 安らぎ与え(同上)

花かつみ 芭蕉の焦がれた 花なれど 開花に早き 安積山(あさかやま)かな(安積山)

旧道の 本宮宿の 通りには 入母屋造り 土蔵の建屋(本宮)

城跡に 箕輪櫓と 城門が 復元されて 城らしきかな(二本松城)

藤棚は 智恵子の家より 移植して その名を城に 留め置くかな(同上)

傘松は 三百年の 樹齢とか 藩政時代の 城のシンボル(同上)

庭園の 洗心亭は 移築され 再び城に 復元されしと(同上)

築城は 室町初期の 山城で 江戸期は丹羽氏 十万石に(同上)

薄幸の 智恵子思うと 涙出る 生家に残る 愛と哀しみ(智恵子の生家)

(かん)()()は 奈良時代の 開基にて 鬼婆(おにばば)伝記の 天台の寺(安達ヶ原)

平安の 女泣かせの 貴公子も 詠う心は 真なるかな(安洞院)

鏡石 ()()(ずり)石の 別名で 百人一首の 歌にもありき(同上)

奈良時代 文知摺観音 創建し 江戸の中期に 曹洞宗に(同上)

白河で 阿武隈川に めぐり合い 文知摺橋で 別れ行くかな(阿武隈川)

古民家が 温泉街に 点在し 土蔵商家を 見るも楽しき(飯坂温泉)

飾るにも 太刀は何処か 鯉のぼり 笈はさみしく 太刀を待ちつつ(医王寺)

義経に 忠義を尽くし 果てるなり 佐藤兄弟 哀れな戦士(同上)

桑折で 再び奥州 街道に ペダルも力む 伊達の大木戸(桑折)

入母屋の 大きな家に 目を見張る 貝田宿は 豊かに見えし(貝田宿)

県境に 下紐(したひも)の石 鎮座する 昔の関所 歌枕とも((こす)(ごう))

堂内に 佐藤兄弟の 嫁の像 甲冑(かっちゅう)姿(すがた)で 安置されし(白石)

うーめんを 食べる時間も 惜しみつつ 夢中で走る 奥の細道(同上)

槻木に 古き旅館と 土蔵あり 泊まりてみたき 木造二階(槻木宿)

明治より 武隈(たけくま)明神 追いやられ 稲荷(いなり)(のかみ)が 化けて出るなり(竹駒神社)

岩沼の 竹駒寺(たけこまでら)は 分離され 嘆き声出す 能因法師(岩沼/奥の細道輪行記5) 39

竹駒の 松は(ふた)()に 結ばれて 分れ争う 神と仏と(同上)

歌枕 冠にした 旅館あり 竹駒稲荷の 門前町かな(同上)

元禄期 八幡宮は 遷宮し 新たな社殿 芭蕉も拝す(亀岡八幡宮)

仙台の 東照宮は 江戸の初期 二代忠宗 創建せしと(仙台東照宮)

外様でも 神君家康 祀るかな 社殿五棟は 国の重文(同上)

珍しや 国分尼寺が 存続し 杜の都に 花咲く如し(仙台)

古来より 人の心を 引きよせて 涙流さす 壺の(いしぶみ)(多賀城)

多賀城の 政庁跡は 更地にて 復元される 様子に見えず(同上)

歌枕 思えばすでに 千余年 思う心は 人によりけり(同上)

人々に 忘れ去られた 細道も 旅の紀行で 永久に知られる(同上)

遠くのみ なぜ旅人は 振りかえり 旅するんだろう 末の松山(同上)

ぽっつりと 取り残された 沖の石 時代はどこへ 流れゆくかな(同上)

振り向けば 二百二段の 石段に 三百年の 足音ぞする(塩竈)

死ぬことは 生きる命の 定めゆえ 空しからずに 今日も旅する(同上)

江戸の後 志波彦(しわひこ)(のかみ) 押しかけて 訳の分からぬ 神社となりぬ(同上)

瑞巌寺 慈覚大師の 創建で 伊達政宗が 中興をせし(松島)

本坊の 改築工事 瑞巌寺 檀家の殆ど 参拝客か(同上)

雄島には 見仏(けんぶつ)上人 十二年 (らい)(けん)上人 二十二年と(同上)

島の数 二百六十と 聞くけれど 日本一の 多さは不動(同上)

潮引て 雄島の磯の 水底に どっと出てくる 蟹の数々(同上)

松島の 美観に心 うばわれて 筆を差しおく 芭蕉の姿(同上)

松島や 月影落ちる 春の海 日ごとに老いる 松島の数(同上)

死んでゆく 先は何にも 分からなねど 生きる楽しさ 知る旅路かな(同上)

歌枕 数ある里や 石巻 偲ぶ心に 春風渡る(石巻)

みちのくの 春が待たるる 日和山 出船入船 花に浮かれつ(同上)

初めての 海を眺めた 感動を 詩歌に詠みし 宮沢賢治(同上)

街並みを 二つに分け 流れゆく 大蛇の如し 旧北上川(石巻/奥の細道輪行記6) 39

鹿又の 八雲神社に 道標(みちしるべ) 奥の細道 太くなるかな(鹿又)

長沼や 北上川に 消ゆるとも 心細さは 昔と同じ(長沼)

俳文を 記念に記す 柳津(やないづ)は ()(くう)(ぞう)菩薩 祀る寺あり(柳津)

登米(とよま)では 検断屋敷に 一泊し その記念碑が 土手に建つなり(登米)

寄棟の 土蔵の商家は 珍しく 保存を兼ねた 資料館とか(同上)

鈴彦は 江戸期創業の 醸造所 白亜の土蔵 素晴らしきかな(同上)

登米とは 伊達氏分家の 城下町 武家屋敷など 今も残りし(同上)

石森(いしのもり) 土蔵民家は 寂れても 漫画家の名は 消えることなし(石森)

降る雨は 昔と同じ 雨なれど 肌を通さぬ 雨具は嬉し(有壁(あるかべ)宿(じゅく))

街道の 宿場に残る 本陣は 江戸の移築で 国の史跡に(同上)

山目(やまのめ)の 旧家に立派な 標柱が 自転車停めて 写真撮るなり(山目宿)

平泉 柳之(やなぎの)御所(ごしょ)は 政庁で 藤原三代 栄華の夢路(平泉)

松の木や 無量光院の 再建を これから先も 待つばかりかな(同上)

高館も 大河の前に 無力なり いずれ崩れる 旅の足跡(同上)

高舘で 束稲山を 眺めれば 桜に早く 月には遅し(同上)

経堂の 役割終えた 建物は 宝形造りの 国の重文(中尊寺)

仏堂の 旧覆堂(ふくどう)は 敵方の 鎌倉幕府 建立せせしと(同上)

茅葺きの 能舞台は 珍しく 入母屋造り 国の重文(同上)

平泉 極楽浄土 具現した 毛越寺の庭 長しえにあれ(毛越寺)

荘厳な (かん)()(ざい)(おう) (いん)(あと)は 幻の寺 特別史跡(平泉)

細道の 一関より 平泉 芭蕉と曾良は 日帰りの旅(一関)

平安の 武将の館 点在す 金成(かんなり)出でて (はい)りし古道(岩崎)

()()()(はし) 曾良の日記に 記された 南朝の方の 城跡とかや(同上)

案内図 遊びのような 内容に 惑わされたり 未知なる山中(上街道)

埋もれた 上街道の 一里塚 感激をして 自転車停める(同上)

岩出山 その断崖を 借景に 広がる池に 浮かぶ島々(有備館)

有備館 国の史跡と 名勝で 池泉庭園 最古の藩校(同上/奥の細道輪行記7) 39

森泉 岩出山にも 酒の旗 大正時代の 酒蔵残り(岩出山)

街角に 銅像の建つ 岩出山 分からずじまい 宿の名前は(同上)

幾度なく 車で通った ()(ぐろ)()(さき) こんな眺めが ここにあるとは(小黒ヶ崎)

関守に 怪しまれては 留め置かれ 難儀したとか 尿前の関(尿前の関)

二泊して 名句を生んだ 宿屋とは 最上領地の 封人(ほうじん)の家(堺田)

何も見ず 通り過ぎるが 旅の常 蚤や虱を 刻み込むとは(同上)

蕉翁の 旅の姿は 見えぬとも 心重なる 封人の家(同上)

みぞれ降り 雪に埋もれた 旅の跡 越すに越せない ()()(ぎり)峠(山刀伐峠)

みちのくの 紅花商の 粋人は 江戸で知られた 鈴木清風(尾花沢)

涼しさは 昔ながらの 寺の句碑 形ばかりが 移ろう世にて(同上)

清風の 寄進で成った 念通寺 浄土真宗 大谷派の寺(同上)

楯岡に (かや)()が並ぶ 景観に イザベラバード 思い出すかな(村山)

村山の 愛宕神社の 奇岩には ケヤキの林 根付いて伸びし(同上)

天童に 旧郡役所 残されし 木造三階 洋風建築(天童)

山寺の 松は頼もし 風雪に 耐えて(こら)えて また美しく(立石寺)

予期もせず 蕉翁訪ねし 山寺は 名句を生んで 不滅の寺に(同上)

天童の 有名旅館に 断られ 山寺駅の 宿に投宿(同上)

様々な 旅重ねるや 道の上 一期一会の 束の間の夢(大石田)

江戸期まで 曹洞宗の 大寺院 今は小寺の (こう)(せん)()かな(同上)

大石田 一栄亭に 三泊す 芭蕉と曾良の 歓待続く(同上)

新風の 俳諧に触れ 歌仙巻く 一栄・川水 地元俳壇(同上)

水運で 栄えた面影 残るかな 幕府の天領 大石田かな(同上)

新庄の 城下の入口 鳥越は 一里塚建つ 羽州街道(新庄)

城下では 盛信亭に 招かれて 発句の披露 句会を指導(同上/奥の細道輪行記8) 39

最上川 本合(もとあい)(かい)が 乗船地 史蹟となりて 銅像も建つ(本合海)

古口に 新庄藩の 船番所 千石船が 脳裏に去来(古口)

蕉翁を 驚かせたり 最上川 その急流を 我も行くなり(最上川)

最上川 古跡を偲び 酒を飲み 波のまにまに 聴くは舟歌(同上)

白糸の 滝の眺めは 変らねど 日毎に増える 白髪は早し(同上)

目覚めれば 昨日の雨は 雪となり 春遠ざかる 白糸の滝(同上)

清川の 下船の地にも 銅像が 庄内藩の 関所跡でも(清川)

自転車で 上り行くのは 無理と知り 歴史の道を 諦めるなり(藤島)

赤坂や 芭蕉の道を 表示して 分かり易くも 情緒は薄れ((とう)())

羽黒山 戦後に修験 復活し 黄金堂も 神仏習合(同上)

明治初期 五重塔は 廃仏の ()(きゃく)免れ 国宝となる(同上)

過ぎし日の 月山登山 思い出し 慰めとする 奥の細道(羽黒山)

物持てば 物に執着 この心 生まれた時は みな無一物(同上)

鶴岡に 三泊しては 船に乗り 酒田へ一路 下り行くかな(鶴岡)

蚶満寺 象潟島と 称されて 九十九島で 最大の島(蚶満寺)

目覚めれば 夢やうつつに 夜を過ごし チャリンコ何処と 探す二日酔い(象潟)

目を閉じて 西施のうたたね 思い出す 酔いに醒めれば 波音高く(同上)

江戸期には 真澄が泊まりし 旅籠かな 民宿として 再開願う(象潟)

(あぶみ)()は 酒田の豪商 国史跡 その評判は 大阪までも(酒田)

()(ぎょく)(たく) 居心地が良く 逗留す 象潟往来 除いて 九泊(同上)

蕉風や 風さわやかに 吹き抜ける 夏の盛りの 酒田の海に(同上)

船着き場 鶴岡からの 下船地か 案内もなく 推定したり(同上)

川沿いの 山居倉庫は 壮大で 切妻屋根が 十二棟建つ(同上)

足跡が 途切れ途切れに なるとても 必死に目指す その足跡を(大山)

大山に 一宿の跡 丸屋方 見つけて嬉し 今日の収穫(同上)

由良の浜 白山島は ピラミット 眺める如し 赤橋の先(由良/奥の細道輪行記9) 39

黒色に 統一された 屋根瓦 美しきかな (さん)()の漁港(三瀬)

地震にて 鬼のかけ橋 崩落し 曾良の日記の うたかたの橋((かた)苔沢(のりさわ))

(あつ)()では 温泉泊まりと 誤解され 真実語る 宿泊の家(温海)

鼠ヶ関(ねずがせき) 勧進帳で お馴染みで 蕉翁ひとり 馬にて(はい)る(鼠ヶ関)

スルメ干す 様子を見ると 気にかかる カラスやカモメ 盗まないかと(同上)

港より 弁天島は 張り出して 厳島社の 社殿新たに(同上)

旅館跡 念珠の松が 残されし 枝の長さは 二十メートルと(同上)

中村に 一泊の宿 探しても 見つけられずに 自転車パンク(中村)

村上の 若林家は 武家屋敷 百五十石の 物頭(ものがしら)とか(村上)

曲り家は 築二百年の 茅葺きで 国の重文 庭は記念物(同上)

村上の 二泊の宿は 今旅館 木造二階 町屋建築(同上)

本堂は 白壁土蔵 浄念寺 芭蕉も参拝 国の重文(同上)

村上の 城主はしばし 入れ替わり 最後は内藤 五万石かな(同上)

山口家 茅葺き重なる 武家屋敷 ブロック塀が 不釣り合いかな(同上)

(おっ)(ぽう)() 行基開基の 古刹なり 七堂伽藍 芭蕉も拝観(乙宝寺)

道のべに レンギョの花は 咲き競う 判を下せや 鶯の声(聖籠)

風強く 時に雨降る 越後路で ふと誘われる 港新潟(新潟)

越後路と 関わり薄き 蕉翁を 慕う人あり 新潟の中(同上)

石積みの 山小屋風の 芭蕉堂 唯一無比の 記念館かな(同上)

阿賀野川 信濃川とに 挟まれし 新潟町は 天領となる(同上)

おぼろげに 海を旅ゆく 貨物船 今は昔の 少年の夢(同上)

中原家 赤塚地区の 大地主 北陸道の 本陣も兼ね(赤塚)

(こん)(せん)() 北陸道の 近くにて 芭蕉と曾良が 立ち寄りしかな(竹野)

弥彦社(やひこしゃ)は 越後(えちご)(のくに)の 一宮 (あめの)香山(かぐやま) 弥彦(やひこ)(やま)とし(弥彦)

弥彦山 祖母なる夕日に 照らされて 静まりかえる 神奈備の森(同上)

(こく)(じょう)() 良寛さんと (まり)の像 悟りし僧の 理想像かな(国上寺)

詩歌碑が 拓本取りに 荒されて 上屋を架けて 施錠するかな(同上)

国上寺 奈良期(ならき)(たい)(ちょう) 開山し 天台・真言 宗派変わらん(同上)

弘法が 唐より投じた 五鈷(ごこ)(しょ)が ()上山(がみやま)の 松に掛かりしと(同上)

西(さい)(しょう)() 真言宗の 古刹にて 日本最古の ミイラの仏(西生寺/奥の細道輪行記10)39

宮殿は 愛染明王 祀るとか 兜造りの 向拝の屋根(同上)

越後路の 漁村風景 久田地区 茅葺き瓦の 屋根が連なり(久田)

良寛の 生誕の地に 堂宇建つ 日本海と ()渡島(どがしま)を背に(出雲崎)

天の河 いずこの島に かかるとも 佐渡より他に 似合う島なし(同上)

一宿の 旅籠跡は 大崎屋 出雲崎にも 芭蕉の姿(同上)

銀河の序 おくのほそ道 切り離し 別に記した 名文なりき(同上)

石地には 久寛荘の 長屋門 旧内藤家 昔の郷士(石地)

笠島の 漁港に大きな 船はなく 漁獲の少なき 海域なるか(柏崎)

六宜閣(ろくぎかく) 江戸期の庄屋 今旅館 泊まるに早く スルーするかな(同上)

忌中にて 宿断れたる 聴信寺 蔵の本堂 大正建築(直江津)

高田城 三重櫓 ピッカピッカ 再建されて 日もまだ浅く(高田)

赤色の 西堀橋に 桜咲き 白く耀く 妙高山が(同上)

憧れの 春日山城に 立ち寄りて 上杉謙信 仰ぎ見るかな(同上)

絵図見れば 堅固なる城と 思えない 攻めの一手が 謙信の(わざ)(同上)

城跡の 地下にトンネル 抜けるなり 予想も付かぬ 高速道路(同上)

直江津に 越後の国府 あったとか 未だ確証 されなきままに(同上)

()()神社 昔国府の 一宮 大国主(おおくにぬし)を 祀る(やしろ)と(同上)

上越に 唯一残る 宝塔は ()()国分寺 三重塔(同上)

本堂の 再建待たれる 国分寺 昭和末年 焼失せしと(同上)

居多ヶ浜 親鸞流刑の 上陸地 国府に五年 妻帯もせし(同上)

良きもせぬ 茅葺き民家 道路沿い 虫生(むしゅう)岩戸の 集落の中(同上)

安全な 自転車専用 道路あり 気持ち良きかな 線路の跡地(久比(くび)())

木造の 三階建ての 住宅が 密集するなり 筒石の町(筒石)

越後にも 中門造りの 曲り家が 資料館として 保存されたり(能生)

日が高く 泊まる気分に なれぬけど いつか泊らん 一宿の跡(同上)

駅前は 殺風景な 滑川(なめりかわ) ホテルに泊まり 早出するなり(滑川/奥の細道輪行記11)39

旧道に 残る町屋に 息をのむ 特徴のなき 滑川にて(同上)

ほのぼのと 漁火揺らぐ 有磯海 春の眠りを 惑わすごとく(有磯海)

波消しの テトラポットに 護岸石 有磯海から 歌枕失せ(同上)

振り向けば 松風香る 奈呉の浦 古木の松や とこしえにあれ(奈呉浦)

家持の 記念碑の建つ 放生津(ほうじょうづ) 万葉歌人は 富山のヒーロー(同上)

放生津 地名が変わり 新湊 漁港を兼ねた 港に変り(同上)

高岡の (ふた)上山(がみやま)は 歌枕 ()(じょう)(ざん)は 奈良の靈山(同上)

高岡は 鋳物の町で ()()()(ぶつ) 日本三大 大仏とかや(同上)

高岡は 土蔵の家が 多く建ち 旅館も土蔵 白亜の二階(同上)

街中の 土蔵の家に 防火壁 レンガ造りの 洒落たデザイン(同上)

創建が 奈良時代の 八幡宮 社殿三棟 国の重文(埴生護国八幡宮)

拝殿は 八棟造りの 豪華さで 建築年は 江戸時代初期(同上)

境内に 木曽義仲の 騎馬像が 台座の上に 勇ましく建つ(同上)

鳩清水 義仲一行 潤した 鳩が教えし 湧水と言う(同上)

女武者 巴御前は 生き延びて 和田義盛の 室となりしか(倶利伽羅峠)

砺波山で 葵御前は 討ち死にし 葬られたり 倶利伽羅峠

雨風に 負けてなるかと 峠道 難路悪路に 気合も入る(同上)

赤々と 倶利伽羅峠 染めた血や 平家源氏の 雄叫び哀し(同上)

今生の 終りとなるか この煙草 こんな思い出 旧道踏むとは(同上)

予期もぬ 桜にペダル 停めるなり 金沢城の 石川門で(金沢)

金沢に 知る人ありて 格別の 思いも残る ()宝院(ほういん)かな(同上)

創建は 飛鳥時代と 聞く社 宮の腰とは 湊神社か(同上)

金石の 銭谷五兵衛の 本龍寺 金沢滞在 最後の参拝(同上)

創建し 三十余年の 天満宮 山中の帰路 焦翁参拝(小松)

那谷寺は 澄泰上人 開基せし 七堂伽藍 国の重文(那谷寺)

那谷寺や 秋の紅葉が 偲ばれる 若葉芽を吹く 石段踏めば(同上)

普門閣 江戸後期の 住宅を 戦後に移築し 宝物館に(同上/奥の細道輪行記12) 39

絶景は 遊仙境の 奇岩かな 凝灰岩の 自然の造化(同上)

風洞が 一つ目小僧 見るような 遊仙境の 奇岩の様子(同上)

本殿は 舞台造りの 大悲閣 十一面の 観音を祀る(同上)

利常が 将軍嗣子の お祝いに 三重塔 建立したと(同上)

移り行く 人の時代に 関わらず 桜の花の 咲くはめでたき(山中温泉)

湯に出会い 水に流れる 悲しさを また耳にする 山中の宿(同上)

北陸の 名湯の中 忘れ得ぬ 芭蕉も浴した 山中温泉(同上)

医王寺の 八角本堂 鮮やかに 蕾の花に 勝ち誇るかな(医王寺)

明治末 芭蕉ファンが 建てしとか 尊像安置 芭蕉堂かな(鶴仙渓)

道明が 懲らしめたと言う (こう)(りゅう)は 奇岩怪石 化身と思う(道明ヶ淵)

築造が 昭和十年の アーチ橋 黒谷(くろたに)(ばし)の 眺め一番(黒谷橋)

華道家の 奇抜なデザイン 見るような あやとり橋に 遊び心が(あやとり橋)

創建が 飛鳥時代の 加賀の古社 菅生(すごう)石部(いしべ)(じん) 祭神とかや(菅生石部神社)

山中で 芭蕉と別れ 曾良ひとり 参拝したと 日記に書かれ(同上)

全昌寺 安土時代に 移築した 曹洞宗の 格式ある寺(全昌寺)

芭蕉像 杉風作と 伝えあり 実像に近い 顔かたちかな(同上)

前日は 曾良が泊まりて 句を残す 大垣までの しばしの別れ(同上)

長流亭 遠州好みの 茶室にて 池泉回遊 築山石組(江沼神社)

城跡を 案内板にて スルーする 大聖寺城は またいつの日か(同上)

吉崎は 蓮如上人 布教の地 京都と同じ 西東(にしひがし)別れ(吉崎御坊)

太鼓楼 天守の如く 眺めかな 真宗の寺 城郭と同じ(同上)

千束の 北陸道の 一里塚 榎の大木 旅の目印(同上)

弘前の 城の桜が 笑うなら 恨むが如し 丸岡の花(丸岡城)

丸岡の 天守を共に 眺めたり 奥の細道 旅あればこそ(同上)

天龍寺 余波(なごり)姿に 涙する 芭蕉と北枝 永久の別れに(天龍寺/奥の細道輪行記13)39

念じても 邪心は消えぬ 我が心 道は険しく 行くが尊し(永平寺)

朝倉氏 三代百年 夢の跡 越前福井 一乗(いちじょう)(だに)城(一乗谷城跡)

庭園は 四ヶ所もあり 館跡 最高評価 特別名勝(同上)

桜咲き 人の心は 朗らかに 豊かなりゆく 春の訪れ(福井城跡)

福井には 偉人が多く 名を刻む 橋本左内 その一人かな(左内公園)

等栽(とうさい)の 跡地に石碑 有難き 二泊の宿り (いん)()の極み(等栽宅跡)

今宿や 北陸道の 旧道に 昔新たな 宿場と聞きし(今宿)

脇本の 田園に建つ 邸宅の 瓦の屋根を 桜が覆う(脇本)

鉄道に 旧国道に 高速道 国道含め 四路が並ぶ(湯尾)

笛の音に 調子合わせ 踊る獅子 握手を求め 来るも嬉しき(今庄)

本陣の 跡地は小さな 公園に 今庄宿の 面影微妙(同上)

文政の 道標(みちしるべ)あり 今庄 元禄時代は いかがなものかと(同上)

生きてれば 死は必ずや 来たるとも 夢を果たさず 死ねぬ峠道(木ノ芽峠)

死の予感 背中に感じ 寒気する 曲りくねった 狭きトンネル(同上)

明治期に (たか)(よし)親王 祀るため (かね)(がさき)(ぐう) 創建されしと(敦賀)

源平と 南北朝に 戦国と 金ヶ崎(かねがさき)(じょう) 大戦続き(同上)

古戦場 芭蕉と等栽 何偲び 眺め見たかと 思う平成(同上)

敦賀港 千トンクラスの 貨物船 見るも久しき 奥の細道(同上)

越前の 気比神宮は 一宮 古墳時代に 地の神祀り(気比神宮)

空襲で 港と合わせ 焼失し 社殿の全て 戦後の再建(同上)

松原は 日本の宝 数多あり 中でも気比は 日本三代(気比の松原)

西福寺 五棟重文 庭園は 国の名勝 室町創建(西福寺)

後ろ髪 引かれる思いで ペダル踏む 萩と小貝の 色の浜には(色の浜)

旅枕 重ねた跡を 訪ねれば 今も侘しき 漁村の小寺(同上)

マイナーな 敦賀半島の 海岸に 白砂青松 点在するや(同上)

常宮(じょうぐう)は 中途半端な 景観で 箱物古民家 混在したり(常宮)

松原と 色の浜との 間には 海水浴場 七ヶ所もあり(名子崎)

西村家 ()(りゅう)清書本 所有すと 奇縁なるかな 峠の茶屋は(敦賀新道)

古代より 本邦に咲く 桜花 誰が初めに 眺め愛すと(木之本/奥の細道輪行記14)39

猿と犬 狼なき世の 賤ヶ岳 猛き犬でも 智恵には勝てず(同上)

どことなく 京のお寺の 香りする 木之本地蔵の 寺をめぐらば(木之本地蔵)

一幅の 絵を見る如く 眺めれど 生きとし生きる 庭の広がり(同上)

名に聞きし 千手観音 訪ねれば 慎ましきこと 花より勝れり(渡岸寺)

かららかな 春の景色の 豊かさに 弱肉強食 悲しく見ゆる(虎姫)

城跡に 天守は聳え 春満開 こんな形で 城が建つとは(長浜城)

長浜に 花雲見るとは 以外なり 秀吉すらも 眺めぬ景色(同上)

駅舎には 時の流れを 感じない 明治・大正 昨日(さくじつ)の夢(長浜)

港より 旅ゆく人の 面影を 偲ぶ淋し 翁なければ(同上)

ツンとして 古きに浸る 人々が 哀れに思う 知識乏しく(同上)

我が旅の 途中に散るや 花吹雪 天の情けか 地の優しさか(醒井宿)

新しき 時代に糧を 求めつつ 古きを学ぶ 人豊かなり(今須)

大矢来(おおやらい) 人を拒んで いるようで 不破は不和かな 歌枕消え(関ヶ原)

花ひとつ 咲いて残れば ありがたや 遠き昔の 不破の関跡(同上)

幾度なく 踏みしめて来た 一里塚 墳墓の如く 塚もまたあり(垂井)

急激に 古き家並みが 消える度 尊く思う 古き家並みが(同上)

本龍寺 宿場遺構を 移築して 立派に見える (たる)()宿(じゅく)かな(同上)

旧道に ポツンと残る 道しるべ いよいよ踏まん 美濃の大垣(同上)

庭石が 無数に置かれ よく見れば 庭石店の 展示品かな(同上)

分れ行く 貝は再び 交わらず 恋しきかな 人の心も(大垣)

銅像は 木因と不和の 頃の作 桜は散りて また咲きにしに(同上)

また別れ また会う時を 楽しみに 浮世に生きる 人の喜び(同上)

灯台に 枝垂れ桜が 花添えて 十石舟は 木因所有か(同上)

輪行記 大垣城が 終点地 日通探し 自転車送る(同上)

神路には 歌聖俳聖 立ち寄れど 僧形ゆえに お参りできず(伊勢内宮)

伊勢路には 百二十五の 神やあり しばし拝めと 天の声聞く(同上)

本物の 馬が出て来て 驚いた (もく)銅像(どうぞう)が 多くあるのに(同上)

内宮の おはらい町を 改修し おかげ横丁 工事進むなり(同上)

西行や 芭蕉の歩いた 伊勢路には ヤマトを愛す 心重なる(西行谷)

宿決まり 憂いは消えて 軽やかに 西行谷の 藪を分け行く(同上)

西行の 草の庵を 訪ねれば 堰堤工事に 跡形もなし(同上)

五十鈴川 大きく西に 蛇行して 再び北で 伊勢湾に入る(五十鈴川)

猿田彦 瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと)の 降臨を 先導した神 伊勢に居るとは(猿田彦神社)

山田館 大正初期の 創業で 木造三階 連立天守(宇治山田)

潮入の 二見(ふたみ)(のうら)の 松林 衰退せしも 霞とならず(二見浦)

夫婦岩 間に見える 貨物船 無事に帰るを 祈るカエル像(同上)

行く末は 砕けて消える 夫婦岩 それでも願う 注連縄(しめなわ)あるを(同上)

夫婦岩 近くに集う 子供岩 母より高い 岩にも見える(同上/奥の細道輪行記15) 39

岩窟を 天の岩屋と 祀るかな (おき)(たま)神社の 摂社としても(同上)

別館の (ひん)日館(じつかん)は 明治期に 皇族のため 建てられし宿(同上)

自分への ご褒美として 泊まるかな 貴賓富豪の 高級旅館に(同上)

漁火や ほのかに赤し 二見浦 春にときめく 旅は過ぎても(同上)

二見浦 修学旅行の 子供らが 日の出を見んと 走り行くなり(同上)

またいつか 日の出拝まん 夫婦岩 ふたり訪ねる 時があるなら(同上)

賓日館 いずれはなろう 文化財 築百年を 過ぎし頃に(同上)

真心が 胃の中にまで 染み入んで 二見の酒は 忘れ難きかな(同上)

神宮は 製塩所にも (やしろ)建て 神と祀るか 弥生時代より(同上)

西行の 草庵跡の 安養寺 荒涼として 所在つかめず(同上)

伊勢路には 二ヶ所の庵 構えしと 伝え残るも 西行不人気(同上)

秋田への 帰路に名古屋へ 立ち寄りて 熱田神宮 旅の礼参り(熱田神宮)

振り向けば たった一度の 人生に 満足したり 旅の終わりに(同上)

笠の書は 友の妻が 書きしもの 芭蕉翁と 同行二人(奥の細道輪行記遺品)

バック類 前輪一つ 後輪に それぞれ一つ 腰と背中に(同上)

トレパンは 紫色に 黒色の 混じった色で 筆名による(同上)

ご朱印の 頂戴できる 寺社の数 二十二ヶ所の 奥の細道(同上)

長靴に ゴアの合羽は 欠かせない 地図とメモ帳 必須アイテム(同上)

自転車を (とう)青号(せいごう)と 名付けは 奥の細道 二千二百キロ(同上)

日本の 美しき景色 眺めては 脳裏に詰めて 死なんと思う(追憶・那須湯本)

またひとつ 浮世に夢を (かな)えつつ しみじみと知る あと何年と(追憶・白河の関)

我が夢は 芭蕉に始まり また終る 旅と涙と 歌と笑いと(追憶・象潟)

人生の 命の輝き 思う時 奥の細道 自転車旅行(追憶・大垣)

巨星あり 見上げる人あり この旅を 歩かんとする 生まれ出でては(追憶・同上)

(あさ)(よろず) 昔の旅籠 幸手宿 木造三階 忘れ得ぬ宿(旅館朝萬)

日光の 古き旅館に 飛び込めば 壁は破れて 風が吹くなり(会津屋旅館)

湯に憩い 友と楽しき 酒飲んで 共につぶれる 和泉屋の跡(旅館清水屋)

旅人の その思い出を 左右する 一夜の宿の 有り難さかな(喜久屋旅館)

天守閣 今夜の部屋は 雲の上 日本三景 松島の宿(松島城観光ホテル)

また一つ 浮世に夢を 叶えたり 鳴子最古の ゆさやに泊まり(ゆさや旅館)

一人でも 泊めてくれる 優しさに 心打たれし 山寺の宿(山寺ホテル)

ゆっくりと 時間が流れ 行くような 滝見に眠る 草薙温泉(滝沢屋旅館)

人生の 重荷を脱いで 湯浴みせば 温泉冥利に 尽きる人の世(滝の屋旅館)

春風や 翁も誘え 湯のけむり 一人飲むには 酒が旨くて(大和屋旅館)

夢の中 奥の細道 さまよえる 時空を超えし 翁との(えん)(ホテルみのわ)

侘しさが 骨身に染みる 宿に寝て これも旅よと 思う懐かしさ(旅館附船屋)

山の湯や 蕉翁の名残 肌寒し 美女が酌する 今宵待たるる(五明館)

豪勢な 賓日館の 門構え 自転車旅の 宿には非ず(二見館)

客室で 庭園眺め 飲む酒は リッチな気分 前身麻酔(同上)

敦賀城 大谷吉継 五万石 約十年の 統治は哀れ(敦賀城跡/鳥取旅行1) 54

城門は 信願寺の 山門に 移築されても 城跡とあり(同上)

幕末の 耕雲斎は 尊王の 旗頭として 敦賀で斬首(武田耕雲斎等墓)

水月湖 世界の宝 その地質 7万年を 年縞に見る(三方五湖)

湖の 見物は先ず 展望所 レインボーライン (ばい)(じょう)(たけ)へ(同上)

水深が 五湖最大の 水月湖 湖底の水は 動かざると言う(同上)

三十年 償還終えても 有料の レインボーライン 珍しきかな(同上)

山頂は 自然公園と あるけれど 展望台もあり リフトも敷設(同上)

山頂の 梅丈岳の 展望所 三方五湖など 若狭一望(同上)

リアス式 海岸続く 若狭湾 八割ほどが 福井領域(同上)

湖畔には 住宅びっしり 湖上には 小舟が無数 浮かびて見ゆる(同上)

珍しい リフトに併設 ケーブルカー 上りはリフト 下りはケーブル(同上)

小浜城 酒井忠勝 城主とし 十二万石は 明治に続く(小浜城跡)

天守台 三重三階 天守閣 明治の初期に 売却されしと(同上)

本丸は 礎石転がる 荒れ地にて 殺風景な 城跡と見る(同上)

天守閣 消えた跡地に 神社建つ 忠勝公を 祭神として(同上)

萬徳寺 室町時代の 中興で 金剛峯寺の 末寺と言いし(萬徳寺)

江戸初期の 枯山水の 庭園は 国の名勝 萬徳寺かな(同上)

書院から 眺める庭園 雛壇の 躑躅ばかりで つまらなきかな(同上)

多田寺や 本堂改修 閉鎖され 門前払いの 日本三薬師(多田寺)

妙楽寺 若狭最古の 本堂は 寄棟造り 国の重文(妙楽寺)

松尾寺は 和銅元年 創建で 真言宗の 醍醐派の寺(松尾寺)

松尾寺の 馬頭観音 秘仏とか 二十九番の 西国霊場(同上)

本堂は 宝形造り 二重屋根 出張り(から)破風(はふ) 向拝見事(同上)

智恩寺は 平安初期の 創建で 室町以降 臨済禅寺に(智恩寺)

多宝塔 室町末期の 建立で ()(きょう)の組物 目を見張るなり(同上)

降る雨や 小磯の肌を 潤して また立ち帰る 天橋立(天橋立)

三キロの 天橋立 歩くかな 白砂青松 砂州の海岸(同上)

橋桁が 回転をして 船通す 廻旋橋は 面白き橋(同上)

阿蘇海や 天橋立 宮津湾 海と砂州との 三つ分れかな(同上)

木造の 老舗の宿は 忘れ得ぬ 天橋立 入口に建ち(同上)

高台の 天橋立 望む地に 丹後(たんご)(のくに)の 国分寺跡(国分)

国分寺 鎌倉末期の 中興で 史跡の奥に 慎ましく建つ(同上)

本堂は 簡素な造り 佇まい ご朱印もなき 国分寺かな(同上)

国分に 庄屋住宅 移築され 資料館とし 保存されしと(同上)

(なり)(あい)() 慶雲元年の 創建で 真言宗の 単立寺院(成相寺)

本尊は 聖観音で 秘仏なり 二十八番 西国霊場(同上)

成相寺の 五重塔は 醍醐寺似 木造再建 珍しきかな(同上/鳥取旅行2) 54

不思議なり 展望台の 股のぞき 誰でも真似る その仕草かな(天橋立展望所)

流石(さすが)かな 日本三景 価値高く 稀有(けう)なる眺め 天橋立(同上)

日本一 ちょっと気になる 評価かな (なり)相山(あいさん)の パノラマ展望(同上)

今朝早く 天橋立 強歩して 十時前には 山より眺む(同上)

宮津湾 更なる奥に 若狭湾 もう若くもない 五十路の視界(同上)

(この)神社 丹後(たんご)(のくに)の 一宮 ()(あかり)(のみこと) 元伊勢の神(籠神社)

一宮 諸国めぐりの 巡礼の 折り返しすかな 籠神社にて(同上)

伊根浦に 二百余軒の 舟屋あり 世に珍しき 港町かな(伊根)

一階は 海に接水 舟庫で 二階は倉庫 離れでもあり(同上)

近頃は 船が大きく 舟屋には 納まらなくて 外に係留(同上)

町並みは 国の指定の 重伝建 未開の地ゆえ 泊まる宿なく(同上)

宇良神社 平安初期の 創建で 浦島太郎 祭神とする(宇良神社)

明治末 経ヶ岬(きょうがみさき)の 灯台は 築造されて 映画にもなる(経ヶ岬灯台)

彼方には 越前海岸 見えるなり 丹後半島 北端の岬(経ヶ岬)

尖がりは 経ヶ岬の 山頂で 海岸線は 岩礁だらけ(同上)

噴火した マグマの石柱 玄武岩 玄武の由来 江戸時代から(玄武洞)

海蝕で 石柱露わに 成りしとか 自然の造化 波の芸術(同上)

洞窟は 採掘による 人造と 聞けば切なく 眺め見るかな(同上)

岩手にも 玄武洞あり 思うこと 柱状節理 それぞれの顔(同上)

城崎は 源泉だけを 見物し スルーをしたり 混雑し過ぎ(城崎温泉)

温泉寺 天平時代の 創建で 道智上人 湯もまた開基(温泉寺)

本堂は 室町時代の 再建で 三様折衷 国の重文(同上)

多宝塔 真言宗に 多く建つ 高野山の 別格本山(同上)

薬師堂 本堂よりも 立派なり 温泉仏は 薬師様なり(同上)

洞門が 崩れた岩が 挟まりし ハサカリ岩は 奇岩の一つ(竹野海岸)

大乗寺 行基の開基 天平期 丸山応挙 所縁(ゆかり)の寺と(大乗寺)

観音や 本尊含め 三体が 木造立像 国の重文(同上)

応挙寺と 称されるほど 名を高め 客殿壁画 国の重文(同上)

見た瞬間 餘部橋と 直ぐ分かり 車を停めて 汽車を待つかな(餘部鉄橋)

鉄橋は 明治末期の 建造で 土木遺産に 選ばれしかな(同上)

盆休み 鳥取旅行の 二泊目は 湖山温泉 ホテルウェルネス(ウェルネス・イン因幡路)

箱物の ホテルであっても 温泉が あれば満足 湖山温泉(同上)

伝説の 因幡の国の 白うさぎ 神と祀りし (はく)()神社は(白兎神社)

中興は 慶長年間 再建は 明治中期と 聞く社殿(同上)

境外の 樹叢の丘は 記念物 不増不滅の 池も有りけり(同上)

海岸に 大黒さまの 楽譜の碑 音に聞こえる 古事記の世界(同上)

池の名の 付く湖沼では ()(やま)(いけ) 日本最大 聞くも面白き(湖山池/鳥取旅行3) 54

開湯は 平安中期の 吉岡湯 通りを眺め 温泉気分(吉岡温泉)

鳥取に 天神山の 城跡が 知るも嬉しき 山名の築城(布勢天神山城跡)

鳥取城 室町末期の 築城で 山名に始まり 池田で終る(鳥取城跡)

城跡に 明治末期に 建てられた 仁風閣(じんぷうかく)は 国の重文(仁風閣)

丸の内 仁風閣は 御殿かな 煙突五本 白亜の洋館(同上)

庭の名は 藩主夫人の 宝蔵院 扇御殿に 附帯せし庭(同上)

庭園の 宝扇庵の 茶室のみ 江戸の時代の 建築と聞く(同上)

園路には 白いテーブル イスありて パラソルあれば 言うこともなし(同上)

石垣に 櫓がないのは 物足りず 鳥取城の 変化を見せず(鳥取城跡)

山城の 鳥取城を 眺めれば (きゅう)(しょう)(ざん)は 堅固な要塞(同上)

江戸初期に 観音院は 建てられて 天台宗の 観音霊場(観音院)

書院より 観賞式の 庭を見る 蓬莱庭園 国の名勝(同上)

参道に 盆を迎える 気配なく 一人お参り 観音院に(同上)

江戸初期に 樗谿(おうちだに)神社 創建す 神君家康 祭神として(樗谿神社)

樗谿 神社の社殿 四棟は 創建のまま 国の重文(同上)

興禅寺 鳥取藩主 池田家の 菩提寺とし 江戸初期に建つ(興禅寺)

城下町 消滅寸前 鳥取に 残る家老の 長屋門かな(旧箕浦家武家門)

美しさ その大きさも 日本一 ラクダに乗りて 楽だナと洒落る(鳥取砂丘)

一人では 歩くも淋し 砂浜に ラクダを友と 乗るが楽しく(同上)

砂浜に 僅かに緑 垣間見る オアシス以外 言葉が出でず(同上)

広大な 鳥取砂丘を 船上で 眺めて見ると 意外と小さく(同上)

山陰の 松島などと 称される (うら)(どめ)海岸 船で行くなり(浦富海岸)

斜にも 柱状節理 帯を成し 自然のセンス 推し量れずや(同上)

様々な 海岸美観 あるけれど 造化移ろう 花崗岩かな(同上)

魚釣り 野草を摘みて 日を暮らす 自由の民を 海人(かいじん)と呼ぶ(同上)

車では 進入できない 浜辺にも 人は踏み入り テント張るなり(同上)

打寄せる 波の高さが 生命線 繁殖可能な 草木の境(同上/鳥取旅行4) 54

黒島は 島と言うより ただの岩 凝灰岩の 岩肌黒く(同上)

満潮時 水没しない 岩礁を 島と呼ぶより 草木の有無(同上)

晩秋の 浦富海岸 如何にかと 想像できぬ 夏の思い出(同上)

遊覧船 四十分の 島めぐり 奇岩奇勝に 絶佳絶景(同上)

案内板 見ては立ち寄る 棚田かな 当り外れの 感じる百選(横尾棚田)

(さる)()(だき) 百名瀑の 一つなり 六十メートル 二段落ちする(猿尾滝)

江戸時代 村岡藩の 殿様が そうめん流し 楽しんだとも(同上)

築城は 山名(そう)(ぜん) 竹田城 室町中期 天空の城(竹田城)

江戸初期に 廃城となる 竹田城 三百年後 保全がなされ(同上)

竹田城 全盛期の 城郭を 想像すると 比類なき規模(同上)

本丸に 立ちて眼下を 眺めれば (まる)山川(やまがわ)が 西へと下る(同上)

石垣に 櫓や塀を なぞられる 浮かび上がるは 千畳曲輪(同上)

激闘を 守護同士 繰り返えす 但馬の山名 播磨の赤松(同上)

中腹の 展望台より 願うのは 三層四階 天守復元(同上)

福知山 飲食街に 大商家 時代を経ては 寂しげに建つ(同上)

駅前の ビジネスホテルに 宿とれて 朝から歩く 福知山かな(同上)

美術館 多門櫓を 模して建つ 再建進む 福知山城(福知山城)

安土期に 明智光秀 築城す 三層四階 連立天守(同上)

天守閣 郷土資料館 展望所 見移りしない 天守の用途(同上)

天守閣 二層御殿に 望楼を 架けた造りは 初期の天守と(同上)

城内の (あさ)()神社の 祭神は 初代藩主の (くち)()(たね)(まさ)と(同上)

本丸の (とよ)(いわ)(のい)が 深さでは 日本一の 井戸と称する(同上)

江戸時代 三万余石 福知山 今も城下に 旧家が多く(同上)

(あな)太寺(おじ)は 奈良期の開基 天台宗 二十一番 関西霊場(穴太寺)

本坊の 方丈庭園 池泉式 つつじの山に 石橋渡し(同上)

茶室には 枯山水の 庭もあり 穴太寺庭園 驚きて観る(同上)

本坊は 庫裡と方丈 庭園が 渡り廊下で 本堂に続く(同上)

穴太寺の 聖観音は 盗まれて 未だ帰らぬ 仏像と聞く(同上)

江戸中期 丹波(たんば)(のくに)の 国分寺 浄土の寺に 再建されし(丹波国分寺)

光秀の 兵火に消えた 国分寺 信長よりも 非情に見えん(同上)

国分寺 奈良創建の 寺跡は 国の史跡で 草茫々に(同上)

出雲(いずも)なる (だい)神宮(じんぐう)が 一宮 丹波国は 風変りかな(出雲大神宮)

()(かげ)(やま) 御神体とし 祀るのに 出雲の名は 元出雲から(同上)

本殿は 足利尊氏 改修で 流造(ながれづく)りは 国の重文(同上)

春日社は 岩を祠に 祀るかな 御蔭山には 岩石多く(同上)

集落の 殆どがすべて 瓦屋根 田んぼの奥に 眺める景色(亀岡)

京北に 室町初期に 天皇が 自ら開基 常照光寺(常照光寺/鳥取旅行5) 54

異次元の 寺を観るかな 京に来て 入母屋造り 茅葺きの屋根(同上)

方丈に 大迫力の 庭園が 見る物圧倒 常照光寺(同上)

境内の いたる所に 菊の紋 光厳帝の 御陵もありき(同上)

方丈の 茅葺き屋根の 大広間 桃山時代 侘びの対極(同上)

北朝の 六十年の 六代に 時代の風の 不条理を見ん(同上)

()(じょう)()は 平安末期の 開山で 本山修験の 末寺なるかな(峰定寺)

境内は 写真撮影 不許可にて 山門のみが 被写体となる(同上)

興聖寺 道元禅師の 開山で 佐々木信綱 開基せしと(興聖寺)

秀隣寺 他に移され 庭園は 国の名勝 残されてあり(同上)

庭園は 足利義晴 隠遁の 慰めとして 高国作庭(同上)

江戸時代 無住となりし 寺跡に 移転されたる 興聖寺なり(同上)

旅もせず 五年の月日 走馬灯 再び帰る 芭蕉の世界(熱田/芭蕉の花道1) 54

この度の 自転車旅行の 安全を 祈願をしたり 熱田の神に(同上)

本堂は 昭和中期の 再建で 大須観音 尾張の大寺(大須観音)

経蔵の 大須文庫に 古事記あり 最古の写本 国宝と聞く(同上)

テレビ塔 名古屋の名所 その側に 芭蕉を訪ね 立ち止まるかな(久屋大通公園)

尾張では 傘屋久兵衛の 借家にて 芭蕉独自の 歌仙を巻きし(同上)

句碑にある 三俳人は 横井()(ゆう) 加藤(きょう)(だい) 井上()(ろう)(同上)

弥富から 東海道に 入るなり 尾張大橋 東に()(げた)()(弥富)

井桁屋は 醤油や酒の 大店(おおだな)で 哀しきほどに 寂れた様子(同上)

乗り遅れ 空しく聞いた あの汽笛 瞼に浮かぶ 洋上の月(尾張大橋)

桑名にて 伊勢神宮を 遥拝し 東海道を 四日市へと(桑名)

本統寺 芭蕉ゆかりの 別院で 冬牡丹の 句碑を拝する(真宗大谷派別院本統寺)

富田には 一年前に 半年を 過ごした町で 庭行く如し(富田)

四日市 工場地帯 抜け行くと 海蔵川に 夕日が沈む(四日市)

四日市 奈良京都への 旅の基地 何度越えたか 鈴鹿の山を(同上)

一里塚 標柱だけの 味気なさ それでも無いより 有るが有難き(同上)

ここだけが 江戸時代の 雰囲気で 日永追分 懐かしく見る(同上)

自転車も 杖衝坂に ギブアップ 押して上るか 落車せぬよう(同上)

気がつけば われも旅人 定めなく 雲ゆく如く 独りさすらう(同上)

芭蕉句碑 案内文も 石碑にて 落馬をしても 扱い篤く(同上)

石薬師 本陣跡の 建物も 町家民家で 趣き宿場(石薬師宿)

国学者 佐佐木信綱 その生家 知りて新たな 石薬師宿(同上)

奈良時代 石薬師寺は 創建し 真言宗の 宿場の寺に(同上)

蒲冠者(かばかじゃ) 範頼(のりより)祀る 小社あり 石薬師寺の 参拝記念か(同上)

蒲桜 戦勝祈願に 範頼が 逆さ植えした ヤマザクラとか(同上)

一里塚 榎か松が 目印で 石薬師には 灯籠もあり(同上)

庄野宿 油問屋の 大町家 資料館とし 保存公開(庄野宿)

中富田 川俣神社に 一里塚 昔の人は ここで野宿も(中富田)

池向こう 亀山城の 櫓見え 亀山宿へ 入らんとする(亀山)

旧道は カラー舗装が 施され 親しみ易き 宿場の風情(同上)

亀山に 残る町家の 休み何処(どこ) どこに有るかも 分からぬ人も(同上)

関宿は 伊勢参拝で 栄えたり 宿場に残る 大鳥居かな(関宿)

創建は 天平時代の 関地蔵 堂宇三棟 国の重文(同上)

生と死を 越え去り行かば 終着の 思い少なし 旅の夢路に(鈴鹿峠)

旅籠跡 復元すればと 思うけど 何ともならぬ 宿場の遺産(土山宿)

早馬で 三日で駆けた 東海道 紹介をする 伝馬館かな(同上)

町家風 切妻二階の 主屋かな 昭和中期の 再建と聞く(同上/芭蕉の花道2) 54

本陣に 雲上人の 名が残る 将軍家光 明治天皇(同上)

水口に ベンガラ格子の 町家建ち 自転車停めて 眺め見るかな(水口)

水口に 三箇所あった 一里塚 泉の塚に 榎伸びたり(同上)

渡し場に 冠木門(かぶらぎもん)と 常夜灯 横田渡し 威厳に満ちて(同上)

案内に 東海道の 渡し場が 十三箇所と あるが驚き(同上)

旅人は 塵にまみれて 身軽かな 命尽くまで 風雅を捨てず(同上)

全国に 弘法杉は 数多あり 東海道は 大砂川に(吉永)

先細る 命の旅を 惜しんでは 酒を相手に 未知をさすらう(甲西)

()(ちゅう)(さん) 江戸の妙薬 その本舗 国の史跡で 名勝庭園(六地蔵)

()(はら)には 白壁土蔵の 家並あり 大正時代の 建築と言う(田原)

川崎家 文化財にも 選ばれて 公開されず 九年目を経つ(同上)

石杭に 東海道の 文字を見て 安心をして ペダル踏み行く(同上)

草津宿 国の史跡の 本陣は 往時の姿 留め置くかな(草津)

春はよし また秋もよし 望月の 光り漂う 瀬田の船宿(大津)

平安期 (ちか)()()神社 創建す (いし)山寺(やまでら)の 鎮守社として(同上)

幻の 棲家とぞ見ん 庵にも 人は行き交い 四季は時めく(同上)

十五夜や 優雅に月を 眺むれば 大和心に 玉杯(ぎょくはい)の酒(同上)

何気なく 自転車降りて 見てみれば 蘆花(ろか)浅水(せんすい)(そう) 国の重文(同上)

日本画の 山元春挙(しゅんきょ)の 別邸で 予約をすれば 拝観可能と(同上)

膳所(ぜぜ)(じょう)は 七万石の 城跡で 記念碑だけが 空しく立ちて(膳所城跡)

城跡に 近江大橋 横たわり 四層天守 あれば絵になる(同上)

幸せの 鐘は鳴るなり 野に山に 蕉風香る 無始のふるさと(義仲寺)

木曽殿の 五百年後 同居して 三百余年 供花(くげ)は絶えなく(同上)

愛妾の 巴御前は 生きながえ 尼僧となりて 義仲を供養(同上)

蕉翁が 首が痛いと 愚痴を言う 伊藤若冲の 天井画見て(同上)

天の声 真実一路 旅姿 自由を求め 旅にこそあれ(同上)

軽みとや 飛ぶ鳥こけて 水に浮く 浮いても来ない 弟子もありけり(本福寺)

祭神は 天女と松が 相応しい 持統女帝の 唐崎神社(唐崎)

絶大な 琵琶湖と共に 残したい 千年(さき)の 唐崎の松(同上)

三井寺や 国宝・重文 数多あり 琵琶湖に響く 寺の鐘の音(園城寺)

天台は 二つに分れ 喧嘩して 山門寺門の 憎しみ永久に(同上)

江戸の世に 区切りをつけて 流れ来る 琵琶湖疏水は 明治の力(大津)

安養寺 空海大師の 開基にて 蓮如上人 真宗に変え(同上/芭蕉の花道3) 54

京伏見 ()(こう)(のみや)の 神社観る 割拝殿の 彫刻優美(御香宮神社)

本殿は 神功皇后 祀るかな 家康再建 国の重文(同上)

庭園は 遠州ゆかりの 石庭で 伏見奉行に 着任し時(同上)

手水鉢 室町時代の 名石と 聞くと気になる 乏しき目立て(同上)

酒処 京都伏見の (ほり)(かわ)に 並ぶ酒蔵 聞き慣れし名が(伏見)

旅人も 疎らなりけり 西ノ京 街は静かに 夜は更け行く(西ノ京)

あれこれと 訪ねてみたき 寺多く 逸る心に 薬師寺の鐘(同上)

天平の 甍重なる 唐寺は 鑑真和上の 置き土産かな(唐招提寺)

偉大さが 隅の隅まで 生きている 鑑真和上の唐招提寺(同上)

創建は 平安前期 華厳宗 (おび)(とけ)(でら)は 安産の寺(帯解寺)

本尊の 子安地蔵は 半跏像 鎌倉期作 国の重文(同上)

境内に 神の使いか (にわとり)が 散歩するなり 石上(いそのかみ)の宮(天理)

塗りつぶす 地図の見所 奈良の寺 見るものなければ はいさよう奈良(同上)

奈良にある 大和(おおやまと)神社 地祇(ちぎ)祀り 日本最古の 神社とされし(大和神社)

明治期に 新たな社殿 造られて 大国(おおくに)(たま)を 正規の神に(同上)

相殿に 大物主と 天照 天神地祇を 合わせて祀る(同上)

柿畑 蜜柑畑に 古寺と古社 古墳をめぐる 山の辺の道(崇神天皇陵)

第十代 ()(じん)天皇 陵墓とか 比定されしも 実在せずと(同上)

長岳寺 空海大師の 開基にて 大和社(おおやまとしゃ)の 神宮寺とも(長岳寺)

本堂は 江戸中期の 再建で 阿弥陀三尊 国の重文(同上)

庭園は 池泉鑑賞の 書院風 庫裡建築も 国の重文(同上)

珍しき 寄棟平入り 大師堂 釜口大師の 別称もあり(同上)

大阪に 盟友ありて 思い出も 月日を重ね あつくなるかな(大阪)

長屋門 園地の中に 移築され 場違いではと 眺め見るなり(天王寺公園)

大阪は 大庭園が 少なくて 慶沢(けいたく)(えん)は 稀有な存在(同上)

住友家 本邸庭園 市に譲渡 六千坪の 林泉の庭(同上)

大阪の 通天閣は 二代目で 築五十年の シンボルタワー(同上)

大阪の (しょう)(まん)(いん)は 施薬院 聖徳太子 開基の一寺(勝鬘院)

金堂は 愛染明王 本尊に 徳川秀忠 再建せしと(同上)

多宝塔 大阪最古の 木造で 豊臣秀吉 再建にしと(同上)

桃山期 秀吉による 寄進にて (どう)(しゅう)(たに)に 教如が開創(南御堂/芭蕉の花道4) 54

門弟の 夜伽(よとぎ)を聞きて 死出の旅 発句が声明(しょうみょう) 脇句が念仏(御堂筋)

日銀の 大阪支店 旧館は 築百年の バロック建築(中之島)

淀屋橋 昭和初期の アーチ橋 土佐堀川に 水上バスも(同上)

今橋の (あい)(しゅ)幼稚園 明治末 建築されて 国の重文(今橋)

適塾は 緒方洪庵の 私塾にて 三千人の 門人ありと(適塾)

洪庵の 自宅と塾は 保存され 国指定の 史跡で重文(同上)

洪庵は 近代医学の ()とされて 適塾は後の (はん)(だい)と言う(同上)

門下には 明治の偉人 名を連ね 佐幕倒幕 何れも学び(同上)

(たい)(ゆう)() 空海大師 開山し (みなもと)(のとおる) まもなく開基(太融寺)

宝塔と 白亜の客殿 並び建つ 昭和後期の 再建と聞く(同上)

契沖は 江戸中期の 国学者 その生誕地 知る尼崎(尼崎)

(ほん)(こう)() (ほっ)()(しゅう)の 大本山 室町時代 (にち)(りゅう)開基(本興寺)

本尊は 法華経が 経典で 題目唱え 祖師を崇める(同上)

所蔵する 宝物殿の 寺宝には 天下五剣の 名刀もあり(同上)

豪華なる 開山堂の 建物と 日隆坐像 国の重文(同上)

境内に 立派な鳥居 三光堂 神仏習合 昔に回帰(同上)

近年に 三重宝塔 建てられて 七堂伽藍 満たされるかな(同上)

尼崎 日蓮宗の(じょう)(おん)() 吉野時代に に(にち)(おん)開基(長遠寺)

本尊は 題目宝塔 釈迦如来 多宝如来の 一塔二尊(同上)

本堂は 入母屋造り 瓦葺き 江戸初期築で 国の重文(同上)

鳥居立つ 妙見宮は 鎮守社で 日蓮宗に 多く見られる(同上)

釈迦如来 本尊とする 多宝塔 江戸初期築で 国の重文(同上)

創建は 神功皇后 征韓時 (あま)(てらす)の (あら)(たま)祀りし(廣田神社)

拝殿は 切妻屋根に (かつお)()が 神明造り シンプルに建つ(同上)

タイガーズ 優勝祈願に 参るとか 廣田神社は 虎を手なづけ(同上)

えびす様 関西に多く 祀られて 西宮神社 総本社とか(西宮神社)

名に聞きし 甲子園にも 秋の風 試合なき日の 宿の静かさ(同上)

街道に 灘五郷の 酒処 二十六の 酒蔵ありと(灘)

あやとりの ()(つづみ)を見る タワーかな 神戸みなとの 赤きシンボル(神戸)

震災に 耐え抜き生きて 十二年 須磨海岸に 椰子の木五本(須磨海浜公園)

砂浜の 海の向こうに 淡路島 自転車道路 明石へ続く(同上)

鉄製の 旧和田岬 灯台を 移築保存し モニュメントとす(同上)

自転車で 走った砂浜 眺め見る 鉢伏山の 雲の上から(鉢伏山)

一円(いちえん)も 無駄にはできぬ 旅なのに 二重に払う 須磨の(つな)駕篭(かご)(同上)

中腹の 山小屋風の 建物は 昭和初期築の 迎賓館と(同上/芭蕉の花道5) 54

無常なり (より)(とも)義経(よしつね) 許されて 忠度(ただのり)(あつ)(もり) 死ぬは不条理(須磨浦公園)

海峡に 吊橋架かり 九年目 世界一の 吊橋ともされ(舞子公園)

神戸から 洲本に船で 渡りしも 遠き昔の 物語かな(同上)

大正期 神戸の華僑が 移情閣 建設をして 国の重文(同上)

創建は 平安初期と 称される 人麻呂祀る 柿本(かきのもと)神社(明石)

人麻呂を 祀る神社 数多あり 明石(あかし)の社殿 大きく立派(同上)

参道に 水平日時計 設置して 明石らしき 天文の街(同上)

昭和中期 子午線上に 建てられた 天文館に プラネタリウム(同上)

蕉翁の 眺めた景色 変化して 明石ドームに 海峡大橋(同上)

月照寺 空海大師の 草創で 柿本神社 宮寺となり(同上)

山門は 明石(じょう)()の 切手門(きってもん) 月照寺に 残る文化財(同上)

明石城 八万石の 城跡で 二つの櫓 国の重文(明石城)

天守台 天守はなくて 目の前の (ひつじさる)櫓 天守代わりと(同上)

(たつみ)櫓 江戸前期の 築造で 三重三階 南東端に(同上)

堅固なる 櫓の下の 石垣に 徳川譜代の 築城を見る(同上)

南西の 櫓の側に 能舞台 組立式と 聞いて驚く(同上)

城跡は 千二百本の 桜の木 さくらの名所 百選でも(同上)

庭園は 宮本武蔵の 作庭を 四年前に 復元させしと(同上)

南東の 園路の右に 庭園が それ相応に 進歩もしたり(同上)

垂水(たるみ)では 三十年前 泊まりたる ユースホステルが 朽ちもせずある(神戸)

帰国時に 神功皇后 暴風雨 鎮めんとし 神社創建((わたつみ)神社)

わたつみの 神は姉妹で 海上と 海中海底 つかさどるとか(同上)

()()(でら)は 平安前期の 開山で 真言宗の 大本山に(須磨寺)

生きる道 死ぬ道があって 不安なし あなたも帰る ()()のふるさと(伊丹)

伊丹には 造り酒屋 多くあり 岡田家店舗 国の重文(同上)

総構え 日本最古の 天守台 歴史に残る 有岡(ありおか)(じょう)()(伊丹城跡)

江戸開基 日蓮宗の 本泉寺 本堂建築 伊丹最古と(本泉寺)

総持寺は 平安前期の 開基にて 二十二番の 西国霊場(総持寺)

亀の背に 千手観音 立ちてあり 浦島太郎 思い出すかな(同上)

寄棟に (から)破風(はふ)屋根の 大師堂 立派な堂宇 高野山末寺(同上)

城跡に 商家建物 移築して 保存公開 資料館へと(高槻城跡)

高槻と 言えば右近の 名が浮かぶ イエスに殉じ 異郷に果てし(同上)

高槻は 高槻城の 城下町 最後は永井家 三万余石(同上/芭蕉の花道6) 54

城跡は 石垣と濠が 残るのみ それでも偲ぶ 三重天守を(同上)

高槻に 能因法師の 塚探し 訪ねてみたり 自転車の旅(能因塚)

顕彰碑 高槻藩主の 建立で 林羅山の 揮毫とも言う(同上)

能因の 草庵跡にも 祠あり 平安中期の ご当地スター(能因法師址)

一乗寺 真言宗を 改宗し 室町時代に 日蓮宗へ(一乗寺)

本尊は 題目宝塔 ()尊仏(そんぶつ) 真新しい 本堂の中(同上)

街道の 基点とされた 道の駅 三十里ごとに あったとされし(桜井駅跡)

桜井で 楠木父子は 決別し その伝説で 国の史跡に(同上)

史跡には 尊王思想が ありありで 桜井駅に 辟易とする(同上)

創建は 鎌倉時代の 水無瀬(みなせ)(ぐう) 後鳥羽上皇 祭神として(水無瀬神宮)

境内は 後鳥羽帝の 離宮跡 隠岐で崩御し 水無瀬氏が祀る(同上)

客殿は 豊臣秀吉 建立で 入母屋造り 国の重文(同上)

憧れは 離宮の水で 茶の湯かな 燈心亭で 重文の茶を(同上)

山崎と 聞けばサントリー 蒸溜所 一度眺めて 見たいと思い(山崎)

島本の 山崎関(やまざきのせき) 跡地には (せき)()明神(みょうじん) 祀られしかな(関大明神社)

山崎の 西国街道 曲り角 旅籠の如く 旅館もありて(山崎)

道の角 摂津山城の 国境 石碑に残る 国の隔たり(同上)

平安期 豊前宇佐より 勧請し 離宮八幡 大山崎に(離宮八幡宮)

胡麻油 離宮八幡が 発祥地 近世(きんせい)以前は 製法独占(同上)

名庭は 酒や肴を 携えて 眺めるものぞ 四季折々に(長岡)

江戸初期に 長岡天神 開創し 明治以降は 天満宮に(長岡天満宮)

本殿は 平安神宮 社殿とか 払下げにも 菅公怒らず(同上)

光明寺 鎌倉初期に (れん)(しょう)が 法然遺跡に 開基するなり(粟生光明寺)

蓮生は (ぞく)(みょう)熊谷 (なお)(ざね)で 一の谷にて 敦盛を刎ねん(同上)

直実は 合戦後には 出家して 揺るぎのない 法然の弟子(同上)

物足りぬ 光明寺には 塔がなく 七堂伽藍と 認め(がた)しく(同上)

楼門を 眺めて過ぎる 大社には 何度も参り 通過するなり(嵐山)

愛宕山 眺めて走る 桂川 いよいよ近寄る 嵐山かな(同上)

渡る度 景色移ろう 嵐山 冬も良かれと 思う水音(同上)

奈良時代 行基の開基 法輪寺 虚空蔵菩薩 日本三大(法輪寺)

幕末の 戦で焼かれた 法輪寺 多宝塔は 昭和の再建(同上)

大河内(おおこうち) 伝次郎が 生涯を 賭して築造 山荘と庭(大河内山荘)

降る雪も 散り行く花も 美しや 京都嵯峨野の 四季の移ろい(同上)

趣味の良さ 感じる建屋 数寄屋風 役者を超えた センスに感服(同上)

桂川 楓の枝に 挟まれて 小さく迫る 京の街並み(同上)

嵯峨日記 芭蕉の足跡 そのままに 嵯峨野に残る 庵は宝(落柿舎/芭蕉の花道7) 54

落柿舎や 元禄(げんろく)四年が 去来する この場所に居た それぞれの顔(同上)

茅葺きの 入母屋造りの 主屋には 苔むすほどに 侘びの風情が(鳥居本)

嵯峨野でも 鳥居本まで 来る客は 少なく見える 秋の夕暮れ(同上)

鳥居本 重伝建の 街並みは 愛宕神社の 門前町でも(同上)

景観が 切妻屋根の 平入りに 変る家並みも 鳥居本かな(同上)

石畳 瓦の屋根に 茅もあり 日本の家屋 ここに極まり(同上)

いわし雲 浮き草のまに 映しては 紅葉染まりし 大沢の池(大沢池)

歌枕 夕べの宿は 旅枕 大沢の池 添え寝の友に(同上)

嵯峨の名は 嵯峨天皇に 由来して その陵墓に ()(はい)するなり(嵯峨天皇山上陵)

京の宿 炭屋(すみや)俵屋(たわらや) 柊屋(ひいらぎや) 泊まることなど 夢のまた夢(同上)

桂川 渡月橋にて 名が変わり 鴨川のんで 淀川に入る(桂川)

清原の 頼業(よりなり)祀る (くるま)(ざき) 平安末期の 創建と聞く(車折神社)

明治期に 車折神社 衰退し 富岡鉄斎 再興せしと(同上)

境内に 芸能神社 創設し 芸能人の 参拝多く(同上)

草創は 平安初期の (そう)(きゅう)() 平安後期 律宗の寺に(法金剛院)

庭園は 池泉築山 浄土式 (せい)(じょ)の滝は 特別名勝(同上)

鉢植えの 花の玄関 品高く (たい)賢門院(けんもんいん) 落飾の寺(同上)

幻の 大極(だいごく)殿(でん)は 消えたまま 八百余年 過ぎんとするか(大極殿跡)

昔見た 景色は同じ 色とても 移り変るは 旅行く心(二条城)

二条城 京都に残る 城跡で 往時の櫓 残る驚き(同上)

大手門 江戸前期の 築造で 城の顔なり 国の重文(同上)

正門は 檜皮葺きの 唐門で 奥に二の丸 御殿が見えし(同上)

究極の 池泉回遊 (しょ)(いん)(ぞう) 二の丸庭園 特別名勝(同上)

遠州の 作と言われる 庭園は 三千坪の 蓬莱世界(同上)

真四角な 櫓の先に 本丸の 御殿が見えし 二条城かな(同上)

明治期に 宮家邸宅 移築され 本丸御殿は 公武合体(同上)

天守閣 再建されて 二条城 その気運なく 二百余年過ぎ(同上)

清流園 昭和中期の 造園で 和風洋風 折衷庭園(同上)

単純に 丸刈りされた つつじには 美観の要素 我は感ぜず(同上)

思い出は 二十歳の頃に 遡る 先ず憧れの 京都に暮らし(同上)

(ほう)(きょう)() 吉野時代の 創建で 臨済宗の (あま)(もん)(ぜき)()(宝鏡寺/芭蕉の花道8) 54

裏千家 今日庵の 兜門 門外漢(もんがいかん)に 入る術なく(今日庵)

本法寺 室町時代の 創建で 日蓮宗の 本山寺院(本法寺)

本堂は 江戸後期の 再建で (さん)(ぼう)(そん)を 本尊とする(同上)

なべかむり 日親上人 開基して 本阿弥家の 菩提寺とか(同上)

書院には 光悦作の 庭があり 枯山水は 国の名勝(同上)

多宝塔 今は府文に 甘んじて 国の重文 時の問題(同上)

不審庵 表千家の 代名詞 三つの千家 不審に思う(不審庵)

旅に出て 景色に見とれ 空腹を 知らずに過ごす 旅の幸せ(妙顕寺)

妙顕寺 鎌倉末期に 日像が 法華宗の寺 京都に開基(同上)

妙顕寺 日蓮宗の 大本山 五堂八宇に 塔頭九院(同上)

妙が付く 日蓮宗寺 続くなり 洛中北部 多く散見(妙蓮寺)

古都は良し 寺の甍は そのままに 庭は移ろい 咲く花の色(同上)

妙蓮寺 本門法華の 大本山 二堂七宇に 塔頭八院(同上)

全国の 大本山は 拝みたい 歴史あるなら 宗派を問わず(同上)

(しゃく)(ぞう)() 空海大師の 開基にて 石造阿弥陀 国の重文(石像寺)

浄土宗 石像寺の 大師堂 改宗されても 有るが嬉しき(同上)

紫野 船岡山は 歌枕 市営公園 第一号でも(船岡山)

明治初期 (けん)(くん)神社 創建す 織田信長の 再デビューかな(建勲神社)

信長を 祀る神社は 少なくて 天童・丹波 子孫の城下に(同上)

天下布武 完成させし 秀吉は 農民()とは 面白きかな(同上)

かにかくに 京都の夜は 恋しかり コンチキチンの 音耳にして(今出川)

(しも)()(りょう) 都に祟る 八神を 平安初期に 祀るし神社(下御霊神社)

拝殿は 入母屋造り 檜皮葺 舞台を兼ねた 高床式で(同上)

本殿は (かしこ)(どころ)の 宮殿を 江戸後期に 下賜(かし)移築とか(同上)

名に聞きし 頼山陽の 書斎跡 事前予約で 見学できず(山紫水明処)

鴨川の 水の流れを 眺めつつ 無常を思う 心緩やか(加茂大橋)

阿弥陀寺は 織田信長の 本廟で 浄土宗僧 (せい)(ぎょく)開基(阿弥陀寺)

寺町で 芭蕉句碑あり 阿弥陀寺に 夢蝶和尚の 芭蕉礼賛(同上)

創建は 下御霊社と 同様で 御靈神社が 正規の社名と(上御霊神社)

向拝は 千鳥と唐の 二重破風(はふ) いたる所に 菊の御紋が(同上)

門人と 半日過ごし 歌仙巻き 句碑が残るや (かみ)()(りょう)神社(同上)

楼門は 市景観寺社 第一号 政教分離 緩やかとなり(同上)

日本画の 橋本(かん)(せつ) 作庭す (はく)()(そん)(そう) これも傑作(白砂村荘)

庭園は 二千坪の 池泉式 茶室もありて 国の名勝(同上)

庭を見て 遠き山河を 思い見る やがて宇宙の 果てまでも見ん(同上)

庭園は 二十余年を 費やして 昭和十年 ほぼ完成と(同上)

木の上に 大文字山 見えるかな この借景も 白砂村荘(同上)

邸内に 数多の石塔 コレクション 十一重塔 珍しく見る(同上/芭蕉の花道9) 54

創建は 平安初期の (こん)(ぷく)() 元禄時代 臨済宗に(金福寺)

蕉翁の 来訪記念 芭蕉庵 蕪村一門 建立せしと(同上)

芭蕉庵 利休の(たい)(あん) 真似たのか 三畳台目の 茶室風にて(同上)

江戸末期 井伊直弼の 侍女たかが 尼僧となりて 余生過ごせし(同上)

ありふれた 小川の筋の この道は 思案にふける 哲学の道(鹿ヶ谷)

禅林寺 平安初期の 開基にて 末期に(よう)(かん) 念仏寺とす(禅林寺)

浄土宗 西山(せいざん)三派に 分裂し 禅林寺派は 総本山に(同上)

本尊の みかえり阿弥陀 珍しく 平安末(さく) 国の重文(同上)

風流な 螺旋階段 臥龍廊 見渡す限り 青もみじかな(同上)

禅林寺 七堂伽藍に 大庭園 三千本の 楓の名所(同上)

禅林寺 開山堂は 真言の (しん)(しょう)()(じゃ)() 開基に祀る(同上)

御影堂は 宗祖法然 祀りしと 流祖証空(しょうくう) どこに祀りしか(同上)

御影堂は 大正初年の 再建で 境内一の 大きさと言う(同上)

その昔 塔頭九院 有りと聞く 今は寂しく 二院あるのみ(同上)

画仙堂 大正初年の 建立で 障壁画など 展示公開(同上)

湯豆腐の 歯にからまない 味よりも 歯に食い込む 蕎麦も恋しき(同上)

創建は 白鳳時代の 祇園社は 明治維新で 八坂神社に(祇園)

京の四季 御室(おむろ)のさくら 祇園(ぎおん)(さい) 保津川下り 下京(しもぎょう)の雪(同上)

誰ひとり 知る人もなし 京の夜 一人静かに 歌をまた詠む(同上)

本能寺 本門法華の 大本山 本堂とビル 塔頭七院(寺町)

広く知れ 古きを尋ね 旅をせよ 旅は命の (みなもと)なるかな(丸太町)

鴨川の 三条大橋 スタートす 東海道と 中山道へ(三条)

山科で 東海道の 表示見て 安心しつつ 国道横断(山科)

県境に 追分記す 道標が 右は京みち 左は伏見と(同上)

月心寺 橋本関雪 別邸を 臨済宗の 寺に改め(月心寺)

石山の 月を眺め 感無量 芭蕉翁の 風流を知る(石山)

沈みゆく 夕日の如く 終わる旅 いつまた渡る 瀬田の唐橋(瀬田)

(たけ)()大社 近江(おうみ)(のくに)の 一宮 古墳時代の 創建と言う(建部大社)

拝殿は 入母屋造り 檜皮葺き 大正時代の 再建と観る(同上)

主祭神 ヤマトタケルで 権殿に 大己(おおな)(ちの)(みこと) それぞれ祀る(同上)

木造の 女神坐像の 三体と 石灯籠が 国の重文(同上)

草津宿 東海道との 分かれ道 中山道へ ハンドルを切る(草津)

草津宿 本陣遺構が 保存され 千六百坪 国の史跡に(同上)

六角氏 スサノヲら祀り 創建す 室町末期に ()()()神社を(伊砂砂神社)

鳥居より 大宝(だいほう)神社 遥拝す 重文狛犬 眺めもせずに(大宝神社/芭蕉の花道10) 54

守山は 比叡山の 東門で 最澄上人 寺を創建(東門院)

百キロを 超えたら遠く 思うかな 中山道の 自転車旅行(守山)

やっと着く ()(もと)(いち)の 総理椅子(いす) 潔いのも 近江の商人(あきうど)(同上)

杉玉が 造り酒屋に 見当たらず 廃業せしか 総理の家は(同上)

武佐(むさ)宿(しゅく)に 町家が多く 残るなり 歴史の飛んだ 宿場の景色(武佐)

創業が 四百年の 中村屋 築二百年は 旅籠そのもの(同上)

武佐宿や 冠木門に 瓦屋根 脇本陣は 町会館に(同上)

寂しさに また寂しさを 重ねつつ 風雅に赴く 旅は険しく(五個荘)

()()(しょう)の 清水鼻の 名水に 一寸(ちょっと)一息(ひといき) 自転車の旅(同上)

片山家 茅葺き建屋 よく見ると 和菓子店舗の 旧ういろう屋(愛知川)

江戸中期 (たけ)(へい)(ろう)は 創業し 明治天皇 ()(しょう)(きゅう)(しょ)(同上)

伊藤忠 商社の創始者 屋敷跡 安政年間 近江に始まり(同上)

江戸末期 又十藤野家 呉服屋で 北海道でも 財を成したとが(同上)

(べに)(ちゅう)の 名で大阪に 進出し 伊藤忠と 丸紅に分社(同上)

()()(がわ)の 近江商人 忠兵衛の 百回忌に 記念館へと(同上)

大ケヤキ 八幡神社と 一里塚 シンボルとして 聳え立つかな(同上)

豊郷の 小学校は 昭和初期 丸紅寄贈で 東洋一と(同上)

高宮は 麻織物で 繁盛し 豊かさ残る 宿場町でも(高宮)

大鳥居 多賀大社への 参詣路 高宮宿は 門前町でも(同上)

平入りの 切妻町屋 建ち並ぶ 宿場の景観 高宮宿に(同上)

江戸中期 八幡神社 創建す 聖徳太子の 戦に因み(同上)

小町塚 中山道で 拾い物 秋田福島 広がる出会い(小野)

鳥居本 六十三番 宿場町 西国大藩 定宿にして(鳥居本)

彦根城 復元された 表御殿 見学せんと また訪ねたり(彦根城)

殿様の 住居空間 奥向きは 贅を尽くした 木造建築(同上)

外観が 博物館は 耐火造 致し方なき 木造復元(同上)

内郭は 復元されし 彦根城 外堀七門 復元待れる(同上)

宿はみな 刺身てんぷら 茶碗蒸し 琵琶湖名物 鮒ずし恋し(琵琶湖)

昨晩は かんぽの宿に 一泊し 今朝一番で 御殿庭園へ(同上/芭蕉の花道11) 54

鳥居本 再び戻り スタートす 中山道の 遥かな旅路(鳥居本)

米原の 町家旅館は 旅籠風 弥次さん喜多さん 泊まっているかな(米原)

街道の 標柱(かど)に 建つ旅館 中山道の 文字はブランド(同上)

流れざる 水面は澱み 濁るとも ()(さめ)に滴る 水は濁らず(醒ヶ井)

白壁に 火の見櫓が 美しく 柏原(かしわばら)宿(しゅく)を 重伝建に(柏原)

幾重にも 重なる屋根の 豪快さ 松浦邸は 歴史館に(同上)

山崎家 問屋場跡で 柏原は 近江国の 最大宿場(同上)

家康の 陣跡に見る 幟旗(のぼりはた) 葵花咲く 桃配山(ももくばりやま)(関ヶ原)

本龍寺 蓮如上人 改宗し (たる)()宿(じゅく)の 本陣格に(垂井)

同宿す 将軍家光 芭蕉翁 明治天皇 本龍寺にて(同上)

油屋に 文化の年の 匂いする 菜種油か 胡麻の油か(同上)

垂井宿 現役旅籠 亀丸屋 安政六年 建てられしとか(同上)

和菓子屋の ()(しち)(どころ)も 町家造 赤坂宿の 宿場景観(赤坂)

赤坂に 脇本陣の 名を残す 寂れながらも 旅館榎屋に(同上)

四つ辻に 入母屋家屋 重厚に 矢橋家創業 四百年と(同上)

矢崎家の 主屋は平入り 二階建て 間口は広く 文化財でも(同上)

(きん)(しょう)(ざん) (かな)()(さん)神社 パスしては (みょう)(じょう)(りん)() またいつの日か(同上)

()()の渡し 説明版に 残るのみ ()()(がわ)離れ 時代は遠く(呂久)

平入りの 民家の屋根が 重なりて 渡し場跡の 賑わい偲ぶ(同上)

創建は 室町時代の 天満宮 加納宿にて 参拝をする(加納)

新築の 木造社殿は 気持ち良く 道真公も お喜ぶかと(同上)

築城は 江戸の初年に 奥平 十万石の 大名として(同上)

城跡に 十万石の 遺構なく 公園となり 国の史跡に(同上)

街角に 切妻屋根で 板張りの 大きな民家 ふと立ち止まる(岐阜)

道三(どうさん)が 伊奈波(いなば)神社を 遷座して (いな)()(やま)(しろ)の 鎮守に祀る(同上)

蕉翁が 岐阜滞在で ひと月を 妙照寺にて 過ごしたと聞く(同上)

金華山 稲葉山とも 称されて 県都岐阜市の ラウンドマーク(同上)

明治初期 岐阜公園は 開園し 三重塔 大正建築(同上)

長良川 ダムなき川と 知られたる 岐阜の鵜飼は 永久に忘れず(同上)

満室で 十八楼(じゅうはちろう)は 断られ それでも別館 泊まれて満足(同上)

面白く 悲しくも見た 芭蕉眼 鵜飼所詮 動物虐待(同上/芭蕉の花道12) 54

空を飛ぶ (うみ)()の自由 何処(いずこ)にか 十八楼に かなしみ重ね(同上)

六人の ()(しょう)の手には 鵜が六羽 アユを呑みこみ 吐き出す妙技(同上)

山頂に 天守が聳え 山麓に 護国神社と パークホテルが(同上)

寄り道を したくなるかな 鵜沼宿 日本ラインに 河川公園(鵜沼)

美濃太田 犬山間の 木曽川を 日本ラインと 称して評価(同上)

会館は 太田宿場の 道の駅 物品販売 食事処も(美濃太田)

本陣の 格式偲ぶ 薬医門 主屋再建 願う太田宿(同上)

江戸中期 脇本陣は 建てられて 主屋など五棟 国の重文(同上)

林家が 住居に使用 非公開 隠居家のみ 見物したり(同上)

切妻に 防火うだつ (しつら)えて 平入りの間に 表門建つ(同上)

白壁の 吉田家住宅 小松屋は 旅籠の建物 お休み処に(同上)

最澄が 平安初期に 開基した 中山道の 願興寺かな(御嵩)

本堂は 桃山時代の 再建で 寄棟造り 国の重文(同上)

本尊は 蟹薬師とも 称されて 桜の一木 国の重文(同上)

()(たけ)宿(じゅく) 野呂家竹屋は 豪商で 明治前期に 主屋を建築(同上)

車では 走れそうにない 旧道で 自転車優位 知る峠越え(同上)

(ほそ)久手(くて)に 下る坂には マリア像 ミサを忘れて 合掌をする(同上)

美しき 謡坂(うとうざか)の 石畳 敷石眺め 自転車を押す(同上)

下向する 皇女和宮(かずのみや) お気に入り 一呑の清水 取り寄せたとも(同上)

細久手の 山路の中に 一里塚 鴨之巣と言う 聞き慣れぬ名よ(細久手)

大黒屋 細久手宿の 本陣で 今も現役 旅館の看板(同上)

残されし 駅前旅館 なつかしく さすらい人の 我をまた見る(大湫(おおくて))

看板に 中山道 水戸屋とあり 立ち寄り見れば ()(ねん)(じょ)の店(大井)

蔵元の 恵那山の店 平入りで うだつの上がる 家並重なり(中津川)

村庄屋 中津川宿に 現存し 田丸屋肥田家 曽我家と変わり(同上)

美濃路から 中山道は 木曽路へと 越えて昔の ()(ごめ)(つま)()(馬籠)

いつまでも 心に残る 思い出を 叶えてくれた 信濃路の旅(同上)

散る花に (さかずき)交わし (かた)見分(みわ)け 一期一会の 人は旅人(同上)

馬籠宿 宿場景観 重視した 日本おいて さきがけを成す(同上)

(えり)正し 歩いてみたき 峠かな 中山道に 浮かぶ人々(同上)

妻籠宿 重伝建の 街並みは 奈良井と合わせ 世界遺産に(妻籠)

脇本陣 (おく)()林家 明治初期 再建されて 国の重文(同上)

(もも)(すけ)は 諭吉の養子で 電力王 記念の橋は 国の重文(南木曽)

行く先に 徒歩と自転車 専用道 昔は難所 ()(てん)桟道(同上)

昭和初期 宿場は消えし 大火災 案内板に 宿場を慕う(野尻)

臨川寺 寝覚の床の 入口で 国の名勝 旅枕とす(上松)

句碑ありて 芭蕉の声ぞ 聞こえ来る 木曽の山路の (かけはし)の跡(同上)

桟の 面影残す 石垣に 三大難所 歴史絵と見る(同上)

木曽川の 福島宿に 入り来て 旅籠思わす 旅館を見入る(木曽福島)

福島の (ぎょう)人橋(にんはし)に 響く音 御嶽登山の 行者の(しゃく)(じょう)(同上)

なまこ壁 土蔵の家と 板の家 小径挟んで 対照的に(同上)

天領の 福島関所 国史跡 中山道で 碓氷(うすい)と並ぶ(同上)

福島に 藤村ゆかりの 資料館 高瀬旧家は 姉の嫁ぎ先(同上)

関所跡 復元されて 資料館 木曽福島の 名所の一つ(同上)

藪原で 印象に残る 景観は 駅前に建つ 旅館井筒屋(藪原)

山路行く 鳥居峠を トンネルに 変えて悔しき 思い棚上げ(同上)

木曽路には 宿場の遺構 数多あり 奈良井の宿場 日本一かな(奈良井)

宿場では 賑わいまた 日本一 重伝建の 奈良井宿かな(同上)

泊まりたい 旅籠の風情 民宿に 素通りするも 口惜しいかな(同上)

江戸時代 油屋だった 商家から 煙草屋を経て 旅館に移行(同上)

(にえ)(かわ)の 関所の復元 喜ばし 三十年の 月日数えても(贄川)

馬籠から 木曽路の北に 来てみれば (みなみ)木曽路の 石碑が建ちて(同上)

絶句する 本山宿の 火事の跡 町家住宅 三軒焼失(本山)

そば切りの 発祥地とも 本山は 旅籠三軒 残されてあり(同上)

本陣の 豪華な庭は 消え失せて 時代の波に 洗馬は流れ(洗馬)

追分で 中山道は 諏訪湖向き 芭蕉の旅は 善光寺へと(同上)

善光寺 北国(ほっこく)西の 街道は 郷原宿に 庄屋山城屋(郷原)

郷原に 芭蕉の句碑や 郷福寺 明治天皇 本堂()()(しょ)に(同上)

街道に 本棟(ほんむね)造り 点在す 燕返しの 屋根が特徴(同上)

村井宿 名主の家の 中田家は 明治天皇 ()(しょう)(きゅう)(しょ)に(村井)

中田家の 主屋は高く 見えるかな 明治中期の 本棟造り(同上)

今日は見ぬ 北アルプスの 山並に 負けじと聳ゆ 松本城は(松本/芭蕉の花道14) 54

赤い橋 赤い傘に 白い傘 天守見えず 松本の雨(同上)

四賀(しが)地区の ()(ふく)()宿(じゅく)の 本陣が 残ると聞きし 小澤家住宅(四賀)

楽々と (かざ)(こし)(とうげ) トンネルを 抜けて過ぎると 思い出はなく(風越峠)

茅葺きの 観音堂は 懸造り 江戸中期より 姨岩に添う(姥捨)

姨捨の 棚田の月は 日本一 月の名所は 国の名勝(同上)

長楽寺 四十八枚 持田とか 探し歩くも 田んぼに名はなく(同上)

草創は 空海大師の 宝乗寺 室町後期 浄土寺院に(西方寺)

本堂は 江戸中期の 大伽藍 明治初期には 県庁に使用(同上)

善光寺 大勧進の 名もありて 日本最古の 阿弥陀を祀る(善光寺)

本堂は 江戸中期の 再建で 撞木(しゅもく)造りは 国宝指定(同上)

西東(にしひがし) 南都(なんと)北嶺(ほくりょう) 東山(ひがしやま) 五山(ござん)高野(こうや)も みな(ほとけ)なり(同上)

泊まりたい 宿には再び 袖にされ 今日も雨降る 善光寺かな(同上)

四度目の 川中島の 合戦図 両雄交えた 激戦の跡(川中島)

馬上から 太刀振りかざす 謙信に (しょう)()の信玄 軍配で受け(同上)

創建は 平安中期の 八幡社 武田信玄 陣地に選び(同上)

藩立の 鐘楼台の 袴腰 日本一の 大きさと見ん(松代)

小山田家 松代藩の 家老職 数寄屋造りは 江戸末期築(同上)

(まつ)(しろ)は 信玄ゆかりの 平城で 真田信之(のぶゆき) 上田から移封(松代城)

太鼓門 過ぎれば本丸 御殿跡 天守はなくて 櫓が天守(同上)

本丸の 四隅の櫓 二層とか 戌亥(いぬい)(やぐら)の 石垣復元(同上)

石垣に 立て眺める 眼前に 十余万石の 城下広がり(同上)

上田より 松代長き 真田家は 二百五十年 歴史を刻む(同上)

真田邸 江戸後期の 築造で 主屋修復 閉門残念(同上)

藩校は 安政二年に 開校し 建造物は 国の史跡に(松代藩文武学校)

全国の 二百五十の 藩校で 現存するは 数えるほどに(同上)

有名な 佐久間象山(しょうざん) 藩校の 指南役と知り 知識深まる(同上)

弓道に 使われている 気配なく 弓矢の行方 寂しく思う(同上)

城下には 中級武士の 表門 意外と少ない 武家屋敷かな(松代)

屋代にて 善光寺道に 舞い戻り 戸倉方面に 走り行くかな(屋代)

(しも)()(ぐら) 造り酒屋の 茅の家 復元しては 蕎麦屋に改修(下戸倉/芭蕉の花道15) 54

ピラミット 眺めるような 山もあり 岩井堂山 神秘な森でも(同上)

御茶屋跡 明治天皇の 石碑立つ 北国街道 (あい)(ねずみ)宿(じゅく)(鼠宿)

鼠宿 (おう)()(はや)() 神社には 芭蕉の句碑に 万葉の歌碑(同上)

築城は 真田昌幸 天正期 家康軍を 二度も退け(上田城)

西櫓 真田の後の 仙石氏 建てて残りし 唯一の遺構(同上)

城跡に 最後の城主 名前なく 上田城では 真田が一番(同上)

遊郭に 売却されし ()(やぐら)を 市民が城に 買い戻したと(同上)

三の丸 屋敷門は 壊されず 上田高校 校門となり(同上)

白壁の 妻入り家屋 建ち並ぶ 北国街道 上田宿かな(上田)

(そう)()()() 隣接し合う 珍しさ 信濃(しなの)(のくに)の 国分寺跡(信濃国分寺)

八日堂(ようかどう) 国分寺の 再興で 三重塔 本堂と建つ(同上)

海野宿 様々な家屋 林立す 妻入り平入り うだつに土蔵(海野宿)

四層の 瓦屋根は 面白き 元は蕎麦屋か 今は古着屋(小諸)

小諸では 黒斑山(くろふやま)が 浅間より 美しく見え 手を合わせたり(同上)

分去れで 中山道に 合流し 軽井沢へと 進み行くかな(追分)

町立の 追分宿の 郷土館 旅籠を模した 出桁造りとか(同上)

一里塚 脇本陣の 油屋が 旅館に変り 遺構に残る(同上)

軽井沢 山の銀座と 成りし今 昔の宿場 知る人もなく(軽井沢)

軽井沢 初めて泊まる 旅籠屋は 昔湯たんぽ 今はエアコン(同上)

モダンなる つるや旅館の 創業は 四百年と 宿場と同じ(同上)

ショーハウス 軽井沢初の 別荘で 町が管理の 記念館かな(同上)

ショー像と ミニ教会と ショーハウス 三点セットが 宿場の脱皮(同上)

旧道は 自転車は無理と 諦めて 素直に国道 碓氷峠に(同上)

最大の 難所とされた 峠越え 鉄道敷設 外国頼み(碓氷峠)

橋梁は レンガ造りの アーチ橋 土木遺産は 国の重文(同上)

鉄橋を 橋梁と呼ぶ 不思議さに 慣れても来たり 鉄道に限り(同上)

築造が 百二十年の 橋梁に 走る機関車 見ることもなく(同上)

()り 坂本ダムに ひと休み 上りでなくて ラッキーに見る(坂本)

新しき 道整いて 旧道は 朽ち行くだけの 坂本の宿(同上/芭蕉の花道16) 54

武井家は 鍵番をした 役宅で 旅籠としても 宿場に重く(同上)

牧水の 泊まった宿屋 今はなく 案内板に 歴史を偲ぶ(同上)

坂本に 本源二軒 佐藤家は 上の本陣と 称されたとか(同上)

東門 碓氷関所に 復元し 番所や長屋 絵図の彼方へ(同上)

横川の 茶屋本陣は 名主宅 休息だけで 宿には非ず(横川)

そのまんま 横川駅と 駅弁は 忘れられない 若き日の旅(同上)

驚きは 日本三奇勝 妙義山 個性豊かな 鋭鋒連なり(同上)

()(りょう)には 茶屋本陣が 二軒あり お西の本陣 一般公開(五料)

本陣は 村の名主の 中島家 戦国時代に 続く家系と(同上)

大名も 明治天皇も ご満悦 お西本陣 上段の間(同上)

建物は 文化三年の 建築で 旅人見つめ 二百四年に(同上)

豪快な (だし)(げた)造りに 息を飲む 茶屋本陣の 山の如くに(同上)

街道に 帝冠式の 建物が 目を驚からせる 松井田の宿(松井田)

安中の 新島襄の 旧宅は 苦難を偲ぶ 茅葺きの家(安中)

街道の 大きな宿場の 面影に わずかに出会う 板鼻宿かな(板鼻)

高崎の だるま(いち)の 達磨寺は 江戸中期の 創建と言う(達磨寺)

達磨寺は 明治なって 改宗し 曹洞宗から 黄檗宗に(同上)

明治には ブルーノ・タフト 滞在し 寺社建築の 美を探求す(同上)

達磨寺は 写経を済ませ 御朱印を 頂く仕組み 有り難きかな(同上)

高崎は 中山道の 道筋で 上豊岡に 茶屋本陣が(高崎)

江戸中期 八万石の 高崎は 乾櫓が 移築復元(同上)

倉賀野の 脇本陣は 須賀家とか 主屋は明治 表門は江戸(倉賀野)

追分で 日光例幣使 街道に 中山道は 分れ行くかな(同上)

芭蕉句碑 新町宿の 柳茶屋 句碑もあちこち 転居したとも(新町)

神流川(かんながわ) 織田と北条の 激戦地 火花散らした 約五万人(神流川古戦場跡)

本庄に レンガ造りの 二階建て 築百余年の 旧銀行と(本庄)

街道に 戦国時代の 深谷城 城址公園 模擬の石垣(深谷)

何気(なにげ)なく 心の通う 人たちと 出会い楽しき 旅の醍醐味(だいごみ)(同上)

桶川は 宿場情緒が 豊かなり 埼玉入りし 本陣跡見し(桶川/芭蕉の花道17) 54

旅籠から 武村旅館は 移行して 百五十年の 歴史を今に(同上)

大宮は 大都市へと 変貌し マンション沿いの 町家は半壊(大宮)

大宮の 氷川神社は 一宮 武蔵(むさし)(のくに)の 大いなる宮(同上)

蕨宿 ぽつんと残る 豪商の 屋敷の構え 驚きて見る(蕨)

蕨宿 旧金子家は 織物屋 明治の中期 築年と聞く(同上)

板橋の 宿場の面影 消失し 薬師の泉 ふれて見るなり(板橋)

清水坂 薬師の泉 庭園は 平成元年 復元されしと(同上)

総泉寺 浅草橋場に 開創し 昭和の初期に 移転したとか(同上)

江戸時代 曹洞宗の 大善寺 総泉寺に 吸収合併(同上)

板橋に 中山道の 一里塚 二基一対は 国の史跡に(同上)

名前のみ 板橋宿と 記されし 商店街の 侘しき通り(同上)

通称は とげぬき地蔵 高岩寺 明治中期に 巣鴨に移転(巣鴨)

本堂は 大空襲で 焼失し 鉄筋造で 戦後に再建(同上)

門前は おばあちゃんの 原宿と 称されるほど 人出は絶えず(同上)

珍しや 洗い観音 すぐ横に 小僧稲荷と 石地蔵かな(同上)

本郷に 明治中期の 鳳明館 新聞配った 思い出もあり(本郷)

神田なら 何だかんだと 明神さん ついでに()るや 湯島聖堂(せいどう)(神田)

日本橋 中山道の 終着で 東海道の 出立地でも(日本橋)

京を()ち 自転車の旅 八日間 中山道は 六十九次(同上)

深川に 芭蕉俳句の 散歩道 採茶庵から 仙台堀川(深川)

残そうと 願わなければ 残らない 芭蕉を慕う 明日の人々(同上)

公園に (せい)(しょう)(こう)() 建ちてあり 加藤清正 本尊に仰ぎ(日本橋)

何をまた 格好つけて 歩くのか 自分に合った 道を歩めば(同上)

魚市場 発祥の地 日本橋 乙姫様の 座像あやしき(同上)

三千(しょう) 湯水の如く 飲み干して 旅を重ねる 酒屋の(せがれ)(高輪)

様変わり 東海道の 宿場町 品川宿は 商店街へ(品川/芭蕉の花道18) 54

寛永期 四ヶ所の町 併合し 川崎宿と 称されたとか(川崎)

妹よ ただただ願う 幸せに 何にも出来ず 我れは老いゆく(同上)

門弟と 最後の別れ 芭蕉(おう) 川崎出口 八丁(なわて)(同上)

五十路過ぎ 戸惑う二人 自転車で 息子(むすこ)甥子(おいこ) (ばく)を句に見る(同上)

横浜に 入って目にする 一里塚 市場の町の 片側にのみ(市場)

鶴見橋 生麦事件で 関門を 設置したとの 歴史の史跡(神奈川)

生麦で 豪華な入母屋 よく見ると 朝日湯とある 銭湯建屋(同上)

開港し 間もない頃の 領事館 長延寺には オランダの国(同上)

大井戸は 神奈川宿の 名水で 上屋も架かり 格式高き(同上)

横浜に 初代帆船の 日本丸 昭和初期造 国の重文(横浜)

汽車(きしゃ)(みち)や 港一号 橋梁に みなとみらいの 大景観が(同上)

人口が 市で日本一 横浜市 その象徴が みなとみらいか(同上)

氷川丸 山下埠頭の シンボルで 昔はユース ホステルを兼ね(同上)

本陣に ブロック塀は 似合わない 表門が 哀れに見えし(保土ヶ谷)

保土ヶ谷の (ほん)(かね)()()は 旅籠屋で 天保年間 十三室と(同上)

現存す 本金子屋の 建物は 明治初年の 平入り町家(同上)

上方の 保土ヶ谷宿の 出口には 一里塚跡 見附跡あり(同上)

鎌倉や 心にきざむ 友の家 (いた)()くせり 今夜も涙(鎌倉)

弓状の 海岸こそが 美しく 稲村ヶ崎も 同様に見ん(同上)

義貞の 鎌倉攻めの 古戦場 渡渉伝説 稲村ヶ崎は(同上)

鶴岡(つるがおか) 八幡宮の 創建は 源頼義 平安後期(同上)

鎌倉に 一泊しては 藤沢で 東海道を 再び走り(同上)

平塚や 宿場の面影 消失し 脳裏に浮かぶ 七夕まつり(平塚)

大磯の 高麗の地に 茅民家 文化財なら 存続するも(大磯)

西行の 和歌に詠まれし 歌枕 (しぎ)立沢(たつさわ)に 俳諧道場(同上)

()()(かぜ)は 一夜独吟 三千句 矢数俳諧で 名を馳せたとか(同上)

藤村を 訪ねて見れば 大磯に 思わぬ晩年 知るも(よろこ)び(同上/芭蕉の花道19) 54

藤村の 波乱に満ちた 生涯は 木曽路を遠く 大磯で死すと(同上)

大磯で 三箇所もある 松並木 東海道で 規模は最大(同上)

大磯は 政財界の 大物に 愛された町 宿場は消えて(同上)

小田原は 宿場を兼ねた 城下町 東海道は 町家が多き(同上)

創業は 四百年の 薬屋も さりげなく建つ 宿場の通り(同上)

天守閣 売却移転と 思いきや 小田原名物 ういろう屋とか(同上)

創建は 北条氏綱 早雲寺 小田原攻め後 江戸初期再建(箱根湯本)

箱根路の 温泉旅館 前にして 過ぎ行くだけの 旅はさみしく(同上)

峠越え 東海道の 難所には 心安らぐ 七湯があり(箱根)

振り向けば 汗と溜息 箱根越え 湯めぐり夢み また旅思う(同上)

寄棟の 茅葺き屋根の 資料館 自転車停めて 見学をする(同上)

何となく 峠の茶屋は 覗き見る 天下の険は 尚更の事(同上)

奈良時代 箱根神社は 創建し 権現祭祀は 道教式と(同上)

芦ノ湖の 箱根神社の 赤鳥居 駒ヶ岳との 契りの印(同上)

絶賛す 杉並木には 石畳 箱根の旧道 国の史跡に(同上)

箱根越え 下った先に 城跡が 百名城の 山中の城(三島)

三島宿 三嶋大社の 門前で 伊豆も含めて 天領となり(同上)

三島から 沼津に向う 街道に 思いがけずに 八幡神社(清水)

昨晩は 東横インに 投宿し 沼津城から めぐり行くかな(沼津)

憧れに 千本松原 十キロに 三十万本 松の緑が(千本松原)

松原に 若山牧水 顔浮かぶ 酒酌み交わす 歌人のひとり(同上)

松蔭寺 鎌倉時代の 開創で 白隠宗の 大本山に(松蔭寺)

江戸中期 白隠禅師 中興し 臨済宗に 新たな風を(同上)

単調な 護岸は嫌な コンクリと テトラポットの 波消し続く(千本松原)

沼川の 石水門は 撤去され 明治の遺構 記念碑の中(吉原)

松並木 失われても 左富士 思い浮かべて 吉原宿に(同上)

富士川で 敗走したる 平家軍 その戦跡を 平家越えとか(同上)

創業が 三百年の 旅館あり 吉原宿に ふと見かけたり(同上)

富士川を 渡る風情は 様変わり 橋三所に 橋梁二ヶ所(富士川)

富士川の 渡船場跡に 記念碑が 東海道の 歴史を刻む(同上)

固定堰 空しく川に 横たわり 取水口のみ 白波落つる(同上/芭蕉の花道20) 54

上流に 東名高速 赤い橋 富士川橋から 眺め見るかな(同上)

富士川を 過ぎて蒲原 近づいて 野田山緑地 未練が残る(蒲原)

静岡で 本陣跡の 遺構見る 蒲原宿は 以外と多し(同上)

蒲原に 大正時代の 歯科医院 模擬洋館の モダンな姿(同上)

平入りの 江戸末期築 醸造所 志田家住宅 一般公開(同上)

由比宿の 本陣跡を 復元し 宿場景観 歴史公園に(由比)

()(ゆき)(てい) 明治天皇の 小休所(しょうきゅうしょ) 復元されて 離れ座敷に(同上)

由比の名に 由比正雪を 思い出す その生家が 正雪(こう)()(同上)

饂飩屋は 脇本陣の 屋号とか 暖簾があれば 入りたいけど(同上)

銀行の 洋館建築 文化財 大正時代の 由比を眺める(同上)

東名に 一号線に 鉄道が 併走するなり 由比の浜辺を(同上)

寺尾には 名主の館 小池邸 明治築年 地味な平屋建て(同上)

街道に 大正初期の 古民家が あかりをテーマの 博物館に(同上)

間の宿 西倉沢の 街並みも 古民家多く 自転車停める(倉沢)

親知らず 子知らずなどの 難所越え 目指す旅路は 親子の(きずな)(薩埵峠)

(せい)(けん)() 白鳳時代の 創建で 鎌倉時代に 臨済宗に(清見寺)

参拝す 寺の魅力の 三要素 伽藍に庭園 仏像仏画(同上)

清見寺 潮音閣の 眺望は 清水(みなと)に 興津の家並み(同上)

家康が 人質時代に 雪斎に 手習いをした 間を復元と(同上)

梵鐘は 小田原攻めで 秀吉が 陣鐘(じんがね)として 借り受けたとか(同上)

鐘楼は 江戸末期の 改築で 格式高き 袴腰建て(同上)

清見寺 文人墨客 往来し 朝鮮使節の 迎賓館にも(同上)

府中宿 宿場は薄れ 駿府(すんぷ)(じょう) 巽櫓は 近年復元(静岡)

二ノ丸の 東御門は 復元し 来る度増える 城郭の数(同上)

府中宿 商用街に 変貌し 古き地名に 振りかえるのみ(同上/芭蕉の花道21) 54

名物の 安倍川もちの 石部屋が 宿場に残る 町家建物(同上)

丁子屋の 寄せ茅葺きの 建物を 面影と見る 丸子宿かな(丸子)

風流や 丸子丁字屋 とろろ汁 梅干あれば 味わい尽きん(同上)

岡部宿 旅籠柏屋 文化財 資料館に 喫茶を兼ねて(岡部)

人と人 めぐりめぐりて 世の中 旅こそ近き 出会いなるかな(同上)

自転車で 古きを踏んで 満たされる 芭蕉(ばしょう)(おきな)の 旅の花道(島田)

明治期の 寄棟民家 文化財 博物館が 別館保存(同上)

川越の 人足たちの たまり場が 番宿として 復元されて(同上)

島田には 川越遺跡が 保存され その景観は 国の史跡に(同上)

(かわ)会所(かいしょ) 川札を売る 建屋にて 川越し賃は 水嵩(みずかさ)によると(同上)

川越は 肩車に 蓮台が 一般的な 川渡りとか(同上)

川沿いに 博物館が 建ちてあり 島田の歴史 垣間見るかな(同上)

大井川 富士の高嶺は 見えぬけど 製紙(こう)()の 煙りは高く(大井川)

大井川 渡った先の 金谷宿 皆無に近き 宿場の遺構(金谷)

伝説の 小夜の中山 夜泣き石 西行法師 眺め見たのか(同上)

四脚門 本陣跡に それらしく 建ってはいるが 詳細不明(日坂)

小規模な 宿場に残る 旅籠屋は 町家造りの 末広亭かな(同上)

高札場 宿場に常設 掲示板 幕府や領主の 法度(はっと)が主と(同上)

(ことの)(まま) 八幡宮は 一宮 遠江(とおとうみ)には 二社が存在(同上)

東海道 百十七の 一里塚 久津部(くつべ)の塚は 六十番目(袋井)

時移り 袋井宿も 洋風化 古き医院も 模擬洋館に(同上)

一里塚 復元されて 今にあり それでも榎 逞しくあり(同上)

街道に 残る史跡が 古戦場 木原畷に 歴史を学ぶ(同上)

許禰(こね)神社 木原権現を 祀るとか 袋井宿の 憩いの場でも(同上)

鎌倉期 国衙が置かれ 宿場へと 発展したり 磐田の見附(磐田/芭蕉の花道22) 54

旅は夢 焦がれて立ちて 振り返る 旅の三楽 冥土(めいど)土産(みやげ)(同上)

西行の 物語を ふと思い出す 天竜川の 渡し場跡に(天竜川)

木橋から 天竜川に 鉄橋が 架け替えられて 七十余年(同上)

本陣が 六軒ありし 浜松に 宿場の遺構 無きに等しき(浜松)

名月は 雲をともない 見え隠れ ふと見上げれば (まん)(えん)の笑み(同上)

舞阪の 松並木は 素晴らしく 見とれて走る ペダル軽やか(舞阪)

舞阪に 東海道で 唯一の 脇本陣を 一般公開(同上)

浜名湖を 渡船で往来 約一里 舞阪宿と 新居宿とを(同上)

木造の 常夜灯立つ (きた)(がん)() 舞阪宿の モニュメントかな(同上)

ヤシの木に 弁天島の 赤鳥居 不思議な景観 浜名湖に見る(同上)

浜名湖の 鰻の佃煮(つくだに) 肴にし 飲んまんとするが 実家へ送る(同上)

今切の 渡しで渡船 直ぐ関所 新居関所は 特別史跡(新居)

関所跡 校舎や役場に 利用され その後復元 歴史遺産に(同上)

紀野国屋 紀州藩の 旅籠にて 市文化財で 資料館にと(同上)

家康が 茶亭を建て 信長を 潮見坂にて 持て成したとか(同上)

江戸中期 津波で移転 元町の 坂の下から 坂の上へと(同上)

本陣の 遺構復元 二川(ふたがわ)宿(しゅく) 広い敷地に 宿場ミュージアム(二川)

隣接す 旅籠(せい)(めい)() 復元し 宿場の様子 詳しく学ぶ(同上)

城郭や 寺社建築に 比べると 本陣建築 注目低く(同上)

島田から 十一宿を 走行し 吉田に宿り 西惣門から(吉田)

懐かしき 七万石の 吉田城 豊川を経て 眺め見るかな(同上)

八の蔵 意味の分からぬ 記念館 (こく)()をこうと 不明重なり(国府(こう))

御油宿の 街並み遠く 江戸(ばな)れ 本陣跡に 重なるショック(御油)

松並木 東海道で 唯一の 国の天然 記念物かな(同上)

真新しい 門に建替え 赤坂の 本陣跡に 豊かさを見る(赤坂)

現役の 旅籠でもある 大橋屋 江戸中期の 建築とある(同上)

大橋屋 平入り格子の 二階建て 典型的な 旅籠景観(同上)

赤坂の 高札場跡に 休憩所 宿場情緒の 和風建築(同上)

赤坂の 伝統的な 小屋掛けに 芸能舞台の 奥深さ知る(同上/芭蕉の花道23) 54

切妻の 壁に薄ら 屋号見る 長い平入り 二階建て商家(同上)

古民家が 解体される 真っ最中 哀れに眺む 赤坂宿を(同上)

本宿は 藤川前の 間の宿 冠木門が 入口に建つ(本宿)

案内に 藤川宿まで 一里とか 法蔵寺など 名所もありて(同上)

法蔵寺 行基の開創 奈良時代 吉野時代に 浄土の寺に(法蔵寺)

家康の 伯父が住持の 幼少時 読み書きなどを 手習いしたと(同上)

京都にて 近藤勇の 晒し首 密かに持ち去り 寺に葬り(同上)

首と胴 離ればなれは 切なくも 誠に生きた 武士の本懐(ほんかい)(同上)

法蔵寺 法相宗から 宗旨替え 真言宗と 浄土宗に(同上)

家康が 手習い後の 折り(そう)() 掛けたとされる 松の面影((おん)(そう)()(かけの)(まつ))

藤川の 本陣跡に 古民家が 青い瓦の ミニ資料館(同上)

藤川の 脇本陣に 江戸の門 この古民家も ミニ資料館(同上)

棒鼻は 宿場の外れ さす言葉 広重の絵を 再現したと(同上)

藤川の 十王堂に 芭蕉句碑 寛政五年の 再建とある(同上)

大平は 大岡裁きで 有名な 奉行忠相(ただすけ)の 知行地と言う(岡崎)

大平の 南側の 一里塚 原形とどめ 国の史跡に(同上)

大平の 西に大きな 常夜灯 火の神である 秋葉山の名も(同上)

岡崎の 二十七曲り 驚きや 曲りの多さ 宿場一かな(同上)

創業が 室町末の 大黒屋 漢方薬の 看板見えし(同上)

創業が 明治中期の 永田屋は 肉食見越し 肉の問屋に(同上)

岡崎の ルネッサンス調の 銀行は 大正ロマン 感じさせるや(同上)

大手門 街道より見て 過ぎるかな 岡崎城は 程なく訪ね(同上)

岡崎は 八丁味噌が 有名で 訪ねてみたり その味噌蔵を(同上)

切妻の 蔵何棟も 建ち並ぶ 角久の屋号 高く聳えて(同上)

矢作川 渡ると次は ()(りゅ)()宿(しゅく) 見慣れた景色 約十二キロ(矢作橋)

安城で 鎌倉街道 重複す 不乗森(のらずのもり)の 神社辺りと(安城)

しばらくは 旧街道は 国道で 道幅広く 続きゆくかな(同上)

藤井には 熊野神社の 社殿建ち 残りの旅の 安全祈願(同上)

江戸前期 庄屋を祀り 創建と 曹洞宗の 永安寺とは(同上)

業平(なりひら)の 伝説踏んで 渡るかな 逢妻(あいづま)(ばし)に 浮かぶ杜若(かきつばた)(知立/芭蕉の花道24) 54

今川は 立場のありし 茶屋町で その雰囲気を 旧道に見る(今川)

標柱の 文字も大きく 国史跡 阿野一里塚 別格遺構(豊明)

桶狭間 古戦場跡 また来たり 油断禁物 平家を想う(有松)

有松は (しぼり)産地で 名高いが 鳴海の手前 間の宿でも(同上)

築地塀 なまこ土蔵 美しく 豊かな暮らし 有松に見る(同上)

(から)破風(はふ)の 屋根架かった 豪華山車 山車会館に 展示公開(同上)

江戸末の 建築と言う 服部家 絞問屋の 大屋敷なり(同上)

平入りの 格子造りは 文化財 岡家住宅 絞の商家(同上)

木造の 三階建ては 有松で 目を見張るべき 入母屋造り(同上)

瑞泉寺 鳴海宿の 表顔 室町時代 創建されしと(同上)

瑞泉寺 色鮮やかに 幟立ち 宿場の景色 インパクトあり(同上)

創建は 桃山時代の 誓願寺 蕉翁祀る 像と塔あり(同上)

尾州の 東海道の 宿場では 鳴海の宿は 四十番目(鳴海)

生前の 芭蕉の塚は 唯一で 稀有の遺跡と 記されてあり(同上)

(りゅう)(ふく)() 天平時代 創建で 通称名は 笠寺観音(笠寺)

笠寺や (けん)(せい)武蔵に 遠慮して (はい)(せい)芭蕉は その場を譲る(同上)

江戸時代 精進川に 架けられた 裁断橋が 東海道に(宮)

宮宿の 脇本陣は 文化財 昭和初期まで 伊勢久旅館(同上)

宮からは 伊勢桑名まで 通常は 海路に変る 七里の渡し(同上)

新たなる 宮観光の 一環に 七里の渡し 復活願う(同上)

宮宿の 堀川眺め 自転車の 二十三日の 旅を結ばん(同上)

殿様に 代わって月見 したきかな 天より再び (おきな)をさそい(犬山城)

自転車を 車に積んで 新たなる 旅へと向う 秋晴れの空(伊吹山)

松尾家の 菩提寺に建つ 故郷塚 愛染院に 参拝するなり(伊賀上野)

(とう)(せい)の 処女作品が 貝おほひ (ちょう)(げつ)(けん)で 執筆せしと(同上)

無名庵 蕉翁最後の 帰郷時に 伊賀蕉門が 建てし草庵(同上)

石柱に 史跡芭蕉(ばしょう)(おう) 誕生地 復元されて 観光名所に(同上)

創建が 平安末と 伝え聞く 熊野神社は 熊野三神(象潟/芭蕉関係資料) 46~54

芭蕉翁 熊野神社の 祭礼を 如何に見たかは 句には詠まれず(同上)

象潟の 船つなぎ石 船はなく 消えた島々 徒歩にてめぐる(同上)

伊賀上野 菅原神社の 摂社には 芭蕉を祀る 松尾神社が(伊賀上野)

蕉翁は 弟子の実家に 滞在し お礼に詠んだ 句が綿(わた)(ゆみ)(づか)((とう)())

大智院 曽良の叔父が 住職で 信宿せしと 芭蕉は記す(伊勢長島)

明治初期 学校となる 大智院 長島初の 小学校とも(同上)

大智院 門前にある 記念碑は 俳人でもある 藩主が建てし(同上)

熱田では 郷士で弟子の (とう)(よう)邸 定宿として 蕉風吹かす(同上)

蕉翁の 供養塔建つ 誓願寺 日本最古の 元禄時代(鳴海)

五百年 隔てて旅する 伊良湖崎 人麻呂(ひとまろ)・西行 芭蕉の(さん)(せい)(渥美半島)

蕉翁の 最愛の弟子は 杜国かな 尾張を追われ ()()に隠棲(同上)

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