長句(短歌・狂歌)旅行編その5
仙台で フェリーに乗りて 出立す 四国霊場 自転車の旅(仙台港/四国霊場記1) 57歳
名古屋行き 三度目となる 乗船で 太平洋の フェリー楽しき(同上)
タグボート 二百トンの 小型船 一万余トンの フェリーを曳航(同上)
カモメたち 見送りに来て くれたのか 餌もやれずに 申し訳なし(同上)
片足の カモメ見るなり フェリーにて 健気に生きる 姿称えん(同上)
仙台を 出港すると 名古屋まで 二十一時間 七百キロを(同上)
ゆつくりと 船は名古屋に 入港し この港では 自力で着岸(名古屋港)
船内は 広々として ホテル並み 映画を見たり 風呂にも入り(同上)
淡路から 大鳴戸橋 渡り行く 四国徳島 初めて入る(大鳴門橋)
吊橋の 大鳴門橋 その主塔 ハープのような ワイヤーハンガー(同上)
鳴門山 展望台に 見る橋は 小島に橋脚 渦潮配慮と(鳴門山)
お茶園の 展望台は 無料にて 眺める景観 遜色はなく(お茶園)
海峡に 橋が架かりて 様変わり 変わらぬものは 鳴門渦潮(同上)
渦潮は 一度は見たい 現象で 船の側から 見るのに限る(同上)
四国では 鳴門が東の 玄関で 鳴門公園 先ずは立ち寄る(鳴門公園)
駐車場 大型バスが びっしりで 鳴門公園 人気が高く(同上)
うずしおの 観潮船は 時間待ち タイミング合わず 次回の旅に(同上)
観潮は 咸臨丸が 魅力的 蒸気帆船 外観復元(同上)
淡路島 風力発電の 風車群 景観上か 白ばかりなり(同上)
長すぎる エスカレーターに 気おくれす 転倒すれば 奈落の底に(同上)
お茶園は 阿波の殿様 お茶屋建て 風流愛し 観潮せしと(同上)
鳴門にも 千鳥ヶ浜が あるけれど チドリの歩く 砂浜はなく(同上)
名勝の 名に恥じない 鳴門かな 千畳敷の 展望台も(同上)
阿波国 四国霊場 巡る前 先ず一宮 参拝をする(大麻比古神社)
創建は 神武時代の 神社とか 主祭神は 大麻比古神(同上)
拝殿は 昭和中期の 再建で 権現造りに 唐破風向拝(同上)
本殿は 明治前期の 再建で 神明造りに 石の間付で(同上)
千鳥破風 三重に重なる 社務所かな 社殿に合わせ 調和整う(同上)
大楠は 樹齢千年 神木で 神社の歴史 物語るかな(同上)
心願の 鏡池あり 境内に ドイツ人捕虜 築造せしと(同上)
霊山寺 門前街の 仏具店 遍路用品 購入するかな(霊山寺門前)
ドイツとの 交流の歴史 大麻に 記念館建ち 道の駅でき(鳴門市ドイツ館)
天皇は 承久の乱に 連座して 四国に配流 阿波にて崩御(土佐神社)
阿波神社 昭和前期に 創建す 土御門帝 祭神として(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 千鳥破風が 左右の奥に(同上)
旅すりば 同行二人の 菅の笠 心の中に 思う幸せ(霊山寺1/四国霊場記2) 57歳
奈良時代 行基が開基 霊山寺 高野山派の 一番札所(同上)
.降る雨も 慈雨と心得 ペダル踏む 同行二人の 旅のはじまり(同上)
奈良時代 行基が開基 極楽寺 高野山派の 二番札所(極楽寺2)
本尊の 阿弥陀如来は 坐像にて 鎌倉期作 国の重文(同上)
黙々と お遍路さんが 道を行く 背後に迫る わが芭蕉号(同上)
奈良時代 行基が開基 金泉寺 高野山派の 三番札所(金泉寺3)
本尊の 釈迦如来坐像 非公開 仕方ないので お御影拝む(同上)
霊場の 三点セット 先ず本堂 空海堂と 納経所かな(同上)
大日寺 空海大師 開基して 東寺の末寺 四番札所(大日寺4)
本尊は 大日如来 坐像にて 秘仏とされて 前仏拝む(同上)
回廊に 西国観音 安置せし 懐かしき見て 大師堂へと(同上)
大師堂 寄棟造り 珍しき 大師の開基 尊重せしか(同上)
地蔵寺は 空海大師 開基して 御室派末寺 五番札所(地蔵寺5)
本尊は 延命地蔵 菩薩像 大師自刻を 胎内に納め(同上)
重厚な 入母屋造り 唐破風 向拝付きの 大師堂かな(同上)
近年に 五百羅漢は 再建し 等身大の 像は壮大(同上)
安楽寺 空海大師 開基して 高野山派の 六番札所(安楽寺6)
山門は 鐘楼兼ねた 竜宮門 左右に仁王 風変りかな(同上)
多宝塔 平成五年 落成し 七堂伽藍 安楽寺にも(同上)
花を追い 名所旧跡 ひも解いて カメラ片手に 行くが楽しみ(同上)
方丈は 江戸後期の 建築で 入母屋造り 茅と瓦葺き(同上)
十楽寺 空海大師 開基して 高野山派の 七番札所(十楽寺7)
本尊は 阿弥陀如来は 坐像にて 絶対秘仏で 写真にもなく(同上)
十楽は 八苦を逃れ 浄土へと 誘う方便 大師は知らず(同上)
熊谷寺 空海大師 開基して 高野山派の 八番札所(熊谷寺8)
多宝塔 江戸後期の 建築で 四国において 最大最古(同上)
山門は 距離を隔てて あるために 途中の中門 山門代わり(同上)
本尊は 千手観音 菩薩像 金箔施し 錫を手に立て(同上)
本堂の 石段の上 大師堂 本尊よりも 偉くも見ゆる(同上)
鐘楼の 前に大師の 修行像 錫杖手にした 菅笠姿(同上)
法輪寺 空海大師 開基して 高野山派の 九番札所(法輪寺9)
本尊は 涅槃釈迦如来 珍しき 五年に一度 開帳せしと(同上)
本堂と 廊下が結ぶ 大師堂 大師も横に 臥せたらいかが(同上)
切幡寺 空海大師 開基して 高野山派の 十番札所(切幡寺10)
本尊は 千手観音 菩薩像 一般的な 合掌姿(同上)
大師堂 入母屋造り 向拝は 千鳥と唐の 破風を合わせて(同上)
方丈は 本堂凌ぐ 大伽藍 多宝大塔 国の重文(同上)
予期もせぬ 模擬天守閣 川島城 唐津城似の 外観に見え(川島城)
藤井寺 空海大師 開基して 臨済宗の 寺に改宗(藤井寺11)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 平安彫刻 国の重文(同上)
禅宗の 雰囲気よりも 真言の 儀礼が残る 藤井寺かな(同上/四国霊場記3) 57歳
温泉で 晩酌なしは 辛いけど これも遍路の 修行と思う(神山温泉)
様々に 移り変わるが 遍路みち 花鳥風月 尽きることなし(同上)
焼山寺 役行者が 開基せし 白鳳時代の 修験霊場(焼山寺12)
本尊は 虚空蔵菩薩 坐像にて 求聞持法の 修法は無理(同上)
大日寺 空海大師 開基して 大覚寺派の 十三番寺(大日寺13)
本尊は 十一面の 観音像 一宮から 遷されたとか(同上)
明治初期 神仏分離 発布され 大師は如何に 眺め見るかな(同上)
常楽寺 空海大師 開基して 高野山派の 十四番寺(常楽寺14)
永遠の 慈悲を秘めた 弥勒仏 その眼差しが 心の父母よ(同上)
アララギに 大師を祀る 常楽寺 狭い境内 山門がなく(同上)
参道に 一枚岩が 露呈して 流水岩の 庭とも称す(同上)
天平の 阿波国分寺も 霊場に 曹洞宗の 十五番札所(阿波国分寺15)
全国に 六十八ヶ所 国分寺 聖武天皇 国を一つに(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 釈迦から変るも 施無畏印同じ(同上)
大師堂 火災で焼失 仮堂に 移り変るも 寺の宿命(同上)
本堂は 入母屋造りの 重層で 江戸後期築 瑠璃殿とも(同上)
観音寺 空海大師 開基して 高野山派の 十六番寺(観音寺16)
本尊は 千手観音 菩薩像 手に持つ花瓶 写真で眺む(同上)
境内は 市街地にあり 狭いため 大師堂は コンパクサイズ(同上)
開創は 聖武天皇 勅願寺 空海大師 井戸寺に改称(井戸寺17)
本尊は 七仏薬師 如来像 元禄時代の 造像とされ(同上)
徳島に 来たらと思い 城跡に 石垣だけの 二十五万石(徳島城跡)
城跡に 唯一残る 遺構には 庭園ありて 国の名勝(表御殿庭園)
江戸初期に 表御殿の 庭園は 上田宗箇が 作庭せしと(同上)
ふと見ると 林の中に 白鷺の コロニーありて なすがままかな(同上)
御殿跡 博物館が 建てられて 往時を偲ぶ 景観と見る(同上)
松の木が やたらに多い 庭園で 紅葉などは 全く望めず(同上)
黒松に 名がないので 名付けると 眉山と呼ぶか 山の如く見え(同上)
庭園は 三千坪の 回遊で 枯山水と 築山池泉(同上)
創建は 白鳳時代の 丈六寺 守護の細川 中興せしと(丈六寺)
江戸時代 蜂須賀藩主 庇護をして 家老稲田ら 菩提寺となる(同上)
丈六寺 阿波法隆寺の 通称も 曹洞宗の 古き大寺(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 江戸初期築の 国の重文(同上)
三門は 徳島最古の 建物で 入母屋楼門 国の重文(同上)
霊場を はずれた寺の 寂しさよ 閑古鳥さえ 鳴かずに飛ばず(同上)
奈良時代 行基が開基 恩山寺 高野山派の 十八番寺(恩山寺18/四国霊場記4) 57歳
本尊は 薬師如来の 坐像にて 薬壺手にした 施無畏印すがた(同上)
奈良時代 行基が開基 立江寺は 高野山派の 十九番寺(立江寺19)
本尊は 延命地蔵 大菩薩 坐像の手には 宝珠と錫杖(同上)
土佐以外 長宗我部氏に 霊場の 多くは焼かれ 立江寺もそう(同上)
元旦に 十日開帳 大師像 黒衣の姿 写真にも見ず(同上)
多宝塔 一層四角 二層丸 中に亀腹 基本の形(同上)
山門は 寺の顔にて 仁王像 耳目に見えて 左右を拝む(同上)
蚤虱 便所の悪臭 猫の糞 それでも一夜の 旅の宿りぞ(同上)
鶴林寺 空海大師 開基して 高野山派の 二十番札所(鶴林寺20)
霊場で 三重塔 初見えで 忠霊塔と 呼ぶ鶴林寺(同上)
どことなく 焼山寺似の 寺観かな 杉の大木 見上げて見ては(同上)
鶴林寺 桓武天皇 勅願と 言うは可笑しき 大師は沙門(同上)
本尊は 地蔵菩薩の 坐像にて 波切地蔵 矢負地蔵とも(同上)
那賀川を ロープウェイで 渡り行く 自転車積んで 太龍寺へと(那珂川)
すれ違う ロープウェイに 客はなく 宿坊なしの 初発の下り(太龍寺21)
悔やまれる ニホンオオカミ その死滅 動いて欲しい 狼の像(同上)
沙門時の 舎心ヶ嶽に 室戸窟 我拝師山は 三大禅定(同上)
太龍寺 七堂伽藍 九棟は 多宝塔入れ 国の文化財(同上)
太龍寺 桓武天皇 創建し 高野山派の 二十一番寺(同上)
本尊は 虚空蔵菩薩 坐像にて 右手に宝剣 左手に壺を(同上)
大師像 直接拝めぬ 寂しさを 大龍寺でも 感じた次第(同上)
大寺に 鐘楼門は 不釣り合い 鐘の音聞くも 寺の楽しみ(同上)
若き日の 修行大師の 背を拝み 舎身ヶ嶽に 立てた幸せ(舎心ヶ嶽)
仁王門 逆方向に 拝み見て 遍路みちへと 下り行くかな(太龍寺)
平等寺 空海大師 開基して 高野山派の 二十二番寺(平等寺22)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 大師の作は 兵火で消えし(同上)
平等寺 開放的な 雰囲気で 田園に光る 大師堂かな(同上)
奈良時代 行基の開基 薬王寺 高野山派の 二十三番寺(薬王寺23)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 禅定印の 薬師珍し(同上)
遍路より 厄除け参拝 多く見る 巡礼よりも 地元ご利益(同上)
門前に 温泉もあり 薬王寺 浸かる暇ない 巡礼哀れ(同上)
霊水を 口に含んで ペダル踏む はるか室戸へ パワーアップぞ(同上)
城好きの 我も知らずの 日和佐城 見ずに走れぬ 自転車遍路(日和佐/四国霊場記5) 57歳
ウミガメの 繁殖地である 日和佐には ゆっくり訪ねて 過ごしたきかな(同上)
百キロを 走行しては 日も暮れて 何とか到着 宿坊の部屋(最御崎寺24)
朝食は 精進料理で ないけれど 三杯飯の おかずは十分(同上)
最御崎寺 空海大師 開基して 豊山派末寺 二十四番寺(同上)
本尊は 虚空蔵菩薩 立像で 右手施無畏印 左手に蓮(同上)
多宝塔 昭和後期の 再建で 尾道浄土寺 写しにも見え(同上)
早朝に 大師に拝顔 南無大師 遍照金剛 三度唱えて(同上)
灯台が 常夜灯にも 思うかな 境内広く 十四万坪(同上)
若き日の 空海大師 修行した 室戸岬の 御厨人窟(室戸岬)
御厨は 御蔵洞とも 表記され いずれにしても 難解表記(同上)
洞の外 空と海とが あるだけで 無空の名前 空海に変え(同上)
御厨に 五所神社の 祠あり 虚空蔵真言 唱えて良いのか(同上)
明星が 神明窟で 空海の 口に飛び込み 悟り得たとも(同上)
岬には 銅像ありて 近づく 明治維新の 中岡慎太郎(同上)
世は移り 維新の評価 変るとも この銅像を 壊す金はなし(同上)
岩礁の 室戸岬の 海岸で 灌頂ヶ浜 渚の百選(同上)
津照寺は 空海大師 開基して 豊山派末寺 二十五番寺(津照寺25)
本尊は 地蔵菩薩の 立像で 延命地蔵 楫取地蔵と(同上)
真っ青な 海を臨んで 杖をつく 出船入船 室津の入江(同上)
豊山派の 金剛頂寺 開創は 空海大師で 二十六番寺(金剛頂寺26)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 大師の作で 自ら鎮座と(同上)
大師堂 入母屋造り 平入りで 江戸前期の 再建と聞く(同上)
旧道に 入って唖然 吉良川に 重伝建の 町並みありて(吉良川)
吉良川は 備長炭の 積み出し地 港の繁栄 なまこ壁にも(同上)
細木邸 向かい合わせに 建ちてあり 切妻屋根の 白壁造り(同上)
白壁に 水切瓦 三層に 強風凌ぐ 土蔵補強と(同上)
羽根岬 室戸を離れ 奈半利へと 進む途中の 小さな岬(羽根岬)
奈半利でも 水切瓦 高田屋に 明治前期の 豪商建築(奈半利)
豊山派の 神峯寺は 奈良時代 行基の開基 二十七番寺(神峯寺27)
境内は 掃き清められ 美しく 土佐の関所は 今は楽土に(同上)
庭園は 住持自ら 作庭と その見事さを 脱帽し見る(同上)
本尊は 十一面の 観音像 行基の作と 聞くに新た(同上)
大師堂 平成四年の 再建で 光現大師 胎内安置と(同上)
麓から 神峯山 眺めると 険しき札所 土佐一ではと(同上)
道の駅 やたらと増えて 市町村 必ず一つ 開設されて(道の駅大山)
奈良時代 行基が開基 大日寺 智山派末寺 二十八番寺(大日寺28/四国霊場記6) 57歳
本尊は 大日如来 坐像にて 行基の作は 絶対秘仏(同上)
大師堂 礼拝しては 大師作 爪彫薬師 合わせて参拝(同上)
奈良時代 行基の開基 国分寺 智山派末寺 二十九番寺(土佐国分寺29)
国分寺 開山堂は 行基でも 本尊変り 千手観音に(同上)
本堂は 桃山時代の 再建で 寄棟造り 国の重文(同上)
大師堂 入母屋造り 唐破風で 江戸前期築 当時柿葺き(同上)
梵鐘は 平安前期 鋳造で 高知最古の 国の重文(同上)
中門の 先に新たな 光明殿 閣殿消えて 納経所あり(同上)
善楽寺 空海大師 開基して 豊山派末寺 三十番寺(善楽寺30)
本尊は 阿弥陀如来の 坐像にて 昭和後期に 本堂再建(同上)
大師堂 切妻造り 珍しく 廃仏のがれた 厄除け大師(同上)
土佐神社 土佐国の 一宮 古墳時代に 創建せしと(土佐神社)
祭神は アヂスキタカヒコネ の神と 簡素な名に 変えたらどうか(同上)
祭神が 四度も変わる 土佐神社 それでも社殿 国の重文(同上)
道中に 郷士の曲り家 関川家 江戸後期築 国の重文(関川家住宅)
住宅は 門を閉ざして 非公開 残念だけど プライバシーあり(同上)
奈良時代 行基の開基 竹林寺 高野山派の 三十一番寺(竹林寺31)
竹林寺 五重塔が 聳え建つ 土佐唯一で 昭和の再建(同上)
絶妙な 景色重なる 五台山 五重塔に 千体地蔵(同上)
本尊は 文殊菩薩の 坐像にて 入母屋本堂 国の重文(同上)
大師堂 江戸前期の 建築で 恭しく見ん 大師の尊顔(同上)
奈良時代 行基の開基 禅師峰寺 豊山派末寺 三十二番寺(禅師峰寺32)
本尊は 十一面の 観音像 手に持つ花瓶 珍しきかな(同上)
山上に 奇岩怪石 禅師峰寺 山も愛した 空海大師(同上)
天理教 城の乗っ取り 好きらしく 高知・亀岡 角館にも(山内容堂生誕地)
高知城 明治の棄却 免れて 城郭九棟 国の重文(高知城)
土佐藩は 山内の 一豊が 槍と愛馬で 二十万石(同上)
愛馬には 妻の功あり 睦ましく 銅像姿 夫婦の鑑(同上)
望楼の 四重六階 天守閣 初築は焼けて 中期の復元(同上)
独立の 天守に見えぬ 高知城 多門櫓に 詰門続き(同上)
本丸に 表御殿が 建ちて 江戸の御殿は 日本唯一(同上)
片寄りの 黒鉄門の 門扉は 塀を取り込み 守り堅固に(同上)
指をさす 板垣退助 高知城 上士ならばの 像の設置か(同上)
名に聞きし はりまや橋に 来て見れば 川も流れぬ がっかり名所(はりまや橋)
時計台 はりまや橋より まだましで 今も現役 国の重文(同上)
高知にも 路面電車 あることを 知って嬉しく 思う景観(市電操車場)
雪蹊寺 空海大師 開基にて 臨済宗の 三十三番寺(雪蹊寺33)
本尊は 薬師如来 坐像にて 運慶作の 国の重文(同上)
高知では 廃寺となった 寺多く 霊場ゆえに 再興されし(同上)
強引に 四国統一 果たしても 元親の墓 寂しげに建つ(長宗我部元親墓)
雪蹊寺 元親中興 するとても 他国の霊場 焼き尽くすなり(同上)
龍馬像 袴に革靴 懐に 拳銃忍ばせ 頭は丁髷(桂浜/四国霊場記7) 57歳
沖を行く 貨物船を 眺めると 逆に眺めた 船乗り時代(同上)
龍馬像 合わせて見物 記念館 人気の高き 公共施設(同上)
リアルかな 蝋人形の 龍馬像 その内動く 時が来るかも(同上)
灯台は 見向きもされぬ 桂浜 工夫を凝らし 整備すればと(同上)
灯台と 船の景色に 魅かれては 写真に残し 記録もしたり(同上)
種間寺は 空海大師 中興し 豊山派末寺 三十四番寺(種間寺34)
境内に 山門なきは 寂しくも お迎え大師 待つが嬉しき(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 平安期作 国の重文(同上)
唐産の 五穀の種を 大師蒔き 種間寺と 名付けた聞く(同上)
奈良初期に 行基の開基 清瀧寺 豊山派末寺 三十五番寺(35清瀧寺)
本尊は 薬師如来の 立像で 平安期作 国の重文(同上)
青龍寺 空海大師 開基して 豊山派末寺 三十六番寺(36菁龍寺)
本尊は 波切不動 明王像 右手に剣 左手に数珠(同上)
唐の国 偲んだ大師 日本にも 青龍寺建て 恵果も祀り(同上)
真新し 三重塔 落成し 青龍寺にも 七堂伽藍(同上)
横浪の 黒潮ライン 走行は 空行く如し 眼下に海辺(横浪黒潮ライン)
高知には 偉人の銅像 多くあり 半平太が こんな所に(同上)
夕食は おかず十皿 岩本寺 精進料理 何処吹く風か(37岩本寺)
天平に 行基の開基 岩本寺 智山派末寺 三十七寺(同上)
本尊は 不動明王 はじめてし 霊場唯一 五尊を安置(同上)
本堂に マリリンモンロー 天井画 大師は如何に 眺め見るかな(同上)
一泊の 感謝が尽きぬ 岩本寺 百八キロを 走りし後に(同上)
鹿島にて 再び海辺 走行し 気分爽快 自転車の旅(鹿島ヶ浦)
川筋を 二十人近い お遍路が 吹上川を 歩き行くかな(吹上川)
珍しき 三段丘の 岬には 鈴の音絶えぬ 霊場もありて(足摺岬)
大石に 南無阿弥陀仏の 爪書きが 大忙しの 多才の大師(同上)
砂浜が 足摺岬に 見えざりし 小島の如く 岩礁続き(同上)
大師さえ 騙されもせし 天邪鬼 一夜の華表 七不思議とか(同上)
有名な 岬に不可欠 灯台は 熱帯樹林に 白亜のツリー(同上)
七不思議 不増不滅の 手水鉢 渡航叶わぬ 僧の涙と(同上/四国霊場記8) 57歳
空海さん 金剛福寺 開基せし 豊山派末寺 三十八番寺(金剛福寺38)
本尊は 三面千手 観音像 六面にして 三十八手(同上)
大師堂 扉開かれ 尊顔を 直接拝む 有り難さかな(同上)
境内は 三万余坪と 広大で 池泉庭園 補陀落と見ん(同上)
スボロノ鼻 眺めるだけの 岩の肌 遊覧船が あればと願う(スボロノ鼻)
松尾には 自生のアコウ 鎮座する 天満宮に 三百年も(松尾のアコウ)
アコウの木 国の天然 記念物 巨木の王者 拝みて眺む(同上)
黒潮の 寄せる海辺に 景勝地 足摺半島 臼碆にあり(臼碆海岸)
海亀に 願う思いは ただ一つ 竜宮城に 夢を残さむ(同上)
黒潮の 恵みの漁場 臼碆は 釣りバカ日記 撮影したとか(同上)
臼碆に 六角形の 灯台が 小さきながら 築五十年(同上)
奈良時代 行基の開基 延光寺 智山派末寺 三十九番寺(延光寺39)
本尊は 楽師如来の 立像で 珍しきかな 秘仏に非ず(同上)
大師堂 今日は扉が 閉ざされて 大師の尊顔 お目に叶えず(同上)
延光寺 土佐最後の 霊場で 方丈宿坊 大きく立派(同上)
石仏に 水をかけるなと 注意書き 大師の手掘りの 目洗い井戸に(同上)
道沿いに 明治中期の 林邸 政治家三代 暮らした家と(同上)
宿毛にて 泊まりし旅館 遍路宿 一人客でも 気さくな歓迎(米屋旅館)
夕食は 四品に鍋と 丁度良く 街に出かけて 飲み直すかな(同上)
暗い街 明るい雰囲気 楽しんだ 昨夜のスナック 記念写真を(宿毛)
観自在寺 空海大師 開基にて 大覚寺派の 四十番寺(観自在寺40)
本尊は 薬師如来 坐像にて 五十年に 一度の開帳(同上)
大師堂 宝形造り 立派かな 年に一度 開帳せしと(同上)
長すぎる 自転車トンネル 約二キロ 初めて走る 宇和島の道(新松尾トンネル)
宇和島に 来たなら先ずは 天守閣 夢の続きは 城郭めぐり(宇和島城)
城郭に 井戸の存在 欠かせない 山城ならば 尚更のこと(同上)
山城や 天守が 一基 残りけり 創建当時は 望楼天守(同上)
天守閣 江戸前期の 築造で 三重三階 国の重文(同上)
仙台の 伊達の分家の 宇和島藩 十万石の 眺め壮観(同上)
城下町 港町へと 移行して 武家屋敷など 遺構少なき(同上)
長屋門 家老屋敷の 移築とか 天守たげでは 淋しかろうと(同上)
天守から 眺める先に 天赦園 国の名勝 大名庭園(同上)
江戸前期 和霊神社は 創建し 謀殺されし 家老祀るとか(和霊神社)
少しずつ 桜の花も 咲いて来て 自転車停めて 眺め見るなり(お遍路休憩所)
龍光寺 空海大師 開基して 御室派末寺 四十一番寺(龍光寺41)
本尊は 十一面の 観音像 彩色をした 坐像珍し(同上)
創建時 稲荷神社と 一体で 大師も嘆く 神仏分離(同上)
札所間 民宿ありて 投宿す 家庭料理は 素朴な風味(民宿みま/四国霊場記9) 57歳
六畳間 落ち着く部屋の 大きさで 明日の札所 思い見るなり(同上)
民宿は 前庭のある 邸宅で 一夜の宿り 心に深く(同上)
仏木寺 空海大師 開基して 御室派末寺 四十二番寺(仏木寺42)
鐘楼は 入母屋造り 茅葺きで 田園の中 上手に調和(同上)
本尊は 大日如来 坐像にて 智拳印ポーズ 独自の印相(同上)
大師像 鎌倉後期の 彫刻で 右手に五鈷杵 左手に数珠(同上)
峠には トンネルがあり 楽なれど 遍路の山路 自転車は無理(歯長峠)
明石寺 飛鳥時代の 創建で 天台寺門派 四十三寺(明石寺43)
本尊は 千手観音の 坐像にて 合掌印で 手は十二本(同上)
大師堂 明治前期の 再建で 厨子の扉は 時折り開帳(同上)
境内に エドヒガンザクラ 満開に 本尊よりも 古き大木(同上)
大洲には 大洲城あり 立ち寄れば 立派な城に 感服したり(大洲城)
城内に 中江藤樹の 坐像建つ 殿様よりも 偉く見えるかな(同上)
大洲城 知名度低き 城なれど 四重四階 天守復元(同上)
城内に 江戸期築の 遺構あり 櫓四棟 国の重文(同上)
江戸初期に 藤堂高虎 築城し 加藤貞泰 六万石を(同上)
天守閣 六年前に 再建し 木造復元 市民の寄付で(同上)
大洲では 臥龍山荘の 名所あり また寄り道し 目に焼き付ける(臥龍山荘)
築造は 明治末期に 実業家 構想十年 施工四年と(同上)
臥龍院 数寄屋造りの 茅葺きで 屋久杉が 高天井に(同上)
院と言え 寺にあるまじ 草庵で 袖の柴垣 意匠を凝らし(同上)
庭園は 二百坪と 小さくも 借景多く 国の名勝(同上)
不老庵 肱川臨む 崖に建ち ここに一夜を 過ごしたきかな(同上)
昭和期の レトロな空間 再現す ポコペン横丁 懐かしきかな(ポコペン横丁)
誰しもが 良き時代と 思うかな リセットされた 高度成長期(同上)
肱川で 城を眺めて 大洲去る またの再訪 楽しみにして(肱川)
十夜ヶ橋 大師伝説 崇められ 鎌倉時代 寺が創建(永徳寺)
永徳寺 弥勒菩薩が 本尊の 御室派末寺 別格霊場(同上)
橋の下 大師の就寝 信じられ 錫杖叩かくず 遍路は遠慮(十夜ヶ橋)
内子にて 郷之谷川 立ち寄れば 枝垂れ桜の 花は満開(郷之谷川)
目を見張る 枝垂れ桜の 競演が 郷之谷川に 約二十本(同上)
内子座は 大正初期の 芝居小屋 楼閣造り 豪華豪壮(内子)
江戸後期 建築されし 旧商家 博物館に 改修移行(同上)
明治初期 下芳我邸は 建てられて 入母屋二階 一階そば屋(同上)
町並みは 重伝建に 相応しく 百軒近い 商家町家が(同上)
製蝋で 栄えた町の 豊かさが 今の時代に 残る家々(同上)
本芳我家 明治中期に 建てられて 入母屋二階 国の重文(同上)
豪商の 千二百坪 屋敷には 重文四棟 庭園もあり(同上)
内子には 立ち寄る程と 思いしも すっかり長居 次回は泊り(同上/四国霊場記10) 57歳
内子から 山々連なる 国道を ひたすら走行 久万高原へ(寺村)
峠にて 伊予路の看板 目にすれど 久万高原は まだまだ先と(真弓峠)
飛鳥期に 狩人開基 大宝寺 豊山派末寺 四十四番寺(大宝寺44)
本尊は 十一面の 観音像 絶対秘仏で 写真にもなく(同上)
本堂は 大正末期の 再建で 入母屋造り 二重向拝(同上)
大師堂 昭和後期の 再建で 宝形造り 高欄めぐらし(同上)
境内に 芭蕉句碑あり 感服す 心の中で 蕉翁巡礼(同上)
夕食の イワナの塩焼き 好物で この日ばかりは 日本酒たのむ(古岩屋荘)
今日の宿 古岩屋荘は 温泉で 幸せ気分 百キロ走り(同上)
窓の外 古岩屋の 岩峰が 風穴からは コウモリが飛ぶ(同上)
岩屋寺は 空海大師 開基にて 豊山派末寺 四十五番寺(岩屋寺45)
本尊は 不動明王 坐像にて 木造石造 二体を安置(同上)
岩屋寺に 法華仙人の 住居跡 大師に帰依し 山を献上(同上)
大師堂 大正九年の 建築で 新様式でも 国の重文(同上)
良く見れば 双子柱は 珍しく 西洋的な 技法もありて(同上)
仁王門 遍路みちでは 入口に 二百余段の 石段登らず(同上)
方丈の 上にも断崖 屹立し 崩れまいかと 不安に眺めん(同上)
四国にも スキー場あるは 驚きで 降雪機でも 使っているのか(久万スキーランド)
峠越え 重荷を積んだ 自転車は 大師も知らぬ 試練なるかな(三坂峠)
奈良初期に 行基の開基 浄瑠璃寺 豊山派末寺 四十六番寺(浄瑠璃寺46)
もみ大師 イブキビャクシンの 大木で 樹齢千年 大師がやどり(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 弥勒の如く 片足伸ばし(同上)
八坂寺は 役行者の 開基にて 醍醐派末寺 四十七番寺(八坂寺47)
本尊は 阿弥陀如来の 坐像にて 五十年に 一度の開帳(同上)
大師との 関わり薄き 八坂寺に 切妻唐破風 大師堂建ち(同上)
宿坊で ないのに立派な 方丈が 霊場よりも 霊園経営(同上)
道中に 別格霊場 文殊院 本堂よりも 大師堂立派(文殊院)
天平に 行基の開基 西林寺 豊山派末寺 四十八番寺(西林寺48)
本尊は 十一面の 観音像 写真を見ると 頭上に一面(同上)
二年前 再建されし 大師堂 覚鎫・専誉 脇侍に祀り(同上)
奈良時代 恵明の開基 浄土寺は 豊山派末寺 四十九番寺(浄土寺49)
本尊は 釈迦如来 坐像にて 螺髪は青く 蓮座は緑(同上)
本堂に 空也聖の 像安置 聖の自刻 国の重文(同上)
浄土寺も 大師の関わり 稀薄なり それでも札所 修行像立ち(同上)
方丈に 千年遠忌の 供養塔 空海大師 寺の支えに(同上)
奈良時代 行基の開基 繁多寺は 豊山派末寺 五十番札所(繁多寺50)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 青い頭に 紅き唇(同上)
大師堂 感知器付は 珍しく ライトアップの 大師の坐像(同上)
歓喜天 将軍家綱 念持仏 堂宇新たに 桜の花も(同上)
方丈が 最も立派な 建物で 本坊または 庫裡とも称し(同上)
奈良時代 国司創建 石手寺は 豊山派末寺 五十一番寺(石手寺51/四国霊場記11)57歳
元親も 焼く尽きせない 寺もあり 伊予の石手寺 三重塔(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 写真なけれど 行基の作と(同上)
石手寺は 七堂伽藍が 大寺院 国宝一棟 重文五棟(同上)
本堂の 裏山の中 洞窟が 金剛胎蔵 マントラ具現と(同上)
手を合わせ 空海さんに 祈ること 今日も生かされ ただただ感謝(同上)
宝形の 一切経堂に 他二棟 並ぶ堂宇に 何を祈らん(同上)
領主の子 手に小石持ち 生まれしと その小石が 霊宝館に(同上)
鐘楼に 吊り下げられた 銅鐘も ダブルの指定 国の重文(同上)
生きながら 至極の旅を 重ねれば 道後温泉 密厳浄土(道後温泉本館)
本館は 明治中期の 建築で 木造三階 国の重文(同上)
皇族の 入湯のため 建てらし 又新殿は 離宮の如し(同上)
南棟は 大正時代の 建築で 玄関棟の 唐破風ゆかし(同上)
瓦葺き 銅板葺きの 景観は 緑の山に 岩山見るよう(同上)
三階の 坊っちゃんの間に 漱石像 泊まりたいけど 日帰りのみと(同上)
湯神社は 道後温泉 発見時 三千年前 創建されしと(湯神社)
寂れても 温泉街の 土産店 古き建屋で 健気に商売(道後温泉)
廃屋は 放置されては 朽ちるまま 温泉街に 哀れ湧くなり(同上)
宝厳寺 国司創建 白鳳期 一遍上人 生誕地とも(宝厳寺)
本尊は 阿弥陀如来 立像で 一遍像は 国の重文(同上)
庭園に 子規と茂吉の 句碑と歌碑 尊石の如く 奥に立つかな(同上)
石段の 先に朱色の 楼門が 伊佐爾波神社 予期せぬ社殿(伊佐爾神社)
楼門は 江戸中期の 建築で 八幡宮の 扁額もあり(同上)
回廊に 囲まれし社殿 七棟が 摂社を含め 国の重文(同上)
本殿は 八幡造り 柿葺き 美観を区切る 透塀かな(同上)
伊予の国 行く先々に 湯宿あり あれこれ迷う 自転車遍路(道後温泉)
旅籠風 常盤荘に 投宿し 食事や雰囲気 ほぼ満足し(旅館常盤荘)
客室に 床の間なけれど 山水画 今朝参拝の 岩屋寺見る(同上)
太山寺 真野長者の 創建で 智山派末寺 五十二番寺(太山寺52)
参道に 三つ門あり 総門と 二は山門 三は四天門(同上)
三ノ門 四天王像 安置して 楼門造り 江戸中期築(同上)
本尊は 十一面の 立像で 伝行基作 国の重文(同上)
本堂は 入母屋屋根が 美しく 鎌倉期築 国宝伽藍(同上)
大師堂 明治中期の 再建で 大師の存在 この堂宇のみ(同上)
江戸前期 鐘楼堂は 建てられて 地獄極楽 図に描かれて(同上)
本坊は 広いエリアの 入口に 堂宇五棟が 並び建つかな(同上)
天平年 行基の開基 円明寺 智山派末寺 五十三番寺(円明寺53/四国霊場記12) 57歳
境内は 和気町内の 住宅地 塀が少なく 自由な寺観(同上)
本尊は 阿弥陀如来 坐像にて 観音勢至を 脇侍に安置(同上)
大師との 関係薄き 円明寺 入母屋造りの 立派な堂宇(同上)
菊間には 番外霊場 遍照院 大師開基ら 厄除の寺(遍照院)
奈良初期に 行基の開基 延命寺 豊山派末寺 五十四番寺(延命寺54)
本尊は 不動明王 坐像にて 宝冠姿 六十年毎(同上)
この寺も 大師が再興 二文字のみ 再考すべき 札所の有り様(同上)
奈良初期に 行基の開基 南光坊 御室派末寺 五十五番寺(南光坊55)
本尊は 大通智勝 如来像 釈迦の父親 大日如来(同上)
大師堂 平成修理 工事中 仮堂にて 参拝をする(同上)
別宮の 大山祇は 奈良初期に 大三島より 分霊せしと(別宮大山祇神社)
別宮の 参拝をして 両参り 殆どいない 遍路の姿(同上)
江戸の初期 藤堂高虎 築城す 今治城は 明治に棄却(今治城)
模擬天守 五層六階 望楼で 昭和後期の コンクリート造(同上)
高虎が 国替えとなり 松平 四万石で 城の主に(同上)
眼下には 山里櫓 武具櫓 今治城は 概ね再建(同上)
海峡の 今治港の 開港が 四国で最も 古いと聞きし(同上)
水堀に 御金櫓と 枡形の 鉄御門 並び建つかな(同上)
廃城で 吹揚神社 創建し 総社の如く 神様々に(同上)
泰山寺 空海大師 開基して 醍醐派末寺 五十六番寺(泰山寺56)
本尊は 延命地蔵 菩薩像 寺号は経の 女人泰産と(同上)
大師堂 昭和末期の 再建で 大師の尊顔 拝み見るかな(同上)
栄福寺 空海大師 開基して 高野山派の 五十七番寺(栄福寺57)
本尊は 阿弥陀如来 坐像にて 絶対秘仏 写真にもなく(同上)
創建時 八幡宮の 別当で 大師は知らぬ 明治の受難(同上)
白鳳期 国司創建 仙遊寺 高野山派の 五十八番寺(仙遊寺58)
本尊は 千手観音 立像で 三十二本手 顔は七面(同上)
大師より 阿坊仙人 伝説が 木霊するなり 作礼山には(同上)
仙遊寺 ただの寺でも 泊まりたい 温泉宿坊 見晴らしも良く(同上)
作礼山 麓に粋な 休憩所 寒緋桜の 花麗しく(同上)
奈良時代 行基の開基 国分寺 真言律宗 五十九番寺(伊予国分寺59)
本尊は 薬師瑠璃光 如来像 絶対秘仏 御影見るのみ(同上)
国分寺 大師の関わり 残るかな 五大尊絵図 大師の画像(同上)
義貞の 弟義助の 廟堂が 国分寺にあり 拝み見るかな(同上)
豪商の 越智家住宅 壬生川に 非公開でも 外観撮影(壬生川)
香園寺 聖徳太子 開基とか 御室派末寺 六十一番寺(香園寺61)
本尊は 大日如来 坐像にて 他と異なり 常時拝観(同上)
日が暮れて 六十番を 飛ばしては 逆打ちをする 香園寺かな(同上)
横峰寺 役行者が 開基して 御室派末寺 六十番寺(横峰寺60)
本尊は 大日如来 坐像にて 五十年置き 一度開帳と(同上)
宝寿寺 聖武天皇 開基して 高野山派の 六十二番寺(宝寿寺62/四国霊場記13) 57歳
本尊は 十一面の 観音像 五六十年に 一度開帳と(同上)
年齢の 数だけ唱える 大師号 ちょっと苦になる 寺の狂気に(同上)
吉祥寺 空海大師 開基して 東寺派末寺 六十三番寺(吉祥寺63)
本尊は 毘沙聞天の 坐像にて 霊場唯一 多聞天とも(同上)
大寺も 小寺とならず 消えて行く 無常迅速 鐘の音響く(同上)
前神寺 役行者が 開基して 石鈇派の 六十四番寺(前神寺64)
本尊は 阿弥陀如来 立像で 蔵王権現 化身ともされ(同上)
明治初期 石鎚神社に 山追われ 明治中期に 移転再興(同上)
堂内に 全身黒い 大師像 不定期ながら 拝観可能と(同上)
道中で 寺院のような 邸宅が 入母屋造り 楼閣風に(新居浜)
天平年 行基の開基 三角寺 高野山派の 六十五番寺(三角寺65)
本尊は 十一面の 観音像 秘仏のために 前立拝む(同上)
三角の 護摩壇築き 修法す 幾何学的な 大師の発起(同上)
三角寺 越えれば讃岐 涅槃みち 残り三日の 禊の旅路(同上)
霊場に ロープウェイは 欠かせない 時間短縮 空の散歩みち(雲辺寺ロープウェイ)
雲辺寺 入りて驚く 境内に 五百羅漢の 石像ありて(雲辺寺66)
雲辺寺 空海大師 開基して 御室派末寺 六十六番寺(同上)
本尊は 千手観音 坐像にて 経尋作で 国の重文(同上)
雲辺寺 四国霊場 最高峰 売店の壁 順位掲げて(同上)
大師堂 裏に回ると 奥殿が 旧大師堂と 拝み見るかな(同上)
本坊に 楼閣造り 持仏堂 お頼み茄子の 置物もあり(同上)
雲辺寺 山頂附近に スキー場 霊場よりも 興味津々(スノーパーク雲辺寺)
山頂に 立て眺める パノラマは 霊場一の 見晴らしと見る(雲辺寺山)
山頂の 毘沙門天像 最高所 同じ目線の 世界は如何に(同上)
大興寺 空海大師 中興し 善通寺派末 六十七番寺(大興寺67)
カヤの木は 千二百年の 樹齢とか 大師の命 宿る神木(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 六十一年 光りに触れず(同上)
本堂の 左右に建つや 大師堂 真言天台 兼学の跡(同上)
本山寺 空海大師 開基して 高野山派の 七十番寺(本山寺70)
門前に 今夜の宿を 予約せし 二番飛ばして 本山寺打つ(同上)
明治末 五重塔は 建てられし 興福寺似で 寺のシンボル(同上)
本尊は 馬頭観音 坐像にて 馬の宝冠 手は八本も(同上)
本堂は 寄棟造りの 国宝で 鎌倉後期 京極氏寄進(同上)
大師堂 江戸末期の 再建で 月に一度は 開帳せしと(同上)
門前の 一富士旅館 遍路宿 九皿並ぶ 夕食豪華(一富士旅館)
客室の 窓を開ければ 本山寺 宿坊の如し 一富士旅館(同上)
境内に 二ヶ所の札所 唯一で 共用部分 仁王門かな(観音寺69)
奈良時代 日証開基 神恵院 大覚寺派の 六十八番寺(神恵院68)
本尊は 阿弥陀如来の 来迎図 絶対秘仏で 国の重文(同上/四国霊場記14) 57歳
大師堂 隣り合わせて 太子堂 大師の拝顔 慎ましきかな(同上)
本尊は 聖観音の 坐像にて 大日如来と 勘違いとも(観音寺)
珍しき 朱色の外観 大師堂 本堂に倣い 色合わせかな(同上)
何となく 納経所で 二番打つ 札所ありきは もどかしさかな(同上)
琴弾の 八幡宮は 奈良初期に 宇佐より分霊 創建せしと(琴弾八幡宮)
明治まで 六十八番 本堂で 維新で瓦解 四国霊場(同上)
奇観かな 琴弾山の 麓には 二つ重なる 石鳥居建ち(同上)
老松や 百年以上 琴弾に 白砂青松 色褪せてゆく(琴弾公園)
奈良時代 行基の開基 弥谷寺 善通寺派の 七十一番寺(弥谷寺71)
本尊は 千手観音 立像で 三十六手に 宝冠載せて(同上)
幼少の 大師が学んだ 学問所 岩窟もある 大師堂かな(同上)
岩肌に 阿弥陀三尊 磨崖仏 表示が錆びて 見落とすことも(同上)
参道の 入口に建つ 大師堂 石段登れぬ 人に配慮か(同上)
曼荼羅寺 空海大師 中興し 善通寺派の 七十二番寺(曼荼羅寺72)
本尊は 大日如来 坐像にて 彼岸の入りに 開帳せしと(同上)
曼荼羅寺 以前は大師の 氏寺で 母の供養に 中興せしと(同上)
大日に 桜イヌマキ アカシアと 三色彩る 曼荼羅寺かな(同上)
出釈迦寺は 空海大師 開基して 御室派末寺 七十三番寺(出釈迦寺73)
本尊は 釈迦如来坐像 大師作 写真を見ると 江戸時代では(同上)
大師堂 本堂よりは 立派なり 緋色の法衣 拝み見るかな(同上)
方丈や 客殿などが 豪華かな 四国霊場 収支豊かに(同上)
ふと見れば 我拝師山の 中腹に 大きな屋根の 奥之院建ち(同上)
眼下には 生まれ故郷の 善通寺 眺め見守る 修行大師像(同上)
自転車で 蜜柑畑を 踏み入ると 西行庵が 水茎の岡に(西行庵)
霊場に 大師を慕い 草庵を 結び暮らした 西行法師(同上)
甲山寺 空海大師 開基して 善通寺派の 七十四番寺(甲山寺74)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 秘仏に非ず 拝観可能(同上)
創建時 大伽藍の 甲山寺 兵火に焼かれ 規模は縮小(同上)
洞窟に 毘沙門天像 安置され 雲辺寺とは 好対照に(同上)
善通寺 一万余坪の 境内に 度肝抜かれて 橋渡るかな(善通寺75)
御影堂は 大師の生まれた 場所に建ち 瞬目大師 五十年毎(同上)
国宝の 錫杖頭と 経文が 宝物館に 所蔵公開(同上)
二層まで 五重塔は 入れそう 明治後期の 四代目とか(同上)
金堂は 薬師如来を 本尊に 裳階造り 国の重文(同上)
鐘楼の 袴腰部が 出入り口 奇抜な意匠 初めて眺む(同上)
仁王門 明治中期の 再建で 力士像作は 吉野時代と(同上)
戦時中 真言宗の 総本山 そんな時代の 聖霊堂は(同上)
門の数 六ヶ所もある 善通寺 単立寺院で 日本一かと(同上)
善通寺 七堂伽藍 並び建ち 東院西院 ダブルの寺観(同上)
曲り角 四国のみちの 石柱が 霊場標し 厳かに立つ(同上)
奈良初期に 道善開基 金倉寺 天台寺門派 七十六番寺(金倉寺76/四国霊場記15)57歳
円珍の 生まれた寺で ある故に 空海大師 脇に祀られ(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 正月三日 開帳せしと(同上)
金倉寺 智証大師と 乃木将軍 空海大師 影をひそめて(同上)
少林寺 大雁塔が 聳え建つ 日本唯一 六重塔(少林寺)
天平年 道隆開基 道隆寺 醍醐派末寺 七十七番寺(道隆寺77)
本尊は 薬師如来の 立像で 五十年毎 開帳せしと(同上)
多宝塔 昭和後期の 建築で 内部拝観 可能と聞きし(同上)
ガラス越し 大師を拝む 道隆寺 衛門三郎 懇願する像(同上)
道中で 丸亀城を 仰ぎ見る 自転車押して 上る気はなく(丸亀城)
奈良初期に 行基の開基 郷照寺 真言・時宗 七十八番寺(郷照寺78)
本尊は 阿弥陀如来の 坐像にて 鎌倉末の 寄木造りと(同上)
はね出しの 唐破風向拝 珍しく 厄除け大師 自刻と伝承(同上)
本坊に 回遊式の 庭園が 花咲かずとも 美しきかな(同上)
郷照寺 真言宗と 時宗とが 兼宗せしは 霊場唯一(同上)
祭神は 崇徳上皇 白峰宮 境内一の 立派な社(白峰宮)
本尊は 十一面の 観音像 胎内仏は 大師の作と(天皇寺79)
天皇寺 空海大師 開基して 御室派末寺 七十九番寺(同上)
奈良時代 讃岐国分寺 創建す 御室派末寺 八十番寺(讃岐国分寺80)
本尊は 十一面千手 観音像 鎌倉期作 国の重文(同上)
本堂は 鎌倉後期 建立で 入母屋造り 国の重文(同上)
納経所 礼拝殿を 兼ねて建ち 休憩所にも 利用されたり(同上)
真っ白な 多宝塔形 大師堂 コンクリート造 日本唯一(同上)
白峯寺 空海大師 開創す 御室派末寺 八十一番寺(白峯寺81)
護摩堂は 納経所を 兼ねた堂 昭和末期の 入母屋造り(同上)
京よりの 使者を迎えた 勅額門 高松藩主 江戸前期築(同上)
讃岐にて 崇徳上皇 崩御して 頓証寺殿で 菩提弔い(同上)
本尊は 千手観音の 立像で 十一面の 宝冠載せて(同上)
大師堂 稚児大師像 安置して 寺紋の菊が 横断幕に(同上)
根香寺は 空海大師 開創す 天台宗の 八十二番寺(根香寺82)
本尊は 千手観音 立像で 平安期作 国の重文(同上)
大師堂 コンクリート造 朱色塗り 切妻屋根も 特異な堂宇(同上)
牛鬼や 最初怖いと 眺めたが 帰路にはカメラ 構えるほどに(同上)
田村神社 讃岐の国の 一宮 和銅二年に 創建されしと(田村神社)
祭神は 五柱に及ぶ 神々で 総称されて 田村大神(同上)
宇都伎社は 昭和末期の 再建で 春日造りに 大地主神(同上)
奈良初期に義淵の開基 一宮寺 御室派末寺 八十三番寺(一宮寺83)
本尊は 聖観音の 立像で 絶対秘仏 前立開帳(同上)
大師堂 入母屋破風の 向拝で 恭しくも 大師を拝顔(同上)
屋島寺は 鑑真和上 開基して 御室派末寺 八十四番寺(屋島寺84)
屋島寺に 千躰仏の 観音像 京都以外に 四国にあるとは(同上)
麓から 遍路道を 上るなら 先ずは目にする 仁王門かな(同上/四国霊場記16) 57歳
四天門 四天王像 安置して その配列は 東大寺型(同上)
本尊は 十一面千手 観音像 本堂含め 国の重文(同上)
屋島寺を 大師が中興 せし時に 一夜で堂宇 建てた伝説も(同上)
八栗寺は 空海大師 開基して 大覚寺派の 八十五番寺(八栗寺85)
本尊は 聖観音の 立像で 厨子の扉は 常時開かれ(同上)
渡唐前 大師手植えの 八栗が 帰国後来ると 成熟せしと(同上)
歓喜天 大師作との 伝承が 江戸前期に 堂宇建立(同上)
多宝塔 昭和後期の 建立で 七堂伽藍 整う寺観(同上)
よく見れば 川越にある 喜多院の 多宝塔模し 建てられしかな(同上)
本坊に 立派な堂宇 並び建つ 檜皮葺屋根 御成門あり(同上)
飛鳥期に 不比等の開基 志度寺かな 真言単立 八十六番寺(志度寺86)
門入り 五重塔が 聳え建つ 昭和五十年 個人の寄進(同上)
どことなく 五重塔に 見覚えが 広島福山 明王院に(同上)
本尊は 十一面の 立像で 本堂含め 国の重文(同上)
本堂と 廊下続きの 大師堂 向拝の壁 大師の額絵(同上)
切妻に 宝形搭屋 乗せた屋根 納骨堂の 風変りかな(同上)
子のために 不比等の妻は 海女となり 龍神に挑み 宝珠奪還と(同上)
天平期 行基の開基 長尾寺は 天台宗の 八十七番寺(長尾寺87)
本尊は 聖観音の 立像で 年に一度の 開帳せしと(同上)
江戸中期 天台宗に 改宗し 大師の耳に 痛い時代へ(同上)
前山の 坂道上る 道中に 地区センターの へんろ資料室(前山地区活性化センター)
様々な 遍路に関する 展示品 新たな知識 空腹癒す(同上)
道筋に 細川家宅の 案内板 国の重文 吸い込まれ行く(細川家住宅)
寄棟の 茅葺き母屋 土の壁 江戸後期の 農家建築(同上)
移築せず 現地に残る 古民家が 保存の上で 理想的かな
ゴザ敷きの 囲炉裏の側に 古ランプ 原風景が 懐かしくあり(同上)
別棟に 納屋と便所が 離れ建ち 夜の用便 不安に思う(同上)
奈良時代 行基の開基 大窪寺 真言単立 八十八番寺(大窪寺88)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 手にホラ貝を 持つは珍し(同上)
境内に 人が集まり 近寄ると 山伏姿の 僧が七人(同上)
柴と薪 壇を築いて 点火する 瞬く間に 白煙なびく(同上)
大窪寺 春分の日の 行事でも 柴灯大護摩 供養と称す(同上)
火祭りと 呼んでいいやら 護摩供養 八百年の 歴史を重ね(同上)
南無大師 遍照金剛 唱えては 十五日目の 順礼に感謝(同上)
地下階に 秘鍵大師の 坐像あり 右手に剣を 左手には数珠(同上)
結願し 不要の杖を 奉納す 次回のために 我持ち帰る(同上)
石段の 下は門前 店並び 八十八番 春の賑わい(同上)
一番に 再び戻り 投宿す 車預けた 遍路の宿に(旅館大鳥居苑)
順礼の 終りに飲む酒 夢心地 流した汗が 酒へと輪廻(同上)