写句集14

長句(短歌・狂歌)旅行編その6

次郎笈 草地の山肌 美しく 次の機会に 辿りてみたき(剣山/百名山旅行1) 57

剣山 その山並みを 夢に見て まだまだ続く 四国巡礼(同上)

誰もいぬ かずら橋かと 思いきや 橋の下には 橋マニアかな(二重かずら橋)

かずら橋 源氏の追手(おって) 近寄れば 平家落武者 橋落すとか(同上)

主要部は 鉄のワイヤー 張り強め 今のかずら橋 渡る安心(同上)

()(えん)とは 人力で渡る ロープウェイ 奥祖谷に見る 渓谷の野趣(同上)

重文の 木村家住宅 立ち寄れば 喫茶営み 寛ぎて見る(木村家住宅)

寄棟の 茅葺き屋根は シンプルで 江戸中期築 祖谷最古とか(同上)

祖谷里の 歴史を知るや 大ケヤキ 行く末までも 語り続けよ(同上)

石垣は 城の如くに 見えるかな 武士の気風は 平家末裔に(同上)

トタン屋根 茅葺き屋根に 復元し 景観整備 祖谷再生に(同上)

山腹に 多くの集落 点在す 平野皆無の 祖谷の景観(東祖谷)

西祖谷の かずら橋には 客多く 橋渡らずに 祖谷温泉へ(西祖谷)

憧れの 祖谷温泉に 投宿す 日本三大 秘湯の一つ(祖谷温泉ホテル)

料金に 恥じないほどの 夕食に 秘湯の宿の 鄙びは消えし(同上)

祖谷渓の 温泉らしき 湯にふれて 遍路の旅は 夢と結ばる(同上)

泉温が 少々温く 長風呂に それも満足 渓谷眺め(同上)

渓谷は ライトアップし 岩肌が 女人の顔を 思い出させる(同上)

温泉は ケーブルカーを 設置して 露天風呂へと 敷地を移動(同上)

朝食も 豪華なもので 九品も 味噌汁と御飯 並ぶテーブル(同上)

日本では ケーブルカーの 温泉は 僅か四軒 希少な存在(同上)

祖谷渓の 桜は疎らに 見るけれど 秋の紅葉 さぞ好かろうに(同上)

この宿は 秘湯を守る 会員で スタンプ増える ことも楽しみ(同上)

祖谷渓に 小便小僧 立てあり 昭和中期の 建像と聞く(小便岩)

岩の上 立つのも恐く 尻込みす 小便しても 風に散るかも(同上)

(おお)()()に 遊覧船と 鯉のぼり 天気が悪く 乗船断念(大歩危)

吉野川 日本三大 暴れ川 四国三郎の 異名もありて(同上)

塔なくも (はし)(くら)()には 大伽藍 空海大師 五十五の開基(箸蔵寺)

箸蔵寺 ()刀比(とひ)羅宮(らぐう)の 奥ノ院 真言宗の 御室派本山(同上)

護摩殿は 入母屋造り 唐破風で 江戸末期築 国の重文(同上)

本尊は (こん)()()(だい) 権現(ごんげん)で 住持も知らぬ 絶対秘仏(同上)

軒の絵馬 天狗の面が 掲げられ 絶対秘仏 重ね見るかな(同上)

本殿は 権現造りの 変形で 江戸末期築 豪壮優美(同上)

本尊に 馬頭観音 祀りしと 堂宇の装飾 扉の中も(同上)

御影堂 平成元年 再建で 大師の坐像 自由拝顔(同上)

天神社 道真公を 祀るけど どんな因果か 寺伝にはなく(同上)

極楽寺の 奥ノ院から 参拝す 石鎚登山 帰路の巡礼(石鎚山奥ノ院)

狭隘で 半トンネルの 崖の道 大型バスは 絶対アウト(三碧峡)

白鳳期 役行者が 開基した 真言宗の 極楽寺かな(極楽寺/百名山旅行2) 57

本坊の 金剛閣は 宿坊で 次回は泊り 勤行参加を(同上)

本尊 石鎚蔵王 大権現 総本山で 修験道場(同上)

海の上 車て走る 心地する しまなみ海道 島の吊橋(瀬戸内しまなみ海道)

千光寺 平安初期に 開基して 真言単立 尾道名所(千光寺)

本尊は 千手観音 立像で 本堂舞台 眺望絶佳(同上)

向島 先ほど走った 大橋が 微かに見える 港の入江(同上)

頂部には 宝珠を載せた 玉の岩 圧倒される 岩の大きさ(同上)

大師像 高野山より 譲渡され 金色厨子に 安置されたり(同上)

鐘楼は 朱の楼閣に (しろ)()(きゃく) 桜が咲けば 絵になる景色(同上)

くさり山 鮫の顔にも 見えるかな 嫌われ鮫に 名付け親なし(同上)

鼓岩 叩けばポンポン 音すると 叩いてみても 我に聞こえず(同上)

俳人の 中村憲吉 その旧居 病気療養 過ごした家と(尾道)

尾道の 三重塔 黒ずんで 千光寺とは 好対照に(同上)

福井邸 文学室に 改修し 尾道ゆかりの 文人紹介(同上)

志賀直哉 奈良の旧宅 訪ねたが 尾道の地に あると思わず(同上)

木造の 民家連なる 石畳 車入れず 火事は一大事(同上)

坂道に 旧料亭の 廃屋が 勿体ないと 思い眺める(同上)

懐かしき 模擬天守閣 尾道城 二十歳の頃 見物をせし(千光寺公園)

中腹の 模擬灯台は 不釣り合い 野暮な建物 尾道の裏(同上)

仁王門 風変りな 大草鞋 江戸初期築の 県文化財(西国寺)

天平期 行基の開基 西国寺 醍醐派本山 中国霊場(同上)

本尊は 薬師瑠璃光 如来像 本堂含め 国の重文(同上)

西国寺 大師伝説 聞かぬけど 入母屋造り 大師堂建ち(同上)

本坊は 堂宇連なる 風格で 真言宗の 旧大本山(同上)

本坊の 洗練されし 中庭に 山陽一の 歴史を偲ぶ(同上)

重文の 三重塔 全国に 四十四基 意外と多き(同上)

優美なる 三重塔は 室町期 将軍義教(よしのり) 寄進をせしと(同上)

浄土寺は 聖徳太子 開基して 泉涌寺派の 大本山と(同上)

本堂は 鎌倉末期の 建立で 入母屋造り 国宝指定(同上)

本尊は 十一面の 観音像 重文指定で 宝物館へ(同上)

阿弥陀堂 吉野時代の 建立で 寄棟造り 国の重文(同上)

客殿の 築山泉水 庭園は 室町期作 国の名勝(同上)

多宝塔 本堂に次ぐ 国宝で 全国六基 その一基かな(同上)

浄土寺に 浄土を見たり 春景色 これは国宝 あれは名勝(同上)

客船で 宮島口から 宮島へ 渡る船賃 意外と安く(広島湾)

宮島の 玄関口に 大鳥居 世界遺産の シンボルタワー(宮島)

船上で 弥山の秀峰 眺めれば 我に見せんと 雲隠れする(同上/百名山旅行3) 57

岸辺には 千畳閣の 大社殿 未完ながらも 国の重文(同上)

鮮やかな 五重塔の 朱色かな 室町期築 国の重文(厳島神社)

重文の 五重塔は 全国に 十四基あり 宮島最古(同上)

国宝の (まろうど)神社 優美かな 天神五柱を 祀る摂社と(同上)

各社殿 廻廊を経て 結ばれて 雨の参拝 好都合なり(同上)

御本社に 五重塔が 重なりて 国宝重文 夢の建築美(同上)

御本社は 寝殿造りの 朱塗りにて 平清盛 栄華を写し(同上)

祭神は (いち)()(しま)(ひめ) ()(ごり)(ひめ) (たぎ)()(ひめ)神で 海の三神(同上)

廻廊も 国宝指定の 雅さで 奢る平家の 置き土産かな(同上)

反橋は 鎌倉時代の 建造で 通行禁止の 国の重文(同上)

能舞台 異色な趣 切妻で 元禄時代の 建築と聞く(同上)

能楽屋 入母屋造り 檜皮葺き 舞台を含め 国の重文(同上)

大願寺 鎌倉初期の 創建で 高野山派の 四国霊場(大願寺)

本尊は 楽師如来と 弁財天 薬師坐像は 国の重文(同上)

境内の 九本松は 珍しき 伊藤博文 手植えとされて(同上)

国宝の 平家納経 所蔵する 神仏分離 例外もあり(厳島神社)

多宝塔 室町末期 建立で 国の重文 神社に不似合い(同上)

ばんぼりが 桜の枝に 飾られて 花見まつりの 多宝塔見る(同上)

大鳥居 桜の花と 組み合わせ まだ一分咲き 惜しまれるかな(同上)

目の前に 国民宿舎 聳え建ち 逆側からも 塔を眺めたき

宝蔵は 校倉造り 檜皮葺き 室町末築 これも重文(同上)

入母屋の 千畳閣は 明治以後 豊国(ほうこく)神社に 改称されて(同上)

岩惣の 看板目立つ 門前で 今夜の宿は この老舗なり(同上)

創業が 安政元年 岩惣は 有もとに次ぐ 歴史を重ね(岩惣)

外観は 和様に統一 岩惣は 高級旅館で 生涯一度(同上)

客室は 一人は広き 十畳間 窓の外から 中庭一望(同上)

朝食は ちょと控え目 八皿で 納豆ないのが やはり関西(同上)

瑞巌寺 厳島神社 智恩寺と 寺社で成り立つ 日本三景(同上)

春景色 値千金 高楼の 宿代三万 宮島岩惣(同上)

大聖院 空海大師 開基して 御室派本山 中国霊場(大聖院)

弥山には 大師灯せし 消えずの火 明日も変わらず 闇路を照らし(同上)

七不思議 大師の錫杖 根付いては 八重(やえ)紅梅(こうばい)に 形変えしと(同上)

仁王門 草鞋の奉納 皆無にて 金剛力士に 眺め挨拶(同上)

幟立つ 石段の上 御成門 大本山の 風格を見る(同上)

鳥羽帝の 建立による 勅願堂 波切不動 本尊に祀り(同上/百名山旅行4) 57

本尊は 三鬼と称す 権現で 入母屋本堂 明治末築(同上)

摩尼殿の 石段前の 天狗像 三鬼の一鬼 想像したり(同上)

珍しき 八角小堂 池の中 七福神の 幟が高く(同上)

宮島に 四国に劣らぬ 大師堂 何処(どこ)の空にも 同行二人(同上)

大聖院 明治中期の 火災にて 七堂伽藍 焼失したと(同上)

林家は 神社の神職 その社家は 重文なのに 公開せずと(宮島)

宮島を 離れて口に ダジャレ出る 秋に来ようぞ 安芸の宮島(同上)

広島を 西に向かい 九州の えびの高原 一気に走行(えびの高原ホテル)

えびのには 三十年ぶり 訪ね来て 記憶に残る 国民宿舎(同上)

いつの間 温泉付の ホテルへと 食堂立派に 食事も豪華(同上)

県営の 国民宿舎 遠ざかり リゾートホテル 近づく気配(同上)

客室の 窓の外には 霧島の 翌朝登る 韓国(からくに)(だけ)が(同上)

何となく 蔵王のお釜 思い出す 韓国岳の 大浪の池(韓国岳)

見渡せば 高千穂峰の 霊峰が 朝日に映えて 聳え立つかな(同上)

登山者 全くいない 山頂で 百名山の 登頂祝い(同上)

高原に 鹿の親子か 睦ましく 野生の鹿が 人を恐れず(えびの高原)

門前の 桜が満開 お出迎え 霧島神宮 二度の参拝(霧島神宮)

欽明年 霧島神宮 創建し 瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと) 主祭神とか(同上)

拝殿は 欄間彫刻 鮮やかに 吉備津(きびつ)造りで 朱色の社殿(同上)

本殿を 含めた三棟 江戸中期 再建されて 国の重文(同上)

神木は 八百年の 樹齢とか 南九州 大杉が祖とも(同上)

五年前 再建された 神楽殿 大きな入母屋 目を見張るかな(同上)

神饌所(しんせんしょ) ご朱印頂き 有難き この社殿も 国の重文(同上)

ヤシの木に 開聞岳に 池田湖に 世界一の ウナギの看板(池田湖)

美しき 開聞岳は コニーデで 山頂に立ち 満足至極(開聞岳)

奈良初期に 枚聞(ひらさき)神社 創建し (あま)(てらす)大神(おおかみ) 祀ると聞く(枚聞神社)

枚聞は 薩摩の国の 一宮 新田神社と 背比べかな(同上)

本殿は 江戸後期の 改築で 朱色鮮やか 入母屋造り(同上)

クスノキは 八百年の 樹齢にて 開聞岳と 付き合い永く(同上)

桜島 久々に見ると 煙りなく ヤシの間に 微笑みしかな(桜島サービスエリア)

道路より 霧島連山 眺めては またいつの日か 未練も続く(九州自動車道)

その昔 ユースホステルの 旅館には 思い出もあり 再び投宿(村田家旅館)

客室は 角部屋のため 眺め良く 朝一番に 阿蘇に挨拶(同上)

阿蘇山は 阿蘇の名付く ピークなく 阿蘇山塊の 総称と言う(高森)

阿蘇五岳 阿蘇山ピークで その一座 根子(ねこ)(だけ)見ると ギザギザ頭(同上)

阿蘇山の 最高峰の 高岳を 眺め見るかな 高森峠(同上)

寄り近く 阿蘇高岳を 眺めれば 丸み帯た 山容と見る(箱石峠)

根子岳を 箱石峠で 眺めれば ノコギリの歯に 形変るや(同上)

目の前は 道路一面 枯れススキ 阿蘇の草原 東の果てに(同上)

高岳の 麓に架かる ロープウェイ 仙酔峡を 眼下に眺め(仙酔峡/百名山旅行5) 57

根子岳は 西から見ても ノコギリ歯 ただ歯の形 多少に違う(同上)

神門は 日本三大 楼門で 江戸末期築 入母屋造り(阿蘇神社)

拝殿も 江戸末期の 建築で 社殿六棟 国の重文(同上)

阿蘇神社 肥後(ひごの)(くに)の 一宮 古墳時代の 創建と見る(同上)

主祭神 聞いたことなき 神なれど 阿蘇山神と 思えば分かる(同上)

秘湯では 西の横綱 黒川で 東の横綱 乳頭五湯(同上)

名湯の 黒川温泉 満室で せめて味わう 日帰り入浴(黒川温泉)

黒川の 近くの温泉 田の原は 馬刺しが出たり 湯も悪くなく(田の原温泉)

九重山 名峰重なる 連山で 一座一座を 登りてみたき(九重山)

久住山 百名山を 登頂し 満足感は 値千金(同上)

登山後の (かんな)()温泉 ひょうたん湯 友との別れ 風呂には涙(別府)

湯煙が 無数に上がる 景観は 日本最大 別府温泉(同上)

フェリーから 眺める山は 鶴見岳 三百名山 いつか登らん(同上)

別府から 大阪港に 船出する 二十三泊目 船の客室(同上)

良忍が 平安後期 創建す 大念仏寺 融通念仏宗(大念仏寺)

境内は 伽藍堂宇 林立し 総本山の 寺観を拝す(同上)

本堂は 入母屋造り 平入りで 昭和前期の 再建と聞く(同上)

本尊は 十一尊天 得如来 阿弥陀如来と 十菩薩とか(同上)

宝形の 宝物館に 所蔵する 幽霊掛軸 世に知られたり(同上)

境内は 七千余坪と 広大で 大阪場所の 宿舎もありき

当麻寺(たいまでら) 飛鳥時代の 創建で 真言・浄土 兼宗の寺(当麻寺)

本尊は 当麻曼荼羅 織物で 本堂含め 国宝指定(同上)

塔頭の 護念院には 樹齢約 三百年の 枝垂れ桜が(同上)

護念院 北庭南庭 西塔と 三つの庭が 寺の特色(同上)

西塔は 三重塔で 建立は 平安初期で ケヤキが主材(同上)

当麻寺 国宝三棟 重文は 七棟数える 遺産の宝庫(同上)

花の寺 西南院の 庭園は 池泉回遊 江戸時代作(同上)

東塔も 三重塔の 国宝で 奈良末期築の ヒノキが主材(同上)

中之坊 高野山派の 子院にて 書院は重文 境内は史跡(同上)

庭園は 石州作の 池泉式 国名勝で 大和三園(同上)

奥院は 知恩院派の 本山で 法然坐像を 本堂に祀り(同上)

屋根の上 西塔東塔 並び建ち 桜の花が 雲の如くに(同上/百名山旅行6) 57

燭台も 香炉なし 大師堂 提灯も消え 寂しく拝す(同上)

梵鐘は 白鳳時代の 鋳造で 日本最古と 国宝指定(同上)

重文が 大阪城に 十三棟 意外と残る 天下の名城(大阪城)

大手門 江戸初期築 薬医門 黒光りする 鉄製扉(同上)

楼門の 多聞櫓は 江戸後期 鏡柱が 太く造られし(同上)

天守閣 昭和初期の 再建で 江戸と桃山 外観復元(同上)

望楼は 豊臣時代 下層部は 徳川時代 ごちゃ混ぜ天守(同上)

現天守 五重八階 入母屋で 望楼階に 虎の装飾(同上)

西の丸 北政所(きたのまんどころ) 屋敷跡 迎賓館と 庭園になる(同上)

銅屋根は 豊国(ほうこく)神社と 修道館 様々変る 城の風景(同上)

森之宮 奥に連なる 生駒山 逆の眺めを 楽しみとする(同上)

大砲は 天保山に 江戸末期 設置されては 大阪城に(同上)

廓には 五ヶ所の井戸が 有りしとか 金明水の 屋形は重文(同上)

明治初期 豊国神社 創建す 豊臣二代 祭神として(豊国神社)

境内の 秀石庭は 見事かな 銘石集め 鋭鋒と成す(同上)

大阪に 来るたび寄りし 友の家 友ありてこそ 身近な街に(玉造)

室町期 岸和田城は 築城し 江戸期に入り 岡部氏居城(岸和田城)

隅櫓 昭和後期の 再建で 桜の花にと ほぼ同じかな(同上)

天守閣 昭和中期の 再建で 連結式の 三層三階(同上)

江戸初期は 五重五階の 大天守 六万石の 格式高く(同上)

本丸に 八陣の庭の 石庭が 天守と共に 作庭せしと(同上)

四分咲き 岸和田城の 桜かな ソメイヨシノが 百七十本(同上)

岸和田は だんじり祭が 有名で 岸和田城は 今日魅力知る(同上)

天守より 八陣の庭 眺めれば 諸葛孔明 編み出し布陣(同上)

五風荘 昭和前期の 建築で 寺田財閥の 豪華な別邸(五風荘)

天守より 俯瞰すれば 五風荘 七棟ほどの 屋根が重なり(同上)

岸和田の (きし)()神社は 産土(うぶの)(かみ) だんじり祭は 九月の催事(岸城神社)

槇尾山 中腹に建つ 施福寺は 空海大師 所縁の寺で(施福寺)

欽明期 行満開基 施福寺は 天台宗の 西国霊場(同上)

茅葺きの 愛染堂は 沙門時の 空海大師 剃髪の跡(同上)

本尊は 十一面千手 観音像 寄棟本堂 江戸末期築(同上)

施福寺で 葛城山を 眺めれば 咲き始めたる ヤマザクラかな(同上)

コンドラは 物資を運ぶ ロープウェイ 石段登る 助け船でも(同上)

本坊は 少し寂れた 風情にて 真言宗に 改宗すればと(同上)

塔頭に 人影がなく 無住かな 立派な石垣 崩れもせずに(同上/百名山旅行7) 57

施福寺を 降りた所に 弁財天 満願滝に 大師の像も(同上)

高野山 四国霊場 満願後 参拝通例 奥ノ院かな(高野山)

高野山 攻めようとせし 秀吉の 供養塔建つ 奥ノ院には(同上)

奥ノ院 英霊殿は 荘厳で 昭和大戦 戦死者祀る(同上)

他宗派の 親鸞霊堂 奥ノ院 大師の教え この寛容さ(同上)

大門は 入母屋重層 大伽藍 江戸中期築 国の重文(同上)

江戸前期 天徳院は 創建す 加賀前田家の 利常夫人が(天徳院)

本尊は 山越阿弥陀 如来像 覚法親王 尊信せしと(同上)

庭園は 小堀遠州 作庭で 池泉鑑賞式 国の名勝(同上)

絵と同じ 名前で売れる 庭もあり 夢窓国師に 小堀遠州(同上)

高野山 蓮華八葉の 総称で 弁天岳は その一座なり(弁天岳)

標高が 九百八十 メートルの 弁天岳に 三角点が(同上)

山頂の 展望といえば 山ばかり 大和の国に 六重七重に(同上)

山頂に 瀟洒(しょうしゃ)な小社 建ちてあり 弁財天は 山の女神でも(同上)

山頂を 南に下ると 女人堂 歴史を紡ぐ 高野七口(同上)

女人堂 電車ケーブル 乗り継いで 高野に入る 玄関口でも(高野山)

地味ながら 小田原通りに 多宝塔 江戸後期築 金輪塔(きんりんとう)とも(同上)

霊屋は 家光による 建立で 祖父と父とを 高野に祀る(同上)

二棟とも 装飾豪華な 宝形で 唐門含め 国の重文(同上)

南院の 浪切不動 立像は 大師の作で 国の重文(同上)

白鳳期 役行者が 開基せし 奈良の(おお)()() 桜の名所(大野寺)

宇陀川に 弥勒菩薩の 磨崖仏 鎌倉初期の 線刻史跡(同上)

本尊は 弥勒菩薩の 立像で 空海大師 安置と伝承(同上)

境内に 小糸枝垂れの 古木二本 他に紅枝垂れ 十本ほども(同上)

高雅なる 小糸枝垂れの 桜かな 古木の樹齢 三百年と(同上)

観光の 順位は下の 砂丘でも 日本三大と 聞いて見物(浜岡砂丘)

空中の 砂丘の眺め 良かろうぞ モーターハングか 熱気球から(同上)

名前だけ 知ってはいた 御前崎 訪ねてみれば 変哲なき海(御前崎)

灯台に 寄り添う鉄柱 電波塔 景観無視は 御前崎でも(同上)

灯台と 暮らした歴史 住宅に 寄棟屋根は まだ新しく(同上)

見渡せば 遠州灘の 大砂丘 中途半端に 白波の上(同上)

一軒の ホテルの前は 駿河湾 車も人も 殆どおらず(同上)

(さい)(おく)() 室町時代 連歌師の 宗長の草庵 寺に改め(柴屋寺)

庭園は 国の名勝 早咲きの ツツジも見えて 春の趣(同上)

池の(なり) 北斗七星 かたどった 池と聞きしも つつじに隠れ(同上)

茶室から 眺めだけの 庭園に 庭木が多く 窮屈感が(同上)

茶室には (てん)(ちゅう)(ざん)が 聳え立つ ()(げっ)(ぽう)なる 山号となり(同上)

茅葺きの お堂の中に 宗長の 法衣姿の 木像鎮座(同上)

柴屋寺 臨済宗の 禅寺で 十一面観音 本尊として(同上)

三門は 明治末期の 再建で 木造築で 日本三大と(久遠寺/百名山旅行8) 57

久遠寺は 日蓮宗の 総本山 鎌倉時代 (さね)(なが)開基(同上)

三門で 解脱しては ()(だい)(てい) 約三百段 石段上り(同上)

本堂は 昭和末期の 再建で 三宝尊が 本尊とかや(同上)

祖師堂は 日蓮祀る 大伽藍 明治前期の 再建と言う(同上)

祖師堂の 枝垂れ桜は 樹齢約 四百年と 江戸初期生えて(同上)

仏殿の 枝垂れ桜も ほぼ同じ ただ枝振りは 糸の如くに(同上)

聖人の ()(しん)(こつ)(どう)の 拝殿で 波乱に満ちた 生涯偲ぶ(同上)

客殿は 入母屋造り 平入りで 総本山の 風格豪壮(同上)

境内に 五十二本の 桜咲き しだれ桜の 日本十選(同上)

開基堂 実長像を 安置した 室町末期の 二重塔で(同上)

奥ノ院 ロープウェイで 上るかな 今季の旅で 六本目となり(同上)

()延山(のぶさん) 標高石柱 山頂に 更なる上に 奥ノ院建ち(同上)

仁王門 昭和前期の 建築で 八脚門の 切妻造り(同上)

聖人が 故郷偲んだ ()(しん)(かく) 入母屋妻入り 大正期築(同上)

塔頭は 三十四坊 身延山 竹之坊は (にち)(ろう)開基(同上)

御廟所は 祖廟と称し 拝殿は 昭和前期の 切妻平入り(同上)

聖人の 草庵跡に 石碑立つ 草庵再建 望む石囲い(同上)

身延では (しも)()温泉 宿泊す 木造三階 予約が取れず(下部温泉)

開湯は 平安初期で 信玄の 隠し湯とされ 湯治場となる(同上)

湯の里の 下部温泉 十二軒 ホテルや旅館 隣接するかな(同上)

投宿の 橋本旅館の 夕食は 膳に九品 部屋食は良し(橋本旅館)

泉質は 単純泉で 泉温が 低温のため 加温してあり(同上)

創建は 古墳時代で 正式名 富士山本宮 浅間(せんげん)大社(富士宮浅間大社)

この大社 駿河(するが)(のくに)の 一宮 浅間神社の 総本社でも(同上)

祭神は (この)(はな)()()() ()毘売(びめ)とか 浅間(あさまの)大神(おおかみ) 富士山の神(同上)

各社殿 朱色に塗られ 統一し 桜の花に 麗しきかな(同上)

本殿は 浅間造りの 重層で 江戸初期建築 国の重文(同上)

富士山の 伏流水が 湧き出る (わく)(たま)(いけ)は 国の特天(同上)

その昔 湧玉池で 身を清め 六根清浄 唱え登山と(同上)

境内に 約五百本 桜咲き ぼんぼり飾り 浅間大社(同上)

晩年は 沼津に移住 松原に 若山牧水 記念館あり(若山牧水記念館)

書斎には マント姿の 牧水が 旅から戻り 筆握るかな(同上)

この一首 牧水の名を 響かせた 芭蕉を慕い 旅こころ詠む(同上)

松原を 三年前は 自転車で 走りし思い 再び熱く(千本松原/百名山旅行9) 57

楽寿園 宮家別邸 明治期に 造営されて 戦後公園に(楽寿園)

富士山の 噴火で流れた 溶岩が 縄状となり 露頭するかな(同上)

富士山の 一万年の 記念物 三十キロも 溶岩押し寄せ(同上)

楽寿館 明治中期の 建築で 数寄屋造りの 宮家住宅(同上)

園内は 二万余坪の 広大さ 池泉庭園 国の名勝(同上)

高価かな 鞍馬灯籠 その価格 当時の金で 百万円と(同上)

湧水の 小浜(こはま)(がいけ)と 見るならば 灰色の濁り 気にかかる(同上)

池の中 鴨の群れには 白鳥が 北に帰らず 一羽寂しく(同上)

現存の 国分寺めぐり 伊豆の旅 山門本堂 コンクリート造(伊豆国分寺)

本尊は 釈迦如来の 国分寺 日蓮宗でも 本尊変えず(同上)

国分寺 昭和中期に 調査され 寺の一部が 国の史跡に(同上)

熱海には 今度の泊まり 初めてで 無難な宿に かんぽを選ぶ(かんぽの宿熱海別館)

客室の 眺め抜群 かんぽかな 温泉都市の 熱海一望(同上)

恵まれた 立地に位置し 建ちしかな さすが簡保は 旧国営で(同上)

長寿寺は 足利基氏 創建し 建長寺派の 小さな末寺(長寿寺)

山門と 観音堂は 茅葺きで 古都鎌倉に 山里観が(同上)

鎌倉の 未訪の寺を めぐるかな 海蔵寺は 建長寺末(海蔵寺)

創建は 六代将軍 親王で 室町初期に 中興されし(同上)

境内に 鎌倉(じっ)(せい) 底抜(そこぬき)() 抜けた桶底 和歌に詠まれて(同上)

寄棟の 茅葺き屋根の 二階建て 出桁造りの 江戸時代の庫裡(同上)

鎌倉の 奥座敷とも 海蔵寺 庭の離れを 離れ眺めん(同上)

洞窟の 十六の井は 謎の穴 空海大師の 伝説ありき(同上)

谷間には 宇賀(うが)(ふく)神社の 小社建つ 頼朝創建 奥に弁天(宇賀福神社)

境内は 大勢の人 参拝す 弁財天の ご利益求め(同上)

銭洗い 弁財天が 別称で 霊水を汲み 硬貨を洗う(同上)

鎌倉で 結ぶ旅路は 長きかな 約一ヶ月の 霊場霊山(同上)

国宝の 鎌倉大仏 背に桜(鎌倉大仏 昔の上屋 夢の如くに(同上)

立ち止まる (すん)松堂(しょうどう)の 建物に 城の櫓と 寺の庫裡見る(寸松堂)

鎌倉の 小学校に 御成門 旧御用邸の 冠木門と(御成小学校)

木造の 鄙びた校舎 二階建て 二つの搭屋 屋根に聳えて(同上)

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