長句(短歌・狂歌)旅行編その8
今回は 八丈富士に 登るため 羽田空港 飛行機で訪ね(展望台/八丈島の旅1) 59歳
太平山 八丈小島に 聳え立つ 無人島となり 四十年に(同上)
南端の 中之郷には 家屋なく 大賀郷に 白き家並みが(同上)
三原山 東山とも 称されて 伊豆大島の 山と混同(三原山遠望)
島内に 温泉施設 七ヶ所で みはらしの湯は 末吉にあり(みはらしの湯)
泉質は 水素イオンが 中性で 高温泉の 食塩泉と(同上)
灯台が 役割終える 日も近く 沖行く船は GPSで(八丈島灯台)
木造の 八丈支庁の 建物を 歴史民俗 資料館に(八丈島歴史民俗資料館)
何処となく 木造校舎 思い出し 懐かしく見る 廊下が続く(同上)
海辺から 玉石探すも 大変で これほど多く 運びしものぞ(玉石垣)
詰め物も 無いのに崩れぬ 玉石に 感服しつつ 歩み行くかな(同上)
秀家は 三成方に 味方して 八丈島に 流刑されたて(宇喜多秀家墓)
秀家は 赦免の話 聞きもせず 島を愛して 天寿全う(同上)
園地には 海水浴場 野営場 秋はひっそり 波音ばかり(底土園地)
岩礁に 三角形の 白い岩 名前ないので 親子岩とでも(八重根港)
岩壁に 五百トン級 貨客船 八丈島から 青ヶ島へと(同上)
秋風や 八丈富士の 二度登り 待てば海路の 日和ありけり(八丈富士)
港には 漁船も数隻 停泊し 岸に市場の 白い建物も(八重根港)
泳いでも 渡れそうな 距離にある 八丈小島に 渡し船なく(八丈小島)
千畳の 名付く海岸 聞くけれど 火山岩の 平地珍し(南原千畳岩海岸)
黒ずんだ 千畳岩に 白い波 海は紺碧 空は水色(同上)
秋空に 名所重なる 景色かな 八丈小島 千畳岩に(同上)
秀家と 豪姫の像 距離を置き 八丈富士に 並び建つかな(大潟浦園地)
石小屋は バーベキューの 東屋で 大海原の 景色眺めつ(同上)
沖を行く 船や鳥さえ 見当たらず 水平線に 補陀落思う(同上)
中腹の ふれあい牧場 島の糧 自給自足が 島の理想で(ふれあい牧場)
品種ごと 放牧している 様子にて 褐毛和牛 伸び伸びとし(同上)
三原山 山頂までは 道路あり レンターカーで 昨日上りし(同上)
牧場の 展望台は 眺め良く 島の中央 三根地区一望(同上)
園内に 熱帯植物 百種とか 東京ドーム 五倍の広さ(八丈植物公園)
見慣れても ハイビスカスは 南国の イメージダブる 別格の花(同上)
ヘリコニア ゴールデントーチ 名如く 黄金の炬火 複雑な花(同上)
仰ぎ見る 神止山の 背後には 思いもよらず 八丈富士が(同上/八丈島の旅2) 59歳
昭和末 現天皇が 訪問し 行啓記念 モニュメントと(同上)
何故ここに カンムリヅルが いるのかと 奴隷の鳥は アフリカ遠き(同上)
がきデカの 漫画に登場 鹿のキョン 八丈島の キョンと知られて(同上)
園内に 水辺を見るのは この池で 物足りなさは 今後の課題(同上)
八丈に 流人の島の 暗さ消え いで湯の島に 明るく推移(同上)
西山に 八丈小島 並ぶかな 植物園の 好奇の眺め(同上)
島の神 天照の神 中心に 五柱の神を 祭祀するかな(天照皇太神宮)
島酒は 流人が伝えた 焼酎で 四社が酒造 十銘柄と(同上)
三根には 登龍峠 展望所 新東京の 百景なりと(登龍峠)
観光地 不可欠なのは 展望所 都市のタワーに 城の天守閣(同上)
眼前に 八丈富士と 神止山 奥に小島の 太平山が(同上)
岩礁に 小岩戸ヶ鼻の 南端が 人遠ざけて 佇むばかり(洞輪沢海岸)
末吉の 石積ヶ鼻 高台に 白亜の灯台 白波の上(八丈島灯台)
灯台を 眼下に見るは 珍しく 浜で眺めた 景色は逆に(名古の展望台)
温泉は 半露天の 風呂一つ 男女混浴 水着着用と(裏見ヶ滝温泉)
日光の 裏見ノ滝を 思い出す 八丈島に 裏見あるとは(裏見ヶ滝)
滝の水 三原川へと 流れ落ち 見た目よろしき 木造の橋(同上)
戦後には 一万二千の 人口が 今七千と 港も静か(中之郷漁港)
高台に やすらぎの湯の 足湯あり 海の夕日の 眺め良さそう(やすらぎの湯)
石室は 中将院の 石祠で 流人となり 島で自害と(中将院の石室)
樫立の ふれあいの湯に 内風呂と 露天風呂あり 泉質も良く(樫立向里温泉)
四ヶ所の 温泉めぐり 島の旅 八丈島に 心身満たされ(同上)
大坂に 大賀郷と 樫立を 結ぶトンネル 眺望絶佳(大坂トンネル展望台)
島内に 小さな漁港 六ヶ所で 八重根漁港 最後に訪ね(八重根漁港)
創建は 不詳なるかな 明神社 秋の大祭 二日にわたると(天照皇大神宮)
入母屋の 小さな社殿 見劣りす 島の財力 社殿に比例(同上)
創建は 鎌倉初期の 宗福寺 室町末期 浄土宗となり(宗福寺)
ケンチャ・ルマ 二泊の宿に 三日月と 宵の明星 寄り添う如く(ケンチャ・ルマ)
薬師堂 古きは寺号 満願寺 薬師如来と 十二神像(薬師堂)
八丈の 原生林の ベコシダは 太古の時代 思わせるかな(原生林)
松山に 仕事で赴任 挨拶は 四国霊場 円明寺から(円明寺53/四国霊場逆打ち巡礼1) 62歳
憧れの 空海大師と 遍路旅 同行二人 新たな暮らし(同上)
宿舎から 歩いて十分 大師堂 身近になりし 四国霊場(同上)
観音経 唱えて登る 経ヶ森 母とも思う そのお姿に(太山寺52)
元親も 焼く尽きせない 寺もあり 伊予の石手寺 太山寺かな(同上)
在りし日の 五重塔を 見る如く 陶器の小塔 色鮮やかに(同上)
国宝の 入母屋屋根の 本堂が 七百年目の 夏の青空に(同上)
石塔が 未練がましく 見えるかな 再建すべき 五重塔は(同上)
太子堂 夢殿風の 建築で 昭和後期の 八角円堂(同上)
四国でも 翁に会えた 喜びは 霊場よりも 貴重に思う(同上)
境内の 本坊エリアに 茶室あり 格式高き 札所もありき(同上)
本堂の 相輪越しに 女体山 薬師如来の 本尊守り(大窪寺88)
大窪寺 女体山と 遍路みち 未だ見ぬ先の 扉を開かん(同上)
山門の 三つ棟木は 珍しく 大クスノキの 影が写らん(長尾寺87)
屋島では 武勇を馳せた 義経も 静と共に 哀れを誘う(同上)
秘仏など 昔はなかった はずなのに 秘仏を生んだ 寺の傲慢(同上)
重文の 三つ棟木の 山門は 日本三大 名門と聞く(志度寺86)
新しき 平安時代の 到来に 空海大師の 理想は光る(同上)
篤志家の 大きな夢が 聳え立つ 五重塔は 昭和の寄進(同上)
志度寺では 空海大師 縁なくも 平賀源内 学舎の寺(同上)
志度寺には 飛鳥時代の 奥ノ院 小札所より 立派に見えし(同上)
地蔵寺の 寺号がありき 奥ノ院 文殊菩薩の 本尊意外(同上)
創建は 凡園子尼 海女の祖で 藤原不比等の 妻とも言いし(同上)
石鳥居 歓喜天の 名が見えし 本尊よりも 尊ばれもし(八栗寺85)
寂れたる 門前通りの 入口に 新たな希望 お迎え大師(同上)
五剣山 同行二人は 果て知らず 登れぬ山に 登った感激(同上)
四国では 讃岐うどんの 店ばかり 信じられない うどんの文化(六六庵)
寂れ行く 屋島山頂 景勝地 無常に響く 寺の鐘の音(屋島寺84)
巡礼に 田村神社は 不可欠で 一宮では 両参りかな(田村神社)
鳥居には 龍の彫刻 ユニークに 田村神社は アートが多し(同上)
拝殿は 江戸後期の 入母屋で 千鳥破風に 唐破風向拝(同上)
江戸初期に 神社の別当 解かれては 一宮寺は 札所に推移(一宮寺83)
弘法の 伝説だけが 一人旅 空海大師と 我れは呼ぶなり(同上)
流転した 石造宝塔 風化して 鎌倉時代 修復できず(同上)
野暮塀と 名付けてみたり 寺の塀 粋な黒塀 耳に残りて(同上)
根香寺の 広き石段 遍路なく 我のみ上る 盂蘭盆会かな(根香寺82)
花蔵院 五大明王 五大堂 大師が祀り 開創せしと(同上)
欅より 人の命は 短くも 人はさすらい 人は思考す(同上)
普段なら 七棟門に 白衣あり お盆の日には 遍路も休み(白峯寺81)
境外に 崇徳上皇 陵墓あり 悲劇を聞きて 鳴かぬ不如帰(同上)
尊称や 大師と太閤 一人占め 空海大師 太閤秀吉(同上)
円珍の 開基とされる 白峯寺 空海大師 井戸掘り伝説(同上)
万が一 獣と山で 鉢合せ 追い払うには 杖は不可欠(遍路道/四国霊場逆打ち巡礼2) 62歳
遍路みち 四国のみちと 重複し 未来に残す 歴史的みち(同上)
道中に 粋な東屋 休憩所 展望台を 兼ねているらし(同上)
何故ここに 石鎚神社の 名があると 社殿らしきは 近場にはなく(同上)
五色台 山頂に立つ 道もなく 唖然としたり 四国巡礼(同上)
洞窟に 石仏三体 安置せし 崩落防止で 立入り禁止(同上)
国分寺 あってはこその 仏教が 今も栄える 四国巡礼(讃岐国分寺80)
珍しき 相輪の立つ 大師堂 四門四宗 四国巡礼(同上)
我が愛車 加齢によりて 小型車に 白峰宮に 安全祈願(白峰宮)
祭神は 保元の乱の 崇徳院 崩御の年に 創建されしと(同上)
亡き院を 西行法師が 哀悼に 訪ねしことを 思い出すかな(同上)
怨念を 鎮めるための 神社さえ 祈祷をするは 僧侶の勤め(天皇寺79)
そうめんが 食べたいような 八十場かな ところてんでは 食事にならず(八十蘇場)
霊場の 背後に聳える 山々に 登ってみるのも 同行二人(郷照寺78)
坂出の 街を一望 郷照寺 景色気になり 経はおろそか(同上)
新しき 堂宇見るたび 安堵する 喜捨寄進の 廃れぬことに(同上)
霊場に 神仏習合 復活し 嬉しく思う 日本宗教(同上)
郷照寺 奥ノ院は 無いと聞き 庭園拝み 時宗浄土と(同上)
多宝塔 基壇よりも 亀腹が 私は好きだ 独自の工夫(道隆寺77)
気骨ある 軍人もあり 明治の世 私心を捨てた 姿ぞ見ゆる(金倉寺)
ライバルの 天台真言 共存す 四国における 歴史の推移(同上)
ゆっくりと 時間をかけて 参りたい 札所に眠る 大師の遺産(善通寺75)
勅使門 昭和前期の 四脚門 前は唐破風 後ろ切妻(同上)
宿坊に 一夜宿りて 朝夕の 勤行するは 遍路の極み(同上)
宝物は 国宝二点 重文は 仏像二体 以外に少なし(同上)
戦時には 善通寺のみ 総本山 大師も嘆く 宗派乱立(同上)
基壇には 見慣れた山を 背に受けて 修行大師の 像が豪華に(同上)
塔頭の 子安観音 観智院 お盆休みで 御守所閉じ(同上)
善通寺 京の東寺 高野山 空海大師の 夢はそのまま(同上)
金堂の 薬師如来は 丈六で 北川雲長 彫像と聞く(同上)
霊場は 空海大師の 夢のまま 理想を求め 法を嗣ぐべし(同上)
何よりも 水が一番 その暮らし 産湯の水も 末期の水も(玉の泉)
塔頭の 玉泉院は お大師の 創建と聞く 奥座敷かな(玉泉院)
本尊は 阿弥陀如来で お大師が 玉の泉で 開眼せしと(同上)
旅人の 神とぞ慕う 御三人 その面影を 求めて止まず(同上)
諦めて 終えるは易し 探し物 大事な物に 手を離さず(甲山寺74)
西行も 芭蕉も訪ねた 高野山 我拝師山に 芭蕉を誘う(出釈迦寺73)
霊場に 求める心 ただ一つ 大師はそこに おわすと信じ(曼荼羅寺72)
台座には 万民豊楽 如来像 曼荼羅世界 大日の中(同上)
弥谷寺 五百四十の 石段は 札所最大 難路かな(弥谷寺71)
弥谷寺 老若男女 往来す 一期一会の 遍路の世界(同上/四国霊場逆打ち巡礼3) 62歳
弥谷寺 本堂の先を 進み行く 人影はなく 我が陰を踏む(同上)
お大師の 学びし寺の 岩窟は しばし大師が 籠りし岩と(同上)
弥谷寺 善通寺派の 大本山 七堂伽藍 山に点在(同上)
ヒメシャラや 七堂伽藍 本山寺 他に花なし 鐘の音もなし(本山寺70)
秘仏より 身近に拝む 仏こそ 現世利益の 有難さかな(同上)
枯木でも また幹となる 楠に 琴弾山の 神業を見る(観音寺69)
間借りせず 八幡宮に 戻る日を 願いてやまぬ 未来の霊場(神恵院68)
神仏 明治の分離 久しくも 寺社に詣でる 二本の心(同上)
奈良の世と 平安の世を 甍越し 琴弾山の 不思議な霊気(同上)
遍路らの 知らぬ本坊 その庭も 秘仏に続く 庭はありけり (大興寺67)
霊場を 盛り上げんとす 雲辺寺 坐したるままの 寺もあるのに(雲辺寺66)
氏寺の 建材探し この山に 十六歳の 大師が登山(同上)
雲辺寺 四季折々の 風情あり 夏場を避けて 秋にまた来よう(同上)
三角の 護摩壇築き 修法し 空海大師 中興せしと(三角寺65)
霊場に 霊山探す 遍路みち 歴史を刻み 佇む古道(同上)
廻廊が 鳥の両翼 見る如し 優美な本堂 前神寺かな(前神寺64)
霊峰の 石鎚山の 山頂に 空海大師は 待って久しく(同上)
未だ見ぬ 仏の姿 毘沙門天 そのうつし身が 謙信そのもの(吉祥寺63)
隠された 日本の歴史 数多く 天皇陵と 大師の自彫 (宝寿寺62)
宝寿寺は 霊場会を 脱会し 逆打ち記念 散華は別で(同上)
香園寺 巨大なホール 本堂で 大師堂兼ね 異色の寺観(香園寺61)
教会の ホールの如く 本堂に 大日如来 黄金放つ(同上)
宿坊に 惹かれ続けて 四十年 機会があれば 空室を問う(同上)
赤子抱く 子安大師の 立像は 慈愛に満ちた 大師の姿(同上)
遍路みち 金のかからぬ 古道なり 平野林道 新たな山賊(横峰寺60)
大木の 幹かと思う 大岩に 断層細き 自然造形(同上)
休憩所 避難小屋にも 見えしかな 寝袋あれば 遍路宿にも(同上)
横峰寺 やっと到着 境内に 秘境の如き 寺の雰囲気(同上)
霧の中 その山容が 目に浮かぶ 石鎚山の 晴れ渡る顏(同上)
天平の 甍も遠き 国分寺 今は遍路の 鈴の音響く(伊予国分寺59)
塔一宇 二十億円の 大事業 どこから金が 湧き出でたのか(同上)
山頂に 見晴らしもなし 作礼山 頂きに立 それも満足(仙遊寺58)
お大師が 自己の像より 山頂を いたわり愛せと 言うが災害(同上)
寺以外 見向きもされぬ 遍路みち 札所めぐりは スタンプラリー(栄福寺57)
傘を差し 巡る堂宇に 降る雨を 慈雨と思えば 雨もまたよし(同上)
札所では 修行大師の お出迎え 合掌しては 往復挨拶(同上)
愛媛には 山門の無き 寺多き 昔の寺観 いつ戻る哉(泰山寺56/四国霊場逆打ち巡礼4) 62歳
横一列に 並んだ堂宇 泰山寺 大師堂のみ 移転で離れ(同上)
大師堂 百年経ての 修復は 大正もまた 遠くなり行く(南光坊55)
蕉翁の 終わりなき旅 句碑に見る 全国各地 三千二百(同上)
延命寺 空海大師 名ばかりで 中興したか 疑わしきかな(延命寺54)
札所には 墓地があるのは 珍しく 軍人墓地に 立派な棹石(同上)
近見山 いずれは訪ねん その史跡 延命寺の 奥ノ院かな(同上)
国宝の 仁王門から 回廊が 醜く見えし 千社札かな(石手寺51)
年収が 百万以下の 寺もあり 格差社会は 寺にも及ぶ(同上)
洞窟は 都卒天洞 霊場で 地蔵石仏 ずらりと並び(同上)
出口には お迎え大師 待ち受けて 十悪の有無 問いただすかな(同上)
いい加減 それが日本ぞ その歴史 廃仏毀釈 鬼畜英米(同上)
名僧の 足跡残る 繁多寺は 小春日和の 陽気にみちん(繁多寺50)
経を詠み 今日一日の 幸願う 無常の上の 旅なればこそ(同上)
歓喜天 大師招きし インド神 夫婦和合の シンボルとして(同上)
四国でも 空也聖の 姿見る 京都の他に 像があるとは(浄土寺49)
名水で コーヒーを煎れる 茶屋もあり その一時も 四国巡礼(西林寺48)
人間は 刺激を受け 燃えるもの 私に芭蕉 芭蕉に西行(八坂寺47)
本堂に 三人連れの お遍路が 女子会のよう 参拝したり(同上)
鰐口を 叩く女性は 欧米人 遍路の姿 多彩となりて(浄瑠璃寺46)
一つだけ 願い叶える 弁天が 巨木の先の 白き台座に(同上)
巨大なる 鏡を掲げ 写したい 岩屋に佇む 寺観の姿(同上)
札所には 未来に向かう 気概なく 遍路頼りを 大師は嘆く(大宝寺44)
基壇だけ コンクリート造 大師堂 昭和後期の 再建とかや(同上)
霊場は 宗派を超えた 結び付き お大師様の 理想一つに(明石寺43)
熊野こそ 伊勢や出雲を 凌ぐ神 日本の国は 熊野がありき(同上)
晩秋の 寺に響く 鐘の音 遍路の願い それぞれの幸(佛木寺42)
拝むにも 粗末な作の 石像に 祈るも空し 大師はいかに(同上)
佛木寺 八角屋根の 太子堂 太子と大師 仏教の祖師(同上)
その昔 四国霊場 総鎮守 神仏分離で 本堂社殿に(龍光寺41)
神仏 分かれ別れて 寂しそう 千年続いた 歴史思わば(同上)
ふるさとは 何処にでもあり 山の里 三間の札所 それを見るとは(同上)
宿坊に 泊まる嬉しさ 別世界 仏と共に 眠る気がして(観自在寺40)
秘仏より 我に尊き 紫電改 プラモ作りて 夢見た翼(同上)
五感では 目こそ第一 宝物 失明すれば 闇の世界に(延光寺39/四国霊場逆打ち巡礼5) 62歳
境内で 最も立派な 庫裡の屋根 檀家なくても 札所で潤い(同上)
補陀洛は 金剛福寺 そのもので 奈良を思わす 七堂伽藍(金剛福寺38)
新旧の 十三石塔 二基が建つ 金剛福寺の 江戸と平成(同上)
独身で 商売不向きの 我れなれば 願うことなく 打ち終えて行く(岩本寺37)
客殿に 格式誇る 唐門が 奈良創建の 清瀧寺かな(清瀧寺35)
高知県 神仏分離 四国一 琴平神社 残る清瀧寺(同上)
束の間の 四国統一 長宗我部 急ぎ過ぎたか 信長よりも(同上)
零番の 西安札所 青龍寺 最も遠い 国となりゆく(青龍寺36)
大師堂 恵果阿闍梨の 墓所横に 師弟関係 国を隔てて(同上)
様々な 伝説憶測 聞くけれど 大師が誘う 長閑な景色(種間寺34)
鐘楼に よく似た建屋 観音堂 底抜け柄杓 数多吊るされて(同上)
憎しみは いずれ消えゆく 雪蹊寺 亜米利加憎しと 誰も語らず(雪蹊寺33)
長宗我部 滅んだ後は 尾張衆 よさこい節と 阿波踊りあり(同上)
高知では 英雄とされる 元親の 神社寂しき 墓は苔むし(秦神社)
霊場や 秘仏秘仏の 劇場か 善光寺でも 開帳するのに(禅師峰寺32)
秋風は 潮の香りを 漂よわせ 椅子に座禅す 禅師峰寺かな(同上)
高知には かつおのたたき 栗焼酎 まだ出会えぬは 鍋焼きラーメン(同上)
竹林寺 七堂伽藍 名園も 文殊菩薩は 日本三大(竹林寺31)
楼門は かつての山門 重文で 土佐神社の 社殿に移行(土佐神社)
秘仏にも 様々ありて 面白き 偶像崇拝 ここに極まり(善楽寺)
国分寺 完全復元 するなれば 首里城と並び 世界遺産か(土佐国分寺29)
近場には 紀貫之の 屋敷跡 国分寺にも 参拝せしか(同上)
梵鐘は 高知最古の 重文で 紀貫之も 聞きし鐘の音(同上)
地蔵堂 昭和後期の 建築で 護摩堂兼ねし 六角堂とも(大日寺28)
本堂と 大師堂のみ 参拝し 見向きもされぬ 奥ノ院かな(同上)
石段を 上った先に 大師像 金剛杖に 導かれつつ(神峯寺27)
昭和まで 土佐の関所の 難所にも 道路開かれ 不評返上(同上)
本坊の 日本庭園 素晴らしく 前住職の 築庭と聞く(同上)
本殿は 明治期までは 観音寺 その外観は 入母屋造り(神峯神社)
無住社の 神峯神社 廃れても 神峯寺の 奥ノ院兼ね(同上)
ゆっくりと 時を気にせず 登る山 空海大師の 八十八座(同上/四国霊場逆打ち巡礼6) 63歳
室戸にも 京の文化が 花開き 盛時の西寺 七堂伽藍(金剛頂寺26)
海岸に 室戸岬と 室津港 これから歩む 逆打ちの道(同上)
霊場の 堂宇は焼けて 滅んでも 本尊だけが 残る不思議さ(津照寺25)
津照寺の 境内狭く 空き地なく 鐘楼門は 良きアイデアか(同上)
その昔 我も船乗り 室戸沖 舵を握った 思い出ありき(同上)
目標は 無限に広がる 旅の日々 知識も同様 理趣経を読む(同上)
安国寺 そんな時代も ありしこと ふと思い出す 東寺かな(最御崎寺24)
信じ合う ことぞ尊き 結び付き 空海大師に 導かれつつ(同上)
明治まで 女人禁制 西寺で 代替参拝 行当諸堂(行当西寺)
不動岩 金剛頂寺 奥ノ院 燭台もなく 少々哀れ(同上)
信心は 自然を離れ 遠ざかる 山は嘆きて 海は憂いて(同上)
奈良時代 行基の開基 八坂寺 別格霊場 鯖大師とも(鯖大師本坊)
塩鯖を 馬子より乞いて 蘇生さす 大師伝説 寺の由来に(同上)
多宝塔 般若心経 塔と呼び 聖観音像 祀りしと聞く(同上)
建立は 六年前の 多宝塔 寺観整う 鯖大師かな(同上)
侮れぬ 別格霊場 鯖大師 高野山派の 末寺でもあり(同上)
宿坊に 温泉あれば 閑古鳥 遠く飛び去り 賑わうものと(同上)
毎朝の 勤行だけで 達せない 観音経の 長き道のり(鯖大師本坊)
打ちや 眺める景色 異なりて 札所の石碑 新鮮に見ゆ(薬王寺23)
大楠や 見晴ら所から 日和佐町 歴史を眺め 六百年に(同上)
霊場や 絶対秘仏の 像ばかり 大師自彫は 存在するか(平等寺22)
名水を 飲むこともなく 里を行く 車遍路の 物足りなさよ(同上)
遍路みち 空海大師と 我が軽身 西行芭蕉 同行四人(太龍寺21)
メキシコの チャペルで聞いた 除夜の鐘 今年は何処で 聞くのであろう(同上)
太龍寺 伽藍堂宇の 九棟が 国登録の 文化財でも(同上)
様々な 修行大師像 見るけれど 違いは一つ 笠のあるなし(鶴林寺20)
格別の 思いを込めて 巡礼す 母の供養と 兄嫁の無事(同上)
聖天堂は 寂れた様子の 鶴林寺 最高地まで お参りはなく(同上)
慈眼寺は 別格霊場 三番寺 鶴林寺の 奥ノ院でも(慈眼寺)
慈眼寺は 空海大師 開基して 高野山派の 由緒寺院で(同上)
奥山に 諸堂の屋根が 重なりて 秘境の寺に 雪まだ降らず(同上)
岩峰に 新築三年 蔵王堂 寂れた様子 この寺になく(同上)
遍路みち 二十キロの 長丁場 鶴林寺からは 遠き巡礼(同上)
本尊は 十一面の 観音像 上勝町の 文化財とも(同上/四国霊場逆打ち巡礼7) 63歳
洞窟は 石灰岩の 鍾乳洞 空海大師 発見せしと(同上)
ローソクを 灯し入洞 ガイド付き 穴禅定は 昔のままに(同上)
過疎の村 加速するのは 廃屋と 廃寺廃社の その多さかな(同上)
霊場に 法隆寺はなし 仏像も 創建のまま 残るものなく(立江寺19)
母と子の 絆の深さ 恩山寺 孝養するも 大師は偉く(恩山寺18)
死を悟り 我に一言 有難う 共に旅した 母との九年(同上)
涸れもせず 湧き続けるや 寺の井戸 現世利益 千二百年(井戸寺17)
この寺も 神と仏が 分離して 返して見たい 大師の夢に(同上)
元親が 燃やした霊場 二十八 地元の土佐は 一ヶ寺もなく(観音寺16)
江戸初期に 新たな領主 再建し 札所となりし 観音寺かな(同上)
仏法が 商法に変わる 霊場に 嬉しき姿 本堂修復(阿波国分寺15)
国分寺 七重塔 失われ 思い願うは 再建の夢(同上)
命ある 地球もまた 月となる その時菩薩が 現れるかも(常楽寺14)
寺の花 八百年も 愛でている 弥勒菩薩は 羨しきかな(同上)
泊まる宿 予定がたたぬ 遍路旅 その場その場で 探す楽しみ(大日寺13)
韓国は 新羅の末裔 百済とは 別の国なり 距離は深まり(同上)
脚向ける 遍路も少なき 一宮 昔を思う 人々もなく(一宮神社)
危ういや 勢至菩薩の 頭上には 根付かぬ樹木 岩を飛び出し(焼山寺12)
中腹に 主な四堂 横並び 山の霊気が 晦日を走る(同上)
虚空蔵 魔性の大蛇 封じ込め 空海大師の 修行に助力(同上)
十二社は 熊野神社の 分霊で 江戸後期の 再建と聞く(同上)
登山道 必ず登るぞ 山頂に 誓いも新たに 山下り行く(同上)
お大師と 衛門三郎 伝説を 杖杉庵の 霊場に知る(杖杉庵)
いつからか 杖杉庵は 無住寺に 札所の役目 焼山寺が兼ね(同上)
非をわびる 衛門三郎の 手を取りて 大師は聞きし 来世の願い(同上)
廃れ行く 山の景色を 見る度に 哀れを誘う 寺の営み(同上)
第二番 別格霊場 童学寺 飛鳥時代と 創建古く(童学寺)
童学寺 幼少期の お大師が 学びし寺と 伝承もされ(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 平安後期の 国の重文(同上)
珍しき 稚児大師像 大師堂 いろはの文字を 発案せしと(同上)
ご利益は ボケ封じと 中風で 脳天不動 稀有な存在(同上)
池泉式 逍遥園の 築庭は 寺の盛期の 室町時代(同上)
垂れ幕の 遍照堂は 別格の 二十霊場 縮小版で(同上)
山里の 外れにポツンと 藤井寺 禅寺らしき 佇まいかな(藤井寺11)
江戸前期 兵火で消えた 藤井寺 再建されて 臨済宗に(同上)
靈跡の 八畳岩の 側に立ち 眺める諸堂 冬の木漏れ日(同上)
またいつか 自分も登る 遍路みち 富士山よりは 楽とは思う(同上)
藤井寺 趣向豊かな 遍路みち 八十八の ミニ霊場が(同上/四国霊場逆打ち巡礼8) 63歳
藤井寺 大日如来の 奥ノ院 八畳岩が 相応しいとも(同上)
石段に 加持霊水の 堂宇建つ 水屋にしては 立派な建屋(切幡寺10)
末永く 寺観を保つ 難しさ 札所の寺を 見るにつけても(同上)
大塔は 住吉大社の 払下げ 神仏分離 堂宇に及び(同上)
振り向けば 太子と大師 信長と 日本を変えた 三大偉人(同上)
切幡寺 真言八祖 大師堂 遍路も来ない 奥ノ院かな(同上)
昨年は メキシコに居て 初日出 予想もせざる 四国の居場所(同上)
霊場が 世界遺産を 目指すなら 札所の価値を 見直すべきか(法輪寺9)
納経所に 小坊主の絵の 看板が 無いと淋しき 札所の姿(同上)
熊谷寺 千手観音 月参り 絶対秘仏 とご吹く風と(熊谷寺8)
真実を 求めて止まぬ 霊場に 新たな発見 それが札打ち(同上)
十楽寺 竜宮門の 右隣り 四階建ての 宿坊いかがと(十楽寺7)
霊場に 永遠はなし その札所 哀れなりけり 別格霊場(同上)
本堂に 写経と賽銭 納札 三つの箱は 札所の共通(同上)
安楽寺 珍しいことの 数々に 脱帽しては 感謝をしたり(安楽寺6)
あこがれの 温泉宿坊 安楽寺 心の通う 遍路と出会い(同上)
温泉で 体を清め 浴衣着て 般若湯飲み 浄土を巡る(同上)
別格の 霊場からも 選びたい 八十八に 相応しき寺を(大山寺)
大山寺 伽藍四棟 文化財 開基五世紀 阿波の最古寺(同上)
石段に 城を思わす 石垣が 寺の格式 示すが如く(同上)
阿波入りの 義経一行 参詣す 弁慶銀杏 その跡を見ん(同上)
屋島にて 勝利おさめた 義経は 愛馬薄雪 奉納せしと(同上)
本尊は 千手観音 立像で 恵果に授かり 大師安置と(同上)
この道や 行く人もあり 春を待つ 秋田生まれが 阿波に死すとも(同上)
黒岩の 大権現堂 奥ノ院 波切不動 合わせて祀り(同上)
洋風の 三角屋根の 会館は 屋根色褪せ 哀れに眺む(同上)
札所にも 風流を知る 僧ありて 思いのままに 寺観整え(地蔵寺5)
真言は 印を結んで 唱えたい 覚えることが 増える参拝(大日寺4)
霊場の 本堂などは 大差なく 本坊だけは 八十八様(金泉寺3)
写真撮る 自分の姿 影となり 晴れた寺には 後光刺して(同上)
惜しげなく 京都や奈良の 寺などは 国宝仏像 拝ませるのに(極楽寺2)
極楽寺 尊く思う 樹木あり 長命杉は 大師の手植え(同上)
札所より 山が恋しく 思うかな 山より勝る 本尊はなき (霊山寺1)
白衣には 死出の旅路の 意味もあり 避けて通れぬ それぞれの旅(同上)
有難や 大師と共に 四国路を 巡り終えては 思う幸せ(同上)
逆打ちの 巡礼果たす 閏年 その大晦日 最後のゴール(同上)
萩原寺 別格霊場 十六番 空海大師 三十路の開基(萩原寺)
萩原寺 堂宇八棟 文化財 江戸から明治 変わらぬ寺観(同上)
本尊は 地蔵菩薩の 坐像にて 絶対秘仏 大師の自刻(同上)
本堂の 右の林に 大師像 笠を被らず 寒そうに見ゆ(同上/別格・番外霊場1) 63歳
新年の 鐘の音響く 萩原寺 恋しく思う 萩の月かな(同上)
宝形の 一般的な 大師堂 江戸前期の 再建と聞く(同上)
大師堂 護摩堂兼ねた 堂宇にて 不動明王 右に大師像(同上)
大門は 格式高き 門構え 大覚寺派の 別格本山(同上)
客殿は 茅葺き屋根の 切妻で 唐門付の 優美な堂宇(同上)
白壁の 宝物館の 収蔵に 書画三点が 国の重文(同上)
神野寺は 別格霊場 十七番 満濃池に 大師が開基(神野寺)
香西寺 別格霊場 十九番 天平時代 行基の開基(香西寺)
本尊は 地蔵菩薩で 脇仏の 毘沙門天は 国の重文(同上)
本堂の 奥に二層の 奥殿が 銀閣風に 寄り添う如し(同上)
平入りで 切妻屋根の 大師堂 脇侍は不動 八幡菩薩(同上)
高木に 修行大師の 尊像が 燈火を備え 石柱高く(同上)
寺の名が 四度も変わり 今にあり 香西の名は 豪族の名と(同上)
納経所は 閻魔堂の 中にあり 信心深さ 試されそうな(同上)
大瀧寺 別格霊場 二十番 神亀三年 行基の開基(大瀧寺)
本尊は 大師安置の 権現で 今の宗派は 御室派末寺(同上)
鐘楼の 寂れた様子 哀れなり 威厳喪失 総奥ノ院(同上)
創建は 神代と言う 由緒書き 西照神社 大滝山に(西照神社)
明治まで 大瀧寺とは 一体で 山岳崇拝 聖地ともされ(同上)
入母屋の 千鳥向拝 見る限り 寺院建築 神社の社殿(同上)
主祭神 月読尊 天の神 月山神社 思い出す神(同上)
赤屋根に 白いペンキの 板張りに 昭和が匂う 社務所外観(同上)
霊場や 順打ち逆打ち 乱れ打ち 三度めぐりて 目出度き六十路(太山寺52)
横幕や 色鮮やかに 架かるかな 桔梗紋の 四天王門(同上)
明治まで 五十七番 札所なり 別当寺とは 二人三脚(石清水八幡神社)
勝岡に 八幡の神 勧請し 平安後期 石清水社に(同上)
武者絵には 再建させし 人物か 源頼義 河野親経(同上)
別宮の 大山祇神社 大楠に 目を見張りつつ 正月詣で(別宮大山祇神社)
拝殿は 切妻造り 檜皮葺き 江戸中期の 増築なりと(同上)
北条に 番外霊場 杖大師 遍路旅僧の 夢の伝説(養護院)
集落の 中にポツンと 霊場が 珍しくもない 愛媛に多く(同上)
新築の 大師堂には 歴史あり 大師信仰 根強く篤く(同上)
境内に 修行大師の 像も建ち 番外霊場 新風感ず(同上)
延命寺 違った場所で 眺めれば 景観変り 田んぼの中に(延命寺54)
本尊の 不動明王 大日の 宝冠いだき 変わった像と(同上)
新しき 行基菩薩の 供養塔 霊場開基 大師に並ぶ(同上/別格・番外霊場2) 63歳
大蓮寺 番外札所 豊山派で 衛門三郎 伝説の寺(大蓮寺)
俳人の 碧梧桐の 記念碑に 山川草木 仏性宿ると(同上)
本尊は 十一面 観音像 不動明王 合わせて祀り(同上)
小村には 大蓮寺の 大師堂 通称名は 札始堂(同上)
木の札に 衛門三郎 名を記し 大師に届けと 寺に納めし(同上)
義安寺は 桃山時代の 創建で 河野義安 菩提寺開基(義安寺)
義安寺は 曹洞宗の 末寺にて 湯築城の 裏地にありし(同上)
本尊は 釈迦如来と 思いしも ご朱印見ると 薬師如来が(同上)
河野家の 断絶の折 家臣らは 二君に侍せずと 自刃したとか(同上)
家臣らの 誓いの泉 今にあり 忠義の心 蛍に化しと(同上)
蓮華寺は 行基の開基 天平期 番外札所 豊山派の寺(蓮華寺)
境内に 古墳石棺 展示され 未だ知られぬ 伊予の豪族(同上)
本堂は 入母屋造り 大伽藍 江戸前期の 再建と聞く(同上)
新しき 文化住宅 本坊に 住持の家も 様変わりして(同上)
坂道に 松山平田の 町並みが 雪も降らずに 暖かきまま(同上)
失望の 数を尽くすが 奥ノ院 札所革新 奥ノ院から(円明寺奥ノ院)
本尊は 本寺と異なる 観音で 同じ寺号も いかがなものと(同上)
長尾寺で 静御前は 剃髪し 母共々に 余生送りしと(長尾寺87)
本坊の 松の緑と 紅梅が 新春祝い 色添えにけり(同上)
玉泉寺 大師開基の 寺なれど 天台宗の 末寺に移行(玉泉寺)
本尊は 地蔵菩薩で 日に限り 拝むと功徳 大師の言葉(同上)
明治期に 廃寺となり 再建は 昭和五年で 移転合併と(同上)
結願の 札所なればの 宝杖堂 集めた杖は 柴灯護摩供に(大窪寺88)
天平期 行基開基の 與田寺なり 善通寺派の 別格本山(與田寺)
仁王門 裏に回れば 大草鞋 丸い提灯 また珍しく(同上)
多宝塔 昭和後期の 建立で 修行大師も 喜び顔で(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像にて 秘仏ながらも 県の重文(同上)
厄年の 数たげお金 石段に 供えながらも 薬師真言を(同上)
嵯峨帝の 勅願寺の 由緒あり 番外札所 最大の寺(同上)
與田寺では 大師伝説 稀薄でも 扱い方は 薬師と並び(同上)
大師堂 室町時代の 建立で 入母屋造り 客殿を兼ね(同上)
なまこ壁 白漆喰の 宝物館 重文含む 数多の寺宝(同上)
養老期 行基の開基 東海寺 善通寺派の 番外札所(東海寺)
大師堂 本堂凌ぐ 入母屋で 弁財天堂 兼ねて建つなり(同上)
本尊は 七佛薬師 如来像 開帳ならず 姿拝めぬ(同上)
境内の 小さな池は 義経が 愛馬休めし 馬洗池(同上)
圓通寺 行基開基の 西林坊 江戸時代頃 志度寺塔頭に(圓通寺/別格・番外霊場3)63歳
境内に 放置されたる 石塔が 寺のやる気を 物語るかな(同上)
檜皮葺き 銅版葺きに 五剣山 八栗寺に見る 美観と奇観(八栗寺85)
護摩堂は 納経所兼ねた 堂宇なり お遍路いない 今日は初めて(同上)
静寂な 権現橋を 渡る先 空海大師 修行の聖地(石鉄寺)
石鉄寺 石手寺札所 奥ノ院 権現山に 西の高野が(同上)
石鉄寺 空海堂が 本堂で 大師の遺跡 寺に開基か(同上)
境内に 小さな堂宇 点在し 無住寺なのが 心細きも(同上)
不忘閣 青根温泉 思い出す 比較できぬが 楼閣風で(同上)
前神寺 石鎚山を 模したのか 石鉄寺の 寺名も同じ(同上)
浄土寺の 牛峯山が 奥ノ院 八十八の 本尊出迎え(浄土寺49)
地蔵堂 奥ノ院の 本堂で 地蔵が鎮守 釈迦如来かな(同上)
箸蔵寺 ロープウェイに 仁王門 右に目印 高灯籠が(箸蔵寺ロープウェイ)
箸蔵寺 別格霊場 十五番 大師開基で 御室派の寺(箸蔵寺)
お大師の 開基の寺が 霊場に 相応しきと 痛感するや(同上)
寺なのに 鳥居が建つ 景観は 純粋的な 神仏習合(同上)
本尊が 金毘羅樣で あるために 本堂と言わず 本殿と言う(同上)
石鉄寺 寺らしからぬ 異質さに 再び訪ね 未知なる先に(石鉄寺)
菁厳寺 麓に移り 護摩堂が 石鉄寺内 一宇残りて(同上)
外観は 銀閣風の 花頭窓 多宝塔とは 異なる造り(同上)
石仏は 釈迦如来を 中心に 不動明王 千手観音(同上)
滝行や 大師伝説 伊予の国 権現山の 白糸の滝(同上)
注連縄に 蜜柑添えられ 伊予らしき 豊峰神社 白糸の滝(同上)
道沿いに 看板なければ 民家かと 思うばかりの 青厳寺かな(菁厳寺)
新四国 霊場高野山 奥ノ院 理解しがたき 案内板ありき(新四国霊場高野山)
久万川 ふと眺めると 妙な山 マッターホルンと よく似た形(同上)
仰西の ミニ霊場に 大師堂 大師信仰 愛媛が盛ん(同上)
大師像 赤い頭巾に 前掛けと 地蔵の如く 姿まれなり(同上)
町内に 於久万大師堂 建ちてあり 大師伝説 番外札所(於久万大師堂)
石塀に 寄進者の名が 刻まれて 同行二人が 同行万人に(同上)
屋島寺の 遍路みち 上り行く 石仏の中 大師の像も(屋島寺84)
丁石は 六十間の 距離ごとに 設置されたる 地蔵の板碑(同上)
屋島寺を 下る途中に 前札所 遍照院の 扁額掲げ(遍照院)
境内に 子安大師と 結跏像 住民からの 供花は絶えなく(同上)
洲崎寺は 大師の開基 牟礼町に 高野山派の 番外札所(洲崎寺)
源平の 合戦の折 負傷した 源氏の兵が 寺に運ばれ(同上)
庭園は 屋島の嶺を 借景に 枯山水の 源平の庭(同上/別格・番外霊場4) 63歳
真念は 遍路の父と 称されて 江戸時代初期 霊場整備(同上)
本尊 聖観世音 菩薩像 さぬき三十三 観音でも(同上)
義経の 身代わりとなり 戦死した 佐藤継信 忠義の士なり(同上)
みちのくの 飯坂生まれ 継信は 弟忠信と 義経主従に(同上)
墓石は 高松藩主が 江戸初期に 忠死を称え 立て替えたとか(同上)
太夫黒 馬の墓では 日本一 ハイセイコーの 墓凌ぐほど(同上)
鷲峰寺は 鑑真和上 天平期 開創したる 天台の寺(鷲峰寺)
重文の 四天王像が 収蔵庫 鎌倉時代の 寄木造りと(同上)
本尊は 千手観音と 聞くけれど 創建当時 釈迦如来のはず(同上)
大師堂 最澄空海 円珍の 三大師像 長屋に安置(同上)
根香寺の 奥ノ院である 鷲峰寺は 番外札所 勅願寺でも(同上)
新四国 曼荼羅霊場 遍路みち 観音寺へと 続く道かな(同上)
長戸庵 焼山寺道の 大師堂 空海大師 休息の地と(焼山寺道)
お大師が 柳の下で 井戸を掘り その伝説が 柳水庵に(同上)
道沿いに 遍路のための 休憩所 地元有志が 建てしと聞くや(同上)
広い道 車の轍 残るけど 少し進むと 隘路となりて(同上)
丁石を 数え忘れて 距離感が 脳裏を離れ 山深く入る(同上)
焼山寺 休む間もなく 山頂へ 一気に登る 今日の目的(同上)
虚空蔵 大師の修行 妨げた 大蛇の力 封じたる岩(焼山寺山)
山頂の 蔵王権現 祀る堂 焼山寺の 奥ノ院でも(同上)
神山の 町を眺めて 満足す 念願だった 山頂に立ち(同上)
青龍寺 岬の山に 奥ノ院 本寺と同じ 不動を祀り(青龍寺36)
不動堂 よく管理されし 奥ノ院 他と異なる 雰囲気感ず(同上)
清瀧寺 琴平神社 本殿は 県指定の 文化財でも(清瀧寺35)
覗くのも 失礼と思う 笠の顏 山門替りの 修行大師(種間寺34/別格・番外霊場5) 63歳
禅師峰寺 全員無事と 洒落を言う 遍路もありき 笑い声する(禅師峰寺32)
四国には 五重塔 五棟あり 竹林寺は 高知唯一(竹林寺31)
安楽寺 菅原高視 開基せし 父道真の 菩提寺として(高知安楽寺)
三層の 仁王門は 珍しく アーチ通路に 花頭窓二つ(同上)
入母屋に 更に切妻 のせた屋根 上層下層 風変りかな(同上)
本堂は CR造の 三階で 阿弥陀如来を 本尊として(同上)
安楽寺 衰退廃寺 繰り返し 大師もやっと 安楽の地に(同上)
多宝塔 CR造に 見えぬほど 軒の細工の 見事さかな(同上)
その昔 三十番が 二ヶ寺あり 安楽寺は その奥ノ院に(同上)
江戸前期 薫的和尚 祭神に 薫的神社 創建されて(薫的神社)
拝殿は 寺の本堂 そのもので 面影残す 旧瑞應寺(同上)
本殿に 和尚の坐像 安置せど 自害に果てし 濡れ衣晴れず(同上)
国分寺 小振りな花の 競演で 派手な桜の 主役はおらず(土佐国分寺29)
突然と 雹降り道が 豹変す 車に逃れ 過ぎゆくを待つ(神峯寺27)
様々な 駅の名前を 見るけれど 遍路の駅は 室津が創め(津照寺25)
石段や 鐘楼門が 中間に 室津みなとの 眺めよろしく(同上)
礫岩の 絶壁に見る 風穴は 岩屋寺らしき 奇観なるかな(岩屋寺45)
参道に 彩り添える 桜咲く ソメイヨシノと カンヒザクラが(同上)
大宝寺 鐘楼二棟 横並び 撞くも大変 聞くも分からず(大宝寺44)
浄瑠璃寺 本堂裏に 桜咲き 札所屈指の 花の寺かな(浄瑠璃寺46)
参拝の 前後に眺め 春を知る ソメイヨシノの 淡きピンクに(八坂寺47)
八坂寺に 大師伝説 聞きもせず 中興せしも 定かならずや(同上)
川の土手 桜並木に 西林寺 同行二人 勝手に花見(西林寺48)
花季節 阿弥陀如来も 見逃さず 極楽浄土 目前にして(浄土寺49)
本坊の 石垣の上 また桜 繁多寺に見る 夢の間を(繁多寺50)
渡らずの 橋の観音 華やかに 石手寺門前 飾るビーナス(石手寺51)
石手寺の 遍路みちに 随求堂 大随求菩薩 祀る御堂か(同上)
丁石と 石仏セットの 遍路道 石手寺先を 太山寺へと(同上/別格・番外霊場6) 63歳
その昔 五重塔が 建ちし場所 桜は知らぬ 大師堂かな(太山寺52)
山門を 出れば神社 一宮 神仏習合 これぞ日本と(大日寺13)
神仏の 境界線が 道路かな 昔を思い 両寺社参り(同上)
国中寺 創建不明な 霊場で 十三番の 新奥ノ院(国中寺)
本尊は 波切不動 遊戯観音 無住のようで 本堂閉まり(同上)
ぼけ封じ 観音像に 子が二人 育児の母は ぼけてはおれず(同上)
アララギに 宿る精霊 大師かな 巨木の枝に 坐像を安置(常楽寺14)
慈眼寺は 十四番の 奥ノ院 高野山派の 末寺でもあり(慈眼寺)
本尊は 十一面の 観音で 弁財毘沙門 脇仏として(同上)
慈眼寺の 庫裡は住宅 新しく 景観よりも 住み心地かな(同上)
国分寺 本堂修繕 仮囲い 五年工期の 大工事とか(阿波国分寺15)
観音寺 神仏分離 しがらみが 戦後に解けて 総社再建(観音寺16)
塀の外 外周めぐる 井戸寺かな 思いもよらぬ 寺観もありき(井戸寺17)
堂内の 十大弟子は 釈迦でなく 空海大師の 弟子と見るなり(恩山寺18)
ブロンズの 等身大の 大きさが 一般的な 修行大師像(同上)
本坊の 花壇の牡丹 満開で 赤白黄など 色様々に(立江寺19)
立江寺の 延命地蔵 さておいて 毘沙門天は 阿波七福神(同上)
取星寺は 十九番の 奥ノ院 大師の開基 高野山派で(取星寺)
山号の 妙見山は 開基時に 妙見菩薩 祀りしと聞く(同上)
本堂は 庫裡とも呼べる 堂宇にて 寄棟造り 納経所兼ね(同上)
妙見は 明現神社 名を変える それでも社殿 寺院のままで(明現神社)
堂内に 阿弥陀如来の 坐像あり 鎌倉作で 県文化財(取星寺)
神なのに 三宝荒神 免れて 取星寺内に 堂宇再建(同上)
黄金の 地蔵菩薩像 二羽の鶴 護しことろ 大師発見と(鶴林寺20)
岩肌が むき出しとなる 鋭峰は 見当つかず 寺の眺望(同上)
太龍寺 ロープウェイは 三度目で 春夏秋冬 絵になる眺め(太龍寺ロープウェイ)
本堂の 石段の杉 仁王立ち 春の陽射しに 喜ぶ如く(太龍寺21)
平等寺 自由寺聞かぬ 霊場で されど霊場 自由参拝(平等寺22)
石段の 霊牌堂先 瑜衹塔が 灰の瓦に 紅く重なり(薬王寺23)
見渡せば 日和佐入江に 立島と 山城跡に 模擬天守閣(同上)
瑜衹塔は 昭和中期の 建築で 戒壇の中 仏画も展示(同上)
美しき 魚籃観音 塔の中 魚の籠を 手に携えて(同上/別格・番外霊場7) 63歳
眼下には 霊牌堂と 本坊の 屋根重なりて 新緑映ゆる(同上)
日和佐城 四層四階 引いて撮る 柱と軒を 額縁として(同上)
海栄寺 安土時代の 開基とか 平成時代 明石寺移転(海栄寺)
寺号のみ 伝え残して 海栄寺 小本堂に 観音祀り(同上)
明石寺 白王権現 奥ノ院 境内手前 石祠の中に(明石寺43)
修験道 熊野権現 復活し 明治は遠い 明石寺かな(同上)
参道に 楠木高く 見えるけど 大師投じた 宝珠は何処(佛木寺42)
大師堂 屋根の先には 三間盆地 のどけき春に 大師も笑顔(龍光寺41)
石造で 六メートルの 多宝塔は 昭和後期の 力作と聞く(観自在寺40)
境内の 信徒会館 宿坊で 閉館続く 札所で元気(同上)
海亀に 願う思いは ただ一つ 竜宮城に 夢を残さむ(延光寺39)
延光寺 枝垂れ桜は 新緑に 花の巡礼 時過ぎにけり(同上)
境内の 南光院が 奥ノ院 開基の宥厳 中興の祖で(同上)
延光寺 廃仏毀釈で 廃寺して 再興するも 奥に及ばず(同上)
大月に 月山神社 訪ねれば 思いもよらぬ 大師伝説(月山神社)
明治まで 南照寺と 称されて 神仏分離で 神社に移行(同上)
月形の 霊石残る 神社かな 役行者の 伝説残し(同上)
大師堂 廃寺となりし 南照寺 番外札所 衰退一途(同上)
石庭に ブロンズ像の 仏たち 金剛福寺 本坊前に(金剛福寺38)
五輪塔 灯籠一基 大師像 センス疑う 奉納もあり(同上)
足摺に 十四キロの 遍路みち 古道を踏んで 真念庵へ(真念庵)
丁石は 三百五十 あったとか 廃道箇所は 集積されし(同上)
石段は 遍路の父 真念が 地蔵大師堂 建てせし時とも(同上)
振り向けば 旧遍路みち 難路にて 歩き遍路は 県道を行く(同上)
江戸前期 真念庵は 大師堂 三百年前 垣間見るかな(同上)
本堂の 天井画こそ 面白き モリリンモンロー 微笑む顏も(岩本寺37)
本尊が 絶対秘仏の 清瀧寺 薬師如来を 外で拝観(清瀧寺35)
親王の 逆修塔が 建つけれど 宮内庁では 管轄外に(同上)
大師堂 五重塔を 仰ぎ見る 変ちくりんな 竹林寺かな(竹林寺31)
赤帽子 千体地蔵の 背後には 更なる朱色 五重塔が(同上)
竹林寺 船岡堂が 奥ノ院 不動明王 本尊として(同上)
手を合わす 善財童子や 大師堂 祈る相手は 文殊菩薩で(同上)
禅師峰寺 ここも秘仏で 拝むのは 外に鎮座の 観音像で(禅師峰寺32)
塀の上 ちょっと小さな 多宝塔 気付かずにいた 青龍寺かな(青龍寺36)
本堂の 内陣質素な 造りにて 台風被害 爪痕深く(種間寺34)
重文は 霊宝殿に 収蔵か 仏像四体 盤脚一基(最御崎寺24/別格・番外霊場8) 63歳
本尊の 虚空蔵菩薩 外に出て 結跏趺坐して 鐘の音を聞く(同上)
木の根元 石の地蔵が 祀られて 一言お願い 聞くと地蔵と(同上)
津照寺や 小高き丘の 境内は 狭くて急な 石段上り(津照寺25)
本堂の 広さで計る 寺の規模 金剛頂寺 密教道場(金剛頂寺26)
閉ざされし 厨子の扉の 薬師仏 正月始め 開帳と聞く(同上)
藤の花 神峯寺の 本坊に 今年も咲きて 有難く見る(神峯寺27)
春盛り 未だ見ぬ花と めぐり合う 神峯寺の ミツマタの花(同上)
大日寺 七堂伽藍 夢の跡 廃寺になるも 堂宇七棟(大日寺28)
重文の 土佐国分寺 本堂は 長宗我部父子 再建せしと(土佐国分寺29)
境内に 土佐の総社が 祀られて 国分寺らしき 鎮守社かな(同上)
藤の花 めぐり会えたり 藤井寺 薬師如来も 待ちわびた春(藤井寺11)
十二仏 阿閦如来の 尊像は 珍しきかな 知名度低く(焼山寺12)
危ういと 勢至菩薩を 拝むかな 岩は崩れず 今年も無事に(同上)
五月まで 待ってくれたか 桜花 これも御利益 焼山寺かな(同上)
黒瀧寺 二十一番 奥ノ院 高野山派で 大師の開基(黒瀧寺)
開創期 黒滝山に 棲む大蛇 大師が調伏 閼伽井得たとも(同上)
仁王門 鐘楼兼ねた 楼門で 力士が動き 鐘撞きそうで(同上)
本堂は 宝形造の 小堂で 十一面の 観音本尊(同上)
本院の 太龍寺遠く 山の果て 四十三キロ クルマの遍路(同上)
宿坊は 温泉のある 会館で 大師発見 醫王の湯とも(薬王寺23)
塀もなく 山里の中 平等寺 長閑な春に 解け込む景色(平等寺22)
参道の 岩に重なる 石地蔵 思わぬ寺観 太龍寺かな(太龍寺21)
扁額の 降剣場は 虚空蔵 大師の前に 剣投じたと(同上)
ヤマブキに シャクナゲの花 本坊に サクラに続く 寺の装い(同上)
立江寺や 子安地蔵に すがる子は 動物的な 本能と見る(立江寺19)
赤白の つつじ咲くなり 本坊に ワインがあれば 言う事もなし(恩山寺18)
山門を 額縁として 撮る神社 写真の中は 神仏一枚(大日寺13)
安楽寺 温泉のある 宿坊に 一夜過して 安く楽しく(安楽寺6)
鐘楼は 遍路の宿に 使用され 駅路寺の名の 伝統続く(同上)
宿坊は 満員御礼 状態で ホテル同様 差別化時代(同上)
宿坊の 屋根の上には 集熱器 寺のスタンス 不易流行(同上)
田中の 法輪さんの 通称に 塀があるのは 如何なものと(法輪寺9/別格・番外霊場9)63歳
奥殿に 機織り娘 出家した 即身仏の 観音祀り(切幡寺10)
十楽に 現実的な 楽でなく 浄土十楽 悟りの境地(十楽寺7)
駐車場 本堂裏に あるために クルマ遍路は 妙な札打ちに(常楽寺14)
国分寺 満車状態 駐車場 致し方なく はみ出し駐車(阿波国分寺15)
井戸寺でも 連休中は 賑わいて 経文読むも 数珠並びかな(井戸寺17)
地蔵寺の 五百羅漢が 奥ノ院 羅漢真言 唱えられずに(地蔵寺5)
四番から 十一番まで 八ヶ寺が 大師の開基 続く阿波みち(大日寺4)
愛染院 金泉寺の 奥ノ院 大師開基の 番外霊場(愛染院)
本尊は 不動明王 坐像にて 大正期まで 阿弥陀寺とか(同上)
大師堂 まだ新しき 堂宇かな ソテツの木にも 勢いがあり(同上)
金ピカの 宝珠を載せた 大師堂 寺号に因み 建立せしか(金泉寺3)
裏表 眺めて触って 仁王門 コンクリートと 感じる柱(極楽寺2)
池の鯉 多宝塔に 飛んで見よ 春に相応し 寺に軌跡を(霊山寺1)
一番の 東林院は 奥ノ院 天平時代 行基の開基(東林院)
境内に 山門なきは 物足りず されど境内 広々として(同上)
本尊は 珍しきかな 二仏あり 薬師如来に 愛染明王(同上)
お大師は 東林院を 中興し 真言広め 農業教え(同上)
藤棚に 十三石塔 寶杖が 添景として 聳え立つかな(大窪寺88)
鎮守社に 参拝をする 遍路なく 天保石橋 まだ新しく(志度寺86)
本堂の 奥に連なる 堂宇あり 奥殿なのか 定かならずに(根香寺82)
根来寺の 諸堂をめぐり 礼拝す 阿弥陀や地蔵 五大明王と(同上)
新緑に ノムラモミジが 色添えて 優美なるかな 茶室の景色(同上)
頼朝の 奉納とせし 石灯籠 鎌倉後期の 作ともされて(白峯寺81)
重文の 頓証寺殿 鮮やかな イロハモミジの 新緑に映え(同上)
重文の 鐘を撞くのは 気が引ける それでも聴くや 平安の音(讃岐国分寺80)
本堂の 横に小さき 御堂建つ 春日明神 祀る社と(同上)
薬師像 地獄の釜で 悪人が 祠覗くと 頭抜けずと(一宮寺83)
朱の色の 東大門に ツツジ咲く 白と紫 緑の若葉(屋島寺84)
屋島寺の 広大なる 境内に 空き地も多く 塔があればと(同上)
屋島寺に 二匹の狸 巨大像 寺の新たな 名物となり(同上/別格・番外霊場10) 63歳
八栗寺の 中将坊は 入母屋で 讃岐の天狗 祀る堂宇と(八栗寺85)
八栗寺に 新たな名所 絶賛す 展望台の お迎え大師(同上)
比類なき テーブル状の 屋島見る 典型的な メサ地形なり(同上)
高松の 街にため池 点在し 大きな川が 流れておらず(同上)
大師堂 宝形屋根に 金山が 重なるように 聳え立つかな(天皇寺79)
庭園に 疎らにツツジ 咲き始め 五月の空は ただ青くあり(郷照寺78)
五大尊 大師直筆 所蔵せし 学術的な 見解聞かず(道隆寺77)
筋塀の 五本線には 格式を 表す線で ここは最高位(金倉寺76)
大楠に 五重塔が 美しく 青葉若葉が 寄り添う寺観(善通寺75)
甲山寺 四本線の 由来とは 定かならずも 珍しき数(甲山寺74)
曼荼羅寺 八幡宮が 境内に 八幡神は 阿弥陀如来で(曼荼羅寺72)
出釈迦寺の 我拝師山は 奥ノ院 空海大師 発心の山(出釈迦寺73)
稚児大師 捨身ヶ嶽と 拝み見る 出釈迦寺にある 遥拝所にて(同上)
参道に 阿弥陀三尊 磨崖仏 尊顔照らす 春の木漏れ日
釣り鐘が 十王堂に 放置され 哀れもにじむ 新緑の中(同上)
本尊は 馬頭観音 秘仏にて 前仏拝す 本山寺かな(本山寺70)
相輪の 特別展示 本坊で 精緻な鋳造 目に触れるとは(同上)
神恵院 本堂前の アーケード 天蓋飾り 風変りかな(神恵院68)
聞き慣れぬ 琴の音響く 日の本で 千年変わらぬ 遍路の旅路(観音寺69)
悟桐庵 新たな茶店 建ちてあり 観音寺にも 名所が増えし(同上)
平安期 天台真言 兼学の 道場であり 面影今も(大興寺67)
庫裡門の 格子戸塀は 珍しき 切妻屋根に 黒さ際立ち(同上)
本堂と 大師堂との 間には 五社権現堂 慎ましく建つ(雲辺寺66)
本堂の 側面見れば 花頭窓 向拝だけの 眺めの他に(同上)
三角寺 伊予で最後の 札所でも 讃岐に近く キツネうどんか(三角寺65)
崖崩れ 修行大師像 消えて去り 五輪塔に 姿変えるや(仙遊寺58)
山の端に 入母屋の屋根 重なりて 里に解け込む 前神寺かな(前神寺64)
直ぐ近く 湯之谷温泉 立ち寄れば お遍路多く 思いは一つ(同上)
吉祥寺 ふと思い出す 中央線 ここ予讃線 イメージ変り(吉祥寺63)
札所には 接待心に 欠く寺も 悪評聞きて 溜息をつく(宝寿寺62)
講堂に 大日如来 石造と 屏風の仏画 予期せず拝す(香園寺61/別格・番外霊場11) 63歳
横峰寺 有料林道 髙いので 湯浪口から 歩き遍路で(横峰寺60)
天平期 石仙開基 妙雲寺 番外札所 高野派末寺(妙雲寺)
本尊は 大日如来で 本堂に 蔵王宮の 扁額もあり(同上)
境内の 隅に小さき 薬師堂 お薬師様も 古く小さく(同上)
国分寺 春日神社が 鎮守社で 脳裏を過る 習合時代(国分寺59)
分離して 春日神社は 見栄えせず 国分寺の 奥ノ院にでも(春日神社)
小池には 弁財天の 小社あり 南光坊の 趣深く(南光坊55)
前左 持国で裏に 増長 前右多聞 裏に広目(同上)
高野山 今治別院 参拝す 明治中期に 開創されて(高野山今治別院)
本堂は 近代的な デザインで 広い境内 幼稚園もあり(同上)
別院に 遍路も来ない 不動堂 ローソク二本 燭台に消え(同上)
本尊は 空海大師の 尊像で 二階に上り 礼賛したり(同上)
予期もせぬ ご接待受け 気を良くす 思い出づくり これも遍路か(栄福寺57)
泰山寺 大師の偉業 残るなり 堤防築き 氾濫止めしと(泰山寺56)
龍泉寺 泰山寺の 奥ノ院 奈良時代に 行基の開基(龍泉寺)
本尊は 十一面の 観音で 空海大師 脇仏とか(同上)
向拝に 今は珍し 鏝絵かな 観音様の 本尊描き(同上)
乱れ打ち 三度続けて 満願す 別格霊場 番外札所も(延命寺54)
六度目の 参拝となる 奥ノ院 御廟橋から 撮影禁止(高野山奥ノ院)
高野山 誰もが驚く 大伽藍 二十万基の 墓石群にも(同上)
高野山 比叡の山に 身延山 これぞ真の 三大霊場(同上)
御供所とは 大師の食事 日に二回 捧げるための 調理の堂宇(同上)
伝わらぬ 「弘法大師」の 名前かな 我は唱える 「空海大師」と(同上)
福智院 鎌倉中期の 開創で 温泉宿坊 最大規模で(福智院)
庭園は 重森三玲 作庭す 枯山水が 幾何学的で(同上)
宿坊の 客は殆ど 外人で 世界遺産の 価値は大きく(同上)
共用の 山門もあり 高野山 龍泉院と 光量院とが(高野山)
現役の 警察署は 文化財 切妻造り 二階建て(同上)
高野山 六十ほどの 寺院あり 無量光院 親王の寺(同上)
本覚院 九ノ字に曲がる 石畳 川の流れ 思わす如く(本覚院)
本王院 切妻屋根に 小屋根載せ 屋根裏換気 珍しく見る(本王院)
高野山 真言宗の 総本山 金剛峯寺は 末寺三千余(金剛峯寺)
高野町 町全体が お大師で 病院学校 出版社も(高野山)
高野山 途中の道に 不動尊 創建不明な 醍醐派末寺(同上)
白壁に 朱色の線が 鮮やかに 本堂建屋 コンクリート造(同上)
斑鳩や 仏教伝来 法隆寺 木造最古 世界一なり(南大門/日本の寺院別格法隆寺) 63歳
始めなく 終り無きもの 世にはなし 春はやさしき 斑鳩の里(西側塔頭)
護摩堂や 入母屋造り 塀の上 どこも絵になる 法隆寺伽藍(護摩堂)
金堂は 入母屋屋根の 重層で 一階の上 裳階を加え(金堂)
金堂は 飛鳥時代の 建立で 千三百年 時空を超えし(同上)
本尊は 釈迦如来坐像 銅造で 国宝仏像 堂に九体(同上)
一階に 裳階付けて あるために 六重塔に 見えし外観(五重塔)
入母屋の 大講堂は 国宝で 平安中期 再建されし(大講堂)
灯籠や 江戸で開帳 勧進し 桂昌院の 寄進得たと(同上)
廻廊と 大講堂の 間には 鐘楼経蔵 対照的に(鐘楼)
僧坊の 聖霊院の 東室は 室町期築 これも国宝(聖霊院)
伽藍では 東西宝蔵 新しく 平成十年 建立と聞く(東西宝蔵)
中門は 朱の鮮やかな 八脚で 百済観音 入口に建ち(中門)
法隆寺 平成五年 単独の 世界遺産に 登録されて(国宝群)
観音堂 平成十年 建築で 百済観音 国宝展示(百済観音堂)
入口に 阿弥陀浄土図 模写絵あり 金堂壁画で 焼失されしも(同上)
しなやかな 観音立像 国宝で 百済ではく 日本の彫像(同上)
出口には 五重塔の 模型あり 精緻な細工 昭和初期作(同上)
境内に 保存工事の 堂宇あり 世界遺産は 四七棟(大宝蔵殿)
切妻の 東大門は 八脚で 飛鳥時代の 国宝の門(東大門)
塔頭の 律学院の 本堂は 聖徳太子 祀りし堂と(律学院)
東院の 四脚門は 重文で 鎌倉前期の 切妻造り(東院四脚門)
プラモデル 作り焦がれた 夢殿に 出会いて嬉し 夢の足音(東院夢殿)
夢殿は 八角形の 国宝で 白鳳時代 建立されし(同上)
本尊は 救世観音の 立像で 聖徳太子 モデルの国宝(同上)
礼堂は 平入り造り 重文で 鎌倉時代 再建されし(東院礼堂)
東院の 舎利殿絵殿 重文で 鎌倉初期の 切妻造り(東院舎利殿・絵殿)
東院の 袴腰形 鐘楼は 鎌倉期築 国宝指定(東院鐘楼)
法隆寺 聖徳太子の 創建で その名に因み 聖徳宗に(律学院)
食堂の 綱封蔵は 国宝で 奈良時代築 寄棟造り(綱封蔵)
西院の 三経院は 国宝で 鎌倉前期の 切妻造り(三経院)
国宝の 西円堂は 八角で 鎌倉中期 再建されし(西円堂)
本尊の 薬師如来は 国宝で 丘に建つため 峯の薬師とも(同上)
閉ざされし 西円堂の 奥もまた 閉門された 薬師坊庫裡(同上)
花見るは 西園院が 初めなり 六万坪の 法隆寺にて(西園院)
西端の 西大門は 重文で 江戸前期築 切妻造り(西大門)
正門は 青い瓦に 白い壁 三重に見え 美しきかな(中正紀念館/台北旅行1) 62歳
紀念堂 足場架けられ 修理中 目立たぬように 地味なシートで(同上)
重層の 八角屋根の 紀念堂 昭和後期の 建築と言う(同上)
中正は 蒋介石の 本名で ホールの中に 銅像が鎮座(同上)
見学者 ホールに溢れ 人気あり 台湾観光 三大名所(同上)
展示室 蒋介石の 足跡が 美術品かと 思う展示で(同上)
総統の ステータスが 高級車 蒋介石の ロールスロイス(同上)
宮殿を イメージさせる 建物は 台湾自治の 音楽ホール(国家音楽庁)
衛兵の 交代儀式 スポットに パホーマンスは 皇居も必要(忠烈祠)
台湾の 靖国神社か 忠列祠 統治時代に 護国神社あり(同上)
台北は 高層ビルの 建設が 見渡す限り 雨後の筍(台北101前)
柵もない ローカル線の 線路際 昔のままの 下町風情(十分)
漢字でも 理解が出来る 駅ホーム 日本人は 違和感もなく(同上)
十分を 平渓線は 走る行く 十三キロの 渓流に沿い(同上)
九份は 統治時代の 金鉱で 衰退するも 町並み復元(九份)
木造の 三階建ての 酒家建屋 鉱山盛期の 面影残し(同上)
恩人と その子息との 三人で 三泊四日の 台湾旅行(同上)
台湾に 二十年前 来ていれば 印象変り 熱き出会いも(同上)
車窓には 清朝時代の 城門が 石垣アーチ 紅の楼閣(承恩門)
烏来の 烏来瀑布 名所とか 仮に名付けて そーめん滝と(烏来)
オオワシの 剥製ではなく 彫刻で その精緻さに わしも驚く(烏来)
台湾の タイヤル族の 勇者像 アイヌの酋長 思い出すかな(同上)
烏来の 活力村の 劇場で タイヤル族の 寸劇見るかな(活力村)
台湾で ロープウェイに 乗ることは 予想外にて 感激したり(烏来ロープウェイ)
日本語の 解説あればと 案内所 それでも通ず 雲仙楽園(同上)
日本より 少し多めに 見えしかな ロープウェイの ワイヤー数は(同上)
川沿いに トロッコ路線 再生す 材木から人 観光資源(同上)
ゴンドラが 南勢峡を 横断し 気分爽快 空中散歩(同上)
索道は 日本の会社が 施工して 開業されて 五十年目に(同上)
入口の 門の柱は 面白き 半円四本 重ね合わせて(雲仙楽園)
園路には 煌びやかな 雲仙宮 福徳正神 祀る祠と(同上)
扁額の 雲仙楽園 鳥居形 日本文化が 今も残され(同上)
鄙びたる ホテルのような 建物が 開園当時 偲ばせるかな(同上)
手上げる タイヤル族の 人形に 連れ添うような 犬と鹿とが(同上)
吊橋は 万年橋と 記されて 南勢峡に 風情を添えし(同上/台北旅行2) 62歳
洪水で 土石が積もり 工事中 台風被害 台湾も多く(同上)
台北の 101は 新名所 地上の高さ 五百メートルと(台北101)
日本では あべのハルカス 三百で 六十階と 比較にならず(同上)
台北市 二百六十 万人で ほぼ大阪市と 同じ人口(同上)
周辺に 高層ビルが 建ち並び 発展遂げる 台湾経済(同上)
西方向 低層建物 密集し 基隆河が 大きく蛇行(同上)
南方向 高速道路 山裾に 小高い山が 先に連なり(同上)
東方向 整然とした 街並みで 競技場の グランド見えし(同上)
北方向 高層マンション 林立し 緩やかな丘 緑豊かに(同上)
床見ると 展望室は ガラス張り 人の頭を 踏みつけている(同上)
高級な 工芸品や 置物に 目を見張りかな 買えない値段(同上)
媽祖祀る 慈祐宮は 絢爛で 六階建ては 城より豪華(松山慈祐宮)
赤好きの 中国らしき 色彩で 目が慣れるまで 時間を要す(同上)
壁画には 媽祖出巡を 描写せし 海の女神を 崇める民が(同上)
正殿の 諸神聖天 名を見ると 協天大帝 関帝と知る(同上)
後殿も 煌びやかな 築造で 日本は江戸の 中期頃なり(同上)
殿内に 和太鼓に似し 太鼓あり どんな音かと 気になる眺め(同上)
最上部 屋根の棟には 舟形で 龍の間に 福禄寿立ち(同上)
金箔の 精緻な細工 見るにつけ 掃除や手入れ 如何にせんかと(同上)
台湾や 旧正月が 過ぎて去り 四十五日も 恭賀新禧で(同上)
台北の 観光地では 夜市あり 弥生の暮れに 黒山の人(饒河街夜市)
日本の 中華街とは 趣が 殆ど違い 屋台が多く(同上)
夜市には 松山市場 あるために 食材直結 コストが安く(同上)
日本では 夜市ほどの 屋台なし 文化の違い 香る賑わい(同上)
何よりも 食が第一 この命 安くて美味しい 屋台が好み(同上)
夜市側 基隆河の 河川敷 彩虹橋の アーチ美しく(同上)
台北の 101は シンボルで 夜の点灯 色鮮やかに(同上)
三日間 夜を過ごした ホテルには 夢と消えゆく 思い出一つ(シェラトングランテ台北)
窓の外 圧迫感が 目を覆う 見晴らしの良き ホテルに限る(同上)
台湾の ホテルのトイレ 不満あり 洗浄便座 備えておらず(同上)
台北の 行天宮は 関帝を 祀る霊廟 築五十年(行天宮)
正殿は 関聖帝君 中心に 二君二王 祭神として(同上)
道教に 儒教に仏教 習合し 行天宮は 新宗教と(同上)
参拝者 若者多く 見受けられ 三教習合 合理的かな(同上)
軒並ぶ 占い横丁 見て通る 日本語対応 数軒ありて(同上)
占いは あまり興味が ないけれど 日本語占い 人気ありそう(同上/台北旅行2) 62歳
日本では 行天宮に 類似する 関帝廟は 中華街に建つ(同上)
名に聞きし 北投温泉 地獄谷 日本の温泉 思い出すかな(北投温泉)
世界では 北投石は ただ二ヶ所 玉川温泉 北投温泉(同上)
見るだけの 温泉街は 初めてで 日帰り入浴 あればと探す(同上)
ホテル名 飯店酒店と 紛らわし 英語表記が 理想的かも(同上)
温泉の 博物館は 統治期に 建築されし 温泉施設(北投温泉博物館)
建物は レンガ造り 二階建て 大正初期の モダンな外観(同上)
廃墟から 平成十年 復元し 博物館は 友好に寄与(同上)
隣接す 北投公園 敷地には 庭園があり 結婚式も(同上)
空港の 大きなホール 眺めると 世界に冠たる 台湾力が(桃園空港)
キティちゃん 夢再びと 離陸する ビジネスクラス 初のフライト(同上)
鋭鋒の 明神岳に 道がなく 眺めるだの 幻の山(明神岳/上高地周辺の風景) 57歳
梓川 北アルプスに あればこそ 寄せる思いも 格別となり(梓川)
山頂は 明神池が 美しく 明神岳は 槍にも見えし(明神岳)
山小屋の 徳沢園は 別格で 井上靖の 氷壁の宿(徳沢園)
梓川 新村橋の 支柱には 神と崇むる 奥穂の雄姿(新村橋)
吊橋に 横尾大橋 建替えて 鳥居の如く 支柱となりし(横尾大橋)
槍ヶ岳 立つ彼方に 八ヶ岳 万感こもる 秋の朝焼け(槍ヶ岳)
槍沢に 伐採されし 流木が 根元露わに 恨むが如し(槍沢)
槍よりも 明神岳が 槍らしく 明神橋の 眺めは絶佳(明神橋)
雪化粧 明神岳の 角隠し 想像しては さぞ綺麗かと(同上)
嘉門次は 上高地史の 先駆者で 小屋に住み付き 山のガイドも(嘉門次小屋)
槍ヶ岳 登山やり遂げ 憩うかな イワナ食べつつ ビールを飲んで(同上)
囲炉裏の間 大正時代 建築で 国登録の 文化財でも(同上)
里宮と 奥宮嶺宮 参拝し 穂高神社の 有り難さ知る(穂高神社奥宮)
貸ボート よく眺めると 御船にて 例大祭に 使用されると(明神池)
往き左岸 帰りも左岸の 梓川 寄り道しても 歩く尽くせず(梓川)
進むほど 噴気微かな 焼岳を 梓川より 眺め見るかな(焼岳)
秋田より 三年ぶりの 上高地 四度目となる 梓川には(梓川) 60歳
登山者の 麓の基地は 徳沢で 所狭しと テントが張られ(徳沢園)
梓川 石ころだらけも 美しく 白波と石 区別もつかず(梓川)
涸沢に 花咲く如く カラフルな テントが張られ 残雪白く(涸沢)
若き日は 三角テント 大半で 今はドームが 色様々に(同上)
涸沢で スキーした日が 懐かしく 四十年も 昔の話(同上)
若人ら 徳沢園に 日を刻み 歴史は遠く 流れゆくなり(徳沢園)
力水 湯沢の名水 江戸期には 佐竹南家の 御膳水とか(力水/源泉・名水) ) 40歳
松尾村 座頭清水の 湧水は 毎分二十トン 驚くばかり(金沢清水) 41歳
無造作に 温泉掘るも 愚かしく 昔ながらの 湧き湯を愛す(玉川温泉)
山深き 黒湯温泉 湯の恵み 三百年の 歴史に涸れず(黒湯温泉)
弘前の 富田の清水 名水で 江戸中期には 紙漉きに使用(富田の清水) 42歳
湧水は 生活水に 利用され 古き石造 四槽に分れ(同上)
日本の 名水百選 訪ね行く 先ずは東北 身近な場所に(桂葉清水)
栗駒の 桂葉清水 涸れもせず カツラの根元 湧きいづるかな(同上)
鬼首 間欠泉は 珍しく 鳴子郷では 欠かせぬ名所(鬼首間欠泉)
噴湯や 後生を掛し 伝説が オナメとモトメ 名として残り(後生掛温泉) 43歳
お殿水 津軽の殿様 絶賛す 白神岳の 麓に湧きし(お殿水) 50歳
宮水は 井戸からポンプで 汲み上げて タンクに溜めて 使用されたり(宮水) 51歳
宮水の 発祥之地の 石碑あり 六甲山の 自然の恵み(同上)
宮水は 名水百選 発祥の 井戸の水汲み 祭り開催と(同上)
布引の 滝は百選 渓流も 名水百選 訪ねてみたり(布引の滝)
湧水を 水路に引いた 養水は 名水百選 市街地流れ(智積養水) 52歳
養老の 滝の近くに 湧水が 菊水霊泉 名水百選(菊水霊泉)
永源寺 越えた山路に 京の水 東近江に 京の名があり(京の水)
伊吹山 泉神社の 湧水は 千年続く 名水百選(泉神社湧水) 53歳
日吉丸 産湯の井戸が 中村に 公園として 整備がなされ(豊太閤産湯の井戸) 54歳
紀三井寺 名水百選 三井水は 俳聖芭蕉も 飲みし水かな(三井水)
庄川の 瓜裂清水 百選で 六百年も 湧く名水と(瓜裂清水)
中能登の 古和秀水は 総持寺の 霊泉とされし 名水百選(古和秀水)
城下町 越前大野の 御清水は 名水百選 殿様の水(御清水)
藤水は 日石寺に湧く 名水で 剣岳より 流れいでしと(藤水)
上日寺 観音菩薩 霊水は 白鳳時代 湧出せしと(観音霊水) ) 55歳
湧水群 越後津南の 段丘に 龍ヶ窪の水 日に四万トン(龍ヶ窪の水)
湧水の 一部は岩に 流れ落ち 暑さを凌ぐ 潤いの水(同上)
丸釜は 野沢温泉 源泉で 五つの釜の 低き湯だまり(野沢温泉丸釜)
立山の 山頂直下の 湧水は 名水百選 日に二トン湧き(立山玉殿の湧水)
柳津や 虚空蔵尊に 大清水 弘法清水と 称されもして(大清水)
洞川の ごろごろ水は 百選で 石灰岩相 湧出せしと(ごろごろ水)
湧水が あちらこちらに あるために 見向きもされぬ 金沢の水(金洗清水) 56歳