霊山登拝その7 長句(短歌・狂歌)
双耳峰 遠く眺めて 憧れる 男体山の 奥久慈の春(同上/霊山登拝101) 59歳
ひと呼吸 男体山の 眼下には 袋田の谷 うぐいすの声(同上)
東屋に 腰を据えたは 一服す 男体山の 頂き目の前(同上)
山頂に 祠と石碑 三角点 霊山登拝 成し遂げて見る(同上)
山頂の 標識に見る その個性 ユニークなりと 手で触れてみる(同上)
三角点 山頂の印 あればこそ カメラに写す 汗と別れて(同上)
山頂の 祠にまたも 手を合わす 無事の下山の 祈りを込めて(同上)
髙さでは スカイツリーと 同じでも まるで異なる 自然と人造(同上)
名ばかりの 休養林と 成り果てて 人も訪ねぬ 奥久慈の山(同上)
朽ちて行く ベンチを見るも 哀れなり 男体山に 登山者もなく(同上)
登山者の いない道辺の 友なるや テングスミレの 紫の花(同上)
倒木を そのままにして 登山道 寂れる山は 哀れなりけり(同上)
生瀬滝 更なる上の 登山口 思いもかけぬ 月居山は(月居山)
階段と 何故に呼ぶのか 屋外で 我れは鉄段と 呼んでもみたり(同上)
袋田の 滝を上から 眺めたり 月居山の 藪のはざまに(同上)
三瀑で 上から覗く 滝もあり 春まだ浅き 袋田の滝(月居山)
石段が どこまで続くや 登山道 月居山を 甘く見たかな(同上)
袋田の 滝に寄り添う 集落は 江戸の時より 滝で潤う(同上)
屋根の色 同じく揃え 塗り替える 新たな家並み 絵となりにけり(同上)
滝の他 見るもの多き 袋田の 滝を集めた 生瀬川かな(同上)
あと少し 城跡も見ず 退散す マムシに噛まれた 人々を知り(同上)
月居に 心も折れて 下山する 奇岩怪石 城跡の山(同上)
何となく 心惹かれて 登るかな 鉢伏山の 春の姿に(敦賀鉢伏山)
見渡せば 遥か彼方に 白山が 微かに見ゆる ゲレンデの中(同上)
福井では 未だ滑らぬ スキー場 未練残して またいつの日か(同上)
山頂に 寂れたままの 三角点 その先に見る 敦賀の景色(同上)
敦賀から フェリーに乗りて 往来す 秋田を結ぶ 北前の道(同上)
名も知らぬ 山も連なる 越美かな 能郷白山 そのうち行くよ(同上)
雪道や 頼りになるは 靴の跡 その足跡も 十人十色(針ノ木岳)
山小屋に 立ち寄る暇も ないままに 先へ先へと 雪道を行く(同上)
前を行く 山スキーヤーが うらやまし 針ノ木岳の 大雪渓かな(同上)
昨年は 三度滑った 春スキー 岩木・鳥海 八甲田山(同上)
振り向けば 谷間の奥に 蓮華岳 いつか登らん 三百名山(同上)
夢に見る 赤沢岳の 大縦走 秋たけなわの 紅葉の頃に(同上)
甘く見た 大雪渓の 急斜面 四本爪では 役にもたたず(同上)
雪山の 恐怖に耐えて 見た景色 忘れられない 宝物となる(同上)
目の前に 針ノ木岳が 寄りついて 絶好調の 姿を見せん(同上/霊山登拝102) 59歳
先客の 足跡たどり 山頂に これは運なり 山の情けか(同上)
北の峰 鹿島槍ヶ岳 顔を出し 元気な姿 互いに見つめ(同上)
南には 二百名山 烏帽子岳 烏帽子の名では 高さが二位で(同上)
風弱く 雲が時折り 寄せるだけ 雪と青空 山頂附近(同上)
足跡の 途切れたピーク 山頂で 標柱などは 雪に埋もれて(同上)
百名山 登り終えても まだ続く 北アルプスの 夢の峰々(同上)
厳冬期 佐々成政 家康の 援軍求め 越えた峠で(同上)
中部地区 飛騨山脈が 二分する 太平洋と 日本海とを(同上)
憧れの 燕岳の 登山口 中房温泉 予約を済ませ(燕岳)
カヤマツの 表銀座の 登山道 燕岳は 品格高く(同上)
荷揚用 ロープウェイ ふと見える 合戦小屋へ 続く様子で(同上)
東側 有明山が 対峙する 対照的な 樹林山頂(同上)
急登の 合戦尾根を 無事越えて 合戦小屋に たどり着くなり(同上)
雪の中 緑の屋根に 黒い壁 何とも言えない 小屋の彩(同上)
小屋の外 信じられない 賑やかさ 五月連休 雪の天国(同上)
標識に 山頂までの 距離を知る 余裕で行ける 残り二キロ弱(同上)
餓鬼岳は 二百名山で 里の山 親しみ易き 名に変えたらと(同上)
尾根の先 山頂見えて 手を合わす 観音様を 拝むが如く(同上)
尾根の上 燕山荘の 建屋見え 先頭こける 団体の列(同上)
山荘は ペンション風の ログハウス 高級感が あちらこちらに(同上)
左折して 表銀座の フルコース 縦走したき 願いは熱く(同上)
烏帽子岳 昨日北から 今日南 眺めるだけの 二百名山(同上)
女王と デートをしたり 春登山 燕岳の 雪の微笑み(同上)
すり減った 三角点は 撫で石か 達成感を この石にこめ(同上)
聞きたいナ アルプホルンの 演奏を 燕山荘で ビール飲みつつ(同上)
女王の 燕岳の 魅力とは 高山植物 中房温泉(同上)
安曇野の 有明山は 霊山で 信濃富士とも 呼ばれる形(有明山)
登山口 裏参道の 有明荘 樽沢ノ滝 見物を兼ね(同上)
登山道 行けば今度は 三段の 滝も現れ 驚き眺む(同上)
木の根には 神社登山道 標識が 裏参道の コース確認(同上)
六合目 過ぎて残雪 深くなり コース失う 時もしばしば(同上)
七合目 石柱眺め 躊躇する 急登多く 登山者もなく(同上)
登山者の 登らぬ山は 魅力なし 山小屋もなく オアシスもなく(同上)
昨日の 燕岳と 大違い 有明山の 厳しさ静かさ(同上)
尾根に立ち 大天井岳 眺めては 下山決意し 次回表から(同上)
登山口 簸川神社 駐車場 神社参拝 登山を開始(文殊山/霊山登拝103) 59歳
遠出せず 越前五山の 文殊山 あわらに暮らし ひと月が過ぎ(同上)
水呑場 不動明王 石像が されども水は 涸れて草生え(同上)
手前から 春日山に 三里山 奥に五山の 日野山聳え(同上)
西国の 三十三ヶ所 観音の 石像が建つ 大文殊かな(同上)
文殊山 何も知らずに 感謝す 低山ながらも 魅力ある山(同上)
山頂を 過ぎて大きな 岩二つ 凝灰岩の 胎内くぐり(同上)
邪心者が 通れば岩が 閉じるとか ぎりぎりセーフで くぐり抜けたり(同上)
開山の 泰澄大師 経文を この岩の下 奉納せしと(同上)
奥ノ院 観音菩薩 本尊に 小さな御堂 新築されて(同上)
文殊山 三角点は 奥ノ院 妊婦参れば 産後いいとも(同上)
旧堂は 解体せずに 保存せし 粋な計らい 楞厳寺かな(同上)
姫路市の 雪彦山は 修験道 日本に三座 三彦山で(雪彦山)
登山口 路肩駐車で 車停め 人気の高い 山にチャレンジ(同上)
開山は 飛鳥時代の 法道で 金剛鎮護寺 創建されて(同上)
表示には 虹ヶ滝との 名前あり 眺めて見ると 虹現れず(同上)
岩峰を 過ぎると杉の 登山道 雪彦山の 最高地へと(同上)
平坦な 杉の林の 尾根のみち 雪彦山の 裏の顔でも(同上)
山頂の 三角点は 四等で 全国各地に 七万点と(同上)
山頂は 広場になって いるけれど 展望悪く 我一人のみ(同上)
三彦山 目指して三年 果たし得て 山のバッヂは 雪彦山のみ(同上)
登山者は 大天井岳 登頂し 雪彦山の 登拝として(同上)
忘れ得ぬ 雪彦山の 天狗岩 奇勝奇岩の 一つなりしか(同上)
南面の 三角錐が 美しく 雪彦山は 大天井岳(同上)
岐阜県の 両白山地 雄峰の 大日ヶ岳 二百名山で(大日ヶ岳/霊山登拝104) 59歳
登山口 ダイナランドの スキー場 車で上り 登山を開始(同上)
登山道 標識を見て 安堵する 現地頼りの 今日の登山は(同上)
東面に 高鷲スノーと 南面に 白鳥リゾート スキー天国(同上)
登山より 大日ヶ岳 山スキー 板にシールで 楽に山頂へ(同上)
奈良時代 泰澄大師 開山し 大日如来 山頂に祀り(同上)
美濃と飛騨 越前入れて 三国の 境に位置し 三国山とも(同上)
一等の 三角点に 詩碑が建ち 賑やか過ぎる 人工物よ(同上)
山頂で 一期一会の 登山客 同じ空気と 同じ眺めを(同上)
これからは ひるがの高原 一帯が 第二の志賀と 呼ぶに等しき(同上)
登山後は 滝を眺めて 湯に入り 素麺岩魚と 食べて楽しむ(同上)
福井県 最高峰の 経ヶ岳 三百名山 今日のターゲット(経ヶ岳)
登山口 銚子ヶ口の 展望所 大野市街地 先ずは眺めて(同上)
ミズナラと ブナの合体 登山道 アダムとイブの 木と名付けられ(同上)
六呂師の 高原の先 部子山が 盆地を囲み 対峙するかな(同上)
山麓に 泰澄開基の 平泉寺 経ヶ岳には 経文納め(同上)
紛らわし 三角点と 思いきは 境界線の 石柱のよう(同上)
二番目の 釈氏ヶ岳を 越えた尾根 中岳・山頂 顔をそろえて(同上)
中岳の ピーク過ぎれば 山頂が 優しき姿 覗かせるなり(同上)
山頂は 広々とした 草地なり 両白山地 眺望が良く(同上)
山頂に 宗教的な 祭祀なく 開道記念碑 埋設されて(同上)
登山後の 温泉入浴 叶わざる 秘湯の宿の 消える淋しさ(同上)
福井岐阜 両白山地 最南部 能郷白山 二百名山(能郷白山)
登山口 温見峠の 道路端 最短コース ピストン予定(同上)
稜線の 雲の上には 白山が 南の顔を 見せてくれたり(同上)
開山は 泰澄大師で 能郷に 白山権現 祀り創建(同上)
急坂の 山頂直下の 登山道 短い距離も 甘くない山(同上/霊山登拝105) 59歳
両白山 登って尽きぬ 越前路 泰澄大師の 霊山多く(同上)
一等の 三角点が 山頂に 異夢異質なる 山と思えず(同上)
山頂を 下った尾根に 奥宮が 展望の良き 眺めと共に(同上)
主祭神 白山権現 ククリヒメ 本社は麓 能郷にあり(同上)
幾重にも 両白山地 稜線が 能郷白山 南端ならば(同上)
亀山は 大野城郭 建つ山で 天空の城 昭和の再建(亀山)
築城は 桃山時代の 大野城 金森長近 以降六氏に(同上)
三等の 三角点が 山頂に 山城なれど 山は山なり(同上)
日野山は 越前五山 一座にて 越前富士の 異名もありて(日野山)
日野神社 継体天皇 祭神に 創建不明 日野山麓に(同上)
日野の山 杉むら埋む 雪はなし 思い出すのは 紫式部(同上)
山域は イノシシ除けの フェンス建て 出入りするも 施錠がっちり(同上)
山頂へ 一・八キロ 標識に 沢水の音 ウグイスの声(同上)
弁慶の 三枚切りの 怪石に 義経一行 姿が浮かぶ(同上)
釣鐘に 不動明王 石仏と 仏教色も 山中腹に(同上)
室堂や 昔の山小屋 日野山に 立山白山 眺めて来たナ(同上)
その昔 女人禁制 日野山で 無視した比丘尼 転ばされたと(同上)
大比丘尼 ころがし坂は ローブ張り 往時異にする 状況となり(同上)
坂越えて 長命水池 表示板 奇特な信者 水掘り得たと(同上)
奥ノ院 髙い基壇に 建つ社殿 典型的な 神明造り(同上)
山の絵は 部子山銀杏峰 中心部 東方向 眺めた様子(同上)
薄らと 能郷白山 ご挨拶 先週登拝の 親しみもあり(同上)
拝殿は 休憩所兼ね 眺めると 裸足参りが 三千回と(同上)
林道の 先の景色が 気にかかる 牧谷峠 朝倉街道(同上)
開山は 泰澄大師 奈良時代 吉野ヶ岳は 越前五山(吉野ヶ岳)
吉野から 蔵王権現 分祀して 神仏習合 修験の社殿(同上)
気にもせず 通り過ぎる 山なれど 越前五山は 無視できぬ山(同上)
足羽山 山頂古墳の 霊山で 福井平野の 独立丘陵(足羽山/霊山登拝106) 59歳
巨大なる 継体天皇 石像は 明治前期の 建立と言う(同上)
城下町 養浩館が 残るだけ 五十万石 福井の眺め(同上)
足羽山 三角点の 側近く いい禄を食む 役人も居て(同上)
部子山は 道路アクセス 長すぎて 何とか登山 林道に着く(部子山)
林道は 狭くて長い 道なれど 舗装がされて 不快感なく(同上)
登山道 看板壊れ そのままに 牧場含め 衰退見られ(同上)
新しき 避難小屋かと 覗き見る 神棚のある 新奥社とか(同上)
なだらかな 山頂の尾根 部子山は 岩場がなくて 不思議な眺め(同上)
草叢に 白と黄色の 花競う トリアシショウマ マルバタケブキ(同上)
様々な 灌木生える 登山道 一木一草 一期一会(同上)
福井にて 越前五山 登り終え いつ去るとても 悔いはないかな(同上)
祠には 薬師に代わり メノコヒメ 継体天皇 妃とされて(同上)
添う山に 四角い電波 反射板 最初は何かと 怪訝に眺め(同上)
福井では 荒島岳が 初登山 百名山を 目指した頃に(同上)
この時期は 赤紫の シモツケソウ 出会いて嬉し 花の一つで(同上)
郡上北 三百名山 鷲ヶ岳 鷲の巣窟 スキーリゾートに(鷲ヶ岳)
登山口 スキー場からの 林道で 持参の地図は 当てにはならず(同上)
標識が 無ければ見落とす 登山道 初めての山 憶測禁句(同上)
建つ社殿 藤原頼保 顕彰堂 鎌倉時代の オオワシ退治(同上)
煙草なし 一ぷく平 小休止 煙草は下山後 最もうまく(同上)
林道が 山頂近く 伸びていて 知れば車で 上ったものを(同上)
スキーでも 登れそうな 鷲ヶ岳 今度は雪を 眺めに来るか(同上)
三等の 三角点と 方位盤 山頂にある 人工物は(同上)
山頂の 北の尾根みち 一色に 続いているが 迷い易いとも(同上)
参道の 四百歳の 杉並木 戸隠神社 山の入口(戸隠山)
北信の 戸隠山は 霊山で 二百名山 険峻な峰(同上/霊山登拝107) 59歳
絶壁に 百間長屋 洞窟は 人工的な 切通しかな(同上)
縦横の 鎖に縋る 岩登り 戸隠山の 険しさ怖さ(同上)
恐怖心 修行によりて 克服す 三険峰の 岩場を越えて(同上)
怖かった 蟻ノ塔渡り 通過して 褒美の花は コゴメグサかな(同上)
また難所 剣ノ刃渡し 鎖あり 足元の花 眺められたり(同上)
尾根に出て ミヤマウイキョウ 花添える 久方ぶりの 高妻山に(同上)
北の空 戸隠連峰 最高地 高妻山は 百名山で(同上)
山頂を 八方睨と 比定して 危険な山は 早く終えたい(同上)
無事下山 なにやともあれ 参拝す 戸隠神社 奥の社に(同上)
裏銀座 双六岳は 未踏峰 新穂高から 十四キロを(双六岳)
二階建て わさび平小屋 旅館風 温泉あれば 秘湯の宿に(同上)
蒲田川 左俣谷 河川敷 荒涼とした 土石の眺め(同上)
左俣 右俣分ける 稜線は 奥丸山が 最高峰で(同上)
左俣 秩父沢へと 分岐して 未知の景観 全方位なり(同上)
登山道 あってはこその 山登り 造りし人の 汗を忘れず(同上)
鏡池 オオシラビソの 景観が 北欧の森 思い出さすか(同上)
気品ある 鏡平の 山荘で 聞いてもみたき フクロウの声(同上)
トリカブト マルバタケブキ 草叢に 紫黄色 妙な色合い(同上)
登山道 お花畑の ただ中で 知らない花は 写真に残す(同上)
笠ヶ岳 稜線分岐に 顔浮かび 大ノマ岳も 踏んでも行きたし(同上)
双六の 花見平は 素晴らしく 百花繚乱 半分ほどか(同上)
岩山と 対峙している 双六に 距離を隔てて 美人と登る(同上)
巻道を 過ぎて丸山 三俣と 見慣れた景色 脳裏に過る(同上)
三俣の 山頂までは 四キロで 未踏の道に 未練が残る(同上/霊山登拝108) 59歳
二年ぶり 百名山の 鷲ヶ岳 双六岳は 番外名山(同上)
山頂の 三角点は 二等にて 中俣岳の 点名があり(同上)
深山の 双六岳は 裏銀座 人里遠く 愛される山(同上)
鷲羽岳 水晶岳と 百名山 北に聳える 双六の友(同上)
地図になき 双六南峰 登山道 稜線沿いに 道らしき筋(同上)
山頂に 要した時間 七時間 下山四時間 目標として(同上)
振り向くと 双六岳は 烏帽子形 コバイケソウが 草地に咲いて(同上)
地図になき 樅沢岳の 避難小屋 現地情報 登山の宝(同上)
ハイマツの 谷にクマザサ 生え分れ 双六岳の 魅力山肌(同上)
麓より 双六南峰 眺めると 切立つ尾根の 姿は見えず(同上)
裏銀座 北アルプスの 王道で 双六からの 槍が醍醐味(同上)
震災の 涙にくれた 数ヶ月 生きて目指すは 槍の鉾先(追想)
眼下には 鏡平が 見えて来て 浮き足たつや 下山の歩み(双六岳)
見るからに 明鏡止水 鏡池 北アルプスの 小池新道(同上)
生ビール 生ラーメンを 山荘で 十二時間の 登山途中に(同上)
秩父沢 単独登山の 山ガール テント担いだ 姿勇まし(同上)
林道に 合流しては まず安堵 林道歩き ほぼ駆け足で(同上)
新穂高 十二時間余の 登山終え 温泉宿で 爆睡したり(同上)
久々に 酒飲み語る 山の宿 温泉最高 料理イマイチ(白馬乗鞍岳)
登山口 蓮華温泉 裏山 前泊しては 白馬乗鞍へ(同上)
登山道 天狗ノ庭の 表示あり よく聞く名所 白馬にもあり(同上)
古木あり 洗練された 登山道 白馬大池 誘う道で(同上)
今回は 雪倉岳を 断念し アクセスの良い 乗鞍岳に(同上)
湿原の 白い残雪 見て思う 白馬岳に 供える餅と(同上)
赤ずくめ 白馬大池 山荘は 白色ならば 他に例なく(同上)
見渡せば 池周辺は 湿原で 所々に 残雪もあり(同上)
白色の ミヤマセンキュウ 取り囲む 赤紫の ヨツバシオガマ(同上)
大池に クロサンショウウオ 棲むと聞く 魚は棲まぬ 不思議な池で(同上)
山荘は 校舎のような 平屋建て 湖畔の宿に 温泉あればと(同上)
小蓮華山 新潟県の 最高地 三角錐は 眺めるだけで(同上/霊山登拝109) 59歳
山と海 交互に遊ぶ 越前路 青い海原 緑の山路(雨請山)
江戸中期 雨請堂は 建てられて 不動明王 龍王祀り(同上)
三山の 未踏の山が 焼山で 三百名山 活火山でも(同上)
一般車 第二林道 不可とあり 自転車侵入 功を奏する(同上)
登山口 やっと辿って 来たけれど 昨日晴れれば 楽もできたと(同上)
雄峰の 高松山に 道はなく 残雪期のみ 登山可能と(同上)
急坂に 大助かりの ロープあり 鎖の方が 握り易くも(同上)
稜線に 人工物は 何もなし 秘境の山 素朴な眺め(同上)
熊さんに 出合わぬように 願うかな 先の見えない 藪道の中(同上)
山静か 標識さびれ 人もなく 頸城三山 一座は孤独(同上)
乙見湖の 周囲の山は 名山で 笹ヶ峰には 休暇村あり(同上)
金山の 稜線沿いの 登山道 人の姿なく 草地が続く(同上)
泊岩 眺め富士見で リタイヤす 登り五時間 タイムアウトに
焼山や 頸城三山 泊岩 北面だけの 岩峰すがた(同上)
山頂を 往復すれば 二時間で 途中下山は 火打山でも(同上)
笹ヶ峰 基点とすれば 三山を 一泊二日 縦走可なり(同上)
駐車場 午後三時半 到着し 無理せぬことが 登山の基本(同上)
愛車には 車上荒らしも 手を付けず 自分同様 オンボロ車で(同上)
県境の 両白山地 雄峰で 冠山は 三百名山(冠山)
登山口 冠山の 峠にて 越前美濃の 旧国境(同上)
登山道 烏帽子山頂 丸見えで 迷うことなく 直線上を(同上)
幾重にも 連なる山の 北東に 白山だけが 一際高く(同上)
山頂は 三角点と 標識で 石祠石仏 無いのが自然(同上/霊山登拝110) 59歳
振り向けば 山頂直下 鎖場が 冠山で 印象深く(同上)
岐阜側は 道のり遠く 峠まで 大垣インター 七十六キロ(同上)
登山より アクセス長き 峠まで 武生インター 四十キロも(同上)
ナナカマド 冠山に 赤い実が ルビーのように 思える景色(同上)
峠には 五キロに及ぶ トンネルが 十年後に 開通すると(同上)
揖斐川や 冠山が 源流と 新たな知識 峠で学ぶ(同上)
河口湖 ロープウェイに 搭乗し 天上山に 登拝するかな(天上山)
逆さ富士 期待を寄せた 富士見台 逆さどころか 山も見えずに(同上)
河口湖 再び訪ね 思い出す 一緒に歩いた 友の姿を(同上)
別名は カチカチ山と 称されて 昔の賑わい 消えて久しく(同上)
府戸尾根を 越えて縦走 三ッ峠 閑散として 思い途切れる(同上)
江戸前期 小御嶽神社 建てられて イワナガヒメを 主祭神とし(同上)
富士山の 小御岳神社に 比べると 哀れな規模の 嘯山で(同上)
外輪の 足柄山の 最高地 金時山の 霊山登拝(金時山)
登山口 金時神社 境内で 山の大将 見守る中を(同上)
金太郎 伝説の山 手鞠石 大きな石に 弁慶退散(同上)
金時の 宿り石なる 割れ石は 桃太郎をも 連想させる(同上)
分岐点 立派な石柱 立ちてあり 仙石原に 続く道なり(同上)
山頂に 金時娘の 茶屋があり 娘は既に 傘寿と言いし(同上)
富士宮で 眺めた富士は 二日前 真東に来て 見えぬ片富士(同上)
山頂に 猪鼻神社 祠建つ 足柄山の 山神祀り(同上)
東面 仙石原の 草原は ススキ一面 花盛りかな(同上)
中腹に 乙女峠の 展望台 富士は見えずも 脳裏に紅く(同上)
下山後は 強羅温泉 宿泊し 詩歌詠みつつ 一人慰労会(同上)
足柄の 大雄山 最乗寺 曹洞宗の 東国古刹(大雄山)
天狗には 山男なら 憧れる 自由自在に 山を極めて(同上)
分岐点 大雄山の 山頂へ 今日は無理せず 奥ノ院まで(同上)
山頂を 探し出せずに 引き返す そんな山なり 大雄山は(同上)
島山に 八丈島は 欠かせない 西山登山 八丈富士よ(西山/霊山登拝111) 59歳
登山口 鉢巻き道路 分岐点 先は牧場 見晴らしは良く(同上)
西山を 八丈富士に 見立てては 浅間神社 合わせ創建(同上)
五大老 宇喜多秀家 流刑地 その名を記す 宿り洞窟(同上)
山頂で 五百メートル 鉢めぐり 霧に隠れて 火口は見えず(同上)
東京の 離島の山で 最高地 谷越しに見える 火口丘かな(同上)
山頂の 三角点は 二等なり 名もなき島に 一等はあり(同上)
三原山 ひょうたん形の 下部分 西山よりも 古き火山で(三原山)
三原山 山頂らしき 風情なく 眺めるだけの 山の一座か(同上)
稜線に テーブル状の 山頂が 奇怪な眺め 人為的にも(同上)
底土港 さるびあ丸が 入港す 一度乗りたい 客船であり(同上)
よく見ると 中央火口に 小池あり 火山の山と 思えぬ眺め(同上)
秋風や 八丈富士の 二度登り 待てば海路の 日和ありけり(同上)
まん丸い 外輪山は 富士に似て ミニ富士山を 行くが如くに(同上)
最近は ストック一つに 切り替えて 片手自由に 岩や木を掴み(同上)
理想郷 ひょうたん島と 思うなら ひょうたん山は 八丈富士で(同上)
江戸明治 八丈島の 流人たち 八丈富士に 登山したかな(同上)
昭和期に 集団離島の 小島なり 最後の島民 九十人と(同上)
秀家は 家来連れての 流刑で 住居の跡は 大賀郷とか(同上)
東京と 八丈島の 定期船 八丈富士から 手を振り眺む(同上)
吾妻山 一切経山 南端に 三百名山 活火山でも(一切経山)
活火山 入山禁止 場所多く 一切経山 どんな山かと(同上)
晴れる日の 少なき名所 思い出す 霧の摩周湖 浄土平と(同上/霊山登拝112) 59歳
酸ヶ平 ペンション風の 避難小屋 避難するより 泊まりたきかな(同上)
湿原を 過ぎると砂礫 登山道 地獄の山を 見るが如くに(同上)
火山ガス 噴出したる 場所もあり 直登コース 閉鎖されたり(同上)
ケルンには 空気大感謝 塔の文字 気にせぬ空気 これも神なり(同上)
一等の 三角点に 標識が 一切経山 幾世くらさん(同上)
酸ヶ平 オオシラビソに 湿原が 秋になりても 緑鮮やか(同上)
吾妻富士 浄土平が 表顔 一切経山 裏の顔でも(同上)
幾度なく 浄土平に 来ているが 鎌沼見るは 今日が初めて(同上)
湿原に 針葉樹林 落葉樹 沼周辺は 植生豊か(同上)
池沼群 由利高原の 特徴で 笹森丘陵 出羽山地見ゆ(鳥海山)
随分と 風力発電 増えたかな 仁賀保高原 海辺の眺め(同上)
六合目 賽の河原に 地獄なし 有るは水場で 命は続き(同上)
鳥海は 森林限界 五合目で 見晴らしの良い 道続くなり(同上)
鳥海湖 鳥海山の 湖沼では 旧火口湖で 最高地なり(同上)
湖と 呼ぶには浅く 小さくて 鳥ノ海など もっての外と(同上)
富士山に 宝永山が ある如く 鳥海山に 稲倉岳が(同上)
七合目 御浜神社に 御浜小屋 八月末日 山終いして(同上)
祭神の オオモノイミは 里に下り 七月初旬 山に戻ると(同上)
新山の 溶岩ドーム 江戸後期 噴火噴石 安山岩と(同上)
南には 朝日連峰 更に奥 飯豊連峰 うっすらと見え(同上)
ふるさとの 山は尊く なつかしく 感謝が尽ぬ 鳥海の山(同上)
その昔 芭蕉もめでし 出羽富士は 朝夕拝す ふるさとの山(同上)
新山と 七高山が 山頂で 鳥海山は 双耳峰なり(同上)
外輪の 伏拝岳 ヤセ尾根で 断崖絶壁 続く険路で(同上/霊山登拝113) 59歳
石祠立つ 伏拝岳 山頂に 鳥海修験 語る面影(同上)
河原宿 未だ見ぬコース 下山する どんな出会い 有るかと期待(同上)
湯ノ台の 心字雪渓 残雪が 万年雪に 変化するのか(同上)
鉾立に 比べて見ると 雪形が 湯ノ台道の 秋の景色に(同上)
河原宿 到着すると 山小屋が 昭和の匂い 残したままに(同上)
滝ノ小屋 洒落た造りの 山小屋で 鳥海登山 最短コース(同上)
下山口 湯ノ台からは タクシーで 遠く離れた 鉾立へ行く(同上)
大阪の 天保山は 築山で 日本一の 低い山でも(天保山)
友ありて 見知らぬ街を 歩くかな 弁天埠頭に 古き夢あり(同上)
山頂は 大観覧車の 最上部 天保山も 様変わりして(同上)
標高が 四メートルの 天保山 三角点は 二等で低く(同上)
面白き 三角点の 歩道かな 表示なければ 誰も気づかず(同上)
白鳳期 役行者の 開山で 大峰山は 高羽山とも(大峰山)
登山口 馬瀬林道 分岐点 中国自然 歩道とありて(同上)
恵まれた 渓流もあり 大峰山 自然歩道を ただ一人きり(同上)
林道に 車の轍 消え失せて 山の管理は 成されてなさそう(同上)
山頂が 見えても道が 見当たらず 林道終点 右往左往す(同上)
仏通寺 出発しては 二時間余 大峰山の 標識目にす(同上)
山頂に 霊山らしき 遺跡なく 残夢一礼 遠い時代に(同上)
三等の 三角点が 石仏と 偶像拝む 安芸の大峰(同上)
山頂は 展望がなく 人気なく 寂れるだけの 歴史的峰(同上)
宮崎の 大崩山は 山水画 二百名山 険路な峰で(大崩山)
祝子川 温泉脇の 駐車場 大崩山の 登山拠点で(同上)
分岐点 大崩山荘 建ちてあり 坊主尾根から 最短コース(同上)
恐怖心 大崩山の 装備なり 姿勢は低く 三点確保(同上)
坊主岩 天辺部分は 乳房似で 乳頭岩と 呼んだらどうか(同上/霊山登拝114) 59歳
岩峰を ワク塚と呼び 断崖を ダキと呼んだり 特異な眺め(同上)
対峙する 下和久塚の 下の崖 袖ダキの名の 展望所とか(同上)
祖母山の 縦走コースに 五葉岳 憧れ眺む 秀麗な山(同上)
標高差 千を超えれば 難儀なり そんな岩山 大崩山よ(同上)
一等の 三角点に 賽銭が 大崩山は 頁岩が神(同上)
山頂は 見晴らし悪く 客は来ず 北方向が わずかに見えし(同上)
梯子段 前傾姿勢で 下りるのが 慣れてしまえば より安全で(同上)
小積ダキ クライミングの 岩壁で 手足も出ずに 眺めるだけで(同上)
山容は マッターホルン 見る如く 上和久塚の 岩の頂(同上)
登山道 名前なき石 数多あり 仮に名付けて 団子石とでも(同上)
つっかい棒 避難岩屋に 木の枝か 無駄と知りつつ 置いて行くのか(同上)
ロープあり 岩場の斜面 トラバース 有るだけましな トラロープかな(同上)
山小屋は 登山者同士 触れ合う場 山の情報 入手する場でも(同上)
露天から 大崩山を 眺め見て よくぞ登ったと 思う険しさ(同上)
広島に 赴任して来て 魅せられる 毛利元就 関わる山を(郡山)
郡山 城の遺構は 無いけれど 展望台が 有るだけましと(同上)
築城は 室町初期の 山城で 毛利氏十代 吉田を拠点に(同上)
戦国の 七雄の城 訪ね得て 夢まためぐる 安芸の山々(同上)
広島に 城下が遷り 城は消え 浅野時代は 三万石と(同上)
広島の 北に位置する 福王寺 大師開基の 安芸の高野山(福王寺山)
中腹の 展望台は 珍しき 三角形の 奇抜なデッキ(同上)
山麓の 平地に家が びっしりと 夜景であれば 如何なもと(同上)
藪こぎは 最も嫌な 山登り 紅葉だけで 満足したり(同上)
丁石に 般若心経 印したり 無無明無老死 尽くされること(同上)
登山道 参道となり 境内に 自然歩道の 一部でもあり(同上/霊山登拝115) 59歳
供花もなく 福王寺山 衰退し 道なき山の 石仏哀れ(同上)
山頂を 目前にして 撤退す 藪に隠れた 毛ムシ苦労し(同上)
石標が 鳥居の如く 建ちてあり ただの天記と 特天記とが(若竹山)
中心部 展望台が スポットで 円形二階の 白亜の建屋(同上)
目指すのは 若竹山の 山頂で ススキとササの 平原を行く(同上)
雄大な カルスト台地 草紅葉 阿蘇を思わす 感動を呼ぶ(同上)
ドリーネは カルスト台地 窪地とか すり鉢状の 穴も見えたり(同上)
広島の 元安橋から 宮島へ 世界遺産の 航路利用し(宮島弥山)
登山口 桟橋からの ガチンコで 紅葉谷コース 登山予定(同上)
フェリーには 多くの客の 姿見え 混雑予想 思うのよそう(同上)
瀬戸向こう 宗教施設と 思いきや 海の見える杜 美術館とか(同上)
奈良の鹿 戦後に譲渡 宮島に 島全体で 約五百頭(同上)
紅葉谷 公園内は 客多数 この谷一番 賑わう時で(同上)
万国旗 掲げて登る 気分なる 世界遺産の 弥山参道(同上)
北麓の 原生林が 記念物 昭和四年の 指定とされて(同上)
山頂の 手前に見える 建物は ロープウェイの 獅子岩駅(同上)
文殊堂 観音堂と 建ち並び 巨岩の中に 木のモニュメント(同上)
山上に 丸くて白い 花崗岩 針葉樹林 緑を添えて(同上)
山頂に 登山者多く それぞれに 秋の眺めを 岩の上から(同上)
南西に 岩船岳の 森続き 自然豊かな 世界遺産でも(同上)
満潮時 岩の穴から 水溢れ 干潮岩は 七不思議とか(同上)
下山路は 大聖院の 参道で 三年ぶりの 参拝となり(同上)
宮島の 原生林に 道はなく 眺めるだけの 小さき秘境(同上)
名前なき 船形をした 岩もあり 草木が茂り 見向きもされず(同上)
港には 千畳閣に 五重塔 対照的な 広さと髙さ(同上)
全国に 白糸ノ滝 名瀑は 富士の芝川 最上川かな(同上)
霊亀山 島根津和野の 山城で リフト登山を 経験したく(霊亀山/霊山登拝116) 60歳
登山口 リフトは休止 休日日 肩をすぼめて 登山を開始(同上)
城跡の 観光リフト 珍しく 他に四国の 松山城に(同上)
築城は 鎌倉時代 吉見氏が 三本松の 名前で完成(同上)
出丸には どんな櫓が あったのか 国の史跡に 説明がなく(同上)
災害で 見物てきぬ 遺構あり 城好きとして 残念至極(同上)
還暦の 日を迎えての 城と寺 百名山に 続く頂き(同上)
山城は 天空の城と 称される 雲海ありて 城郭あれば(同上)
中腹に 稲成神社が 建てられて 霊山らしき 霊亀山かな(同上)
広島の 三瀧寺には 宗箇山 空海大師 開山と聞く(宗箇山)
登山道 三滝山と 表示され 紛らわしさは 改称すべき(同上)
手を合わす 三角点は 石仏と 宗教色が 消えた頂き(同上)
山頂の 宗箇の松は 四代目 茶人の宗箇 植えし赤松(同上)
展望所 写真パネルが 設置され 広島の山 頭に刻む(同上)
夫婦石 広島の街 見下ろして 平和の日々を 見守る如く(同上)
山小屋の ラーメン懐かし 山歩き 思い出も増す にゅうめんの味(同上)
廿日市 行基開基の 極楽寺 その山頂を 今日は登拝を(極楽寺山)
山頂は 展望広場に 東屋が 国立公園 一部に入り(同上)
三山を 登拝すれば 真言宗 いずれは帰る 阿字のふるさと(同上)
宮島を 眺める度に 遥拝す 日本三景 絶対的で(同上)
野呂山は 空海大師 修行地で 山頂附近に 弘法寺建ち(野呂山)
山域は 高原台地の 景勝地 国民宿舎 キャンプ場あり(同上)
伊音城 八十八ヶ所 札所あり 野呂山中の 岩場六ヶ所に(同上)
十体が 毘沙門岩に 祀られて 札所十ヶ所 打つと同じと(同上)
本堂に 舞台造りの 展望所 冬の夕暮れ 風光明媚(同上)
瀬戸の海 数えきれない 島の数 山を下って 目指す島々(同上)
三等の 三角点が 西側に 粋なキャンパー イワナ焼くなり(同上)
好きな子の 手が握りたく ときめいた 十四の夏の キャンプファイヤー(同上)
山頂の 杉林には 遊歩道 広々として 落葉色添え(同上)
野呂山の 最高地点 東面 蜂に礼せず 追われてみたり(同上)
西側に 人工池の 氷池 明治後期に 氷製造(同上)
三角の ビジターセンター 池の上 見学しては 登拝の結び(同上)
城山は 白山城址 平賀氏が 室町末期 築城せしと(城山/霊山登拝117) 60歳
名も知らぬ 安芸西条の 城下町 竹に埋もれた 城跡淋し(同上)
四等の 三角点が 城山に 有るだけましな 山と認識(同上)
平賀氏は 出羽の平鹿の 出身と 聞いて重なる 衰退の跡(同上)
竹林寺 小野篁 生誕と 疑わしくも 登山を開始(篁山)
開創は 行基菩薩の 花王寺で 真言宗の 竹林寺となり(同上)
草のない 篁山の 登山道 植栽したら 眺め良いのに(同上)
この寺の 三重塔 東京の 椿山荘に 売却されて(同上)
聞きもせぬ 霊山多し 安芸の国 低山ながら 満たされてゆく(同上)
山頂に 小さな表示 石柱が 篁山の 存在示し(同上)
生口島 潮音山に 小登山 三重塔 眺めるために(潮音山)
参道に 八十八ヶ所 石仏が 粗末ながらも お出迎えあり(同上)
島々を 巡りる目的 二つのみ 最高峰と 温泉探し(同上)
標高の 基準点とは 関わらぬ 測点標の 名が紛らわし(同上)
向上寺 三重塔 日本画の 平山郁夫 愛せし塔と(同上)
ササ藪が 竹藪となり 廃棄物 似島の人 美化意識なく(安芸小富士)
嵯峨野では 手入れをされた 竹林 ここは放置の 竹藪の道(同上)
尾根に出て 名無しの石を 撫で石と 名付けて腰を 掛けたりもして(同上)
山頂の 三角点は 二等なり 眼下に見える カキ煮納屋かな(同上)
大晦日 瀬戸内海の 晴れ姿 九十九島の 山は連なり(同上)
絵下山を 眺め坂町 思い出す ユースホステル 若き日の旅(同上)
広島の 黄金山は 城跡で ランドマークの 夜景スポット(黄金山)
広島の 四十三階 最高で 高層マンション グランドタワー(同上)
景観図 展望台で 役に立つ 写真に収め その位置で撮る(同上)
湾内の 広島海田 大橋が ジャンクションで 交差をしたり(同上)
広島は マツダの工場 建ち並び 浅野に代わる 城下町かな(同上)
広島の 見晴らしの良き 山多く 絵下山もまた その一座なり(同上)
宇品島 橋が架けられ 陸続き 宇品大橋 暁橋と(同上)
鞆の浦 仙酔島の 大弥山 最高峰に 渡船で登山(大弥山)
島めぐり 最高峰の 山登り 温泉あれば 至極の旅に(同上)
桟橋の 国民宿舎 登山口 正月二日 客は少なく(同上)
仙人も 酔いしれて見る 大弥山 備後福山 鞆の浦かな(同上/霊山登拝118) 60歳
登山道 広々とした 遊歩道 山頂までは 一キロほどで(同上)
島の森 七十年前 山火事で 禿げ山となり 古木少なく(同上)
山頂に 展望兼ねた 東屋が 野宿するには 最適なりと(同上)
三等の 三角点が 大弥山 島のタヌキは イチゴ喰うとか(同上)
七浦に 胡神社を 祀りしと 平安時代の 仙酔島は(同上)
戦後には 金剛不動 尊堂が 再建されて 霊山らしく(同上)
山口の 周防大島 文殊山 島に橋あり 渡島が楽に(文殊山)
登山道 植林された 杉林 杉の落葉が 邪魔にならずに(同上)
島々の 絶景眺むる 文殊山 低山ながら 忘れ得ぬ山(同上)
四等の 三角点が 山頂に 無禄見習い 文殊に学ぶ(同上)
山頂の 展望台は 超豪華 RCの 懸け造りなり(同上)
東側 写真と見比べ 変化なし 展望写真の 正確さかな(同上)
屋代島 最高峰は 嘉納山 縦走せずに 眺めるだけで(同上)
北側は 果ては宮島 手前には 重伝建の 柳井の街が(同上)
屋代島 昭和後期に 橋架かり 水も電気も 橋を経由し(同上)
西側に 上関町 見えるけど 下関市に 水をあけられて(同上)
南側 島の山々 目白押し 瀬戸内アルプス 称されもして(同上)
福山の 明王院の 草戸山 四十年を 経ての再訪(草戸山)
草戸山 観音菩薩 稲荷神 神仏混合 我れ両参り(同上)
巨大なる 展望台が 山頂に 円筒形の ら旋式なり(同上)
三等の 三角点は 当りくじ 四等五等 思いし山に(同上)
回廊の 展望台の 壁画には 高校生の 地元愛見え(同上)
福山は 美術館など 多い街 市内各所 十施設あり(同上)
芦田川 草戸千軒 町遺跡 三百年の 日本のポンペイ(同上)
中世の 千軒町は 港町 明王院の 門前町で(同上)
登山終え 明王院の 池に立ち 弁天像を 拝んで感謝(同上)
能美島 最高峰の 野登呂山 倉橋島を 車で入り(野登呂山/霊山登拝119) 60歳
景勝地 西能美島の 展望所 林道途中 立ち寄りてみる(同上)
林道は 山頂附近が 終点で 車を停めて 徒歩で山頂に(同上)
野登呂山 登山道荒れ 林道が 分かり易いと 聞き及ぶかな(同上)
なだらかな 雑木林の 登山道 人影はなく イノシシの跡(同上)
あっけない 登山となりし 野登呂山 能美温泉に 気分を変えて(同上)
山頂の 天測点は 珍しき 四十八ヶ所 全国設置(同上)
一等の 三角点が 山頂に 天測点も 御信任かな(同上)
山頂の 木々の茂りに 電波塔 野登呂山には 宇根山の名も(同上)
江田島を 越えた先に 呉の街 日本最大 海自基地なり(同上)
江田島の 古鷹山は シンボルで 海軍史には 不可欠な山(同上)
フェリーにて 大崎上島 渡航して 神峰山 島山めぐり(神峰山)
離島では 瀬戸内海で 第二位の 面積人口 大崎上島(同上)
竹原に 煙突二基の 発電所 大崎よりは 倍近い規模(同上)
山頂は 神峰山 園地にて 小高き丘に 山容見えて(同上)
山上に 石鎚神社 分社建つ イシヅチヒコは アマテラスの兄(同上)
境内に 展望台の デッキあり 石鎚山を 遥拝するや(同上)
瀬戸内の 百十五島 眺望す 神峰山 展望台で(同上)
神仏の 居並ぶ山や 神峰 三百座目の 霊山登拝(同上)
石仏の 鐘つき堂に 四等の 三角点は 不釣り合いなり(同上)
山頂の 展望台は 木造で 眼下の景色 夢心地せり(同上)
島山に 不可欠的な 電波塔 神峰山 登山口に(同上)
今回は 倉橋島の 第二峰 桂浜より 火山の登山(倉橋火山)
遠き日の 火山の歴史 花崗岩 白き岩肌 足元までも(同上)
展望所 ここまで道路 有りしとは 山頂目前 後の祭りに(同上)
能美島と 倉橋島に 架かる橋 早瀬大橋 北の瀬戸沿い(同上)
麓から 眺める山に また登り 眺めてみたき 倉橋火山(同上)
南では 鹿島大橋 島は伸び 有人島が 橋で一つに(同上)
やや白き 西能美島の 禿げ山は 石灰岩の 採掘場所で(同上)
見事なる 後火山の 展望所 立ちて眺める 前火山かな(同上)
俯瞰する 倉橋島の 南海は 愛媛山口 県境となり(同上/霊山登拝120) 60歳
林道を 行くと山頂 休山 呉の山には ござ敷くなと(休山)
山頂は 園地のような 雰囲気で アンテナ先に 展望台も(同上)
木造の 展望台は 人はなく 呉の街並み 一人満喫(同上)
山頂を 少し下りて 社建つ 石鎚権現 祀る神社で(同上)
江田島の 切串港を 出発し クマン岳から 古鷹山に(クマン岳)
江田島は 能美島とは 陸続き 島の名前に 違和感があり(同上)
クマン岳 熊の形に 木を似せて 最高峰で 熊ヶ岳とも(同上)
隣り合う 島でも違う 行政区 瀬戸内海は 複雑怪奇(同上)
クマン岳 案内板で 知る限り 山の存在 暮らし左右し(同上)
足元の 三角点は 四等で 一人静かに 手を合わせたり(同上)
江田島の 東玄関 小用港 次ぎは呉から 来ようと思う(同上)
中腹の 樹木の上の 大岩は 名前はなくて 注目されず(同上)
林道に 古鷹山の 登山口 山頂までは 一キロ先と(古鷹山)
大鷹が 難破しそうな 舟助け 鷹への感謝 山の由来に(同上)
山頂は 見晴らしの良い 岩山で 兵学校の 心の山で(同上)
山頂に 海軍五省 掲示あり 東郷元帥 訓示の僅書(同上)
広い視野 八方園の 方位盤 望郷のため 模造を設置(同上)
山頂の 三角点は 別種類 国土地理院 目印もなく(同上)
島山は 寂しさ胸に 登り行き 楽しさ詰めて 下る思い出(同上)
南側 倉橋島とは 橋続き 江田島までは 車も入れ(同上)
江田島の くびれた場所が 中心部 海自学校 五省継承(同上)
クマン岳 見る場所により 姿変え 把握のできぬ 山の印象(同上)
この道や 学生の頃 軍神の 広瀬中佐が 百回登山(同上)
よく見ると 古鷹山は 双耳峰 山頂西峰 最高地なり(同上)
東峰に 三角点が あるために 勘違いする 皆ろくでなし(同上)
歴史的 登山道には 海国の 日本の未来 語る会話も(同上)
鼻の先 複雑怪奇 島の線 更なる奥に 宮島かすみ(同上/霊山登拝121) 60歳
林道に 再び合流 登山道 小用港に 気分切り替え(同上)
鷹の羽 岩石群に 見る如く 古鷹山の 南の顔は(同上)
広島の 瀬戸内海は 船便が 多くて便利 旅も楽しく(同上)
恐れ入る 恐羅漢山の ゲレンデに 尻もちついて 笑うに笑えず(恐羅漢山)
まん丸い 深入山が ゲレンデに 更なる奥に 中国山地(同上)
北東に 砥石郷山 屹立し おいでおいでと 手招きをする(同上)
山頂で テント泊とは 恐れ入る スキー登山の ここに極まり(同上)
広島の 女鹿平山の スキー場 リフトを降りて 山頂目指す(女鹿平山)
雪の下 三角点は 二等にて 一礼夜参 話は聞かず(同上)
長靴で 気軽に滑れる スキー板 待つこと十年 夢叶えたり(同上)
広島は スキー場多く 点在し スキーと登山 楽しみ二つ(同上)
寒霞渓 三大奇勝 小豆島 最高峰は 星ヶ城山(星ヶ城山)
寒霞渓 ロープウェイに 搭乗し 四国の索道 ここに完登(同上)
登山口 阿豆枳島神社 参道で 三笠山など 先ず目指すなり(同上)
山頂の 西峰は二神 東峰は 六神祀る 阿豆枳島神社(同上)
寒霞渓 日本三大 渓谷美 やっと達成 六十路の春に(同上)
四等の 三角点は 三笠山 標柱朽ちて 哀れ少々(同上)
山上に 星ヶ城神社 祠建ち 霊山と呼ぶ 山に相応し(同上)
西峰は 発令誤算 花便り 室町初期の 山城跡で(同上)
石垣に 西峰阿豆枳 神社建つ 小さな社殿 神明造り(同上)
玉垣に 東峰阿豆枳 神社建つ 檜の古木 美しく見え(同上)
東峰の 三角点は 一等で 周囲に石は 祭祀遺構と(同上)
山頂の 石のドームは 舎利塔で 明治以降の 建造なるか(同上)
寒霞渓 登山口まで 下山して 今度は徒歩で 登り行くかな(寒霞渓)
頭上には 表十二景 蟾蜍岩 蟾蜍似は どの奇岩かと(同上)
説明書 読んで奇岩を 眺めると 理解は易き 玉筍峰か(同上)
東屋の 招山亭に 酒さかな 用意してよと 阿豆枳の神に(同上)
表裏 眺めて満喫 寒霞渓 秋の景色を 訪ねてみたき(同上/霊山登拝122) 60歳
寒霞渓 洗練された 石畳 文人墨客 足跡残し(同上)
寒霞渓 三大奇勝と 聞き及び 海を渡りて 訪ねてみたり(同上)
十二景 四望頂には 展望所 眺める景色 山水画なり(同上)
小豆島 瀬戸内海で 最大の 船が頼りの 離島でありき(同上)
鷹取の 展望台は 木が伸びて 見晴らし悪く 残念に見る(同上)
寒霞渓 神懸山と 称されて 大正時代 国名勝に(同上)
石畳 去年の落葉 そのままに 阿豆枳の神が 通る道でも(同上)
予期もせぬ 石のアーチに 驚愕す 自然造形 極まる眺め(同上)
石門は 脆い岩質 礫岩で 地震があれば 崩れ落ちそう(同上)
岩屋には 空海大師 開基した 石門洞の 霊場があり(同上)
大亀岩 天柱岳の 名もありて 居並ぶ岩峰 かくの如くに(同上)
二見岩 伊勢夫婦岩 擬したとか 注連縄張れば なおも注目(同上)
ホラ貝と 聞けば山伏 吹く音が 法螺貝岩に 木霊するなり(同上)
吉備津彦 神社の創建 飛鳥期で オオキビツヒコ 祭神として(吉備中山)
霊山や 自然のアンテナ 神の声 人間六感 地球一億感(同上)
うさぎ山 大久野島の 最高地 山名がなく 勝手に名付け(うさぎ山)
この世とは 思えぬほどの 春景色 瀬戸内海の 島の数々(同上)
毒の島 今やうさぎの ユートピア 平和を祈り 手を合わせ行く(同上)
忠海 大久野島の 発着地 船は一日 十七便も(同上)
南側 松島からは 愛媛県 線引きするも 瀬戸海一つ
島内に 野生のうさぎ 五百羽が 棲息するので うさぎの島と
休暇村 大久野島に 温泉が 有りて入浴 島の楽しみ(同上)
羅漢山 山口県の 名山で 廃業ロッジ 登山口横(羅漢山/霊山登拝123) 60歳
樹枝見れば クリスマスツリー 使えそう そんな企画は この山になく(同上)
段々と 自分の支え 失いて 老いてゆくなり 松の枝ぶり(同上)
山容が 阿羅漢仏に 類似した 独立峰の 山名となり(同上)
羅漢山 三角点は 二等なり 芝の山頂 よい位置丸く(同上)
山頂の 展望台は 木造で 素朴な建屋 古き見張台(同上)
デッキには テーブル兼ねた 方位盤 洒落たアイデア 晴れば便利(同上)
山頂に 橄欖岩の 磁石岩 コンパス指針 狂わされると(同上)
山上に レーター雨量 観測所 昭和後期の 年代物で(同上)
羅漢山 桜に木蓮 水芭蕉 牛に鶯 春の競演(同上)
フィールドの アスレチックは 放置され 哀れを誘う 美観の中に(同上)
牧歌的 らかん高原 牧草地 絵にはなるけど 牛は見かけず(同上)
隠岐の島 大満寺山 最高地 丸い島後の 中ほどにあり(大満寺山)
林道に 大満寺山の 登山口 見つけて嬉し 未知なる島で(同上)
島山に 整備されたる 登山道 最高峰は 島の誇りで(同上)
隠岐の島 浄土を眺め めぐりゆく 大満寺山 満足したり(同上)
一等の 三角点は すり減って 神仏はなく 無霊な様子(同上)
道後には 西郷湾に 港あり 岬の台地 隠岐空港が(同上)
中ノ島 金光寺山 景勝地 島唯一の 展望所でも(金光寺山)
平安期 小野篁 配流され 明屋海岸 眺め見たかと(同上)
滅びたる 仏教寺院 隠岐の島 たやすく消えぬ 自然の景色(同上)
休憩所 展望台の 建物で 見渡す景色 千金の価値(同上)
懐かしき 憩い家の 名前かな 木造平屋 昭和の匂い(同上)
一年余 小野篁 金光寺 赦免となりて 秀歌を詠みし(同上)
知夫里島 赤ハゲ山が 最高地 展望台が 山頂に見え(赤ハゲ山)
赤ハゲと 赤い絶壁 地夫里島 島民と同じ 牛の頭数(同上/霊山登拝124) 60歳
山頂の 展望台に 野宿して 夜空の星を 眺めてみたき(同上)
分岐点 見逃せないナ 赤壁は 断崖絶壁 国の名勝(同上)
島めぐり 遊覧船は 欠かせない 登山終えたら 海より眺めん(同上)
知夫里島 後醍醐天皇 上陸地 赤ハゲ山の 寺を宿とし(同上)
優美なる 中国山地 吾妻山 登山道には 大きな落石(吾妻山)
登山口 休暇村側 キャンプ場 連休直後 登山者はなく(同上)
灌木の 登山道には 標識が なければ迷う 吾妻山かな(同上)
東麓に 県民の森 スキー場 広島県は スキー場多く(同上)
吾妻山 三百名山 選ばれし 春の草花 ないのが不満(同上)
山頂は 温和な表情 快晴で それでも客は 我ひとりのみ(同上)
吾妻山 みちのくの山と 思いきや 本家本元 古事記にもあり(同上)
方位盤 標高印し 鎮座する 元気に登山 胃にサンキュウと(同上)
池の原 三角屋根の 休暇村 沸かし湯なので 魅力不足か(同上)
植林を 除くと自然 あるがまま 中国山地 未開の山も(同上)
県境の 大膳原は キャンプ場 烏帽子山への 中継地でも(同上)
烏帽子山 新たな山の 登山道 吾妻山とは 変化少なく(烏帽子山)
山頂へ 二百メートル 表示版 嬉しく思う 先見えぬ中(同上)
県境の 猿政山は 最高地 製紙会社の 民有の山(同上)
伯耆富士 この山頂も 剣ヶ峰 低山なれど 裾野は広し(同上)
比婆山の ブナ純林は 南限で 南北海の 特性有しと(比婆山)
比婆山の 山頂は一帯 御陵なり イザナミノミコト 埋葬せしと(同上)
宮内省 管轄外の 御陵にて 小さな祠 勝手に祭祀(同上)
吾妻山 比婆山などを 縦走し 五月の空に 心晴れ晴れ(同上)
比婆山は イザナミノミコト 伝説地 出雲伯耆の 境とありき(同上)
神木の イチイに宿る 立石に 神代の昔 偲び見るかな(同上)
太鼓岩 叩けば太鼓の 音すると 叩かず過ぎる 聞く人もなく(同上)
赤子産む 産子の岩戸 割岩で 太刀割石を 思い出すかな(同上/霊山登拝125) 60歳
山頂に 命神社の 小祠建つ 広島県の 高地神社と(同上)
越原の 比婆山神社 境外社で イザナミノミコト 祭神として(同上)
倒木は 枝だけ払い そのままに 何れ苔生し 土に分解(同上)
ブナ林は 国の天記の 登山道 登山者一人 信じ難きや(同上)
比婆山を 徳富蘇峰 神聖の 宿る山とし 碑文建立(同上)
門栂は 二本のイチイ 門とされ 御陵を守る 仁王の如く(同上)
栂の木は マツ科に属する 常緑樹 イチイはイチイ科 栂は間違い(同上)
下山路は 周遊コース 取りやめて 往路再び 眺め行こうと(同上)
連山の 立烏帽子山 最高峰 眺めるだけで 引き返すかな(同上)
なだらかな 散策路のみ 続くかな 比婆山中は 安らげる山(同上)
イチイの木 別名多数 オンコなど 日本各地に 名木があり(同上)
山並みは 人工林と 自然林 針葉樹林 一目瞭然(同上)
吾妻山 雪が積もれば 山スキー 楽しかろうと 眺め見るなり(烏帽子山)
吾妻山 烏帽子山から 比婆山へ 心の中の 三山登拝(吾妻山)
全国に 冠山は 数多あり 今日登るのは 吉和の山で(吉和冠山)
潮原 温泉地そば 登山口 汐谷コース ピストン予定(同上)
漢字名 音読み訓読み 様々で 滝ヶ休は 定かならずに(同上)
谷の瀬に 丸太の橋が 架けられて 徒渉がないのが 安全安心(同上)
安芸の字が 冠山に 前置され 広島県の 第二高峰(同上)
狗留尊の 仏岩には ツツジ咲き 安山岩の 供花にも見えて(同上)
冠の 頂に立ち 思うこと どんな山でも 山は異なり(同上)
一等の 三角点が 山頂に ブナ一面の 遺産サンキュウと(同上)
山頂の 展望悪く 不評かな 冠山は 我一人なり(同上)
足かけた 石に再び 足かけて 気が引けて行く 下山の道は(同上)
林道の 状況読めず 自転車は 使用諦め 徒歩で行くなり(寂地山/霊山登拝126) 60歳
寂地山 額々山が 重なりて 林道の中 聳え立つかな(同上)
名の如く 静寂な山 寂地山 登山者五人 それぞれの山(同上)
木段に 人の労苦が 偲ばれる 山への愛は 道にこそあり(同上)
山頂に 一・五キロ 表示板 急登がなく 楽な登山で(同上)
尾根に出て 右谷山の 分岐点 みのこし峠 見残したまま(同上)
山口県 最高峰は 寂地山 山口国体 炬火採火地で(同上)
山頂に そうさい神社 祠建ち 炬火採火地の 記念碑もあり(同上)
山頂は ブナなどの木々 生い茂り 展望はなく 長居はできず(同上)
山頂に 三角点なく 標識と イスとテーブル 一セットのみ(同上)
寂地山 国体開催 決まるまで 未踏の山で ブナは守られ(同上)
久司山は 弓削島にある 展望地 見張所跡で 古墳もありき(久司山)
登山口 八合目の 駐車場 秋田ナンバー 初登場か(同上)
登山とは 呼べない島山 久司山よ 展望良ければ それで満足(同上)
隣り合う 佐島に橋が 架けられて 生名島まで 島続きなり(同上)
因島 三百メートル 生名島 橋が架からぬ 県境かな(同上)
生名島 立石山の メンヒルは 神の巨石と 称されもして(立石山)
山頂の 展望台に 感激し 思わずシャッター メンヒルの上(同上)
無念かな 展望台に トラロープ 立入禁止 ぬか喜びに(同上)
偶然に 登った山の 尊さを 知れば知るほど 未練は尽きず(同上)
海賊の 生口島には 造船所 船との関わり 永久に消えずに(同上)
蒜山は 三座から成る 山群で 二百名山 上蒜山で(上蒜山)
登山道 見晴らしが良い 草原で 灌木数本 眺めるほどで(同上/霊山登拝127) 60歳
大山に 連なる峰の 鋭鋒は 矢筈ヶ山と 甲ヶ山が(同上)
蒜山や 三山縦走 理想かな 一座だけでは 味わえぬ山(同上)
稜線に 中蒜山が 続くけど 鞍部となりて 眺めだけに(同上)
山中に 水がないのが 難点で 保水能力 草原になく(同上)
二メートル 三角点は 低きあり 位置も離れて 北西に立つ(同上)
二等でも 三角点は 神のごと 一に麗麗 鎮座するなり(同上)
広島の 北東端の 道後山 三百名山 花の山でも(道後山)
登山口 月見ヶ丘の 駐車場 入ると雑木 自然林かな(同上)
岩樋山 道後山との 分岐点 岩樋山へは 下山路登山(同上)
南西に スノーリゾート 猫山が 道後山とは ライバルであり(同上)
山頂は 残り一キロ 表示あり 見晴らしも良く 気分爽快(同上)
両国の 牧場跡は 両国は 伯耆の国と 備後の国か(同上)
山頂の 下に一本 コメツガが 異端と思う 草原の道(同上)
雪降りて 再び訪ねん 道後山 新たな夢は スキー場の旅(同上)
一等の 三角点の 標高は 委任むやみに 引き受けずか(同上)
北面に 稲積山が 高らかに 鳥取県の 意地を示して(同上)
岩樋山 道後山とは 瓜二つ 岩樋山が 二メートル高く(同上)
道後山 メキシコ高原 思い出す 疎らな緑 荒れ地の様子(同上)
山焼きを せずに佇む 高原は 不思議に見えて 珍しきかな(同上)
車増え 人気ある山 道後山 月見ヶ丘を 眼下に眺め(同上)
尼子氏の 月山富田 城跡に 名城偲び 登山するなり(月山)
築城は 鎌倉初期の 佐々木氏で 守護大名の 居城となりて(同上)
山頂に 勝日高守 神社建つ オオクニヌシを 祭神として(同上)
城跡は 百名城で 国史跡 この訪問も 旅の目的(同上)
山城で 欠かせないのが 展望所 城主気分で 城下見下ろし(同上)
江戸初期に 廃城なるも 城下町 衰退せずに 広瀬の町に(同上)
城跡に 往時を偲ぶ 花ノ壇 ツリガネソウも 戦国の夢(同上)
湊山 米子城跡 山の名で 中海沿いに 城は屹立(湊山/霊山登拝128) 60歳
築城は 桃山時代の 吉川氏 四層櫓 本丸に建て(同上)
城跡に 込める思いは ただ一つ 三百年の 平和の重み(同上)
三等の 三角点が 本丸に ビール急冷 氷を入れて(同上)
米子市は 鳥取第二の 都市であり 賀茂川沿いに 古き家並みも(同上)
中海の ほんの一部が 鳥取で 見渡す先は 島根の松江(同上)
藪道は 何処に通ずる 間道か 城の縄張り 説明不足(同上)
石段に 併設された 側溝は 当時の遺構か ふと気にかかる(同上)
登城後 中海離れ 日本海 皆生温泉 行かんと思う(同上)
那岐山は 岡山鳥取 県境に またがる山で 三百名山(那岐山)
登山口 岡山側の 菩提寺で 片道四キロ ピストン予定(同上)
登山道 杉植林の 木段で どんな出会いが あるかと期待(同上)
分岐点 八巻城跡 すぐ近く 鎌倉時代 郭の跡が(同上)
杉の木の 伐採のため 林道が 開削されて 山に変化が(同上)
杉林 一キロほどは 続くなり 自然林なら 感動したろう(同上)
五合目は 高度か距離か 不鮮明 途中ないので 距離と判断(同上)
山の字を センと音読む 鳥取は 那岐山の名を ナキノセンとも(同上)
山頂へ 五百メートル 表示板 安山岩の ザレ場となりて(同上)
那岐山は 丸い頭の 双耳峰 最高地点と 三角点峰(同上)
休憩所 トイレを兼ねた 東屋で 避難小屋より 立派に見えし(同上)
那岐山の 頂上付近 眺めては 純白の雪 さぞ美しきと(同上)
続けざま 二点を入れられ ラジオ消す 忘れられない ワールドカップ(同上)
源流の 標識眺め 川の名を 知ることもあり 千代川を(同上)
ふるさとの 山の景色を 思わせる 那岐山塊の 麓の眺め(同上)
広島の 森林公園 訪ね来て 三本木山 先ずは分け入り(三本木山)
登山道 眺望一番 花二番 古木三番 奇岩四番(同上)
最高の 到達点の 標識を 初めて目にす 登山道かな(同上)
尾根上に 三本木山の 山頂が 標識もなく 推察するや(同上/霊山登拝129) 60歳
名も知らぬ 山も山なり その立場 展望一番 歴史は続く(鷹ノ条山)
眼下には 広島高速 大洲へと 広島生活 八ヶ月目に(同上)
眺めれば 登った山の 様子見え 三本木山 長坂の下(同上)
宍道湖の 松江の南 八雲山 ススノオノミコト 和歌にも詠みし(八雲山)
八雲山 御神体は 夫婦岩 ススノオノミコト クシナダヒメか(同上)
歌枕 国のふるさと 八雲山 出雲と大和 まほろばの旅(同上)
山麓に 熊野大社の 社殿建ち 下山したなら 参拝予定(同上)
北九の 皿倉山の ケーブルカー 念願叶い 乗車経験(皿倉山)
ケーブルカー 降りたら直ぐに スロープカー 皿倉山の 名物乗り物(同上)
筑波山 皿倉山に 霧ヶ峰 乗り物で行く 楽々三山(同上)
かご型の 展望台は 面白き 皿倉山の 歴史と共に(同上)
広島の 黄金山は 湾に沿い 展望台の ランドマークで(黄金山)
宇品島 似島小富士が 南西に 黄金山も 昔は島で(同上)
打ちあがる 広島みなと 夢花火 黄金山で 花火鑑賞(同上)
花火見て 夜景を眺める 黄金山 四大夜景と 呼べぬ現状(同上)
久々に 松山城を 訪ねれば 加藤嘉明 騎馬像が立ち(勝山)
勝山は 松山城の 建つ山で ロープウェイで 懐かしく乗る(同上)
山城の ロープウェイは 四ヶ所で 寺社’に比べて 希少に思う(同上)
港には 大型船の 停泊も 県都松山 城あればこそ(同上)
庭のない 城は寂しき 雨上がり 完全復元 願う城跡(同上)
松山に 過ぎたる名所 二つあり 松山城に 道後温泉(同上)
憧れの 氷壁の宿 徳沢園 前泊をして 蝶ヶ岳へと(蝶ヶ岳/霊山登拝130) 60歳
アルプスの 山を心に 抱く度 高まる胸の 鼓動も高く(同上)
標高差 千メートルの 急登に リュックを下ろし 小休止する(同上)
山頂は 眺望なくも 二等なる 三角点が 長塀山に(同上)
霧の中 山頂直下 急登が 暗い身持ちに 最後の試練(同上)
珍しき 森林限界 超えてなお オオシラビソが ちらほら見えて(同上)
安曇野で 眺める山は 蝶の羽 跳ねることさえ できない風雨(同上)
三等の 三角点は 山頂を 離れたピーク 旧山頂に(同上)
山小屋も 快適になり 泡トイレ シャワーがあれば 言う事もなし(奥穂高岳)
上流は 一ノ俣まで 梓川 上高地では 主の如くに(同上)
小屋跡に 二つに割れた 横尾岩 今と昔の 穂高の峰よ(同上)
絶壁に 取りつく猛者の 姿なく 今日の天気じゃ 無理と思わる(同上)
横尾沢 本谷橋の 河原では 登山者多数 さすが夏休み(同上)
横尾谷 上流三つに 分流し それぞれ違う 源流いかに(同上)
谷の上 屏風ノ頭 屹立す 越えて涸沢 奥穂高岳(同上)
登山道 無雪期の道 初めてで 遠い記憶と かけ離れ過ぎ(同上)
雪渓は 万年雪と なるのやら それとも融けて 日本海かな(同上)
雲間には 北穂高岳 東稜が 頭を出して 歓迎するか(同上)
目の前に 旧石器時代 そのままの 安山岩が 目を覆うなり(同上)
涸沢の 氷河圏谷 懐かしき 三十七年 過ぎた夏の日(同上)
ざっと見て 百張りほどの テント立つ 涸沢カール ガラ場の上に(同上)
四年前 前穂と奥穂 初登山 岳沢コース 日帰りをして(同上)
夜が明けて 吊尾根眺め 勤行す 羅漢に似たる 峰の姿に(同上/霊山登拝131) 60歳
雪渓で スキー楽しむ 人はなく 昔の様子 涸沢に消え(同上)
懐かしき 涸沢小屋に 宿泊す 改築されて 偲ぶ余地なく(同上)
相部屋の 隣のいびき 防ぐため 耳栓しても 寝るも寝られず(同上)
奥穂から 最難関の 西穂へと 挑む気持ちに 不安も多く(同上)
登るほど 風雨が強く 山荘へ 避難をしては 様子見るなり(同上)
アルプスの 山の王者は ジャンダルム 夢崩れ去る 夏の大雨(同上)
死をかけて 登るアルプス ジャンダルム 断念もする 機嫌悪ければ(同上)
振り向けば 穂高の峰は 遠ざかり リュック一杯 残る思い出(同上)
登山より 明神池まで 散歩する それも楽しき 上高地かな(同上)
松本は 松本城のみ 二度訪ね 希望は尽きぬ 未だ見ぬ城下(同上)
広島の 深入山は ドーム型 独立峰で 草原の山(深入山)
登山口 いこいの村の 東側 見晴らしの良い 草地の山で(同上)
なだらかな 斜面の先に 山頂が 見えて安心 散歩気分で(同上)
麓には いこいの森の 建屋見え 草地の中は 旧スキー場(同上)
山頂は 笠の如くに 丸くあり 安心感を 空に浮かべて(同上)
尾根みちに 東口への 分岐点 自由自在に 歩いてみたし(同上)
名も知らぬ 山を訪ねて 感無量 秋の半日 久々の晴れ(同上)
いい誤算 三角点は 三等で 山頂眺望 大パノラマで(同上)
聖湖の ダムの下流は 柴木川 悲しき歴史 湖面の中に(同上)
結局は 東を上り 南へと 周遊しての 深入山よ(同上)
雪降れば バックカントリー 文句なし 深入山の 山の姿は(同上)
登山後は いこいの村の 浴場に 温泉ならば 最高潮に(同上)
四国では 石鎚山が 最高で 霊地風貌 全てにおいて(同上)
土小屋は スカイラインの 登山口 石鎚登山 最短コース(同上)
登山前 石鎚神社 参拝し 安全祈願と 社殿拝観(同上)
山はみな イノシシ熊の 注意書き さらに目にする まむしスズメバチ(同上)
四ヶ所の 登山道では 一番で 前方向に 登山者の列(同上)
山頂を 眺めながらの 登山道 快適快晴 最良の日(同上)
石鎚に 再び登り 感無量 さらなる上は 四国巡礼(同上/霊山登拝132) 60歳
玉を持ち 鏡を持ちて 剣を持つ 三像祀る 頂上社とか(同上)
天狗岳 五年前は 雨の中 石鎚山に やっと会えたり(同上)
土小屋に 岩黒山が そそり立つ 見渡す限り 峰の連続(同上)
二ノ森は 四国四位の 高峰で 愛媛県では 弥山に次いで(同上)
五年前 二ノ鎖場は スルーして 迂回路経由 苦い思いも(同上)
象頭山 琴平山の 別称で メサの山容 国の名勝(象頭山)
中腹は 金刀比羅宮の 境内で 約千三百 石段があり(同上)
琴平に 三十九年 経て参る 当時と同じ 大門通り(同上)
重文の 旭社 旧堂宇 神仏分離 霊山分かち(同上)
山頂の 龍王池に 龍王社 登拝を終えて 金毘羅参り(同上)
朽ち果てた 五輪塔に 花菖蒲 季節外れの 花が哀れで(同上)
手入れせぬ 桜並木が 名勝に 天記を兼ねた 山は哀れに(同上)
二回目の 金比羅参りで 初登頂 荒れるがままの 象頭山かな(同上)
象頭山 売店らしき 廃屋が 重ね重ねて 哀れを誘う(同上)
嬉しさと 悲しさが湧く 名山に 鶴は来らず 巣食うは烏(同上)
望まれる 案内板に 表示板 展望広場 到り着けずに(同上)
見渡せば 讃岐平野に 瀬戸の海 寂れた山の 景色変らず(同上)
下山後は 琴平温泉 泊まること 今日最大の 楽しみであり(同上)
四国では 唯一見てない 天守閣 亀山頂上 丸亀城に(亀山)
丸亀の 港の先に 島山が おいでおいでと 頭出すなり(同上)
武士道の 心は桜 代名詞 咲かざる花は 人の哀れさ(同上)
小天守 江戸前期に 京極氏 建造しては 国の重文(同上)
ため池が 全国二位の 香川県 水の不足が うどん文化に(同上)
秀麗な 独立峰の 飯野山 讃岐富士とも 尊称されて(飯野山)
登山口 弥生の広場 駐車場 三ヶ所もある コースの一つ(同上)
四合目 西方向に 展望所 写真表示 そのままに見え(同上)
霊山の 我拝師山を 遥拝し 遍照金剛 唱え見るかな(同上)
分岐点 飯山側の 登山道 どんな景色 広がるものか(同上/霊山登拝133) 60歳
山上は 霊山らしき 雰囲気で 六尊石や 薬師堂あり(同上)
薬師堂 安養寺の 奥ノ院 真言唱え 久遠を願う(同上)
おじょもとは 巨人を意味す 伝説で 巨人の足が 巨石群とも(同上)
讃岐富士 登り終えては 伊予富士へ いよいよ進まん 四国の山路(同上)
笹ヶ峰 石鎚信仰 本家とか 下津池より 登拝を開始(笹ヶ峰)
さすがなり 二百名山 笹ヶ峰 案内板が きめ細やかに(同上)
中腹の 丸山荘は 休業し 放置されるが 哀れに見えて(同上)
地衣帯に 足踏むことも 憚れる 植生豊かな 登山道にて
一等の 三角点に ケルン立つ 山頂広く 丸い姿で(同上)
ケルンには 石鎚権権 不動尊 山岳信仰 面影残し(同上)
笹原の 登山道には 先ほどの 見上げた顔が そこにあるよう(同上)
山頂で 三組ほどの 登山者が 昼食を食べ 一期一会に(同上)
いい知れぬ 達成感を また重ね ふりむく山の 愛しき眺め(同上)
南側 寒風山が 肩並べ 石鎚山脈 支え立つかな(同上)
コメツツジ 満開の頃 想像し 振り返りつつ 下山するなり(同上)
ガマガエル マムシ見るより 安心と カメラに写す 余裕もありて(同上)
巡礼の 白装束に 入り込み 諳んじて行く 般若心経(同上)
広島の 駅裏の山 二葉山 仏舎利塔の 霊山であり(同上)
二葉山 遺産急に 指定され 案内板に 市民球場(同上)
広島の 小高き山に 登り立ち 眺める景色 十山十色(同上)
戦後には 日蓮宗の 妙法寺 仏舎利祀り 平和を祈願(同上)
下山路の 石段の上 名無し岩 仮に名付けて 箱岩と呼ぶ(同上)
瓶ヶ森 伊予三山の 一峰で 三百名山 また双耳峰(瓶ヶ森/霊山登拝134) 60歳
登山口 林道沿いの 駐車場 前に男山が 聳え立つなり(同上)
瓶ヶ峰 氷見二千石原 広大で 石鎚山の 絶景仰ぐ(同上)
瓶ヶ森 林道ありて 石鎚の 山脈近く 登山も楽に(同上)
笹原の ピークが女山 山頂で 祠が一基 視界に入る(同上)
祠には 石鎚権現 祀りしと イシヅチヒコに 例えられると(同上)
名の由来 西条氷見の 石高が 二千石もの 広さに例え(同上)
廃屋の 旅館やヒュッテ 見る度に 哀れさ消えぬ 旅の歩みに(同上)
白骨樹 立ち枯れた木を 称すると 聞いて哀れな ウラジロモミよ(同上)
登山口 熊に注意の 表示あり 熊の絶滅 九州だけか(伊予富士)
伊予富士は 独立峰で ないけれど 三百名山 伊予三山で(同上)
山頂に 人の姿が 五・六人 瓶ヶ森より 人気は高く(同上)
朝は山 昼を過ぎたら 寺社めぐり 四国山行 四国巡礼(同上)
二時間前 瓶ヶ森の 山頂で 眺めた伊予富士 今足元に(同上)
危険個所 殆どないのが 伊予富士で 滑落しても 笹が手助け(同上)
西の空 石鎚山は 遠くなり 雄峰ライン 山稜に沿い(同上)
仙遊寺 背後の山は 作礼山 大師堂より 登拝を開始(作礼山)
登拝路に 三十三体 観音の 精緻な石像 安置されたり(同上)
山上は 見晴らし良き 場所がなく 人の往来 ないのも理解(同上)
五輪塔 天智天皇 供養塔 勅願の縁 今は放置され(同上)
山頂を 奥ノ院へと 定めれば 参拝者増え 今よりましに(同上)
巡礼や 五十八番 作礼山 現世利益 天然温泉(同上)
結局は 宿坊脇の 展望所 仙遊寺では 眺め一番(同上)
広島の 呉婆々宇山は 里山で 車で上り 林道を行く(呉婆々宇山)
林道に 電波塔が 立つ山が 呉婆々宇山と 推測をして(同上)
晴れた日は 山に来ないと 気が済まぬ 体力維持と 物見を兼ねて(同上)
山頂の 三角点は 二等なり 頭上に茂る 松は無ヤニで(同上)
鉄塔は 防災無線 中継所 パノラマアンテナ 八区に分れ(同上/霊山登拝135) 60歳
中腹に 林業体験 広場見え 海に限らず 山に楽しみ(同上)
低山も 水平距離は 変りなく 森林原野 趣深き(同上)
四等の 三角点が 山頂に 財政悪化 無禄御免と(同上)
看板の 文字がかすれて よく見ると 藤ヶ丸山 山頂とあり(同上)
北西の 木ノ宗山は 城跡で 歴史ある山 広島多く(同上)
トロイデの 扇ノ山は 鳥取と 兵庫県境 連なる山で(扇ノ山)
登山口 ふるさとの森 八頭町の 林道脇に 車を停めて(同上)
山頂へ 片道二キロ 登山道 意外と早く ピストン可能(同上)
残された 三百名山 扇ノ山 晴天ならずも 雨よりはまし(同上)
山頂の 三角点は 二等なり 一見一礼 登山に感謝(同上)
山頂は 広々とした 芝地にて 他に人なく 不気味なほどに(同上)
大師山 城崎温泉 ロープウェイ 山頂駅の 一帯の山(大師山)
麓には 真言宗の 温泉寺 上りは徒歩で 下り搭乗(同上)
中興の 空海大師 名に因み 名付けられたる 大師山かな(同上)
屋上の 展望台に 我ひとり 傘をさしつつ カメラを手にし(同上)
憧れの 木造三階 名旅館 消えゆく前に 思い出ひとつ(同上)
山頂に 金色観音 奥ノ院 紅葉に染まる 景色絵のよう(同上)
かに塚は 初めて目にす 供養塔 ズワイガニなら 松葉ガニかな(同上)
城崎の ロ-プウェイに 乗ることも 霊山登拝 目的であり(同上)
淡路島 先ず目指したのが 先山で 信仰の山 淡路富士でも(先山)
有料の 駐車場避け 路肩へと 車を停めて 登拝を開始(同上)
石段に 展望台の 舞台建ち 洲本の市街 一望のうち(同上)
洲本には 三十七年 御無沙汰し 遠い記憶 思い出すかな(同上)
山頂に 真言宗の 千光寺 平安初期に 狩人開基(同上)
淡路島 日本の国の 始まりで 先山の名は その由縁とか(同上)
城跡は 石垣だけが 立派なり 残されるもの 滅び行くもの(三熊山)
城跡に はためく旗は 脇坂家 蜂須賀家では 魅力不足か(同上)
山頂に 三層四階 展望所 日本最古の 模擬天守とも(同上/霊山登拝136) 60歳
城跡の 茶店はいつも 立ち寄りて 城のグッズを 探してみたり(同上)
岩屋には 八王子神社 拝殿が 八王子とは 天照の子で(同上)
一宮 大麻山は 奥宮で 讃岐山脈 東端にあり(大麻山)
山頂の 距離感つかめ 気負いなく 登れる山よ 大麻山は(同上)
直線の 表参道 石段は メリハリがなく 少々退屈(同上)
丁度よい 場所にベンチと テーブルが 下界の眺め 楽しめよとも(同上)
俯瞰する 徳島平野 吉野川 これから巡る 霊場の森(同上)
真名井から 右参道は ガレ場なり 見晴らし悪く 表に戻る(同上)
何となく 空海さんの 足跡が 伝わって来る 一宮の山(同上)
山頂の 奥宮と言うより 摂社なり 弥山神社の 社殿は立派で(同上)
阿波の国 大麻比古神 一宮 大麻山を 御神体とし(同上)
山頂に 三角点なく 祠建つ ゴミや供物 持ち帰るべし(同上)
神道の 大麻山に お遍路は 我ひとりかと 思う山頂(同上)
中腹の 展望台は 東屋で 感謝を込めて 山頂遥拝(同上)
剣山 四年ぶりの 再会で 次郎笈まで 訪ねみようと(剣山)
山頂の 太郎岌は 剣とは 対照的な 陣笠をして(同上)
鳥居には 大剱神社 名がありて 剣山には 五ヶ所の神社(同上)
お塔岩 大剱神社 御神体 剣の如く 石灰岩で(同上)
山上は 平家の馬場と 称されて 裸地化防止で 全て木道(同上)
一等の 三角点に 注連縄が 移築後ゴロ石 積み重ねられ(同上)
木道の 下は草枯れ ザレ場なり 土崩れより マシな情況(同上)
木道の 末端からが 次郎笈 草地の尾根の 緑美し(同上)
日々進歩 食事における 好き嫌い 海の宝を 山で味わう(同上)
登山より 道のり遠き 剣山 平家の無念 湧き出る清水(同上)
三嶺とは 剣山地の 雄峰で 二百名山 さんれいとも呼び(三嶺)
登山口 名頃地区の 林道で 緩やかな尾根 雑木林に(同上)
木の枝の リボンテープ 見えたらず 足跡探す 枯葉の上を(同上)
林道と 交差もしたり 登山道 迷いながらも 二キロも登り(同上)
山頂へ 約二キロの 標識が 中間地点 越えた様子で(同上)
字も読めぬ 千六百地点 標柱が 朽ち果てるまで 立てて置くのか(同上)
尾根沿いに ダケモミの丘 名所あり ウラジロモミの 純林と聞く(同上)
登山道 森林限界 さしかかり 岩石斜面に 多く点在(同上)
分岐点 剣山との 縦走路 一度踏みたい 尾根の遠路を(同上)
諺の 急がば回れ 仇ととなり 急がば真っ直ぐ 登山の掟(同上/霊山登拝137) 60歳
山腹の 岩場が笹に 美しく 三嶺の山は 独自の景色(同上)
コメツツジ ミヤマクマザサ 国天記 三嶺の山は 自然の宝(同上)
天空の 見残池は 忘れ得ず 三嶺山頂 下山の眺め(同上)
避難小屋 三嶺ヒユッテに 無人なり リュック降ろして しばし安らぐ(同上)
剣山 三嶺の二座を 登り終え 胸いっぱいに 美観の空気(同上)
歴史ある 別子銅山 登山口 銅山越えは 愛媛の名所(銅山越え)
住友の 屋台支えた 銅山は 一万二千 人が暮らして(同上)
佐渡金山 石見銀山と 旅をして 別子銅山で メダル獲得(同上)
鉱山に 豊かな水は 欠かせない ダイヤモンドの 刃先が管に(同上)
ピークには 送電線の 鉄塔が 別子の山で 唯一現役(同上)
国破れ 山河の残る 如くなり 資源枯渇し 自然回復(同上)
新居浜 法皇山脈 最高地 東赤石 二百名山(東赤石山)
登山口 銅山跡の 筏津で 上り左俣 下り右俣(同上)
瀬場谷の 八間滝は 勇壮に 曲り流れる 分岐瀑かな(同上)
様々な 形や色の 石を見て 面白い石 写真に保存(同上)
目の上に 八巻山の 岩峰が 巻道に折れ 東赤石へ(同上)
ハゲ山に 植林された 苗木には 植物の種 花の名山に(同上)
道際に カンラン岩の 奇岩立つ 名前ないので 兜岩とでも(同上)
山塊の カンラン岩は 赤み帯 赤石山の 名の謂れとも(同上)
三等の 三角点に もう一基 訳の分からぬ 角柱も立ち(同上)
県境を 越えた先には 工石山 四国山地は 三国の屋根(同上/霊山登拝138) 60歳
右俣の 下山道には 徒渉あり 退屈せずに 続く緊張(同上)
登り終え 霧の晴れたる 心地なる 四国の高峰 七座に挑み(同上)
岩峰が 筍の如く 屹立す 岩屋山は 奇勝の一つ(岩屋山)
岩屋寺は 百四十余 メートルを 自力で登拝 最大難所(同上)
本尊は 大岩壁の 岩屋山 並ぶ石仏 山に同化し(同上)
岩屋寺は 空海大師 開基して せりわり行場 千年のまま(同上)
岩屋寺や 遥か昔を 物語る 海岸隆起 大師禅定(同上)
遍路みち 折り返しては 境内の せりわり行場 白山登拝(同上)
苔生した 墓石は土に 埋もれて 無縁仏の 末路眺めん(同上)
名も知らぬ 三十六の 童子とは 不動明王 眷属と聞く(同上)
垂直の 岩に触ると 礫岩で クライミングは 無理とぞ思う(同上)
行場には 足場が有れば よいのにと 見上げるだけで 下山するかな(同上)
仁王門 歩き遍路が 通るだけ 形骸化して 山門重視(同上)
岩屋寺の 仙人窟は 名所にて 梯子を上り 景色眺める(同上)
山の主 法華仙人 帰依をした 空海さんに 全山寄進(同上)
宇和島の 三本杭の 山の名は 三藩それぞれ 杭を立てたと(三本杭)
登山口 万年橋の 駐車場 桧尾根コース ピストン予定(同上)
この山は 滑床渓谷 有すため 滑床山と 別称もされ(同上)
中腹で 林道出合 合流し 植林眺め スローテンポに(同上)
分岐点 大嵓ノ滝 ガイド板 ふと寄り道が 脳裏を過り(同上)
尾根ピーク 御祝山に 四等の 三角点が 標識横に(同上)
ブナ林に 下草がなく 平坦で 広々として 心癒され(同上)
オンツツジ 朱色の花を 想像し 枝掻き分ける 尾根の小道を(同上)
横ノ森 千二百メートル 標識が 標高だは 残りわずかで(同上)
山頂の 登山道には 鹿除けの ゲートが見えて 草は枯れたり(同上)
一等の 三角点は 一に踏む 三本杭の 山頂に立ち(同上)
北面に 高月山が 対峙する 少し高くも 名山でなく(同上)
一時間 超える登山は 地図便り 忘れやすきが 無駄足となり(同上)
篠山は 愛媛と高知 県境 四国南西 三百名山(篠山)
登山口 愛媛県側 八合目 篠山神社 表参道(同上)
休憩所 丸太造りの 豪華さで 水場もあるので 野宿できそう(同上)
水場での 一トンタンク 珍しく 側に石仏 安置もされて(同上)
クマザサが 鹿の葉食で 壊滅し 鹿除けネット 山頂囲む(同上/霊山登拝139) 61歳
明治まで 観世音寺の 札所あり 空海大師 開基の寺と(同上)
参道に 立派な石段 狛犬が 壊れながらも 歴史を記す(同上)
山頂の 篠山神社 立派なり 権現改め イザナミ祀り(同上)
お大師に また導かれ 篠山か 迷わず来れた この有難さ(同上)
二等でも 三角点に 挨拶す 一礼無言で 感謝を込めて(同上)
西側に 瀬戸黒森の 山並みが 開発されず 自然のままに(同上)
山上に 伊予と土佐との 標柱が それぞれ立ちて 競い合うかな(同上)
町営の 篠山荘が 入口に 廃業したのか 無人の様子(同上)
飛鳥期の 開山と言う 篠山は 南予地方の 霊山であり(同上)
絵下山は 広島安芸区の 低山で 奇岩が多く 展望が良し(絵下山)
絵下山は 公園として 整備され 林道以外の 歩道が多く(同上)
沢水を 樋に流した 水場あり ペットボトルに 補給するかな(同上)
絵下山に 豊かな海の 源を 実感したり 低山散歩(同上)
山上に 丸みを帯びた 岩多く 白亜紀後期 創造されて(同上)
西面に 明神山と 金輪島 広島湾の 景色複雑(同上)
登山道 一段の道 総称は 三連首 飾りの道と(同上)
あてもなく 南コースの 下山口 車に戻る 道でないのに(同上)
全国に 温泉のある島 珍しく 旅を重ねん 六十五島(積善山)
瀬戸内の 上島諸島 岩城島 積善山は 岩城富士とも(同上)
山頂は 少々さむく 秋の風 二等記入の 三角点が(同上)
円形の 展望台が 山頂に パノラマ景観 一人眺める(同上)
隣接す 佐島弓削島 生名島 橋で結ばれ 三島一つ(同上)
北側に しまなみ海道 生口橋 瀬戸内海の 道世界一(同上)
岩城島 積善山の 花だより 聞いて再び 訪ねてみたき(同上)
瀬戸内の 児島半島 鷲羽山 眺望絶佳 国の名勝(鷲羽山)
登山口 展望台の 駐車場 散策コース のんびり登山(同上)
道の際に 鍾秀台の 石碑立つ 徳富蘇峰 命名せしと(同上)
下津井は 古き家並みの 港町 下山をしたら 訪ねて見んと(同上/霊山登拝140) 61歳
夢の跡 瀬戸大橋の 新幹線 今は人気の 自転車道に(同上)
三角点 探してみれば 別にあり 天下無類の 鷲羽の山よ(同上)
古代から 大陸にらんだ 城跡に 再び集う 騎兵隊かな(石城山)
山口の 光市にある 石城山 霊山にして 国史跡でも(同上)
神籠石 飛鳥時代の 構築で 二・六キロ 八合目附近(同上)
城跡は 新羅の侵略 備えてか 任那失い 怯んだ倭(同上)
奈良時代 神護寺開基 江戸後期 真言宗に 改宗せしか(同上)
南側 鶴ヶ峯には テレビ塔 その標高は 産後良しとか(同上)
明治まで 随神門は 仁王門 神護寺滅び 石城神社に(同上)
小社建つ 高日ヶ峯は 古墳跡 最高峰で 三無に寄らず(同上)
維新時に 長州第二 奇兵隊 屯所を設け 山に籠りし(同上)
打ち終えて 弥谷山に 登拝する 七十一番 奥ノ院とし(弥谷山)
五岳山 火上山は その一座 弥谷山の 南東にあり(同上)
山頂の 三角点は 二等にて 札所の上の 山野いとしき(同上)
尾根伝い 天霧山は 城跡で 案内標識 見ながら踏破(同上)
山頂は 天霧城の 本丸で 室町時代 香川氏居住(同上)
語るべき 女なきまま 二十年 一人鬼門の 山を往復(同上)
登らざる 山もまたあり 五岳山 空海大師の 旅はこれから(我拝師山)
中腹に 大師禅定 堂宇建つ ふもと出釈迦寺 奥ノ院でも(同上)
五岳山 今だ縦走 果たさずも 我拝師山は 我慢できずに(同上)
七歳の 幼名真魚が 身を捧げ 誓願果たし 捨身ヶ嶽と(同上)
山頂は 安山岩の 岩峰で 真言唱え 登り行くかな(同上)
三等の 三角点が 山頂に 死やいかにかと 大師に問われ(同上)
西側に 満濃池に 象頭山 大師ゆかりの 景気を眺め(同上)
甲山 空海大師 開基せし 七十四番 札所の山で(甲山)
参道に 三十三の 観音が 江戸末期頃 建立されて(同上)
大切な 手帳を失う 甲山 負の思い出が また刻まれる(同上)
五岳山 香色山は 善通寺 最も近い 真魚の遊び場(香色山/霊山登拝141) 61歳
緩やかな 坂道続く 登山道 我拝師山と 対照的で(同上)
中腹に 稲荷明神 祭祀する 赤い鳥居に 違和感はなく(同上)
田畑が 希少な存在 善通寺 いずれ消え行く 今の眺めは(同上)
明治から 日本の信仰 歪められ 再び帰らん 空海大師に(同上)
中山は 未だ踏まずの 五岳山 いずれ縦走 叶えたい山(同上)
急斜面 流紋岩の 岩場には ロープがかかり 手助けとなり(同上)
下山前 稲荷神社に 参拝し 今後も山を 護り給えと(同上)
三度目の 太龍寺へは ロープウェイ 太龍寺山 登拝も兼ねて(太龍寺山)
交差する ゴンドラの中 客はゼロ 閑散期入り 如月の空(同上)
山の上 ニホンオオカミ 像五体 明治末期の 絶滅哀れ(同上)
四等の 三角点は 無位やかな 補陀落山の 別名あるも(同上)
また一座 空海大師の 足跡を 辿りて夢見る 極楽浄土(同上)
太龍寺 舎心ヶ嶽の 岩の上 修行大師が 今も座禅し(同上)
山上に 山さきもりの モニュメント 六年前に 設置されしと(同上)
西日本 最長誇る ロープウェイ 箱型搬器 スイス製とか(同上)
唐土の 五台山に あやかりて 行基菩薩が 名付けたと聞く(五台山)
四等の 三角点に 雄幸像 民政党の 一味組みして(同上)
メサ地形 屋島南嶺 最高地 三角点は 探し得られず(屋島)
屋島寺の 瑠璃宝の池 聖泉で 合戦後には 血の池となり(同上)
低山と 侮れなかった 屋島かな 三角点を 知らずに去りて(同上)
世を変えた 薩長土肥の 若者を 遠く眺める 指月山かな(指月山)
指月山 萩城跡の 山名で 江戸時代初期 毛利氏築城(同上)
石高が 百二十万 毛利氏は 八十四万 減らされ萩へ(同上)
城郭は 復元される 兆しなく それでも史跡 百名城で(同上)
遺構には 堀と石垣 残るのみ 家老長屋が 国の重文(同上)
山頂は 詰丸跡と 称されて 石三個ほど 放置もされて(同上)
巨石には 切り込み入れた 矢穴あり 時代遅れの 姿を残し(同上)
山口の 鳳翩山の 東峰 新百名山 聞いての登山(東鳳翩山)
低くても 初めての山 侮れぬ 事前の知識 不可欠と知る(同上)
上りには 林道コース 下りには 二ツ堂川 萩往還へ(同上)
登山道 雑木林の 尾根みちで クマザサもなく 歩き易きや(同上)
稜線に 西鳳翩山 対峙する 東峰よりは 少しは高く(同上/霊山登拝142) 61歳
山麓の 集落の屋根 赤色に 統一されて 美しく見ゆ(同上)
山頂で 眺めた広場 人おらず イスとテーブル 一人占めかな(同上)
下山路に いつも感じる 達成感 上りと違う 道にありても(同上)
雲辺寺 三度目となる 巡礼で 山頂再び 極めんとして(雲辺寺山)
参道と 管理道路と 登山道 雲辺寺山 頂きの道(同上)
裏は阿波 表は讃岐の 雲辺寺 何辺来ても 変わらぬ姿(同上)
なだらかな 雲辺寺山 苦にならず 毘沙門天の 立像拝む(同上)
壱岐島 最高峰の 岳ノ辻 丘の如くに 緩やかな山(岳ノ辻)
登山口 見上神社 参道で 展望広場 案内表示(同上)
祭神は ヒコホホデミノ ミコトとか 見上神社は 山の神でも(同上)
一等の 三角点が 山頂に 兄さん寄ってと 山幸彦が(同上)
壱岐の国 みんな活き活き 島暮らし 古き歴史に 包まれている(同上)
波高く 帰路の船出が 無理ならば 再び泊まる 運を喜ぶ(同上)
桜咲く 高野の山の 支院群 仏都に集う 世界の旅人(高野山)
高野山 八葉蓮華 摩尼山に これが真の 霊山登拝(同上)
摩尼山に 楊柳山に 転軸山 縦走したき 高野三山(同上)
祠には 観音菩薩 祀られて 真言唱え 挨拶をする(同上)
下関 狗留孫山の 修禅寺は 行基菩薩 開基の寺で(狗留孫山)
参道に 観音菩薩の 幟立ち 思いもよらぬ 古刹に歓喜(同上)
木段に 狗留孫山は 整備され 山号の山 誇りが高き(同上)
山頂は 三角点に 座石のみ それでも眺め 多少望まれ(同上)
朱印置く 三角点は 二等にて 無位無官の 立場にありし(同上)
西の空 日本海の 響灘 展望台が あれば良いけど(同上)
修禅寺 新たな命 生まれ来る 法灯絶えぬ 霊山もあり(同上)
本堂の 北に小高き 山続く 西の高野に 加えて欲しき(同上)
平尾台 北九州の カルストで 最高峰が 大平山で(大平山)
平尾台 荒涼とした 楽土なり 万体仏の 石の数々(同上)
山腹の 石灰岩の 石群が 羊に見えて 羊群原と(同上)
北東に 最高峰の 貫山が 縦走できぬ 時ぞ惜しまれ(同上)
斜面には 小穴の窪地 点在す 特有地形 ドリーネとされ(同上)
平尾台 石灰質の 特性で 二百を超える 鍾乳洞が(同上)
カルストの 日本三大 まず四国 秋芳台と この平尾台(同上)
石柱が 三角点と 思いきや 天記の印 陸軍の碑で(同上)
福岡の 筑紫山地の 求菩提山 円錐形の 修験の山で(求菩提山/霊山登拝143) 61歳
参道の 石の付く物 苔生して 千古の推移 輝きはなく(同上)
中宮の 国玉神社 明治まで 天台宗の 護国寺堂宇(同上)
石段は 求菩提権現 鬼だまし 一夜にして 造らせしとか(同上)
盛時には 求菩提一山 五百坊 豊前修験は 英彦山と二分(同上)
山頂の 上宮神社の 祭神は 白山権現 昔のままに(同上)
僧坊の 石垣に見る 壮大さ デジタル復元 眺めてみたき(同上)
廃寺にも さびはありけり 宿坊よ 求菩提山にも 春は訪れ(同上)
背振山 福岡嵯佐賀の 県境 霊山破れ 空自の基地に(背振山)
金網に 有刺鉄線 フェンスあり 奇異に眺める 登山道かな(同上)
基地の中 役行者の 尊像が 霊山らしき 面影残し(同上)
有料の トンネルや橋は 嫌なもの 楽して登る 脊振山かな(同上)
山上の 福岡側に 小社建つ 背布利神社は 基地と背合わせ(同上)
長崎の 夜景眺める 稲佐山 展望台に ロープウェイも(稲佐山)
長崎の 夜景の上に 満月が 昇り離れぬ 春景色かな(同上)
城岳は 福江島北の 城跡で 五島氏による 岐宿城とか(城岳)
島に来て 先ず目指すは 展望所 温泉あれば 言うことなし(同上)
珍しき 展望台に 電波塔 昔の砦 様変わりして(同上)
城跡に 遺構無いのは 物足りず されど眺望 遺構を凌ぐ(同上)
四等の 三角点に アザミ咲く 赤紫は 二色に見える(同上)
島めぐり 三百名山 百名所 尽きぬ旅にも 終焉はあり(鬼岳)
中腹に 昨日と違う 福江港 明日は明日 違う風吹く(同上)
鬼岳 芝の山肌 美しく 鬼と思えぬ 優しさを秘め(同上)
有史前 福江火山の 面影が スコリア丘の 外輪山に(同上)
花の側 野宿するのが 格別で 花共々に 星に願いを(同上)
島旅は 最低二泊 一周し 最高峰に 立ちて満喫(同上)
仁田峠 ロープウェイの 麓駅 ツツジ満開 天候くもり(雲仙岳)
島原の 雲仙岳は 総称で 最高峰は 平成新山(同上)
長崎に 続いて乗るや ロープウェイ 長崎県は これにてクリア(同上)
この天気 ロープウェイの 客一人 また登山者も かくの如くに(同上)
山上の 妙見神社 祭神は アメノミカヌシ 妙見菩薩(同上)
山神の 怒りや未だ 治まらぬ 雲仙岳の 荒ぶる姿(同上)
尾根の先 普賢岳の 山塊が 険しき表情 仏に見えず(同上)
振り向けば 妙見岳も いい山で 国見に普賢 雲仙三山(同上/霊山登拝144) 61歳
目を見張る ミツバツツジの ピンク色 疲れた体 元気回復(同上)
一等の 三角点は 普賢岳 平成新山 四等相当(同上)
活火山 雲仙岳は 長崎の 最高峰で 二百名山(同上)
うっすらと 小浜温泉 見えるけど 昨夜の宿は 記憶鮮明(同上)
記念碑や 九十年前 山好きの 秩父宮様 登山の証(同上)
噴火から 二十五年を 隔てても 平成新山 立入禁止(同上)
九州は ツキノワグマが いないので 洞窟の中 怖がらず見る(同上)
分岐点 立岩の峰 行き止まり 地図と異なる 現地のコース(同上)
紅葉の 天記は今は 新緑に カエデを主に 百二十種が(同上)
株立の 木の周りに ベンチあり 薊谷なる 休憩所かな(同上)
下山口 普賢神社の 拝殿に 無事の登頂 感謝を込めて(同上)
多良岳は 長崎佐賀の 県境 三百名山 信仰の山(多良岳)
苔生した 石段灯籠 鳥居立つ 霊山多良岳 古びた風情(同上)
山腹に 役行者の 像安置 下駄の奉納 天狗の如く(同上)
立岩の 上と下には 石仏が 個性豊かに 十三体も(同上)
山頂の 手前に二基の 灯籠が 大きく立派に 並び立つなり(同上)
山頂に 大権現の 石祠建つ 二礼二拍 登拝括ろう(同上)
またいつか 眺めてみたい 多良岳を 山への思い 尽きる日はなし(同上)
分岐点 立入禁止の ロープ柵 井形に編んだ 柵は初めて(同上)
麓には 行基開山 金泉寺 不動明王 権現として(同上)
涌蓋山 小国富士とも 称されて 三百名山 独立峰で(涌蓋山)
登山口 熊本側の はげの湯で 放牧場の 入口スタート(同上)
山頂 頭とするなら 牧草地 太鼓腹にも 見えなくもなく(同上)
全山が 草木に包まれ 岩はなく 登山道も 土の地盤で(同上)
眼下には 大分道が 弧を描き 飯田高原 絶景の中(同上)
山頂が 近づくほどに 樹木消え 草地広がる まん丸姿(同上)
涌蓋山 三角点は 二等にて 撫でられ過ぎて 角が擦り切れ(同上)
キンポウゲ うす紫の ハコベとの 花びら五つ 互いに交え(同上/霊山登拝145) 61歳
奇遇かな 五県の車 登山口 五月の空を 行く涌蓋山(同上)
福岡の 四王寺山は 総称で 大野山ほか 三座連なり(四王寺山)
六世紀 大野城が 築かれて 新羅の侵攻 防ぐためなり(同上)
テーブルの 板が無くなり 為すがまま 中途半端な 観光資源(同上)
何の木か 分からぬけれど 気にかかる 写真に撮りて 調べてみよう(同上)
城跡に 大和魂 見るような 健気な倭と 頑張る日本(同上)
西国の 三十三ヶ所 観音の 石仏安置 四王寺山に(同上)
向島 巨岩奇岩を 目にしては しまなみ海道 降りて訪ねる(岩屋山)
よく見れば 岩の上には 石仏が 仏教色の 岩屋山かな(同上)
新しき 名所がひとつ 岩屋山 巨岩怪石 仏が宿り(同上)
どことなく 石舞台古墳 思わせる 向島には 巨石の岩屋(同上)
割目には 夏至に朝日が 昇り来て 冬至に夕日が 沈む光景(同上)
薬師堂 飛び出す岩が その横に 大砲に似て 穴も開いてて(同上)
山頂に 鎮座するのが 蛇紋岩 一礼二拍し 神と眺めん(同上)
山麓は 民家密集 向島 縄文人も 眺めた奇勝(同上)
二回目の 大山登山は 神社から ユートピアコース 三鈷峰へと(大山)
急登の 下宝珠越 尾根に立つ 山頂も見え 気は晴れやかに(同上)
五年ぶり 眺める大山 雄大で 三千メートル 峰の雰囲気(同上)
大山の 最高峰は 剣ヶ峰 登山禁止で 眺め見るだけ(同上)
北西の 孝霊山は 側火山 三つのピーク 宝冠に見え(同上)
分岐点 上宝珠越 稜線で ユートピアコース 避難小屋へと(同上)
西の空 米子の街と 中海が 美保湾沿いに 展開されて(同上)
剣ヶ峰 先に弥山の 頂きが 再登山して 眺められたり(同上)
剣ヶ峰 目指す登山者 五人ほど 縦走禁止 ピストンいいのか(同上)
五ヶ所ある 避難小屋では ユートピア 立派に見えて 写真に残す(同上)
稜線に 天狗ヶ峰の ピークあり 花も無くても 名前があれば(同上)
象ヶ鼻 孝霊山に 日本海 独立峰の 眺めよろしく(同上)
伯耆富士 この山頂も 剣ヶ峰 低山なれど 裾野は広し(同上/霊山登拝146) 61歳
下山道 スキーするなら 最高と 元谷眺め 次回は冬に(同上)
広島の 名低山の 牛田山 ハイキングコース 展望絶佳(牛田山)
登山道 雑木林の 続く道 岐路が多く 迷い易くも(同上)
ピークには 境界杭か 目印に地名を付けて 欲しいと願う(同上)
大石か 小岩か目分け つかぬけど 存在感は 山の刺激に(同上)
山頂で 踏む位置違え 転びそう 広島早稲田 牛田山かな(同上)
三等の 三角点が 牛田山 タッチするにも 感慨がなく(同上)
何気なく 登った近所の 牛田山 広島一の 展望ありて(同上)
弥生期の 貝塚もあり 牛田山 住居復元 されたら良いと(同上)
ぱっと見は 十種に及ぶ 草と木が 植生豊かな 山面白き(同上)
山削る 宅地開発 懸念さる 再び災害 起こる気がして(同上)
山の岩 丸みを帯びた 花崗岩 奇岩怪石 土の中かな(同上)
広島は 瀬戸内海の 中心部 人口最大 住みやすき街(同上)
二葉山 越えて広島 繁華街 駅前通り 路面電車も(同上)
下山後の 温泉入浴 常なれど 日帰り温泉 市内にはなく(同上)
三徳山 制約のある 霊山で 単独不可で 相棒探し(三徳山)
すぐさまに 同年代の 参拝者 運良く見つけ 一緒に入山(同上)
三徳山 役行者の 開山で 円仁大師 三仏寺開基(同上)
文殊堂 縁台怖き 懸造り 室町期築 国の重文(同上)
庇には 山頂の様子 見えるけど 投入堂で 引き返すことに(同上)
山上の 諸堂全て 文化財 国宝一棟 重文三棟(同上)
旅すれば 思わぬ人と めぐり逢う 投入堂に 同行二人(同上)
三徳山 国文化財 のみならず 史跡と名勝 トリプル指定(同上)
国宝の 投入堂は 立ち入れず 蔵王権現 遥拝をする(同上)
六甲の 再度山と 大龍寺 大師ゆかりの 山と古刹で(再度山)
多々部山 唐留学時 前後して 大師登拝し 再度山に(同上)
西国と 四国霊場 石仏が その参道は 大師道とも(同上)
出国時 虚しく登り 帰国後は 満ちて登りし 空海大師(同上)
再度山 また来ることは ないだろう それでも思う 雪の美しさ(同上)
天狗岩 上に亀石 鎮座する 大師の手掘り 知るとユニーク(同上)
英虞湾の 先志摩半島 御座岬 金比羅山は 孤立残丘(金比羅山)
山頂に 金比羅宮の 石碑立つ 名は恥じぬとも 供え物なく(同上)
英虞湾の 最果ての岬 御座岬 何でも見る旅 ここに極まり(同上)
英虞湾を 隔てた先に 浅間山 天気良ければ 絵になる景色(同上/霊山登拝147) 61歳
対岸に 南張海浜 浜島と 未だ見ぬ街が 白く浮き立つ(同上)
黒森の 急な斜面に 家々が 信じられない 暮らしを思う(同上)
場所により 鳥海山は 形変え 同じ山容 山麓になく(同上)
敷石の 溝の加工は 意味不明 刻印でなく 石割穴か(同上)
六合目 賽ノ河原に 地獄なし 鳥海山は 全て天国(同上)
薄緑 その先には 深緑 稲倉岳は 道なき側山(同上)
残雪と シラネニンジン 境なく 鳥海湖を 彩る景色(同上)
鳥海湖 鍋森地味に 聳え立つ 逆転すれば 湖の蓋(同上)
新山は 江戸享和期の 形成で オオモノイミノも 引っ越しをして(同上)
山頂が テント禁止と 耳にして 哀れに思う 山形支配(同上)
新山は 混雑を避け スルーして 外輪山を 巡りて下山(同上)
メキシコへ 飛び立つ前の 山登り 鳥海山に 寄せる愛しさ(同上)
築山の 金鶏山は 平泉 世界遺産で 国史跡かな(金鶏山)
登山口 義経妻子の 墓があり 哀れを誘う 非業の歴史(同上)
金鶏山 形ばかりの 山となり 嘆き悲しむ 旅人ふたり(同上)
四等の 三角点と 祠建つ 金鶏山に 祭神はなき(同上)
熊野岳 冬の登山に 頓挫して スキーするなり 蔵王素晴らし(蔵王山)
信夫山 陸奥福島の シンボルで 霊山であり 歌枕でも(信夫山)
信夫山 最高峰は 熊野山 無線基地にて 車入れず(同上)
下野の 古峯神社の 石碑立つ 天狗が飛んで ここに居候(同上)
創建は 平安初期に 田村麻呂 熊野大神 奉じて遷座(同上)
熊野山 三角点は 二等にて 昔のよすが 偲ぶすべなし(同上)
名ばかりの 山となりにし 信夫山 梅は咲いても 見る人ぞなき(同上)
羽黒山 信夫三山 一座なり ここは立派な 社殿構えて(同上)
福島は 天領であり 城がなく 名所名跡 数えるほどに(同上)
宝登山は 秩父長瀞の 霊山で 桜の名所 ロープウェイも(宝登山)
舟下り 終えて上る ロープウェイ 初めて味わう 長瀞の旅(同上)
山頂に 休憩施設 何もなく せめてベンチは 置いておくれと(同上)
三等の 三角点が 宝登山に 四十センチ 土砂が流出(同上)
南面の 荒川隔て 武甲山 二百名山 山肌削れ(同上)
黄色みも 離れるほどに 色褪せて ロウバイの花 ウメに及ばず(同上)
創建は 卑弥呼時代と 称される 宝登山神社 山頂奥宮(同上)
風流は 旅に生きんと 志 旅の途上で 野垂れ死ぬ時(同上)
三峰の ロープウェイが 廃止され 宝登山残り 県唯一に(同上/霊山登拝148) 62歳
都幾山は 観音霊場 慈光寺の 山号にして 実在の山(都幾山)
慈光寺の 観音堂を 参拝し 朱印頂き 悲願を叶え(同上)
登山道 植林された 杉林 急登もなく 岩石もなく(同上)
都幾山は 興福寺僧 開山し 平安時代 天台宗に(同上)
霊場は 僧侶次第で 変わりゆく 変わらざるもの 山の頂(同上)
山頂は 標高点が あるだけで 奥ノ院もなく 淋しき限り(同上)
奥秩父 三峯神社 奥宮は 妙法ヶ岳 山頂にあり(妙法ヶ岳)
新雪を 踏みしめて行く 参道に 三番目となる 我が靴の跡(同上)
途中から 人の足跡 消え失せて 白い道には 不安が積もる(同上)
石段に 山頂近しと 感じ取る 手すりを握り スリップ注意(同上)
夏ならば 昨日のうちに 登れしも 冬なら諦め 日を待つ余裕(同上)
両神の 四阿屋山は 霊山で 国民宿舎 泊まりて登山(四阿屋山)
登山道 石祠墓標 乱立し 把握は無理と 手を合わせ行く(同上)
あれこれと 見るもの多き 小鹿野町 古い家並は またいつの日か(同上)
比較的 登山道は 新しく 修験の山は 娯楽の山に(同上)
中腹に 両神神社の 奥社建つ 両神山と 何処が違うと(同上)
両神は イザナミイザナギ 両ミコト 古事記の世界 何故この山に(同上)
急坂に 登山禁止の 表示板 迂回路鞍部 これまた不便(同上)
山頂の 三角点に 雪かかり 七菜に雪が 少しは融けて(同上)
バッヂ買い 登る得ない 山もあり 登りて嬉し 四阿屋山に(同上)
武甲山 秩父盆地の シンボルで 最高峰の 霊山であり(武甲山)
登山口 秩父霊場 橋立堂 橋立川の 林道歩き(同上)
林道に 橋立神社 祠建つ オオヤマヅミを 祭神として(同上)
林道が 終点となり 橋の前 登山届箱 用紙備えなく(同上)
我が旅は 還暦過ぎても 道半ば 三百名山 諸国一宮(同上)
消えもせぬ 子供のような 好奇心 抱き続ける 六十二の旅(同上)
入山し 登山者ひとり 前に見る 意外と少ない 弥生の登山(同上)
山頂に 御嶽神社 社殿建つ ヤマトタケルを 主祭神とし(同上/霊山登拝149) 62歳
創建は 大和時代と 称されて オオカミ像の 狛犬ユニーク(同上)
空白く 展望叶わぬ 武甲山 採掘現場 見ずに良かれか(同上)
あと一歩 自分に気合 入れながら 登った山は 有難くあり(同上)
森山を 秋田道から 眺めては 登ろうとして 五城目を下り(森山)
登山口 森林公園 駐車場 入口付近 杉の植林(同上)
途中から 登山道路は 林道に 杉から桜 樹木も変わり(同上)
前山に 四層五階の 電波塔 三重塔 見るが如くに(同上)
鐘を撞き 下山する山 五城目 登って知るは 未知との出会い(同上)
石柱に 希望の塔の 名を刻み ピークの前山 見晴らしも良く(同上)
祠には 三吉霊神 石仏は 不動明 鐘楼脇に(同上)
埋め立ては 八郎潟の 破壊なり 目先の米は シジミに勝てず(同上)
残存湖 男鹿半島が 良く見えて 寒風山に 男鹿三山が(同上)
森山の 三角錐が 目前に 感じるパワー 町のシンボル(同上)
一等の 三角点が 森山に 拾い集める 実に五菜かな(同上)
江戸後期 神仏混淆 太平山 ミヨシオオカミ 大権現と(同上)
快晴の 乳頭山に 魅せられて 孫六口で 登山を開始(乳頭山)
下野の 太平山の 霊山は 山城跡で 桜の名所(太平山)
霊山の 頂きに立ち 花見する 吉野の他に 花があるとは(同上)
山上に 太平山 神社建つ ニニギノミコト 主祭神とし(同上)
境内の 摂社の奥に 登山口 奥宮拝し 山頂見んと(同上)
山城は 皆川氏の 築城で 本丸跡に 浅間神社(同上)
関東は 浅間神社 数多あり 神の名ゆかし コノハナサクヤヒメ(同上)
注連縄の 先は磐座 古木かと 表示不足と 感じて下山(同上)
出流山 坂東霊場 満願寺 大師に送られ 山頂目指す(出流山)
不動滝 滝行には 最適と 思い眺める 滝壺に水(同上)
出流山 千部ヶ岳が 最高地 案内板は 古ぼけたまま(同上)
林道が あちらこちらに 分岐して 千部ヶ岳の 道に至れず(同上)
出流山 頂きに立てぬ 悔しは 不本意ながら それも旅なり(同上)
山頂に 三千本の 花の雲 上州鬼石 桜山かな(桜山/霊山登拝150) 62歳
桜を見て 山に登るは 楽しけり 物見遊山は 花は尽きたり(同上)
三波川 冬桜が 七千本 国の天記で 名勝指定(同上)
御嶽山 神川町 霊山で 見晴台に 城跡もあり(神川御嶽山)
登山口 金鑚神社 境内で ヤマトタケルが 案内人に(同上)
鏡岩 断層面が 輝いて 国の特別 天記の誉(同上)
霊山に 相応しき山 御嶽山 低山ながらも 価値は高し(同上)
大岩に 金鑚神社 奥宮が 御室山との 二股かけて(同上)
山上に クラブハウスの 建屋群 岩山展望 藤岡俯瞰(同上)
佐白山 笠間城跡 笠間氏が 鎌倉時代 築城せしと(佐白山)
登山口 稲荷神社の 駐車場 城跡見物 我一人のみ(同上)
江戸時代 八万石の 笠間藩 牧野家九代 明治にいたり(同上)
佐白山 その山頂は 傷ついて 麓の寺も さびれたままに(同上)
天守台 佐志能神社 鎮座する 明治初年 移築されしと(同上)
御止山 凝灰岩の 岩山で 陸の松島 国の名勝(御止山)
大谷にも 大師の足跡 偲ばれる 遺跡の上に 石仏彫るとは(同上)
おとめやま 耳に優しき 名なれども 入山できぬの 山の意味とは(同上)
通称は 屏風岩とも 名付けられ 断崖絶壁 水あと黒く(同上)
多気山は 宇都宮氏の 城跡で 不動明王 祀る山でも(多気山)
成り行きの 登山もありし 不動尊 その誘いも 有難きかな(同上)
石段で 十三仏の 真言を 唱えて登る 多気不動尊(同上)
三等の 三角点が 山頂に 混交樹林 皆ならび立つ(同上)