寺院・神社その9 長句(短歌・狂歌)
出羽国 大物忌社 一宮 古墳時代に 鳥海山に(吹浦大物忌神社/寺院・神社151) 63歳
拝殿は 入母屋造り すがる破風 明治前期に 再建されて(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 江戸中期築 弁柄塗りで(同上)
埼玉に 箭弓稲荷 神社あり 平安後期 再興されて(箭弓稲荷神社)
参道は 東松山 駅前で 敷地は削がれ 両側ビルに(同上)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 江戸天保期 領主再建(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 幣殿含め 江戸文化期築(同上)
記念館 軒唐破風の 入母屋で 天皇陛下 誕生祝い(同上)
参集殿 社務所兼ねた 二階建て 入母屋造り コンクリート造(同上)
安楽寺 行基開基し 田村麻呂 堂宇建立 坂東霊場(安楽寺)
通称は 吉見観音 安楽寺 真言宗の 智山派末寺(同上)
本堂は 軒唐破風の 寄棟で 江戸前期築 密教本堂(同上)
本尊の 聖観世音 秘仏なり 年に一度は 厄除け開帳(同上)
壮観な 三重塔 シンボルで 江戸明暦期 再建されて(同上)
埼玉に 五重塔は 無いけれど 三重塔 四基数える(同上)
本坊は 近年築の 入母屋で 裳階の唐破風 前に張り出て(同上)
江戸前期 龍性院は 中興す 真言宗の 智山派末寺(龍性院)
城を背に 観音堂の 懸け造り 岩室観音 古びた風情(同上)
岩窟に 八十八の 仏たち 四国霊場 勧請されて(同上)
半分は 舟形光背 石仏で 昭和後期の 建立と言う(同上)
正法寺 奈良養老期 開創で 真言宗の 智山派の寺(正法寺)
仁王門 入ると際に 石碑立つ 坂東十番 霊場とあり(同上)
明治初期 観音堂は 焼失し 江戸期の堂宇 他寺より移築(同上)
入母屋の 観音堂は 妻入りで 千手観音 室町期作(同上)
大イチョウ 七百年の 樹齢とか 高さ百尺 埼玉一で(同上)
本坊に 門があるけど 塀がなく 開放的な 寺の雰囲気(同上)
浮草が 弁天沼の 一面に カエルも棲まぬ 鳴かずの池とも(同上)
小田原の 宝金剛寺 開創は 平安前期 杲隣により(宝金剛寺)
戦国期 後北条氏の 祈願所で 真言宗の 東寺派の寺(同上)
本堂は 入母屋平入り 瓦葺き 築年不明 昭和中期か(同上)
本尊は 平安期作の 地蔵尊 大日如来 国の重文(同上)
切妻の 大きな庫裡は 二階建て 江戸後期築 元は茅葺き(同上/寺院・神社152) 63歳
相模国 川匂神社が 二宮で 創建古く 古墳時代に(川匂神社)
寄棟の 随神門は 茅葺きで 築年不明 江戸後期築か(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 明治初年の 再建と聞く(同上)
本殿は 春日造りの 三間社 昭和中期に 新築されて(同上)
祭神は 生土神が 改まり オオクニヌシと 他四柱(同上)
平塚に 坂東霊場 光明寺 奈良期の開基 天台宗で(平塚光明寺)
仁王門 室町後期 再建で 入母屋造り 木部真っ赤に(同上)
本堂は 銅板葺きの 宝形で 室町期築 厨子は重文(同上)
歓喜堂 宝形造り 二棟目で 築年不詳 江戸後期かと(同上)
文殊堂 宝形造り 三棟目 近年築で 普賢も安置(同上)
相模国 比々多神社が 三宮 創建上代 相模最古と(比々多神社)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 築年不詳 棟高らかで(同上)
祭神は トヨクニヌシと 三柱 古くは冠 大明神で(同上)
三宮 三号古墳 復元す 多くの古墳 破壊されしも(同上)
境内に 縄文遺跡 数多あり 相模伊勢原 文化は古く(同上)
古代から 中世までの 出土品 神社自前の 博物館に(同上)
長谷寺 行基開基で 高野山 真言宗の 坂東霊場(飯山長谷寺)
仁王門 江戸中期築 寄棟で 風情に欠ける 屋根トタン葺き(同上)
本堂は 軒唐破風の 宝形で 江戸中期築 観音堂とも(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 通称名は 飯山観音(同上)
鐘楼は 見晴らしの良き 高台に 室町の音 遠く響かす(同上)
イヌマキは 八百年の 樹齢とか さすが寺では 注連縄張らず(同上)
創建が 阿伎留神社は 不詳でも 平安前期 既に存在(阿伎留神社)
拝殿は 明治中期の 再建で 二連千鳥の 入母屋造り(同上)
本殿は 神明造り 一間社 オオモノヌシを 主祭神とし(同上)
神輿には 鳳凰飾り 付き物で 天皇の輿 鳳輦真似て(同上)
神楽殿 入母屋造り 千鳥破風 昭和初期築 銅板葺きで(同上)
入母屋に 入母屋破風の 社務所建つ 昭和中期の 洒落たデザイン(同上)
珍しき まいまいず井戸 その蓋も 三角屋根の 石が架けられ(同上)
秋川の 大悲願寺の 開山は 鎌倉初期に 醍醐寺僧が(大悲願寺)
楼門は 入母屋造り 仁王門 江戸後期築 天井に絵が(同上)
朱雀門 江戸後期築 中門で 築地塀付き 武家屋敷風(同上)
寄棟の 観音堂は 唐破風で 江戸後期築 茅は銅板に(同上)
古義新義 真言宗は 分裂し 大悲願寺は 新義豊山派に(同上/寺院・神社153) 63歳
喧嘩して 真言宗は 古義新義 空海大師 嘆きやいかに(同上)
本堂は 江戸中期築 書院風 寄棟の屋根 元は茅葺き(同上)
本尊の 大日如来 立場なし 阿弥陀三尊 国の重文(同上)
本庄の 成身院の 開創は 室町中期 足利氏とか(成身院)
宝形の 観音堂の 外観は 二層に見えて 三階建てで(同上)
百体の 観音堂は さざえ堂 明治末期に 再建されて(同上)
百体は 一階秩父 観音で 二階坂東 三階西国(同上)
不動尊 成身院の 本尊で 真言宗は 豊山派の寺(同上)
正龍寺 室町後期 創建で 花園城主 藤田氏により(正龍寺)
山門の 先に続くは 仁王門 築年不詳 古き楼門(同上)
本堂は 寄棟造り シンプルで 江戸末期築 桟瓦葺き(同上)
創建時 臨済宗の 正龍寺 ほどなく改宗 曹洞宗に
本尊は 釈迦三尊で 外陣には 白壁四面 雲中菩薩(同上)
二階建て 土蔵造りの 宝蔵庫 どんな寺宝を 所蔵するかと(同上)
円照寺 鎌倉前期 創建の 真言宗は 智山派の寺(円照寺)
境内は 弁天池を 中心に 諸堂が並ぶ 寺観は優れ(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 昭和中期に 古材で再建(同上)
本尊は 阿弥陀三尊 行基作 多分伝承 調査もされず(同上)
収蔵庫 板碑の五基が 重文で 加治氏の菩提 供養の板碑(同上)
不動堂 方三間の 寄棟で 江戸安永期 建立されて(同上)
客殿は 近年築の 入母屋で 入母屋破風が 妻入り側に(同上)
鐘楼の 基壇の周囲 石の柵 寄進者の名が 支柱に彫られ(同上)
能仁寺 室町後期 創建で 曹洞僧の 斧屋開山(能仁寺)
山門は 入母屋造り 仁王門 天覧山の 玄関口で(同上)
諸伽藍 戊辰戦争で 焼失し 大正時代 再建されて(同上)
切妻の 中雀門の 両塀は 格式高き 瓦板塀(同上)
本堂は 軒唐破風の 入母屋で 毘盧遮那仏の 本尊安置(同上)
宝形の 開山堂は 位牌堂 斧屋文達 坐像も安置(同上)
庭園は 池泉築山 回遊で 唯一残る 桃山遺構(同上)
奈良時代 聖天院は 創建す 高麗王若光 菩提寺とし(日高聖天院)
山門は 江戸後期築 楼門で 風神雷神 下層に安置(同上)
山門に 修行大師の 像が立つ 真言宗の 智山派ゆえ(同上)
中門は 近年築の 四脚門 両側塀で 有料となり(同上/寺院・神社154) 63歳
阿弥陀堂 江戸前期築 宝形で 改修されて 古風さは消え(同上)
本堂は 平成期築 入母屋で 京都神護寺 モデルにしたと(同上)
内陣は 極めて豪華 百余坪 本尊不動 下座で拝す(同上)
雪山は 凝灰岩の 岩塊で 若き釈尊 岩の名前に(同上)
鐘楼は 宝形造り シンプルで 鐘の響きは 花の元禄(同上)
在日の 韓民族の 慰霊とか 十三重の 石塔が立つ(同上)
奈良時代 創建されし 高麗神社 高麗若光 主祭神とし(高麗神社)
鳥居から 先ず神楽殿 社務所建つ 入母屋造り 棟を並べて(同上)
神門は 切妻造り 唐破風で 明治後期に 再建されて(同上)
白鳳期 高句麗の国 滅亡し 二千人ほど 武州に移住(同上)
拝殿は 入母屋妻入り すがる破風 透かし塀とも 去年新築(同上)
幣殿と 本殿覆屋 昭和初期 伊東忠太が 設計せしと(同上)
覆屋に 流れ造りの 一間社 桃山時代 建立と言う(同上)
天龍寺 平安前期 開山で 子ノ聖らが 観音祀り(子ノ権現天龍寺)
山門は 切妻造り 黒門で 奥に仁王の 派手な姿が(同上)
寄棟の 庫裡は質素な 茅葺きで 明治前期の 再建かなと(同上)
足腰の 子ノ権現は 守護とされ 庫裡に不要の 松葉杖あり(同上)
天龍寺 出羽羽黒山 修験道 江戸中期から 天台宗に(同上)
本堂は 入母屋妻入り 唐破風で 築年不詳 弁柄塗られ(同上)
トタン屋根 茅葺き屋根に 瓦屋根 子ノ権現の 本坊本堂(同上)
宝形の 釈迦堂横の 鐘楼は 切妻造り 規模は等しく(同上)
本坊の 庫裡は寄棟 搭屋付 築年不明 赤トタン屋根(常楽院)
白鳳期 常楽院は 開創と 多分伝承 高山不動(同上)
参道に 塔頭らしき 長屋門 廃業したか 表札がなく(同上)
寂れても 真言宗の 智山派で 常楽院の 再興願う(同上)
本堂は 入母屋造り 不動堂 江戸後期築 赤トタン屋根(同上)
本尊は 軍荼利明王 重文で 盗難防止か 収蔵庫へと(同上)
大イチョウ 八百年の 樹齢とか 気根の乳垂 見事な限り(同上)
龍穏寺 平安初期の 草創で 室町中期 再興されて(龍穏寺)
山道で 冠木門を 見つけては 安堵覚える 龍穏寺かな(同上)
山門は 入母屋造り 楼門で 江戸後期築 階下に四天(同上)
龍穏寺 曹洞宗の 僧録司 江戸時代には 関三刹に(同上/寺院・神社155) 63歳
太田家の 菩提寺である 龍穏寺 太田道潅 銅像が立つ(同上)
本堂は 昭和中期の 再建で 軒唐破風の 入母屋造り(同上)
切妻の 庫裡は珍し 二階建て 明治期築の 民家を移築(同上)
境内に 熊野神社の 社殿建つ 江戸後期築 権現造り(同上)
経蔵は 江戸後期築 宝形で 軒唐破風の 白黒土蔵(同上)
経蔵に 道元禅師 一代記 南北の壁 彫刻されて(同上)
開創は 奈良宝亀期の 高勝寺 霊魂集う 岩船山に(高勝寺)
入母屋の 賽ノ河原堂 先ず拝す 築年不詳 江戸後期かと(同上)
仁王門 入母屋造り 楼門で 江戸中期築 木部は朱塗り(同上)
本堂は 昭和初期の 再建で 入母屋造り 赤トタン屋根(同上)
本尊は 創建来の 生身なる 地蔵尊とか 秘仏とされる(同上)
江戸初期に 真言宗を 改宗し 天台宗の 高勝寺へと(同上)
秀麗な 三重塔 朱色なり 江戸寛延期 建立されて(同上)
蟇股 十二支彫刻 脇間にも 中国故事の 彫刻見事(同上)
鐘楼は 石垣風の 袴腰 江戸中期築 入母屋造り(同上)
伝説の 孫太郎尊 拝殿に 天狗の面と 百体観音(同上)
小堂の 孫太郎尊 礼拝し 岩船山の 霊山登拝(同上)
鑁阿寺は 二十五年ぶり 参拝で 唐破風屋根の 橋懐かしく(鑁阿寺)
本堂は 鎌倉期築 国宝で 軒唐破風の 入母屋造り(同上)
本尊は 大日樣で その名借り 真言宗の 大日派起つ(同上)
善徳寺 足利尊氏 開基せし 臨済宗の 妙心寺派寺(足利善徳寺)
本堂は 入母屋造り 妻入りで 平成中期 改修されて(同上)
鐘楼の 柱と貫は 白塗りで 気品に満ちた 切妻造り(同上)
足利の 織姫神社 創建は 江戸宝永期 機神祀り(織姫神社)
目的は 織姫山の ハイキング 織姫神社 思わぬ出会い(同上)
鮮やかな 朱色に白の 社殿建つ シンメトリーで 屋根緑青色(同上)
現社殿 昭和初期築 コンクリで 織師と織女 祭神とする(同上)
岩櫃に 矢倉鳥頭 神社あり 鎌倉初期の 創建とされ(矢倉鳥頭神社)
拝殿は 江戸後期築 入母屋で 主たる祭神 オオクニヌシで(同上)
薬師庵 行基菩薩が 開創す 渋温泉の 発見により(渋薬師庵/寺院・神社156) 63歳
本堂は 入母屋妻入り 唐破風で 昭和六年 再建されて(同上)
和光庵 寄棟平入り 茶室風 昭和後期に 建立されて(同上)
温泉寺 鎌倉末期 開山で 臨済僧が 渋温泉に(渋温泉寺)
室町期 曹洞宗に 改宗し その後は寺領 明治まで安堵(同上)
楼門は 入母屋造り 瓦葺き 築年不詳 一間一戸(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 軒唐破風は 増築されて(同上)
入母屋の 法性閣は 二階建て 近年築の 客殿と見え(同上)
庫裡もまた 入母屋造り 二階建て 温泉イコール 薬師の恵み(同上)
甲州の ブドウ畑に 大伽藍 予期せぬ寺観 未知なる古刹(清白寺)
清白寺 足利尊氏 開基する 臨済宗の 建長寺派で(同上)
江戸初期に 建長寺派を 離脱して 妙心寺派に 移り中興(同上)
仏殿は 室町期築 国宝で 入母屋造り 裳階大きく(同上)
四棟が 一直線に 並び建つ 禅宗式の 伽藍配置で(同上)
本堂は 江戸中期築 入母屋で 方丈風の 桟瓦葺き(同上)
切妻の 茅葺きの庫裡 重文で 江戸中期築 白壁映えて(同上)
鎌倉期 七面山は 開山す 日蓮宗の 日朗により(七面山敬慎院)
門外は 肩身が狭く 思われる 講の一団 白装束で(同上)
二時間余 敬慎院の 和光門 七面山の 神域となり(同上)
日本一 高所の寺院 敬慎院 七面山の 山頂附近(同上)
入母屋の 池大神宮 社殿建つ 開創以前 鎮座されしと(同上)
拝殿は 江戸後期築 桧皮葺き 千鳥唐破風 入母屋造り(同上)
祭神は 七面明神 女神とか 敬慎院は 神仏習合(同上)
宿坊の 東西寮は 入母屋で 昭和期築の 赤トタン屋根(同上)
入母屋の 随身門は 重層で 大正期築 黒トタン屋根(同上)
境内に ナンバーなしの 軽トラが 荷物運搬 ケーブル側に(同上)
大聖寺 源義光 開基する 真言宗の 醍醐派末寺(大聖寺)
本堂は 入母屋妻入り すがる破風 江戸後期築 護摩堂を兼ね(同上)
本尊の 不動明王 重文で 空海作と 伝承されて(同上)
庫裡の屋根 急勾配の 切妻で 江戸安永期 再建されて(同上)
客殿は 入母屋造り 桟瓦 江戸文政期 建立されて(同上)
身延町 八幡神社 創建は 平安末期 八日市場に(八日市場八幡神社)
本殿は 流れ造りの 一間社 江戸後期築 覆屋の中(同上)
奥甲府 夫婦木神社 遥拝す 白い鳥居に 朱色の社殿(夫婦木神社/寺院・神社157) 63歳
山梨に 平安前期 創建す 大井俣窪 八幡神社(窪八幡神社)
九棟が 国の重文 その中で 木造鳥居 日本最古と(同上)
拝殿は 切妻造り 平入りで 武田信玄 造営せしと(同上)
祭神は 応神天皇 中央に 母の神宮 父の仲哀(同上)
本殿は 流れ造りの 連結で 日本最大 十一間社(同上)
若宮は 仁徳天皇 祭神に 現本殿は 室町期築(同上)
高良社は 甲良明神 武内社 武内宿禰 祭神として(同上)
平屋建て 社務所の裏を 見てみると 楼閣風の 一部二階で(同上)
隣接す 廃屋哀れ 門付きの 楼閣風の 旧料亭は(同上)
塩沢寺 空海大師 開創の 真言宗の 智山派の寺(塩沢寺)
山門は 江戸後期築 楼門で 入母屋造り 仁王を安置(同上)
地蔵堂 江戸前期築 重文で 銅板葺きの 寄棟造り(同上)
石造の 地蔵菩薩像 本尊で 大師の作と 空也の作も(同上)
西堂は 近年築の 切妻で 木部の朱塗り 碁盤の目状(同上)
クロマツは 優美な枝の 姿なり 舞鶴の松 名に相応しき(同上)
東光寺 蘭渓道隆 中興で 臨済宗の 妙心寺派寺(甲府東光寺)
惣門は 築年不詳 薬医門 袖の白塀 屋根三重で(同上)
仏殿は 室町期築 重文で 入母屋造り 裳階を付けて(同上)
波紋なき 枯山水の 白い砂 風流薄れ 蘭渓嘆く(同上)
本堂は 入母屋平入り 壁白く 戦後再建 コンクリートで(同上)
鐘楼は 甲府空襲 焼け残り 室町期作 梵鐘安堵(同上)
放光寺 平安末期 創建で 武将安田氏 菩提寺として(放光寺)
総門は 切妻造り しころ屋根 大正時代 改修されて(同上)
仁王門 江戸中期築 入母屋で 二体の仁王 国の重文(同上)
創建時 天台宗で 明治から 真言宗の 智山派となり(同上)
本堂は 江戸前期築 入母屋で 間口九間 銅板葺きで(同上)
本尊の 大日如来 重文で 他の二体と 宝物殿に(同上)
入母屋の 庫裡は大きな 妻入りで 屋根は銅板 江戸初期築と(同上)
本尊を 宝物殿で 拝み見る 愛染不動 重文もまた(同上)
入母屋の 毘沙門堂で 観る姿 甲冑付けて 宝剣握り(同上)
堂内の 愛染明王 像観ると 弓矢天射す 珍しき形(同上/寺院・神社158) 63歳
厨子の中 安田義定 立像が 毘沙門天を 擬した姿(同上)
義定は 源平戦 武功たて 開基の寺で 自刃したとも(同上)
所沢 金乗院の 開創は 空海大師と 伝承されて(山口観音金乗院)
山門は 江戸中期築 仁王門 入母屋造り 三間一戸(同上)
現在は 真言宗の 豊山派で 修行大師の 銅像も立ち(同上)
本堂は 寄棟造り すがる破風 江戸後期築 間口七間(同上)
入母屋の 七福神堂 裳階付き 昭和後期の 中国造で(同上)
大棟に 塔婆と龍の 彫刻が 七福神の 布袋を祀り(同上)
宝形の 大日堂の 手前には 母子観音が ハート垣根に(同上)
本坊は 本堂凌ぐ 優美さで 新築された 入母屋造り(同上)
八角の 五重塔は 偉観なり 朱色はいいが 落着きがなく(同上)
千体の 観音祀る 奥ノ院 山口観音 シンボルタワー(同上)
トンネルの 仏国窟は 退屈な 平成期築 ミニ霊場で(同上)
この寺は 中途半端な 寺観かな 中国風と 日本風とが(同上)
不動寺は 昭和後期の 創建で 天台宗の 別格本山(狭山不動寺)
江戸期築 勅額門は 重文で 増上寺より 昭和期移築(同上)
昔見た ユネスコ村は 変貌し 狭山不動尊 不動寺となり(同上)
珍しき 切妻妻入り 御成門 木部は朱色 装飾もされ(同上)
御成門 江戸前期築 重文で 丁子門とも 増上寺より(同上)
高槻の 神社より移築 多宝塔 江戸前期築 第一の塔(同上)
総門は 切妻造り 四脚門 長州藩の 江戸屋敷門(同上)
本堂は 平成中期 再建で 護摩堂兼ねた 宝形造り(同上)
提氏が 金の力で 寄せ集め ユネスコ村を 今度は寺に(同上)
彦根から 六角堂が 移築され 弁天祀る 弁天堂に(同上)
柿本 歌塚堂が 移築され 入母屋造り 大黒堂は(同上)
兵庫より 狭山に移築 多宝塔 室町期築 第二の塔は(同上)
羅漢堂 銅製灯籠 群立す 増上寺より 七十六基(同上)
もう一社 武蔵国の 一宮 氷川女体 神社とされて(氷川女体神社)
中規模の 権現造り 社殿建つ 江戸前期築 本殿流れで(同上)
祭神は クシナダヒメで 創建は 古墳時代に 本社と別に(同上)
鄙びれた 参集殿に 人はなく 一宮でも 明暗を分け(同上)
池の中 倒木数本 放置され 社叢言えど 手入れ欠かせず(同上)
慈恩寺は 円仁開基 岩槻に 天台宗の 坂東霊場(慈恩寺)
山門は 江戸中期築 薬医門 片袖一つ 不憫に眺む(同上)
本堂は 江戸後期築 入母屋の 弁柄映える 観音堂て(同上)
本坊は 昭和後期の 再建で 軒唐破風の 入母屋妻入り(同上)
中華風 玄奘塔門 牌楼で 昭和中期に 建立されて(同上/寺院・神社159) 63歳
石塔に 三蔵法師の 霊骨が 戦前日本に 分骨されて(同上)
川越の 日枝神社の 創建は 平安前期 円仁により(川越日枝神社)
本殿は 室町期築 重文で 流れ造りの 朱塗り三間社(同上)
祭神は オオヤマクイで 比叡山 日吉大社の 分霊と言う(同上)
本庄の 金鑚神社 創建は 大和時代に 児玉党により(本庄金鐕神社)
自転車で 中山道を 旅し折 本庄宿の 神社もめぐり(同上)
荘厳な 権現造り 社殿建つ 拝殿幣殿 江戸後期築(同上)
拝殿は 八棟風の 入母屋で 朱塗り鮮やか 瓦美し(同上)
本殿は 江戸中期築 流れ造 アマテラス他 二柱祀り(同上)
神楽殿 江戸後期築 入母屋で ここも朱塗りで 調和がとれし(同上)
若宮社 鳥居額束 唐破風で 見たことなき 台輪の鳥居(同上)
大門は 江戸後期築 切妻で 旧別当寺 総門であり(同上)
高野山 真言宗の 佛母寺は 明治中期に 再興されて(佛母寺)
白蓮寺 金鐕神社 別当寺 廃寺となりて 佛母寺となる(同上)
本堂は 明治期築の 入母屋で すがる破風に 唐破風重ね(同上)
本尊に 准胝観音 祀るけど 飯縄権現 高尾山堂に(同上)
善徳寺 江戸寛永期 開創で 曹洞宗の 江東区の寺(善徳寺)
本堂は 入母屋平入り コンクリで 平成期築 本尊は釈迦(同上)
死ぬ前に 社長の墓は 拝みたい あの世で逢える 絆求めて(同上)
仏前に 感謝を込めて 手を合わす 町屋に生きた 日々を忘れず(同上)
寛永寺 江戸寛永期 創建で 家光開基 天海開山(寛永寺)
切妻の 勅額門は 重文で 江戸中期築 軒唐破風で(同上)
盛時には 堂塔三十 寛永寺 天台宗の 総本山で(同上)
江戸時代 三十万坪 誇りしも 国が没収 半分ほどに(同上)
子院数 三十六が 十九へと 衰退しても 上野の山に(同上)
入母屋の 根本中堂 平入りで 明治前期に 他寺より移築(同上)
本尊は 薬師瑠璃光 如来像 日光月光 菩薩が脇侍(同上)
境内に 了翁禅師 塔碑立つ 羽後の出身 同郷であり(同上)
了翁は 黄檗僧で ありながら 寛永寺には 図書館を建て(同上)
境内で 洗濯物干す 寛永寺 時代の流れ ひしひしと知る(同上)
天王寺 鎌倉中期 開創で 当初の宗派 日蓮宗で(谷中天王寺)
本堂は 昭和後期に 再建し 寄棟造り コンクリートで(同上)
江戸中期 幕命により 改宗し 毘沙門祀る 天台宗に(同上)
北信の 飯縄神社 創建は 三世紀末 飯縄山に(飯縄神社)
丘の上 小さな祠 予想外 大座法師池 飯縄神社(同上)
里宮は 飯縄神社 総社とか どんな社殿か 期待を胸に(同上)
拝殿は 築年不詳 入母屋で 簡素な造り 赤トタン屋根(同上/寺院・神社160) 63歳
祭神は オオトノヂと トノベとか 飯縄権現 祭祀し時も(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 大杉の二本 社殿をガード(同上)
往生寺 鎌倉初期の 開創で 高野聖の 苅萱により(苅萱堂往生寺)
善光寺 苅萱堂が 奥ノ院 山上に建ち 参拝者稀(同上)
本堂は 築年不詳 入母屋で 本尊阿弥陀 苅萱地蔵(同上)
善光寺 大勧進の 名もありて 日本最古の 阿弥陀を祀る(善光寺)
蚶満寺 平安前期 円仁が 出羽象潟に 開創せしと(蚶満寺)
桃山期 天台宗を 改めて 曹洞宗の 羽海法窟(同上)
芭蕉像 奥の細道 記念して 三百年後 建立されし(同上)
江戸後期 象潟地震 発生し 九十九島が 陸地に変わり(同上)
震災の 鑑古戒今 石碑立つ 明治後期 建立されて(同上)
山門は 切妻造り 仁王門 江戸中期築 彫刻優美(同上)
本堂は 入母屋平入り すがる破風 大正期築 間口は広く(同上)
位牌堂 入母屋造り 妻入りで 三界萬霊 集まる堂で(同上)
竹の蓋 コンクリートの 井戸の枠 猿丸太夫 姿見の井戸(同上)
象潟の 古地図を手にし 眺めれば 昔のままの 島々残り(同上)
閑古鳥 今日も鳴くなり 蚶満寺 土産屋閉じて 語り部もなく(同上)
鐘楼は 入母屋造り 袴腰 大正期築 弁柄塗りで(同上)
菅公の 菅秀才は 一子なり その名も残る 境内の梅(同上)
象潟は 国の名勝 国天記 おざってたんせ 陸の松島(同上)
社殿建つ 九十九島の 八島に トヨオカヒメを 祭神として(同上)
象潟の 熊野神社の 創建は 鎌倉初期に 権現祀り(象潟熊野神社)
現社殿 昭和中期の 再建で 小規模ながら 権現造り(同上)
本覚寺 日蓮宗の 本山で 室町中期 持氏開基(鎌倉本覚寺)
山門は 入母屋造り 楼門で 仁王と共に 他寺より移築(同上)
本堂は 大正期築 入母屋で 軒唐破風の 間口七間(同上)
日蓮の 分骨堂は 宝形で 大きな裳階 昭和初期築(同上)
風変り 夷尊堂 屋根の形 ニット帽風 昭和期再建(同上)
妙本寺 鎌倉中期 創建で 日蓮宗の 霊跡本山(鎌倉妙本寺)
裳階付き 八角堂を よく見れば 幼稚園の 校舎のようで(同上)
二天門 江戸後期築 切妻で 毘沙門天と 持国天置き(同上/寺院・神社161) 63歳
祖師堂は 入母屋平入り すがる破風 江戸後期築 日蓮祀り(同上)
盛時には 子院二院に 塔頭は 十六坊で 末寺四十余(同上)
やぐら窟 佐竹与義 忠臣と 十三人の 自刃の跡と(同上)
鐘楼は 昭和初期築 入母屋で 比企氏滅亡 鐘の音かな(同上)
本堂は 軒唐破風の入母屋で 昭和初期築 本尊釈迦で(同上)
上行寺 鎌倉後期 開山で 日蓮宗の 日範により(上行寺)
本堂は 明治期移築 入母屋で 三宝尊を 本尊として(同上)
浄土宗 安養院の 創建は 鎌倉末期 二ヶ寺統合し(安養院)
本堂は 入母屋平入り 二重破風 昭和初期築 本尊阿弥陀(同上)
本尊の 奥に観音 祀られて 坂東霊場 変則的で(同上)
宝戒寺 天台宗の 円観が 北条邸に 追善開基(宝戒寺)
本堂は 入母屋造り 妻入りで 昭和初期築 桟瓦葺き(同上)
本尊の 地蔵菩薩は 重文で 南北朝期 憲円作と(同上)
天平期 行基菩薩の 開創の 杉本寺は 天台宗で(杉本寺)
仁王門 江戸中期築 茅葺きの 切妻造り 八脚門で(同上)
訓読み 杉本寺の 名は優し 坂東霊場 一番札所(同上)
本堂は 寄棟造り 妻入りで 江戸前期築 茅葺きの屋根(同上)
本尊の 観音像は 三体で 二体重文 平安期作(同上)
報国寺 建武元年 創建で 臨済宗の 建長寺派末(報国寺)
本堂は 入母屋平入り すがる破風 築年不詳 本尊釈迦で(同上)
鐘楼は 江戸中期築 入母屋で 茅葺き屋根が 優美に見えし(同上)
境内に 孟宗竹が 二千本 報国寺には 竹寺の名も(同上)
池泉あり 枯山水に 築山も 竹林の他 秀作の庭(同上)
鎌倉は 三方山に 囲まれて 横穴墳墓 やぐら発達(同上)
迦葉堂 入母屋造り 二階建て 昭和後期築 坐禅堂兼ね(同上)
鎌倉の 荏柄天神社 創建は 平安後期 菅公祀り(荏柄天神社)
拝殿は 入母屋平入り 桧皮葺き 昭和前期築 朱塗り鮮やか(同上)
天神の 坐像立像 重文で 坐像はウェブで 公開もされ(同上)
本殿は 流れ造りの 重文で 江戸寛永期 若宮移築(同上)
クスノキは 四百年の 樹齢とか 社務所の前で 憩う一時(同上)
明治初期 鎌倉宮は 創建す 護良親王 祭神として(鎌倉宮/寺院・神社162) 63歳
拝殿は 入母屋造り 妻入りで 明治初期築 屋根は銅板(同上)
吉野にて 村上義光 自刃せし 親王逃す 身代わりとなり(同上)
親王は 土牢に幽閉 九ヶ月 その後殺害 哀れの哀れ(同上)
神苑は 平成前期 整備され 森林浴に 相応しきかな(同上)
創建時 明治天皇 行在所 宝物殿に 様変わりする(同上)
太平記 昔に帰る 術はなし 切通し越え 思う時代差(同上)
かわらけを 厄割り石に 投じても 厄年過ぎて かわらけ割れず(同上)
多目的 太平殿は 集会所 昭和後期築 コンクリートで(同上)
覚園寺 鎌倉前期 創建で 真言宗の 泉涌寺派と(覚園寺)
受付は 昼休憩で 留守のため 愛染堂を 詣でるのみに(同上)
境内は 国の史跡で 重文は 仏像五体 墓塔二基とか(同上)
閑静な 住宅街の 行き詰まり 浄光明寺 参道となり(浄光明寺)
創建は 鎌倉中期 執権の 北条長時 菩提寺として(同上)
本堂は 入母屋平入り すがる破風 江戸前期築 間口九間(同上)
本尊は 阿弥陀三尊 重文で 創建当時 彫像されて(同上)
宝形の 江戸中期築 不動堂 真言宗に 改めた頃(同上)
シンボルの 大船観音 建立は 昭和中期で その後寺院に(大船観音寺)
観光の 寺院と言えど 参拝す 電車で眺め 魅かれるものが(同上)
観音寺 曹洞宗の 管轄で 慈光堂には 古き観音(同上)
本堂の 照心閣は 寺務所兼ね 昭和後期に 寄進されしと(同上)
藤沢の 江島神社 創建は 大和時代に 三神祀り(江島神社)
入母屋の 瑞心門の 建立は 昭和後期で 竜宮風に(同上)
辺津宮の 権現造り 三殿は 昭和後期に 改修されて(同上)
辺津宮は 下之宮とも 称されて 祭神三女 タギツヒメなり(同上)
あわらなる 弁財天の その乳房 何度見たやら 江ノ島に来て(同上)
中津宮 朱色鮮やか 社殿なり 江戸元禄期 復元されて(同上)
中津宮 上之宮とも 称されて 祭神次女の イチキシマヒメ(同上)
江ノ島に 新興教団 ドーム建つ 空海大師 如何に見るかと(江ノ島大師)
奥津宮 昭和期築の 本殿と 江戸後期築 拝殿が建ち(江島神社)
奥津宮 岩屋本宮 旧名で 祭神長女 タキリヒメなり(同上)
筝曲家 山田検校 坐像あり 江戸後期頃 江ノ島を吟じ(同上)
上代に 伊豆山神社 創建す 伊豆山権現 祭神として(伊豆山神社)
拝殿は 軒唐破風の 入母屋で 江戸後期築 朱塗りに装飾(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 近年改修 朱塗り新たに(同上)
祭神は カグツチの他 三柱 男神立像 国の重文(同上/寺院・神社163) 63歳
玉泉寺 創建不詳 国史跡 安土期以降 曹洞宗に(下田玉泉寺)
本堂は 江戸嘉永期の 再建で ハリス駐在 八年前に(同上)
本堂は 寄棟造り 銅板で 間口八間 本尊は釈迦(同上)
境内に 渋沢栄一 建立の ハリス顕彰 記念碑もあり(同上)
玉泉寺 日本最初の 領事館 ハリス滞在 二年十ヶ月(同上)
安政の 地震の津波 ロシア船 沈没させて 犠牲者墓地に(同上)
本堂の 壁にスレート 石残る ハリス時代の 暖炉の跡で(同上)
病死した ペルー艦隊 将兵ら 玉泉寺にて 永代供養(同上)
了仙寺 江戸寛永期 創建で 日蓮宗の 日朝により(下田了仙寺)
江戸末期 日米和親 条約が 寺で締結 国の史跡に(同上)
本堂は 寄棟造り すがる破風 江戸後期築 歴史の舞台(同上)
津波にて 庫裡と鐘楼 流失し 庫裡のみその後 再建されし(同上)
境内に 横穴古墳 遺跡あり 海蝕洞窟 利用したとも(同上)
高野山 真言宗の 長楽寺 本堂小さ目 宝形造り(下田長楽寺)
幕末の 歴史に残る 長楽寺 宝物館で 垣間見るかな(同上)
円応寺 鎌倉中期 開創で 臨済宗の 建仁寺派に(円応寺)
本堂は 昭和期築の 宝形で 本尊重文 閻魔王像(同上)
鎌倉の 茅の鐘楼 稀少なり 円応寺入れ 五ヶ寺ほどかと(同上)
鎌倉の 坂東霊場 長谷寺は 奈良天平期 房前開基と(鎌倉長谷寺)
江戸前期 浄土宗に 改宗し 昭和の戦後 単立となり(同上)
庭園は 二つの池が 配された 回遊式で 四季の花々(同上)
境内に 二千五百株 アジサイが 植栽されて その名所でも(同上)
長谷寺は 堂塔伽藍 十五棟 観光客は 鎌倉屈指(同上)
洞窟が 空海大師 大好きで 弁天窟に 参籠せしと(同上)
阿弥陀堂 近年築の 宝形で 裳階を付けた 広さ三間(同上)
本堂は 観音堂で 壮大な 八棟造り 昭和後期築(同上)
本尊は 十一面の 観音で 木造立像 日本最大(同上)
長谷寺の 見晴台は 魅力的 昭和の絵図と 見比べできて(同上)
鎌倉の 白い巨塔の 正体は クリーンセンター 白い煙突(同上)
鎌倉は 京都や奈良と 異なりて 冨士山聳え 海は広がり(同上/寺院・神社164) 63歳
大慶寺 鎌倉中期 創建で 廃寺の後に 塔頭改称(大慶寺)
盛時には 関東十刹 現在は 臨済宗の 円覚寺派で(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 禅寺らしく 向拝はなし(同上)
山門は 切妻造り 茅葺きの 江戸前期築 四脚門で(同上)
高野山 真言宗の 青蓮寺 空海大師 開山せしと(鎌倉青蓮寺)
本堂は 入母屋造り すがる破風 昭和前期築 震災超えて(同上)
本尊は 空海大師 坐像なり 鎌倉期作 国の重文(同上)
塔頭は 近年再建 薬王寺 宝形造り 大師堂風(同上)
庫裡建屋 近年築の 二階建て 切妻二重 粋な板張りで(同上)
茅葺きの 山門五棟 鎌倉に 極楽寺にて 出合う喜び(極楽寺)
極楽寺 鎌倉中期 忍性の 開山したる 真言律宗(同上)
境内は 国の史跡で 本堂は 公開されず 重文拝せず(同上)
妙隆寺 日蓮宗の 日英が 南北朝期 開山せしと(妙隆寺)
本堂は 入母屋造り 二重破風 昭和末期に 再建されて(同上)
光触寺 鎌倉中期 一遍に 帰依した住持 時宗の寺に(光触寺)
本堂は 寄棟造り すがる破風 室町期築 本尊重文(同上)
本尊の 頬焼阿弥陀 盗っ人の 身代わりとなり 頬に焼印(同上)
岩殿寺 奈良養老期 開創で 徳道行基 二人によりて(岩殿寺)
利生堂 八角形の 経堂で 築年不詳 昭和後期か(同上)
寄棟の 観音堂は シンプルで 江戸中期築 茅を銅板に(同上)
岩殿寺 坂東霊場 第二番 桃山期頃 曹洞宗に(同上)
寄進した 泉鏡花の 池の上 熊野権現 御堂に祀り(同上)
神武寺は 行基菩薩 開創で 後に円仁 天台宗に(神武寺)
鐘楼は 江戸末期築 入母屋で 厨子八景の 一つともされ(同上)
客殿は 江戸後期築 宝形で 客殿に似ず 以前仏堂で(同上)
楼門は 入母屋造り 仁王門 江戸中期築 弁柄色で(同上)
薬師堂 桃山期築 寄棟で 茅葺き屋根を 銅板葺きに(同上)
本尊の 薬師三尊は 秘仏とか 三十三年 一度開帳(同上)
横須賀の 走水神社 創建は 不詳とされて 上代とする(走水神社/寺院・神社165) 63歳
社務所では 屋根に社紋の 板掲げ 奇妙に見えて 思わず写す(同上)
拝殿は 入母屋流れ 祭神は ヤマトタケルと オトタチバナヒメ(同上)
横須賀に 知人訪ね 来てみれば 帰らぬ人と なりては墓地に(荘厳寺)
浄楽寺 鎌倉初期の 創建で 和田義盛が 開基したとも(浄楽寺)
鐘楼は 近年築の 切妻で 横須賀の鐘 如何なる音か(同上)
本堂は 浄土宗風 寄棟で 昭和前期に 再建されて(同上)
満昌寺 源頼朝 創建で 三浦義明 菩提を弔う(満昌寺)
本堂は 江戸後期築 寄棟で 間口九間 桟瓦葺き(同上)
満昌寺 鎌倉末期 中興し 臨済宗の 建長寺派に(同上)
境内の 御霊神社に 祀られた 三浦義明 坐像重文(同上)
聖徳寺 浄土真宗 単立で 昭和中期に 創建されて(聖徳寺霊園)
久里浜に 霊園築き 別院に 近代的な 寺務所を建てて(同上)
霊園に 三浦大仏 鎮座する 昭和後期作 阿弥陀如来で(同上)
鮮やかな 五重塔が 霊園に 昭和後期の コンクリート造(同上)
懐かしき 海住山寺 塔写し 眼前に見る 五重塔は(同上)
九品寺は 新田義貞 鎌倉に 北条方を 弔い開基(鎌倉九品寺)
本堂は 入母屋平入り すがる破風 昭和前期築 瓦棒葺き(同上)
浄土宗 本尊阿弥陀 定番で 九品は浄土 その階位でも(同上)
鎌倉の 八雲神社の 創建は 平安後期 スサノオ祀り(鎌倉八雲神社)
拝殿は 軒唐破風の 入母屋で 昭和初期築 桟瓦葺き(同上)
鎌倉に 興味は尽きぬ その歴史 理解していぬ 平安時代(同上)
常栄寺 日祐開基 江戸初期で 日蓮ゆかりの 桟敷の丘に(鎌倉常栄寺)
本堂は 昭和期築 入母屋で 破風と異なる 千鳥の小屋根(同上)
常栄寺 ぼたもち寺の 名もありて 本堂庫裡の 小さな寺で(同上)
延命寺 浄土宗の 小寺なり 北条時頼 夫人が開基(鎌倉延命寺)
本堂は 入母屋造り 妻入りで 身代わり地蔵 阿弥陀の横に(同上)
日蓮が 安国論寺 開山と 岩窟の中 名著執筆(安国論寺)
本堂は 入母屋造り すがる破風 築年不詳 昭和中期か(同上)
開山の 安国論寺 日蓮の 由緒霊跡 共に入らいず(同上/寺院・神社166) 63歳
光則寺 日蓮の弟子 日朗と 宿屋光則 開山開基(光則寺)
本堂は 寄棟造り すがる破風 江戸慶安期 再建されて(同上)
新仏教 日蓮宗と 浄土宗 弾圧されて 禅宗は庇護(同上)
境内に 宮沢賢治 詩碑が立つ 雨ニモマケズ 法華の心(同上)
日朗を 土牢に入れた 光則が 感化されては 屋敷を寺に(同上)
葛原岡 神社創建 明治期で 日野俊基を 祭神として(葛原岡神社)
本殿は 流れ造りの 一間社 見方変えれば 祠の如く(同上)
俊基の 終焉の地は 国史跡 明治で変る 人物評価(同上)
男石 女石が 並び立つ 絵馬が無数の 縁結び石(同上)
常楽寺 鎌倉中期 創建で 退耕開山 泰時開基(常楽寺)
本堂は 江戸中期築 寄棟で 茅葺き屋根が 銅板葺きに(同上)
本尊は 阿弥陀三尊 現宗派 臨済宗の 建長寺派で(同上)
文殊堂 入母屋妻入り 茅葺きで 明治前期に 他寺より移築(同上)
方丈は 入母屋造り 平入りで 昭和中期築 仏堂風に(同上)
常楽寺 蘭渓道隆 住持して 中国風の 禅も広まり(同上)
称名寺 空海大師 開創で 江戸元禄期 浄土宗に(今泉称名寺)
庫裡建屋 近年築の 二階建て アパートに似た 雰囲気のどか(同上)
本堂は 江戸中期築 寄棟で 本尊阿弥陀 拝観自由(同上)
参拝者 殆ど顔を 見合わせず 人気片寄る 鎌倉の寺(同上)
不動堂 江戸末期築 宝形で 真言時代 継承されて(同上)
長勝寺 石井長勝 開基する 法華堂建て 日蓮に寄進(長勝寺)
本堂は 銅板葺きの 宝形で 築年不詳 間口九間(同上)
本尊に 帝釈天を 祀るため 帝釈堂と 本堂呼ばれ(同上)
法華堂 室町後期 再建で 入母屋造り 宗祖を祀り(同上)
本師堂 八角形の 宝形で 昭和後期築 釈迦像祀り(同上)
満願寺 源頼朝 創建で 三浦一族 菩提寺として(満願寺)
本堂は 入母屋造り 平入りの 近年築で 本尊観音(同上)
満願寺 途中は不明 現宗派 臨済宗の 建長寺派で(同上)
宝物庫 重文二体 収蔵す 地蔵菩薩と 観音菩薩(同上)
高野山 真言宗の 弘明寺は 行基菩薩 開基とされて(弘明寺観音)
仁王門 寄棟造り 江戸期築 仁王の像は 鎌倉期作(同上)
本堂は 江戸中期築 寄棟で 切妻破風に 棟に小屋載せ(同上)
十一面 観音像は 重文で 一木造り行基作とも(同上)
弘明寺は 横浜最古の 寺であり 坂東霊場 十四番で(同上)
鐘楼は 江戸前期築 入母屋で 地震で壊れ 昭和期復元(同上/寺院・神社167) 64歳
聖天堂 昭和初期築 宝形で 歓喜天像 ここでも秘仏(同上)
星谷寺 行基菩薩 開基して 真言宗の 大覚寺派に(星谷寺)
本堂は 江戸後期築 寄棟で 軒唐破風の 銅板葺きで(同上)
本尊は 聖観世音 菩薩なり 坂東霊場 八番札所(同上)
朱印料 支払う先は 自販機で 後にも先にも 星谷寺のみ(同上)
廣福寺 円仁開基 鎌倉期 真言宗の 豊山派となり(川崎廣福寺)
川崎の 桝形城を 訪ねれば 予期せぬ古刹 城の麓に(同上)
本堂は 築年不詳 入母屋で 本尊珍し 五智如来とか(同上)
衰退の 雰囲気寺に 充満し 寺の未来は アイデア一つ(同上)
山門に 稲毛館と 記されて 館の跡に 寺は移転か(同上)
勝福寺 弓削道鏡 開山の 坂東霊場 五番札所で(勝福寺)
仁王門 江戸中期築 切妻で 八脚門の 木割は太く(同上)
本坊は 入母屋妻入り 新築で 納経所兼ね 庫裡を併設(同上)
宝形の 納経塔は 偉観なり 下層は白い 竜宮風で(同上)
大銀杏 七百年の 樹齢とか 見事な乳垂 正に神木(同上)
現宗派 真言宗の 東寺派で 修行大師の 像も立てられ(同上)
境内の 八幡神社 江戸初期に 鶴岡より 勧請されて(同上)
宝形の 観音堂は すがる破風 江戸中期築 五間四方で(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 通称名は 飯泉観音(同上)
宝形の 大日堂の 建立は 昭和中期で 大師堂兼ね(同上)
向拝は 東と北に すがる破風 大日如来 北向大師(同上)
龍頭の 舟形をした 手水鉢 江戸中期作 青銅製で(同上)
梵鐘は 江戸前期作 銅鐘で 地元小田原 鋳物師により(同上)
城前寺 鎌倉初期の 創建で 曽我兄弟の 菩提寺として(城前寺)
奇襲戦 曽我兄弟の 仇討ちは 日本三大 仇討ちとされ(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 近年築の 銅瓦葺き(同上)
宗我神社 平安後期 創建で 曽我氏祖神 ソガツヒコ祀り(宗我神社)
現社殿 権現造り 震災後 昭和前期に 再建されて(同上)
延台寺 鎌倉初期に 虎御前 曽我兄弟を 弔い開基(延台寺/寺院・神社168) 64歳
桃山期 日蓮宗の 日道が 廃庵跡に 寺を開山(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 昭和後期に 再建されて(同上)
館山に 行基開基の 那古寺あり 坂東霊場 結願の寺(那古寺)
鐘楼は 昭和中期の 再建で 梵鐘古く 室町期作(同上)
多宝塔 江戸宝暦期 建立で 江戸初期作の 釈迦像安置(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 江戸中期築 木部朱塗りで(同上)
本尊の 千手観音 重文で 那古観音と 通称されて(同上)
現宗派 真言宗の 智山派で 大師の姿 無きが淋しき(同上)
本坊は 入母屋平入り 千鳥破風 昭和九年に 再建されて(同上)
館山に 船越鉈切 神社あり 創建不詳 海神祀り(船越鉈切神社)
祭神は トヨタマヒメで 先住の 縄文人は 知る由もなく(同上)
拝殿は 昭和中期の 再建で 間口三間 神明造り(同上)
本殿は 鉈切洞穴 中に建つ 神明造り 小さな祠(同上)
上代の 洲崎神社は 創建と アマノヒリトメ 祭神として(洲崎神社)
切妻の 随身門は 瓦葺き 江戸中期築 木部赤塗り(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 江戸宝永期 再建されて(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 江戸前期築 赤鮮やかで(同上)
野島崎 厳島神社 再建は 江戸安永期 弁天祀り(野島崎厳島神社)
拝殿は 江戸中期築 入母屋で イチキシマヒメ 弁天拝す(同上)
小網寺は 真言宗の 智山派で 行基開基と 伝承されて(小網寺)
仁王門 切妻造り 弁柄で 築年不詳 おそらく昭和(同上)
寄棟の 観音堂は 方三間 明治初期築 茅をトタンに(同上)
本堂は 寄棟造り すがる破風 昭和初期築 本尊不動(同上)
館山に 安房国分寺 継続す 真言宗の 智山派として(安房国分寺)
境内は 国の史跡と ならずとも 区域を分けて 県と市指定(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 江戸享保期 再建されて(同上)
石堂寺 行基の開基 円仁が 天台宗に 改めたとも(石堂寺)
仁王門 入母屋造り 弁柄で 築年不詳 屋根は銅板(同上)
鐘楼は 江戸後期築 袴腰 梵鐘古く 鎌倉期作(同上)
青銅の 宝篋印塔 珍しき 江戸天保期 奉納されて(同上)
本堂は 室町期築 重文で 銅板葺きの 寄棟造り(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 平安期作 国の重文(同上)
多宝塔 室町期築 重文で 千手観音 下層に安置(同上)
薬師堂 桃山期築 重文で 屋根茅葺きの 寄棟造り(同上)
石堂寺 七堂伽藍 及ばねど 堂宇八棟 屋根様々に(同上/寺院・神社169) 64歳
納経所は 寄棟造り 庫裡の中 室町期築 重文とされ(同上)
千倉町 高家神社の 創建は 江戸前期頃 明神社建て(高家神社)
新社殿 権現造り 拝殿は 茅葺き屋根の 切妻重ね(同上)
本殿は 神明造り 祭神は イワカムツカリ 料理の祖神(同上)
料理他 醤油の神と 崇められ 料理の神は 日本唯一(同上)
コンクリの 信徒会館 二階建て 料理に関わる 信者は多く(同上)
平安の 宮中行事 再現の 包丁式は 神社の祭事(同上)
魚見塚 浅間神社 創建は 江戸元和期に コノハナ祀り(魚見塚浅間神社)
本殿は 新築された 一間社 桧の香り 女神に匂い(同上)
奥宮 浅間山の 山頂に 石の祠が 傾きつ建つ(同上)
鏡忍寺 日蓮宗の 本山で 鎌倉中期 日隆開基(鏡忍寺)
仁王門 昭和初期築 楼門で 金剛力士 双葉山風(同上)
境内の 降神の槙 日蓮の 法難守護の 伝説ありき(同上)
日蓮の 十四ヶ寺が 霊跡で ここ鏡忍寺 その一寺なり(同上)
祖師堂は 平成中期 再建で 入母屋造り 千鳥と唐破風(同上)
入母屋の 鬼子母神堂 すがる破風 江戸末期築 境内最古(同上)
仏殿は 明治初期築 本堂で 軒唐破風の 入母屋造り(同上)
客殿は 明治初期築 入母屋で 玄関主屋 親子の如く(同上)
上代に 天津神明 創建す 源頼朝 再起を祈願(天津神明宮)
拝殿は 神明造り 千鳥破風 近年築の 銅板葺きで(同上)
本殿も 神明造り 棟続き 一般的な 権現タイプ(同上)
房総の 清水寺は 円仁が 天台宗の 霊場開基(房総清水寺)
仁王門 近年築の 入母屋で 仁王の像の 顔ユーモラス(同上)
四天門 江戸後期築 楼門で 軒唐破風の 入母屋造り(同上)
宝形の 奥院堂は 奥ノ院 江戸後期築 旧仮堂で(同上)
本堂は 軒唐派風の 寄棟で 江戸文化期 再建されて(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 最澄作と 伝承もされ(同上)
本行寺 室町中期 開山で 日蓮宗の 成東の寺(本行寺)
本堂は 入母屋造り すがる破風 昭和前期の 再建と聞く(同上/寺院・神社170) 64歳
不動院 真言宗の 智山派で 行基の開基 空海中興(浪切不動院)
本堂は 江戸初期築の 懸け造り 入母屋妻入り 朱色鮮やか(同上)
本尊は 浪切不動 明王で 伝行基作 絶対秘仏(同上)
仁王門 入母屋造り 楼門で 昭和中期に 他寺より移築(同上)
本坊の 祈祷殿は 入母屋で 昭和後期に 建立されて(同上)
会館は 寄棟造り 唐破風で 横板張りの 壁は洋風(同上)
芝山の 観音教寺 開創は 奈良天応期 観音祀り(観音教寺)
円仁が 平安初期に 中興し 天台宗の 名刹となり(同上)
仁王門 明治初期築 入母屋で 通り抜け不可 仁王尊堂(同上)
聳え建つ 三重塔 古木肌 江戸天保期 建立されて(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 江戸享保期 再建されて(同上)
境内は 芝山古墳の 立地して 博物館を 開設したり(同上)
仏像も 博物館に 展示され 古墳時代が 江戸時代へと(同上)
不動堂 昭和中期 建立で 寄棟造り 茅葺きの屋根(同上)
飯高寺 日蓮宗の 檀林で 安土時代に 日尊開基(飯高寺)
総門は 江戸前期築 重文の 銅板葺きの 高麗門で(同上)
宝形の 一切経蔵 耐火造 江戸後期築 小さな堂宇(同上)
寄棟の 題目堂は 祈願所で 築年不詳 江戸後期かと(同上)
鼓楼堂 江戸中期築 重文で 入母屋茅葺き 袴腰付き(同上)
鐘楼は 江戸初期築 重文で 入母屋造り 屋根は茅葺き(同上)
講堂は 入母屋造り 重文で 江戸前期築 間口九間(同上)
飯高寺 本堂がなく 講堂が 堂々とした 寺のシンボル(同上)
圓福寺 空海大師 開創で 真言宗の 坂東霊場(圓福寺)
堂塔は 空襲に遭い 焼失し 七堂伽藍 戦後再建(同上)
平成期 五重塔は 創建で 工費はなんと 十五億円(同上)
鋳造の 銚子大仏 江戸期作 空襲の中 唯一残り(同上)
本堂は 入母屋平入り 棟造り 昭和中期の 朱塗り鮮やか(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 通称名は 飯沼観音(同上)
観福寺 真言宗の 豊山派で 平安前期 尊海開基(観福寺)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 軒唐破風の 桟瓦葺き(同上/寺院・神社171) 64歳
本尊は 聖観世音 菩薩像 短い九文字 真言唱え(同上)
西新井 川崎ともに 観福寺 関東三大 厄除け大師(同上)
寄棟の 観音堂は すがる破風 江戸中期築 銅瓦葺き(同上)
大師堂 江戸後期築 入母屋で 軒唐破風の 桟瓦葺き(同上)
鐘楼は 入母屋造り 袴腰 江戸後期築 銅板葺きで(同上)
入母屋の 毘沙門堂は 妻入りで 平成前期 新築されて(同上)
寺の墓地 伊能忠敬 参拝す 尊敬すべき 偉人の一人(同上)
隠居して 日本の大事 果たすとは 伊能忠敬 超人の域(同上)
奈良中期 大慈恩寺は 創建と 鑑真和上 開山説が(大慈恩寺)
室町期 下総の国 安国寺 利生塔跡 礎石が残り(同上)
本堂は 近年築の コンクリで 寄棟造り 赤白彩色(同上)
本尊は 室町後期 造像の 清凉寺風 釈迦如来像(同上)
現宗派 真言宗の 智山派で 修行大師の 銅像も立ち(同上)
本堂の 横に本坊 並び建つ 庫裡ほか二棟 築年バラバラ(同上)
滑川の 龍正院の 開創は 領主発願 円仁開基(龍正院)
仁王門 室町期築 重文で 寄棟造り 屋根は茅葺き(同上)
入母屋の 観音堂は すがる破風 江戸元禄期 綱吉寄進(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 坂東霊場 滑河観音(同上)
銅造の 宝篋印塔 精緻なり 江戸享保期 製作とされ(同上)
霊場で 天台宗は 十一ヶ寺 真言宗は 十七ヶ寺で(同上)
阿弥陀堂 近年築の 切妻で 小さな鐘が 軒に吊るされて(同上)
龍角寺 奈良前期 創建で 天台宗の 侘しい寺に(龍角寺)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 三間ほどの 粗末な造り(同上)
収蔵庫 奉安殿に 重文の 薬師如来の 坐像を安置(同上)
千葉県で 最古の寺院 龍角寺 白鳳時代 金堂跡が(同上)
塔心礎 不増不滅の 石の名が 国の史跡に 不可解な名が(同上)
校倉の 資料館には 出土した 遺物を収め 休業続く(同上)
東勝寺 宗吾霊堂 創建は 平安初期に 田村麻呂とか(宗吾霊堂)
宗吾とは 佐倉惣五郎 江戸前期 佐倉藩領 義民の名なり(同上)
大正期 宗吾霊道 移転して 仁王楼門 昭和中期築(同上)
本堂は 入母屋平入り 二重破風 大正期築 銅瓦葺き(同上)
本尊は 宗吾尊霊 現宗派 真言宗の 豊山派末寺(同上)
薬師堂 入母屋平入り 二重破風 明治後期築 旧仮殿で(同上)
宝形の 聖天堂は 方二間 昭和後期に 建立されて(同上)
慈眼閣 入母屋妻入り 二階建て 平成期築 玄関唐破風(同上)
鐘楼は 切妻屋根の 本瓦 昭和中期築 庭園の中(同上)
奥之院 宝形造り 方三間 平成期築 観音祀り(同上)
仏教は 宗派乱立 紛らわし 禅密浄の 三派が理想(宗吾霊堂/寺院・神社172) 64歳
偉人らを 神と崇めて 来た歴史 その神々を 護るは仏(同上)
入母屋の 大本坊の 建立は 昭和前期の 戦時の最中(同上)
印西の 松虫寺の 開創は 行基菩薩で 豊山派末寺(松虫寺)
八脚の 切妻造り 仁王門 江戸中期築 銅板葺きで(同上)
薬師堂 入母屋造り すがる破風 江戸中期頃 吉宗援助(同上)
本尊の 七仏薬師 重文で 平安後期 彫刻されて(同上)
寺の名は 松虫姫に 由来して 立派な社殿 本堂奥に(同上)
千葉神社 平安後期 創建で 妙見信仰 下総の地に(千葉神社)
楼門は 廻廊備えた 入母屋で 平成十年 改築されて(同上)
楼門に 八角塔が 二棟建ち 類まれなる 複合社殿(同上)
拝殿は 切妻造り 重層で 向唐破風 頭上に高く(同上)
主祭神 北辰妙見 尊星王 平たく言えば 北斗七星(同上)
賽銭を 上げれば願い 叶うぞと 拍手を打つ 旅人もあり(同上)
千葉寺 行基菩薩の 開創で 坂東霊場 札所の一つ(千葉寺)
本堂は 観音堂で 昭和期に 空襲に遭い 後期再建(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で オンロケイジン バラリキソワカ(同上)
大師堂 真言宗の 寺らしき 中興されて 豊山派となり(同上)
境内に 瀧蔵神社の 社殿建つ ワタツミの神 祀りしと聞く(同上)
挫折のみ 繰り返したる 人生に 活力いずる 巡礼の旅(同上)
瀬戸神社 源頼朝 創建で 三島明神 金沢に分け(瀬戸神社)
現社殿 権現造り 江戸後期 建立されて 屋根は近年(同上)
寺を主に めぐる旅には 限度あり 先ずは千ヶ寺 目標として(龍源寺)
龍源寺 曹洞宗の 単立で 江戸前期頃 三鷹に開基(同上)
参道に 近藤勇 胸像が 威風堂々 ふるさとに立つ(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 昭和後期に 改築されし(同上)
斬首され 露と消えたる 勇とて その生き様は 三鷹の誇り(同上)
多摩日野の 高幡不動 金剛寺 平安初期に 円仁開基(金剛寺)
仁王門 室町後期 楼門で 入母屋造り 国の重文(同上)
参道に 土方歳三 立像が 鉢巻袴 刀二本差し(同上)
鮮やかな 五重塔は 朱塗り色 昭和後期に 建立されて(同上)
不動堂 室町前期 入母屋で これも重文 庇美し(同上)
中興後 真言宗の 智山派に 格式高き 別格本山(同上)
奥殿は 平成十年 建立で 重文仏像 不動を安置(同上/寺院・神社173) 64歳
奥殿の 一階部分 展示室 鰐口文書 国の重文(同上)
入母屋の 宝輪閣は 二階建て 近年築の 寺務所に当る(同上)
入母屋の 大日堂は シンプルで 昭和後期に 再建されて(同上)
この寺で 上杉憲顕 自刃せし 墳墓の上に 堂を建立(同上)
大師堂 再建されて 五年目で 真言唱え 尊像拝す(同上)
鳴り龍は 大日堂の 天井画 手を叩くなら 願い叶うと(同上)
鐘楼は 不便な場所に 建つために 鐘を撞くにも 聞くも叶わず(同上)
駐車場 交通安全 祈願殿 高幡不動 商売上手(同上)
石田寺 室町初期の 草創で 桃山時代 再興されて(石田寺)
本堂は 入母屋造り 平入りで 築年不詳 近年築か(同上)
本尊は 延命地蔵 石田寺 高幡不動 末寺に列す(同上)
新しき 墓石の前に 供花はなく 歳三墓のみ 花に満たされ(同上)
普門寺の 八坂神社の 創建は 室町前期 牛頭天祀り(日野八坂神社)
祭神の 牛頭天王は スサノオに 明治初年の 神仏分離で(同上)
本殿は 江戸寛政期 建立で 流造りに 上屋架けられ(同上)
高野山 真言宗の 国分寺 明治中期に 再興されて(相模国分寺)
本堂は 平成六年 再建の 入母屋造り 唐破風付で(同上)
梵鐘は 鎌倉後期 鋳造で 国光の作 国の重文(同上)
大巧寺 日蓮宗の 単立で 鎌倉前期 日澄開基(大巧寺)
本堂は 昭和六年 再建で 産女霊神 本尊とする(同上)
鎌倉の オアシスと呼ぶ 境内は 祭りの如く 人で賑わう(鶴岡八幡宮)
前回は 参拝不可の 覚園寺 初詣兼ね 再び訪ぬ(覚園寺)
本堂は 寄棟造り 茅葺きで 江戸元禄期 改築されし(同上)
鎌倉の 寺をめぐりて 心満つ 静かな丘で 街を眺めて(同上)
四谷にて 愛染院に 立ち入れば 塙保己一 墓所などありき(四谷愛染院)
本堂は 近年築の 入母屋で 大日如来 本尊とする(同上)
現在は 真言宗に 豊山派で 平安初期に 創建されしと(同上)
須賀神社 江戸寛永期 創建で スサノオ稲荷 主祭神とす(須賀神社/寺院・神社174)
現社殿 平成元年 落成で 拝殿の屋根 唐千鳥破風(同上)
ビルの間の 所々に 寺の屋根 須賀神社から 眺める景色(同上)
世田谷の 八幡宮の 創建は 平安後期 義家に由り(世田谷八幡宮)
拝殿は 昭和末期の 再建で 入母屋屋根に 二重の派風を(同上)
力石 四十八貫 九個あり 土俵を離れ 柵巡らさる(同上)
様々な 八幡神社 観て来たが 旧格式が 規模に違わず(同上)
豪徳寺 室町後期 創建で 井伊直孝が 江戸菩提寺に(豪徳寺)
仏殿は 入母屋造り 裳階付 江戸延宝期 建立されて(同上)
武蔵野の 面影残す 豪徳寺 堂の読経 鳥のさえずり(同上)
落成し 三重塔 十二年 七堂伽藍 これで整う(同上)
禅寺の 僧侶地に落ち 欲深く 道元嘆く 平成晩年(同上)
戦前に 招福殿は 建立す 手招き猫の 発祥ともされ(同上)
八角の 納骨堂は 白亜なり 昭和前期の RC築(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 昭和中期の RC築(同上)
釈迦如来 曹洞宗は 本尊とし 豪徳寺でも 舎利礼文(同上)
納経所 客殿書院 庫裡などを 総括すれば 本坊の名に(同上)
赤門は 江戸上屋敷 長屋門 連想させる 井伊の赤備え(同上)
世田谷の 松陰神社 創建は 明治前期で 萩より古く(東京松陰神社)
神楽殿 昭和七年 建築で L字形した 入母屋造り(同上)
松陰は 三十歳で 処刑され 後にこの地に 改葬されし(同上)
神道の 教義は少し 難解で 世に知られたる 人も少なく(同上)
拝殿は 切妻造り 平入りで 昭和三年 改築されて(同上)
現社務所 平成九年の 改築で 入母屋造り 玄関右に(同上)
證誠寺 江戸初期頃 創建で 浄土真宗 本願寺派と(證誠寺)
参道に 旧塔頭の 住宅が 大寺であしり 面影偲ぶ(同上)
本堂は 空襲により 焼失し 昭和中期に 再建されし(同上)
月夜には タヌキ集まり 腹鼓 和尚と競う 證誠寺かな(同上/寺院・神社175) 65歳
境内に 親鸞聖人 行脚像 真宗らしき 寺の雰囲気(同上)
市原に 天台宗の 西願寺 室町後期 創建されて(西願寺)
阿弥陀堂 寄棟造り 茅葺きで 室町期築 国の重文(同上)
山門は 多宝塔式 大門で 昭和八年 建立されし(藻原寺)
藻原寺 鎌倉中期 創建の 日蓮宗の 旧本山で(同上)
大堂は 祖師堂兼ねた 本堂で 昭和初期築 入母屋造り(同上)
本尊は 三宝尊と 聞くけれど 日蓮宗の 経文読めず(同上)
寺の名を 訓読みにして もばらでら 市の命名も この寺の由る(同上)
鐘楼は 入母屋造り 朱塗り色 江戸貞享期 建立されて(同上)
華経殿は 入母屋造り 妻入りで 天狗日徳 守護神安置(同上)
仏殿は 入母屋二棟 並び建ち 釈迦と多宝の 如来を安置(同上)
四院家の 東光院は 塔頭で 室町末期 創建されて(同上)
法華宗 大本山の 鷲山寺は 鎌倉後期 日弁開山(鷲山寺)
仁王門 近年築の 入母屋で 木部は全て 弁柄色に(同上)
本堂は 花火まつりで 焼失し 開山堂を 仮本堂に(同上)
箱物の 白亜の庫裡の 手前には 香神堂の 宝形の屋根(同上)
誕生寺 日蓮生地 小湊に 鎌倉後期 日家が開創(誕生寺)
仁王門 入母屋造り 重層で 江戸中期築 境内最古(同上)
高台に 稲荷を祀る 太田堂 宝形造り 築年不詳(同上)
祖師堂は 改修工事 只中で 上屋架けられ 入母屋見えず(同上)
興門派 保田妙本寺 創建は 建武年間 日郷開基(保田妙本寺)
客殿は 寄棟造り 唐破風で 江戸慶応期 再建されて(同上)
御宝蔵 宝形造り 白壁で 鳥居の鉄扉 目立つ赤色(同上)
本堂は 入母屋造り シンプルに 昭和中期に 再建されし(同上)
宝物は 日蓮聖人 真蹟の 万年救護の 大本尊と(同上)
武蔵野に 天平開基 深大寺 平安前期 天台宗に(深大寺)
久々に 参拝すれば 人多く 写真撮影 思うにならず(同上)
本堂は 入母屋造り 唐破風で 大正時代 再建されて(同上)
本坊の 茅葺き屋根の 軒下に 薪が積まれて 暮らしも古風(同上)
釈迦堂の 飛鳥時代の 釈迦像は 去年の秋に 国宝指定(同上)
東門 奈良様式の 重厚さ 昭和後期に 新築されし(同上/寺院・神社176) 65歳
門前の 古びた茶店 懐かしき ふと立入て 甘酒すする(同上)
廃仏で 破却に遭いて 百年後 深沙大王 復活を遂げ(同上)
福の神 大黒天と 恵比須さま 二人仲良く 立派な堂に(同上)
三宝寺 室町前期 創建の 真言宗の 智山派の寺(三宝寺)
御成門 江戸後期築 山門で 四脚門の 切妻造り(同上)
鐘楼は 昭和後期の 再建で 梵鐘古く 江戸前期作(同上)
本堂は 大正時代 着工し 落成せしは 三十年後(同上)
シンボルの 根本大塔 建立は 平成八年 記念事業で(同上)
大師堂 昭和後期 改築で 平成二年 現地に移築(同上)
本坊は 白い土塀に 遮られ 近寄り難き 雰囲気に見ん(同上)
別院の 正覚院の 宝亀閣 宿坊かなと ふと眺めたり(同上)
道場寺 室町初期の 創建で 豊島輝時 菩提寺として(道場寺)
本堂は 唐招提寺 イメージし 昭和前期に 改築されし(同上)
江戸初期に 臨済宗を 改宗し 曹洞宗の 永平寺派に(同上)
客殿は 桂離宮を 模したとか 鐘楼堂は 桃山風に(同上)
地味ながら 三重塔 美しき 昭和中期築 鎌倉風に(同上)
国立の 谷保天幡宮 創建は 菅公子息 道武による(谷保天満宮)
亀戸と 湯島を入れて 谷保の地は 関東三大 天神社とか(同上)
神楽殿 明治後期の 建造で 入母屋造り 寂れた風情(同上)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 江戸末期頃 再建されし(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 江戸寛永期 棟札にあり(同上)
現社務所 宝物殿を 兼ねていて 近年築の RC造(同上)
三崎港 海南神社 創建は 平安前期 官人祀り(海南神社)
官人は 藤原資盈 左遷後に 三浦を治め 民に慕われ(同上)
振り向けば 時代が変わる その度に 神の社も また移りゆく(同上)
拝殿は 入母屋造り 赤塗りで 江戸寛政期 改築されし(同上)
大銀杏 八百年 時刻み 鎮座するなり 海南神社(同上)
大御堂 平安初期の 開創で 坂東霊場 札所の一寺(筑波大御堂)
開創は 法相宗の 徳一で 真言宗の 豊山派となる(同上)
本堂は 再建中の 最中にて 千手観音 札所で拝す(同上)
清滝寺 聖徳太子 草創で 真言宗の 坂東霊場(土浦清滝寺)
山門は 江戸後期築 入母屋で 楼門下に 仁王を安置(同上)
本堂は 宝形造り すがる破風 昭和後期に 再建されて(同上)
山門を 残して諸堂 焼失し 聖観音も 新たに安置(同上)
下総の 国分寺跡 市川に 昭和後期に仁王門建つ(下総国分寺)
本堂は 昭和初年に 再建す 金堂跡に 入母屋平入り(同上)
国分寺 衰退の後 近世に 真言宗の 豊山派となり(同上/寺院・神社177) 65歳
葛飾の 八幡宮が 市川に 平安前期 創建されて(葛飾八幡宮)
切妻の 随神門は 八脚で 江戸安政期 建造とされ(同上)
参道に 公民館の 古建築 唐破風屋根の 玄関目立つ(同上)
拝殿は 向唐破風 入母屋で 本殿共に 大正期築(同上)
中世は 関東武士の 祈願所で 総州一の 八幡宮に(同上)
神木の 千本公孫樹 その樹齢 千二百年 国の天記(同上)
池ありて 厳島社の 祠建つ 固定概念 眺め観るかな(同上)
鐘楼は 破却もされず 残されし 仁王像とは 対照的で(同上)
最近の 神社の社務所 大型化 何はともかく 氏子の力(同上)
葛飾の 名は東京の 葛飾と 混同される 誤解は尽きず(同上)
斎館は 清明館と 称されて 築三年の 入母屋造り(同上)
市原の 上総国分寺 衰退後 江戸元禄期 再興されし(上総国分寺)
仁王門 八脚門の 切妻で 江戸中期築 阿形は古く(同上)
薬師堂 入母屋造り 茅葺きで 江戸正徳期 建立されて(同上)
再興時 真言僧の 快応が 勧進したので 豊山派となり(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 近年築で 講堂跡に(同上)
詔 六十八ヶ国 僧寺尼寺 二十五年で 造営終えし(同上)
広大な 国の史跡は 手付かずで 七重塔 幻の果て(同上)
飯香岡 八幡宮の 創建は 白鳳時代 上総の国に(飯香岡八幡宮)
拝殿は 向唐破風 入母屋で 江戸中期築 木部は丹塗り(同上)
本殿は 室町期築 重文で 入母屋造り 屋根すがる破風(同上)
関東の 八幡宮の 殆どは 石清水から 分霊されし(同上)
祠より 石で築いた 富士山が 浅間神社 名に相応しき(同上)
横須賀の 衣笠神社 創建は 大正二年 村社を合祀(衣笠神社)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 衣笠山の 入口に建つ(同上)
仙台の 大観密寺 創建は 平成三年 企業家による(大観密寺)
仙台は 大観音と 称せられ 真言宗の 智山派に属す(同上)
高台の 大観音の 像高は 百メートルで 展望所兼ね(同上)
胎内に 百八体の 仏像と 十二神将 天像安置(同上)
全国に 大観音は 数多建ち 今は廃墟の 仏もありき(同上)
遠くから 大観音を 眺めたが 七年を経て 胎内に居る(同上)
本堂が 大観音の 奥に建ち 観光色は 多少は薄れ(同上/寺院・神社178) 65歳
仙台の 青葉神社の 創建は 明治七年 政宗祀り(青葉神社)
明治期や 藩政時代 懐かしみ 藩祖を祀る 神社急増(同上)
戦前は 神社全てに 格式が 振り分けられて ここは県社に(同上)
現社殿 昭和二年の 完成で 瑞鳳殿の 華やぎはなし(同上)
城跡に 護国神社の 社殿建つ 明治後期に 創建されて(宮城県護国神社)
何となく 靖国神社 本宮に 都道府県の 護国神社かな(同上)
空襲で 社殿焼失 再建は 昭和中期に コンクリートで(同上)
門前に 土産物屋が 軒並べ 政宗グッツ 探してみたり(同上)
仏法は不朽不滅で 摩訶不思議 生死の定め 仏縁なよる(蚶満寺)
庄内に 曹洞宗の 總光寺 室町前期 創建されし(總光寺)
山門は 江戸文化期 建立で 入母屋造り 仁王楼門(同上)
平入りの 本堂庫裡は 寄棟で 江戸宝暦期 再建と言う(同上)
庭園は 築山池泉 借景で 江戸後期築 国の名勝(同上)
屋島にて 佐藤継信 討ち死にし 子孫が祀る 開基堂かな(同上)
忠魂堂 第二次世界 大戦の 戦死者供養 住職建てる(同上)
佐藤家は 松山藩の 藩主にて 總光寺には その墓所が建つ(同上)
唐桑の 御崎神社の 創建は 平安末期 ワタツミ祀り(御崎神社)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 縁台手すり 丹塗り鮮やか(同上)
本殿は 流れ造りの 大屋根で 築年不詳 昭和前期か(同上)
唐桑の 早馬神社の 創建は 鎌倉前期 ハヤマを祀り(早馬神社)
拝殿は 入母屋造り 赤瓦 昭和中期に 建立されて(同上)
漁港では 珍しきかな 祭神の ハヤマの神は ウカノミタマで(同上)
神木の 栃の実漬けた 焼酎が 強力無比な 湿布薬だと(同上)
本殿は 切妻造り トタン屋根 壁は板張り 倉庫に見えし(同上)
柏崎 鵜川神社の 創建は 平安中期 八幡祀り(鵜川神社)
現社殿 江戸天保期 再建で 軒下板の 雪囲いされ(同上)
御神木 樹齢千年 大ケヤキ 幹折れたるも 国の天記で(同上)
信濃路に 武水別の 神社あり 古墳時代に 創建されて(武水別神社)
古木立つ 参道ゆかし 八幡さま 観るも尊し 千曲の神社(同上)
数寄屋風 総代会館 優美なり 和洋統一 境内社殿(同上/寺院・神社179) 65歳
拝殿は 入母屋造り 妻入りで 江戸安政期 改築されて(同上)
本殿は 流れ造りに 二重破風 江戸嘉永期に 諏訪大工建て(同上)
本殿の 横に妙なる 祭儀所が 前に回ると 受付所なり(同上)
宝蔵は 土蔵造りの 宝物庫 市の文化財 数点収蔵(同上)
圓融寺 真言宗の 智山派で 鎌倉初期に 葛西氏開基(圓融寺)
本堂は 近年築の 入母屋で 大日如来 本尊とする(同上)
柳津の 虚空尊尊 開創は 行基菩薩で 宝性院と(柳津虚空蔵尊)
中興が 空海大師 縁から 真言宗の 智山派となる(同上)
本堂は 宝形造り すがる破風 江戸末期築 茅を銅板に(同上)
奥ノ院 とぼとぼ登り 参拝す 案内板なく 誰拝むやら(同上)
家持の 和歌に詠まれし かの橋が 明治末期に 建立されて(同上)
つゆ知らず 陸奥国分寺の 本坊を 訪ね驚く 境内広く(陸奥国分寺)
本堂は 昭和後期 建立の 切妻造り コンクリートで(同上)
大塔は 大日祀る 宝塔で コンクリートの 昭和後期築(同上)
城跡の 相馬神社の 創建は 明治中期に 師常祀り(相馬神社)
将門の 子孫とされる 相馬氏は 鎌倉末期 城を築いて(同上)
拝殿は 切妻造り すがる破風 本丸御殿 重なる景色(同上)
もう一社 相馬中村 神社あり 平安中期 妙見祀り(相馬中村神社)
三殿は 江戸寛永期 造営で 権現造り 国の重文(同上)
石段の 手前で拝す 社殿かな 工事中にて 撮影アウト(同上)
専称寺 浄土宗なり 創建は 室町前期 いわき平に(専称寺)
総門は 江戸前期築 重文で 切妻造り 修復されし(同上)
線香に 香りに変る 梅の花 修復中の 専称寺かな(同上)
いわきにも 大國魂 神社あり 平安初期に 創建されし(いわき大國魂神社)
神々は 漠然として 有難し 拍手打つも 思いのままに(同上)
拝殿は 向唐破風 入母屋で 江戸後期築 壁は板張り(同上)
本殿は 入母屋造り 平入りで 江戸延宝期 藩主造営(同上/寺院・神社180) 65歳
象潟の 金峰神社 創建は 平安前期 円仁により(金峰神社)
宝形の 宝物殿の 入口は 店舗のシャッター 見るが如くで(同上)
現社殿 昭和後期の 再建で 権現造り それなりの規模(同上)
主祭神 蔵王権現 廃されて 神話の神の スクナビコナに(同上)
寂れたり 鳥海修験 龍山寺 昔別当 今は古民家(龍山寺)
小野神社 信濃の国の 二宮で 創建不詳 街道宿に(塩尻小野神社)
拝殿は 切妻破風の 切妻で 軒に廻廊 江戸末期築(同上)
祭神は タケミナカタで 一宮 諏訪大社とは 同じ神様(同上)
垂れ幕に 丸に沢瀉 家紋あり 松本藩主 水野家のもの(同上)
境内は 桃山時代に 二分され 二宮二社が 同じ社叢に(同上)
もう一社 矢彦神社の 創建は 大和時代の 六世紀頃(矢彦神社)
拝殿は 楼門風の 切妻で 江戸後期築 廻廊備え(同上)
祭神は オオクニヌシと 七柱 拍手打つも 手が痛くなる(同上)
和田宿に 曹洞宗の 信定寺 戦国時代 創建されし(信定寺)
山高に 日蓮宗の 実相寺 転宗不明 桜の名所(実相寺)
本堂は 入母屋造り 赤瓦 昭和前期の 再建かなと(同上)
庫裡の屋根 太陽熱の 温水器 初めて目にす 寺の省エネ(実相寺)
山高の 神代桜 国天記 日本最古の エドヒガンかな(同上)
小海町 松原諏方の 神社あり 松原湖へと 向う途中に(松原諏方神社)
創建は 奈良時代から 鎌倉の 間とされて 曖昧であり(同上)
神殿は 上社と下社 分れてて 普賢菩薩を タケミナカタに(同上)
拝殿は 昭和初期築 本殿は 明治中期築 権現造り(同上)
下社殿 切妻造り 覆屋に 江戸後期築 流れ造りで(同上)
前山に 曹洞宗の 貞祥寺 室町末期 創建されて(貞祥寺)
迷い来て 訪ねた寺の 案内を ふと見て嬉し 藤村旧宅が(同上)
藤村の 小諸時代を 鑑みる 寄棟造り 平屋の家に(同上)
総門は 切妻造り 薬医門 江戸承応期 寺では最古(同上)
山門は 江戸前期築 楼門で 入母屋茅葺き 仁王を安置(同上)
山門の 廻廊は挟み 鐘楼が 禅宗らしき 伽藍配置で(同上)
廻廊の 奥には洒落た 江湖寮 平成中期 新築されて(同上)
本堂は 入母屋造り 千鳥破風 江戸中期築 本尊は釈迦(同上)
方丈は 入母屋造り 二階建て 築年不詳 昭和後期か(同上/寺院・神社181) 65歳
知客寮 切妻造り 妻入りで 昭和末期築 客殿として(同上)
高台に 三重塔 聳え建つ 江戸後期築 明治に移築(同上)
経蔵が 開山堂の また奥に 農家の土蔵 思わす如く(同上)
稲荷山 稲荷神社の 創建は 平安前期 下向の皇子が(臼田稲荷神社)
神楽殿 展望兼ねた 懸け造り 平成六年 新築されて(同上)
様々な 稲荷神社の 共通は 鳥居赤塗り 狛犬キツネ(同上)
拝殿は 切妻造り 二重破風 近年築の 赤が鮮やか(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 さすがに木部 白木のままで(同上)
佐久総社 新海三社 神社あり 古墳時代に 祖神を祀り(新海三社神社)
三神は 祖神オキハギ 神代から タケミナカタと コトシロヌシで(同上)
社務所前 十八個もの 酒樽が 聞き覚えある 銘柄はなし(同上)
拝殿 向唐破風 入母屋で 江戸中期築 着色はなし(同上)
本殿は 東西中社 三棟で 東本社は 国の重文(同上)
西と中 流れ造りの 一間社 江戸中期築 弁柄色で(同上)
神楽殿 三方壁なし 入母屋で 築年不詳 江戸後期かな(同上)
桧皮葺き 流れ造りの 一間社 東本社は 室町期築(同上)
重文の 三重塔 建立は 室町後期 屋根柿葺き(同上)
明治初期 三重塔 宝庫とし 幸いなるか 破却免れ(同上)
上宮寺 飛鳥時代の 創建で 新海神社 別当として(佐久上宮寺)
明治初期 神仏分離で 移転して 真言宗の 智山派となる(同上)
仁王門 切妻造り 簡素でも 仁王二像は 室町期作(同上)
貧弱な 鐘楼門の 梵鐘は 吉野時代の 音を響かす(同上)
本堂は 寄棟造り 屋根赤く 外壁白く 近年改修(同上)
松代の 象山神社 創建は 昭和前期に 象山祀り(象山神社)
境内は 佐久間象山 生誕地 復元したら 良いかと眺む(同上)
社務所ほか 社殿含めた 七棟が 国登録の 文化財なり(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 銅板葺きの 総桧とか(同上)
高義亭 象山蟄居の 旧跡を 昭和後期に 神社に移築(同上)
長国寺 曹洞宗の 僧録所 真田信之 江戸初期開基(長国寺)
本堂は 明治中期の 再建で 寄棟造り 天蓋見事(同上)
坐禅して 無心になれず 耳澄ます 事物に動じ 膨らむ心(同上/寺院・神社182)
宝形の 開山堂は 旧霊屋 江戸中期築 明治に移築(同上)
長国寺 真田家墓所は 国史跡 信之霊屋 国の重文(同上)
切妻の 裳階を付けた 庫裡の屋根 平成九年 新築されて(同上)
方丈も 切妻造り 壮大で 名園あれば 言う事はなし(同上)
松代の 祝神社の 創建は 平安以前 諏訪さま祀り(祝神社)
信州は 諏訪明神の お膝元 親し込めて お諏訪さんとも(同上)
古来より 領主の推移 あるけれど 天神地祇は 昔のままで(同上)
拝殿は 入母屋妻入り 唐破風で 江戸後期築 三方に縁(同上)
普願寺は 鎌倉末期 創建の 浄土真宗 本願寺派と(普願寺)
正門の 横の建屋に 太鼓楼 シンボル的な 塔にも見えし(同上)
本堂は 江戸延享期 再建で 入母屋の屋根 茅から瓦(同上)
客殿の 大玄関は 珍しき 入母屋造り 裳階を付けて(同上)
鐘楼は 江戸嘉永期の 再建で 入母屋造り 四方吹き放し(同上)
普願寺の 通りに末寺 四ヶ寺も 善長寺には 立派な門が(善長寺)
本堂は 入母屋造り シンプルで 寺子屋風な 雰囲気感ず(善行寺)
須坂市は 一万石の 小藩で それに比しては 寺多く建つ(円光寺)
円光寺 本堂庫裡と 屋根赤く 他の寺とは 趣変る(同上)
目を見張る 八角形の 太鼓楼 明治中期に 建立されて(同上)
元徳寺 戦国時代 創建で 真宗王国 北信濃にも(元徳寺)
不動寺は 奈良養老期 開創で 真言宗は 豊山派の寺(米子瀧山不動寺)
本堂は 入母屋造り 里堂で 奥ノ院にも 本堂ありき(同上)
本尊は 日本三大 不動尊 上杉謙信 念持仏とか(同上)
庫裡寺務所 近年築の 入母屋で 六文銭の 旗またなびく(同上)
住職は 真田信之 信繁の 兄弟の血を 受け継ぐ御仁(同上)
いつの世も 眼開ければ 塵の中 心澄ませば 御仏の中(同上)
奥ノ院 米子瀑布の 景勝地 距離が遠くて 次回に残す(同上)
東照寺 三度移転後 江戸中期 須坂米子に 再建されし(東照寺)
見事なる 枝垂れ桜の 東照寺 浄土真宗 本願寺派で(同上)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 欄間の彫刻 特に優れて(同上)
善光寺 大本願の 別院が 思いも寄らぬ 城山に建つ(城泉山観音寺)
別院は 昭和中期の 建立で 胡散臭さが 寺に漂う(同上)
本堂は 入母屋造り 妻入りの 赤塗りされた RC造(同上)
境内に ロープウェイの 駅舎跡 観光寺院 ピークが過ぎて(同上/寺院・神社183)
観音寺 寺の歴史は 五十年 日本歴史館 何を収蔵(同上)
松本の 筑摩神社の 創建は 平安初期に 八幡宮を(筑摩神社)
主祭神 神功皇后 珍しき 通常ならば 応神天皇(同上)
神門は 入母屋造り 四脚門 築年不詳 江戸後期かと(同上)
拝殿は 江戸初期築 柿葺き 入母屋妻入り すがる破風付(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 室町期築 国の重文(同上)
牛伏寺は 奈良天平期 開創の 真言宗の 智山派の寺(牛伏寺)
牛車 善光寺へと 経典を 運ぶ途中で 牛伏したとか(同上)
本坊は 江戸中期築 旧庫裡で 規模壮大な 本棟造り(同上)
惣門は 平成中期 再建で 参道逸れた 池に建つ(同上)
寄棟の 如意輪堂は 茅葺きで 江戸寛政期 建造されし(同上)
仁王門 入母屋造り 楼門で 江戸中期築 朱塗り鮮やか(同上)
入母屋の 観音堂は 五間堂 江戸中期築 向唐破風(同上)
重文の 仏像八躯 奥殿に 平安末期 彫刻されて(同上)
奥殿は 寄棟造り 収蔵庫 平成期築 コンクリートで(同上)
牛堂は 江戸後期築 入母屋で 赤黒二頭 牛像安置(同上)
望月の 大伴神社 創建は 古墳時代に 武日を祀り(大伴神社)
拝殿は 切妻造り 本殿は 江戸前期築 春日造りで(同上)
祭神は 大伴武日 廃されて アメノオシヒに 他二柱(同上)
宿場には 曹洞宗の 城光院 室町後期 望月氏開基(城光院)
本堂は 江戸享和期の 再建で 入母屋平入り 漆喰の壁(同上)
野尻湖に 八百万神 宇賀神社 当初は行基 弁天祀り(野尻湖宇賀神社)
伝説に 上杉謙信 軍師あり 宇佐美定行 宝塔が建つ(同上)
拝殿は 近年築の 入母屋で コントラストな 朱色白壁(同上)
主祭神 ウカノミタマに 様変わり 弁財天は その次となり(同上)
本殿は 江戸前期築 一間社 上屋に隠れ 拝観できず(同上)
琵琶島は 弁天島と 称されて 社叢の桜 弁天らしく(同上)
宇賀神社 参拝終えて 帰路もまた 遊覧船で 景色楽しむ(同上)
浄光寺 室町初期の 創建で 真言宗の 豊山派の寺(浄光寺)
山門は 築年不詳 切妻で 作者異なる 仁王を安置(同上)
本堂は 入母屋妻入り トタン屋根 昭和後期に 古材利用し(同上)
薬師堂 入母屋造り 茅葺きで 室町期築 国の重文(同上/寺院・神社184) 65歳
堂内の 薬師如来と 両菩薩 十二神将 室町期作(同上)
門前に スラックライン パークあり ベルトや綱を 渡るスポーツ(同上)
小布施では 岩松院の 寺訪ね 八方睨み 北斎画観ん(岩松院)
創建は 室町後期 開山は 曹洞宗の 不琢玄珪(同上)
本堂は 寄棟平入り トタン屋根 江戸後期築 以前茅葺き(同上)
天井に 八方睨み 鳳凰図 葛飾北斎 晩年の作(同上)
名将の 福島正則 哀れなり 改易されて 信州に死す(同上)
北斎の パトロン的な 鴻山の 顕彰碑あり 岩松院に(同上)
入母屋の 庫裡は大きな 二階建て 近年築で エアコン備え(同上)
お大師の 及ばぬ力 新宗派 日蓮宗は 関わり薄く(遠照寺)
遠照寺 鎌倉中期 甲州に 日弁老師 開山開基(同上)
本堂は 江戸宝暦期 再建で 入母屋造り すがる破風なり(同上)
本尊は 法華経世界 曼荼羅図 漢字梵字で日蓮創始(同上)
多福寺は 真言宗の 智山派で 鎌倉初期に 澄空開基(多福寺)
本堂は 江戸後期築 寄棟で 大日如来 本尊とする(同上)
中腹に 長屋の如し 大師堂 昭和中期に 個人が寄進(同上)
右左 自由気ままな 一人旅 寂しくもなし 同行二人(同上)
長久保で 松尾神社を 参拝し オオヤマクイと 世間話を(松尾神社)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 本殿共に 江戸後期築(同上)
塩名田の 駒形神社 創建は 室町時代 ウケモチ祀り(駒形神社)
本殿は 流れ造りの 一間社 室町期築 国の重文(同上)
本殿に 騎乗の男女 二神像 どんな姿か 眺めたいもの(同上)
山梨の 大石神社 創建は 不明なれども 中世以前(大石神社)
拝殿は 入母屋造り 六間社 近年築で 本殿もまた(同上)
祭神は オオヤマズミと されるけど 旧物部は ウマシマジなり(同上)
本殿の 裏に磐座 御神石 自然崇拝 本殿不要(同上)
建前は 神仏信じ 本音では いないと思う あの世と同じ(同上)
笛吹に 甲斐国分寺 存続す 臨済宗の 妙心寺派で(甲斐国分寺)
山門は 江戸中期築 入母屋の 屋根の大きな 鐘楼門で(同上)
本堂は 寄棟造り 平入りで 江戸前期築 間口九間(同上)
現堂宇 史跡の中に 建つために 平成前期 四棟移築(同上)
仏陀寺 鎌倉中期 開創で 戦国時代 妙心寺派に(仏陀寺/寺院・神社185) 65歳
本堂を 含めた諸堂 前庭は 全面芝に 飛び石配し(同上)
大泉寺 曹洞宗の 名刹で 武田信虎 甲府に開基(大泉寺)
本堂は 向唐破風 入母屋で 空襲に遭い 戦後再建(同上)
御霊殿 武田三代 霊廟で 初代信虎 ブロック塀に(同上)
境内に 夢山稲荷 尊天が 慎ましやかに 祀られてあり(同上)
韮崎の 八幡宮は 武田の名 平安初期に 武田王祀り(武田八幡宮)
神門は 入母屋造り 楼門で 江戸後期築 随身安置(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 室町期築 国の重文(同上)
甲斐源氏 初代信義 創建す 鎮西太郎 為朝神社(同上)
興徳寺 江戸前期頃 創建の 臨済宗の 妙心寺派で(興徳寺)
山門は 鐘楼門の 切妻で 下層に仁王 三門兼ねて(同上)
本堂は 三間ほどの 宝形で 極めて質素 釈迦も気の毒(同上)
旗本の 小笠原氏 菩提寺で 千石取の 寺観に見えし(同上)
興徳寺 枝垂れ桜は エドヒガン 三百年の 樹齢を誇り(同上)
佐野神社 桃山時代 創建で 上杉家臣 北信州に(佐野神社)
拝殿は 明治期築の 切妻で 屋根二重にし 向拝もまた(同上)
祭神は 思いも寄らぬ 神々で タケミナカタと 他五柱が(同上)
本殿は 桃山期築 重文で コンクリートの 上屋の中に(同上)
佐久八幡 八幡神社 創建は 室町後期 望月城主が(八幡神社)
入母屋の 随身門は 楼門で 江戸天保期 建造されて(同上)
拝殿は 向唐破風 入母屋で 本殿共に 江戸後期築(同上)
祭神は 八幡三神 ホンダワケ 神功皇后 タマヨリヒメと(同上)
高良社は 旧八幡社 本殿で 室町期築 国の重文(同上)
三間社 流れ造りの 柿葺き 武内宿禰を 祭神とする(同上)
摂社には 諏訪明神の 社殿建つ 拝殿切妻 素朴な造り(同上)
小根山の 小川神社 創建は 白鳳時代 伝承されて(小根山小川神社)
七年に 一度の祭 御柱 小根山の神 タケミナカタで(同上)
拝殿は 向唐破風 入母屋で 昭和中期の 再建と聞く(同上)
本殿は 江戸中期築 一間社 幣殿共に 覆屋架かり(同上)
境内に 御射山神社 移築され 本家大社に 寄り添う如く(同上)
戦時下に 小さな社務所 新築す 波乱富んだ 神社の歴史(同上/寺院・神社186)
山門は 神願門と 称されて 切妻茅葺き 戦国期築(岩殿寺)
岩殿寺 円仁大師 創建で 天台宗の 信州古刹(同上)
本殿は 昭和後期に 焼失し 入母屋造り 近年再建(同上)
現在は 馬頭観音 本尊で 往時は熊野 権現祀り(同上)
鬼無里村 白髭神社 創建は 白鳳時代 サルタヒコ祀り(白髭神社)
本殿は 流れ造りの 一間社 室町期築 国重文と(同上)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 木肌の風味 昭和前期か(同上)
松巌寺 江戸元和期の 創建で 曹洞宗の 永平寺末(松巌寺)
伝説の 鬼女なる紅葉 菩提所の 地蔵院が 寺の前身と(同上)
山門は 江戸前期築 切妻で 屋根に茅の 面影残し(同上)
本堂は 明治後期の 再建で 向唐破風 入母屋造り(同上)
入母屋の 観音堂は 妻入りで 江戸前期築 見晴らしが良く(同上)
奈良末期 鬼無里神社は 創建す 産土神を 魚山に祀り(鬼無里神社)
拝殿は 向唐破風 切妻で 築年不詳 昭和前期か(同上)
主祭神 タケミナカタと ヤサカトメ 古事記にも無い 夫婦の神で(同上)
城跡に 天台宗の 醫王院 江戸元禄期 創建されて(海尻醫王院)
明治初期 信濃神光寺 廃寺して 仏像などが 醫王院へと(同上)
本堂は 昭和後期の 再建で 入母屋造り 間口七間(同上)
宝形の 観音堂は 懸け造り 古風ながらも 平成築で(同上)
本尊 薬師瑠璃光 如来なり 法難に逃れ 再び鎮座(同上)
鼠ヶ関 厳島神社 創建は 江戸中期頃 弁天島に(鼠ヶ関厳島神社)
拝殿は 近年築の 宝形で 弁財天を 久々拝す(同上)
温泉に お薬師様は 付きもので 薬師神社が 岩倉の湯に(岩倉薬師神社)
遠野郷 早池峯神社 創建は 平安初期に 普賢坊により(遠野郷早池峯神社)
神門は 江戸後期築 入母屋の 明治改修 旧仁王門(同上)
哀れなり 随神像の 目玉とれ 衣の袖も 破れかぶれに(同上/寺院・神社187) 65歳
参道に 駒形神社 摂社建ち ちょっと立ち寄り 馬神を拝す(同上)
拝殿は 古民家風な 茅葺きで 江戸後期築 寄棟造り(同上)
霊峰の 早池峰山の 登山口 四ヶ所ほどに 里宮が建つ(同上)
本殿は 江戸元禄期 再建で 銅板葺きの 入母屋造り(同上)
切妻の 社務所の壁は 板張りで 昭和の校舎 ふと思い出す(同上)
入母屋の 通用門も 茅葺きで 旧妙泉寺 山門遺構(同上)
門前の 小学校は 廃校し 手加減はなし 衰退の波(同上)
成島の 三熊野神社 創建は 平安初期に 権現祀り(成島三熊野神社)
念ずれば 神も仏も ただ一つ 地球の上に 生かされ生きつ(同上)
明治初期 神仏分離 成島寺 熊野神社と 毘沙門堂に(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 築年不詳 仏殿風に(同上)
本殿は 切妻造り すがる破風 室町後期 再建とされ(同上)
宝形の 毘沙門堂は すがる破風 室町期築 国の重文(成島毘沙門堂)
堂内に 毘沙門天の 姿なく 耐火造りの 宝物殿へ(同上)
平泉 黄金文化 以前から 優れた文化 北上川に(同上)
赤屋根の 宝形造り 薬師堂 拝む人なく ひっそりと建つ(同上)
白壁の 宝物殿の 建築は 昭和末期の RC造(同上)
重文の 兜跋毘沙門 天像は 一本彫の 高さ日本一(同上)
成島寺 廃寺となりて 神主が 毘沙門天に 祝詞を上げる(同上)
みちのくの 金ヶ崎神社 創建は 平安後期 諏訪神祀り(金ヶ崎神社)
シンプルな 権現造り 社殿なり 江戸寛保期 建造されて(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 濡れ縁手すり 赤く塗られて(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 タケミナカタと 他三柱を(同上)
切妻の 舞殿らしき 建物が 謎めいたまま 新築されて(同上)
金ヶ崎 曹洞宗の 泰養寺 戦国時代 創建されて(泰養寺)
境内は 舟形館 城跡で 仙台藩の 要塞を兼ね(同上)
山門は 入母屋造り 楼門で 江戸時代築 筋かい露出(同上)
本堂は 軒唐破風の 入母屋で 聖観音の 本尊安置(同上)
神木に 薬師神社の 小社建つ 薬師が神の 夏油温泉(薬師神社)
登山口 六角牛の 神社建つ 平安初期に 権現祀り(六角牛神社)
拝殿は 近年築の 入母屋で 権現変り 住吉の神(同上)
山頂の 奥宮石祠 真っ白で 六角牛山 遠野三山(同上)
遠野郷 八幡宮の 創建は 鎌倉初期に 阿曽沼氏とか(遠野郷八幡宮)
拝殿は 昭和期築 入母屋で 赤と白との 色美しき(同上)
境内に 社殿九棟 摂末社 六棟も建つ 壮観さかな(同上/寺院・神社188) 65歳
珍しや 不動神社の 名前かな 薬師神社は よく聞くけれど(同上)
文化的 建造物は 無いけれど 八幡宮の 社殿華やか(同上)
社務所から 社殿に続く 渡回廊 随分長く 驚くばかり(同上)
郡山 安積国造 神社あり 古墳時代に 創建されて(安積国造神社)
参道を 入りていくなり 神楽殿 お多福面に 酒樽を置き(同上)
拝殿は 向唐破風 入母屋で 街で貴重な 江戸後期築(同上)
本殿は 大正期築 三間社 ワカムスビ他 祭神として(同上)
会館は RC造 五階建て 安積良斎 記念館兼ね(同上)
門前は 奥州街道 宿場町 芭蕉通りに 面影を踏む(同上)
如宝寺は 真言宗の 豊山派で 平安初期に 虎丸開基(如宝寺)
境内は 戊辰の役で 焼失し 江戸の堂宇は 仁王門のみ(同上)
入母屋の 大本堂は 妻入り 明治中期に 新築されて(同上)
再興時 由緒書院を 移築する 木造二階 入母屋造り(同上)
入母屋の 観音堂は 昭和築 旧本尊の 馬頭を祀り(同上)
極楽寺 真言宗の 智山派で 国見山廃寺 継承寺院(極楽寺)
北上に 住んだ思い出 消し去りて 再び登る 国見山かな(同上)
坂上 田村麻呂が 創建と 推測される 陸奥定額寺(同上)
多宝塔 空海大師 初披露 平安初期は みちのくに無く(同上)
国見山 神社建てられ 北辺の 守護ともされる 偵岡の神(国見山神社)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 昭和期築で 廃れた様子(同上)
今日もまた 怪しき神に 手を叩く 我れも怪しき 人間なれば(同上)
堂宇跡 方三間と 記されて 限定できる 資料乏しき(国見山廃寺跡)
山頂に 観音像が 祀られて 側に小さな 平和の鐘が(同上)
多宝塔 推定と書く 愚かしさ 本当ならば 平安後期(同上)
標柱に 庭儀の堂と 印したり 横の表示は 八幡神社(同上)
鶴岡の 金峯神社 創建は 平安初期に 権現祀り(金峯神社)
最盛期 真言宗の 当山派 修験道場 菁龍寺でも(同上)
麓には 六所神社の 社殿建つ 六神の名は 陸奥らしく(同上)
参道に 粟島神社 小社建つ 粟島明神 スクナヒコかな(同上)
切妻の 随神門は シンプルな 八脚門の 旧仁王門(同上)
何だろう 土蔵造りの 宝蔵は 粗末な板の 壁に覆われ(同上/寺院・神社189) 65歳
中ノ宮 宝形造り 四間社 軒唐破風は 妙な曲線(同上)
祭神の 蔵王権現 変身し スクナビコナと オオクニヌシに(同上)
本殿は 大きな裳階 入母屋で 桃山期築 国の重文(同上)
神の山 二山三山 乗り越えて 目指す浄土は 心の中に(同上)
山頂で 鶴岡市街 一望し 昼食を食べ 行く秋惜しむ(同上)
渓流の 流れ鶴岡 迂回して 赤川を経て 庄内浜に(同上)
青龍寺 役行者 開山で 真言宗の 豊山派の寺(青龍寺)
明治初期 神仏分離 法難で 伽藍を捨てて 山麓移転(同上)
本堂は 宝形造り すがる破風 如意輪観音 本尊として(同上)
本住寺 日蓮宗の 日受が 室町末期 創建せしと(本住寺)
本堂は 入母屋造り すがる破風 棟にシャチホコ 江戸後期築(同上)
境内に 加藤忠広と 母の墓 五十万石 墓石となる(同上)
会津村 昭和末期の 開設で 平成中期 観光寺院に(法國寺会津別院)
シンボルの 慈母大観音 像高は 五十七メートル 展望も出来(同上)
目を向ける 価値観もまた 変化する 知識を深め 眺める仏(同上)
大手門 二条城郭 模したとか 寺と思えば ここだけ異様(同上)
横浜の 本寺の宗派 浄土宗 江戸慶長期 創建と聞く(同上)
境内は 六万坪の 広大さ 右往左往し 諸堂をめぐる(同上)
曲り屋の 民家四棟 移築され ふるさと村を 眺める如し(同上)
茅葺きは 鉄板葺きに 替えられて 文化財的 価値は低減(同上)
板の間と 畳の間には 囲炉裏あり 家長制度の 面影残す(同上)
曲り屋の 一棟のみが 宿泊所 馬の尿する 枕は遠く(同上)
会津路や 磐梯山が シンボルで 宝の山に 稲穂が実る(同上)
法然の 念ずる声は 散り散りに 山野の中の 草木に宿る(同上/寺院・神社190)
聳え建つ 三重五重の 塔よりも 圧倒的な 大観音像(同上)
本尊は 阿弥陀如来の 坐像なり 近年作の 色彩豊か(同上)
宝形に 蔵王権現 祀られて 真摯な気分 数珠に合わせて(同上)
観音の 慈愛に満ちた 眼差しは 母にも似たり 祖母にも似たり(同上)
八葉寺 空也上人 開創し 真言宗の 豊山派となる(八葉寺)
本堂は 国の重文 阿弥陀堂 桃山期築 方三間で(同上)
阿弥陀堂 入母屋造り 妻入りで 茅葺き屋根の 反り美しき(同上)
独特の 冬木沢詣で 奥ノ院 御魂迎えの 会津高野山(同上)
名も知らぬ 会津の里の 寺に来て 思わぬ出会い 空也上人(同上)
宗英寺 室町前期 蘆名氏が 曹洞宗の 菩提寺開基(宗英寺)
本堂は 入母屋造り すがる破風 昭和中期に 再建されて(同上)
戦国の 蘆名盛氏 その坐像 国の重文 厨子の安置と(同上)
薬師寺は 円仁大師 創建の 会津最古の 天台宗で(会津薬師寺)
本堂は 宝形造り すがる破風 向拝の上 彫刻されて(同上)
梵鐘は 戦争当時 拠出され 九年前に 復活せしと(同上)
自動車の 形を石に 彫り込んだ 不動明王 可笑しな物に(同上)
平屋建て 楽々庵が 寺に建つ 平成期築 集会施設(同上)
面白き 垣根に塀を また重ね そんな立派な 家には見えず(同上)
観音寺 法相僧の 徳一が 平安前期 創建せしと(観音寺)
参道に 小さな堂宇 二棟建つ 臨済宗の 寺には見えず(同上)
標柱に うがい清水の アカマツと 記しあるけど アカマツ見えず(同上)
左下りの 観音堂は 懸け造り 宝形屋根の 三層閣で(同上)
築年は 鎌倉初期と 伝えられ 室町前期 大改修す(同上)
堂内に 無頸観音 祀るけど 厨子には施錠 拝観できず(同上)
濡れ縁の 三方展望 素晴らしく 北に大川 磐梯山(同上)
高田には 天台宗の 龍興寺 平安前期 円仁開基(龍興寺)
本堂は 入母屋造り 平入りの 近年築で 本尊阿弥陀(同上)
国宝の 一字蓮台 法華経が 寺の所蔵で 一般公開(同上)
八角の 八葉堂に 祀られる 天海ゆかりの 浮身観音(同上)
奈良時代 徳道開基 法用寺 天台宗に 改め中興(法用寺/寺院・神社191) 65歳
宝形の 観音堂は すがる破風 江戸中期頃 再建かなと(同上)
堂内の 厨子仏壇は 重文で 豪華装飾 鎌倉期作(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 秘仏とされて 暗闇の中(同上)
古建築 文化の源泉 みな資金 会津の里は 土地豊かなり(同上)
福島に 三重塔 三基のみ この寺最古 江戸中期築(同上)
名も知れぬ 三重塔 観るも良し 月日を重ね 高まる宝(同上)
本堂は 宝形造り 隔離され 誰も参らぬ 小さな堂宇(同上)
切妻の 庫裡の建屋は 面白き 曲り屋風に 玄関付けて(同上)
中会津 中田観音 弘安寺 弘安二年 創建されて(弘安寺)
弘安寺 曹洞宗の 寺ながら 本尊含め 禅風弱く(同上)
慎ましき 弁財天が 厨子の中 厨子は重文 旧観音堂(同上)
本堂は 入母屋造り 裳階付 築年不詳 江戸後期かと(同上)
銅造の 観音菩薩 その脇侍 鎌倉期作 国の重文(同上)
田子薬師 常福院の 創建は 鎌倉初期に 田子の長者が(常福院)
薬師堂 入母屋造り 平入りで 室町期築 国の重文(同上)
別当の 常福院は 境外に 真言宗は 豊山派の寺(同上)
恵隆寺は 真言宗の 豊山派で 仏教公伝 直後の開基(恵隆寺)
重文の 観音堂は 茅葺きで 鎌倉期築 寄棟造り(同上)
本尊の 千手観音 重文で 通称名は 立木観音(同上)
本堂は 近年築の 入母屋で 鈴が無いので 参拝者いず(同上)
小金塔 平成中期 再建の 大日祀る 三重塔(同上)
恵隆寺と 弘安寺と 如法寺は 会津ころり 三観音と(同上)
示現寺は 空海大師 開創で 室町前期 曹洞宗に(示現寺)
総門は 切妻造り 四脚門 江戸中期築 桟瓦葺き(同上)
切妻の 鐘楼門が 山門で 右に廻廊 鐘見当たらず(同上)
中興の 源翁出湯 発見し 今も源泉 寺に湧出(同上)
本堂は 寄棟造り 平入りで 江戸末期築 間口八間(同上)
平然と 古風な形で 生きる僧 不易流行 消えぬ禅堂(同上)
宝形の 観音堂は すがる破風 江戸後期築 方三間で(同上)
玄関に 本堂庫裡と 棟続き 入母屋の庫裡 Lの字形に(同上)
ハンマーの 玄能の名は 源翁で 開山堂に その故事を聞く(同上)
衆寮は 江戸後期築 入母屋で 雲水寄らず 檀家も離れ(同上)
林泉寺 室町末期 創建で 減封により 米沢移転(林泉寺/寺院・神社192) 65歳
本堂は 寄棟平入り シンブルに 江戸元文期 再建されて(同上)
米沢の 三名園と 称される 池泉回遊 庭園があり(同上)
飛ぶ鳥を 落とすが如く 上杉家 天下分け目で スズメに阻まれ(同上)
舎利型と 万年堂型 石塔は 四角い穴が 多数開けられ(同上)
上杉家 一族家臣 墓所分かつ 身分制度は 草場に続く(同上)
信玄の 子の信清 五輪塔 上杉武田 絆を目にす(同上)
媛姫は 保科正之 娘とか 十九歳で 米沢に死す(同上)
山形の 熊野大社 創建は 平安初期に 勅命による(熊野大社)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 江戸後期築 屋根は茅葺き(同上)
祭神は 熊野権現 廃されて イザナギイザナミ 夫婦の神に(同上)
神輿庫は 土蔵造りの 切妻で 神輿の写真 掲示したらと(同上)
三宮 スサノオ祀る 三間社 江戸前期築 板塀廻し(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 江戸前期築 彫刻見事(同上)
斗栱ほか 四方向の 彫刻は 遊び心と 伝統の技(同上)
異色かな 和光神社は 宝形で その祭神は 虚空蔵菩薩(同上)
幣殿は 拝殿裏に 独立す 昭和末期の 入母屋造り(同上)
この大社 紀州熊野と 碓氷峠 日本三大 熊野とされて(同上)
門前に 百花園なる 看板が 聞けば表具屋 屋号と言いし(同上)
参道に 宝積坊の 小寺あり 長谷観音 円仁祀り(宝積坊)
現在は 真言宗の 醍醐派で 本堂飛び地 坊には庫裡が(同上)
宝物庫 近年築の 切妻で 馬頭観音 神輿を安置(同上)
八乙女の 森子大物 忌神社 奈良時代初期 創建されて(森子大物忌神社)
この神社 滝沢修験 拠点地で 鳥海山の 北登拝口(同上)
拝殿は 千鳥唐破風 入母屋で 江戸後期築 濡れ縁備え(同上)
祭神の オオモノイミの 同神は ウカノミタマや トヨウケビメで(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 大正期築 外壁寂れ(同上)
冷泉に 亀福院の 湯の名あり 薬師如来の 本地が浮かぶ(同上)
龍泉寺 戦国時代 創建で 曹洞宗の ふるさとの寺(龍泉寺)
住職に 習字を学び スキーした 思い出浮かぶ 石幢拝し(同上)
長安寺 平安後期 創建で 室町前期 浄土真宗に(長安寺/寺院・神社193) 66歳
山門は 入母屋造り 楼門で 藩命により 未完のままに(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 明治期築で 間口九間(同上)
松島に 来たならいつも 欠かせない 富山観音 展望詣で(大迎寺)
龍宝寺 鎌倉初期の 創建で 伊達政宗が 仙台に移築(龍宝寺)
龍宝寺 真言宗の 御室派で 盛時は末寺 七十ヶ寺と(同上)
本殿は 向唐破風 入母屋で 昭和末期に 新築されて(同上)
本尊は 鎌倉期作 釈迦如来 木造立像 国重文で(同上)
多宝塔 昭和末期の 建立で 八百年の 創建記念(同上)
客殿は 旧市役所の 建物で 向唐破風 寄棟造り(同上)
江戸時代 八幡宮の 別当で 藩主伊達家の 祈願寺であり(同上)
大徳寺 平安末期 創建で 室町末期 曹洞宗に(横山不動尊)
山門は 入母屋唐破風 楼門で 江戸後期築 下層に仁王(同上)
本堂は 塔形造り 二重破風 気仙大工が 昭和初期築(同上)
本尊の 不動明王 重文で 平安期作 丈六坐像(同上)
曖昧な 日本三大 不動とも 横山不動 知名度低く(同上)
鐘楼は 腰高くて 不均衡 気仙大工の 技と思えず(同上)
海向寺 空海大師 伝開基 真言宗の 智山派末寺(海向寺)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 千鳥破風下 向唐破風(同上)
酒田には 上と下とに 日枝神社 室町末期 創建されし(日枝神社)
独特の 山王鳥居 過ぎ行くと 随神門の 楼門高く(同上)
楼門は 入母屋造り 壮大で 明治後期に 本間氏寄進(同上)
拝殿は 江戸天明期 建立で 海向寺が 手本にしたか(同上)
酒田には 豪商多く 本間様 殿様よりも 偉いと言われ(同上)
城跡に 本荘神社 招魂社 新雪踏んで 参拝するや(由利招魂社)
入母屋の 由利招魂社 創建は 明治後期で 英霊祀り(同上)
六郷氏 本荘神社 創建す 江戸元和期に 諏訪さま祀り(本荘神社)
現社殿 権現造り 白壁で 明治中期に 再建されし(同上)
山門に 不許葷酒なる 石碑建て 酒池肉林の 追善供養(禅林寺)
禅林寺 平安前期 開創で 南北朝期 曹洞宗に(同上)
本堂は 入母屋造り 唐破風で 江戸明和期の 再建と聞く(同上)
仁賀保氏は 一万石の 外様でも にかほ市となり 名前を残す(同上)
院内の 七高神社 創建は 奈良天平期 鳥海神とし(七高神社)
拝殿は 入母屋造り 千鳥破風 築年古く 管理良くされ(同上/寺院・神社194) 66歳
金浦山 神社創建 江戸後期 アマテラス他 女神を祀り(金浦山神社)
拝殿は 大正期築 入母屋で 壁は赤色 縁束は青く(同上)
境内は 掛魚まつりの 最中で 鱈の肝汁 食べてもみたき(同上)
鶴岡の 天満宮の 創建は 定かならずも 室町後期(鶴岡天満宮)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 江戸宝永期 再建されて(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 緑青重なる 塀をめぐらし(同上)
祭礼は 笠手拭いで 顔隠し 酒を振る舞う 化けものまつり(同上)
大督寺 安土期開基 浄土宗 江戸前期から 酒井家菩提寺(大督寺)
本堂は 向切妻 入母屋で 明治末築 近年改装(同上)
学校の 給食発祥 この寺と 明治中期の 出来事記す(同上)
切妻の 大きな建屋 会館か 廃校したる 校舎の如し(同上)
隣接す 庄内藩は 酒井家の 墓所の墓石は 四十五基と(同上)
般若寺 平安後期 創建で 再興されて 曹洞宗に(般若寺)
本堂は 近年築の 入母屋で 歴史小説 舞台ともなり(同上)
陽山寺 鎌倉中期 開創で 安土期からは 曹洞宗に(陽山寺)
山門は 江戸宝暦期 楼門で 彩色されて 桜門とも(同上)
本堂は 十一間の 寄棟で 江戸文化期に 再建されて(同上)
庭園は 桃山時代 作庭の 築山池泉 回遊式で(同上)
平沢の 八幡神社 創建は 不明なれども 延暦期はあり(平沢八幡神社)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 明治期築の 三間ほどで(同上)
境内は 見晴らしの良き 高台で 平沢漁港 街を一望(同上)
家並は 黒い瓦が 殆どで 一軒だけが 赤くへそを曲げ(同上)
矢島には 曹洞宗の 龍源寺 江戸寛永期 打越氏開基(龍源寺)
生駒氏が 矢島藩へと 移封され 龍源寺は その菩提寺に(同上)
本堂は 明治期築 茅葺きで 寄棟の屋根 雪に覆われ(同上)
秋田県 護国神社 創建は 戊辰戦死者 藩主が祀り(秋田県護国神社)
現社殿 過激派による 放火にて 平成四年 再建されし(同上)
拝殿は 入母屋造り 十二間 殉死者の他 イザナギ拝す(同上)
英霊を 弔う言葉 見当たらず 今日の平和の 礎思う(同上/寺院・神社195) 66歳
寺内の 古四王神社 創建は 白鳳時代 オオヒコ祀り(古四王神社)
秋田県 古四王神社 七社あり ここの神社が 最大規模で(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 明治中期の 再建とされ(同上)
拝殿の 裏に幣殿 本殿と 一般的な 権現タイプ(同上)
坂上 田村麻呂とも 所縁あり その祭殿が 境内に建つ(同上)
昨日まで 届かぬ夢を 神頼み 今日は諦め 石段下る(同上)
六郷の 秋田諏訪宮 創建は 平安初期に 伝田村麻呂(秋田諏訪宮)
拝殿は 大正期築 入母屋で 今日はカマクラ 明かり灯され(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 江戸中期築 真澄も拝す(同上)
本覚寺 再興されて 浄土宗 戦国時代 城主によりて(本覚寺)
楼門は 袖塀付きの 入母屋で 近年改装 赤塗りされて(同上)
本堂は 昭和後期の 再建で 入母屋妻入り 向唐破風(同上)
江戸初期に 藩命により 移転して 江戸後期には 画僧が住持(同上)
本覚寺 思い出すのは 紀行文 菅江真澄に イザベラ・バード(同上)
四度目は 冬の季節の 訪問で 金峰神社 名曽の白滝(金峰神社)
祭神の 鳥海蔵王 権現は スクナビコナと 八柱とに(同上)
国分寺 比定の域を 過ぎなきや 出羽国分寺 酒田にありと(出羽国分寺)
現在は 山形にある 薬師堂 出羽国分寺 受け継がれたと(同上)
薬師堂 入母屋造り 平入りで 明治末期に 他寺より移築(同上)
現在は 出羽国分寺 薬師堂 天台宗の 柏山寺下に(同上)
里之宮 湯殿山神社 創建は 明治前期に 山形市街に(里之宮湯殿山神社)
現社殿 昭和後期に 移転して 権現造り また新しく(同上)
主祭神 オオヤマヅミと 二柱 大日如来 完全排除(同上)
神々は 明治以降に 名を変えて 変らぬ神は ほんの一部で(同上)
入母屋の 随神門は 楼門で 江戸後期築 組物多し(鳥海月山両所宮)
山形に 鳥海月山 両所宮 平安後期 創建されて(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 本殿共に 江戸後期築(同上)
祭神は ウカノミタマが 鳥海で ツキヨミ月山 いずれも女神(同上)
本殿は 春日造りの 隅木入り 鳥海月山 それぞれ一基(同上)
若松寺 行基菩薩 開創で 円仁大師 天台宗に(若松寺)
縁結び 祈願の寺と 名に高し 西の出雲と 東の若松(同上)
本坊は 寄棟入母屋 曲り屋で 築年不詳 明治期頃か(同上)
入母屋の 観音堂は 重文で 室町後期 再建とされ(同上)
懸仏 鎌倉期作 重文で 聖観音を 再び拝む(同上)
宝形に 元三大師 祀られて 天台宗の 寺には多し(同上/寺院・神社196) 66歳
参道で 見晴台の 看板が 自然と体 雪道を踏む(同上)
大崎の 八幡宮の 造営は 伊達政宗が 城下鎮護に(大崎八幡宮)
長床は 修験道的 拝殿で 江戸前期築 国の重文(同上)
拝殿と 石の間本殿 国宝で 江戸初期築の 権現造り(同上)
回廊が 復元された 国分寺 その柱から 仁王門撮る(同上)
鶴岡の 荘内神社 創建は 明治前期に 藩祖ら祀り(荘内神社)
拝殿は 入母屋造れ 妻入りで 桁は三間 桟瓦葺き(同上)
本殿は流れ造りの 三間社 銅板葺きで 塀をめぐらし(同上)
切妻の 宝物殿は 白壁で 平成中期 新築されて(同上)
酒田には 光丘の 神社建つ 大正時代 創建されて(光丘神社)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 左右切妻 翼廊付けて(同上)
祭神の 本間家三代 光丘は 江戸後期頃 社会貢献(同上)
持地院は 室町前期 創建で 曹洞宗の 酒田大仏(持地院)
本堂は 寄棟造り 平入りで 明治後期の 桟瓦葺き(同上)
南部氏が 江戸寛延期 創建す 初代ら祀る 社殿を城に(桜山神社)
現社殿 明治後期に 遷座して 盛岡城の 歴史を紡ぐ(同上)
祭神は 始祖光行を 筆頭に 藩祖信直 利直利敬(同上)
予期もせぬ 夕顔観音 参拝す 松川浦の 鵜ノ尾岬に(夕顔観音堂)
創建は 江戸正徳期 奥ノ院 相馬藩主が 観音祀り(同上)
波立寺は 徳一上人 創建で 平安初期に 薬師を安置(波立寺)
山門は 近年築の 仁王門 金剛力士 迫力不足(同上)
薬師堂 宝形造り すがる破風 新築されて 朱色鮮やか(同上)
波立寺は 中興されて 現在は 臨済宗の 妙心寺派に(同上)
本堂は 寄棟造り 仮足場 津波損傷 修復中で(同上)
三春には 田村大元 神社あり 平安初期に 創建されて(田村大元神社)
表門 入母屋造り 仁王門 江戸慶応期 建造されし(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 本殿共に 明治後期築(同上)
祭神は 大元帥明王 廃されて 創造神の クニノトコタチ(同上)
昭和初期 御神楽殿を 寄進する 宮司の子息 故郷に錦(同上/寺院・神社197) 66歳
天澤寺 室町中期 創建の 曹洞宗は 三春の寺で(天澤寺)
伝説の 安寿と厨子王 物語 身代わり地蔵 この寺とされ(同上)
地蔵堂 入母屋造り 二重屋根 向唐破風 江戸後期築(同上)
本堂も 江戸後期築 寄棟で 龍の彫物 飛び出す如く(同上)
鹿狼山 鹿狼神社 創建は 平安前期 山神祀り(鹿狼神社)
山頂に 流れ造りの 一間社 平成四年 造営されて(同上)
祭神は オオヤマツミと 表記され 手長明神 足尾神社か(同上)
城跡の 小高神社の 創建は 鎌倉末期 妙見祀り(相馬小高神社)
小高城 移築に際し 妙見社 相馬重胤 守護神とする(同上)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 明治後期の 再建と観る(同上)
廃仏後 妙見寺に 追いやられ アメノミナカヌシ 新たな主に(同上)
茨城の 加波山神社 創建は 古墳時代に 山を神格化(加波山神社)
登拝道 二棟拝殿 並べ建つ 加波山神社 三枝祇神社(同上)
山頂に 近付くほどに 社殿建つ 親宮本宮 複雑怪奇(同上)
桜川 真壁里宮 中宮で 明治期までは 文殊院下に(同上)
拝殿は 向唐破風 切妻の 近年築で 絢爛豪華(同上)
末社には 普明神社の 社殿建つ 明治の仙人 普明を祀り(同上)
親宮は 旧円鏡寺 本宮は 旧正幢院 別当とされ(同上)
もう一社 加波山神社 桜川 紛らわしくて 三枝祇の名で(同上)
拝殿は 入母屋造り 千鳥破風 明治期築か 権現式で(同上)
石岡に 大塚里宮 あるとかや 三社詣では 次回に伸ばす(同上)
徳一が 西光院を 創建す 二宗派を経て 天台宗に(西光院)
本堂は 寄棟広き 懸け造り 江戸後期築 回廊備え(同上)
関東の 清水寺と 称されて その景観は 茨城百景(同上)
僧寺尼寺 常陸国分寺 旧跡は 三ヶ所だけの 特別史跡(常陸国分寺)
山門は 向唐門 茅葺きで 江戸中期築 千手院跡(同上)
薬師堂 入母屋造り 二重破風 明治末期に 再建されて(同上)
継承寺 真言宗の 智山派で 近年築の 大師堂建つ(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 明治末期に 移築されしと(同上/寺院・神社198) 66歳
本堂の 向かいの空き地 講堂と 金堂跡の 標柱立ちて(同上)
扇歌堂 都々逸坊を 祭祀する 六角堂は 昭和前期築(同上)
大雄寺 亘理伊達家の 菩提寺で 江戸慶長期 開創と言う(大雄寺)
山門は 入母屋造り 楼門で 江戸後期築 下層に仁王(同上)
本堂 入母屋造り 二重破風 明治後期に 改築されし(同上)
霊屋は 宝形造り 門付きで 初代成実 猛将祀る(同上)
二岐に 御鍋神社の 小社建つ 将門の妻 逃れし場所に(御鍋神社)
福良山 隠津島神社 創建は 平安時代 宗像祀り(湖南隠津島神社)
中通り 隠津島神社 三社あり 海の神様 何故かと思う(同上)
現社殿 明治中期の 改築で 入母屋造り 慎ましやかに(同上)
小平潟 天満宮の 創建は 平安中期 猪苗代湖に(小平潟天満宮)
現社殿 江戸天和期に 移築され 銅板葺きの 権現造り(同上)
大袈裟な 会津の人の 呼称なり 日本三大 天満宮は(同上)
猪苗代 兼載生地 小平潟 連歌師として 京で名を成す(同上)
小野の里 夏井諏訪神社 奈良時代 藤原継縄 創建せしと(夏井諏訪神社)
参道に 翁杉媼杉 夫婦杉 千二百年 共に連れ添い(同上)
拝殿は 向唐破風 入母屋で 築年不詳 桁行六間(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 江戸前期築 彩色されて(同上)
光明寺 真言宗の 智山派で 平安中期 諏訪社に開基(光明寺)
ああ飯野 八幡宮に 驚愕す 重文社殿 七棟も建ち(飯野八幡宮)
創建は 平安後期 頼義が 八幡神を 磐城に勧請(同上)
楼門は 江戸前期築 入母屋で 木部は朱塗り 随身安置(同上)
宝蔵は 白壁土蔵 寄棟で なまこ腰壁 江戸前期築(同上)
拝殿は 向唐破風 切妻で 江戸中期築 幣殿共に(同上)
本殿は 入母屋造り 三間社 江戸前期築 朱塗りに彫刻(同上)
神楽殿 入母屋造り 簡素なり 四方開放 江戸前期築(同上)
会館は 切妻造り シンプルで 社務所含めて 白で統一(同上)
閼伽井嶽 薬師と称す 常福寺 平安初期に 源観開基(常福寺)
本坊は 切妻破風の 入母屋で 昭和中期に 建立されて(同上)
常福寺 真言宗の 智山派で 七堂伽藍 山頂附近に(同上/寺院・神社199) 66歳
本堂は 入母屋造り すがる破風 昭和前期築 本尊薬師(同上)
鐘楼も 昭和後期 再建で 開山以来 山火事多く(同上)
多宝塔 平成前期 建立で 石山寺を 模したスタイル(同上)
奥ノ院 宝形造り 白壁の 土蔵の中に 何を安置か(同上)
目を三春 大神宮の 創建は 江戸元禄期 藩主秋田氏が(三春大神宮)
二階建て 社務所の建屋 懐かしき 昭和時代の 楼閣風で(同上)
三春には 五十年来の 友ありて この石段で 友遊びしか(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 昭和前期の 再建らしく(同上)
福聚寺は 吉野時代 開山の 臨済宗の 妙心寺派で(福聚寺)
本堂は 寄棟造り 平入りで 間口八間 江戸後期築(同上)
石造の ソーラーパネル 建物は 涬溟宮の 納骨堂で(同上)
福聚寺は 戦国大名 田村氏の 菩提寺であり 三代の墓所(同上)
文殊堂 書院造りの 新築で 円窓床が 風流に見え(同上)
常光寺 室町後期 創建で 曹洞宗の 福島の寺(常光寺)
山門は 入母屋造り 楼門で 近年修復 仁王は古く(同上)
江戸中期 福島藩主 板倉家 菩提寺となり 中興される(同上)
本堂は 近年築の 入母屋で 唐と千鳥の 向拝の屋根(同上)
堂宇名 不明ながも 入母屋に 裳階を付けた 大きな堂も(同上)
飯舘の 山津見神社 創建は 平安後期 虎捕山に(山津見神社)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 数年前に 再建されて(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 火伏の神を 今度は祀れ(同上)
平安期 墨虎と言う 凶賊が 白狼に化け 村荒したと(同上)
山頂の 大岩側に 御本殿 オオヤマツミを 再び拝す(同上)
水沢の 日高神社の 創建は 平安初期に 勅命による(日高神社)
神楽殿 昭和中期の 建立で 入母屋造り 三面障子戸(同上)
境内に 水沢城主 二代目の 留守宗直の 墓もありけり(同上)
神門は 切妻造り 薬医門 昭和戦後に 再建されて(同上)
境内社 瑞山神社 祖霊社で 歴代留守氏 当主を祀る(同上/寺院・神社200) 66歳
本殿は 流れ造りの 三間社 江戸前期築 国の重文(同上)
拝殿は 入母屋造り シンプルで 昭和中期築 幣殿共に(同上)
境内に 倉庫のような 記念館 消防資料 収蔵せしと(同上)
神社より 筏の大杉 有名で 創建当時 伝え残すか(比叡山神社)
社殿には 仙人権現 祀られて 繁栄偲ぶ 黄金の道(同上)
大安寺 江戸慶長期 創建の 臨済宗は 妙心寺派で(大安寺)
入母屋と 宝形の屋根 赤い色 堂宇と社殿 正体不明(同上)
本堂は 向唐破風 入母屋の 間口十間 近年築で(同上)
鐘楼に 手すりの付いた 階段が 新たに架かり バリアフリーかと(同上)
石造の 冠木門建つ 大安寺 創建以来 留守家菩提寺(同上)
多聞寺は 平安初期の 開基とか 真言宗の 智山派末寺(多聞寺)
境内は 毘沙門堂と 筆塚が 侘しいばかり 建っているだけ(同上)
光明寺 室町前期 創建で 江戸前期から 現地に遷座(光明寺)
光明寺 曹洞宗の 大寺院 七堂伽藍 建立途中(同上)
本堂は 向唐破風 入母屋で 昭和後期築 幅十二間(同上)
短期間 建立された 大伽藍 何処から資金 捻出せしか(同上)
駒形根 神社は数社 存在す 栗駒山の 里宮として(駒形根神社)
オオヒルメ 栗駒山の 主祭神 平安初期に 創建されて(同上)
法輪寺 江戸文久期 創建の 曹洞宗の 泊村の寺(法輪寺)
本堂は 向唐破風 宝形で 大正期築 屋根みな赤く(同上)
浄土宗 有珠善光寺 開創は 平安初期に 伝円仁と(有珠善光寺)
鐘楼は 昭和初期築 入母屋で 蝦夷三官寺の 風格保つ(同上)
本堂は 寄棟造り 茅葺きで 江戸後期築 白壁優美(同上)
阿弥陀様 昔ながらの 堂にあり 日差しは浅く 眼差し深く(同上)
客殿も 寄棟造り 茅葺きで 平入り側に 軒を重ねる(同上)
景観に 念仏堂は 調和せず 昭和末期に 建立されて(同上)
阿弥陀堂 近年築の 二階建て 六角形の 納骨堂で(同上)