短句と長句の発想と写句について

短句と長句の発想と写句について

 日本の短詩形文学の特徴は、種類が多く煩雑となっていることである。『万葉集』を起源とする「和歌」は、現在は「短歌」と称されるが、その歌風によって様々に分類される。名僧などによって詠まれた歌は「道歌」と称され、武将などが死に直面して詠んだ歌は「辞世の句」、または「辞世歌」と称される。世の中を批判した落書きの歌を「落首」、社会風刺した滑稽な歌は「狂歌」と呼ばれる。いずれにしても基本は、五・七・五・七・七の句の集合体となる。この煩雑さを解消するため、短歌の形式を「長句」として括りたい。

 次ぎは「俳句」や「川柳」である。この基本は、五・七・五の句であるが、十七文字に拘らない「自由律俳句」もある。種田山頭火(1882-1940)に代表されるが、俳句と称するのは疑問が残る。俳句はそもそも、連歌から派生した「俳諧の発句」で、正岡子規(1867-1902)が命名したとされる。俳句は季語を重要視しているのが特徴で、温暖化が進み季語に拘らないスタンスがあってもいいと思う。川柳は、江戸時代中期に(から)()川柳(1718-1790)によって広められ、社会風刺や生活感のある句となる。川柳も連歌から派生しているが、前付け句が独立したものである。この俳句や川柳を総括して「短句」と名付けたい。

 短句と長句は、私にとって心の排泄物のようなもので、短句は小、長句は大となる。私の人生の糧は旅で、旅先で詠んだ句が殆どである。特に建造物や庭園を眺めるのが好きで、国宝や重要文化財の建物を重視している。庭園に関しては、国の名勝指定の庭園に魅力を感じる。若い頃には、庭園の設計に携わったこともあり、美しい景観から目が離せない。

 旅の中でも登山とスキー、そして温泉めぐりは肉体的な楽しみである。移動手段としては、自動車が専らであるが、折畳式自転車は車に欠かせない。旅のイベントとして有意義だったのが、松尾芭蕉(1644-1694)の『おくのほそ道』を自転車で1ヶ月間にわたり踏破したことである。次の自転車旅行は、「旧東海道」と「旧中山道」で京都を起点に縦走した。最後の自転車旅行は、「四国八十八ヶ所霊場」の巡礼したことである。

 名数の旅に関しては、深田久弥(1903-1971)氏の『日本百名山』を登頂し、五木寛之(1932-)氏の『百寺巡礼』を参拝した。他にも「日本100名城」、「西国三十三ヶ所」、「坂東三十三観音」、「諸国一宮六十八社」、「浄土真宗十派」、「大和十三佛霊場」、「臨済宗十四大本山」、「真言宗十八本山」など神社仏閣が圧倒的に多い。名数ではないけれど、街並み保存のため国が選定された「重要伝統的建造物保存地区」、略して「重伝建」には魅力を感じる。

 日本の世界遺産の見物に関しては、小笠原諸島が唯一残されている。中には世界文化遺産に相応しいと思わない登録もあり、ベストとは思っていない。仕事でメキシコに滞在したこともあって、メキシコの世界遺産では都市が七地区、遺跡は三ヶ所を訪ねている。

 デジタルカメラが普及して、五十代から随分と写真撮影をした。プリントアウトした写真が四万枚ほどあり、ポケットアルバムにファイルしている。そのアルバムの備考欄に「短句」と「長句」を詠み記して来た。その句を私は「写句」と呼び、私のライフワークとなっている。現在も無我夢中で、写真を眺めて写句を詠んでいる。その写句をワードで編集したものを随時、このホームページで発表したいと思い前書きとします。

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