写句集12

長句(短歌・狂歌)旅行編その4

直江津を 佐渡に向かい 船出する 五月連休 過ぎし季節に(直江津/佐渡旅行1) 55

小木までは 三時間近くの 船旅で 海を眺めつ 退屈もせず(船上)

木の文化 千石船に 満載し 復元されたり 小木の湊に(小木)

新潟で 重伝建は 一つのみ 板張り家屋の 佐渡の宿(しゅく)()()(宿根木)

船大工 家も余材で 建てたとか 調和のとれた 家並美し(同上)

宿根木や 三角屋根の 二階建て 約百棟が 並び建つなり(同上)

宿根木は 車は入れぬ 狭い路地 百年経れば 不便も常識(同上)

淋しさは つなぎ石には 船がなく 北前船の 寄港偲ばる(宿根木海岸)

海岸は 隆起波蝕の 宿根木に 佐渡ジオパーク 片鱗を見ん(同上)

一生に 一度はおいで 佐渡島 沖縄ばかり 目を向けないで(矢島・経島)

(れん)()()() 空海大師 開山と 天野・室生と 三大聖地(蓮華峰寺)

金堂は 室町時代の 再建で 入母屋造り 国の重文(同上)

鎮守社は 寺を離れて 村社へと 天台宗の 名残の社名(小比叡神社)

組物の 彫刻見事な 八角堂 極彩色は 佐渡の繁栄(蓮華峰寺)

真言の 八祖を祀る 八祖堂 入母屋造り 昔茅葺き(同上)

経蔵は 土蔵造りの 平屋建て 江戸中期の 建築と聞く(同上)

骨堂は 茅葺き屋根の 小堂で 新潟最古の 国の重文(同上)

高台に 宝形造り 弘法堂 一般的には 大師堂と呼ぶ(同上)

佐渡配流 順徳院の 火葬塚 鎌倉初期の 政変哀れ(真野御陵)

崩御して 遺骨となり 帰京せし 正規の陵墓 大原の里(同上)

配流され 真輪寺に 仮寓せし (あん)在所(ざいしょ)にも 記念碑が立つ(同上)

真輪寺 真野宮に 名を変えて 真野御陵の 拝殿となる(同上)

天平の ()(どが)(しま)にも 国分寺 佐渡最古の 寺でもありき(佐渡国分寺跡)

国分寺 国の史跡に 指定され 保存されては 草地のままで(同上/佐渡旅行2) 55

江戸前期 真言僧の 賢教が 佐渡国分寺 中興したり(同上)

瑠璃堂に 昔安置の 薬師像 平安初期の 国の重文(同上)

本堂に 飾り幕もなく 醍醐派の 末寺と思えぬ 佐渡国分寺(同上)

重厚な 入母屋造り 茅の庫裡 感服したり 佐渡国分寺(同上)

妙宣寺 配流となりし 日蓮に 帰依した(にっ)(とく) 自邸に開基(妙宣寺)

江戸後期 五重塔は 建てられし 日光模しても 国の重文(同上)

徳川の 天領となり 聳え建つ 塔建築は 五百年ぶり(同上)

都から 順徳院に 仕えたる 日得上人 北面(ほくめん)武士(のぶし)(同上)

城跡に 妙宣寺は 移築され 日蓮宗の 本山ともなり(同上)

日蓮の 三昧堂に 桃山期 根本寺は 開基されしと(根本寺)

二天門 七福神を 安置とか 江戸中期の 建立と聞く(同上)

本堂は 妙宣寺に うり二つ 明治に屋根を 瓦に替えしと(同上)

流刑の 佐渡にあっても 元帝(もとみかど) 御所を構えて 二十余年を(黒木御所跡)

御所の跡 復元すればと 思うけど 柵をめぐらし 立入り禁止(同上)

七浦(ななうら)は 変化に富みし 海岸で 芝の台地に (みぎわ)に岩礁(七浦海岸)

七浦の 相川温泉 宿として 佐渡の初日は 大満足よ(同上)

草叢に 選鉱場(せんこうじょう) 閉ざされし 佐渡鉱山の 跡地は哀れ(佐渡金鉱山跡)

跡地には レンガ造りの 発電所 百年経ては 立派な遺産(同上)

江戸初期の 手掘り坑道 公開す 宗太夫坑(そうだゆうこう) 三百メートル(同上)

鉱夫らは 無宿人や 罪人で 江戸より遠く 連行されしと(同上)

江戸の初期 道遊の割戸 露天掘り 四百年の 時ぞ偲ばん(同上)

奉行所が 復元されて 八年目 相川地区の 名所となりぬ(佐渡奉行所跡)

天領の 奉行所建屋 類似して 飛騨高山を 思い出すかな(同上)

奉行所に 金山らしき ()(せり)()が 復元されて あるも珍し(同上)

明治には 幕府に変り 御料局 保存されては 博物館に(相川郷土博物館)

西岸の 尖閣湾は 景勝地 断崖絶壁 奇岩奇勝が(尖閣湾)

達者から 遊覧船で 見る景色 最も貴重な 三十分かな(同上)

北欧の フィヨルドに 匹敵(ひってき)す 景観と言う 尖閣湾は(同上)

海鳥を 探してみても 見つからず 鳴かず飛ばずの 崖を見るなり(同上)

小湾が 尖閣湾に 点在し 揚島遊園 その一つなり(揚島遊園)

北欧の ハルダンゲルと 言われても 見たこともなく 比較はできず(同上)

髙さでは 海府大橋 県下一 大ザレ川に 架かるアーチ橋(海府大橋/佐渡旅行3) 55

橋の下 落差七十 メートルの 滝ありとても 上から見えず(同上)

二ツ(がめ) 二匹の亀の 姿とか 沖の島と 磯の島とも(二ツ亀)

透明度 佐渡一とされ 二ツ亀 環境庁の 快水浴場(同上)

波側に 草が生えない 景観に 日本海の 冬が知られる(同上)

金北山 島内一の 標高で 山頂までは 道路が続く(金北山)

明治初期 創業と聞く 伊藤屋は 木造二階の 泊まりたき宿(旅館伊藤屋)

眼下には 加茂湖に接し 両津湾 小佐渡の先に 姫崎見る(白雲台)

大慶寺 真言宗の 寺なれど 前衛的な 催し多く(大慶寺)

佐渡の寺 茅葺き堂宇 多くあり 珍らしき 長屋門かな(同上)

夕暮れの 金北山を 眺めつつ 二泊目の宿 加茂湖温泉(加茂湖)

快晴の 金北山を 眺めつつ 三日目の旅 加茂湖から発つ(同上)

両津湾 住吉祀る 津神島 赤い橋にも 江戸の面影(東海岸)

饅頭が 海に見えたり 片野尾で 一枚岩の 風島弁天(同上)

鴻ノ瀬の 灯台側の 舟寄場 日蓮・世阿弥の 上陸地とか(同上)

赤泊 葵の紋の 帆掛け船 佐渡往来の 御座(ござ)(ぶね)なりと(同上)

佐渡(さど)(のくに) (わた)()神社が 一宮 五十猛(いたけるの)(みこと) 主祭神とか(度津神社)

一宮 平安中期の 諸国にて 選定されし 由緒神社と(同上)

拝殿の 飾り幕には 菊の紋 皇室ゆかりの 神様ゆえに(同上)

比較的 社殿の建物 新しく 昭和十二年 再建と言う(同上)

船小屋に 佐渡海峡を 往来の 最後の和船 (さいわい)(まる)が(海運資料館)

珍しき 枕状(まくらじょう)した 溶岩が 沢崎鼻の (まん)畳敷(じょうじき)に(沢崎鼻)

三角家 塩の看板 シンプルで 舟形の家の 巧みな造り(宿根木)

石置きの 屋根は貴重な 原景で 数多残りし 宿(しゅく)()()湊(同上)

板張りに 切妻屋根で 木造の 郵便局は 他に有らず(同上)

伊三郎 千石船の 船頭で 明治の建屋 限定の宿(同上)

高台に 白壁二階の 家一軒 指定以外の 異観や如何に(同上)

宿根木の 小学校舎を 博物館に 大正ロマンの 学び舎も良し(佐渡国民俗博物館)

小木港を 再びフェリーで 折り返す 二泊三日の 佐渡の旅は無理(小木港)

車にて 走行をした 海岸を フェリーで眺め 別れを惜しむ(洋上)

格別の 思いの残る 宿根木は 類まれなる 町並み景色(洋上)

直江津に 帰港をすると 貨物船 佐渡と異なる 港の規模よ(直江津港)

塩の道 千国街道 番所跡 復元されて 保存公開(千国番所/上越・北信州旅行1) 55

屋根裏の 木組み見事な 陣屋かな 松本藩の 口留番所(同上)

史料館 造り酒屋の 主屋とか 入母屋造り 木造二階(千国の庄史料館)

寄棟の 茅葺き二階 古民家に 千国の庄の 未だ健在(千国街道)

茅葺きが トタンの屋根に 葺き変えた 古民家多く 点在するか(同上)

荷運びの 牛方泊まる 宿屋跡 茅の寄棟 昔のままに(牛方宿)

街道に 無くてはならぬ 水飲み場 弘法清水 有難きかな(千国街道)

青鬼の 田んぼの畦は 草刈られ 棚田百選 絵になる景色(青鬼)

青鬼に 垣根や塀の 境なく 共同体の 集落であり(同上)

寄棟の 屋根連なるや 十五棟 青鬼集落 廃屋もなし(同上)

赤と青 道路と鉄道 トラス橋 珍しきかな 白馬の景観(白馬)

大町の 平林家は 塩問屋 土蔵の主屋 博物館に(塩の博物館)

建築は 明治中期の 大火後で 大町初の 土蔵町家と(同上)

三階の 展望室から 望まれる 北アルプスの パノラマ景色(大町山岳博物館)

エベレスト 初登頂の 装備見て 今も手にある 道具も多く(同上)

登山着は シックで洒落た 雰囲気で 明治は遠く 憧れるかな(同上)

期待した 三重塔は 工事中 拝観できない ことも旅なり(若一王子神社)

拝殿の 右には茅の 観音堂 神仏習合 懐かしきかな(同上)

祭神は (にゃく)(いち)(おう)() 那智の神 鎌倉初期の 勧請と言う(同上)

草創は 弥生時代と 称される 天照の神 祀る神明社(仁科神明宮)

仁科氏の 創建となる 本殿は 改築されて 国宝となる(同上)

安曇野は 道祖神(どうそじん)のみ 目に付いて 驚き多し 石仏の里(同上)

シンプルな 白木のまま 本殿は 神明造りの 極地なるかな(同上)

拝殿は 改修中で 若宮社 参拝をする 穂高本宮(穂高神社)

大法寺 開基は古く 奈良時代 平安初期に 天台宗に(大法寺)

国宝の 三重塔 建立は 鎌倉幕府 終焉の年(同上)

安楽寺 鎌倉時代の 再建で 三重塔 この時建立(安楽寺)

外観は 四重塔に 見えるけど 下層は裳階 八角は稀有(同上)

国宝の 八角形の 層塔は 現存唯一 世界の宝(同上)

安楽寺 曹洞宗の 古刹にて 長野県では 最古の禅寺(同上)

初めての 別所温泉 訪ねれば 臨泉楼は 木造三階(別所温泉)

盆休み 中々宿が 取れなくて 和風旅館に やっと投宿(同上)

創建は 平安初期に 円仁が 開基したとか 北向観音(北向観音)

鐘楼は 風格のある 袴腰 木曽義仲の 兵火に消えしも(同上)

不動堂 護摩堂とも 称される 風変りな 二重塔よ(同上/上越・北信州旅行2) 55

温泉は 慈覚大師の 発見で 湯川の側に 飲泉塔建つ(別所温泉)

常楽寺 北向観音 本坊で 茅葺き破風の 向拝は稀有(常楽寺)

石造の 多宝塔は 珍しく 寺唯一の 国の重文(同上)

創建は 鎌倉時代の 熊野社で 別所温泉 産土(うぶしな)(のかみ)(別所神社)

神楽殿 展望台を 兼ねて建つ 切妻造りの 梁逞しく(同上)

創建は 空海大師の 中禅寺 薬師堂は 国の重文(中禅寺)

寄棟の 茅葺き屋根の 薬師堂 長野最古の 木造建築(同上)

信州の 鎌倉とも 称される (しお)()(だいら)は 古刹が多く(同上)

本堂は 昔は茅と 見えるなり 常楽寺似の 向拝もあり(同上)

由緒書き 見ると北条 義政と 幕府の連署(れんしょ) 隠遁の城(塩田城跡)

草創は 空海大師の (ぜん)(ざん)() 三重塔 国の重文(前山寺)

杮葺き 三重塔 美しく 未完の塔と 呼ぶのは不問(同上)

茅の屋根 常楽寺と うり二つ 前山寺が 先に建立(同上)

信州の (いく)(しま)(ある)(しま) 神社とは 地主(じぬし)(のかみ)を 祀る(やしろ)と(生島足島神社)

拝殿は 小島の上に 建つために 神橋を見て 渡り行くかな(同上)

信玄も 夫婦欅を 見たとかや 六文銭の 旗立てあり(同上)

切妻の 歌舞伎舞台は 風変り 農村歌舞伎 廃れ行くのに(同上)

長福寺 生島足島 神社の 神宮寺とか 江戸時代まで(長福寺)

夢殿が 信州にある 驚きは 五稜郭が 佐久にある如く(同上)

見た目では 善光寺を 思わせる 本堂ありき 信濃国分寺(信濃国分寺)

国分寺 塔建築の 再建は 全国五ヶ所 稀有な存在(同上)

室町期 三重塔は 再建し 優美な様は 国の重文(同上)

館跡 神社に変り 存続す 六文銭の 御屋敷公園(真田氏館跡)

(りゅう)(すい)() 鎌倉時代の 創建で 観音堂は 懸崖(けんがい)造り(瀧水寺)

真田氏の 発祥の郷 公園に 武勇の誉 永久記念(真田氏記念公園)

園内に 真田三代の レリーフが (ゆき)(たか)昌幸(まさゆき) そして幸村(ゆきむら)(同上)

憧れの 草津温泉 宿とれず 眺めるだけの 木造四階(草津温泉)

白根山 ミツバオウレンの 群落が あっても知らねえ 人ばかりかな(草津白根山)

なだらかな 山の(かたち)に 安らぎを 険しき(なり)に 世の厳しさを(同上)

究極の 山の景観 続くなり 草津と志賀の 山岳道路(同上)

壁の色 違って見える ホテルでは 群馬と長野 建屋分れて(渋峠)

峠越え 志賀の山並み 見えし時 三十年過ぎ また行かんす(同上)

山肌は 笹とトドマツ 共生し 特異な景色 造り出すかな(志賀高原)

渋峠 振り向き見ると 横手山 ゲレンデ景色 哀れに浮かぶ(同上)

若き日に リフト係りの アルバイト この丸池で 勤めたものだ(同上)

昭和期は 最高級の 宿であり 夜遊びをした 観光ホテル(同上)

湯田中に 安宿とれて 安心し 温泉街を めぐり歩くなり(湯田中温泉)

木造の 三階建ての 旅館には 興味魅かれて 写真に残す(同上)

電鉄の 終着駅が 湯田中で 三十年前と 殆ど同じ(湯田中駅)

電話して 山水館に 断られ 丁字屋旅館 素泊まり予約(湯田中温泉)

湯田中に 共同浴場 九軒で 大湯が一番 入り易き湯(同上)

湯田中は 和風の家屋 軒並べ 歴史の深さ 随所に見えし(同上)

(しょう)(じゅ)(あん) 臨済宗の 草庵で (どう)(きょう)()(たん) 江戸時代開基(正受庵)

白隠の 師である慧端 その禅は 清貧にして 栄達を得ず(同上)

本堂は 茅葺き屋根の 民家風 質実剛健 伝わる寺観(同上)

鐘楼は 宝形造り 袴腰 珍しき様 個性たっぷりに(同上)

飯山や 三万石の 城下町 往時を偲ぶ 面影消えし(飯山)

日本の 博物館を 見物し 好きなスキーと 出会う喜び(日本スキー博物館)

ビンディング これほどあったと 思うほど 保存されてる 博物館に(同上)

生活の 知恵でもありし スキー板 遠きモンゴル 思い見るかな(同上)

楼閣の 共同浴場 立派なり 野沢温泉 大湯に絶句(野沢温泉)

清津峡 日本三大 峡谷に 選ばし価値 確かめんとす(清津峡)

渓谷が 峡谷へと 変化して その岩質は (せん)(りょく)ひん岩(同上)

切立った 柱状節理 続くなり (なな)谷層(たにそう)と 呼ばれると聞く(同上)

清津峡 その圧巻は 有料の トンネル抜けた 先の岩壁(同上)

傾いた 柱状節理に 適語なく 斜状節理と 呼んでもみたり(同上)

清冽な 水の流れや 清津峡 五百万年 岩と水とが(同上)

江戸末期 入口側に 温泉が 開湯されて 世に知られたり(同上)

大正期 峡谷奥地 探査され 昭和初年に 国の名勝に(同上)

青森の 市街地奥に 残雪の 八甲田山 悠然とあり(青森港/北海道花見の旅1) 56

懐かしき 船尾のデッキ 眺めると ゲートの扉 口の如くに(フェリー)

今直ぐに 船で働く 技術あり 船乗り辞めて 永くなるのに(同上)

僚船と 津軽海峡を 交差する 互いに汽笛 鳴らしながらも(同上)

函館は 青函船が 有し頃 二度の往来 懐かしきかな(函館港)

煙突の マークで分かる 船会社 三千トンの セメント船か(同上)

ばら積みの 船の先に 函館の 港と山が 見えて来るなり(同上)

堤防の 赤灯台に 波もなく 函館山が 聳え立つかな(同上)

停泊す 喫水線を 眺めると 荷待ち荷卸し 直ぐ分かるかな(同上)

七重浜 大型フェリー 着岸し 函館港の 賑わいを見る(同上)

五稜郭 二代目タワー 三年目 展望室の ブルー煌めく(五稜郭)

星形が レンズに入らず 残念に 思われるほど 城郭広く(同上)

松林 桜並木と 競い合い 函館戦争 樹木が再現(同上)

異次元の 城とも思う 五稜郭 千五百本の 桜見るとは(同上)

奉行所の 復元工事 進むなり 来年の夏 完成するとか(同上)

南西の 函館山が 島のよう 街並の上 浮いて立つかな

タワーには 土方像あり ご挨拶 最後の武士と 称える一人

五稜郭 花見の後は ()(りょう)(かく) 共和国軍 築城せしと(四稜郭)

四稜郭 一望できる 面積は 五稜郭の 十分の一(同上)

ヤマザクラ その奥には ヤエザクラ 少し寂しき まだ六分咲き(同上)

街道に 白神岬 石碑あり 北海道の 最南端と(白神岬)

赤白の 灯台はどうも 好まない 煤煙をはく 煙突に似て(同上)

江戸後期 松前城は 築かれて 松前藩は 七万石格(松前城)

天守閣 戦後間もなく 焼失し 十二年後に 外観復元(同上)

公園は 桜の名所 百選に 北海道で 二ヶ所選ばれし(同上)

またの名を 福山城と 呼ぶけれど 備後(びんご)福山と 混同もする(同上)

明治期に 松前神社 創建し 武田信広 祭神とする(同上)

芭蕉句碑 北海道に 四十基 その最古が 松前城に(同上/北海道花見の旅2) 56

江戸初期に 龍雲院は 創建し 曹洞宗の 花まつり見る(龍雲院)

入母屋の 龍雲院の 本殿は 江戸初期築で 国の重文(同上)

松前の 龍雲院の 驚きは 頭上にサクラ 地面にタンポポ(同上)

創建は 室町時代 (ほう)(どう)() 松前家の 菩提寺でも(法憧寺)

御霊屋は 白い土蔵の 寄棟で 玄関先は (から)破風(はふ)屋根(同上)

歴代の 松前藩主 (じゅう)()(だい) 法憧寺には 一族の墓所(同上)

寺の北 立派な門塀 建ちてあり 松前家墓所 国の史跡でも(同上)

石廟に (しゃく)(だに)石か 使用され 北前船で 運ばれしかな(同上)

光花園 池泉の島に 燈篭が 十三石塔 奥に滝組(光花園)

茶室には 光悦寺垣 手水石 飛び石などが 添景に良い(同上)

松前の 桜見本園 城の中 百十種類 三百本と(桜見本園)

園内に 桜資料館 建ちてあり 桜に関する 絵画も展示(桜資料館)

創建が 室町末期の 光善寺 浄土宗の 知恩院末寺(光善寺)

松前に 北前船で 運ばれた 桜の苗木 多種にも及び(同上)

新しき 松前屋敷 観光地 幕末モデルの テーマパークか(松前屋敷)

屋敷内 十四棟の 建物が 職業ごとに 復元されて(同上)

屋敷外 日本庭園 五千坪 池に滝組 散策路あり(日本庭園)

広過ぎて 植物園に 類似する 景観もある 日本庭園(同上)

山門は 江戸中期の 四脚門 柿葺き屋根 国の重文(法源寺)

法源寺 武田氏渡道に 連座して 上ノ国から 移転をせしと(同上)

天守閣 資料館として 再建し 三階建てで 展望室も(松前城)

ウソにより 花芽食べられ 今春は 花が少なく 精彩に欠くと(松前城)

最近は (からめ)()二ノ門 復元し 盛時の城郭 蘇りゆく(同上)

松前城 百名城に 選ばれし 残り十城 達成間近(同上)

天守閣 櫓の如く 大きさで 弘前城に 類似するかな(同上/北海道花見の旅3) 56

三層の 屋根に破風ない 天守閣 他の城には 見たことはなし(同上)

シンプルな 入母屋造りの 天守閣 競う相手が 蝦夷地にはなく(同上)

江戸末期 本丸御門 建てられて 最後の城郭 国の重文(同上)

切妻の 銅版葺きの 楼門で 袴のような 石垣美し(同上)

本丸の 表御殿の 玄関は 桃山時代の 遺構と言われ(同上)

松前は 明治初年に 土方が 搦手門を 攻めて制圧(同上)

城門も 復元されて 天守閣 木造建て替え するとも聞きし(同上)

阿吽寺は 津軽で創建 蝦夷地には 安東氏が 移転させしと(阿吽寺)

阿吽寺は 真言の寺 (かき)(ざき)() 室町末期 中興すると(同上)

松前の 大神宮が 最古社で 渡島(おしま)(のくに)の 一宮とか(徳山大宮社)

本殿は 神明造り 文化財 不釣り合いなる 拝殿大きく(同上)

境内に ロシア人捕虜 記念碑が ロシアに同じ 記念碑あるか(同上)

幕末に 蝦夷の防御を 考慮して 幕府が奉行所 松前に設置(松前奉行所跡)

蝦夷の主 松前藩が 反旗して 蝦夷共和国 幻の国(同上)

(いち)(じゅう)の 染井吉野が (おっと)にて 八重(やえ)()殿(でん)が 妻と呼ぶとか(同上)

城域は 二万三千 坪もあり 松前城は 国の史跡で(松前城)

欲しいもの 食べたいものは ないけれど 出店に深き 思い出はあり(同上)

夜桜の 人出少なく 屋台にも 数えるほどの 人は淋しく(同上)

名を馳せし 新選組の 隊士なり 永倉新八 跡地は貧素(松前)

玄関の 奥に御殿が 復元し 花見するのは いつのことやら(松前城)

城の窓 弘前城と うり二つ 長方形 縦長の窓(同上)

松前の 血脈桜 原木で 早咲き桜 ()殿(でん)と呼ばれ(光善寺)

庭園は 築山式の 山水で 藩主が賞して 褒美くれたと(同上)

園内に 二百五十種 様々に 八千本の 桜が城に(松前城/北海道花見の旅4) 56

丹波屋の 屋号に見える 出身地 北前船の 人の流れや(松前)

松前の 西の海には 火山島 ()(じま)大島(おおしま) 今は無人島(札前)

()王山(おうざん) 上ノ国(かみのくに)の 町並み 鳥居に広がる 春景色かな(夷王山)

夷王山 山頂に建つ 薬師堂 信広祀り 神社に改名(同上)

勝山は 室町時代の 築城で 国の史跡は 三十万坪(勝山城跡)

ガイダンス 三年前の 開設で 木造建屋に 模型を展示(同上)

古墳には アイヌの人の 墓もあり 共に暮らした 歴史の証拠(同上)

武田から 蛎崎姓に 名を変えて 始祖信広は 館を築く(同上)

絵図見ると 物見櫓の 直ぐ側に 兵士の小屋が 建ち並ぶなり(同上)

切妻の 石置き住宅 江戸後期 建築されて 国の重文(旧笹浪家住宅)

石置きは みすぼらしくも 見えるとも 見方変えると 石の芸術(同上)

米蔵の 土蔵造りは 江戸末期 建築されて 資料館へと(同上)

久々に 菅江真澄の 蝦夷の旅 眺める地図に 記されてあり(同上)

八幡宮 室町末期に 信広が 勝山城の 守護に創建(上ノ国八幡宮)

本殿は 拝殿の中に 安置され 元禄建築 国の重文(同上)

上国寺 室町時代の 創建で 北海道は 最古の寺院(上国寺)

本堂は 修復中で あったけど 桃山建築 国の重文(同上)

安東氏 室町時代に 渡道して 上下二国に 守護を置きしと(花沢館跡)

上之国 蛎崎(すえ)(しげ) 花沢に 館を建てて アイヌと戦い(同上)

館跡 九千坪の 広さとか 国の史跡に 花咲き散りぬ(同上)

信広が 蛎崎の養女 妻にして 洲崎館を 構えたとある(洲崎館跡)

館跡 砂館(すなだて)神社 創建し 江戸期本殿 道文化財(同上)

幕末期 開陽丸は オランダで 建造されし 幕府軍艦(開陽丸)

全長は 七十メートル 排水量 二千五百トン 蒸気帆船(同上)

艦長は 榎本武揚(たけあき) 蝦夷地にて 松前藩と 前哨戦に(同上)

竣工し 一年を経た 開陽丸 江差沖にて 座礁沈没(同上)

竣工時 三十四門 砲門が 開陽丸に 装備されしと(同上)

沈没後 百年を経て 陸揚げし 昭和五十年 海底遺跡に(同上)

開陽丸 平成二年に 復元し 記念館として 公開展示(同上)

沈没後 回収された 装備品 ケースの中に 只放置され(同上/北海道花見の旅5) 56

海底に 一度はあった 砲門も 日の目を見ては 暖かそうに(同上)

幻の 蝦夷共和国 シンボルの 開陽丸も 共に滅びし(同上)

センターは 開陽丸の 管理棟 喫茶もあれば 研修室も(同上)

かもめ島 江差(みなと)の 入江にて 海水浴場 キャンプ場とも(鴎島)

(うば)(がみ)の 大神宮の 創建は 鎌倉初期で 道最古とか(姥神大神宮)

横山家 ニシンの網元 邸宅で 築二百年 道の文化財(横山家住宅)

妻入りの 切妻造り 二階建て 豪華な主屋 江差の繁栄(同上)

法華寺は 日蓮宗で 江戸前期 上ノ国より 江差に移転(法華寺)

本堂の 八方にらみ 龍の画は 池大雅(いけのたいが)の 作とも聞きし(同上)

山門は 奉行所の門 文化財 港の見える 高台に建ち(同上)

大橋家 近江商人 江差にて 財なし建てた 豪商家屋(旧中村家住宅)

大正期 中村家へと 譲渡され 昭和後期に 町へ寄贈と(同上)

二階には 通りに面し ガラス窓 開放的で 見晴らしが良し(同上)

郡役所 明治中期の 建築で 模擬洋館は 資料館へと(江差町郷土資料館)

座礁した 開陽丸を 眺めつつ 土方歳三 嘆きし松と(同上)

ベランダで 旧中村家を 眺め見る 共に江差に 君臨をして(同上)

民謡の 江差追分 影失せて 真澄の歌碑が 鎮座するかな(江差追分会館)

関川家 越後国の 出身で 江戸末期頃 別荘築造(旧関川家別荘)

外観は 一部二階の 切妻で 壁は板張り 屋根は(さん)(がわら)(同上)

敷地側 母屋(おもや)の奥に 倉続き 庇の下は 白い土蔵で(同上)

風変り 上は漆喰 下は板 耐火構造 中途半端で(同上)

豪商の 一般的な 特徴は 外は質素に 内は豪華に(同上)

庭園は 三千坪の 広さにて 池泉回遊 東屋もあり(同上)

遠浅の 滝瀬海岸 眺めると (ゆう)(らっ)()(だけ)の 山塊白く(滝瀬海岸)

シラフラの 断崖地形に くぐり岩 海蝕作用 岩の芸術(同上)

人知れず 乙部の名所 海岸美 滝瀬海岸 砂坂海岸(同上)

元和(げんな)(だい) ここも乙部の 海岸美 断崖砂浜 様々続く(元和台/北海道花見の旅6) 56歳

窓岩の テトラポット 角砂糖 海プール コーヒーカップ(同上)

乙部にも 静御前の 最後の地 桂の古木 その化身かな(乙部)

江戸前期 円空上人 来訪し 滞洞しては 作像せしと(八雲)

哀れかな (はく)(がん)和尚の 冤罪は 松前藩の お家騒動(門昌庵)

熊石の 門昌庵は 曹洞宗 和尚の恨み 恐れて再建(同上)

国道に 奇岩連なる 長磯は 駐車スペース 無きに等しき(長磯海岸)

屹立す 奇岩に名無し 案内も 長磯海岸 未開に警鐘(同上)

長磯の 陸地を見ると 残雪の 白水(しろみず)(だけ)は 青空に映え(同上)

窓岩や 小さな岩の 四角窓 海蝕せずに 残って欲しき(島歌海岸)

白と黒 青空高く ストライプ (ほん)()岬に 六角灯台(本目岬)

寿都(すっつ)には 弁慶像が 建ちてあり 何故ここにと 碑文を読みし(弁慶岬)

竜飛から 津軽海峡 白神に 義経伝説 蝦夷をさすらう(同上)

灯台の 寿都湾には ニセコ山 義経一行 向う山並み(同上)

褐色の 波蝕棚には 紺碧の 海と残雪の 雷電山が(同上)

歌棄(うたすて)に レンガ倉庫 点在し 往時の栄え 偲び見るかな(寿都)

切妻の 桟瓦屋根 レンガ造 空しく眺む 廃墟となるを(同上)

佐藤家は 江戸後期の 開拓者 私財を投じ 道路開くと(高橋家住宅)

寄棟の 総二階建て 塔屋付 明治中期の (りょう)()建築(同上)

高橋家 鰊御殿と 称されて 道文化財 国史跡でも(同上)

橋本家 寄棟塔屋 板張りで 明治後期の 建築と聞く(旅館鰊御殿)

見たところ 鰊御殿の 旅館かな 泊まってみたい 気分に浸かる(同上)

夕食は 一汁六菜 粗食なり 昨夜の宿と 比較にならず(二股ラジウム温泉)

道南の 二股ラジウム 温泉に 一度泊らんと 予約を入れし(同上)

石灰(せっかい)() ここに泊まって 正解か 威張る湯守に 頭下げつつ(同上)

客室は 一般的な 六畳間 トイレ洗面 共同使用(同上)

浴場は 露天風呂が 素晴らしく 湯船様々 殆ど混浴(同上)

泉質は 折り紙付の ラジウム泉 カルシウムなど 他に含まれ(同上)

泉温は 四十三度の 中温で 加水はせずに 掛け流すかな(同上)

湯の色は 黄褐色の 透明で 液性中性 塩味無臭(同上)

開湯は 明治後期の 開拓者 アイヌ人から 神の湯とされ(同上)

巨大なる 石灰(せっかい)()ドーム 希少なり 世界に二つ 他はアメリカと(同上)

記録では 夏油温泉の 石灰華 日本最大で 国の特天記(同上)

湯に浸かり 石灰華 眺めるは 世界に一つ(同上)

江戸後期 蝦夷地警護で 南部藩 長万部にも 陣屋築きしと(ヲシャマンベ陣屋跡)

築陣屋 長万部に 不必要 知りて撤収 それでも史跡(同上/北海道花見の旅7) 56

江戸中期 飯生(いいなり)神社 創建し 昔は稲荷 今は天照(同上)

陣屋跡 北海道に 十二箇所 東北雄藩 築造したり(同上)

仙人の 異名もある 日本画家 長万部にて 未知なる出会い(長万部)

森町(もりまち)に 思わぬ桜 五百本 オニウシ公園 目を見張るなり(オニウシ公園)

花まつり 開催されず 客はゼロ 染井吉野も 哀れに見える(同上)

公園が 無駄な投資 思うかな 住民不在の 桜目にして(同上)

園内の 展望館に 立ちて見る 花雲となる ヤマザクラかな(同上)

森町に もう一ヶ所の 公園が 青葉ヶ丘に ありて立ち寄る(青葉ヶ丘公園)

公園は 桜まつりを 開催し ぼんぼり飾り 花見客あり(同上)

園内に 出店も立ちて 賑わいし オニムウシとは 明暗を分け(同上)

園内の 桜の規模は 十六種 約千本の 花は満開(同上)

この子らが 桜の花を 見ないなら 桜を愛す 心芽生えず(同上)

殆どが 染井吉野の 花ばかり さくらの林 見事なるかな(同上)

地名には 青葉ヶ丘と あるけれど その雰囲気なく 平坦地のみ(同上)

開設が 大正初期の 公園に 樹齢百年 数える桜も(同上)

出店でも ジンギスカンは 食べたいな 北海道ての 条件反射(同上)

全方位 日暮山(ひぐらしやま)の 眺望は 駒ヶ岳に 大沼小沼(日暮山)

大沼は 変化に富んだ 湖沼にて 小島が多く 汀が複雑(大沼遠望)

大沼を 初めに見しは 十五歳 今も忘れぬ 修学旅行(同上)

新緑に まだ日数ある 大沼も 良かれと思う 枝木の眺め(同上)

大沼と 小沼は昔 一つ沼 昭和二年に 鉄道が分かつ(同上)

一日中 大沼小沼 カヌーにて めぐりてみたき 花の季節を(同上)

車から 踏切を行く 汽車を撮る 大沼小沼を 隔てた道で(大沼公園)

駒ヶ岳 噴火の鎮静 祈願して 大正初期に 神社を創建(駒ヶ岳神社)

慎ましい 参道ながら 新しく 参拝客も 多いと聞きし(同上)

大岩は 江戸前期の 爆発で 溶結をした 凝灰岩とも(同上)

密林の 木より幸せ 大沼の 湖畔に宿る 自生の樹木(大沼公園)

大沼の 小島の数を 尋ねると 大小の島 百二十六と(同上)

大沼の 小島の間に 駒ヶ岳 眺望絶佳 絵画の如く(同上)

湖上には 遊覧船と 駒ヶ岳 乗船をして めぐりたきかな(同上)

散策路 小島めぐりの 橋架かる 形状様々 十三ヶ所も(同上)

遊覧船 五十人乗り 十二トン 大沼めぐり 格別の旅(同上)

駒ヶ岳 遊覧船で 見る景色 趣同じ 気分は変る(遊覧船/北海道花見の旅8) 56

小島には 名も無き島が 多くあり 仮に名付けて 桜島と呼ぶ(同上)

牧場は 北海道の 象徴で 大沼周辺 数多点在(同上)

小沼でも 五月の空に 吉野山 昭和末まで スキー場あり(同上)

湖岸には 人家もなく 自然林 小沼の見える 未開嬉しき(同上)

散策で 見えぬ橋桁 面白き 橋それぞれに 特徴ありて(同上)

固有種の チシマザクラが 大沼に 満開姿 妖艶な笑み(同上)

左岸には 大正天皇 展望の碑 駒ヶ岳を 如何に眺めし(同上)

大沼は 松の木がなく 物足りず 桜と松の 色が恋しき(同上)

客席に 座ることなく 三十分 遊覧船は デッキに限る(同上)

船上で 眺めし橋を 橋上で 遊覧船見る 大沼の旅(大沼公園)

七飯では 道百選に 選ばれた 赤松並木 江戸へと誘う(七飯)

蝦夷の地に 奥州街道 続くかな そんな錯覚 七飯で感ず(同上)

松並木 古民家ありて 歴史的 風景も増す 七飯の通り(同上)

館内に 茅葺き民家 復元し 近代的な 農業紹介(七飯町歴史館)

道南は 縄文遺跡 数多あり 七飯町には 十三遺跡(同上)

駒ヶ岳 東側から 眺めると 全く違う 山に見えるなり(駒ヶ岳)

憧れの 秘湯の宿や 銀婚湯 一人旅でも 泊まれて嬉し(銀婚湯)

目を見張る 夫婦(めおと)水松(いちい)の 樹齢かな 八百年と 記されてあり(同上)

客室の 床の間には 忍の字の 掛軸ありて 偲び見るかな(同上)

手造りの テーブル椅子は 素朴なり 親しみ安き 宿の雰囲気(同上)

建物は 昭和中期の 建築で シックな感じ 宿の造りに(同上)

湯の名前 大正天皇の 銀婚を 祝い名付けて 八十余年(同上)

夕食は 心のこもった 手料理で 地物の旬が 卓上に咲く(同上)

温泉は 源泉五本に 浴場は 露天が五ヶ所 内湯が二ヶ所(同上)

泉質は 成分豊かな 食塩泉 中性にして 泉温高く(同上)

露天風呂 落部(おとしべ)(がわ)と 同化して 入り浸るかな どんぐりの湯に(同上)

銀婚湯 一万坪の 敷地には 桜の木立 花盛るなり(同上/北海道花見の旅9) 56

切妻の 屋根が重なる 旅館には 増改築の 歴史が見える(同上)

朝食は 一汁七菜 豪華なり 昨夜の宿の 夕食並みに(同上)

間歇泉 全国的に 珍しく 北海道で 他には二ヶ所(鹿部間歇泉)

通常で 十五メートル 熱湯が 十数分間で 噴き上がるなり(同上)

予期もせぬ 大船遺跡が 函館に 百棟超える 建物跡が(大船遺跡)

竪穴の 住居跡は 大型で 深さ七尺 六本柱(同上)

大船の 縄文遺跡は 広大で 約二万坪 国の史跡に(同上)

茅部では 中空土偶 見つかりて 道内初の 国宝となる(埋蔵文化財展示館)

道南の ()(しま)半島 東端に 恵山岬の 白亜の灯台(恵山岬)

灯台の 資料館があり 立ち寄れば 閑散として カモメも飛ばず(同上)

断崖に 海鳥のなきが 淋しくて 花咲かぬなら せめて鳥でも(同上)

岩礁に 奇岩があれば 名所にも 祈願したくなる 恵山岬に(同上)

珍しき (みず)(なし)海浜 温泉は 干潮時のみ 入浴可能(水無海浜温泉)

海辺にも 自然の恵み 湧いずる 根室と津軽 海峡の幸(同上)

泉質は 申し分ない 食塩泉 脱衣室もあり 隠れた秘湯(同上)

霊山は 登拝したいと 祈念して 五十五より 登り始める(恵山)

若い頃 津軽海峡 航行し 眺めし山に ああ登るとは(同上)

山頂の 塩ビの鳥居は 恵山だけ 恵山権現 祀られしと(同上)

山頂は 草木一本 生えてなく 権現様は 淋しそうかな(同上)

活火山 目の当たりする 登山道 最後の噴火 江戸末期頃(同上)

周辺の 外輪山は 緑化して 恵山のドーム 雪化粧のみ(同上)

恵山には モンテローザの 廃墟あり 観音像が 虚しく残る(旧恵山モンテローザ)

金閣寺 模した建物 数多あり 廃墟と化した 建物もあり(同上)

啄木の 墓参りにと 訪問し 願い叶いし 立待岬(啄木一族墓)

啄木は 北海道に 約一年 転居しつつも 永久(とわ)に語られる(同上)

岬には 展望台もあり 晴れた日は 下北半島 津軽海峡に(同上)

(へき)(けつ)() 旧幕軍の 慰霊碑で 歳三はじめ 八百人を(妙心寺)

妙心寺 日蓮宗の 寺院にて 昭和戦後の 開創と聞く(同上)

函館に 室町時代の 八幡宮 (こう)()政通(まさみち) 創建せしと(函館八幡宮)

豪壮な 八棟造りの 社殿にて 大正初期の 改築と言う(同上)

祭神は 八幡神で 総鎮護 函館山が 神とはされず(同上)

函館の 帰路は大間へ 到着して 今夜の宿は 下風呂温泉(大間)

長谷旅館 豪華食事に 感激す 十三皿に 海鮮料理(下風呂温泉)

下風呂は 源泉九本 様々に 長谷旅館では 大湯を使用(同上)

旅館には 井上靖が 投宿し 執筆をした 海峡の宿(同上)

外湯には 共同浴場 大湯あり 朝湯に早く 残念至極(同上/北海道花見の旅10) 56

温泉地 神社参拝 欠かせない 若宮神社に お稲荷様が(同上)

神社から 下風呂の街 眺めると 十軒ほどの 温泉宿が(同上)

大間線 八年前に 廃止され 下風呂駅は 幻の駅に(同上)

下北に 菅江真澄の 足跡が 下風呂の絵と 案内板に(同上)

下風呂は 新島襄も 立ち寄りし 江戸から函館 向う途中に(同上)

二日間 滞在の部屋 靖の間 小説海峡 脱稿したと(同上)

朝食は イカ刺の他 十二品 感謝の一言 宿の夫婦に(同上)

海辺には ミニ公園と 記念碑が 温泉街の下風呂名所(同上)

文学碑 除幕式には 本人も 参列したと 聞く下風呂で(同上)

大間には 仏ヶ浦に 行くために 引き返すかな 灯台側に(大間岬)

下北で 昨日登りし 恵山見て 宿立つ朝の 五月晴れかな(同上)

佐井にある 願掛岩の 巨大さに 菅江真澄も 驚きしかな(佐井)

立岩が 群立をする 景観は 仏ヶ浦の 名に相応しく(仏ヶ浦)

仏像が 五月の海に 林立す 仏ヶ浦は 白亜の浄土(同上)

海からも 仏ヶ浦を 眺めては 仏像を見る 奇岩に祈願(同上)

桂月の 歌に詠まれし 景観は 神のしわざか 鬼の手づくり(同上)

横浜の 菜の花畑 面積は 三十万坪と 日本最大(横浜菜の花フェスティバル)

迷路では 親子連れが 多くいて 一人旅には 遠慮が入る(同上)

菜の花は 菜種油に 留まらず 百製品に 及ぶと聞きし(同上)

こんなにも 菜の花が咲く 景色とは 想像付かず 感動あるのみ(同上)

丘の上 町の看板 見えるけど あまりに高く 目を見張るなり(同上)

菜の花が 疎らに咲く 畑あり 休耕(きゅうこう)(はた)か 目的不明(同上)

横浜の 第一回の フェスティバル 平成三年 開催されしと(同上)

歴史上 陸奥横浜は 神奈川の 横浜よりも 古いと聞きし(同上)

十和田湖へ 新郷経由で 向う時 ふと立ち止る キリストの墓(新郷)

十和田湖の 休屋過ぎた 湖畔には 桜の花が 僅かに咲きし(十和田湖)

時を経て 十和田ユースに 来てみれば 跡地の中に 桜は見えず(同上)

久々に 八甲田山を 眺めれば 山崩れ跡 痛々しくも(同上)

十和田湖に 来れば立ち寄る 峠には 中山半島 変わら姿(同上)

お土産は 松前漬と 山菜で 大湯に帰り 食事の友に(大湯温泉)

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