寺院・神社その6 長句(短歌・狂歌)
開創は 平安中期の 新勝寺 朱雀天皇 寛朝に命じ(新勝寺/寺院・神社1) 39歳
本尊は 不動明王 木造で 鎌倉期作 国の重文(同上)
新勝寺 真言宗の 智山派で 末寺有する 大本山なり(同上)
境内は 七堂伽藍 林立し 十棟ほどが 文化財とか(同上)
親鸞の 稲田禅房 西念寺 鎌倉後期 開創されし(西念寺)
現在は 浄土真宗 単立で 茨城県は 笠間市にあり(同上)
本尊は 阿弥陀如来の 立像で 銀杏の古木 聖人手植え(同上)
創建は 白鳳期との 伝承が 笠間稲荷は 旧村社なり(笠間稲荷神社)
本殿は 江戸期再建 重文で ウカノミタマを 祭神として(同上)
筑波山 神社の創建 不明なり 古墳あるので この頃ではと(筑波山神社)
本殿は イザナギ・イザナミ 合祀して 東西峰が 御神体なり(同上)
面白き ケーブルカーが 女体山 ロープウェイが 男体山に(同上)
専修寺 親鸞聖人 開山で 真宗高田派 真岡の本寺(本寺専修寺)
本尊は 一光三尊 光背に 阿弥陀如来と 観音勢至が(同上)
専修寺 堂宇四棟 重文で 境内一円 国の史跡に(同上)
総持寺は 西新井大師 通称で 平安初期に 空海開基(総持寺)
本尊は 秘仏の観音 大師像 真言宗の 豊山派末寺(同上)
伊豆国 三嶋大社の 創建は 不詳なれども 奈良中期かと(三嶋大社)
主祭神 オオヤマツミで 伊豆国 総社を兼ねし 一宮でも(同上)
修禅寺は 空海大師 開山で 室町末期 曹洞宗に(修禅寺)
本尊は 大日如来 坐像なり 実慶作で 国の重文(同上)
創建は 明治中期の 神社なり 二宮尊徳 祭神として(報徳二宮神社)
鳥海山 大物忌 神社とは 御神体は山 出羽一宮(鳥海山大物忌神社)
創建は 古墳時代と 伝えられ 自然崇拝 修験の神社(同上)
国東の 天台宗の 両子寺は 奈良時代初期 仁聞開山(両子寺)
本尊は 阿弥陀如来 坐像なり 本堂舞台 眺望すぐれ(同上)
九州は 数多の神社 あるけれど 宇佐神宮は 八幡本社(宇佐神宮)
祭神の 道真公は 偉大なり 梅を愛する 神様となり(太宰府天満宮)
古墳期に 高良大社 創建し 筑後国の 一宮なり(高良大社)
筥崎宮 平安前期の 創建で 八幡神を 祭神として(筥崎宮)
筥崎宮 筑前国 一宮 重文社殿 三棟有し(同上)
長崎は 異国情緒 たっぷりで 明様式の 崇福寺また(崇福寺)
江戸の初期 超然開基の 崇福寺 黄檗宗の 最初の寺で(同上)
崇福寺 紅い唐寺 文化財 国宝二棟 重文四棟(同上)
鎭西に 祐徳稲荷 神社あり 江戸の中期に 創建されし(祐徳稲荷神社)
本殿の 舞台造り 荘厳で 昭和中期の 再建と聞く(同上)
江戸時代 宝地院は 再興し 清水観音 小城の古刹で(清水観音)
奈良時代 観世音寺は 太宰府に 満誓開基 勅願により(観世音寺/寺院・神社2) 40歳
筑前の 国分寺跡 訪ねれば 真言宗の 後継寺あり(筑前国分寺)
寺伝では 中山寺の 草創は 聖徳太子 飛鳥時代に(中山寺)
中山寺 西国観音 霊場で 真言宗の 十八本山(同上)
清澄寺 宇多天皇が 開基せし 清荒神の 尊号下賜し(清澄寺)
本尊の 大日如来 重文で 真言宗の 十八本山(同上)
鶴林寺 聖徳太子の 創建で 奈良宗派から 天台宗に(鶴林寺)
本尊の 薬師如来は 重文て 秘仏扱い 六十年毎(同上)
鶴林寺 刀田の太子と 称されて 国宝二棟 重文四棟(同上)
盛時には 三十坊の 鶴林寺 塔頭三院 十三堂に(同上)
播磨路や 七堂伽藍 鶴林寺 いかるがの里を ここに見るとは(同上)
講堂と 東西の塔の 再建を 待ち望んだり 六世紀余も(東大寺)
若狭より 水を得んとし 祈るかな 水に乏しき 奈良の水取り(同上)
鑑真の 戒壇院は 場を移し 大仏殿の 西に慎ましく(同上)
国宝の 金剛力士 立像は 運慶一門 気迫の作で(同上)
人は皆 死に向い合い 生きている 無常迅速 阿吽の吐息(同上)
十年を 隔ててみても 朽ちもせぬ 寺のいらかと 鹿の鳴く声(同上)
藤原の 権勢を見る 社殿群 豪華絢爛 燈籠三千(春日大社)
国宝や 東金堂 北円堂 五重塔に 三重塔(興福寺)
西東 南都北嶺 東山 五山高野も みな仏なり(同上)
奈良に来て 初めて知るは 天平の 甍が残る 古寺の数々(同上)
興福寺 東大寺より 地味なれど 塔建築は 二棟国宝(同上)
山の辺の 石上神宮 創建は 古墳時代で 宝剣が神(石上神宮)
国宝の 仏堂風の 拝殿は 鎌倉中期 再建と言う(同上)
桜井の 大神神社 三輪山が 祭神であり 拝殿のみが(大神神社)
三輪山の 神奈備の森 訪ねれば お宮参りの 七五三かな(同上)
摂社には 奈良の面影 内陣に 鎌倉築で 国の重文(同上)
大阪の 豊國神社の 創建は 明治初年で 秀吉祀り(豊國神社)
創建は 大和時代の 神功期 住吉大社 四柱祀り(住吉大社)
大阪は 国宝建築 少なくて 住吉本殿 稀少も稀少(同上)
三神は 底中表の 海の神 神功皇后 加え四柱(同上)
四棟は 江戸文化期の 再建で 住吉造り 屋根桧皮葺き(同上)
大阪に 摂津国の 一宮 住吉大社 坐摩神社が(同上)
海の神 様々ありて 疑問符も 宗像大社に 三女神あり(同上)
浪速区に 今宮戎 神社あり 商売の神 大阪らしく(今宮戎神社)
平安期 源頼義 創建で 石清水より 分霊せしと(盛岡八幡宮)
江戸初期に 再興されし 報恩寺 曹洞宗の 南部僧録(報恩寺)
本尊の 釈迦如来像 本堂に 曹洞宗は 舎利礼拝で(同上/寺院・神社3) 40歳
羅漢堂 五百羅漢 安置され 江戸安永期 駒野丹下作(同上)
羅漢には マルコポーロや ヘブライも 鎖国時代の 発想豊か(同上)
青森の 善知鳥神社の 祭神は 航海の神 宗像三女神(善知鳥神社)
長勝寺 鰺ヶ沢にて 開創し 弘前移転で 津軽菩提寺に(長勝寺)
大鰐に 真言宗の 大円寺 明治初年に 移転されしと(大円寺)
本尊は 大日如来と 不動尊 阿弥陀如来は 国の重文(同上)
白鳳期 古四王神社 創建し 出羽柵鎮守 秋田最古と(古四王神社)
祭神は オオヒコノミコト 軍神で エミシ祀りし 異説もありき(同上)
明治期に 国幣小社に 列せられ 古四王神社 秋田の誇り(同上)
大崎の 八幡宮は 文化財 社殿国宝 長床重文(大崎八幡宮)
水沢の 駒形神社の 創建は 不明なれども 古墳時代か(駒形神社)
祭神は 夏油三山 駒ヶ岳 陸中国 一宮とか(同上)
桃山期 古四王神社 創建し 拝本殿は 国の重文(大曲古四王神社)
この社殿 飛騨の匠の 作と言う 建築技法 比類なきとか(同上)
白岩に 豪華山門 雲厳寺 仁王の像は 円満造が作(雲厳寺)
恐山 円仁大師 開山し 江戸時代初期 菩提寺開基(恐山菩提寺)
恐山 太平洋を 隔てても 死者の霊が 渡る夢見かな(同上)
境内に 出湯あるのが 珍しく 地獄極楽 共に味わう(同上)
清水寺 円仁大師 開基して 明治初年に 浄土真宗に(清水寺観音)
安土期の 観音堂は 建立で 宝形造り 茅葺きの屋根(同上)
八戸の 観音堂は 重文で 青森最古 木造建築(同上)
櫛引の 八幡宮が 八戸に 鎌倉初期に 創建されし(櫛引八幡宮)
本殿と 旧拝殿と 正門は 末社二棟と 国の重文で(同上)
祭神は 八幡神で 通称は 応神天皇 武運の神で(同上)
国宝の 甲冑二領 社宝なり 鎌倉末期 様式残す(同上)
重文の 南部利康 霊屋は 江戸時代初期 桃山様式(南部利康霊屋)
天台寺 行基菩薩の 開山で 瀬戸内寂聴 近年再興(天台寺)
本堂と 仁王門は 重文で 江戸前期頃 再建と聞く(同上)
本尊は 聖観音の 立像で 鉈彫りとされ 国の重文(同上)
瑞巌寺 円仁大師 開創で 伊達政宗と 雲居が再興(瑞巌寺)
青森に 昭和大仏 青龍寺 大日如来 新たな名所(青龍寺)
北上に 真宗高田派 選択寺 戦後創建 奇抜な橋が(選択寺)
鎮守府の 八幡宮が 水沢に 平安初期に 創建されて(鎮守府八幡宮/寺院・神社4) 42歳
みちのくに 坂上 田村麻呂 神社創建 その足跡に(同上)
鎮守府は 胆沢城をば 指していて 百五十年 機能したとか(同上)
新庄の 戸沢神社の 創建は 明治中期で 藩祖を祀り(戸沢神社)
戸沢氏の 天満神社 城跡に 茅葺き社殿 珍しきかな(天満神社)
古城には 曹洞宗の 西法寺 開基不詳で 小野寺氏かと(西法寺)
太平山 三吉神社の 創建は 白鳳時代 山を神とし(太平山三吉神社)
祭神は オオクニヌシと スクナビコナ 三吉霊神 山と里とに(同上)
みちのくは 出羽三山が 聖地なり 何処の村にも 石碑は建ちて(羽黒山神社)
辛うじて 五重塔は 壊されず 国宝となり 神社の所有(同上)
手向町 神林坊の 宿坊が 茅葺き直屋 破風の玄関(宿坊街)
秋田路の 唐松神社 創建は 平安中期 物部氏とか(唐松神社)
杉並木 菅江真澄の 絵にもあり 変らぬ風致 唐松神社(同上)
祭神は 神功皇后 他二神 女性一代 守護神とされ(同上)
方除けの 城南宮の 創建は 平安遷都の 折ともされし(城南宮)
祭神は クニノトコタチ 他二神 三神合わせ 城南大神(同上)
庭園は 楽水苑と 称されて 中根金作 昭和の作で(同上)
石清水 八幡宮の 創建は 平安前期 宇佐より勧請(石清水八幡宮)
絶句する 八幡宮の 社殿には 国宝十棟 重文八棟(同上)
総本社 西宮神社 創建は 不詳なれども 平安時代か(西宮神社)
拝殿の 奥に三殿 棟並べ えびす大神 第一殿に(同上)
境内に 六英堂は 移転され 明治の空気 六傑に見る(同上)
大阪の 天満宮の 創建は 道真公没 四十年後(大坂天満宮)
大阪の 天神祭 日本の 三大祭で 祇園と神田が(同上)
前身の 大将軍社 方位神 道真公の 祈願の神社(同上)
須磨寺は 平安初期の 開山で 真言宗の 十八本山(須磨寺)
本堂は 聖観音を 本尊に 江戸初期再建 国の重文(同上)
敦盛の 若武者姿に 対峙する 熊谷直実 扇を掲げ(同上)
須磨寺は 文人多く 参拝す 芭蕉に蕪村 良寛に子規(同上)
御船山 長田神社の 創建は 神功皇后 征韓の折り(長田神社//寺院・神社5) 50歳
祭神は コトシロヌシの えびす様 オオクニヌシの 子供とされて(同上)
真光寺 平安前期 開基され 一遍上人 入寂の寺(真光寺)
鎌倉期 時宗の寺に 改宗し 寺観整い 大道場に(同上)
能福寺 最澄上人 草創で 平清盛 祈願寺にして(能福寺)
清盛の 評価や近年 高まりて 拝み合掌 供養石塔(同上)
座禅して 一句一首に 発心す 自己改革の 朝のひとととき(同上)
神戸市の 湊川神社 創建は 明治初年 楠公祀り(湊川神社)
勤皇の 鏡とされし 正成は 明治になりて 贈正一位(同上)
湊川 楠木正成 戦没地 五百年過ぎ 神に変身(同上)
ブロンズの 徳川光圀 旅姿 水戸黄門は テレビの世界(同上)
楠公の 墓所に亡骸 本殿に 御霊を祀る 不思議な神社(同上)
下山手 生田神社の 創建は 長田神社と 同じと伝え(生田神社)
祭神は ワカヒルメノミコト 謎多き 古事記日本書記 当てにはならず(同上)
神戸にも 北野天満宮 紛らわし 平清盛 勧請せしと(北野天満宮神戸)
遊学や 死語となつつ 生きている ひと月あまり 神戸をめぐり(同上)
六甲の 金鳥山の 中腹に 保久良神社は スサノオ祀り(保久良神社)
拝殿は 神仏習合 思わせる 入母屋建築 思わず合掌(同上)
摩耶山の 忉利天上寺 インド僧 法道開基 飛鳥時代に(忉利天上寺)
十一面 観音菩薩 本堂に 親指サイズ 黄金秘仏(同上)
釈迦の母 摩耶夫人像 請来し 空海大師 寺に祀りて(同上)
摩耶山は ケーブルカーと ロープウェイ 掬星台は 展望絶佳(同上)
生駒山 役行者の 開山で 生駒聖天 湛海開基(宝山寺)
湛海は 真言律僧 江戸前期 生駒霊山 再興させし(同上)
閑散期 それでも境内 客絶えず 年間客は 三百万と(同上)
聖天は 聖歓喜天 略号で 人の体に 頭は象で(同上)
多宝塔 喜多院式の 外観で 昭和中期に 再建されし(同上)
荘厳な 八つ棟造り 桧皮葺き 聖天堂は 寺のシンボル(同上)
獅子閣は 明治前期の 建築で 擬洋館でも 国の重文(同上)
河内国 枚岡神社 一宮 白鳳時代 創建されし(枚岡神社/寺院・神社6) 50歳
主祭神 アメノコヤネノ ミコトなり 春日権現 春日神とも(同上)
拝殿は 入母屋造り 長庇 銅板葺きで 明治の再建(同上)
本殿は 四殿並ぶ 春日式 朱色の壁が 透塀より(同上)
流行歌 聞いて覚えた 法善寺 難波の路地に 参道ありき(法善寺)
法善寺 琴雲開基 江戸初期に 浄土宗にて 本尊阿弥陀(同上)
南宗寺 三好長慶 開基せし 臨済宗の 大徳寺派で(南宗寺)
仏殿と 山門唐門 重文で 織部好みの 庭園名勝(同上)
海会寺は 南宗寺から 籍はなれ 東福寺派の 末寺となりぬ(同上)
参道に 塔頭三院 南宗寺 衰退すれど 堺の大寺(同上)
江戸初期の 枯山水の 庭園は 古田織部の 作と称され(同上)
唐門や 東照宮の 表門 空襲により 社殿壊され(同上)
総門の 横に守衛の 詰所跡 寺院の規模は 扶持の石高(同上)
大安寺 東福寺派の 末寺なり 堺の開基 室町前期(大安寺)
家原寺は 行基菩薩の 生誕地 慶雲元年 寺に改め(家原寺)
本尊は 文殊菩薩で 智恵仏 合格祈願に ご利益ありと(同上)
本堂は 祈願記した ハンカチで 白くなるので ハンカチ寺と(同上)
叡尊が 鎌倉中期に 再建し 真言宗の 寺へと移行(同上)
和泉国 大鳥神社 一宮 平安初期には 既に創建(大鳥神社)
祭神は ヤマトタケルに 大鳥の 連ノオヤガミ 二柱とか(同上)
神戸にも 関帝廟が 山ノ手に チャイナタウンの ラウンドマーク(関帝廟)
赤と金 基調の廟は 独特で 豪華で派手な 屋根と天井(同上)
甲山 如意尼の開基 神呪寺 平安初期の 勅願寺でも(神呪寺)
本尊は 如意輪観音 坐像なり 平安期作 国の重文(同上)
大師堂 大師坐像 重文で 真言宗の 御室派末寺(同上)
庭園は 枯山水の 石庭で 外の電柱 斜めに邪魔し(同上)
道明寺 天満宮の 創建は 古墳時代の 土師神社なり(道明寺天満宮)
菅公の 天満宮は 所縁の地 遺品六個が 国宝指定(同上)
道明寺 飛鳥時代の 開創で 真言宗の 御室派尼寺(道明寺)
十一面 観音菩薩 立像で 国宝本尊 道真作と(同上)
かの誉田 八幡宮の 創建は 飛鳥時代で 応神陵に(誉田八幡宮)
細長き 割拝殿は 入母屋で 本殿含め 秀頼再建(同上/寺院・神社7) 50歳
叡福寺 聖徳太子 菩提寺で 聖武天皇 神亀に開基(叡福寺)
この寺は 真言宗の 単立で 上の太子と 称されもして(同上)
本尊は 如意輪観音 菩薩像 太子の像も 本尊とすべき(同上)
多宝塔 聖霊殿は 重文で 七堂伽藍 奈良に及ばす(同上)
興正寺 真宗十派の 本山で 六老僧の 了源開基(興正寺)
慶長期 東西分派 本願寺 准如上人 西本願寺(同上)
驚きは 西本願寺 文化財 国宝七棟 重文十棟(同上)
西東 人の心は 別れても 一糸乱れぬ 念仏の声(西本願寺)
壬生寺は 平安中期 開基せし 奈良律宗の 大本山で(壬生寺)
壬生寺は 新撰組の 屯所跡 近藤勇 胸像もあり(同上)
鳥居立つ 神泉苑は 寺院なり 空海大師 祈雨道場に(神泉苑)
西大路 浄土宗の 高山寺 淳和天皇 離宮の跡に(高山寺)
本堂の 地蔵菩薩の 本尊は 等身大で 源信作と(同上)
梅宮 大社の創建 平安期 サカトケノカミ 主祭神とし(梅宮大社)
拝殿は 入母屋妻入 唐破風で 本殿共に 屋根桧皮葺き(同上)
嵐山 松尾大社の 創建は 奈良期大宝 秦氏により(松尾大社)
祭神は オオヤマクイと イチキシマ 山と海との 神とは如何に(同上)
本殿は 室町時代の 再建で 松尾造りは 国の重文(同上)
いつの間に 松風園の 庭園が 重森三玲 遺作と言いし(同上)
西山の 大原野神社 創建は 平安初期に 春日社分祀(大原野神社)
神木の 樅の樹齢 五百年 戦国時代 社殿荒廃(同上)
境内の 鯉沢の池 創建後 猿沢の池 模して造られ(同上)
正法寺 真言宗の 石の寺 天平年間 律僧開基(正法寺)
勝持寺は 役行者の 開山で 最澄上人 天台宗に(勝持寺)
勝持寺は 大原野神社 別当寺 神仏分離 強制的に(同上)
本尊は 薬師如来の 坐像なり 鎌倉期作 国の重文(同上/寺院・神社8) 50歳
鏡石 剃髪の折 西行が 鏡代わりに 使いし石と(同上)
地図になき 寺など訪ね めぐる春 京都の寺は 極楽浄土(願徳寺)
西山の 西国観音 霊場に 善峯寺の 大伽藍あり(善峯寺)
善峯寺と 音読みもせし この寺は 平安中期 源算開基(同上)
経堂は 六角形で 裳階付き 桂昌院の 寄進とされて(同上)
国天の 遊龍の松は 五葉松 樹齢は約 六百年で(同上)
五葉松 臥龍の長さ 日本一 三十七 メートルと聞く(同上)
多宝塔 山内最古の 建物で 江戸初期築で 国の重文(同上)
十一面 千手観音 本尊で 観音堂に 納経所あり(同上)
近年は 天台離れ 善峰の 観音宗の 本山自称(同上)
三鈷寺は 西山宗の 総本山 浄土宗五派 近年成りて(三鈷寺)
本堂と 庫裡と客殿 境内に 総本山の 寺観にあらず(同上)
本尊の 仏眼曼荼羅 博物館 不動明王 お前立とし(同上)
薄らと 樹木の枝を 塗り変える 平和なるかな 京の淡雪(東福寺)
開創は 室町前期 光明院 通称名は 虹の苔寺(光明院)
本堂は 国の重文 本尊は 薬師三尊 鎌倉期作(雲龍院)
明治期に 即成院は 移転して 泉涌寺派の 塔頭となり(即成院)
国宝の 妙法院の 大庫裡は 秀吉建立 豪壮優美(妙法院)
重文の 普賢菩薩を 本堂に 裳階の宝形 造り慎まし(同上)
後白河 法皇中興 法住寺 御陵と分離 明治以降は(法住寺)
本堂に 不動明王 安置して 天台宗の 密教流る(同上)
東山 六波羅密寺 開山は 空也聖が 平安中期に(六波羅密寺)
十一面 観音立像 国宝で 十二年毎 開帳せしと(同上)
刻々と 死に向かい行く 人生に 憂いを抱き 参拝もせし(六道珍皇寺)
平安期 六道珍皇寺 開創し 室町時代 臨済宗に(同上)
この辺り 平安京の 火葬場で 六道の辻 水子地蔵尊(同上)
高台寺 月真院は 塔頭で 御陵衛士の 屯所跡でも(月真院)
大雲院 大倉財閥 別邸に 昭和中期に 寺基を移転し(大雲院)
祇園閣 三階建てに 鉾立てて 銅閣と呼ぶ 喜八郎かな(同上)
親鸞の 霊廟二つ 本廟は 西大谷で 祖廟は東(大谷祖廟)
粟田御所 青蓮院の 創建は 平安末期 皇子入寺して(青蓮院)
中核派 好文亭を 放火せし 思い出される テロの歴史を(同上/寺院・神社9) 50歳
寺宝には 国宝画像 青不動 日本三大 他は黄と赤が(同上)
世を渡る 渡しの舟に 乗り遅れ 迷いながらも 京を旅する(同上)
宸殿の 大玄関に 御所車 彷彿させる 寺観に見えし(同上)
小御所の 窓に名庭 酔いの中 天台宗の 三門跡で(同上)
良恩寺 禅林寺派の 末寺にて 室町末期 浄清開基(良恩寺)
仏光寺 真宗十派の 本山で 鎌倉時代 了源開基(仏光寺)
親鸞の 本廟ありき 仏光寺 京都における 三つ目の墓(同上)
金地院 南禅寺派の 塔頭で 江戸時代初期 崇伝中興(南禅寺金地院)
南禅寺 十四院庵 塔頭で 金地院は 規模は別格(同上)
家康の 信任を得た 崇伝は 家康の死後 東照宮建て(同上)
金地院 鶴亀の庭 感無量 特別名勝 庭の国宝(同上)
江戸初期に 小堀遠州 作庭す 枯山水は 桃山風で(同上)
堂宇では 方丈茶室 重文で 国宝絵画 二点を所有(同上)
洛東の 岡崎御坊 親鸞の 草庵遺跡 東が死守し(東本願寺岡崎別院)
黒谷の 金戒光明寺 開山は 法然上人 平安末期に(金戒光明寺)
光明寺 幕末の頃 会津藩 京都守護職 本陣として(同上)
池泉式 紫雲の庭を 眺めれば 翔鶴の松 浄土具現を(同上)
浄土宗 七大本山 光明寺 七堂伽藍 法然御廟(同上)
聖護院 本山修験宗 総本山 平安中期 増誉開山(聖護院)
明治期に 廃止命令 修験道 昭和戦後に 復興されし(同上)
門跡の 面影残す 書院あり 御所より移築 国の重文(同上)
西国の 観音霊場 行願寺 平安中期 行円開基(行願寺)
本堂は 千手観音 安置せし 通称名は 革堂とされ(同上)
廬山寺は 圓浄宗の 本山で 紫式部 邸宅跡に(廬山寺)
浄土宗 七大本山 浄華院 法然上人 改宗せしと(清浄華院)
阿弥陀堂 旧塔頭の 本堂で そのまた前は 接待所とか(同上)
大殿は 法然上人 御影堂 明治末期の 再建と聞く(同上)
法華宗 陣門流の 本禅寺 室町前期 日陣開基(本禅寺)
本満寺 日蓮宗の 本山で 室町前期 日秀開基(本満寺)
伊勢路には 一身田の 専修寺 真宗十派 高田派本山(本山専修寺)
重層の 山門含む 十五棟 七堂伽藍 国の重文(同上)
如来堂 江戸中期頃 建造す 禅宗様式 宗派を超えて(同上)
太鼓門 小天守かと 眺め見る 平屋長屋に 三層櫓(同上/寺院・神社10) 51歳
津城跡 藩祖高虎 祭神に 高山神社 明治に創建(高山神社)
鈴鹿には 椿大神 社あり サルタビコノカミ 神世に祀り(椿大神社)
伊勢国 鈴鹿に二社の 一宮 規模からすれば 椿大神(同上)
猿田彦 祀る神社の 総本社 全国二千 末社ありとや(同上)
さざれ石 石灰質の 角礫岩 貴重な石と とても思えず(同上)
三重県で 参拝客は 伊勢神宮 二見興玉 神社に次ぐと(同上)
全国は 六十八ヶ国 国分寺 国分尼寺と 奈良期創建(伊勢国分寺)
国分寺 不詳の国は 一ヶ国 国分尼寺は 半国不詳(伊勢国分尼寺)
国分寺 名を継ぐ寺が 伊勢なく 鈴鹿市立の 資料館あり(同上)
天王社 津島神社が 総本社 全国三千 末社あるとか(津島神社)
難波期が 津島神社の 創建で タケハヤスサノオ 祭神として(同上)
楼門は 秀吉寄進の 重文で 秀頼寄進 南門県文(同上)
風流な 津島神社の 祭礼は 天王祭 車楽舟で(同上)
本殿は 江戸初期再建 重文で 桧皮の屋根の 曲線優美(同上)
神苑の 池に雪見 灯籠が 秋の期間は 月見にしたら(同上)
奈良時代 国府と共に 創建す 尾張大国 霊神社は(尾張大国霊神社)
拝殿は 切妻造り 桧皮葺き 楼門含め 国の重文(同上)
国府宮 通称名が 知られたり はだか祭りは 押しへし合いで(同上)
並び建つ 社殿六棟 壮観で 尾張造りと 称されしかな(同上)
そり橋や 急こう配の 石橋で 針綱神社 参道飾る(針綱神社)
濃尾地区 針綱神社 総鎮守 犬山城の 入口に建ち(同上)
三光寺 三光稲荷 神社へと 犬山城も 神仏分離(三光稲荷神社)
桑名には 春日神社が 城跡に 桑名宗社と 称されもして(春日神社)
祭神は 三崎と春日 明神で それぞれ本殿 拝殿一つ(同上)
江戸中期 住吉神社 創建す 水運盛んな 桑名の宿に(住吉神社)
揖斐川の 治水神社の 創建は 昭和前期で 殉死者祀り(治水神社)
薩摩藩 治水工事を 幕命で 多大な犠牲 払い完成(同上)
多度大社 古墳後期の 創建で 多度山体を 御神体とし(多度大社)
長島の 一向一揆で 神宮寺 焼き尽くされて 社殿焼失(同上)
滝見後は 養老神社 参拝す 菊水泉は 名水百選(養老神社)
源丞内 奈良初期開基 養老寺 江戸時代初期 浄土真宗に(養老寺)
多賀大社 イザナギイザナミ 祭神に 上古時代 創建せしと(多賀大社/寺院・神社11) 51歳
俚言には お伊勢はお多賀の 子でござる お伊勢参らば お多賀へ参れ(同上)
多賀大社 多賀神社の 総本社 三百ほどの 末社あるとか(同上)
桧皮葺き 社殿の多く 昭和初期 再建されしも 古式豊かに(同上)
名刹の 天台宗の 敏満寺 廃寺の後は 胡宮神社に(胡宮神社)
敏満寺 福寿院書院 庭園は 国の名勝 神社に残り(同上)
庫裡らしき 入母屋造り 建物が 無住のようで 切なくも見え(同上)
池の側 二畳ほどの 月見台 小さな茶室 築山の上(同上)
近江路に 湖東三山 西明寺 天台宗の 至宝の古刹(西明寺)
伝説の 三修上人 開山す 平安初期に 湖東の山に(同上)
本坊に 国の名勝 庭園が 江戸前期頃 友閑作と(同上)
庭園は 蓬莱庭と 称されし 池泉築山 回遊式で(同上)
重文の 二天門には 町文の 増長天と 持国天像(同上)
国宝の 三重塔 優美なり 鎌倉後期 建造されし(同上)
初層には 大日如来 安置して 四天柱に 曼荼羅絵画(同上)
本堂は 入母屋造り 国宝で 屋根の修復 足場かけられ(同上)
木造の 至極を見るや 西明寺 守り通した 月日の永さ(同上)
天平期 行基菩薩の 開基とか 湖東三山 金剛輪寺(金剛輪寺)
平安期 円仁大師 中興し 天台宗に 改宗せしと(同上)
持国天 増長天の 二天門 改修しても 国の重文(同上)
本堂は 入母屋造り 桧皮葺き 吉野時代の 和様仏堂(同上)
本尊は 聖観世音 菩薩像 鉈彫像の 生身観音(同上)
重文の 三重塔 高台に 鎌倉中期 建造と聞く(同上)
三重目 崩れ消失 せし所 昭和後期に 修理復元(同上)
本坊は 旧塔頭の 明寿院 昭和の火事で 再建されし(同上)
立札に 一富士二鷹 三茄 門前庭は 鎌倉時代(同上)
本坊の 三庭園は 名勝で 石組池泉 回遊式で(同上)
一つ目は 桃山時代 作庭で 石橋を架け 印塔を置く(同上)
二つ目は 江戸時代初期 作庭で 山に石組 池に護岸石(同上)
三つ目は 江戸時代中期 作庭で 池に面した 茶室を配し(同上)
予期もせぬ 百済寺への 道中に 依智秦氏の 里古墳群(百済寺/寺院・神社12) 51歳
国史跡 湖東三山 百済寺 聖徳太子 開基と伝え(同上)
室町期 三百坊の 百済寺 叡山共に 焼き打ちされし(同上)
庭園は 昭和中期の 作庭と 池泉築山 回遊式で(同上)
石段の 暗がり先 仁王門 創建当時 彷彿とさせ(同上)
本堂は 江戸前期頃 再建す 密教仏堂 国の重文(同上)
十一面 観音立像 本尊で 奈良時代作 近江で最古(同上)
永源寺 寂室元光 開山で 六角氏頼 帰依して開基(永源寺)
永源寺 臨済宗の 十六派 永源寺派の 大本山で(同上)
大伽藍 江戸中期後の 再建で 塔がないので 七堂ならず(同上)
本堂は 方丈とも 称されて 世継観世音 本尊として(同上)
純粋な 臨済禅は 修行の場 観光寺院と 一線画し(同上)
堂の屋根 桧皮に瓦 茅葺きと 入母屋寄棟 切妻もあり(同上)
天平の 志摩国分寺 不詳なり 推定跡地 未調査と聞く(志摩国分寺)
中興は 室町末期 国分寺 江戸時代から 天台宗に(同上)
伊雑宮 イザワノミヤとも 称されて 伊勢内宮の 別宮一社(伊雑宮)
創建は 神話によると 稲作期 垂仁天皇 二十七年と(同上)
伊雑宮 志摩国の 一宮 アマテラスカミ 分霊祀り(同上)
岡崎の 伊賀八幡宮の 創建は 室町後期 松平氏が(伊賀八幡宮)
神橋と 随身門は 重文で 徳川家康 再建せしと(同上)
祭神は 八幡三神 月並みに 社殿四棟 国の重文(同上)
大樹寺 室町末期 開基され 松平氏の 菩提寺となり(大樹寺)
山門は 浄土宗では 三門に 堂宇の名前 宗派で変化(同上)
多宝塔 桧皮の屋根が 秀麗で 境内唯一 国の重文(同上)
本堂は 再建せしが 江戸末期 阿弥陀と観音 本尊として(同上)
永保寺 夢窓疎石が 開創し 臨済宗の 南禅寺派に(永保寺)
臥龍池 池に架かるは 無際橋 夢窓庭園 国の名勝(同上)
池の岸 梵音巌の 上に建つ 六角堂は 奇勝な眺め(同上)
国宝の 観音堂が 本堂で 聖観世音 本尊として(同上)
優美なる 観音堂は 入母屋で 鎌倉後期 創建のまま(同上)
裳階付き 桧皮の屋根の 反りかえし 上から眺む 曲線美かな(同上)
国宝の 開山堂は 二師祀る 夢窓国師に 仏徳禅師(同上)
礼堂に 祠堂合の間 三棟で 屋根形状 八棟造り(同上)
江戸中期 二十八ヶ寺 末寺あり 保寿院ほか 二ヶ寺が残り(同上/寺院・神社13) 51歳
塔頭の 徳林院は 広大で 本堂扁額 一枚の板(同上)
境内は 公園思わす 雰囲気で 地元住民 散歩道かな(同上)
定光寺 吉野時代に 開山し 臨済宗の 妙心寺派で(瀬戸定光寺)
境外に 藩祖義直 廟所建つ 焼香殿など 六棟重文(同上)
義直は 源敬公と 諡号され 仏式厭い 儒教式にて(同上)
本堂は 室町末期の 再建で 無為殿と称し 国の重文(同上)
裳階付き 入母屋造り 柿葺き 典型的な 仏堂建築(同上)
庫裡の屋根 聚星寮と 掲げられ 堂宇ぞれぞれ 命名されし(同上)
建中寺 成誉廓呑 開山し 藩主友光 名古屋に開基(建中寺)
山門に 葵の紋の 垂れ幕が 尾張徳川 菩提寺であり(同上)
本堂は 江戸中期の 再建で 阿弥陀如来を 本尊として(同上)
裳階付き 宝形造り 経蔵は 江戸の後期の 傑作事例(同上)
美濃国 南宮大社 一宮 創建不詳 国府の南(南宮大社)
楼門は 入母屋造り 桧皮葺き 徳川家光 社殿再建
朱色に 統一されし 社殿群 十八棟が 国の重文(同上)
祭神は カナヤマヒコの 鉄の神 鉱山金属 総本宮で(同上)
イザナミの 金山彦は 嘔吐物 神話において 不要はなしで(同上)
斎館の 平入り玄関 二階建て 切妻造り 欄干備え(同上)
真禅寺 南宮神社の 神宮寺 最澄上人 中興せしと(真禅寺)
明治初期 神仏分離で 移転せし 三重塔 国の重文(同上)
本地堂 入母屋造り 瓦葺き これも重文 薬師を祀り(同上)
国史跡 美濃国分寺 その寺観 伽藍以外は ありし日のまま(美濃国分寺)
境内は 二重に塀を 廻らせて 不逞の輩 防ぐと見えし(同上)
江戸初期に 再興されし 国分寺 山門本堂 諸堂整い(同上)
国分寺 今の宗派は 高野山 真言宗の 準別本山(同上)
本尊は 薬師如来 坐像なり 平安期作 国の重文(同上)
真宗の 平尾御坊の 願證寺 室町末期 創建されし(願證寺)
本堂は 江戸中期の 再建で 阿弥陀如来を 本尊として(同上)
甚目寺は 飛鳥時代の 開基され 海部唯一の 七堂伽藍(甚目寺/寺院・神社14) 51歳
重文の 三重塔 江戸初期に 名古屋の豪商 寄進をせしと(同上)
楼門の 南大門も 重文で 鎌倉初期に 頼朝再建(同上)
本堂は 平成四年 再建し 聖観音の 秘仏を安置(同上)
甚目寺の 漆部神社は 鎮守社で 神仏分離で 寺と垣根を(漆部神社)
祭神は 三見宿祢 ミコトとか 漆にまつわる 神様とされ(同上)
甚目寺に 大徳院は 隣接し 真言宗の 共に智山派(大徳院)
妙興寺 尾張屈指の 大寺で 吉野時代に 滅宗開山(妙興寺)
勅使門 室町時代 建築で 堂宇唯一 国の重文(同上)
境内に 堂宇伽藍が 二十棟 塔頭支院 五ヶ院ありて(同上)
妙興寺 臨済宗の 妙心寺派で 伽藍配置は 禅寺式に(同上)
仏堂は 釈迦三尊 本尊に 明治後期に 再建されし(同上)
尾張には 過ぎたる寺と 評されて 本坊もまた 優れた寺観(同上)
境内に 池泉回遊 庭園が 禅寺ならば 枯山水も(同上)
市の名にも 尾張国の 一宮 真清田神社 熱田おさえて(真清田神社)
祭神は アメノホアカリの ミコトとか 尾張氏祖神 弥生の頃か(同上)
戦災で 社殿は焼失 殆どが 本殿含め 戦後の再建(同上)
満月寺 恵心僧都の 開山で 竜宮門の 山門ゆかし(満月寺)
満月寺 天台宗を 改宗し 臨済宗の 大徳寺派に(同上)
西教寺 聖徳太子 伝開基 風光明媚 琵琶湖坂本に(西教寺)
本堂は 江戸中期の 再建で 裏堂含め 国の重文(同上)
境内に 塔頭一院 七坊が 真盛宗の 総本山に(同上)
客殿は 桃山時代 再建で 入母屋造り 国の重文(同上)
庭園は 小堀遠州 作と言う 池泉築山 鑑賞式で(同上)
真盛が 室町末期 中興し 天台宗に 新たな一派(同上)
延暦寺 三井寺に次ぐ 西教寺 天台宗の 三派大津に(同上)
渡られぬ 二宮橋の 擬帽子が 寂しく見えて 参道消えし(日吉大社)
三橋は 日本最古の 石橋で 二宮橋は 桁複雑に(同上)
生源寺 最澄上人 生誕地 平安初期に 上人開基(生源寺)
本堂は 江戸中期の 再建で 円仁作の 観音安置(同上/寺院・神社15) 51歳
滋賀院は 天海開基 江戸初期に 延暦寺では 里本坊で(滋賀院)
創建時 後陽成帝 援助して その関わりで 門跡となり(同上)
庭園は 遠州作と 伝えられ 池泉築山 鑑賞式で(同上)
開基せし 天海祀る 慈眼堂 徳川幕府 黒衣の宰相(同上)
律院は 桃山時代 開創し 昭和戦後に 再興されし(律院)
本堂は 淀君寄進を 移築して 釈迦如来像 本尊とする(同上)
護摩堂は 不動明王 安置して 裳階の宝形 入母屋造り(同上)
里坊に 国の名勝 庭園が 十ヶ所ありて 律院もまた(同上)
坂本の 里坊群に 絶句せし 約五十坊 重伝建に(同上)
豊かなる 社の参道 分け入れば 荘厳華麗な 桃山社殿(日吉大社)
感動を 瞼の裏に 焼きつけて 比叡の山に 柏手を打つ(同上)
日枝の山 日吉大社の 創建は 崇神天皇 ヤマト期とされ(同上)
境内に 国宝二棟 重文は 十七棟で 神輿七基も(同上)
東には オオヤマクイを 祭祀して 西本宮は オオクニヌシを(同上)
驚嘆す 十二万坪の 境内に 本宮二社に 摂社末社が 十八社建ち(同上)
信長の 叡山焼き討ち 類焼し 桃山時代 再建されし(同上)
山王の 日吉大社は 総本社 全国末社 三千八百(同上)
写真でも 収めきれない 美しさ 東本宮 肉眼におさむ(同上)
権力者 時代が変わる その度に 神も社も また移りゆく(日吉東照宮)
江戸前期 東照宮は 創建す 日吉大社の 境外末社(同上)
里坊も 焼き討ちに遭い 江戸初期に 宝積院は 再興されし(宝積院)
大津では 坂本界隈 勝るかな 叡山日吉の 門前として(同上)
琵琶湖側 兵主大社の 創建は ヤチホコノカミ 遷座の奈良期(兵主大社)
拝殿は シンメトリの 翼廊で 昭和前期の 傑作社殿(同上)
祭神の 八千矛神 別名は 大国主で 大己貴とも(同上)
神社名 兵主と 読まれもし 武家の信仰 中世篤く(同上)
庭園は 池泉遣水 回遊で 六千坪は 国の名勝(同上)
庭園は 平安時代の 作庭で 池泉の石は 浄土的でも(同上)
祭神は 大水口の 宿禰とか 水口神社 ヤマト期創建(水口神社)
大池寺は 行基菩薩の 開創で 臨済宗の 妙心寺派で(大池寺)
書院には 水口城の 完成時 小堀遠州 作事の庭が(同上)
紅葉に 大刈り込みの サツキあり 枯山水の 蓬莱の庭(同上)
飛石の 先に白壁 土蔵あり これも添景 絵になる眺め(同上/寺院・神社16) 52歳
善水寺 最澄上人 中興し 天台宗の 最初の末寺(善水寺)
本堂は 室町時代 再建で 入母屋造り 国宝指定(同上)
本尊の 薬師如来は 重文で 平安中期の 木造坐像(同上)
不動寺 空海大師 開創で 黄檗宗の 無住の寺に(不動寺)
本堂は 寄棟屋根の 懸造り 室町築年 国の重文(同上)
奈良時代 良弁開基 常楽寺 平安初期に 天台宗に(常楽寺)
国宝の 三重塔 再建は 室町前期 慶禅により(同上)
秋風に 物欲消えて 拝み行く 湖南三山 常楽寺かな(同上)
本堂は 入母屋造り 桧皮葺き 室町初期の 国宝伽藍(同上)
本尊は 千手観音 重文で 木造坐像 秘仏とされし(同上)
本堂に 三重塔 並び建つ 拝観客ら 観楓を兼ね(同上)
東寺 湖南三山 長寿寺は 良弁開基 勅願寺なり(長寿寺)
本堂は 寄棟造り 桧皮葺き 築年不詳の 国宝伽藍(同上)
本尊は 地蔵菩薩で 行基作 秘仏のためか 史実は不明(同上)
入母屋の 弁天堂は 重文で 室町末期 築年とされ(同上)
拝殿は 入母屋造り 重文で 本堂横に 桧皮を並べ(同上)
信長が 三重塔 横取りし 安土城下の 摠見寺へと(同上)
金勝寺 役行者が 開山し 良弁開基 大菩提寺に(金勝寺)
本尊の 釈迦如来像 重文で 本堂寂れ 哀しき安置(同上)
無住なり 天台宗の 古刹とて 重文仏像 盗難懸念(同上)
観音寺 泰澄上人 開創し 平安時代 天台宗に(荒子観音寺)
多宝塔 室町末期 再建す 名古屋最古で 国の重文(同上)
本堂は 平成六年 消失し 利家寄進 失せる哀しさ(同上)
千体の 円空仏を 発見す 六角堂の 木箱の中に(同上)
参道に 利家生誕 幟立ち 荒子城址と 推定されて(同上)
鎮守社の 富士天神社 祭神は 富士権現と 道真公で(同上)
本尊の 聖観音は 秘仏とか 三十三年 毎の開帳(同上)
笠覆寺 奈良天平期 開創で 平安中期 堂宇建立(笠覆寺)
本堂は 江戸中期の 再建で 十一面の 観音本尊(同上)
笠覆寺 真言宗の 智山派で シンボルマークで 多宝塔かな(同上)
通称は 笠寺観音 名で知られ 東海道に 石橋架かり(同上)
予期もせぬ 小夜の中山 久延寺 行基開基の 古刹とされし(久延寺)
事任 八幡宮の 創建は 古墳後期の 成務天皇期(事仁八幡宮)
この神社 遠江国 一宮 コトノマチヒメ 祭神として(同上)
可睡斎 室町前期 開創し 曹洞宗の 旧僧録で(可睡斎/寺院・神社17) 52歳
禅僧の 居眠り和尚 住持せし 東陽軒が 可睡斎へと(同上)
重厚な 入母屋造り 本堂は 明治中期に 移築されしと(同上)
御真殿 秋葉権現 祭祀せし 神仏分離で この地に遷座(同上)
可睡斎 十万坪の 境内に 二十五棟の 堂宇伽藍が(同上)
年の暮れ 遠州三山 可睡斎 斎の寺名は 初めて目にす(同上)
油山寺は 行基菩薩の 開創で 真言宗の 智山派の寺(油山寺)
山門は 掛川城の 城門を 明治に移築 国の重文(同上)
通称は 油山とも 称されて 東海道の 旅人詣で(同上)
油山寺の 松泉閣は 宿坊に 改修したら 是非泊りたき(同上)
油山寺や 七堂伽藍 方丈と 書院は移築 県文化財(同上)
薬師堂 江戸中期の 再建で 宝形造り 流れ向拝(同上)
本尊の 薬師如来は 目の薬師 絶対秘仏 百年毎と(同上)
鮮紅の 三重塔 重文で 銅板葺きの 屋根は珍し(同上)
旧塔は 源頼朝 寄進とか 二代目塔は 江戸初期再建(同上)
鐘楼を 三段階に 分けるなら 袴腰付 上の建築(同上)
大御堂寺 役行者の 開山で 真言宗の 豊山派末寺(大御堂寺)
通称は 野間大坊の 名で知られ 阿弥陀如来を 本尊とせし(同上)
梵鐘は 鎌倉期作 重文で 鐘楼堂は 高く大きく(同上)
岩屋寺は 行基菩薩の 開創で 江戸文化期に 豪潮中興(岩屋寺)
本堂は 寄棟造り 瓦葺き 千手観音 本尊として(同上)
戦後には 天台宗を 捨て尾張 高野山宗 総本山に(同上)
寺伝では 石薬師寺の 開創は 泰澄上人 奈良時代とか(石薬師寺)
中興は 空海大師 その縁で 真言宗は 東寺派の寺(同上)
本堂は 寄棟造り 江戸前期 近江大工が 再建せしと(同上)
本尊は 石に刻んだ 薬師仏 空海作は 伝説の域(同上)
正法寺 江戸天和期の 創建で 黄檗宗に 改宗されし(正法寺)
江戸後期 大釈迦如来 坐像建つ 日本最大 乾漆造で(同上)
信長が 善光如来 手に入れて 開基されしが 岐阜善光寺(岐阜善光寺)
戦国期 斎藤道三 遷座せし 伊奈波神社を 稲葉の山に(伊奈波神社)
祭神は イニシキイリヒコ 土地の神 垂仁天皇 皇子とも言われ(同上)
勤操が 美江寺の開基 奈良時代 道三中興 天台宗に(美江寺)
山門は 近年築の 楼門で 柱触ると コンクリートで(同上)
本堂の 観音堂の 十一面 観音像は 岐阜最古とか(同上)
通称は 大須観音 宝生院 鎌倉末期 能信開基(宝生院/寺院・神社18) 52歳
本堂は 空襲により 焼失し 豪壮伽藍 戦後再建(同上)
現在は 真言宗の 智山派で 宝生院は 別格本山(同上)
華厳寺は 平安初期の 開山で 西国霊場 結願の寺(華厳寺)
霊場は 花山法皇 中興し 三十三ヶ所 順番定む(同上)
十一面 観音立像 近年は 絶対秘仏で 開帳されず(同上)
袴腰 鐘楼堂は 入母屋で 欄干の下 唐破風備え(同上)
横蔵寺 平安初期の 開山で 華厳寺と同じ 天台宗で(横蔵寺)
仁王門 鐘楼兼ねた 楼門で 江戸前期築 木肌色褪せ(同上)
境内の 三重塔 また哀れ 修復されず 仁王門なみ(同上)
本堂の 入母屋造も 江戸前期 重文薬師 本尊として(同上)
華厳寺の 賑う様子に 比べると 閑散とせし 横蔵寺かな(同上)
砥鹿神社 三河国の 一宮 白鳳末期 創建されし(砥鹿神社)
御神体 本宮山で 祭神は オオクニヌシを この里宮に(同上)
拝殿は 入母屋造り 仏堂風 銅板葺きに 翼廊付けて(同上)
本殿は 神明造り 塀の中 昭和中期の 再建と聞く(同上)
摂社には 三河えびす社 砥鹿神社 商売繁盛 家業繁栄(同上)
妙厳寺 豊川稲荷の 名で知られ 室町中期 創建されし(妙厳寺)
本殿は ダキニシンテン 祭祀せし 稲荷の神と 同一視され(同上)
妙厳寺 曹洞宗の 大寺で 神仏習合 分離に堪えて(同上)
壮大な 入母屋造り 裳階付き 本殿再建 昭和五年と(同上)
本殿と 書院を結ぶ 庭園は 池泉流水 回遊式で(同上)
入母屋の 大建築は 立願所 一般的に 寺務所にあたる(同上)
重厚な 二重の屋根の 法堂は 千手観音 本尊として(同上)
山門は 境内最古の 建築で 今川義元 寄進せしとも(同上)
奥ノ院 旧本殿の 拝殿で 吁枳尼真天 分霊祀り(同上)
支援者の 大岡忠相 霊廟が 思わず合掌 鳥居あるのに(同上)
禅堂は 万燈堂と 称されて 江戸末期築 入母屋造り(同上)
宝雲殿 十三仏を 祭祀する 珍しきかな 曹洞宗に(同上)
総門は 明治中期の 再建で 山門よりも 控え目に建つ(同上)
寺宝館 平成五年の 落成で 入母屋造り 城郭風に(同上/寺院・神社19) 52歳
三明寺 白鳳末期の 開創で 無文元遷 中興せしと(三明寺)
重文の 三重塔 柿葺き 小塔ながら 禅様式で(同上)
三明寺 曹洞宗に 改宗し 弁財天が 人気が高く(同上)
奈良初期に 藤原不比等 建立す 御上神社を 湖南の野洲に(御上神社)
楼門は 入母屋造り 重文で 鎌倉後期 再建されし(同上)
拝殿も 国の重文 入母屋で 桧皮の屋根が 特に美し(同上)
国宝の 入母屋造り 本殿は 改修中で 摂社を拝す(同上)
三上山 アメノミカゲの 御神体 遥拝しては 社務所で朱印(同上)
錦織寺 円仁大師 開山し 鎌倉前期 親鸞止錫(錦織寺)
真宗に 鎌倉末期 改宗し 真宗十派 木辺派本山に(同上)
御影堂は 親鸞聖人 祀る堂 江戸元禄期 入母屋造り(同上)
長命寺 聖徳太子 開創し 西国霊場 三十一番(長命寺)
鎌倉期 近江守護職 佐々木氏が 天台宗の 古刹を支援(同上)
重文の 三重塔 桃山期 大日如来 安置し再建(同上)
護摩堂は 宝形造り 桧皮葺き 江戸初期築で 国の重文(同上)
本堂は 入母屋造り 重文で 室町末期 和様仏堂(同上)
本尊は 観音三体 重文で 六十一年 毎の開扉と(同上)
重文の 三仏堂は 釈迦・阿弥陀 薬師立像 三尊祀り(同上)
袴腰 入母屋造り 鐘楼は 江戸初期築で 国の重文(同上)
重文の 六棟すべて 桧皮葺き 調和整う 寺観を呈し(同上)
盛時には 子院塔頭 十九寺 現在三寺 衰退もせし(同上)
勅命で 平安中期 創建す 下の社日牟禮 八幡宮は(日牟禮八幡宮)
重文の 苗村神社の 楼門は 室町末期 入母屋造り(苗村神社)
国宝の 西本殿は 鎌倉期 流造りで 再建されて(同上)
重文の 東本殿 シンメトリ 室町末期 美観は伝授(同上)
優美なる 苗村神社 創建は 古墳時代か ヒコヒメ祀り(同上)
ピラミット 赤神山の 中腹に 太郎坊宮 社殿が見えし(太郎坊宮)
阿賀神社 太郎坊宮 別称で 難波時代に 創建されし(同上)
本殿は アメノオシホミミ 祭祀せし アマテラスの子 皇祖の一人(同上)
成願寺 阿賀神社の 神宮寺 最澄上人 現地に開基(成願寺)
太郎坊 大権現像 本堂に 神仏分離で 本殿追われ(同上)
浄土宗 浄厳院は 安土期に 明感開基 信長庇護し(浄厳院/寺院・神社20) 52歳
本堂は 室町期築の 重文で 入母屋造り 本瓦葺き(同上)
本尊は 阿弥陀如来の 坐像なり 平安期作 国の重文(同上)
この寺で 信長主催 宗論が 法華と浄土 二派で行われ(同上)
氏神の 沙沙貴神社の 創建は 不詳なれども 平安初期か(沙沙貴神社)
江戸末期 権現造り 再建す 佐々木一族 京極氏により(同上)
祭神は 五体合わせた 明神で オオヒコノカミ 始祖が祀りし(同上)
権殿は 本殿予備の 仮殿で ひな形として 江戸末期築(同上)
摠見寺 信長開基 城の下 臨済宗の 妙心寺派に(摠見寺)
二王門 三重塔 重文で 殆ど移築 寄せ集め寺(同上)
会勝寺の 千手観音 重文で 天台宗の 安土の小寺(会勝寺)
本堂は 一昨年に 落成し 千手観音 また新しく(観音正寺)
寺伝では 聖徳太子 開創と 繖山の 観音正寺(同上)
白鳳期 定恵上人 開基せし 桑実寺は 天台宗に(桑実寺)
本堂は 入母屋造り 重文で 本尊薬師 春秋開扉(同上)
標識に おかげ参りの 出発地と 廃堂見ると 哀しく思え(同上)
名水の 泉神社は 不詳なり 権現造り 規模が大きく(泉神社)
宝巌寺 行基の開基 勅願で 琵琶湖の島に 弁天祀り(宝厳寺)
手水舎で 形ばかりに 身を清め 石段上る 竹生島かな(同上)
本堂は 昭和前期に 再建し 大弁才天 居場所を確保(同上)
鮮やかな 三重塔 蘇る 三百余年 年月を隔て(同上)
竹生島 国の名勝 史跡なり 国宝二棟 重文三棟(同上)
重文の 観音堂は 江戸初期に 豊国廟より 移築されしと(同上)
本尊は 千手観音 秘仏なり 西国霊場 三十番で(同上)
唐門も 豊国廟の 移築なり 桃山遺構 国宝となり(同上)
重文の 渡廊も移築 御座船の 用材使い 舟廊下とも(同上)
都久夫須麻 神社の表記 通常は 竹生島とし 理解しやすく(竹生島神社)
本殿は 伏見城郭 勅使殿 移築されても 国宝指定(同上)
祭神は イチキシマヒメ 分離から 弁才天と 同一視され(同上)
本殿は 入母屋造り 桧皮葺き 唐破風付で 豪華富麗(同上)
湖に 竜神拝所 鳥居建ち 叶わぬ願い ふと思い出す(同上)
若き日の 空海大師 庵跡 明星伝説 竹生島にも(同上)
社務所には 小型重機が 準備され 離島が故に 宮司は多忙(同上)
船着くと 多くの客が 往来し 五月連休 想像絶す(宝厳寺)
宝厳寺 竹生島神社 比べると 市杵島比売 寂しげな顔(同上/寺院・神社21) 52歳
大通寺 真宗別院 大谷派 教如上人 江戸初期開基(大通寺)
本堂は 江戸初期築の 重文で 伏見城郭 移築せしとも(同上)
本尊は 阿弥陀如来で 本堂は 入母屋造り 本瓦葺き(同上)
鐘楼は 江戸延宝期 再建で この堂のみが 桧皮葺きなり(同上)
庭園は 含山軒と 蘭亭で 国の名勝 江戸初期の庭(同上)
脇門の 台所門 よく見れば 長浜城の 追手門なり(同上)
長浜の 豊国神社 創建は 秀吉没後 慶長五年(豊国神社)
創建は 平安後期 長浜の 八幡宮は 社殿優美で(長浜八幡宮)
総持寺は 行基菩薩 開創で 真言宗の 豊山派末寺(総持寺)
本尊は 薬師如来で 入母屋の 本堂まわり 牡丹が咲きし(同上)
庭園は 遠州作と 擬せられて 池泉に小島 回遊式で(同上)
庭園は 滋賀県指定 名勝で 遠州作なら 国名勝に(同上)
つくばいに 敷石白洲 池続き 丸形灯籠 橋の石組(同上)
伊賀国 敢国神社 一宮 白鳳時代 創建とされ(敢国神社)
祭神は オオヒコノミコト 他二座で 南宮山を 御神体とし(同上)
本殿は 社叢に隠れ 拝殿で 大彦命 武神を拝す(同上)
一宮 二十七社目 めぐるかな 朱印を眺め また満足も(同上)
天平期 実忠和尚 開創す 観菩提寺の 正月堂を(観菩提寺)
東大寺 二月堂では お水取り その先駆けが 正月堂と(同上)
楼門は 室町前期 再建で 入母屋造り 国の重文(同上)
本堂も 入母屋造り 重文で 屋根も同じく 桧皮葺きなり(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 真言宗の 豊山派となる(同上)
笠置寺 大海人皇子の 伝開基 白鳳時代 笠置の山に(笠置寺)
本堂は 正月堂と 称されて 実忠中興 伝お水取り(同上)
本尊は 弥勒菩薩の 磨崖仏 光背のみが 僅かに残り(同上)
修行場に 胎内くぐり 花崗岩 蟻の戸渡り ゆるぎの石も(同上)
石造の 十三重塔 重文で 室町前期 寺の歴史を(同上)
笠置山 国の名勝 史跡なり 奇岩怪石 また苑地あり(同上)
明治初期 無住寺を経て 再興す 真言宗の 智山派として(同上)
名勝の 浄土庭園 円成寺 平安後期 寛遍作と(円成寺/寺院・神社22) 52歳
予期もせぬ 名園もありて 感動す 旅に勝れる 刺激はあるか(同上)
天平期 聖武天皇 勅願で 唐僧虚瀧 開山せしと(同上)
楼門は 室町期築 重文で 入母屋造り 下層に屋根を(同上)
本堂は 宸殿風で 本尊は 阿弥陀如来で いずれも重文(同上)
円成寺 平安末期 改宗す 真言宗の 仁和寺寄りに(同上)
春日堂 白山堂は 国宝で 鎌倉前期 移築されしと(同上)
明治初期 社を堂に 改めて 破壊免れ 寺の名所に(同上)
霊山寺 行基菩薩の 開創で 真言宗の 単立本山(霊山寺)
本堂は 鎌倉期築 国宝で 和様仏堂 入母屋造り(同上)
本尊は 薬師三尊 重文で 平安末期 板光背付(同上)
鎮守社は 十六所神 祭祀して 中央三社 国の重文(同上)
彩色の 腰袴付 鐘楼も 国の重文 室町期築(同上)
重文の 三重塔 桧皮葺き 鎌倉後期 優美な塔で(同上)
印度僧 婆羅門僧正 供養塔 大仏開眼 導師を務め(同上)
目がくらむ 黄金殿の 金箔に 昭和中期に 弁天祀り(同上)
矢田寺は 金剛山寺 正規の名 あじさい寺の 通称名も(金剛山寺)
白鳳期で 智通開山 矢田寺は 天武天皇 勅願により(同上)
弁柄の 入母屋造り 本堂は 重文地蔵 本尊として(同上)
鎮守社の 春日神社は 重文で 神仏分離で 寺を独立(同上)
奈良初期に 舎人親王 開基せし 松尾の山に 厄除け寺を(松尾寺)
本堂は 吉野時代の 再建で 新和様式 国の重文(同上)
本尊は 千手千眼 観音で 通称名は 厄除け観音(同上)
多武峰 談山神社 創建は 白鳳時代 鎌足祀り(談山神社)
拝殿を 含む十棟 重文で 室町末期 以降再建(同上)
拝殿は 入母屋屋根の 懸造り 朱塗りの柱 壮観に立ち(同上)
元々は 聖霊院の 拝所なり 本殿また その本堂で(同上)
本殿は 春日造りが 壮麗で 鎌足公の 尊像安置(同上)
講堂は 拝所に変わり 仰ぎ見る 十三重塔 霊廟となり(同上)
木造の 十三重塔 唯一で 室町末期 戦乱他所に(同上)
石段の 談山の 山頂に 鎌足公の 本廟はあり(同上)
この山で 中大兄皇子 鎌足が 蘇我氏討伐 相談せしと(同上)
何と言う 神を祀るか 知らねども 自然が神と 思うこの頃(同上)
東殿 重文堂宇 摂社なり 王女を祀り 恋神社とも(同上)
聖林寺 定慧開山 奈良時代 真言宗の 室生寺派に(聖林寺)
本堂は 江戸中期の 再建で 子安延命 地蔵が本尊(同上)
十一面 観音立像 国宝で 神仏分離後 寺の所有に(同上/寺院・神社23) 52歳
安倍寺が 平安末期 消滅し 安倍文殊院 再興されし(安倍文殊院)
本堂は 江戸前期の 再建で 本尊文殊 国宝仏像(同上)
境内に 閼伽井古墳の 石室が 埋め戻されず 祭祀もされし(同上)
重文の 白山堂は 鎮守堂 紅い社殿は 室町期築(同上)
江戸末期 神武天皇 陵が 畝傍山下 治定がなされ(橿原神宮)
新たなる 橿原神宮 創建は 明治中期で 宮殿跡に(同上)
本殿は 京都御所の 移築とか 江戸末期築 国の重文(同上)
久米寺は 白鳳時代 開創で 沙門空海 修行の寺で(久米寺)
空海が 大日経を 発見し 真言宗の 発祥地とも(同上)
本堂は 薬師如来を 本尊に 江戸前期頃 再建されし(同上)
帰唐した 空海大師 中興し 真言宗の 御室派別院(同上)
客殿の 入母屋屋根に 千鳥破風 久米仙人は あちらこちらに(同上)
多宝塔 江戸前期築 重文で 仁和寺からの 移築とされし(同上)
境内に 弘法大師 石鎮座 阿の字の梵字 大師自刻か(同上)
鳳来山 東照宮の 創建は 家光発願 慶安四年(鳳来山東照宮)
拝殿を 含む五棟 重文で 創建当時 変らぬ社観(同上)
本堂は 昭和後期の 再建で 薬師如来を 本尊として(鳳来寺)
鳳来寺 利修仙人 開山で 白鳳末期 鳳来山に(同上)
本坊は 寂れた様子 ひしひしと 真言宗の 古刹が哀れ(同上)
山内に 奇岩奇峰が 点在す 鳳来寺山 国の名勝(同上)
参道に 合掌造り 旅館建つ 旧塔頭は 新たな道に(同上)
仁王門 東照宮と 同時期に 再建されて 国の重文(同上)
天平の 飛騨国分寺 再興は 本堂建立 室町中期(飛騨国分寺)
本堂は 入母屋造り 弁柄で 薬師と観音 合わせ重文(同上)
江戸後期 三重塔 再建す 七重塔に 及びもせぬが(同上)
飛騨国 水無神社 一宮 創建不詳 古墳時代か(水無神社)
拝殿は 昭和前期の 再建で 水無大神 位山祀り(同上)
絵馬殿は 旧拝殿で 江戸初期に 金森長近 建立せしと(同上)
北畠 顕能祀る 神社なり 江戸寛永期 子孫創建(北畠神社)
鮮やかな 朱色の社殿 昭和初期 再建されて 父兄合祀(同上)
奈良後期 勤操開基 神宮寺 空海再興 丹生大師とも(丹生神宮寺)
神宮寺 本堂はなく 大師堂 空海大師 本尊として(同上/寺院・神社24) 52歳
丹生大師 真言宗の 山階派 京の勧修寺 大本山で(同上)
丹生神社 ハニヤスヒヒメを 祭神に 継体時代 創建されしと(丹生神社)
奈良時代 漁夫が草創 観音寺 聖観音像 海で引揚げ(津観音寺)
観音寺 戦後復興 本堂も 真言宗の 醍醐派本山(同上)
重文の 流れ造りの 本殿は 室町後期 佐々木氏寄進(伊砂砂神社)
平安期 伊砂砂神社 創建す イワナガヒメを 祭神として(同上)
奈良時代 行表開基 三室戸寺 西国霊場 十番札所(三室戸寺)
重層の 入母屋造り 本堂の 千手観音 絶対秘仏(同上)
三室戸寺 宗派本山 修験宗 天台系の 聖護院末(同上)
明治末 三重塔 移設され 本堂含め 府の文化財(同上)
与楽園 近年作の 庭園で 枯山水と 池泉回遊(同上)
春日社は 宇治上神社 摂社にて 鎌倉期築 国の重文(宇治上神社)
拝殿は 鎌倉前期 造営で 宸殿造り 国宝指定(同上)
本殿は ウジノワキイラツコ 主祭神 切妻造り これも国宝(同上)
宇治神社 応神天皇 皇子祀る 菟道稚郎子 上社と同じ(宇治神社)
本殿は 鎌倉後期 造営で 流れ造りは 国の重文(同上)
興聖寺 道元禅師 開山で 江戸慶安期 再興されし(宇治興聖寺)
本堂は 伏見城郭 移築され 釈迦三尊を 本尊とする(同上)
江戸中期 曹洞宗の 永平寺 末寺となりて 機内別院に(同上)
法界寺 日野資業が 出家して 平安後期 開基せし寺(法界寺)
国宝の 宝形造り 阿弥陀堂 本尊坐像 また国宝で(同上)
薬師堂 寄棟造り 重文で 薬師如来像 また重文で(同上)
明治末 廃寺の本堂 移築せし 室町期築 日野薬師かな(同上)
赤舞台 勾玉池の シンボルで 奉納舞踊 伊勢音頭かな(伊勢神宮外宮)
神宮の 農業館は シンメトリ 和様折衷 平屋に搭屋(伊勢神宮)
神宮の 美術館の 庭園は 回遊式で 建屋に池泉(同上)
神宮の 徵古館 モダンなり 煉瓦造りに 白石を貼り(同上)
徵古館 農業館の 設計は 片山東熊 明治後期に(同上)
別宮の 倭姫宮 陵墓そば 大正時代 創建されて(同上)
古寺の 金剛證寺 中興す 空海大師 虚空蔵祀り(金剛證寺)
室町期 臨済宗に 改宗し 仏地禅師 再び開山(同上)
本殿は 寄棟造り 重文で 虚空蔵菩薩 本尊のまま(同上)
優美かな 連間の池の 連珠橋 池は大師の 手によるものと(同上)
朝熊山 思いもかけぬ 経塚群 伊勢の昔は 神も大らか(同上/寺院・神社25) 52歳
五十鈴川 口そそぐには 水汚れ 近くて遠い 御手洗場かな(伊勢神宮内宮)
日本一 アマテラス大神 御威光は 太陽神で 遍く照らし(同上)
神明社 全国末社は 四千社 八幡宮に 次ぐ多さなり(同上)
尾張では 大懸神社 二宮で オオアガタ神 開拓の神(大懸神社)
本殿の 三棟造り 珍しく 江戸前期築 国の重文(同上)
摂社には オオクニヌシも 祀られて 新たな社殿 目に清々し(同上)
姫之宮 タマヒメノミコト 祭祀する 女性に特化 その守護神で(同上)
龍潭寺 行基の開基 平安期 井伊氏中興 菩提寺として(龍潭寺)
楼閣の 開山堂は 珍しく 伽藍六棟 江戸前期築(同上)
庭園は 小堀遠州 作庭と 池泉築山 鑑賞式で(同上)
方広寺 無文元選 開山す 室町前期 奥山氏庇護し(方広寺)
明治期に 南禅寺派を 独立し 臨済宗の 大本山に(同上)
本堂は 入母屋造 二階建て 釈迦如来像 重文本尊(同上)
面白き 切妻造り 庫裡の屋根 唐破風両側 千鳥破風で(同上)
方広寺 半僧坊は 奥ノ院 権現祀る 寺の鎮守社(同上)
谷間には 赤いアーチの 亀背橋 秋の眺めは 如何なるものと(同上)
禅寺の 三重塔は 珍しき 門塀あるも また珍しき(同上)
遠江 国分寺跡 全国で 三ヶ所だけの 特別史跡(遠江国分寺)
継続の 寺は小さな 国分寺 大正時代 再建されて(同上)
仁王門 室町期築 重文で 楼門造り 柿葺き屋根(尊永寺)
勅願で 行基の開基 尊永寺 本堂本尊 聖観音で(同上)
高野山 真言宗の 尊永寺 遠州三山 格式高く(同上)
飛鳥期に 大福田寺 開創と 伊勢七福神 大黒天が(大福田寺)
本尊の 阿弥陀如来が 本堂に 真言宗の 寺で珍し(同上)
歓喜天 日本三大 聖天で 老中定信 寄進と言われ(同上)
大谷派 桑名別院 本統寺 桃山末期 長姫開基(本統寺)
本堂は 阿弥陀如来が 本尊で 松尾芭蕉 投宿の寺(同上)
香積寺 室町前期 創建で 曹洞宗の 足助の古刹(香積寺)
白鳳期 八幡宮は 創建と 足助に古き 時代がありき(足助八幡宮)
本殿は 流し造りの 桧皮葺き 室町期築 国の重文(同上)
社殿には 足助神社が 並び建つ 足助重範 祭神として(同上)
勅願で 新大仏寺 鎌倉期 重源開山 頼朝開基(新大仏寺/寺院・神社26) 53歳
本堂の 釈迦大仏は 重文で 真言宗の 伊賀成田山(同上)
伊賀上野 天満宮の 創建は 平安末期 菅原神社(上野天満宮)
国史跡 伊賀国分寺 シンプルで 堂塔三棟 案内板に(伊賀国分寺)
白鳳期 弘川寺は 開創し 空海中興 空寂再興(弘川寺)
本尊の 薬師如来が 本堂に 真言宗の 醍醐派末寺(同上)
江戸中期 歌僧似雲が 西行墓 発見をして 世にも知られる(同上)
庵跡は 見晴らしが良く 西行も 同じ目線で 河内眺めしか(同上)
参道は 西行堂へ 続く坂 弘川寺は 菩提寺となり(同上)
宝形の 西行堂は 茅葺きで 似雲法師が 建立せしと(同上)
称念寺 本願寺派の 御坊なり 重伝建の 今井のシンボル(称念寺)
本堂は 入母屋造り 重文で 阿弥陀如来を 本尊として(同上)
長島に 真宗高田派 蓮生寺 山門城の 大手門かな(蓮生寺)
江戸初期に 清正開基 常泉寺 日蓮宗の 日誦開山(常泉寺)
名古屋にも 豊国神社 創建す 明治中期に 生誕場所に(豊国神社)
境内に 木下勝俊 長嘯子 邸宅跡の 石柱立ちて(同上)
明通寺 平安初期に 田村麻呂 創建せしと 寺伝にありき(明通寺)
国宝の 三重塔 建立は 鎌倉中期で 仏堂風に(同上)
どの塔も 一般内覧 非公開 国宝ならば 是非公開を(同上)
本堂も 鎌倉期築の 国宝で 本尊重文 薬師如来は(同上)
明通寺 真言宗の 御室派で 林泉式の 庭も素晴らし(同上)
仁王門 八脚門の 柿葺き 鎌倉期築 国の重文(若狭神宮寺)
奈良初期に 滑元開基 神宮寺 天台宗で 奈良へ水送り(同上)
本堂は 入母屋造り 重文で 朝倉義景 再建せしと(同上)
若狭国 若狭彦神社 一宮 ヒコホホデミを 祀る上社で(若狭彦神社)
萬徳寺 天台宗の 古刹から 江戸期に真言 駆け込み寺に(萬福寺)
一宮 若狭姫神社 一体で トヨタマヒメを 祀る下社で(若狭姫神社)
国史跡 若狭国分寺 円古墳 珍しきかな 国分寺では(若狭国分寺)
継承の 若狭国分寺 江戸初期に 曹洞宗の 寺とし再興(同上)
本堂は 釈迦如来像 安置して 薬師堂には 重文薬師(同上)
勅願で 行基の開基 羽賀寺かな 天台宗から 真言宗に(羽賀寺)
本堂は 入母屋造り 重文で 室町中期 再建されし(同上)
十一面 観音立像 本尊で 平安期作 国の重文(同上)
櫟野寺は 最澄上人 開山で 田村麻呂が 開基とされて(櫟野寺)
十一面 観音像は 重文で 約一丈の 座高ありしと(同上)
国史跡 油日神社 創建は 聖徳太子 建立説も(油日神社)
楼門を 含む五棟は 重文で 室町安土期 建立とされ(同上)
祭神は 油日大神 御神体 油日岳で ミヅハノメ祀り(同上)
本殿は 流し造り 桧皮葺き 室町後期 境内最古(同上/寺院・神社27) 53歳
一休寺 酬恩庵の 開山は 鎌倉中期 大応国師(一休寺)
室町期 一休禅師 住持して 中興後には 寺で入滅(同上)
庫裡含む 重文三棟 江戸前期 前田利常 再建せしと(同上)
方丈に 西を除いた 庭園は 江戸初期作で 国の名勝(同上)
庭園は 石川丈山 松花堂 昭乗らの 三者合作(同上)
北庭は 枯山水の 鑑賞で 借景のある 蓬莱の庭(同上)
方丈は 入母屋造り 桧皮葺き 縁側付で 庭は傑作(同上)
本堂は 足利義政 寄進とか 入母屋造り 奥に庇が(同上)
本尊は 禅宗らしく 釈迦如来 臨済宗の 大徳寺派で(同上)
重層の 開山堂は 大正期 改築されて 国師を祀る(同上)
能役者 金春禅竹 薪能 一休さんに 披露したとか(同上)
観音寺 大御堂とも 称されて 奈良期の開基 東大寺末(大御堂観音寺)
十一面 観音立像 国宝で 木心乾漆 奈良時代作(同上)
蟹満寺 飛鳥時代の 開創で 真言宗の 智山派末寺(蟹満寺)
本尊の 釈迦如来坐像 国宝で 大きな銅造 黒光りせし(同上)
神童寺 役行者の 開山で 真言宗の 智山派の寺(神童寺)
本堂は 寄棟造り 重文で 蔵王権現 本尊とする(同上)
国史跡 日本最古の 高麗寺跡 大和時代に 高句麗人が(高麗寺)
山城の 恭仁宮跡が 国分寺 聖武天皇 二度も遷都し(山城国分寺)
石畳 散りに散りける 桜花 胸はときめく み吉野の山(吉野神宮)
春来れば 思い出される 吉野山 吉野の他に 春は来るとも(同上)
明治期の 吉野神宮 創建で 後醍醐天皇 祭神として(同上)
境内に 二十六棟 社殿建つ 国登録の 文化財でも(同上)
かにかくに 吉野の山は 恋しかり 芭蕉の発句 西行の和歌(同上)
吉野山 桜の花は 日本一 本堂の規模 東大寺に次ぐ(金峯山寺)
白鳳期 丹生川上社 創建す 罔象女神 祭神として(丹生川上神社)
国天記 桜実神社 境内の 八ツ房杉は 弥生杉なり(桜実神社)
大蔵寺 聖徳太子 開山で 空海大師 中興せしと(大蔵寺)
本堂は 鎌倉期築の 重文で 本尊薬師 これも重文(同上)
重文で 日本最古の 大師堂 宝形造り 柿葺きなり(同上)
大蔵寺 真言宗の 単立で 由緒寺ながら 胡散臭さが(同上)
光前寺 平安初期の 開創で 天台宗の 別格本山(光前寺/寺院・神社28) 53歳
三門は 江戸末期築 楼門で 十六羅漢 上層に置き(同上)
本堂は 入母屋造り 妻入りで 不動明王 本尊として(同上)
江戸後期 三重塔 再建す 彩色がなく 素朴な造り(同上)
客殿の 西部庭園 江戸期作 築山式に 池泉めぐらし(同上)
本堂の 前庭園と 客殿の 西部庭園 国名勝で(同上)
潮音寺 室町初期の 開創で 曹洞宗の 渥美の古刹(潮音寺)
境内に 芭蕉の弟子の 杜国墓が 昭和前期に 寺と移転し(同上)
小野神社 小野篁社 摂社にて 吉野時代に 佐々木氏創建(小野篁神社)
本殿は 切妻造り 平入りで その珍しさ 国重文に(同上)
祭神の小野篁は 平安の 歌人で公卿で 反骨の人(同上)
摂社より 控え目に建つ 小野神社 小野氏祖霊を 大津に祀り(小野神社)
能書家の 道風祀る 本殿は 鎌倉期築 国の重文(小野道風神社)
祥瑞寺 華叟宗曇 創建す 大徳寺僧 一休の師で(祥瑞寺)
本福寺 室町後期 開創で 紆余曲折し 本願寺派に(本福寺)
本堂は 平成七年 再建で 阿弥陀如来を 本尊として(同上)
江戸前期 俳号千那 住持せし 芭蕉の弟子で 芭蕉の句碑も(同上)
洛北に 聳える山や 延暦寺 最強の寺 面影は消え(延暦寺)
横川の 四季講堂は 重文で 元三大師 住坊跡に(同上)
澄み渡る 比叡の山の 清らかさ 不変不滅の 法のともしびが(同上)
重文の 常行堂と 法華堂 結ぶ廊下は にない堂とも(同上)
二棟とも 宝形造り 桃山期 阿弥陀と普賢 それぞれ安置(同上)
釈迦堂は 三井寺金堂 移築とか 入母屋造り 国の重文(同上)
浄土院 伝教大師 霊廟で その拝殿は 入母屋造り(同上)
空海の 至極の経は 理趣経か 曲解さけて 最澄に貸さず(同上)
重文の 大講堂は 入母屋で 讃仏堂を 近年移築(同上)
国宝の 根本中堂 シンボルで 江戸前期築 入母屋造り(同上)
僧として 戒律誓い 得度する 戒壇院は 日本に五ヶ所(同上)
阿弥陀堂 昭和初期築 宝形で 重層の中 丈六阿弥陀(同上)
東塔は 昭和後期の 再建で 朱色鮮やか 二重塔で(同上)
奈良初期に 義淵開山 道成寺 重文楼門 仁王門建ち(道成寺)
紀州にも 七堂伽藍 道成寺 江戸前期から 天台宗に(同上)
本堂は 入母屋造り 瓦葺き 吉野期築で 国の重文(同上)
本尊の 千手観音 国宝で 平安初期の 木造立像(同上)
興国寺 法燈国師 開山で 鎌倉中期 紀州の由良に(興国寺)
興国寺 普化尺八の 元祖とも 臨済宗の 妙心寺派で(同上)
境内に 堂宇伽藍が 十二棟 近代築で 重文はなし(同上)
重層の 入母屋造り 本堂は 本尊釈迦で 江戸後期築(同上/寺院・神社29) 53歳
長保寺 平安中期 開山で 天台僧の 性空により(長保寺)
本堂は 鎌倉期築 国宝で 入母屋造り 本瓦葺き(同上)
多宝塔 大門もまた 国宝で 鎌倉後期 偲ぶ堂塔(同上)
鎮守堂 流れ造りの 重文で 鎌倉中期 八幡社とし(同上)
紀三井寺 唐僧為光 開創と 真言系の 総本山で(紀三井寺)
十一面 観音像は 重文で 西国霊場 二番札所に(同上)
鐘楼と 多宝塔と 楼門は 室町期築 国の重文(同上)
懐かしさ 胸にあふれて 来るけれど 一緒に旅した 友いずこにか(同上)
紀州にも 東照宮は 創建す 日光よりも 四年遅れで(紀州東照宮)
楼門を 含めた七棟 重文で 西の日光 御三家ならば(同上)
本殿に 初代頼宣も 祀られて 権現造り 規模は小さく(同上)
紀伊国 日前神宮 一宮 ヒノクマの神 祭神として(日前神宮)
高野山 誰もが驚く 大伽藍 二十万基の 墓石群にも(高野山)
信心や 程度過ぎれば 病なり 病まず信じる 遍照金剛(同上)
理趣経に 煩悩認め あるがまま 生きる姿を 見つけてみたり(同上)
ありがたや 今朝も息あり 手を合わす ああ南無大師 遍照金剛(同上)
高野山 宿坊泊は 二泊目で 芭蕉ゆかりの 普賢院に(同上)
真宗の 血を受け継ぎつ 真言に 心を染めて 禅に身を置く(同上)
多宝塔 北条政子 寄進とか 頼朝実朝 供養のために(同上)
神仏 恙無くあれ 高野山 死後の果てなる 密厳浄土(同上)
拘らぬ 心をもって 旅をする 熊野高野も また自然なり(同上)
吉野山 熊野三山 高野山 三野巡礼 またいつの日か(同上)
高野山 丹生津比売神社 鎮守社で 空海大師 創建せしと(丹生津比神社)
輪橋は 赤く大きな 太鼓橋 慶長年間 淀君寄進(同上)
楼門は 入母屋造り 桧皮葺き 室町期築 国の重文(同上)
拝殿で 多数の人が 厄払い ニウツヒメの神 天野明神(同上)
本殿は 四殿で成る 重文で 丹生狩場気比 厳島の神(同上)
慈尊院 空海大師 開山で 本堂重文 本尊国宝(慈尊院)
九度山に 丹生官省符 神社建つ 空海大師 創建せしと(丹生官省符神社)
本殿は 三殿で成る 重文で 七体の神 三殿に分祀(同上)
国宝の 三絶の鐘 銘文は 道真の撰 道風の書で(栄山寺)
栄山寺 奈良時代初期 開創で 真言宗の 豊山派末寺(同上)
石造の 七重塔 重文で 平安後期 凝灰岩製(同上/寺院・神社30) 53歳
本堂は 寄棟造り 本尊の 薬師如来は 国の重文(同上)
国宝の 八角堂は 天平期 藤原仲麻呂 建立せしと(同上)
奈良初期に 壺阪寺は 開基する 弁基上人 万葉歌人が(壺阪寺)
十一面 観音像が 本尊で 西国霊場 六番札所(同上)
重文の 三重塔 繊細な 室町末期 木組みそのまま(同上)
礼堂は 本堂前に 建つ堂で 室町中期 国の重文(同上)
入母屋の 楼門造り 仁王門 江戸初期築で 国の重文(岡寺)
岡寺は 義淵開基す 奈良時代 西国霊場 七番札所(同上)
本堂は 入母屋造り 妻入りで 本尊重文 如意輪観音(同上)
岡寺は 真言宗の 豊山派で 七堂伽藍 書院重文(同上)
飛鳥寺 蘇我馬子が 開基せし 本尊重文 飛鳥大仏(飛鳥寺)
はるかなる 古墳時代の 営みを 教えてくれる 明日香の里は(同上)
この辺り 橘寺を 開基した 聖徳太子 生誕地とか(橘寺)
本尊の 太子坐像は 重文で 寺の宗派は 天台宗で(同上)
西福寺 室町前期 勅願で 浄土宗僧 良如が開基(西福寺)
御影堂 法然上人 祭祀する 江戸後期築 国の重文(同上)
重文の 書院庫裡には 名勝の 千坪を超す 庭園ありき(同上)
庭園は 築山池泉 回遊で 江戸中期の 作庭と聞く(同上)
裳階付 入母屋造り 阿弥陀堂 桃山期築 国の重文(同上)
福田寺 白鳳時代 開創で 浄土真宗 長沢御坊(福田寺)
切妻で 平入りの庫裡 珍しき 搭屋の位置も 右端にあり(同上)
青岸寺 佐々木道誉 開創し 江戸前期から 曹洞宗に(青岸寺)
本堂は 聖観音を 本尊に 江戸前期頃 再築されし(同上)
豪華さを ちりばめ飾る 庭あれば 質素簡素な 庭も美なり(同上)
庭園は 枯山水に 林泉の 鑑賞式で 国の名勝(同上)
龍潭寺 昊天宗建 開山で 臨済宗の 妙心寺派で(龍潭寺)
庭園は 昊天宗建 作庭で 枯山水は 竜安寺風(同上)
書院には 築山池泉 庭もあり サツキが咲けば また格別に(同上)
庭園の 丘の上には 作庭の 疎石・遠州ら 供養塔立ち(同上)
江戸時代 大学寮に 園頭科が 造園の技 僧に学ばせ(同上)
方丈に 森川許六 襖絵も 芭蕉の門弟 親しみがわく(同上)
長寿院 井伊直興が 開基せし 江戸元禄期 彦根城下に(長寿院)
本堂は 権現造り 重文で 弁財天を 本尊として(同上)
長寿院 真言宗の 醍醐派で 阿弥陀堂は 稀に見るなり(同上/寺院・神社31) 53歳
宝蔵は 校倉造り 踏み入れば 木の肌ざわり ログハウスかな(同上)
東海に 鎌倉大仏 聚楽園 建立されて 八十年に(聚楽園大仏)
仁王門 楼門造り 重文で 鎌倉後期 再築されし(円鏡寺)
円鏡寺 嵯峨天皇の 勅願で 空海大師 美濃に開山(同上)
本堂は 江戸時代の 再建か 本尊重文 聖観音で(同上)
柱見て コンクリートと 分かるかな 三重塔 近年築で(同上)
高野山 別格本山 円鏡寺 立派な本坊 クロガネモチが(同上)
瑞龍寺 前田利常 開基せし 江戸慶長期 曹洞宗で(瑞龍寺)
山門と 仏殿法堂 三棟は 十年前に 国宝指定(同上)
壮大な 入母屋造り 裳階付 仏殿の瓦 四十七トン(同上)
回廊を 含む五棟 重文で 消えた堂宇は 六棟もあり(同上)
法堂は 入母屋造り 唐破風で 兄利長の 位牌を安置(同上)
石廟や 前田家織田家 五基並ぶ 豊臣家への 恩義は見えず(同上)
北陸や 大堂伽藍 瑞龍寺 百万石の 置き土産かな(同上)
浄土宗 創建不詳 大仏寺 高岡大仏 阿弥陀如来で(高岡大仏)
大仏は 昭和八年 建立で 奈良鎌倉に 続く三大(同上)
射水神社 越中国 一宮 ニニギノミコト 祭神とする(射水神社)
高照寺 庄川大仏 鎮座する コンクリートで 昭和に建立(庄川大仏)
山門は 城門の如く 重厚さ 一向一揆の 瑞泉寺かな(瑞泉寺)
大谷派 井波別院 瑞泉寺 室町初期に 綽如が開基(同上)
本堂は 明治中期の 再建で 本尊阿弥陀 真宗らしく(同上)
二階建て 入母屋造り 会館は 昭和初期築 モダンで豪華(同上)
太子堂 入母屋造り 裳階付 大正期築 二歳像安置(同上)
塔頭の 黒髪庵に 翁塚 浪化上人 芭蕉の弟子で(同上)
唐破風の 式台門は 勅使門 一昨年に 復元されて(同上)
門前に 井波木彫りの 店並ぶ 貧乏人は 眺めるだけで(同上)
城跡に 八幡宮の 社殿建つ 一向宗も 神が頼りで(井波八幡宮)
越中の 高瀬神社も 一宮 大和時代に 創建されて(高瀬神社)
拝殿で オオクニヌシを 礼拝す 神のイメージ 日本国土で(同上)
大乗寺 真言僧の 澄海が 鎌倉中期 開創せしと(大乗寺)
開創後 曹洞宗に 改宗し 徹通義介 開山とする(同上)
仏堂は 入母屋造り 裳階付 元禄期築 国の重文(同上)
法堂は 客殿風の 入母屋で 元禄期築 県文化財(同上)
金沢の 尾崎神社の 前身は 東照宮で 明治に改称(尾崎神社)
拝殿を 含めた三棟 重文で 金沢城下 最古の社殿(同上)
明治初期 尾山神社 創建す 利家とまつ 祭神として(尾山神社)
神門は 三階建ての 塔造り 奇抜ながらも 国の重文(同上/寺院・神社32) 53歳
入母屋の 千鳥と唐破風 向拝で 拝む対象 実在人物(同上)
槍を手に 前田利家 騎馬像は 大きな母衣を 鎧にまとう(同上)
神苑は 金谷御殿の 遺構とか 雪見灯籠 池の中島に(同上)
妙立寺 利常開基 江戸前期 日蓮宗で 忍者寺とも(妙立寺)
本堂の その構造は からくりで 外観二階 内部四階(同上)
雨宝院 室生犀星 幼少期 養子に出され 暮らした寺で(雨宝院)
久保市の 乙剣宮 金沢に 北枝旧宅 訪ね参拝(久保市乙剣宮)
城跡に 福井神社を 創建す 昭和前期 春嶽祀り(福井神社)
観音の 福井大仏 光照寺 北陸地方 大仏多し(福井大仏)
明治初期 藤島神社 創建す 新田義貞 祭神として(藤島神社)
専照寺 鎌倉後期 開創で 真宗本山 三門徒派で(専照寺)
御影堂 福井地震で 瓦解せず 唯一残る 江戸期の伽藍(同上)
誠照寺 天台宗を 分立し 明治前期に 真宗本山(誠照寺)
この寺も 阿弥陀堂より 御影堂 大きく立派 真宗の常(同上)
證誠寺 真宗十派 山元派 室町初期に 道性開基(證誠寺)
境内の 伽藍五棟は 壮観で 昭和の戦後 移転改築(同上)
毫摂寺 真宗十派 出雲路派 鎌倉中期 親鸞開基(毫摂寺)
福井には 真宗十派 四派あり 伽藍建築 殆ど同じ(同上)
御影堂 阿弥陀堂と それぞれに 豪華な門が 入口に建ち(同上)
越前は 一揆王国 小丸城 廃城となり 門前町に(同上)
毫摂寺 三階建ての 鼓楼には いざ戦陣の 太鼓響かん(同上)
城福寺 平頼盛 開基とか 時代は移り 出雲路派末寺(城福寺)
庭園は 江戸元禄期 作庭で 国の名勝 拝観できず(同上)
越前の 国分寺跡 不詳でも その名受け継ぐ 天台の寺(越前国分寺)
引接寺 室町後期 開基せし 真盛上人 越前の地に(引接寺)
越前の 真宗牙城に 天台の 真盛宗が 本山開く(同上)
本堂は 江戸末期築 入母屋で 阿弥陀如来を 本尊とする(同上)
庫裡見れば 格式高き 引接寺 塔頭九院 末寺五十余(同上)
田村麻呂 総宮神社 創建す ヤマトタケルを 長井に祀り(総宮神社)
拝殿に 赤崩山の 扁額が 自然崇拝 長井一宮(同上)
拝殿に 観音堂が 並び建つ 神仏習合 微笑ましきと(同上)
大聖寺 江沼神社の 創建は 前田利直 藩祖を祀り(江沼神社)
拝殿は 尾上神社と 類似して 明治初年の 建築かなと(同上)
庭園の 長流亭は 重文で 休息所にと 利直建てし(同上)
管理上 長流亭は 非公開 庭を整備し 観光資源に(同上/寺院・神社33) 53歳
南門や 能登国分寺 復元す 全国的に 珍しきかな(能登国分寺)
塔跡の 基壇も珍し 国分寺 この勢いで 五重塔も(同上)
総持寺は 横浜鶴見に 移転して 残る境内 祖院と称す(総持寺祖院)
鎌倉期 瑩山紹瑾 開山す 曹洞宗の 総持寺祖院(同上)
三月の 地震の被害 目に余る 仏堂横に ブルーシートが(同上)
裳階付 宝形造りの 法堂は 殆ど無傷 内部拝観も(同上)
能登阿岸 浄土真宗 本誓寺 鎌倉後期 古寺改宗す(本誓寺)
本堂は 入母屋造り 茅葺きで 地震のために 立入できず(同上)
本誓寺 五木寛之 その著作 百寺巡礼 選ばれし寺(同上)
鎌倉期 日像開基 妙成寺 日蓮宗の 北陸本山(妙成寺)
北陸の 周遊ルート 永平寺 四季折々の 参詣をせし(永平寺)
鎌倉期 道元禅師 開山す 曹洞宗の 大本山を(同上)
六角の 報恩塔は 重層で 七堂伽藍 整のう寺観(同上)
門前に 参拝客の 姿なく 団体客は バスで素通り(同上)
十一面 観音像は 重文で 白山離れ 資料館へと(林西寺)
林西寺 泰澄上人 開山で 蓮如上人 浄土真宗に(同上)
平泉寺 泰澄上人 開山で 神仏分離で 神社に移行(平泉寺白山神社)
塔頭の 玄成院は 分離後に 神社の社務所 邸宅を兼ね(同上)
庭園は 国の名勝 室町期 細川高国 作庭せしと(同上)
驚きや 四万坪の 境内に 苔の種類が 百二十種と(同上)
拝殿で イザナミの神 遥拝す 違和感ありて 本社行かず(同上)
境内に 楠木正成 供養塔 甥の律師が 建立せしと(同上)
白山の 禅定道の 平泉寺 越前口の 拠点とされて(同上)
盛時には 一万坊に 僧兵が 八千人も 常駐せしと(同上)
桃山期 顕海和尚 再興す その住坊が 天台の寺(同上)
近年に 本堂再建 平泉寺 天台宗で 本尊観音(同上)
勝山に 五重塔と 大仏が 昭和末期に 実業家建て(清大寺)
東大寺 大仏殿を 模倣して 更に大きく 四階建てで(同上)
清大寺 観光施設 改めて 臨済宗の 妙心寺派に(同上)
高さでは 越前大仏 二メートル 奈良大仏を 超え日本一(同上)
五重塔 高さ大きさ 日本一 故郷に錦 実業家の夢(同上)
雄山神社 越中国 一宮 白鳳末期 創建されし(雄山神社)
立山が イサナギの神 御神体 白山富士と 並ぶ女神で(同上)
本殿の 前立社壇 重文で 立山杉が 前に聳えん(同上)
日石寺 行基菩薩の 開創で 真言密宗 大本山に(日石寺)
本堂に 不動明王 磨崖仏 本尊重文 風化もせずに(同上/寺院・神社34) 54歳
壁のない 三重塔 唯一で 芯柱まで スケスケに見え(同上)
欲望を 満たすことも 大切と 教えもされし 理趣経の道(同上)
立山寺 吉野時代の 開創で 曹洞宗の 大徹により(立山寺)
不運にも 五十四年前 火災にて 七堂焼失 その後再建(同上)
本堂は 開山堂と 併合し 立山権現 釈迦に変じて(同上)
林泉寺 長尾能景 開基せし 曹洞宗の 氏寺として(林泉寺)
野々市の 末松廃寺 国史跡 寺名不明で 地名を付けて(末松廃寺)
金堂と 七重塔 横並び ふと法隆寺 脳裏を過る(同上)
水路から 和同開珎 出土して 白鳳時代 掌の上(同上)
摩利支天 本尊とする 宝泉寺 江戸初期開基 真言宗で(宝泉寺)
金沢で ドナルドキーン 絶賛す 宝泉寺から 眺める夕陽(同上)
称念寺 泰澄開基 中興は 他阿上人で 時宗の寺に(称念寺)
本尊は 新田義貞 坐像なり その霊廟も 境内にあり(同上)
越前の 大安禅寺 江戸前期 松平氏が 菩提寺開基(大安禅寺)
庭園に 禅宗的な 趣が 臨済宗の 妙心寺派と(同上)
作庭は 不明なれども 庭園は 築山池泉 鑑賞式で(同上)
偶然に 橘曙覧 奥墓が 舎利礼文 唱え合掌(同上)
廟所には 歴代藩主 その室の 十基の巨塔 キョトンと見つめ(同上)
宝円寺 利家開基の 菩提寺で 曹洞宗の 大透開山(宝円寺)
高野山 真言宗の 正覚院 気多大社の かつての寺坊(正覚院)
参道に 空海大師 修行像 未踏の地にも 巡錫の音(同上)
能登国 気多大社は 一宮 オオクニヌシを 祭神として(気多大社)
妙成寺 二度目はゆるり 拝観す 七堂伽藍 青葉の中を(妙成寺)
江戸初期の 五重塔は 重文で 屋根は栩葺き 扉に彫刻(同上)
重厚な 丈六堂は 釈迦堂で 一丈六尺 立像安置(同上)
書院には 枯山水に 池泉とを コラボさせたる 庭園ありき(同上)
聖興寺 中興移転 江戸前期 浄土真宗 大谷派末(聖興寺)
本堂は 明治後期の 再建で 井波彫刻 欄間うずめて(同上)
金沢に 大野湊 神社あり サルタビコ祀り 奈良期創建(大野湊神社)
加賀国 白山比咩社 一宮 霊峰白山 御神体とし(白山比咩神社)
鶴来の地 金剱宮の 祭神は ニニギノミコト 白山七社(金剱宮)
勝興寺 蓮如開基 室町期 浄土真宗 本願寺派で(勝興寺)
本堂は 入母屋造り 重文で 江戸後期築 本尊阿弥陀(同上/寺院・神社35) 54歳
経堂を 含め十棟 重文で 大広間以外 江戸後期築(同上)
気多神社 越中国 一宮 奈良期創建 格式県社(気多神社)
本殿は 室町期築 重文で オオクニヌシと その妻祀り(同上)
越中の 国分寺跡 高岡に 伽藍の位置は 解明されず(越中国分寺)
国泰寺 二度の参拝 利生塔 三重塔 探し求めて(国泰寺)
白鳳期 法道開山 上日寺 真言宗の 仁然中興(上日寺)
本堂は 千手観音 本尊に 公孫樹の巨木 国の天記で(同上)
大谷派 城端別院 善徳寺 蓮真創建 室町後期(善徳寺)
安居寺は 善無畏開基 奈良初期に いま高野山 真言宗で(安居寺)
観音堂 聖観音は 重文で 平安初期の 一本造り(同上)
本堂は 見返阿弥陀 本尊で 室町期作 希少な像で(同上)
高山寺 開基は将軍 田村麻呂 北アルプスを 望む高所に(高山寺)
江戸中期 三重塔 再建す 頼朝寄進 その二代目で(同上)
本尊の 聖観音は 大師作 寺は真言 豊山派末寺(同上)
宝光社 戸隠神社 五社めぐり 平安前期 創建されて(戸隠神社)
門前に 鄙びた茅の 宿坊が 泊まりてみたき 衝動がわく(同上)
中社には オモイカネの神 祭祀され 平安後期 創建されて(同上)
拝殿で 拝む対象 御神体 戸隠山で 五社それぞれに(同上)
大谷派 金沢別院 壮大で 昭和中期の 裳階入母屋(東本願寺金沢別院)
全国に 尊氏開基 安国寺 廃寺が多く 飛騨に現存(飛騨安国寺)
経堂は 室町期築 国宝で 裳階入母屋 屋根柿葺き(同上)
安国寺 七堂伽藍 廃れても 臨済宗の 妙心寺派で(同上)
本尊は 釈迦如来では あるけれど 薬師如来に 親しみがわく(同上)
立ち寄りし 飛騨古川に 本光寺 その本堂に 匠の技が(本光寺)
浜名湖に 空海開基 舘山寺 明治中期に 曹洞宗に(舘山寺)
本尊は 虚空蔵菩薩 そのままに 秋葉権現 明治に合肥(同上)
本宮の 秋葉神社の 創建は 奈良和銅期で カグツチを祀り(秋葉神社)
優美なる 社殿意外に 新しく 昭和末期の 再建と聞く(同上)
小国神社 遠江国 一宮 大和時代の 創建とされ(小国神社)
祭神は オオクニヌシで 御神体 本宮山で 三河に抗し(同上)
徳音寺 木曽義仲が 開基して 義仲死後は その菩提寺に(徳音寺)
境内に 巴御前の 馬上像 お多福顔が 山育ちらし(同上)
開基時は 真言宗で 安土期に 臨済宗の 妙心寺派に(同上)
円蔵寺 空海大師 開創し 臨済宗の 妙心寺派に(円蔵寺/寺院・神社36) 54歳
奥之院 弁天堂は 重文で 茅の宝形 室町期築(同上)
断層に 大日祀る 小堂が 大師好みの 姿を残し(同上)
本堂の 菊光堂の 本尊は 虚空蔵菩薩 日本三大(同上)
氏神の 沙沙貴神社は 二回目で 血縁なくも 親しみは増す(沙沙貴神社)
石馬寺は 聖徳太子 開基とか 重文仏像 十一躯あり(石馬寺)
江戸前期 雲居希膺 中興し 臨済宗の 妙心寺派に(同上)
宝物は 大仏宝殿 収蔵す 仏像だけで 十八点も(同上)
宝慶寺 寂円禅師 開山す 鎌倉前期 宋より来たり(宝慶寺)
本堂は 昭和四年の 再建で 曹洞宗の 道場らしく(同上)
門前に 旧橋本家 住宅が 茅の入母屋 国の重文(同上)
大峯の 母公堂は 紅葉期 役行者が 母に見せんと(大峯山母公堂)
龍泉寺 役行者の 開創で 当山派修験 醍醐派の寺(龍泉寺)
岐阜海津 千代保稲荷 神社あり 室町中期 森氏創建(千代保稲荷神社)
門前は 春を思わす 賑わいで 三大稲荷 凌ぐに見えし(同上)
信貴山は 聖徳太子 開山で 朝護孫子寺 真言宗で(信貴山)
本尊は 毘沙門天で 参道の 張りぼての寅 世界一とか(同上)
寺宝には 国宝絵巻 境内は 七堂伽藍 塔頭三院(同上)
金銀も 龍田の錦に 及ばざる 及ばぬ果てに 我が旅路あり(龍田大社)
奈良の古社 龍田大社の 祭神は 風の神なる シナツヒコとか(同上)
江戸前期 娘おふさが 十一面 観音像を 祀り開基す(おふさ観音寺)
高野山 真言宗の 観音寺 花一面で 参道狭し(同上)
大和路は 心の底の ふるさとぞ また訪ね来る 望月の頃(橿原神宮深田池)
文華殿 陣屋の御殿 重文で 拝観禁止 何惜しむかな(橿原神宮)
国史跡 鹿谷寺跡 唯一の 石窟寺院 二上山麓(二上山)
三輪山の 神奈備の森 訪ねれば 尊き社 七五三かな(大神神社)
武奈ヶ嶽 登り終えては 参拝す 地主神社への 感謝を込めて(地主神社)
地主神社 平安前期 創建で クニノトコタチ 主祭神とし(同上)
本殿は 春日造り 桧皮葺き 室町期築 国の重文(同上)
那谷寺は 泰澄上人 開山で 花山法皇 寺名改め(那谷寺/寺院・神社37) 55歳
鐘楼を 含む諸堂は 重文で 前田利常 再建中興(同上)
高野山 真言宗の 那谷寺は 加賀唯一の 別格本山(同上)
奇岩立つ 遊仙境の 景観は 国の名勝 芭蕉の目にも(同上)
稲荷社の 赤い鳥居が 立岩の 間に立ちて 松と共演(同上)
優美なる 三重塔 重文で やっと整う 七堂伽藍(同上)
大悲閣 破風入母屋の 懸造り 十一面 観音安置(同上)
永光寺 瑩山紹瑾 草創で 鎌倉末期 堂宇建立(永光寺)
室町期 尊氏建立 利生塔 能登安国寺 永光寺かと(同上)
山門を 含めた五棟 江戸期築 曹洞宗の 伽藍配置で(同上)
本堂は 入母屋造で 壇上に 釈迦如来像 本尊として(同上)
正月や 半ば過ぎても 賑わえる 熱田神宮 陰の一宮(熱田神宮)
来る度に 足踏みいれて 参拝す 十和田神社は 修験の聖地(十和田神社)
伝承は かの田村麻呂 創建と 明治初期まで 山岳霊場(同上)
予期もせぬ 小坂鉱山に 山神社 明治末期に 山上遷座(山神社)
鉱山の 安全祈願 現在も 採掘終えて 資源リサイクル(同上)
岩木山 登山終えては 寺社めぐり 先ず岩木山 神社参拝(岩木山神社)
創建は 奈良時代末 祭神は 五体まとめた お岩木の山(同上)
楼門は 旧百沢寺 山門で 江戸初期築で 藩主が寄進(同上)
重文は 楼門含む 六棟で 楼門のみが 一番古く(同上)
拝殿も 旧百沢寺 本堂で 入母屋の前 鳥居に神像(同上)
本殿は 豪華絢爛 黒塗りで 流造りは 奥日光とも(同上)
江戸中期 高照神社 創建す 津軽信政 祭神として(高照神社)
重文の 社殿八棟 墓所が二基 屋根を除いて 殆ど朱塗りで(同上)
拝殿は 入母屋造り 千鳥破風 岩木山神社 模した様子に(同上)
本殿も 岩木山神社 類似する 相違は中門 唐平入りで(同上)
信政は 吉田神道 信奉し 死去した後は 神式葬儀(同上)
江戸初期に 弘前移転 革秀寺 曹洞宗で 津軽家菩提寺(革秀寺)
本堂は 入母屋造り 茅葺きで 江戸初期築の 国の重文(同上)
戦国の 津軽為信 名将で 十万石の 弘前藩祖(同上)
為信は 京の屋敷で 逝去して 遺骨は帰り 革秀寺へと(同上)
霊屋は 江戸後期の 再建で 豪華入母屋 国の重文(同上)
珍しき 栄螺堂建つ 弘前に 全国にただ 六棟だけで(蘭庭院栄螺堂)
栄螺堂 八角堂で 内部には らせん回廊 観音祀り(同上)
大浦氏 城を移して 津軽氏に 長勝寺も 弘前移転(長勝寺/寺院・神社38) 55歳
三門は 楼門造り 重文で 江戸初期築の 再興シンボル(同上)
本堂は 入母屋造り 重文で 曹洞宗では 相当古く(同上)
境内に 津軽家霊屋 建ち並ぶ 藩主と室と 五棟の建屋(同上)
柿葺き 入母屋造り 重文で 江戸前期から 中期まで築(同上)
弘前の 八幡宮は 田村麻呂 平安初期に 岩木に創建(弘前八幡宮)
江戸初期に 八幡宮は 弘前に 城の鬼門に 遷座がなされ(同上)
唐門と 流造りの 本殿は 遷座に建てられ 国の重文(同上)
同時期に 城や寺社など 造営す 津軽信政 財力どこに(同上)
弘前に 熊野奥照 神社あり イザナギイザナギ 主祭神とし(熊野奥照神社)
本殿は 信政再建 重文で 八幡宮の 本殿類似(同上)
深浦に 真言宗の 円覚寺 平安前期 円覚開山(深浦円覚寺)
本堂は 大正時代 再建で 千鳥唐破風 入母屋造り(同上)
十一面 観音像が 本尊で 津軽氏による 庇護と祈願が(同上)
江戸後期 再建されし 薬師堂 堂内厨子は 国の重文(同上)
本尊は 澗口観音と 称されて 北前船の 船乗り祈願(同上)
一本木 駒形神社 祭神は ウケモチの神 馬頭観音で(駒形神社)
境内の 鳥居とケヤキ 間には 黒又山の 三角錐が(同上)
湯殿山 大日坊の 開山は 空海大師 開基は弟子と(大日坊)
本殿は 入母屋造り 妻入りで 本尊権現 湯殿山とか(同上)
大師堂 一般的な 宝形で 鉦打つ人なく 同行一人(同上)
昭和初期 寺は移転し 現在地 真言宗の 豊山派となり(同上)
注連寺 空海大師 開山で 真言宗の 智山派末寺(注連寺)
本堂は 明治後期の 再建で 即身成仏 ミイラを安置(同上)
七五三の名は 注連の表記が 通例で 桜は古木 カスミザクラで(同上)
寺男 小説家へと 出世する 森敦文庫 境内に建ち(同上)
肘折の 温泉街に 参道が 薬師神社は 湯坐神社とも(薬師神社)
村落に 江戸中期来 大火はなく 秋葉山碑の ご利益ありと(同上)
石碑には 秋の字逆に 標されて 秋は紅葉 山焼く忌も(同上)
慧日寺は 平安初期に 徳一が 法相宗の 寺を会津に(慧日寺)
寺院跡 国に史跡に 指定され 中門金堂 今年復元(同上)
金堂は 寄棟造り 平入りで 宮殿風の 朱色鮮やか(同上)
空き地には 庭園あれば 文句なし 史跡公園 未来の遺産(同上)
東側 徳一廟と 墓石群 調査がされぬ 伽藍の跡も(同上/寺院・神社39) 55歳
明治期の 仁王門と 薬師堂 当時の人の 寺への思い(同上)
幾度も 東方薬師 焼失し 今は如何なる 薬師像かと(同上)
宗徒頭の 乗丹坊の 供養塔 平安末期 寺僧三百と(同上)
恵日寺は 旧塔頭が 境内で 明治後期に 復興されて(恵日寺)
慧日寺は 公的管理 恵日寺は 真言宗の 豊山派末寺(同上)
山門と 本堂建立 江戸中期 門は棟門 堂は寄棟(同上)
本堂の 向拝珍し 笠形で 千手観音 本尊とする(同上)
慧日寺の 鬼門を護る 鎮守堂 神仏分離で 磐梯神社に(磐梯神社)
町立の 磐梯山 慧日寺の 資料館建つ 本寺地区には(資料館)
いわて山 奥宮建つ 滝沢に トヨウケビメを 祭神として(もりおかかいうん神社)
橋の先 神明造り 社殿建つ 近年創建 胡散臭さも(同上)
白鳳期 由豆佐売神社 創建と タマクシヒメを 主祭神とし(由豆佐賣神社)
湯田川の 温泉鎮護の 神社でも 朝食前の 散歩で詣で(同上)
拝殿は 江戸後期築 宝形で 観音堂の 面影残し(同上)
小説家 藤沢周平 この神社 何度参拝 したものかなと(同上)
乳柱は 鍾乳石の 如く見え 不思議な造形 イチョウにもあり(同上)
長福寺 由豆佐売神社 別当で 真言宗の 豊山派末寺(長福寺)
平安初期 金峯神社 創建す 蔵王権現 山頂に祀り(金峯神社)
明治期に 神仏分離で 祭神は スクナビコナ他 三体となり(同上)
鶴岡の 荘内神社 創建は 明治十年 本丸跡に(荘内神社)
祭神は 酒井家名士 四体で 神社となれば 復元は無理(同上)
入母屋の 校倉造り 珍しく 本殿よりも 気にかかるかな(同上)
苔むせば 桧皮の屋根も 同じ森 杉の古木に 解け込む景色(羽黒山神社)
月山の 御田原神社 中乃宮 クシナダヒメを 祭神として(月山神社)
神の山 二山三山 越え行きて 目指す浄土は 心の中に(同上)
羽黒山 修験本宗 荒沢寺 飛鳥時代に 開創されて(荒沢寺)
修験道 当山本山 二派あれど 羽黒山は 独自の修験(同上)
三山の 寺院衰退 著し 神仏分離 時代を歪め(同上)
本堂は 宝形造に 向拝が 延命地蔵 本尊として(同上)
参道に 女人禁止の 石碑立つ 男女中性 自由参拝(同上)
妙泉寺 鎌倉末期 創建で 早池峰神社 別当寺でも(妙泉寺跡)
明治初期 神仏分離で 寺は消え 新山堂と 庫裡は残して(同上)
里宮の 早池峰神社 創建は 平安初期で 大迫岳に(早池峰神社)
石段の 随神門は 明治まで 寺と兼用 仁王門かな(同上)
拝殿は 江戸初期築 入母屋で 仏堂風に 南部氏寄進(同上/寺院・神社40) 55歳
舞台では 早池峰神楽 奉納す ユネスコ遺産 日本で七番(同上)
紀元前 赤神神社 創建と 赤神変じ ニニギノミコト(赤神神社)
姿見の 井戸に真澄の 顔浮かぶ 男鹿を愛した 思いは一つ(同上)
五社堂は 江戸宝永期 建立で 正面入母屋 背面切妻(同上)
中央の 赤神権現 やや高く 他の四社は 大きさ同じ(同上)
五社堂の 五棟すべて 重文で 権現の厨子 室町期築(同上)
風変り 三山石碑 羽黒山 一座外され 鳥海山が(同上)
長楽寺 赤神神社 別当寺 平安初期に 円仁開基(長楽寺)
本堂は 大きな屋根 入母屋で 薬師如来を 本尊とする(同上)
次々と ユースホステル 消えて行く 男鹿ユースに 長楽寺もまた(同上)
長楽寺 真言宗の 智山派で 十三仏の 真言唱え(同上)
真山は 熊野新宮 本山が 熊野本宮 男鹿の秋風に(同上)
門前に 男鹿三山 登山口 難路諦め 真山側から(同上)
参道に 旧光厳寺 仁王門 真山神社 神門とせず(真山神社)
なまはげの 真山神社 創建は 武内宿禰 上古時代に(同上)
妻入りの 権現風の 社殿なり ニニギノミコト 祭神として(同上)
五社殿は 一棟のみの 再建で 赤神神社 比べて寂し(同上)
恐山 大尽山に 太鼓橋 地獄に向う 橋には見えず(恐山)
大好きな 硫黄の匂い 湯小屋から たまらず入る 恐れもせずに(同上)
本堂は 地蔵堂より 慎ましく 参拝をする 人も少なく(同上)
江戸初期に 薬師神社 創建す スクナビコナと 薬師を祀り(大湯薬師神社)
崖の際 宝形造りの 拝殿は 濡れ縁回し 展望も兼ね(同上)
飛鳥期に 温泉神社 創建す オオクニヌシら 三柱祀り(那須温泉神社)
境内に 四百年の 五葉松 松尾芭蕉も 目にしたことか(同上)
ミズナラは 八百年の 巨木なり 那須与一が 見たか否かと(同上)
茨城に 雨引観音 楽法寺 坂東霊場 二十四番(楽法寺)
まず先に 雨引山に 登山する 関東平野 見晴らしが良く(同上)
楽法寺 飛鳥時代の 開創で 真言宗の 豊山派の寺(同上)
山門の 黒から変わる 仁王門 赤い楼門 江戸前期築(同上)
本堂は 江戸前期築 入母屋で 重文本堂 観音菩薩(同上/寺院・神社41) 55歳
多宝塔 三重塔 変更し 江戸後期築 回廊結ぶ(同上)
境内に 東照宮の 小社建つ 家康の庇護 受けた縁から(同上)
本坊は 旧塔頭の 庫裡と言う 建て替えのため 取り壊すとか(同上)
奥ノ院 江戸中期築 客殿で 寄棟造り 仏殿も兼ね(同上)
石造の 十三重塔 境外に 更なる先に 関東平野(同上)
石垣は 城壁の思わす スケールで 草も刈れない 様子に見えし(同上)
二荒山 神社中宮祠 創建は 勝道上人 奈良後期に(二荒山神社中宮祠)
神門を 含めた四棟 重文で 鳥居が二基に 灯籠もまた(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで オオクニヌシ他 二神を拝す(同上)
長安寺 平安後期 開創で 室町初期に 浄土真宗に(長安寺)
本堂は 明治前期の 再建で 鎌倉期作 阿弥陀が本尊(同上)
山門は 禁制のケヤキ 使用して 完成されず 袖なし門に(同上)
重層の 上の入母屋 唐破風で 珍しきかな 鼓楼の意匠(同上)
階上に 寺下観音 小寺あり 神仏混交 紅い鳥居も(寺下観音)
前身は 行基開基の 應物寺 宗派不明の 無住の寺に(同上)
本堂は 宝形造り 小堂で 聖観音は 行基作とも(同上)
江戸前期 新羅神社は 創建す 八戸南部氏 遠祖を祀り(新羅神社)
拝殿は 仏殿風の 入母屋で 新羅三郎 スサノオ拝す(同上)
多聞山 松島四観 山頂に 破葉衣観音 毘沙門天が(多聞山)
扇谷 松島四観 金翅塔 鵬雲禅師 墓標がありて(扇谷)
天竺の 達磨大師 松島で 聖徳太子の 成長待ちしと(同上)
大迎寺 洞水開山 江戸前期 政宗長女 五郎八姫開基(大仰寺)
富山は 松島四観 麗観さ 観音堂が その展望地(同上)
田村麻呂 観音堂を 開基せし 円仁作の 尊像安置し(富山観音堂)
仁王門 茅葺きと壁は 褐色で 観音堂は 朱色鮮やか(同上)
紫雲閣 寄棟造り 茅葺きで 江戸初期築の 寺の客殿(大仰寺/寺院・神社42) 55歳
ご巡航 明治・大正 天皇が 休息をした 座敷もありき(同上)
大仰寺 千手観音 五郎八姫 臨済宗 妙心寺派に(同上)
金華山 黄金山神社 島に建つ 奈良天平期 創建されて(黄金山神社)
島すべて 神社の所有 人口は 神社関係者 五人ほどが(同上)
奈良時代 島から金が 産出し カナヤマヒコと ヒメを崇めて(同上)
重層の 随神門は 建立は 昭和天皇 御成婚祝し(同上)
金華山 金に関する 伝説で 三年参れば 金に困らずと(同上)
無縫塔 開山上人 脱履跡 千日回峰 遂げた記念と(同上)
玄関の 彫刻目に付く 唐破風は 誰の作かと 気にかかるかな(同上)
拝殿は 入母屋造り 唐破風で 明治後期の 建立と言う(同上)
明治まで 弁財天の 境外で 真言宗の 旧大金寺(同上)
法光寺 鎌倉中期 巡歴の 北条時頼 開基せしとか(法光寺)
本堂は 明治後期の 再建で 千手観音 本尊として(同上)
五十年 承陽塔の 工期とか 三重塔 道元の名に(同上)
初層には 道元祀り 二・三層 五百羅漢を 安置されしと(同上)
塔高は 三十三 メートルで 薬師寺二塔 次ぐ高さなり(同上)
囲いせぬ 遠州流の 庭園は 雪に埋もれて なすがままかな(同上)
屋根以外 すべて赤色 楼門は 斗栱だけでも 白く塗ればと(岩木山神社)
久度寺には 丸山応挙 幽霊画 家老の妾 國がモデルと(久度寺)
参道の 雪の上には 杉の葉が それぞれ異なる 命を終えて(同上)
宇和島の 和霊神社は 祭神は 謀殺されし 伊達家重臣(和霊神社)
久遠寺は 桜の名所 大伽藍 宗旨違えど 参拝したり(身延山)
身延山 七堂伽藍 巨大なり 日蓮宗の 総本山は(同上)
創建は 不明なれども 正伝寺 室町後期 曹洞宗に(正法寺)
入母屋の 鐘楼門は 大正期 規模は小さく 再建されし(同上/寺院・神社43) 56歳
本堂は 昭和後期の 寄棟で 聖観音を 本尊として(同上)
境内に 六百本の 大屋梅 その梅愛でる 人の少なさ(同上)
湯殿山 神社新たに 口ノ宮 旧本道寺 社殿に変えて(口ノ宮湯殿山神社)
拝殿は 旧本堂の 入母屋で 大権現が オオヤマツミらに(同上)
拝殿に 佛足石が 鎮座され 仏教色は 一掃されず(同上)
石碑群 端に芭蕉の 供養塚 俳人住職 建立せしと(同上)
珍しき 代参塔が 七基立つ 多額の寄付者 住職祈祷(同上)
室町期 瑞雲院は 開創し 曹洞宗の 戸沢氏菩提寺(瑞雲院)
国史跡 戸沢家墓所 霊屋は 江戸中期築 茅の宝形(同上)
霊屋は 藩主の他に 室や子も 埋葬されて 六棟並ぶ(同上)
鳳来寺 諸堂荒れても 不動堂 開山利修 入寂地なら(鳳来寺)
飛鳥期に 一光三尊 難波から 信州に入り 坐光寺へと(元善光寺)
坐光寺の 尊像長野へ 移されて 飯田の寺は 元善光寺と(同上)
善光寺 元善光寺 両参り 天台宗の 定番となり(同上)
本堂は 入母屋造り 妻入りで 江戸後期築 尊像木彫り(同上)
大垣の 明星輪寺 開山は 役行者で 白鳳時代(明星輪寺)
地蔵堂 扁額の文字 観世音 国の重文 地蔵祀るも(同上)
平安期 空海大師 中興し 真言宗の 単立の寺(同上)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 虚空蔵菩薩 本尊として(同上)
岩壁に 聖観音の 磨崖仏 石灰岩を 丸くくり抜き(同上)
予期もせぬ 多度大社の 献灯祭 驚き見入る 盆も近付き(多度大社)
提灯は 人や企業の 名ばかりで 洒落た言葉を 添えれば良いと(同上)
多度大社 二度参拝 芭蕉句碑 この地で詠んだ 川を探しに(同上)
前身は 行基開基の 薬師堂 平安後期 光泉寺となり(光泉寺)
本堂は 昭和中期の 再建で 薬師如来を 継承安置(同上)
釈迦堂は 宝形造り 茅葺きで 草津の湯にも 江戸の風情が(同上)
坊の名が 榛名神社の 門前に 神仏習合 懐かしき哉(榛名神社/寺院・神社44) 56歳
住宅は 江戸前期築 平屋建て 旧善徳坊 宿坊遺構(同上)
飛鳥期に 榛名神社は 創建す 社殿六棟 国の重文で(同上)
江戸後期 随神門の 建立で 明治初期まで 仁王門なり(同上)
神社には 三重塔 馴染なく 神宝塔に 名を変えられて(同上)
参道の 三重塔 完成時 慶応消えて 明治時代に(同上)
矢立杉 樹齢はおよそ 五百年 武田信玄 矢を置いたとか(同上)
神幸殿 江戸末期築 入母屋で 旧仏殿に 神輿が渡る(同上)
石段で 双龍門が 足止める 龍の彫刻 天井までも(同上)
境内は 岩峰連なる 景勝地 門や社殿が 十五棟ほど(同上)
国祖社は 江戸中期築 入母屋で 前に額殿 破風の向拝(同上)
神楽殿 江戸後期築 唐破風の 舞台備えた 優美な社殿(同上)
御本社は 江戸後期築 入母屋で 拝殿幣殿 本社に分れ(同上)
祭神は 明治初期から 変更し 火神カグツチ 土神ハニヤス(同上)
本社には 御姿岩が 聳え立つ 榛名神社の 御神体かな(同上)
三宮 伊香保神社の 創建は 平安初期で 温泉寺もまた(伊香保神社)
富岡に 上野国 一宮 貫前神社 下り宮なり(貫前神社)
創建は 大和時代で 祭神は フツヌシの神 ヒメの大神(同上)
楼門を 含んだ三棟 重文で 徳川家光 建立せしと(同上)
本殿は 修復中で 入母屋の 単層二階 眺められずに(同上)
釈尊寺 行基菩薩の 開創で いつの時代か 天台宗に(布引観音釈尊寺)
霊山の 頂き遠き 山もあり 日毎移ろう 四季の装い(同上)
絶壁に 観音堂の 懸造り その建築に 驚きシャッター(同上)
重文の 観音堂は 入母屋で 屋根は板葺き 鎌倉期築(同上)
本尊の 聖観音を 礼拝す 欄干の下 ただ恐怖のみ(同上)
洞門に 愛染堂の 岩屋建ち 布引観音 常識を超え(同上)
温泉地 薬師堂は 定番で 小堂ながら 江戸後期築(平湯薬師堂)
神明社 平湯神社と 名を変えて 昭和後期に 白猿合祀(平湯神社)
桜山 八幡宮が 高山に 創建不詳 奈良時代かと(桜山八幡宮)
神門を 含む社殿の 再建は 昭和後期で 総桧造(同上)
祭神は 応神天皇 一神で 八幡社では 珍しきかな(同上)
境内に 高山祭 会館の 楼閣高く 空に聳えし(同上)
日光の 東照宮の 模型にも 飛騨の匠の 技を見いいる(同上)
別当寺 相應院は 高野山 真言宗で 聖天祀り(高山聖天/寺院・神社45) 56歳
外良寺 銅板屋根が ピカピカで 奈良田で外郎 作る寺あり(外良寺)
大山の 阿夫利神社の 創建は 三世紀ごろ 卑弥呼の時代(大山阿夫利神社)
江戸時代 大山講が 組織され 夏の参拝 十万人と(同上)
本殿は 入母屋造り シンブルで オオヤマツミを 祭神として(同上)
登山口 奥社に続く 登拝路で 今日は無理でも 次回は登拝(同上)
奈良時代 大山寺が 別当寺 華厳宗僧 良弁開基(大山寺)
青銅の 宝篋印塔 珍しく 精緻で巨大 大正期作(同上)
明治初期 分離で廃寺 大正期 真言宗の 大覚寺派に(同上)
石造は 弘法大師 一夜彫り 実は室町 後期の作と(同上)
大山の 名物きゃらぶき 佃煮で 元は修験者 非常食とか(大山門前)
奈良時代 行基の開基 霊山寺 宝城坊が 寺を継承(日向薬師)
山門は 江戸後期築 仁王門 寄棟造り 屋根はシンプル(同上)
通称は 日向薬師が 寺の名で 薬師三尊 国の重文(同上)
マイナーな 日本三大 薬師には 日向薬師が 選ばれたとか(同上)
本堂は 江戸前期築 重文で 寄棟造り 屋根は茅葺き(同上)
本尊は 宝物殿に 移動され 新たな薬師 どんなお姿を(同上)
茅葺きは 最大級の 堂と言う 日本最大 正法寺かな(同上)
高野山 真言宗の 寺らしく 虚空蔵菩薩 祠に祀り(同上)
基氏の 幡かけ杉が 境内に 推定樹齢 八百年と(同上)
江戸初期に 浄発願寺 開創す 天台宗の 駆け込み寺で(浄発願寺)
平成の 三重塔 壮観で 匠の技は 脈々続く(同上)
大山に 大神山 神社建つ その奥宮を 登山後参拝(大神山神社)
創建は 平安後期と されるけと 大山寺より 古い時代か(同上)
神門の 入母屋造り 珍しき 前は唐破風 後ろ千鳥破風(同上)
拝殿を 含めた社殿 重文で 江戸後期築 入母屋造り(同上)
祭神は オオクニヌシと 聞くけれど 霊峰大山 御神体かな(同上)
末社でも 下山神社 重文で 八棟造り 芸術品か(同上)
大山寺 奈良養老期 開創で 天台宗の 別格本山(伯耆大山寺)
本堂は 昭和再建 宝形で 地蔵菩薩を 本尊とする(同上)
切妻の 観音堂は 珍しく 寺務所か庫裡か 勘違いもし(同上)
寺宝など 霊宝閣に 収蔵し 重文仏像 数体展示(同上)
阿弥陀堂 室町末期 建立で 寄棟造り 国の重文(同上)
本尊の 阿弥陀如来と 両脇侍 これも重文 平安期作(同上)
江戸時代 四十二坊 大伽藍 諸堂の跡は 国の史跡に(同上)
前回は 修復中で 見逃した 国宝本殿 鄙びの極致(御上神社/寺院・神社46) 57歳
月輪寺 泰澄開山 愛宕山 天台浄土 由緒寺院で(月輪寺)
若き日の 旅よみがる 月輪寺 ユースに泊り 仲間と登拝(同上)
奈良初期に 愛宕神社は 創建す 役行者と 泰澄により(愛宕神社)
本殿は 江戸後期築 祭神は イザナミノミコト 他三神で(同上)
火伏せ神 愛宕神社は 総本社 全国各地 末社九千(同上)
四世紀 猿投神社の 創建と オオウスノミコト 主祭神とし(猿投神社)
御神体 猿投山かな 山上に 大碓命 墓あることも(同上)
拝殿は 舞台を兼ねた 切妻で 江戸末期頃 社殿再建か(同上)
調べると 猿投神社の 格式は 三河国の 三宮でも(同上)
境内に 観音堂の 堂宇建つ 神仏混合 その名残かと(同上)
東昌寺 室町末期 創建で 昭和六年 猿投に移転(東昌寺)
十一面 観音像が 本尊で 曹洞宗の 寺で珍し(同上)
本殿は 大悲殿とも 称されて その名が寺の 通称名に(同上)
興正寺 真言僧が 江戸前期 尾張藩主の 庇護受け開基(興正寺)
高野山 真言宗の 興正寺 別格本山 尾張高野で(同上)
重文の 五重塔は 江戸中期 建立されて 愛知唯一(同上)
本堂は 江戸中期築 寄棟で 阿弥陀如来を 本尊として(同上)
二年前 竹翠亭は 移築され 日下部邸は 寺にマッチし(同上)
寄棟の 能満堂は 祈願所で 虚空蔵菩薩 秘仏を安置(同上)
平成の 圓照堂は 多宝塔 阿弥陀を祀る 納骨堂で(同上)
石垣の 花壇の上に 石造の 十三重塔 変な按排(同上)
寄棟の 観音堂は 裳階付 聖観世音 秘仏を安置(同上)
修験道 明治初年に 禁止され 転法輪寺 戦後再興(転法輪寺)
本堂は 昭和中期の 入母屋で 法起大菩薩 再び鎮座(同上)
現宗派 葛城修験 掲げつつ 真言宗の 醍醐派末寺(同上)
古墳期に 葛木神社 創建か ヒトコトヌシを 金剛山に(葛木神社)
拝殿は 切妻造り シンプルで 木肌新し 近年築か(同上)
鎮座する 金剛山の 山頂部 昭和九年に 国の史跡に(同上)
本殿は 関西地区で 珍しく 大社造りに 渡廊付け(同上)
偶然に 注連縄張りに 遭遇す 大神神社 拝殿前で(大神神社/寺院・神社47) 57歳
狭井神社 三輪神山の 登拝口 登拝料金 払い入山(同上)
山域は 写真撮影 禁止され 登拝終えたら 受付閉まり(同上)
前回は 奥ノ院まで 辿り得ず 大山登山で その跡を見ん(浄発願寺奥ノ院)
宝塔は 尾張藩主の 正室の 供養塔でも 花添えられず(同上)
開創時 天台宗の 弾誓派 公家大名に 信者も多く(同上)
昭和初期 境内襲う 山津波 本堂や庫裡 倒壊せしと(同上)
三度目の 伊勢神宮は 外宮のみ 内宮遥拝 門前側で(伊勢神宮)
仁王門 昭和後期の 再建で 入母屋造り 再びくぐり(金剛證寺)
境内は 閑散とした 大晦日 金剛證寺 道路がネック(同上)
連珠橋 連間の池の 太鼓橋 渡る極楽 通行止めで(同上)
本堂は 摩尼殿の名が 通称で 池田輝政 江戸初期寄進(同上)
本尊の 虚空蔵菩薩 尊像は 修行大師の 置き土産かな(同上)
夫婦岩 孤高の身には 岩礁で 昔の目線 今では遠く(二見興玉神社)
初詣 備中国 総社宮 白鳳時代 創建されし(備中国総社宮)
本殿は 昭和後期の 再建で オオクニヌシと スセリビメ祀り(同上)
総社の名 備中国 萬神 三百柱 合祀するから(同上)
法隆寺 比べて見ると 国分寺 六十八寺 すべて消滅(備中国分寺)
廃寺後は 備中国 国分寺 江戸中期頃 再興されし(同上)
天平の 伽藍配置と 異なれど 七重塔 五重塔へ(同上)
国分寺 真言宗の 御室派で 七堂伽藍 何とか揃う(同上)
死んでゆく 先の景色は 見えぬとも せめて拝めよ 空海大師(同上)
本堂は 江戸中期築 入母屋で 薬師如来に 往時を偲ぶ(同上)
重文の 五重塔は 江戸後期 約二十年 工期を要し(同上)
鐘楼と 五重塔が 塀越しに 新たな年を また刻むなり(同上)
吉備路行く 平山郁夫 その絵見る 田野の浮かぶ 五重塔を(同上)
天台僧 日輪開基 宝福寺 鎌倉中期 臨済宗に(宝福寺)
仏殿は 入母屋造り 裳階付 江戸中期築 丸窓妙意(同上)
本尊の 虚空蔵菩薩 珍しい 東福寺派は 釈迦が通常(同上)
紅色の 三重塔 重文で 室町初期も 鎌倉風に(同上)
どことなく 清水寺に 類似する 三重塔 緑の小窓(同上/寺院・神社48) 57歳
経蔵は 土蔵造り 宝形で 江戸中期築 白さ引き立つ(同上)
切妻の 妻入り屋根は 山のよう 禅様式の 庫裡は格別(同上)
備前国 吉備津彦神社 一宮 吉備中山に 創建されて(吉備津彦神社)
石造の 大灯籠の 一対は 江戸末期築 日本一とか(同上)
入母屋の 巨大な屋根の 拝殿は 昭和前期に 火災後再建(同上)
主祭神 オオキビツヒコ 皇孫で 十一柱 相殿神に(同上)
渡殿 一般的な 幣殿と 異なる規模の 入母屋造り(同上)
本殿は 流れ造りの 桧皮葺き 江戸前期築 火災免れ(同上)
吉備津神社 備中国 一宮 吉備津彦神社 その本宮で(吉備津神社)
南北の 随神門は 重文で 北は室町 南は吉野期(同上)
本殿は 吉備津造り 豪壮で 本殿拝殿 合わせ国宝(同上)
両殿は 室町中期 建立で 切妻二棟に 裳階回らし(同上)
優美なる 桧皮の屋根は 独特で 妻の装飾 色鮮やかに(同上)
祈祷所に 築山池泉 庭園が 神社において 珍しく観る(同上)
神木は 六百年 銀杏なり その枝振りは 複雑怪奇(同上)
南側 随神門は 入母屋の 八脚門で 前後に廻廊(同上)
廻廊は 安土時代の 再建で 地形そのまま 一直線に(同上)
全長は 三百六十 メートルで 廻廊建屋 日本一なり(同上)
廻廊は 奈良長谷寺の 登廊より 倍近くあり 驚異的かな(同上)
八百万の 神は自然で 身の側に 山川草木 命の糧も(同上)
普賢院 吉備津神社の 別当で 廃寺とならず 神池側に(普賢院)
本堂は 江戸前期築 宝形で 普賢菩薩を 本尊として(同上)
高野山 真言宗の 普賢院 歓喜天堂 珍しきかな(同上)
吉備路には 最上稲荷 大鳥居 神仏習合 妙教寺とか(最上稲荷妙教寺)
開創は 奈良天平期 妙教寺 江戸初期再興 日蓮宗に(同上)
妙教寺 日本三大 稲荷とか 神社と寺院 区別すべきと(同上)
入母屋の 根本大堂 裳階付 明治前期に 建立されし(同上)
本殿は 昭和前期の 改築で コンクリート造 入母屋の屋根(同上)
祭神は 稲荷大神 本尊は 釈迦如来にて 毀釈免れ(同上)
優美なる 旧本殿と 前殿は 江戸中期築 伽藍最古で(同上/寺院・神社49) 57歳
仁王門 ドームの屋根や 石貼りで 奇妙な形 昭和中期築(同上)
廻廊の 切妻屋根が 六重に これも奇妙で 初めて目にす(同上)
最奥部 洗心閣の 堂宇建つ 荒行をする 育成の場と(同上)
この丘は 羽柴秀吉 陣地とも 高松攻めを 思案したかと(同上)
面白き 宝光閣の 一階は 明治末期の 煉瓦アーチで(同上)
風格が 大客殿の 玄関に 十六末寺 総本山で(同上)
岡山で 最上稲荷の 参拝者 由加山に次ぐ 第二位と言う(同上)
藤戸寺は 行基菩薩の 開創で 源平合戦 弔う寺でも(藤戸寺)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 千手観音 本尊安置(同上)
高野山 真言宗の 藤戸寺は 宝形造りに 大師を祀り(同上)
由加神社 本宮が建つ 由加山に 行基開山 権現祀り(由加神社本宮)
本殿は 江戸初期築の 入母屋で 二棟重ねた 比翼造りで(同上)
蓮台寺 神社と同じ 創建で 神仏分離で 神社と分れ(蓮台寺)
入母屋の 総本殿は 二階建て 平成十年 落成されて(同上)
由加山は 兄弟喧嘩 面白き 兄は住職 弟宮司(同上)
客殿は 入母屋造り 壮大で 江戸後期築 藩主の御宿(同上)
独特な 六角堂は 作風で 昭和後期に 新築されて(同上)
珍しき 蔀戸庇 入母屋に 観音堂は 江戸中期築(同上)
蓮台寺 真言宗の 御室派で 別格本山 七堂伽藍(同上)
多宝塔 江戸後期の 再建で 褐色の美観 重文の価値(同上)
西大寺 奈良天平期 開創で 鎌倉初期まで 犀戴寺とか(西大寺)
本堂は 入母屋造り シンプルで 江戸後期築 五色幕垂れ(同上)
十一面 千手観音 本尊で 秘仏のために 前立を置く(同上)
地のままの 三重塔 聳え建つ 江戸前期築 大日祀り(同上)
石門は 竜宮造り 入母屋で 江戸後期築 規模も大きく(同上)
六角の 土蔵経蔵 珍しや 内部八角 江戸後期築(同上)
牛玉所殿 権現祀る 社殿とか 明治初年に 神仏習合(同上)
戦前の 奉安殿が 稲荷社に 思想変われば 建屋も変わる(同上)
和合する 楠二本 スポットで 仲睦ましく 百五十年と(同上)
入母屋の 鐘楼門の 釣鐘は 朝鮮鐘で 国の重文(同上)
本坊の 観音院の 客殿は 旧小学校 移築せしとか(同上)
高野山 真言宗の 西大寺 別格本山 風情寺観に(同上)
高祖堂 大師堂の 別称で 江戸前期築 宝形造り(同上)
千手堂 旧塔頭の 千手院 五ヶ寺三院 二坊有りしと(同上/寺院・神社50) 57歳
安仁神社 弥生時代の 創建で 備前国の 元一宮(安仁神社)
拝殿を 含めた社殿 一式は 明治前期に 官費で改修(同上)
本殿は 流れ造りに 中門が 祭神移ろい イツセノミコト(同上)
法華宗 本門流の 本蓮寺 吉野時代に 大覚開基(本蓮寺)
牛窓に 来る朝鮮 通信使 寺に滞在 国の史跡に(同上)
中門は 室町期築 重文で 切妻造り 土塀めぐらし(同上)
本堂は 室町後期 再建で 寄棟造り 国の重文(同上)
祖師堂は 江戸中期築 入母屋で 本堂よりも 立派に見えし(同上)
瓦葺きの 三重塔 重文で 江戸中期築 禅宗風に(同上)
三重の 屋根の広がり 差異僅か 西大寺とは 趣異にす(同上)
牛窓は エーゲ海とも 称されて 前島行きの フェリー航行(同上)
鎮守社の番神堂の 三祠 室町期築 国の重文(同上)
花岳寺は 長直開基 江戸初期に 赤穂浅野家 菩提寺として(花岳寺)
本堂は 入母屋造り 重層で 江戸中期築 森氏再建(同上)
本尊は 曹洞宗で 定番の 釈迦如来で 制作不明(同上)
山門は 赤穂城の 西門で 廃城の後 移築されしと(同上)
宝物館 昭和後期の 開設で 赤穂義士らの 資料を展示(同上)
大正期 本家浅野家 建立と 浅野家霊廟 長矩墓とも(同上)
城近く 赤穂大石 神社建つ その創建は 明治後期で(赤穂大石神社)
拝殿は 入母屋造り 破風付けて 大石良雄 義士らを祀り(同上)
神戸から 昭和後期に 移築され 大石神社 宝物殿に(同上)
播州の 斑鳩寺の 開創は 聖徳太子 領地賜り(斑鳩寺)
法隆寺 別院となり 発展し 七堂伽藍 坊庵数十(同上)
仁王門 江戸前期築 入母屋で 八脚門の 本瓦葺き(同上)
戦国期 寺は荒廃 再興後 天台宗に 改宗されし(同上)
講堂は 室町末期 再建で 釈迦三尊は 国の重文(同上)
本堂の 聖徳殿は 前殿と 中殿後殿 三棟が建つ(同上)
後殿は 夢殿模した 三層で 大正期築 日本に一つ(同上)
前殿は 室町末期 建立で 入母屋造り 仏堂風に(同上)
天台の 風は太子に 覚えなく 華厳の風が 心地良きとも(同上)
斑鳩寺 聖徳太子 創建の 七大寺には 入らぬ疑問(同上)