寺院・神社その8 長句(短歌・狂歌)
礫岩が 崩れ行場を 塞いだり それでも進む 修行の道を(同上/寺院・神社101) 61歳
どこかしこ 不動明王 行場にて ようこそ来たと 道案内を(同上)
大師堂 大正期築 重文で 宝形造り 新様式も(同上)
本堂は 昭和初期築 入母屋で 前立ち本尊 不動を拝す(同上)
岩屋寺の 仙人窟は 魅力的 梯子で上る 怖さも交差(同上)
斬新な 遍照閣は 木造の 三階建てで 今年落成(同上)
本堂で 五仏真言 唱えるは 八十八ヶ所 岩本寺のみ(岩本寺)
新遍路 四万十川の 舟下り 岩本寺から 中村までは(同上)
伝説は 素直に聞いて 考えて 面白可笑しく 眺めるものか(金剛福寺)
本尊の 三面千手 観音は 脇侍と共に 国の重文(同上)
絶景地 七堂伽藍に 庭園と 金剛福寺 最高札所(同上)
延光寺 行基の開基 疑わし 二十八ヶ寺 あまりに多く(延光寺)
本尊の 薬師如来を 拝礼す 延光寺こそ 一般的で(同上)
土佐札所 真言宗の 豊山派と 智山派占める 禅寺除き(同上)
県境の 篠山神社 創建は 大和時代に イザナギ祀り(篠山神社)
廃寺跡 篠山神社 別当の 観世音寺で 廃仏に消ゆ(同上)
参道の 石段崩れ 狛犬も 段差がついて 困った顔に(同上)
篠山は 三百名山 山頂は 高知と愛媛 仲良く二分(同上)
拝殿は 昭和後期の 改築で 間口三間 切妻造り(同上)
伊予に入り 観自在寺は 古義の風 真言宗の 大覚寺派で(観自在寺)
本尊の 薬師如来は 秘仏とか 観自在寺は 寺号に反し(同上)
本堂と 大師堂とは コンパクト 仁王楼門 バランスに欠く(龍光寺)
お稲荷と 観音様が 分離して 結びの大師 嘆きは如何に(同上)
太子堂 単層なのに 亀腹が 近年築で 意匠も工夫(佛木寺)
本堂は 宝形造り 大師堂 入母屋造り 勘違いする(同上)
明石寺 大和時代の 開創で 天台宗の 寺門派となり(明石寺)
本堂は 明治期築の 入母屋で 千手観音 本尊として(同上)
明晰な 歴史は記す 書もなくば 大師の言葉 頼りにぞする(同上)
磐台寺 平安前期 花山院 観音祀り 岬に開基(磐台寺)
通称は 阿伏兎観音 磐台寺 臨済宗の 妙心寺派で(同上)
客殿は 江戸中期築 入母屋で 縁側の前 阿伏兎ノ瀬戸が(同上)
石段の 廻廊丹塗り 優美かな 海の色には 左右もされず(同上)
寄棟の 観音堂は 重文で 室町後期 毛利氏寄進(同上)
浮世絵に 観音堂は 描かれて 鞆の浦から 続く名所で(同上)
乳の出を 良くするために オッパイの 絵馬奉納が 観音堂に(同上)
神勝寺 昭和中期の 創建で 建仁寺派の 特別地寺(神勝寺)
通称は 禅と庭との ミュージアム 賞心庭の 池泉は広く(同上)
茅葺きの 含空院は 茶房にて 永源寺より 移築されたと(同上)
木造の 渡し舟そば 太鼓橋 心字ヶ池は 風情の極み(同上/寺院・神社102) 61歳
銀閣寺 東求堂模し 非仏堂 幾分規模を 大きく建てて(同上)
寄棟の 含空院は 裳階付 江戸前期築 旧住房で(同上)
秀路軒 表千家の 由緒ある 茶室二棟を 復元したと(同上)
池の側 一来亭の 茶室建つ 利休好み 一畳台目(同上)
荘厳堂 鳳凰堂を 模したのか 中途半端な コンクリートで(同上)
無明院 入母屋造り 本堂で 弥勒菩薩を 本尊として(同上)
宝形の 浪切堂は 不動堂 大師ゆかりの 浪切不動(同上)
模倣した 永照院は 懐かしく 大和郡山 慈光院かな(同上)
沼隈の 初代町長 開基した 予想以上の 神勝寺かな(同上)
玉島に 行基開基の 円通寺 良寛和尚 修行の寺で(玉島円通寺)
宝形の 白雲関は 二重屋根 曹洞宗の 坐禅堂かな(同上)
本堂は 寄棟造り 茅葺きで 江戸中期築 方丈風に(同上)
本堂に 托鉢をする 良寛像 十二年間 永久に消えずに(同上)
本尊は 聖観音の 立像で 伝行基作 星浦観音(同上)
倉敷の 街一望の 展望所 寺の境内 公園を兼ね(同上)
石城山 石城神社の 創建は 大和時代で 城の一部に(石城神社)
寄棟の 随身門は 茅葺きで 旧神護寺の 仁王門とか(同上)
拝殿は 社務所を兼ねた 入母屋で 昭和期築か 同じ年頃(同上)
本殿の 春日造りは 重文で 室町後期 建立されて(同上)
祭神は オオヤマツミで 他二神 習合時代 釈迦三尊と(同上)
別当の 神護寺一時 長州の 第二奇兵隊 本陣として(同上)
山頂に 五十猛神社 祠建つ 石城山には 多くの神が(石城神山)
また祠 磐山神社 祭神の オキタマヒコは 馴染が薄く(同上)
石城山 日本神社の 創建は 昭和前期で 明神祀り(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 山頂社殿 最大の規模(同上)
重文の 千手観音 本堂を 離れて暗き 収蔵庫へと(雲辺寺)
打つ者も 打たれる者も 夢と消え 共に滅んで 江戸を迎える(同上)
十六の 大師創建 伝説で この頃大師 まだ学生で(同上)
乳銀杏 大師の手植え 古木なり 母乳に悩む 親を気遣い(同上/寺院・神社103) 61歳
札所中 最高峰の 雲辺寺 眺める景色 また最高で(同上)
仁王像 運慶作と 称されて 霊場一の 大きさ誇る(大興寺)
カヤの木は 千二百年 樹齢とか 空海大師 種を蒔きしと(同上)
中世は 真言天台 道場で 六十坊の 甍重ねしと(同上)
一国に 甘んじてれば 霊場も 焼かれず済んだ 戦国時代(同上)
菜の花に 七堂伽藍 本山寺 思い出すかな 初の巡礼(本山寺)
本堂は 鎌倉期築 国宝で 間口五間の 寄棟造り(同上)
千年の 木材細工 その匠 今も継がれる 日本の誉れ(同上)
弥谷寺 山の麓に 車停め 弥谷山の 登山も兼ねて(弥谷寺)
多宝塔 明治前期の 建立で 銅板葺きの 亀腹黒く(同上)
弥谷寺 真言宗の お膝元 善通寺派の 大本山で(同上)
山崎氏 丸亀藩主 五輪塔 江戸前期頃 三代で絶え(同上)
曼荼羅寺 西行法師 偲ぶかな 同行三人 白峯寺まで(曼荼羅寺)
曼荼羅寺 観音堂は 外せない 聖観音像 平安期作(同上)
山号の 我拝師山が 目前に これから登拝 出釈迦寺を経て(同上)
本堂と 大師堂とは 同規模で 共に宝形 札所唯一(出釈迦寺)
納経所 小さな堂宇 境内で それでも伽藍 奥ノ院へと(同上)
うわべだけ 八十八ヶ所 巡るのは スタンプラリー 信仰に欠く(同上)
入母屋の 禅定堂は 壮大で 間口十間 向拝付きで(同上)
神恵院 変則的な 札所打ち 八幡宮に 戻れぬ哀れ(神恵院)
大師堂 霊場一の 小ささで 肩身の狭い 長屋のひと間(同上)
金堂は 江戸中期築 重文で 寄棟造り 観音安置(観音寺)
甲山寺 音訓読みが ごちゃまぜで 寺号はとかく すんなり読めず(甲山寺)
甲山寺 背後の山は 甲山 公園なのに 荒れたるままで(同上)
大師堂 江戸後期築 宝形で 黒衣まといし 大師珍し(同上)
思い出を また重ね行く 旅となる 四国霊場 尽きぬ憧れ(同上)
善通寺 香色山で 俯瞰せば 七堂伽藍 甍を重ね(善通寺)
高野山 京都の東寺 善通寺 空海大師 三大霊場(同上)
東院の 伽藍区域と 西院の 誕生院に 大きく分かれ(同上)
重文の 五重塔は 四代目 明治後期に 改築されて(同上)
金堂は 江戸中期築 重文で 入母屋造り 裳階は広く(同上)
善通寺 四国一位の 寺なれど 宿坊の客 数えるほどで(同上)
首里城が 世界遺産に 認められ 復元第一 善通寺もまた(同上/寺院・神社104) 61歳
西院の 五社明神の クスノキは 空海大師 遊びし巨木(同上)
金倉寺 空海大師 門の外 円珍大師 生まれた寺で(金倉寺)
本堂は 昭和後期の 再建で 入母屋造り 本尊薬師(同上)
甥なのに なぜ円珍は 天台に 不可解なこと 思う寺かな(同上)
道隆寺 空海大師の 縁薄く それでも札所 無視もできずに(道隆寺)
薬師樣 五十年毎 開帳で 出し惜しみする 価値はあるかと(同上)
多宝塔 江戸後期築 瓦葺き 彩色白く 下層シンプル(同上)
山門の 塀にくっくり 五本線 門跡でない 寺にもありき(郷照寺)
本堂は 江戸前期築 寄棟で 大仏殿を 模倣したかと(同上)
本尊は 阿弥陀如来で 秘仏とか 南無阿弥陀仏 ていせいからうん(同上)
本堂に 聳える山は 青の山 展望台と 古墳群あり(同上)
大師堂 大正期築 入母屋で 尊顔拝む 有り難さかな(同上)
山を背に 池泉回遊 庭園が 江戸前期頃 作庭されて(同上)
開基時は 妙成就寺が 寺号なり 空海大師 観音像彫り(天皇寺)
白峰宮 平安末期 創建す 崇徳上皇 鎮魂のため(同上)
明治初期 妙成就寺は 廃されて 高照院が 札所を守る(同上)
国分寺 四国四ヶ寺 霊場に 讃岐の国は 生駒氏再興(讃岐国分寺)
十一面 観音像は 重文で 六十年に 一度の秘仏(同上)
大師堂 昭和初期の 再建で 宝形二層 コンクリート造(同上)
白峯寺 円珍開基 通説で 空海開基 伝承の域(白峯寺)
入母屋の 頓証寺殿 拝殿は 江戸延宝期 建立されて(同上)
六角の 石灯籠は 花崗岩 鎌倉中期 制作と言う(同上)
薬師堂 江戸後期築 裳階付 宝形造り 本瓦葺き(同上)
大師堂 江戸後期築 宝形で 高松藩主 寄進によると(同上)
本堂は 桃山期築 入母屋で 千手観音 本尊として(同上)
根香寺は 空海大師 影薄く 天台宗で 円珍の影(根香寺)
本尊の 千手観音 また秘仏 三十三年 厨子の扉に(同上)
渡唐した 同じ讃岐の 血縁者 相見まええぬ 時のいたずら(同上)
十一面 観音像が 本尊で 寺号を異にす 大日寺かな(一宮大日寺)
大日寺 一宮神社 別当で 分離の折に 観音移されて(同上)
大日寺 阿波の札所に 二ヶ寺あり 紛らわしいので 一宮付け(同上)
大師堂 流水岩の 庭の上 アララギ大師 樹上で坐禅(常楽寺)
江戸中期 阿波国分寺 再興す 真言宗を 曹洞宗に(阿波国分寺)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 裳階の上に 唐破風向拝(同上)
寄進者の 石柱並べ 塀とする 境内狭き 観音寺では(阿波観音寺)
普遍性 求めて巡る 遍路みち 日本滅亡 その時までは(同上)
仁王門 間口四間 武家造り 蜂須賀家から 移築されしと(井戸寺/寺院・神社105) 61歳
本堂は コンクリート造 入母屋で 七仏薬師 真言七度(同上)
孝養の 限りを尽くす 大師像 不幸を詫びる わが身ありけり(恩山寺)
高野山 真言宗の 霊場が 立江寺含め 六ヶ寺続く(立江寺)
多宝塔 大正時代 建立で 修行大師の 背後に聳ゆ(同上)
菩提まで 到り着いたか わが悟り 涅槃は遠く 五善は重く(同上)
鶴林寺 二月初旬に 雪はなし 異常気象は 山の札所に(鶴林寺)
本堂は 江戸初期築 入母屋で 本尊地蔵 博物館へ(同上)
江戸後期 三重塔 建立す 五智如来像 初層に納め(同上)
入母屋の 鐘楼門は 重層で 明治後期に 建立されて(太龍寺)
巡るほど 思い深まる 遍路旅 雨や霰も 風流と見る(同上)
大師堂 明治前期の 建立で 入母屋造り 拝殿備え(同上)
奥殿は 宝形造り 三間で 御影堂とも 通称されて(同上)
多宝塔 江戸文久期 再建で 初層に安置 五大虚空蔵(同上)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 本尊秘仏 虚空蔵菩薩(同上)
山門は 昭和初期築 楼門で 下層の仁王 阿吽の呼吸(平等寺)
本堂は 江戸中期築 寄棟に 切妻屋根を 乗せた外観(同上)
大師堂 江戸後期築 宝形で 十大弟子も 共に祀られて(同上)
何かしら 縁日多し 薬王寺 参拝客は 徳島最多か(薬王寺)
仁王門 江戸天保期 再建で 入母屋の下 何故か花頭窓(同上)
本堂は 明治後期の 再建で 拝殿奥殿 二棟に分れ(同上)
瑜祇塔は 昭和中期の 建立で 地下一階に 地上は二階(同上)
土佐に入り 最御崎寺が 最初なり 室戸岬の 灯台近く(最御崎寺)
五年前 自転車遍路で 宿坊に 投宿をした 思い出の寺(同上)
仁王像 土佐神社から 移されて 仁王門には 像が四体(同上)
津照寺の 山門前は 室戸港 霊場一の 海の近さで(津照寺)
大師堂 三階建ての 庫裡の横 蘇鉄の花が 印象的で(同上)
本堂は 昭和後期の 再建で 京都高雄の 神護寺を模し(金剛頂寺)
重文の 真言八祖 像ありて 霊宝殿に 収蔵されて(同上)
廃寺から 神峯寺は 再興し 百年を経て 寺観整う(神峯寺)
入母屋の 千鳥破風付 本堂は 近年築で 本尊観音(同上)
十四年 工期要した 大師堂 平成四年 落成迎え(同上)
大日寺 札所三ヶ寺 紛らわし 二十八番 土佐を寺号に(土佐大日寺)
本尊の 大日如来 重文で 平安後期の 寄木造りと(同上)
陸奥に行き 土佐にも行くし 貫之の 足跡を踏む 旅も楽しき(土佐国分寺)
金堂は 桃山期築 重文で 寄棟造り 屋根柿葺き(同上)
大師堂 江戸前期築 入母屋で 柿葺きから 銅板葺きに(同上)
哀れなり 守り切れない 歴史かな 廃仏毀釈で 歪んだ札所(善楽寺/寺院・神社106) 61歳
本堂と 大師堂とは 入母屋で 親子の如く 棟を並べて(同上)
本堂は 室町後期 再建で 入母屋造り 国の重文(竹林寺)
美しき 五重塔は 朱色なり 昭和後期に 再建されて(同上)
大師堂 江戸前期築 入母屋で 二代藩主の 寄進とされる(同上)
高知では 国名勝の 庭園は 竹林寺のみ 室町期作(同上)
中国の 池は鄱陽湖 山廬山 模して作庭 鑑賞式に(同上)
江戸前期 藩主山内氏 手を加え 回遊式に 一部変えられ(同上)
重文の 金剛力士 像二体 山門離れ 収蔵庫へと(禅師峰寺)
本尊は 絶対秘仏 禅師峰寺 それでも大師 尊顔拝す(同上)
土佐沖も 室戸の沖も 難所なり 守り給えと 祈る船人(同上)
雪蹊寺 重文仏像 十六躯 湛慶作の 彫像もあり(雪蹊寺)
様々な 伽藍配置の 霊場に 昔の姿 見ることはなし(種間寺)
山門は 入母屋造り 仁王門 明治後期の 再建と言う(清瀧寺)
入母屋の 庫裡は古風な 趣で 書院造りを 彷彿とさせ(同上)
弥次喜多の 四国順礼 メキシコを 出発点に 日本で続く(同上)
長安に 想い馳せての 青龍寺 空海大師 夢の再現(青龍寺)
紅色の 三重塔 青龍寺 平成四年 落成されて(同上)
本尊は 浪切不動 明王で 渡唐の折の 祈祷の仏(同上)
霊場や 先ずは讃岐の 一宮 続き詣でる 旧別当寺(一宮寺)
開創は 法相宗の 義淵とか 一宮寺も 謎また多き(同上)
入母屋の 大きな堂宇 大師堂 天井一面 吊灯籠が(同上)
本堂は 入母屋造り 重文で 江戸元和期に 改修されて(屋島寺)
十一面 千手観音 重文で 秘仏扱い しない屋島寺(同上)
八栗寺の 参道の上 五剣山 一山崩れて 四剣山に(八栗寺)
宝形の 昭和初期築 大師堂 横に後期築 多宝塔建ち(同上)
重文は 山門及び 本堂で 江戸前期築 藩主の寄進(志度寺)
千歳の 形見や志度の 観音像 新たに聳える 塔の宝輪(同上)
長尾寺の 山門の先の 境内は 子供が遊ぶ 寺の雰囲気(長尾寺)
結願の 八十八番 大窪寺 感慨深く 石段上る(大窪寺)
三度目の 四国巡礼 打ち終えて 間髪入れず 四度目目指し(岩屋寺)
去年見た 仙人窟の 秋景色 今日は春を 眺め見るかな(同上)
八坂寺に 十二社権現 祀られて 熊野権現 日本第一(八坂寺/寺院・神社107) 61歳
志都岐山 神社の社殿 萩城に 明治前期に 創建されて(志都岐山神社)
城跡や 城郭復元 気運なく 舞殿で見る 幻の舞い(同上)
拝殿で 拍手を打つ 祭神は 毛利元就 他四柱(同上)
三之丸 春日神社が 遷座され 毛利輝元 社殿建立(萩春日神社)
拝殿は 江戸安永期 再建で 入母屋造り 向拝唐破風(同上)
神輿庫は 入母屋造り 裳階付 物置き場化し 寂れた様子(同上)
円政寺 鎌倉時代 創建で 毛利輝元 城下に移築(円政寺)
看板に 高杉晋作 もう一人 伊藤博文 学び寺と(同上)
習合の 名残そのまま 金比羅社 入母屋二重 本殿が建つ(同上)
本堂は 明治後期築 宝形で 地蔵菩薩を 本尊とする(同上)
円政寺 真言宗の 御室派で 石灯籠は 県下最大(同上)
浜崎の 住吉神社 創建は 江戸前期頃 海神祀り(浜崎住吉神社)
鳥居には 幼児が遊ぶ 滑り台 神社景観 趣異す(同上)
泉福寺 重伝建の 街並みに 真宗の寺 三門構え(泉福寺)
萩名所 松陰神社 創建は 明治末期で 私塾の跡に(松陰神社)
境内社 松門神社 創建は 昭和中期で 門弟祀り(同上)
現社殿 昭和中期の 再建で 立派な拝殿 入母屋造り(同上)
国史跡 松下村塾 平屋建て 江戸天保期 塾開かれて(同上)
松陰の 杉家旧宅 実家なり 平屋ながらも 大きな家で(同上)
境内は 吉田松陰 ミュージアム 松下村塾 杉家旧宅(同上)
至誠館 宝物殿が 落成し 松陰資料 有料展示(同上)
城下町 萩観光で 欠かせない 松下村塾 松陰神社(同上)
花月楼 平屋建てでも 楼の名が 藩主の茶室 移築したとか(同上)
東光寺 江戸元禄期 創建で 丹塗り総門 国の重文(東光寺)
三門は 江戸後期築 重文で 入母屋造り 二階二重門(同上)
本堂の 大雄宝殿 重文で 江戸前期築 入母屋造り(同上)
重厚な 裳階を付けた 本堂の 釈迦牟尼仏を 向拝越しに(同上)
方丈は 江戸寛政期 建立で 書院造りの 内覧できず(同上)
盛時には 四十棟 堂塔に 僧八十名 抱えていたと(同上)
藩主墓所 大照院と 東光寺 両寺に交互 建立されて(同上)
常栄寺 室町末期 創建で 雪舟作の 庭園跡に(常栄寺)
前庭は 三年前の 作庭で 枯山水を 無隠と称す(同上)
本堂は 昭和初期の 再建で 入母屋平入り 八間もあり(同上)
本尊は 千手千眼 観音で 国清寺より 移されたとも(同上/寺院・神社108) 61歳
本堂の 南溟庭は 三玲作 枯山水の 広き石庭(同上)
雪舟は 大内氏による 庇護のもと 画才をみがき 作庭もして(同上)
庭園は 国の名勝 また史跡 雪舟作と 認定されて(同上)
常栄寺 大正時代 大火災 昭和初年に 堂宇再建(同上)
切妻に 搭屋を乗せた 庫裡の屋根 典型的な 禅風式で(同上)
茶堂には 明治天皇 宿泊の間 毛利邸から 移築をされて(同上)
山口の 今八幡宮 遷宮は 室町後期 大内氏により(今八幡宮)
境内の 社殿三棟 重文で 室町後期 建立のまま(同上)
楼門は 入母屋造り 柿葺き 左右翼廊 拝殿を兼ね(同上)
拝殿は 切妻造り 妻入りで 一般的に 幣殿と言う(同上)
本殿は 流れ造りで 祭神は 応神天皇 他四柱(同上)
洞春寺 毛利元就 開基して 幕末頃に 萩から移転(洞春寺)
洞春寺 旧国清寺 移転先 鐘楼門は 江戸中期築(同上)
山門は 室町期築 重文で 本堂までは 三つの門が(同上)
重文の 観音堂が 本堂で 室町期築 入母屋造り(同上)
庫裡の中 禅寺らしく 書画の偈が 臨済宗の 建仁寺派で(同上)
山口の 八坂神社の 創建は 大内弘世で 京から勧請(山口八坂神社)
祭神は スサノオの他 三神で 本家八坂と 若干異にす(同上)
拝殿の 入母屋造り 風変り 切妻の上 庇を設け(同上)
本殿は 室町期築 重文で 明治元年 移築をされて(同上)
龍福寺 平安後期 開創で 室町末期 再興されて(龍福寺)
館跡 大内義隆 供養塔 守護大名も 十代で絶え(同上)
本堂は 室町期築 重文で 興隆寺より 移築されたと(同上)
本堂は 入母屋造り 桧皮葺き 本尊釈迦で 釈迦堂と言い(同上)
リアルかな 義隆公と 対面す 毛利元就 親子人形(同上)
ザビエルの 布教の井戸を 再現し 室町末期 世相を映す(同上)
庭園も 宗派変われば 趣も 臨済宗が 曹洞宗に(同上)
国史跡 大内館 庭園も 枯山水に 池泉回遊(同上)
山口の 大神宮の 創建は 大内義興 伊勢参りして(山口大神宮)
現社殿 伊勢神宮に 準拠して 内宮外宮 遷宮もまた(同上)
本殿は 神明造り その以前 流れ造りで 八坂神社へ(同上)
内宮は 一番奥に 鎮座して 神の位は アマテラス上(同上/寺院・神社109) 61歳
神楽殿 入母屋造り 庇付き 昭和前期に 仏堂移築(同上)
また会えた 長命杉に 念仏を 南無阿弥陀仏 また真言も(極楽寺)
大日寺 ソテツの雄花 葉に垂れる 伽藍以外に 見るべき物も(大日寺)
茅葺きの 公衆とトイレ 安楽寺 おそらく日本 唯一ではと(安楽寺)
仁王像 竜宮門の 別棟に 奇観が多き 安楽寺かな(同上)
鐘楼は 江戸中期築 撞けぬ鐘 ただ春風が 鐘を揺らして(熊谷寺)
春分は 経木流しの 縁日で 切幡寺には 大勢の人(切幡寺)
辛うじて 本堂前に お遍路が 縁日だけは お呼びでないと(同上)
焼山寺 阿波霊場の 最高地 遍路ころがし 難所の一つ(焼山寺)
雲辺寺 七重石塔 囲むよう 五百羅漢に 五百の顔が(雲辺寺)
参道に 亀山院の 陵墓あり 菊の御紋が 無いのか不思議(同上)
根香寺で 先ず驚くは 牛鬼で その形相は 妖怪を超え(根香寺)
語り継ぐ 豊かな歴史 歌枕 敗者尊ぶ 判官びいき(白峯寺)
着る服で 再び自己が 蘇る 白いトレパン 四国巡礼(同上)
国分寺 裏に回れば 梅が咲き 高く聳える 蓮光寺山(讃岐国分寺)
お大師の 仏の道の 起点地を 西行訪ね 我また登る(出釈迦寺)
百八の 煩悩を知らず ただ踏まん 赤い手すりの 石段の上(弥谷寺)
屋根越しに 天霧山の 城の跡 我が巡礼は 寄り道の旅(弥谷寺)
前神寺 土手の桜も 咲き始め 外に秘仏の 阿弥陀の姿(前神寺)
横峰寺 仁王門から 奥ノ院 星ヶ森にて 山号遥拝(横峰寺)
正善寺 生木地蔵が 本尊で 大師開基の 別格霊場(正善寺)
白鳳期 法道開基 興隆寺 真言宗の 醍醐派本山(西山興隆寺)
予期もせぬ 七堂伽藍 興隆寺 先ずは仁王門 大正期築(同上)
遍路みち それて詣でる 古寺に 白鳳時代 顧みるとは(同上)
勅使門 江戸宝暦期 建立で 切妻造り 塀は新たに(同上)
西山の 三重塔 建立は 江戸天保期 彩色はなく(同上)
目を見張る 垂木の線と 斗栱かな 塔建築は 初層の良否(同上)
本堂は 室町期築 重文で 銅板葺きの 寄棟造り(同上/寺院・神社110) 61歳
本尊は 千手千眼 観音で 五十五年に 一度の秘仏(同上)
堂側の 宝篋印塔 重文で 源頼朝 供養塔とも(同上)
入母屋の 本堂向拝 妻側で 側面見ると 違う景色に(栄福寺)
華蔵寺は 天台僧が 開基せし 平安前期 枕木山に(華蔵寺)
華蔵寺は 鎌倉後期 改宗し 臨済宗の 南禅寺派に(同上)
入母屋の 鐘楼門の 建立は 江戸明暦期 松江藩主が(同上)
入母屋の 開山堂は 扉閉じ 智元上人 挨拶できず(同上)
薬師堂 入母屋造り 平入りで 薬師如来像 国の重文(同上)
お釈迦様 お薬師様と 礼拝し 枕木山に 登拝を果たす(同上)
一畑寺 平安前期 開創で 鎌倉末期 臨済宗に(一畑寺)
近年に 妙心寺派を 独立し 新教団の 総本山に(同上)
法堂は 江戸文化期の 建立で 入母屋造り 大きな裳階(同上)
入母屋の 観音堂は 妻入りで 昭和前期に 建立されて(同上)
入母屋の 薬師本堂 平入りで 明治中期に 再建されて(同上)
下生閣 近年築の 寺務所とか コンクリート造 切妻二階(同上)
鰐淵寺 大和時代の 開創で 平安時代 天台宗に(鰐淵寺)
弁慶の 顔出しパネル 参道に 若き弁慶 修行の縁で(同上)
鐘楼の 重文の鐘 弁慶が 大山寺から 担いで来たと(同上)
鎮護社の 摩陀羅神社は 拝殿と 本殿構え マダラ神祀る(同上)
入母屋の 根本堂は 毛利氏が 安土時代に 再建したと(同上)
本尊は 観音様と 薬師樣 観音像の 二体重文(同上)
日御碕 神社創建 上代で 出雲大社の 祖神とされ(日御碕神社)
境内は 上下二社に 二分され 社殿十二棟 国の重文(同上)
十二棟 江戸寛永期 建立で 徳川家光 その命により(同上)
総じては 入母屋造り 桧皮葺き 彩色朱塗り 極めて優美(同上)
下の宮 アマテラスの神 主祭神 日沈宮 別称もあり(同上)
上の宮 スサノオの命 主祭神 神の宮とも 表記をされて(同上)
三度目の 四国霊場 打ち終えて 御礼参りに 高野山へと(高野山)
大門は 江戸宝永期 再建で 重文楼門 最大級で(同上)
仁王像 これも重文 東大寺 八メートルに 次ぎ大きさで(同上)
中門は 今春再建 楼門で 四天王像 前後に安置(同上)
金堂は 昭和前期の 再建で 入母屋造り 間口九間(同上/寺院・神社111) 61歳
大塔は 日本最大 多宝塔 昭和前期の CR造(同上)
一人来て 一人去り行く 世を旅し 思い出無限 同行二人(同上)
不動堂 鎌倉期築 国宝で 入母屋造り すがる破風付き(同上)
東塔は 朱塗り白壁 多宝塔 昭和後期に 再建されて(同上)
営々と 法灯絶えず 年ふりて 昔ながらの 鐘の音ひびく(同上)
夕陽さす 高野の山の 奥ノ院 いずれは帰る 阿字のふるさと(同上)
ありがたや 高野の山の 霊場に 再び生きて 帰る喜び(同上)
鎌倉期 大照院は 開創し 毛利綱広 菩提寺とする(大照院)
袖塀の 鐘楼門は 重文で 江戸中期築 入母屋造り(同上)
本堂も 入母屋造り 重文で 上屋架けられ 解体修理(同上)
本堂の 修復工事 見学す 要所要所に 白木を用い(同上)
国史跡 毛利家墓所 境内に 歴代藩主 墓石が七基(同上)
東光寺 笠石角柱 大照院 臨済宗の 五輪塔かな(同上)
興阿寺が 長門湯本の 温泉に 室町後期 公卿が開基(興阿寺)
本堂と 鎮守社のみ 境内に 地蔵菩薩を 本尊として(同上)
大寧寺 室町前期 創建で 曹洞宗の 石屋開基(大寧寺)
本堂は 江戸前期築 入母屋で 間口六間 県下最大(同上)
大寧寺 大内義隆 自刃跡 毛利元就 恨みを晴らし(同上)
境内に 稲荷神社の 社殿建つ 昭和中期に 創建されて(同上)
祭神は 叱枳尼眞天 同宗派 豊川稲荷 勧請せしと(同上)
参道の 盤石橋は 奇矯なり 江戸中期築 自然石積み(同上)
頑丈な 一枚石の 橋床に 紅葉舞い散る 様子が浮かぶ(同上/寺院・神社112) 61歳
修禅寺は 行基の開基 天平期 狗留孫山に 観音安置(修善寺)
修禅寺は 真言宗の 醍醐派で 別格本山 修験の霊場(同上)
行基作 聖観音像 堂の中 秋に一度は 御開扉せしと(同上)
滝の側 不動明王 像が立つ 赤い光背 情熱的に(同上)
岩壁に 三基の祠 拝殿が 権現菩薩 明神祀られ(同上)
参道で 空海大師の 煎餅と 栄西禅師の 抹茶を口に(同上)
熊野から 三社権現 分霊し 狗留孫山の 鎮護を任す(同上)
山門は 楼門造り 仁王門 桃山時代 改修されて(同上)
本堂は 宝形造り 唐破風で 毛利輝元 改修支え(同上)
祖師堂は 役小角に 始めとし 行基・空海 聖宝・栄西(同上)
境内の 一本杉の 神木は 千二百年 寺を見守り(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 観音霊場 総本寺とか(同上)
庭園は ささやか観が あるけれど 山域全体 国の名勝(同上)
高野山 真言宗の 国分寺 豊前の国に 継承されて(豊前国分寺)
入母屋の 鐘楼門の 建立は 江戸貞享期 藩の支援で(同上)
本堂は 江戸寛文期 建立で 入母屋造り 金堂附近(同上)
護摩堂は 近年築の 宝形で 密教寺院 欠かせぬ堂宇(同上)
天平の 五重塔に 及ばぬも 三重塔 明治中期に(同上)
カラフルな 寺三棟の 屋根の色 美意識視点 時に変化も(同上)
国史跡 旧国分寺 中門の 礎石が一つ 寺に残され(同上)
国分寺 発願下し 十余年 六十八国 創建奇跡(同上)
僧堂を 思わすような 案内所 開所したのは みやこ町かと(同上)
案内所 中途半端な 展示品 イスも無ければ 無人の施設(同上)
浄土宗 大本山の 善導寺 鎌倉初期に 弁長開基(善導寺)
大門は 江戸中期築 重文で 切妻造り 袖塀付けて(同上)
参道に 歓喜院の 塔頭が 門塀構え 堂宇整え(同上)
真新し 生蓮院の 門塀は 塔頭ながら 立派なもんで(同上)
三門は 江戸安政期 建立で 入母屋造り 八脚楼門(同上)
大樟は クスノキ二本 並び立つ 八百年 樹齢と書かれ(同上)
木の高さ 四十メートル 十二階 ビルの高さで ウルトラマンも(同上)
本堂は 江戸後期築 重文で 入母屋造り 九州一と(同上)
本尊は 阿弥陀如来で 脇侍には 観音勢至の 菩薩の坐像(同上)
釈迦堂は 昭和初期築 延暦寺 根本中堂 模して建てられ(同上)
三祖堂 明治前期の 建立で 宝形造り 二像が重文(同上)
三祖には 善導大師 高祖以下 宗祖法然 開基弁長(同上)
門付きの 開山御廟 建立は 江戸安政期 宝形造り(同上)
本坊の 堂宇五棟 重文で 江戸中期頃 建立されて(同上/寺院・神社113) 61歳
鐘楼は 江戸後期築 入母屋で 基壇石組み 色様々に(同上)
寄棟の 宝物殿に 像が立つ 聖光上人 人が宝で(同上)
境内は 一万五千 坪数で 最後は西門 ああ疲れたび(同上)
有馬氏が 江戸元和期に 創建す 臨済宗の 妙心寺派で(梅林寺)
境内の ソテツの樹齢 二百年 千年を超す ソテツもあると(同上)
桧皮葺き 平唐門の 勅使門 明治中期の 彫刻精緻(同上)
禅堂は 入母屋造り 裳階付 江戸文化期に 創建されて(同上)
本堂は 大正期築 入母屋で 如意輪観音 本尊として(同上)
入母屋の 開山堂は 裳階付 江戸後期築 禹門を祀り(同上)
創建者 有馬家霊屋が 境内に 江戸前期から 菩提弔い(同上)
有馬家は 久留米藩主で 外様でも 二十余万石 大大名に(同上)
経蔵は 江戸安政期 建立で 宝形造り 本瓦葺き(同上)
真木神社 真木保臣ら 祭神に 水天宮に 創建されて(久留米水天宮)
保臣は 水天宮の 宮司にて 尊王攘夷派 京都で自刃(同上)
山梔窩は 寄棟造り 茅葺きで 保臣ゆかり 謹慎の家(同上)
筑後川 水天宮の 創建は 平安末期 平家を祀り(同上)
拝殿は 江戸慶安期 建立で 銅板葺きの 入母屋造り(同上)
現在は アメノミナカヌシ 主祭神 安徳天皇 影をひそめて(同上)
一宮 肥前国は 二社があり 千栗八幡 與止日女神社(千栗八幡宮)
拝殿は 昭和前期の 再建で 銅板葺きの 入母屋造り(同上)
珍しき 拝殿幣殿 本殿が 棟を並べた 平入り造り(同上)
境内社 武雄神社の 祭神は 宿禰の父で 武雄の命(同上)
メダリスト 古賀稔彦 栄光の 訓練をせし 石段に汗(同上)
河上の 與止日女神社 創建は 大和時代に ヨドヒメ祀り(與止日女神社)
現社殿 江戸文化期に 佐賀藩主 鍋島氏により 再建されて(同上)
中殿が 変則的な 位置に建ち 幣殿ならば 本殿正面(同上)
本殿は 流れ造りの 五間社で ヒメの社に 相応しきかな(同上)
西門は 安土時代の 建立で 切妻造り 四脚門なり(同上)
大楠は 千四百年 樹齢とか 逆算すると 創建の頃(同上/寺院・神社114) 61歳
佐嘉神社 昭和八年 創建で 鍋島直正 直大祀り(佐嘉神社)
十代と 十一代の 藩主のみ 初代直茂 松原神社に(同上)
境内に 六十本の クスノキが 古木は樹齢 六百余年(同上)
松根社は 古川松根 祀る社で 直正家臣 国学者でも(同上)
本殿の 松原神社 創建は 江戸安永期 藩祖を祀り(松原神社)
拝殿は 入母屋造り 唐破風で 左右唐門 通路を設け(同上)
松原の 大楠前に 赤鳥居 稲荷の神が 宿るが如く(同上)
与賀神社 大和時代の 創建で 与止日女の神 女神を祀り(与賀神社)
楼門は 安土期築の 重文で 丹塗り一色 入母屋造り(同上)
反り橋の 石橋もまた 重文で 楼門前の 堀に架けられ(同上)
祭神の 与止日女の神 現在は 豊玉姫と 同一視され(同上)
現社殿 江戸中期頃 再建す 拝殿幣殿 本殿と建つ(同上)
巡拝す 佐賀の神社は 何処かしこ 驚くような 大楠だらけ(同上)
平戸には 藩主の開基 西教寺 真言宗の 智山派末寺(平戸最教寺)
開基前 松浦鎮信 寺を焼く 移転拒んだ 曹洞宗を(同上)
平成の 三重塔 巨大なり コンクリート造 一部木造(同上)
本尊は 虚空蔵菩薩 本堂に 愛染明王 別の堂宇に(同上)
本堂は 江戸中期築 入母屋で 拝所平入り 端は珍し(同上)
高野山 真言宗の 大宝寺 三輪宗の 道融開基(五島大宝寺)
本堂は 近年築の 入母屋で 聖観音を 本尊とし(同上)
帰朝した 空海大師 先ず五島 大宝寺にて 真言講義(同上)
淵神社 江戸寛永期 再興す 稲佐山下 村の鎮守社(淵神社)
本殿は 昭和中期の 再建で 宗像三神 女神を祀る(同上)
長崎の 住吉神社 創建は 江戸寛永期 三神祀り(長崎住吉神社)
拝殿は コンクリート造 入母屋で 平成初年 再建されて(同上)
二階建て 社務所は自宅 兼ねていて 宮司の車 軽自動車で(同上)
光永寺 浄土真宗 大谷派 福沢諭吉 止宿の寺で(光永寺)
長崎に 黄檗宗の 興福寺 江戸寛永期 真円開基(長崎興福寺)
山門は 江戸元禄期 建立で 八脚門の 入母屋造り(同上)
重文の 大雄宝殿 慶応期 暴雨で破れ その後再建(同上)
切妻の 裳階の屋根の 反り返り 本尊釈迦は 懐かしきとか(同上)
鐘鼓楼 江戸元禄期 建立で 城の櫓を 思わす如く(同上)
媽祖堂は 江戸宝永期 建立で 入母屋造り 女神を祀り(同上)
庭の側 陶器のイスと テーブルが 思わずシャツター 座りもせずに(同上)
重文の 唐人屋敷 旧門は 江戸後期築 昭和期移築(同上/寺院・神社115) 61歳
聖堂の 大学門も 移築され 湯島聖堂 思い出すかな(同上)
長崎の 諏訪神社の 創建は 室町末期 三社統合し(長崎諏訪神社)
長坂の 石段の上に 大門が 県下最大 社殿の規模で(同上)
現社殿 明治二年の 再建で 昭和後期に 銅板屋根に(同上)
拝殿と 本殿間 三棟も 見たこともない 比類なき樣(同上)
主祭神 タケミナカタと ヤサカトメ 男神女神を 合わせて祀り(同上)
金泉寺 行基菩薩 開基して 空海大師 後に中興(金泉寺)
本堂は 六年前の 再建で 入母屋造り 本尊不動(同上)
多々良岳 中腹に建つ 金泉寺 高野山とは 標高同じ(同上)
広八幡 神社創建 大和期で 重文五棟 紀州広川に(広八幡神社)
拝殿は 入母屋妻入り 柿葺き 江戸宝永期 再建されて(同上)
不思議かな 補陀洛山寺 開創は 仏教伝来 一世紀前(補陀洛山寺)
分れれば 人の諍い 絶えずして 仏も知らぬ 人の憎しみ(同上)
鎮護社は 熊野三所 大神社 日本最古の 熊野霊場(同上)
不可解は 神の仕業と 思うのも 人それぞれの 那智の山海(同上)
紀州にも 八百年の 大楠が ここは熊楠 生まれた国で(同上)
観音の 東方浄土 出発地 天台宗の 補陀洛山寺(同上)
浄土寺は 行基が開基 中興は 重源上人 平安末に(播磨浄土寺)
高野山 真言宗の 浄土寺は 国宝一棟 重文三棟(同上)
入母屋の 鐘楼堂は 袴腰 江戸寛永期 再建されて(同上)
浄土堂 宝形造り 国宝で 木部朱塗りに 本瓦葺き(同上)
本尊の 阿弥陀三尊 国宝で 西日が射すと 極楽浄土(同上)
旧郷社 八幡神社 境内に 拝殿本殿 共に重文(同上)
拝殿は 寄棟造り 平入りで 鎌倉後期 建立されて(同上)
本堂は 宝形造り 重文で 室町末期 再建されて(同上)
宝形の 開山堂は 瓦葺き 重源坐像 国の重文(同上)
経蔵は 近年築の 蔵造り 寄棟屋根に なまこ腰壁(同上)
不動堂 築年不詳 宝形で 護摩堂兼ねた 様子に見えて(同上)
塔あれば 七堂伽藍 文句なし 真言宗なら 多宝塔でも(同上)
裏山に 八十八ヶ所 霊場が 江戸後期頃 建立されて(同上)
本堂と 大師堂模す 石祠 それぞれ本尊 大師石像(同上)
浄土寺に 宝持院と 歓喜院 本坊兼ねた 塔頭二ヶ寺(同上/寺院・神社116) 61歳
入母屋に 裳階平入り 宝持院 玄関唐破風 客殿並みで(同上)
法安寺 飛鳥時代の 開創で 愛媛県では 最古の寺と(法安寺)
薬師堂 江戸享保期 建立で 明治期改修 本堂とする(同上)
国史跡 四天王寺式 伽藍跡 五重塔の 礎石残され(同上)
高野山 真言宗の 法安寺 廃寺とならず 歴史を刻む(同上)
霊場に 五十四ヶ所 奥ノ院 離れていれば お遍路は稀(香園寺奥ノ院)
奥ノ院 昭和八年 建立で 寄棟造り 不動を祀り(同上)
西郷寺 鎌倉末期 尾道に 時宗遊行派 他阿が開山(西郷寺)
山門は 室町期築 重文で 切妻造り 四脚門なり(同上)
本堂は 寄棟造り 重文で 室町期築 時宗最古と(同上)
三原市に 御調八幡 宮があり 奈良宝亀期に 和気氏創建(御調八幡宮)
将軍の 八幡信仰 御調は 源頼朝 足利尊氏(同上)
桜門 江戸後期築 楼門で 随身像は 安置されずに(同上)
拝殿は 仏堂風の 入母屋の 平入り造り 江戸後期築(同上)
僧形の 八幡神の 坐像など 木造七躯 国の重文(同上)
本殿は 入母屋造り 千鳥破風 間口五間と 大きな社殿(同上)
木造の 狛犬一対 重文で 鎌倉期作 勇壮に見え(同上)
宝形の 神庫の屋根は 茅葺きで 築年不詳 旧経蔵と(同上)
社殿には 仏教色の 様式が 習合時代 八幡菩薩(同上)
神楽殿 江戸嘉永期 建立で 入母屋造り 絵馬堂のまま(同上)
和気神社 寄棟造り 茅葺きで 観音堂を 思わす社殿(同上)
人造の 三尊景石 鞘橋と 八幡川筋 河川公園に(同上)
収蔵庫 重文含む 文化財 仏教関連 七点もあり(同上)
観音寺 真言宗の 智山派で 近年築の 山門黄色(牛田山観音寺)
中腹に 慈母観音像 牛田山 平成初年 建立されて(同上)
広島に 早稲田八幡 神社あり 室町後期 武田氏創建(早稲田八幡神社)
高台に 大きな社務所 二階建て コンクリートり 切妻造り(同上)
現社殿 平成初年 再建で 拝殿切妻 本殿神明(同上/寺院・神社117) 61歳
境内に 弥生時代の 墳墓あり 古墳時代の 先駆の遺構(同上)
神楽殿 文庫に郷土 資料館 一つ建物 他に例なし(同上)
三佛寺 二度の訪問 果たしたが 投入堂は 単独不可と(三佛寺)
単独の 他の参拝者 探し得て 喜びの鐘 打ち鳴らすかな(同上)
文殊堂 懸け造りの 重文で 縁台立つも 少々恐怖(同上)
手すりなき 地蔵堂また 重文で 真言唱え 縁台回る(同上)
岩屋には 観音堂の 入母屋が 江戸前期築 藩主の寄進(同上)
不動堂 春日造りは 珍しき 江戸後期築 一間ほどで(同上)
国宝の 投入堂は 懸け造り 平安後期 薬師を祀り(同上)
倉吉に 曹洞宗の 国分寺 江戸時代に 再興されて(伯耆国分寺)
本堂は 入母屋造り 平入りで 間口六間 近年築か(同上)
国史跡 国分寺跡 古墳あり 国府倉吉 歴史は眠り(同上)
奈良時代 宇合開基 太山寺 平安期から 天台宗に(播磨太山寺)
仁王門 室町期築 重文で 元楼門を 八脚門に(同上)
参道に 塔頭五ヶ寺 並び建つ 神戸の街で 他に類なき(同上)
入母屋の 龍象院の 本堂は 江戸中期築 茅葺きの屋根(同上)
塔頭の 安養院の 庭園は 国の名勝 枯山水で(同上)
本堂は 鎌倉期築 国宝で 入母屋造り 屋根は銅板(同上)
本堂は 間口七間 奥行は 六間もある 壮大さなり(同上)
本尊の 薬師如来は 拝観可 伊予太山寺と 国宝に差が(同上)
護摩堂は 江戸中期築 宝形で 大黒天や 不動を安置(同上)
入母屋の 向拝の屋根 髙くさせ 江戸貞享期 アイデア豊富(同上)
阿弥陀堂 常行堂で 重文の 阿弥陀如来の 坐像を安置(同上)
朱の色の 三重塔 聳え建つ 江戸中期築 本瓦葺き(同上)
初層には 大日如来 四天王 安置されるを 知ってんのとか(同上)
羅漢堂 江戸後期築 入母屋で 軒唐破風に 壁花頭窓(同上)
奥ノ院 草茫々の 屋根下 白い壁には 卍と格子(同上)
大龍寺 和気清麻呂 開基して 空海大師 真言宗に(摂津大龍寺)
十棟の 堂宇と伽藍 再建は 江戸時代以降 文化財なく(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 如意輪観音 唯一重文(同上)
入母屋の 毘沙門堂は 平入りに 入母屋破風に 軒唐破風で(同上)
複数の 破風の形状 端的に 二重破風とか 比翼破風とす(同上)
護摩堂は 一般的な 宝形で 本尊不動 不動堂とも(同上)
奥ノ院 再度山の 中腹に 足跡四つ 大師堂とも(同上)
二階建て 霊明殿は 納経所 納骨堂と 庫裡とを兼ねて(同上)
飯福田寺は 役行者の 開創で 真言宗の 醍醐派末寺(飯福田寺)
薬師堂 入母屋造り 妻入りで 築年不詳 寺の本堂(同上)
飯福田寺は 伊勢山上と 称されて 奇岩怪石 連なる行場(同上/寺院・神社118) 61歳
寄棟の 庫裡の寺務所は 懐かしき ユースホステル 宿坊も兼ね(同上)
先志摩に 御座の爪切 不動尊 空海大師 爪で石刻み(爪切不動尊)
本堂は 小さな堂で 本尊の 爪切不動 目に触れられず(同上)
優美なる 弁天堂が 池の上 昭和中期に 再建されて(寛永寺)
天海が 不忍池 琵琶湖とし 竹生島模し 弁天祀る(同上)
入母屋の 大黒天堂 黒ずんで 昭和中期の 再建に似ず(同上)
不忍の 諸堂の管理 寺務所建つ 入母屋造り 渡廊を備え(同上)
荒川の 馬捨場跡 祠建つ 馬頭観音 祀りて供養(荒川馬頭観音堂)
創建は 江戸慶安期 教如とか 東本願寺 東京別院(東京東本願寺)
本堂は 入母屋造り 平入りで 昭和前期の コンクリート造(同上)
大谷派 昭和後期に 独立し 本山となり 慈光殿も建て(同上)
浅草寺 門前街は 日本一 外国人の 訪ねる先も(浅草寺)
仁王門 昭和中期の 再建で 宝蔵門で 雷門とも(同上)
浅草寺 駒形堂に 船着場 隅田川から 詣でる堂で(同上)
宝形の 駒形堂は 弁柄で 平成中期に 再建されて(同上)
仙台の 龍雲院の 開基者は 伊達政宗で 桃山期末(龍雲院)
墓石には 戒名ではなく 六無斎 友直居士と 号読み取れる(同上)
日時計は 子平の考案 その先の 六角堂に 木造安置(同上)
孝勝寺 鎌倉後期 開創で 日蓮宗の 東北本山(孝勝寺)
山門は 仙台城の 城門で 江戸嘉永期に 移築されたと(同上)
境内に 子院三ヶ寺 現在は 本山離れ 単独の寺(同上)
本堂は 昭和後期の 再建で 入母屋造り コンクリートで(同上)
釈迦堂は 江戸元禄期 建立で 宝形造り 綱村寄進(同上)
五重塔 二十億円 大事業 どこから資金 湧き出でたのか(同上)
木造で 五重塔は 建てられて 技術伝承 次ぎ身延山(同上)
鐘楼は 近年築の 入母屋で 朱色鮮やか 石の袴腰(同上)
石像は 亀千代丸の 幼像で 四代藩主の 伊達綱村で(同上)
本堂は 明治末期の 再建で 入母屋造り 間口八間(中尊寺)
国宝の 金色堂は 宝形で 平安後期 浄土を具現(同上/寺院・神社119) 62歳
思い出す 昔の昔 また昔 われは旅人 人も旅人(同上)
西行の 面影薄し 中尊寺 どこもかしこも 芭蕉の香り(同上)
鎮守社の 白山神社 能舞台 入母屋造り 江戸末期築(同上)
焼け跡の 匂いも遠く 新しき 若葉芽を吹き 高館(義経堂)
高館の 北上川が 優美なり 円弧描いて 歴史を包み(同上)
毛越寺 ユースホステル 宿泊が 遠い昔の 思い出となり(毛越寺)
庭園の 重複評価 五ヶ所のみ 特別史跡 特別名勝(同上)
平らなる 浄土の庭の 石組に 風に破れた 冬の落葉が(同上)
いつ来ても 開山堂の 茅葺きは 開基円仁 偲ぶ堂宇で(同上)
盛時には 堂塔四十 禅房が 五百余りと 中尊寺凌ぎ(同上)
文化財 庭を除いて 他になし 無形ながらも 延年の舞(同上)
平泉 熊野三社の 創建は 平安末期 清衡が建て(平泉熊野三社)
新しき 拝殿前の 狛犬も 立派なもので 石工褒めたく(同上)
衰退す 旧村社では 別格か 神楽殿まで 新築されて(同上)
西光寺 達谷窟 毘沙門堂 平安初期に 創建されて(達谷窟毘沙門堂)
国史跡 毘沙門堂は 懸け造り 昭和中期に 復元されて(同上)
昔見た 脳裏の景色 更新し 毘沙門堂は 写真と共に(同上)
不動堂 宝形造り 茅葺きで 江戸寛政期 移築されしと(西光寺)
平泉 天台宗の 寺多く 西光寺入れ 四十ヶ寺も(同上)
金堂は 平成八年 再建で 入母屋造り 薬師を祀る(同上)
御供所とは 参拝者の 客殿で 平成七年 移築されしと(同上)
建物は 寄棟造り 茅葺きで 江戸後期築 旧家住宅(同上)
本堂は 入母屋造り 茅葺きで 築年不詳 寂れた様子(同上)
長谷寺 江戸天明期 創建で 藩主岩城氏 祈願寺とす(亀田長谷寺)
本堂は 明治中期の 再建で 宝形二層 大仏殿で(同上)
十一面 観音像の 大仏は 日本三大 長谷観音で(同上)
専称寺 室町中期 開創で 最上義光 城下に移転(専称寺)
本堂は 江戸中期築 入母屋で 十一間は 東北一と(同上)
本尊は 阿弥陀如来の 専称寺 浄土真宗 大谷派なり(同上)
歌枕 訪ねて登る 信夫山 思いもよらぬ 羽黒神社が(信夫山羽黒神社)
信夫山 羽黒神社の 創建は 古墳時代に ヌナカフト祀り(同上)
現社殿 昭和後期の 再建で 朱色と白の コンクリート造(同上)
面白き 廿三夜塔 裏側に 弘安の文字 逆さに読める(同上)
信夫山 遍照院が 中腹に 昭和後期に 創建されて(信夫山遍照院)
高野山 真言宗の 足がかり 福島市にも 末寺新たに(同上/寺院・神社120) 62歳
熊谷の 妻沼聖天 開基者は 武将実盛 平安末に(妻沼聖天山)
貴惣門 江戸後期築 重文で 切妻楼門 三重の破風(同上)
下層には 持国多聞の 天部像 先入観で 仁王と思い(同上)
高野山 真言宗の 歓喜院 聖天山の 正式名で(同上)
中門は 室町期築 四脚門 銅板屋根で 境内最古(同上)
仁王門 明治中期の 再建で 入母屋造り 十二脚門(同上)
御本殿 権現造り 国宝で 拝殿中殿 奥殿が建つ(同上)
拝殿は 入母屋造り 唐破風で 三殿共に 江戸中期築(同上)
奥殿は 八棟造り 三面は 入母屋の下 軒唐破風で(同上)
目が眩む 社殿彫刻 彩色に 東照宮は 大関クラス(同上)
金色の 木部と金具 彫刻は 青を主体の 彩色がされ(同上)
籠堂 明治前期の 建立で 寄棟二階 客殿を兼ね(同上)
大師堂 近年築の 宝形で 真言宗に 不可欠な堂(同上)
高台の 平和の塔は 多宝塔 昭和中期に 建立されて(同上)
聖天の 日本三大 有るけれど 妻沼聖天 規模は別格(同上)
鐘楼は 江戸後期築 入母屋で 改修されて 三階風に(同上)
長瀞の 宝登山神社 創建は 二世紀初頭 神武を祀り(宝登山神社)
山頂へ ロープウェイを 利用して 先ずは奥宮 霊山登拝(同上)
不動寺は 昭和後期の 創建で 真言宗の 醍醐派末寺(不動寺)
本堂は 宝形造り 建立は 秩父鉄道 不動を祀る(同上)
二ノ鳥居 台輪鳥居の 石造で 島木と貫に 金の装飾(宝登山神社)
御本殿 権現造り 荘厳で 明治前期に 再建されて(同上)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 軒の彫刻 極めて華麗(同上)
江戸後期 社殿再建 開始され 落成までは 三十年が(同上)
本殿は 切妻造り 妻側は すがる破風から 幣殿を成し(同上)
宝登山は 秩父三社で その他は 秩父神社と 三峯神社(同上)
摂社では 稲荷神社が 日本一 数多の寺院 鎮護社として(同上)
斎館は 昭和前期の 建立で 入母屋造り 客殿風に(同上)
玉泉寺 平安末期 創建で 宝登山神社 旧別当寺(同上/寺院・神社121) 62歳
二階建て 集参殿の 手前には 旧庫裡らしきの 建物残り(同上)
最勝寺 源頼朝 開基とか 真言宗の 智山派末寺(越生最勝寺)
十一面 観世音が 本尊で 本堂前は 梅盛るなり(同上)
本堂は 寄棟造り 桟瓦 大正時代 再建されて(同上)
慈光寺は 奈良宝亀期の 開創で 平安前期 天台宗に(都幾山慈光寺)
山門は 築年不詳 四脚門 旧山門は 参道沿いに(同上)
宝物庫 土蔵造りで 隣りには コンクリートの 宝物館が(同上)
般若堂 寄棟屋根に 搭屋乗せ 般若心経 写経の場でも(同上)
大師作 隅寺心経 写しあり 空海大師 宗派を超えて(同上)
入母屋の 観音堂は 妻入りで 江戸享和期 再建されて(同上)
慈光寺の 観音堂は 坂東の 三十三ヶ所 観音霊場(同上)
本尊の 千手観音 秘仏なり 毎年春に 二日開帳(同上)
本堂の 釈迦堂昭和に 焼失し 寺務所の札所 本堂を兼ね(同上)
鐘楼は 平成二年 再建で 銅の梵鐘 国の重文(同上)
開山の 道忠の墓 宝塔は 室町期作 国の重文(同上)
宝塔は 開山塔と 称されて 宝形造りの 鞘堂の中(同上)
盛時には 七十五坊 大寺院 昭和後期に 二堂放火(同上)
武甲山 秩父神社の 神奈備に 古墳時代の 創建とされ(秩父神社)
神門は 切妻造り 唐破風で 平成九年 再建されて(同上)
現社殿 権現造り 幣殿は 江戸前期頃 改修なされ(同上)
拝殿と 本殿だけは 築年が 桃山時代 家康寄進(同上)
拝殿に 桃山文化 咲き残る 欄間彫刻 子育ての虎(同上)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 銅板葺きに 葺き替えられて(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 拝殿同様 彫刻優美(同上)
祭神は オモイカネなど 五柱で つなぎの龍が 仲良くせよと(同上)
五年前 百名山しか 見ていない 今は秩父で 寺社めぐり行く(同上)
入母屋の 平成殿は 二階建て 近年築の 朱色の社務所(同上)
奥秩父 三峯神社 創建は 古墳時代に イザナギ祀り(三峯神社)
入母屋の 遥拝殿は 展望所 妙法ヶ岳 今日は拝めず(同上)
切妻の 随身門は 八脚で 江戸中期築 昭和に修理(同上)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 江戸後期築 極彩色で(同上)
本殿は 春日造りの 一間社 江戸前期築 装飾光る(同上)
斎館は 大正期築 旧社務所 二階の間口 十三間で(同上)
手水舎は 江戸末期築 超豪華 陽明門を 思わすほどで(同上)
神楽殿 明治後期築 切妻で 彩色もなく 地味な建物(同上)
神木の 重忠杉は 手植えから 八百年の 樹齢を数え(同上)
摂社には 国常立 神社建つ 江戸前期築 旧護摩堂で(同上/寺院・神社122) 62歳
三峯は 天台修験 高雲寺 神社となりて 名は忘れられ(同上)
額殿は 一般的な 絵馬堂で 近年築の 長屋様式(同上)
丘の上 ヤマトタケルの 銅像が 右手を上げた 得意のポーズ(同上)
予期もせぬ 大山倍達 顕彰碑 漫画で知しり 山籠もりかな(同上)
奥宮は 石祠石柵 厳かに イザナギイザナミ 本殿離れ(同上)
参道に 神領民家 保存する 寄棟造り 茅葺きの屋根(同上)
里宮の 両神神社 創建は ヤマトタケルが 那岐那美祀り(両神神社)
拝殿は 軒唐破風の 入母屋で 築年不詳 屋根赤トタン(同上)
法養寺 真言宗の 智山派で 楼門の他 薬師堂建つ(法養寺)
薬師堂 室町期築 寄棟で 日本三体 薬師尊とも(同上)
武甲山 御嶽神社 山頂に ヤマトタケルを 祭神として(武甲山御嶽神社)
弁柄の 観音堂は 宝形で 江戸中期築 橋立堂に(橋立堂)
橋立は 馬頭観音 本尊で 曹洞宗の 秩父霊場(同上)
雲厳寺 室町中期 白岩氏 曹洞僧を 招いて開基(白岩雲厳寺)
普段から 素通りばかり 雲厳寺 総門入ると 意外と広く(同上)
山門は 江戸後期築 楼門で 仁王彫刻 円満造で(同上)
本堂も 江戸後期築 入母屋で 大日如来 本尊として(同上)
江戸時代 七堂残る 雲厳寺 その四堂は 県文化財(同上)
宇都宮 二荒山の 神社あり 日光ふたらさん 呼び名を区別(宇都宮二荒山神社)
神門は 大正期築 切妻で 軒唐破風に 両翼付けて(同上)
拝殿と 神明造り 本殿は 明治前期に 再建されて(同上)
会館は 社務所を兼ねた 平屋建て コンクリートの 柱冷たく(同上)
境内社 稲荷神社の 赤鳥居 隣りに白い 神輿庫の蔵(同上)
祭神は トヨキイリヒコ 皇族で 日光山は オオクニヌシで(同上)
神楽殿 明治中期の 再建で 入母屋四面 軒唐破風で(同上)
一宮 下野国 二社ありて 同じ社号の 二荒山で(同上)
境内に 蒲生君平 顕彰碑 宇都宮出の 尊王学者(同上)
慈光寺は 宇都宮氏が 開基する 室町後期 城の鬼門に(宇都宮慈光寺)
赤門は 八年前の 再建で 楼門の上 二重の屋根が(同上)
下層には 仁王の像を 安置して 両翼切妻 比類なき門(同上)
本堂は 近年築の 入母屋で 浄土宗なら 本尊阿弥陀(同上)
善願寺 平安初期の 開創で 天台宗の 古刹の一つ(善願寺/寺院・神社123) 62歳
宇都宮 大仏坐像 盧遮那仏 江戸享保期に 建立されて(同上)
太山寺 円仁開基 太平に 枝垂れ桜が 満開となり(大平太山寺)
栃木市に 太平山の 神社あり 平安初期に 創建されて(太平山神社)
丹塗り色 随神門は 楼門で 江戸享保期に 吉宗寄進(同上)
摩訶不思議 随神門の 裏側に 仁王を安置 廃仏されず(同上)
緑青の 鳥居の先の 石段に 唐門風の 赤い勅使門(同上)
現社殿 明治前期の 再建で 拝殿切妻 平入り造り(同上)
主祭神 ニニギノミコト アマテラス トヨウケビメで 男神に女神(同上)
境内は 県立自然 公園で 太平山は 桜の名所(同上)
円仁が 神社と共に 開基する 連祥院は 旧別当寺(連祥院)
思い出す 京都の寺の 六角堂 連祥院は 明治期築で(同上)
満願寺 勝道上人 開創で 真言宗の 智山派末寺(出流山満願寺)
山門と その先に建つ 薬師堂 江戸享保期に 建立されて(同上)
鐘楼は 昭和後期の 再建で 四面扇の 屋根珍しき(同上)
本坊は 昭和後期の 再建で 和風二階の コンクリート造(同上)
本堂は 八間四面 大御堂 江戸後期築 入母屋造り(同上)
本堂は 坂東霊場 札所でも 千手観音 本尊拝す(同上)
参道に 歴代住職 五輪塔 一般的に 卵塔多く(同上)
女人堂 昭和後期の 再建で 空海大師 坐像を安置(同上)
奥ノ院 近年築の 懸け造り 重厚無比な 六段の梁(同上)
本尊は 鍾乳石で 後ろ向き 十一面の 観音とされ(同上)
奥ノ院 鍾乳洞の 崖に建つ 橋立堂と 趣異にす(同上)
出流山 五ヶ所の霊窟 点在す 大日窟も 鍾乳洞で(同上)
洞の中 鍾乳石に 手を合わす 自然造化 神仏宿り(同上)
安国寺 下野薬師寺 継承し 室町時代 中興される(下野安国寺)
本堂は 明治後期の 再建で 入母屋造り 本尊薬師(同上)
現在は 真言宗の 智山派で 旧薬師寺の 史跡を管理(同上)
国史跡 薬師寺跡に 残る物 伽藍礎石が 切り株の中(同上)
十三重 石塔見ると 哀れさも 再建されぬ 塔建築に(同上)
薬師寺は 鑑真和上 創建で 戒壇院を 東国の地に(下野薬師寺)
戒壇に 六角堂が 江戸後期 鑑真絵像を 安置し建立(同上)
大師堂 江戸貞享期 建立で 大正時代 壬生寺創建(壬生寺/寺院・神社124) 62歳
境内は 慈覚大師 生誕地 寛永寺から 本堂移築され(同上)
大師堂 入母屋造り すがる破風 間口三間 桟瓦葺き(同上)
最澄の 産湯の井戸を 見て来たが 弟子の円仁 重ね見るとは(同上)
真観寺 平安初期に 坂上 田村麻呂が 創建したと(小見真観寺)
本堂は 寄棟造り 江戸前期 忍城仏間 移築されしと(同上)
仁王門 江戸中期築 楼門で 観音堂の 正面に建つ(同上)
入母屋の 観音堂は 妻入りで 江戸正徳期 再建されて(同上)
予備知識 全く知らない 寺なれど 古墳を訪ね 知る寺であり(同上)
真観寺 真言宗の 智山派で 庫裡には桜 大師に感謝(同上)
神川の 金鑚神社 創建は 古墳時代に ヤマトタケルが(金鑚神社)
多宝塔 室町期築 重文で 彩色なしの 屋根柿葺き(同上)
この神社 武蔵国の 二宮を 公称したり 五宮説も(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 築年不詳 明治に改修(同上)
中門の 先に本殿 見当たらず 御室ヶ嶽を 御神体とし(同上)
本殿を 持たない神社 他二社で 諏訪本宮と 大神神社(同上)
面白き 社務所の造り 二重屋根 玄関横は 楼閣風で(同上)
祭神は アマテラスと スサノオで 神楽殿では どんな舞かと(同上)
御嶽山 中腹にある 鏡岩 断層露頭 特別天記(同上)
石仏は 旧法楽寺 遺跡なり 大正初期に 御嶽の山に(同上)
見渡すと 石仏群は 七十余 八十八体 不揃いのまま(同上)
岩山に 不動明王 突然と 見知らぬ人より 親しみ覚え(同上)
神川の 大光普照寺 開創は 寺伝によると 聖徳太子(大光普照寺)
山門は 赤門とされ 中門は 黒門とされ 平成築年(同上)
本堂は 江戸後期築 入母屋で 本尊観音 元三大師(同上)
普照寺は 金鑚神社の 別当で 天台宗の 別格本山(同上)
庭園に 桜植えない 馬鹿らしさ 兼六園は 桜の名所(同上)
寄棟の 書院の屋根は 複雑で 平屋ながらも 二重の庇(同上)
枕石寺 親鸞上人 開創で 石を枕に 野宿の跡地(枕石寺)
本殿は 寄棟造り すがる破風 江戸後期築 本尊阿弥陀(同上)
僧は皆 親鸞さんの 真似をして 宗派等しく 家庭を築く(同上)
珍しや 枯山水の 庭園が 浄土真宗 大谷派にも(同上)
白鳳期 観世音寺の 創建で 変遷を経て 正福寺とも(観世音寺)
本堂は 入母屋造り 平入りで 昭和前期に 新築されて(同上)
本尊は 佐白観音と 称されて 真言系の 単立宗派(同上)
鐘もない 坂東霊場 正福寺 札所の名より 大切な物(同上)
笠間稲荷 神社創建 白鳳期 胡桃下に 山より遷座(笠間稲荷神社)
拝殿は 昭和中期の 新築で 入母屋平入り 破風が二重に(同上)
本殿は 江戸後期築 重文で 入母屋造り 軒唐破風で(同上)
祭神は ウカノミタマで 農の神 弥生時代の 稲作起源(同上)
薬師堂 江戸中期築 寄棟で 薬師如来は 国の重文(同上/寺院・神社126) 62歳
高円寺 桃山時代 創建の 曹洞宗で 桃堂の名も(高円寺)
山門は 昭和中期の 再建で 切妻造り 両翼に塀(同上)
高円寺 寺の存在 無視されて 商店街の 知名度高し(同上)
本堂も 昭和中期の 再建で 入母屋造り 二重の破風で(同上)
本尊は 室町期作 観音で 通称名は 桃園観音(同上)
西照寺 安土時代の 創建で 明治後期に 高円寺側に(西照寺)
山門は 移転当時の 建立で 四脚門の 切妻造り(同上)
本堂は 寄棟造り すがる破風 自由参拝 出来ぬ様子で(同上)
本尊の 聖観音は 珍しき 曹洞宗は 釈迦如来なり(同上)
御堂には 開山道了 祀られる 江戸後期築 移転時移築(同上)
妙法寺 江戸元和期の 創建で 日蓮宗の 本山の寺(妙法寺)
仁王門 江戸後期築 楼門で 入母屋造り 本瓦葺き(同上)
祖師堂は 江戸文化期の 再建で 軒唐破風の 入母屋造り(同上)
祖師堂は 日蓮聖人 重視して 境内最大 極めて豪華(同上)
本堂は 江戸後期築 寄棟で 祖師像祀り 三軌堂とも(同上)
入母屋の 日朝堂も 江戸期築 身延の高僧 日朝祀り(同上)
鉄門は 寺唯一の 重文で 明治前期に コンドルによる(同上)
寺務所のみ 近年築の 二階建て それでも和風 伽藍に調和(同上)
大谷寺は 平安初期の 開創で 天台宗の 坂東霊場(大谷寺)
入母屋の 観音堂は 妻入りで 縄文遺跡の 岩屋の下に(同上)
磨崖仏 特別史跡 重文で 空海作と 伝承もされ(同上)
白い蛇 弁天池の 置物で 程度の低い 遊び心も(同上)
山門も 裏門また 赤門で 凝灰岩の 白さに映えて(同上)
大谷寺の 平和観音 石像は 昭和前期に 築造されて(同上)
色褪せた 赤い御堂に 仏なく 新たな仏 招き入れよと(同上)
多気山に 不動を祀る 持宝院 真言宗の 智山派末寺(持宝院)
山門は 近年築の 切妻で 四脚門の 両翼に塀(同上)
屋根以外 白亜の寺務所 入母屋で 軒唐破風の コンクリート造(同上)
本堂は 近年築の 入母屋で 破風の注連縄 社殿風かな(同上)
入母屋の 歳神殿は 聞かぬ名で どう眺めて 神楽殿なり(同上)
塩原の 八幡宮の 創建は 平安初期と 社伝に曰く(塩原八幡宮)
拝殿は 江戸後期築 入母屋で 鉄板屋根は 本瓦風(同上)
逆杉 千五百年の 樹齢とか 国の天記で 夫婦杉とも(同上)
上代に 古峯神社は 創建す ヤマトタケルを 祭神として(古峯神社/寺院・神社127) 62歳
切妻の 茅葺き屋根が 並び建つ 古峯神社の 社殿は異観(同上)
拝殿は 茅の平入り 二重破風 ヤマトタケルは 簾の先に(同上)
中禅寺 勝道上人 開山で 天台宗の 輪王寺末(日光中禅寺)
仁王門 入母屋造り 楼門で 諸堂を含め 朱色に統一(同上)
宝形の 観音堂に 重文の 立木観音 坂東霊場(同上)
中禅寺 明治後期の 山津波 寺は消滅 その後湖畔に(同上)
五大堂 昭和中期の 建立で 入母屋造り 楼閣風に(同上)
本坊は 住宅風の 寄棟で 朱には染まらず 白黒色に(同上)
杉の木に 奇妙なコブが 根に見える 神木らしく 菌と戦い(同上)
日光の 大猷院は 家光の 廟所であって 神とはされず(輪王寺大猷院)
宝形の 常行堂は 重文で 宝冠阿弥陀 また重文で(同上)
幾度なく 二荒山神社 参拝し 今回だけは 鳥居で失礼(日光二荒山神社)
徳川の 力を残す 東照宮 陽明門は そのシンボルで(日光東照宮)
武徳殿 大正期築 入母屋で 裳階を付けた 間口九間(同上)
御仮殿 権現造り 重文で 本殿スペア 贅沢なこと(同上)
入母屋の 大護摩堂は 二階建て 平成十年 新築されて(日光輪王寺)
銅製の 相輪橖は 重文で 神仏分離で 寺に移設す(同上)
青い目の 少年ひとり にっこりと 勝道像で 何思うかと(同上)
武蔵国 氷川神社が 一宮 古墳期創建 スサノオ祀り(大宮氷川神社)
楼門は 昭和前期の 建立で 木部の朱塗り 鮮やかな色(同上)
現社殿 昭和前期の 再建で 拝本殿は 入母屋平入り(同上)
忍城の 東照宮の 創建は 江戸文政期 藩主移封で(忍東照宮)
廃藩で 東照宮は 移転する 諏訪神社内 境内社とし(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 江戸後期築 明治に移築(同上)
奈良後期 大前神社 創建す オオクニヌシを 主祭神とし(大前神社)
神社規模 七殿あれば 大社なり 大前神社 該当せしと(同上)
現社殿 江戸中期築 県文で いずれ重文 権現造り(同上)
本殿は 拝殿同様 入母屋で 細部に及び 彫刻されて(同上)
神輿殿 入母屋造り すがる破風 近年築の 立派な庫で(同上/寺院・神社128) 62歳
目を見張る 恵比寿神社の 屋根の上 日本一の えびす様像(同上)
長蓮寺 鎌倉後期 開山で 時宗の他阿が 修行道場に(長蓮寺)
この寺の 弁財天は 大仏で 江戸中期作 江戸から真岡へ(同上)
奇観かな 弁財天堂 入母屋に 一間ほどの 太鼓楼載せ(同上)
本堂は 寄棟造り すがる破風 本尊阿弥陀に 縋る思いに(同上)
清厳寺 鎌倉初期の 開創で 宇都宮氏が 念仏堂建て(清厳寺)
時を経て 室町末期 清厳寺 家臣芳賀氏が 当地に移築(同上)
本堂は 入母屋造り シンプルで 浄土宗では 地味さも宗旨(同上)
入母屋の 呑龍堂は 裳階付き 築年不詳 堂の目的も(同上)
白壁の 客殿庫裡は 入母屋で 近年築の 平屋と二階(同上)
墓所の中 宇都宮家と 芳賀家とが 肩寄せ合える 宝篋印塔(同上)
宇都宮 蒲生神社の 創建は 昭和五年に 君平祀り(蒲生神社)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 前に横綱 四股踏むパネル(同上)
境内に 初代横綱 石像が 日下開山 明石志賀之助(同上)
医王寺は 真言宗の 豊山派で 平安中期 創建せしか(東高野山医王寺)
仁王門 切妻造り 八脚で 平成四年 再建されて(同上)
金堂は 江戸前期築 茅葺きで すがる破風の 寄棟造り(同上)
唐門は 江戸後期築 茅葺きで 四脚門の 入母屋造り(同上)
唐門の 柱や扉 日光の 陽明門を 模した装飾(同上)
大師堂 江戸前期築 茅葺きで 入母屋造り 妻にすがる破風(同上)
茅葺きの 軒に彫刻 朱の色は 他に例なし 大師堂かな(同上)
地蔵堂 寄棟造り 小堂で 旧薬師堂 最近移築(同上)
境内の 伽藍五棟 県文で 重文指定 時間次第か(同上)
鐘楼は 昭和後期の 再建で 人間国宝 鐘鋳造し(同上)
講堂は 江戸前期築 寄棟で 茅葺き屋根が 銅板葺きに(同上)
客殿は 江戸前期築 寄棟で 十三間の 一部は二階(同上)
瑞峯寺 勝道上人 開山で 真言宗の 醍醐派末寺(古峯原瑞峯寺)
本堂は 近年築の 切妻で 入母屋破風を 向拝に付け(同上)
本尊は 不動明王 堂前に 仁王石像 厳つく鎮護(同上)
客殿を 兼ねた寺務所の 新しく 切妻造り 玄関唐破風(同上)
優れたる 金剛童子 不動像 鋳物の技術 衰えもせず(同上)
日光は 勝道上人 白山は 泰澄上人 不動の地位を(同上/寺院・神社129) 62歳
金龍寺 新田義貞 開基する 曹洞宗で 供養塔建つ(金龍寺)
仏教の 陀枳尼真天 稲荷神 小さな堂に アジサイの花(同上)
本堂は 近年築の 寄棟で 七間四方 大きな伽藍(同上)
本尊は 釈迦如来で 堂内に 新田義貞 木造安置(同上)
近年の 庫裡建築は 変化して 一階入母屋 二階切妻(同上)
義貞と 言えば尊氏 目に浮かぶ 同年代の 勝者と敗者(同上)
境内の 墓所に林立 五輪塔 義貞だけは 五重石塔(同上)
浄土宗 大光院は 江戸初期に 家康開基 呑龍開山(大光院)
江戸期築 吉祥門が 唯一で 堂塔伽藍 大正期以降(同上)
本堂は 大正期末 改修で 入母屋造り 本尊阿弥陀(同上)
入母屋の 開山堂は 妻入りで 昭和前期の コンクリート像(同上)
梵鐘は 戦時に供出 戦後過ぎ 人間国宝 手による鐘に(同上)
宝塔は 新田義重 供養塔 徳川家康 遠祖とされて(同上)
入母屋の 壮大な庫裡 妻入りで 間口八間 奥行き十間(同上)
曹源寺 新田義重 開基して 鎌倉期以後 曹洞宗に(曹源寺)
重文の 江戸後期築 さざえ堂 改修中で 奇観拝せず(同上)
鶏足寺 定恵上人 鳴山に 平安初期に 開山をして(鶏足寺)
開山後 円仁巡錫 天台に 後に真言 豊山派となり(同上)
勅使門 鎌倉後期 建立の 切妻造り 四脚門で(同上)
本堂は 江戸前期築 入母屋で 間口六間 平入り造り(同上)
護摩堂は 入母屋造り 妻入りで 江戸後期築 五大尊堂(同上)
宝形の 閻魔天堂 一礼す 暫し待てよと 顔見合わせず(同上)
十三の 真言唱え 数合わせ 十三重の 石塔の前(同上)
浄因寺 行基菩薩 開基して 空海大師 中興と言う(浄因寺)
衰退後 江戸時代初期 再興し 臨済宗の 妙心寺派に(同上)
本堂は 大正期築 寄棟で 聖観音を 本尊として(同上)
鐘楼に 基壇ないのが 珍しく 地べたの上に 四本の柱(同上)
熊野堂 入母屋造り 妻入りで 無粋な札が 彫刻汚す(同上)
奥ノ院 行道山の 山頂で 寝釈迦像など 石仏多く(同上)
懸け造り 清心亭は はね出しで 北斎描く 雲の架け橋(同上)
惣宗寺 厄除け大師 創建は 平安中期 俵藤太が(佐野惣宗寺)
金銅 大梵鐘が 鐘楼に 昭和後期作 極めて豪華(同上)
円形の 水子地蔵堂 裳階付き 昭和後期の コンクリート像(同上)
関東の 三大大師 異論あり 大師は空海 元三は別(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 屋根の棟には 金色瓦(同上)
大師堂 空海大師 然に非ず 天台宗の 元三大師(同上)
江戸後期 東照宮を 創建す 拝殿入母屋 二重の破風で(同上/寺院・神社130) 62歳
本坊は 近年築の 二階建て 入母屋妻入り 豪華な造り(同上)
華蔵寺は 平安前期 円珍が 天台宗の 道場開基(伊勢崎華蔵寺)
本堂は 江戸後期築 寄棟の 平入り造り 軒に唐破風(同上)
本尊は 釈迦三尊の 坐像とか 寺伝に曰く 運慶作と(同上)
華蔵寺の キンモクセイは 国天記 台風により 主幹は枯死し(同上)
大洞の 赤城神社の 創建は 不詳であるが 五世紀頃か(大洞赤城神社)
赤城大沼 小鳥ヶ島に 遷座して 啄木鳥橋を 渡り参拝(同上)
拝殿は 昭和中期の 改築で 入母屋造り 朱色鮮やか(同上)
赤城山 大明神が 祭神で オオクニヌシに 人は擬え(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 主要部コンクリ 同じく朱塗り(同上)
伊香保路の 水沢寺の 創建は 国司高光 飛鳥時代に(水沢寺)
仁王門 江戸後期築 楼門で 軒唐破風が 上層前後に(同上)
楼門の 上に立つのは 久々で 高見の見物 気持ち良いかな(同上)
本堂は 観音堂で 札所でも 十六番の 坂東霊場(同上)
本堂は 江戸後期築 寄棟の 軒唐破風で 疑似瓦葺き(同上)
朱塗り色 六角堂に 地蔵尊 江戸前期築 二重の塔で(同上)
釈迦堂は アリーナ思わす 外観で 平成期築 新大伽藍(同上)
長谷寺 役行者の 開山で 吉野金峯山 修験本宗(高崎長谷寺)
本堂は 入母屋造り 平入りで 向唐破風 異様に大きく(同上)
十一面 観音菩薩 本尊で 坂東霊場 白岩観音(同上)
納経所 近年築の 二階建て 寺観らしきは 屋根の切妻(同上)
珍しき 十三重 石塔が 仁王門前 二基建ち様子(同上)
弥勒寺は 平安前期 開創で 中興されて 曹洞宗に(迦葉山弥勒寺)
山門は 昭和初期築 仁王門 入母屋造り 裳階に二階(同上)
四体に 八面の顔 石像が 杉の参道 踏み行く中に(同上)
本堂は 本尊観音 入母屋で 赤い瓦は 天狗イメージ(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 向拝横に 天狗のうちわ(同上)
拝殿に 日本一の 天狗面 それも二つと 驚く拝む(同上/寺院・神社131) 62歳
階段に 中峯堂の 中殿が 三棟並ぶ 様子は奇観(同上)
寄棟の 研修道場 異観なり 近年築の コンクリート造(同上)
入母屋の 書院に並ぶ 龍華閣 近年築の 共に二階建て(同上)
迦葉堂 迦葉尊者を 祀りしか 宝形造り 小さな御堂(同上)
入母屋の 開山堂は すがる破風 明治中期に 再建されて(同上)
和尚台 観音祀る 奥ノ院 築年不詳 懸け造りかな(同上)
養寿寺は 平安後期 創建の 天台宗で 忠治の墓も(養寿寺)
本堂は 近年築の 入母屋で 本尊阿弥陀 平凡な堂(同上)
東善寺 江戸前期頃 創建の 曹洞宗で 小栗氏菩提寺(東善寺)
本堂は 入母屋造り すがる破風 桟瓦葺き 築年明治か(同上)
境内の 上野介の 胸像が 哀れに見える 幕末偉人(同上)
境内に 小栗忠順 遺品館 小さきながら 偉人を偲ぶ(同上)
高野山 真言宗の 慈眼院 昭和前期 高崎移転(高崎観音慈眼院)
本堂は 入母屋造り 妻入りで 聖観音を 本尊とする(同上)
高崎の 白衣観音 建立は 寺より早い 昭和前期で(同上)
像内は 展望台を 兼ねていて 上る階段 受戒の如く(同上)
仏像の 賽銭箱も 二十個で 小銭無くなり 拝んで御免(同上)
高崎は 中途半端な 街並みに 城下宿場の 面影消えて(同上)
慈眼院 光音堂は 六角堂 昭和後期築 ここも観音(同上)
清水寺 平安初期に 田村麻呂 清水観音 勧請開基(高崎清水寺)
山門は 切妻造り 仁王門 赤と緑で 江戸時代築(同上)
清水寺 真言宗の 豊山派で 京の清水 北法相宗(同上)
石垣に 入母屋造り 中門が 江戸時代築 楼閣風に(同上)
入母屋の 両妻広い 本堂は 観音堂で 大悲閣とも(同上)
八溝山 八溝嶺神社 山頂に古墳時代に 創建されて(八溝嶺神社)
車道あり 千メートルの 標高も 楽に登山し 二ノ鳥居へと(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 明治前期に 再建されて(同上)
八溝山 御神山なり 祭神は オオクニヌシと コトシロヌシで(同上)
日輪寺 役行者の 開山で 空海大師 中興とされ(日輪寺)
八溝山 八合目に建つ 日輪寺 天台宗の 坂東霊場(同上)
本堂は 昭和後期の 再建で コンクリートの 入母屋平入り(同上)
本尊は 十一面の 観音で 開帳されず 姿拝めず(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 十一面の 観音本尊(龍光寺/寺院・神社132) 62歳
龍光寺 足利尊氏 開基とか 下野の国 旧安国寺(同上)
江戸初期に 現寺名に 改めて 臨済宗の 円覚寺派に(同上)
尊氏の 末裔の墓所 境内に 喜連川藩 藩主となりて(同上)
青梅には 武蔵御嶽の 神社あり 憧れていた ケーブルカーで(武蔵御嶽神社)
創建は 紀元前とも 称される クシマチの神 馴染ない名で(同上)
人目引く 丸山荘の 長屋門 温泉あれば 文句なしかと(同上)
宿坊の 茅葺き屋根 朽ちかけて ブルーシートが 哀れを誘う(同上)
御岳山 随身門は 仁王門 神仏習合 遠い世界へ(同上)
国宝は 鎧兜と 馬具二点 重文三点 宝物殿に(同上)
本殿は 神明造り 一間社 祭神五体 権現らしきも(同上)
山頂に ヤマトタケルが 鎮座する 武蔵御嶽の 奥ノ宮には(同上)
宿坊が 二十一軒 御岳山 驚くような 門前町で(同上)
江戸前期 本覚院は 創建す 天台宗の 拝島大師(本覚院)
山門は 竜宮風の 文殊楼 昭和後期の 入母屋造り(同上)
拝殿は 平成八年 増築で 少々野暮な タイル張り壁(同上)
八角の 弁天堂は 木造で 平成十年 建立されて(同上)
宝形の 二重塔は 経蔵で 七堂伽藍 体裁保つ(同上)
本堂は 大仏様の 大伽藍 平成六年 新築されて(同上)
本堂は 元三大師 中堂で 本尊大師 良源祀る(同上)
多宝塔 昭和後期の 建立で 観音祀り 奥ノ院とも(同上)
水屋には 水天宮の 扁額が 明治期築の 切妻造り(同上)
入母屋の 大黒天堂 古き堂 江戸後期築 旧本堂で(同上)
東大寺 転害門を 模したとか 平成九年の 西大門は(同上)
浄土寺は 平安前期 創建で 拝島大師 隣地の古刹(浄土寺大日堂)
高蔵寺 大和時代 創建で 真言宗の 豊山派末寺(高蔵寺)
山門は 江戸前期築 楼門で 八脚門の 寄棟造り(同上)
本堂は 室町末期 再建で 入母屋造り 大きな裳階(同上)
本尊の 聖観音は 行基作 坂東霊場 三十番で(同上)
妖艶な ポーズ姿の 観音は 望叶と 膝立て祈る(同上)
神野寺は 聖徳太子 創建で 真言宗の 智山派の寺(神野寺)
本堂は 江戸中期築 入母屋の 裳階平入り 軒唐破風で(同上)
本尊は 薬師如来と 珍しく 軍荼利明王 二尊を祀り(同上)
弁柄の 六角堂は 台輪黒 桃山期築 斗栱が見事(同上)
昭和築 宝物館は 二階建て 校倉風に 外壁仕立て(同上)
奥ノ院 江戸中期築 入母屋で 飯縄権現 足駄を添えて(同上/寺院・神社133) 62歳
表門 室町期築 重文で 四脚門の 切妻造り(同上)
道場は 入母屋造り 壮大で 築年不詳 昭和前期か(同上)
宿坊は 入母屋造り 妻入りで 庫裡建築を 思わす外観(同上)
庭園は 仕立てたツツジ 殆どで 枯山水が 有ればと思う(同上)
上総では 玉前神社 一宮 創建不明 平安以前か(玉前神社)
神楽殿 江戸中期築 入母屋で 朱色鮮やか 控えの間付(同上)
拝殿を 含めた社殿 江戸期築 修復中で 入母屋見えず(同上)
本殿は 幣殿備えた 入母屋で タマヨリビメの 女神を拝す(同上)
笠森寺 天台宗の 本山で 平安初期に 最澄開基(笠森寺)
本坊は 江戸元禄期 建立で 入母屋造り 表門まで(同上)
宝形の 観音堂は 重文で 桃山期築 四方懸け造り(同上)
懸け造り 四方は日本 唯一で 高さも同じ 日本一かな(同上)
本尊は 十一面の 観音で 坂東霊場 札所でもあり(同上)
世を捨てて 眺むる寺の 奥深さ 江上の月 一輪の花(同上)
妖怪と 思えるほどの 神木は ウスズミサクラ 金剛の名が(同上)
上州の 貴船神社の 創建は 平安前期 京より勧請(上州貴船神社)
拝殿は 昭和後期の 再建で コンクリートの 入母屋造り(同上)
主祭神 オカミノカミで 江戸前期 渡良瀬川の 現地に遷座(同上)
大天狗 烏天狗の 天狗面 鞍馬天狗を 思い出すかな(同上)
群馬では 貴船神社が トップとか 初詣客 二十万人(同上)
貴船川 渡良瀬川を 重ね見る 西と東の また涼しさも(同上)
桐生にも 天満宮あり 参拝す 平安末期 古社再建し(桐生天満宮)
知名度が 低くも桐生 天領で 重伝建に 天満宮も(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りで 二重の破風の 本瓦葺き(同上/寺院・神社134) 62歳
現社殿 権現造り シンプルに 江戸後期築 県文化財(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 彩色なしの 壁面彫刻(同上)
境内に 渡辺崋山 記念碑が 桐生に妹 嫁いだ縁で(同上)
関東の 五大天神 自称する 湯島亀戸 無いのか可笑し(同上)
前橋の 東照宮の 創建は 引っ越し大名 松平氏が(前橋東照宮)
現社殿 江戸後期築 川越に 明治初年に 前橋移築(同上)
鄙びたる 社殿を見ると 徳川の 苗字名乗れぬ 秀康哀れ(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 新築される 計画ありと(同上)
前橋の 八幡宮の 創建は 平安前期 石清水より(前橋八幡宮)
拝殿は 神明造り コンクリで 昭和後期に 再建されて(同上)
空襲で 社殿はすべて 焼失し イチョウ一本 枯死を免れ(同上)
玉村の 八幡宮の 創建は 源頼朝 鶴岡より(玉村八幡宮)
入母屋の 随神門は 楼門で 江戸末期築 三間一戸(同上)
拝殿は 江戸中期築 入母屋で 千鳥と唐の 破風には鍍金(同上)
本殿は 流れ造りの 重文で 室町末期 朱色で建てられ(同上)
厳島 摂社はなぜか 中ノ島 安芸の宮島 凝らした様子(同上)
神楽殿 入母屋造り 妻入りで 江戸後期築 欄干朱く(同上)
総持寺は 平安後期 創建で 真言宗の 豊山派の寺(世良田総持寺)
山門は 切妻造り 薬医門 江戸後期築 塀を備えて(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 江戸後期築 軒に唐破風(同上)
本尊は 十一面の 観音と 真言らしき 不動明王(同上)
日光の 東照宮の 旧社殿 世良田に移築 創建されし(世良田東照宮)
御黒門 江戸寛永期 創建時 建立された 高麗門で(同上)
拝殿は 入母屋造り 重文で 平入り側の 軒は唐破風(同上)
秀忠の 建てた社殿は 二十年 日光離れ 所縁の地へと(同上)
本殿は 唐門含め 重文で 流れ造りは 創建時築(同上)
表示板 ソメイヨシノの その樹齢 四百年は 有り得ないこと(同上)
御供所が 宝物館に 衣替え 昭和中期に 開館されて(同上)
長楽寺 鎌倉前期 創建で 天海中興 天台宗に(世良田長楽寺)
勅使門 東照宮の 旧門で 四脚門の 総丹塗りなり(同上)
境内に 東照宮が 創建し 江戸末期まで 別当寺兼ね(同上)
庭園は 創建当時の 趣で 心字ヶ池に 二つの島が(同上)
寄棟の 三仏堂は 江戸前期 家光により 建立されて(同上/寺院・神社135) 62歳
珍しき 太鼓門が 参道に 入母屋造り 袴腰付き(同上)
義貞と 一族重臣 供養塔 昭和前期に 故地に立てられ(同上)
本堂は 平成期築 入母屋で 釈迦三尊は 昔のままに(同上)
開山の 栄朝禅師 東国に 臨済禅を この地で広め(同上)
新田氏は 源義貞 始祖として 徳川家康 源名乗る(同上)
徳川氏 初代義季 世良田とも 地名苗字に その後松平(同上)
宝塔は 鎌倉後期 建てられて 誰ぞ知らぬが 重文指定(同上)
義季の 館跡にも 東照宮 館の史実 不明のままに(徳川東照宮)
大正期 寺の堂宇を 移築して 東照宮の 拝殿とする(同上)
満徳寺 徳川義季 開基して 明治前期に 廃寺に至る(縁切寺旧満徳寺)
歴史的 縁切寺が 評価され 平成初年 町が復元(同上)
本堂は 寄棟造り 平入りで 間口七間 奥行き六間(同上)
鎌倉の 縁切寺は 東慶寺 幕府公認 この二ヶ寺のみ(同上)
出土した かわらけなどを 展示して 本堂内の トイレは奇妙(同上)
礎石のみ 寺役所跡 位置示し 建屋の様子 想像できず(同上)
照明寺 行基の開基 高野山 真言宗の 反町薬師(照明寺)
薬師堂 明治前期の 再建で 軒唐破風の 宝形造り(同上)
鎌倉期 新田氏居館 築かれて 戦国時代 城郭となり(同上)
大師堂 宝形造り すがる破風 四国霊場 巡る気分に(同上)
江戸前期 廃城により 照明寺 跡地に移転 再興されて(同上)
国史跡 新田荘 遺跡なり 反町館 遺跡の一部(同上)
城跡の 面影残す 水濠に 映る歴史は 戦の攻防(同上)
上州の 伊勢崎神社 創建は 鎌倉前期 三浦義澄が(伊勢崎神社)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 昭和前期に 再建されて(同上)
拝殿に 木のプロペラ 掲げられ 無事の帰還が 戦時の祈り(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 江戸後期築 透かし彫り付け(同上)
主祭神 ウケモチノカミ その他に 二十七柱 総社の如し(同上)
開創は 平安中期 正宗寺 臨済宗の 妙心寺派で(正宗寺)
子規堂は 正岡子規の 記念堂 暮らした生家 復元されて(同上)
境内に 坊ちゃん列車 展示する 松山らしき 正宗寺かな(同上/寺院・神社136) 62歳
松山に 伊豫豆比古命 神社あり 古墳時代に 土地神祀り(伊豫豆比古命神社)
楼門は 近年築の 入母屋で 左右に大臣 随身坐像(同上)
写真では 昭和前期の 楼門は 裳階を付けた 入母屋造り(同上)
拝殿は 入母屋造り 裳階付き 昭和後期に 再建されて(同上)
地元では お椿さんと 称されて 奉納絵馬に 椿の花が(同上)
椿祷殿 平成前期 建立で 入母屋造り コンクリート造(同上)
切妻の 三階建ての 会館は コンクリートの 奇妙な造り(同上)
実在の 力士の像や 仁王門 海岸寺では 驚きばかり(別格霊場海岸寺)
本堂は 江戸末期築 入母屋で 聖観音を 本尊とする(同上)
海岸寺 空海大師 創建で 真言宗の 醍醐派の寺(同上)
客殿は 江戸享和期の 再建で 入母屋造り 堂宇で最古(同上)
宿坊は 三階建ての RC 宿代安い ホステルであり(同上)
大師堂 拝奥殿の 二棟から 大正昭和 時代をまたぎ(同上)
奥ノ院 母の実家の 邸宅で 誕生説は 真実味あり(同上)
善通寺 海岸寺との 争いて 決着つかぬ 大師の産湯(同上)
弁柄の 二重の塔の 建立は 昭和中期で 薬師を祀り(同上)
海岸寺 八万坪の 境内は 四つのエリア 七堂伽藍(同上)
振り向けば 嬉し涙が 目にしみる 四国霊場 松山の日々(同上)
久保谷の 津嶋神社 創建は 江戸宝永期 スサノオ祀り(津嶋神社)
入母屋の 遥拝殿は 妻入りで 近年築の 白壁優美(同上)
全国の 神社の島を 眺めたたが 渡れぬ橋が ここにあるとは(同上)
年二日 夏の時期だけ 橋渡り 津嶋神社の 本殿詣で(同上)
仙龍寺 法道開基 奈良時代 後に中興 空海大師(仙龍寺)
別格の 四国霊場 仙龍寺 真言宗の 大覚寺派で(同上)
本堂は 入母屋妻入り 掛け造り 昭和前期に 再建されて(同上)
地下二階 地上二階の 本堂は 地下コンクリで 地上木造(同上)
宝形の 仙人堂は 開山の 法道仙人 祀る御堂で(同上)
その昔 三角寺とは 一体で 仙龍寺では お大師拝し(同上)
喧嘩して 真言宗も 宗派割れ 空海大師 嘆きやいかに(同上)
保国寺 奈良神亀期 開創で 臨済宗の 東福寺派に(保国寺)
仁王門 近年築の 楼門で 何故か仁王は 石の彫刻(同上/寺院・神社137) 62歳
本堂は 江戸宝暦期 再建で 寄棟造り 茅美しく(同上)
鐘楼と 仁王門の屋根 瓜二つ 入母屋造り 大きさ違い(同上)
保国寺 庭園国の 名勝で 室町中期 作庭されて(同上)
庭園は 築山池泉 鑑賞で 枯滝石組 三尊石も(同上)
本堂に 仏通禅師 坐像あり 国重文で 東福寺より(同上)
伊予小松 石土神社 創建は 忌部宿禰が 古墳時代に(石土神社)
門前の 高灯篭は 驚きで 昭和前期築 コンクリート製(同上)
石土は 石鎚山で 御神体 イシヅチビコの 神と称され(同上)
現社殿 権現造り 築年は 不明なれども 昭和前期か(同上)
宝厳寺 白鳳時代 開創で 一遍上人 生誕地でも(松山宝厳寺)
山門は 入母屋造り 楼門で 三年前の 火災免れて(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 今春落成 阿弥陀も笑顔(同上)
新庫裡は 切妻造り 平入りで 小さきながら 一部二階建て(同上)
重文の 一遍上人 立像が 焼失せしが 惜しまれるかな(同上)
出石寺 猟師道教 開創で 空海大師 修行の聖地(出石寺)
別格の 四国霊場 出石寺 真言宗の 御室派本山(同上)
本堂は 昭和中期の 再建で 入母屋造り 本尊観音(同上)
護摩堂は 二重の塔に 二重破風 昭和中期築 金厳不動(同上)
四度目の 札打ち開始 円明寺 隣りの町に 仕事で移住(円明寺)
住み心地 買い物一番 二に歴史 三には自然 海山あれば(同上)
赤門は 室町期築 楼門で 入母屋造り 仁王を安置(岡山安住院)
禅光寺 安住院の 創建は 報恩大師 奈良天平期に(同上)
盛時には 塔頭の数 十二院 真言宗の 善通寺派で(同上)
本堂は 江戸初期築 入母屋で 千手観音 秘仏を安置(同上)
多宝塔 江戸元禄期 建立で 後楽園の 借景とされ(同上)
いつ見ても 浅間大社 本殿は 二重楼閣 朱塗り優美で(富士山本宮浅間神社)
富士山の 伏流水に 赤い橋 湧玉池は 国特天記(同上)
大洲にも 冨士山があり 麓には 如法寺が建ち 参道を上る(大洲如法寺)
如法寺は 大洲藩主が 再興す 臨済宗の 妙心寺派で(同上)
山門は 袖壁付けた 薬医門 築年不詳 瓦新し(同上)
如法寺は 大洲藩主 加藤家の 菩提寺であり 境内に墓所(同上/寺院・神社138) 62歳
仏殿は 江戸前期築 重文で すがる破風の 入母屋造り(同上)
仏殿は 禅堂も兼ね 本尊は 禅宗らしき 釈迦如来像(同上)
入母屋の 大方丈が 本堂で 江戸寛政期 再建されて(同上)
経蔵は 宝形造り 白壁で 近年築の 異色を放つ(同上)
前回は 境外からの 遥拝で 和霊神社を 正式参拝(和霊神社)
神門は 拝殿に似た 入母屋で 奇妙な面が 随身代わり(同上)
摂社とは 思えぬ社殿 火の神の 竈神社は 柔らかく見え(同上)
拝殿は 入母屋妻入り 唐派風で 昭和中期に 再建されて(同上)
祭神の 清兵衛公は 悲運なり 江戸期における 道真公で(同上)
江戸前期 龍光院は 創建す 宇和島伊達家 祈願所として(宇和島龍光院)
福寿寺の 寺号もありて 高野山 真言宗で 別格霊場(同上)
ミニ四国 霊場の中 四十番 龍光院は その奥ノ院(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 六年前に 再建されて(同上)
本尊は 十一面の 観音で 客間の中も 目が向けられて(同上)
大師堂 向唐破風 宝形で 真心込めた 見本の堂宇(同上)
龍光寺 龍光院と 紛らわし 四国霊場 固定は古し(同上)
大窪寺 本尊大師 石像を 拝み結願 ミニ霊場で(同上)
大乗寺 江戸万治期に 再興す 臨済宗の 妙心寺派で(吉田大乗寺)
四国には 馴染が深い 大詩人 坂村真民 参禅の寺(同上)
大乗寺 吉田伊達家の 菩提寺で 歴代藩主 御廟所もあり(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 軒唐破風は 正面右に(同上)
境内に 茶室新たに 建てられて 坐禅の後の 楽しみが増え(同上)
箸蔵寺 高灯籠が シンボルで 二重の屋根に 長い袴腰(箸蔵寺)
三度目の 参拝となる 箸蔵寺 ロープウェイに 乗らずに上る(同上)
仁王門 入母屋造り 楼門で 明治期築で 移築されしと(同上)
護摩殿は 江戸末期築 重文で 入母屋切妻 宝形三殿(同上)
入母屋の 鐘楼堂は 重文で 江戸末期築 楼門造り(同上)
入母屋の 観音堂は シンプルで 薬師堂より 見劣りがする(同上)
高越寺は 役行者が 開山の 真言宗の 大覚寺派で(高越寺/寺院・神社139) 62歳
鐘楼は 明治期築で 昭和初期 山門共に 焼け残るなり(同上)
二年前 住職及び 使用人 雪で遭難 哀しい事故も(同上)
阿波富士は 高越寺のある 髙越山 晴れればどんな 秋景色かと(同上)
本堂は 昭和前期の 再建で 拝殿奥殿 入母屋二棟(同上)
本尊は 神仏混合 珍しき 蔵王権現 千手観音(同上)
シンボルの 錫杖塔が 聳え建つ 八角形で 昭和後期築(同上)
今治に 綱敷天満 神社あり 菅公作の 素波神祀り(網敷天満神社)
宝物庫 土蔵造りに なまこ壁 何故か魅かれる 江戸時代の知恵(同上)
江戸中期 志島ヶ原に 遷座され 入母屋社殿 二重の破風で(同上)
平屋建て 清風館は 社務所とか 烽火のような 石のモニュメント(同上)
鎮座する 志島ヶ原は 松原の 日本百選 国の名勝(同上)
番外の 遍照院も 霊場で 真言宗の 豊山派の寺(菊間遍照院)
本堂は 入母屋平入り 大師堂 大師自作の 厄除大師(同上)
江戸時代 松山藩主 祈願所で 今は今治 庇護もされずに(同上)
善応寺 中世建武 創建で 河野道盛 館の跡に(善応寺)
江戸中期 徳川吉宗 中興し 臨済宗の 東福寺派に(同上)
本堂は 入母屋平入り すがる破風 釈迦三尊を 本尊として(同上)
堂内は 三尊の他 達磨大師 大通智勝 倚像もありて(同上)
庫裡の屋根 典型的な しころ屋根 江戸中期築 入母屋造り(同上)
盛時には 七堂伽藍 善応寺 伽藍の礎石 庭石となり(同上)
真新し 大相堂は 位牌堂 夢殿模した 八角の堂(同上)
鐘楼の 屋根より高く 育つかな 浩宮樣 御成り記念樹(同上)
松山に 日蓮正宗 妙源寺 昭和中期に 創建されて(妙源寺)
本堂は 入母屋造り 平入りで 銅板葺きの 屋根青々と(同上)
松山の 大峰ヶ台 麓には 宗派異なる 寺が五ヶ寺も(同上)
十夜ヶ橋 別格霊場 永徳寺 真言宗の 御室派末寺(十夜ヶ橋永徳寺)
永徳寺 室町初期の 開創で 江戸享保期に 中興される(同上)
通夜堂 寝具一式 棚の上 いずれ一泊 大師の側に(同上)
十夜ヶ橋 本坊離れた 飛び地にて 永徳寺には 次ぎの機会に(同上)
都農神社 日向国の 一宮 弥生時代の 創建とされ(都農神社)
神門は 近年築の 切妻で 両袖からは 透かし塀伸び(同上)
拝殿は 入母屋平入り 二重破風 九年前に 再建されて(同上)
祭神は オオクニヌシで 国津神 日向の国と 関わり薄く(同上/寺院・神社140) 62歳
本殿は 流れ造りの 一間社 拝殿含み 銅板葺きで(同上)
省エネか 旧拝殿は 神輿庫と 神楽殿兼ね 再生されて(同上)
久々に 霧島神宮 参拝し 高千穂峰に 登拝するかな(霧島神宮)
斎場は 天孫降臨 神籬で 神々しくも 秋風哀し(同上)
旧社殿 高千穂峰の 中腹に 鳥居と祠 溶岩流に(同上)
日南の 鵜戸神宮の 創建は 飛鳥時代に 社殿建てられ(鵜戸神社)
岩窟に 朱色の社殿 並び建ち 竜宮城 思わす如く(同上)
本殿は 権現造り 八棟で 江戸中期築 改修が二度(同上)
主祭神 ウガヤフキアワ セズの神 神武天皇の 父ともされて(同上)
平安期 別当寺院 創建も 明治に棄却 跡形もなし(同上)
山上に 陵墓とされる 古墳あり 拙き石段 上り行くかな(同上)
祭神は 皇族であり 宮内庁 参考地とし 陵墓を所管(同上)
日向灘 鵜戸神宮は 絶景で 自然の造化 人工社観(同上)
儀式殿 入母屋造り L字形 客殿も兼ね 近年改修(同上)
茅葺きの 社務所は消えて 入母屋で 昭和後期に 再建される(同上)
名所では 千畳敷の 奇礁あり 堆積岩の 水平節理(同上)
上古より 宮崎神宮 開創し 文献上は 鎌倉時代(宮崎神宮)
切妻の 拝所は神門 同様で 明治末期に 建立されて(同上)
幣殿は 実質的な 拝殿で 渡廊を介し 本殿続く(同上)
祭神は 神武天皇 皇子の名で 通称名は 神武さんとも(同上)
授与所まで 切妻屋根に 統一す 明治以降の 社殿八棟(同上)
徴古館 宝形造り 二階建て 明治期築で 四面なまこ壁(同上)
神苑は 広々とした 社叢なり オオシラフジは 国の天記で(同上)
九棟が 国登録の 文化財 伊東忠太の 設計もあり(同上)
創建は 大正二年 真栄寺 浄土真宗 本願寺派で(真栄寺)
真宗の 五重塔は 珍しき 昭和中期の コンクリート造(同上)
本堂は 入母屋造り RC 昭和後期に 再建されて(同上)
伝説の 横倉神社 創建は 鎌倉初期に 横倉山に(横倉神社/寺院・神社141) 62歳
拝殿は 向唐破風 切妻で 明治前期に 再建されて(同上)
本殿は 流れ造りの 一間社 安徳天皇 祭神として(同上)
高縄寺 白鳳時代 開創で 真言宗の 醍醐派の寺(高縄寺)
仁王門 昭和中期築 入母屋で 釣鐘があり 頭上に注意(同上)
本堂は 宝形造り トタン屋根 江戸明和期の 再建されて(同上)
中興の 義天和尚の 五輪塔 他の三基に 案内はなく(同上)
創建は 天満神社 室町期 木野山神社 江戸期以前と(木野山神社)
本殿は スサノオの他 狼が 神の化身と 合祀もされて(同上)
現社殿 昭和中期の 再建で 拝殿入母屋 本殿流れで(同上)
明治期に 天満神社 移転して 平成初期に 社殿改築(同上)
文殊院 空海大師 中興し 別格霊場 九番札所(文殊院)
大師堂 遍照堂と 称されて 大師尊像 秘仏扱い(同上)
山里に 山田薬師の 善福寺 行基の開基 三大薬師(山田薬師善福寺)
山門は 江戸後期築 楼門で 入母屋下層 仁王を安置(同上)
本堂は 江戸嘉永期の 再建で 入母屋造り 桧皮美し(同上)
様々な 三大薬師 訪ねたが 何を基準に 評価するかと(同上)
大岩は 昭和中期に 落石し 大師堂から 像逃れたと(同上)
入母屋の 赤い瓦の 庫裡の中 曹洞宗の 住職不在(同上)
宇和島で 二重の塔 偶然に 見つけて行くと 新興宗派(霊法会宇和島講堂)
甥を連れ 上った参道 懐かしく 仁王門から 参るのが礼(仙遊寺)
お大師が 自己の像より 山頂を 労り愛せと 言うが災害(同上)
本堂で 遍路の姿 やっと見る クルマ遍路も 歩きが基本(同上)
国宝の 建造物を 見る旅も 臼杵石仏 いよいよ佳境(臼杵石仏)
境内は 特別史跡 国宝は 五十九躯で 四群に分れ(同上)
石仏は 正式名は 磨崖仏 平安後期 鎌倉初期作(同上)
第二群 ホキ石仏と 称されて 片流れ屋根 破風付き架かり(同上)
第一群 第二龕の 三体は 釈迦に阿弥陀と 薬師の坐像(同上)
第一龕 如来坐像が 三体と 菩薩立像 二体が並ぶ(同上)
袈裟の下 丸と四角の 石に穴 他で彫られて 運搬したか(同上)
地蔵像 十王像に 彩色が 微かに残り 袈裟が精緻で(同上)
第三の 山王山の 石仏は 丈六如来 法印結び(同上/寺院・神社142) 62歳
第四の 古園石仏 拝所建ち 大日如来 曼荼羅を成す(同上)
宝冠の 大日如来 中心に 十二体は 左右に分れ(同上)
満月寺 臼杵石仏 守護寺で 蓮城法師 開基とされる(同上)
開基時は 天台宗の 満月寺 昭和前期に 日蓮宗に(同上)
重文の 宝篋印塔 日吉塔 鎌倉末期 制作とされ(同上)
日向宮 高千穂神社 創建は 曖昧なため 上代とする(高千穂神社)
鳥居よこ 近年築の 社務所建つ 客殿風の 入母屋造り(同上)
拝殿は 入母屋平入り 二重破風 銅板葺きで 近年築か(同上)
主祭神 タカチホスメガミ 皇祖神 神話のふるさと 出雲と並び(同上)
本殿は 江戸中期築 重文で 流れ造りの 規模は五間社(同上)
畠山 重忠手植え 秩父杉 平成四年に 一本倒れ(同上)
神楽殿 平成期築 切妻で 観光客に 夜神楽披露(同上)
夜神楽は 平安末期 創作で 国の重文 無形文化財(同上)
演目は 三十三番 ある中で 御神体など 四番演ず(同上)
酒造り 飲み合う仕草 面白き 男神女神の 御神体の舞い(同上)
高千穂に 天岩戸 神社あり 西と東に 本宮分れ(天岩戸神社)
創建は 平安初期で 岩窟を アマテラスの神 お隠れの場とし(同上)
西日本 天岩戸の 名の神社 数社がありて 本社を自認(同上)
神門と 拝殿共に 切妻で 昭和後期に 再建されて(同上)
本殿は 天岩戸で 川向 拝殿先に 遥拝所あり(同上)
切妻の 上屋が架かる 遥拝所 天岩戸は 立入禁止(同上)
東西は 昭和中期 合併し 社務所は一つ 西本宮に(同上)
参道に 神明造り 徴古館 折角なので 拝観をする(同上)
岩戸川 天安河原 岩窟を 天岩戸の 代参とする(同上)
奈良初期に 市房神社 創建す 市房山の 四合目付近(市房神社奥宮)
拝殿は 近年築の 入母屋で 登山コースの 避難小屋兼ね(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 ワダツミの神 山に祀られ(同上)
本願寺 人吉別院 創建は 明治前期で 廃藩により(本願寺人吉別院)
本堂は 入母屋造り 平入りで 阿弥陀如来を 本尊として(同上)
打ち終える 五木寛之 作品の 百寺巡礼 最後の寺を(同上)
桜島 腹五社神社 創建は 江戸寛永期 ツクヨミ祀り(腹五社神社)
大正の 大噴火による 火山灰 境内埋め 跨ぐ鳥居に(同上)
境内は 小学校と 隣接し 懐かしきかな 百葉箱は(同上/寺院・神社143) 62歳
参道は 足跡残る 火山灰 小さな社殿に 祈る平穏(同上)
霧島に 大隅国 一宮 鹿児島神宮 創建上古(鹿児島神宮)
参道を 入りいきなり 境内社 三之社に 六神祀り(同上)
勅使殿 軒唐破風の 切妻で 江戸後期築 両脇長屋(同上)
拝殿は 江戸中期築 切妻で 左右の棟に 千鳥破風付け(同上)
本殿は 入母屋平入り 桧皮葺き 珍しいのは 霧除け庇(同上)
主祭神 ホノオリノミコト その后 神武天皇 祖父と祖母とか(同上)
クスノキは 八百年の 樹齢とか 鎌倉期以降 知る御神木(同上)
前神寺 石鎚山に 奥ノ院 念願叶い 旧地に復帰(前神寺奥ノ院)
中村の 一條神社 創建は 江戸文久期 教房祀り(一條神社)
境内は 中村御所の 館跡 土佐一条氏 栄華を極む(同上)
拝殿は 昭和中期の 再建で 向唐破風 入母屋造り(同上)
高野山 真言宗の 大善寺 別格霊場 五番札所で(大善寺)
大善寺 空海大師 開創で 現在地には 明治中期に(同上)
木造の 三階建が 納経所で 住宅兼ねた 切妻造り(同上)
温泉に ケーブルカーは あったけど 寺にあるのは 日本唯一(同上)
本堂は 昭和期築の 入母屋で 本尊大師 想像の域(同上)
高野山 真言宗の 常福寺 平安初期に 開創されて(椿堂常福寺)
本堂は 昭和後期築 寄棟で 地蔵と不動 本尊とする(同上)
大師堂 平成前期 再建で 別格霊場 相応しき堂(同上)
延命寺 行基菩薩の 開創で 十三番の 別格霊場(土居延命寺)
本堂は 昭和期築の 宝形で 本尊地蔵 秘仏扱い(同上)
大師作 千枚通し 霊符所持 真言宗の 御室派末寺(同上)
西条に 福岡八幡 神社あり 創建不詳 立派な鳥居(福岡八幡神社)
拝殿は 入母屋造り 妻入りで 幣殿切妻 千鳥破風付き(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 社殿築年 昭和中期か(同上)
正善寺 生木地蔵は 高野山 真言宗の 別格霊場(正善寺)
本堂は 昭和期築の 入母屋で 大師手彫りの 地蔵を祀り(同上)
高野山 真言宗の 金林寺 空海大師 開創せしと(金林寺/寺院・神社144) 63歳
真の価値 大師開基に 尽きるかな 八十八ヶ所 外れた寺に(同上)
薬師堂 室町期築 重文で 銅板葺きの 寄棟造り(同上)
毘沙門と 不動立像 重文で 本尊薬師 坐像は県文(同上)
新道の 開拓記念 大師堂 明治前期に 建立されて(松山粟井坂大師堂)
疫病の 退散願い 鎌彫りの 自像を安置 鎌大師堂(松山鎌大師堂)
宝形の 鎌大師堂 田園に 番外霊場 冬の長閑さ(同上)
徳島の 忌部神社の 創建は 明治中期に 氏神祀り(徳島忌部神社)
眉山から 下山途中に 参拝す 思いもよらぬ 旧国幣社(同上)
栴檀寺 行基が開基 世田山に 山頂附近 中世の城(栴檀寺)
高野山 真言宗の 栴檀寺 通称名は 世田薬師とも(同上)
大師堂 昭和前期築 入母屋で 軒唐破風の 平入り造り(同上)
薬壺塔 平成期築 モニュメント 柴燈護摩供 広場に建立(同上)
奥ノ院 宝形造り 本堂は 薬師三尊 本尊として(同上)
栴檀寺 ドライブ地図に 記載なく 西条訪ね 知る古刹かな(同上)
自害した 大舘氏明 墓所があり 南朝方の 悲運四国に(同上)
津田浦に 津田石清水 神社あり 平安前期 創建されて(津田石清水神社)
江戸初期に 津田松原へ 遷座して 五万坪もの 神域有す(同上)
松原を 訪ねることが 目的で 津田石清水 予期せぬ神社(同上)
切妻の 随神門は コンパクト 社殿に合わせ(同上)
拝殿の 奥に幣殿 本殿が 権現造り 昭和期築か(同上)
廃屋は 料亭風の 二階建て 活用されず 松原の中(同上)
松山に 日尾八幡の 神社あり 奈良天平期 創建されて(日尾八幡神社)
神門は 入母屋造り 楼門で 昭和中期築 白塗り斗栱(同上)
宮大工 窪田文治郎 建築が 松山の寺社 二十棟ほど(同上)
浄土寺に 隣接するが 素通りす 札所一辺 視野改める(同上)
拝殿は 江戸後期築 入母屋で 軒唐破風に 野暮な塩ビ樋(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 江戸後期築 屋根は銅板(同上)
内子には 曹洞宗の 高昌寺 室町末期 中興されて(高昌寺/寺院・神社145) 63歳
境内に 驚くような 涅槃仏 平成前期 石造されて(同上)
三度目の 重伝建の 内子町 町の財力 寺の良し悪し(同上)
本堂は 入母屋造り 平入りで 江戸後期築 本尊観音(同上)
本山と 伽藍配置が 酷似して 愛媛における ミニ永平寺と(同上)
山門は 入母屋造り 楼門で 江戸前期築 寺では最古(同上)
屋島寺の 宝物館に 五回目で 初入館し 未見をクリア(屋島寺)
書院には 丸みを帯びた 池があり 目を凝らしは 鯉の姿が(同上)
普段では 拝観できぬ 本坊の 客殿書院 観られて嬉し(同上)
人吉の 青井阿蘇神社 創建は 平安初期に 阿蘇より分社(青井阿蘇神社)
楼門は 江戸前期築 寄棟の 八脚門で 屋根は茅葺き(同上)
祭神は アソツヒコの神 その后 御子神入れて 阿蘇三社とも(同上)
拝殿も 同時代築 寄棟で 唐向拝は 後に改修(同上)
楼門と 拝幣殿と 本堂と 廊の五棟は 国宝指定(同上)
幣殿は 寄棟造り 妻入りで 屋根は茅葺き 廊で結ばれ(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 廊を含めて 銅板葺きで(同上)
江戸時代 大関張りし 力士いて その顕彰で 土俵造られ(同上)
九州の 国宝建築 訪ね終え 一つ消し去る この世の未練(同上)
本妙寺 加藤清正 創建で 日蓮宗の 六条門流(本妙寺)
境内図 見れば壮大 伽藍群 堂塔十二 塔頭十三(同上)
中門の 勅願道場 扁額は 東郷元帥 揮毫のようで(同上)
大本堂 入母屋造り 平入りで 明治中期に 再建されて(同上)
宝形の 法皇閣は 二重屋根 釈尊祀る 仏堂であり(同上)
中門は 切妻造り しころ屋根 築年不詳 明治中期か(同上)
拝殿は 入母屋平入り すがる破風 昭和後期に 改修されて(同上)
本殿は 加藤清正 霊廟で 明治中期の 入母屋平入り(同上)
明治初期 寺と神社が 分離され 加藤神社が 熊本城に(同上)
山頂に 槍を手にする 清正像 北村西望 昭和初期作(同上)
阿蘇山の 西厳殿寺は 奈良初期に 天竺僧の 最栄開基(西厳殿寺)
平安期 天台宗の 寺となり 山上伽藍 栄華を極む(同上)
戦乱で 西厳殿寺は 衰退し 加藤清正 麓に再興(同上)
明治初期 山上本堂 廃されて 里坊移転 法灯を継ぐ(同上)
本堂は 平成前期 焼失し 十五年経ち 更地のままで(同上/寺院・神社146) 63歳
一宮 豊後国は 二社があり 先ずは柞原 八幡宮に(柞原八幡宮)
南大門 明治初期築 入母屋に 軒唐破風と 脇門付けて(同上)
クスノキは 三千年の 樹齢とか 国の天記で かつ御神木(同上)
文化期に 伊能忠敬 測量し 幹の周りが 十四間と(同上)
楼門は 江戸中期築 入母屋で 軒唐破風の 左右は回廊(同上)
西門は 江戸末期築 切妻で 四脚門の 朱色鮮やか(同上)
本殿の 東西に建つ 宝殿は 江戸中期築 切妻造り(同上)
楼門と 申殿との 間には 切妻屋根の 小さな拝殿(同上)
本殿は 江戸後期築 切妻が 二棟重なる 八幡造り(同上)
祭神は 東西宝殿 六柱 賀茂明神や 稲荷明神(同上)
他の国は 宗派論争 繰り返し 昔の日本も その繰り返し(同上)
重文の 太刀や武具など 五点あり 宝物殿の 扉の中に(同上)
一宮 西寒多神社 名を留む 創建古く 平安期まで(西寒多神社)
藤棚が 橋の上にも 築かれて 旺盛伸びる ヤマフジの枝(同上)
拝殿は 入母屋造り 平入りの 千鳥破風下 軒唐破風で(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 拝殿含め 昭和期築か(同上)
入母屋の 校倉造り 神庫建つ 明治中期に 本殿脇に(同上)
神楽殿 平成中期 再建で 入母屋妻入り 簡素な造り(同上)
入母屋に 裳階を付けた 社務所には 入母屋切妻 破風が二ヶ所(同上)
優美なる 万年橋の アーチ形 江戸文久期 築造されて(同上)
龍原寺 江戸初期開基 浄土宗 臼杵藩主の 稲葉氏により(龍原寺)
太子塔 江戸安政期 建立で 九州屈指 三重塔(同上)
本堂は 入母屋造り すがる破風 近年改修 本尊阿弥陀(同上)
土佐国 土佐神社のみ 一宮 古墳時代に 創建されて(土佐神社)
三殿は 安土期築の 重文で 拝殿様式 トンボ形とも(同上)
拝殿は 切妻四棟 抱き合わせ 向拝前出 左右翼殿(同上)
祭神は アヂスキタカヒコ 天津神 もう一柱 ヒトコトヌシで(同上)
本殿は 入母屋造り 柿葺き 壁は白壁 木部は朱色(同上)
入母屋の 鼓楼は重文 柿葺き 江戸前期築 朱塗りに黒く(同上)
浄土宗 禅林寺派の 福田寺 江戸前期頃 再興されて(土佐福田寺)
本堂は 入母屋平入り すがる破風 近年築か 本尊阿弥陀(同上)
境内に 武市半平太 銅像が 土佐勤皇党 末路が哀れ(同上)
開山は 空海大師 興昌寺 臨済宗の 東福寺派で(興昌寺/寺院・神社147) 63歳
本堂は 数年前の 改修で 入母屋造り 本尊阿弥陀(同上)
鐘楼は 城の櫓を 見る如し 近年築の 入母屋造り(同上)
名ばかりの 一宮神社 新居浜に 奈良和銅期の 創建とされ(新居浜一宮神社)
入母屋の 随神門は しころ屋根 祭り太鼓を 通す工夫で(同上)
木の高さ 二十メートルの クスノキが 十五本あり 他五十本(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 江戸宝永期 再建されて(同上)
龍神社 江戸天和期の 創建で 八大龍神 波止浜に祀り(波止浜龍神社)
拝殿は 入母屋造り 千鳥破風 祭神代わり ヒコホホデミなど(同上)
本殿は 入母屋造り 三間社 拝殿合わせ 江戸中期築(同上)
円蔵寺 江戸元禄期 創建で 黄檗宗の 山門優美(波止浜円蔵寺)
本堂は 入母屋造り 裳階付き 軒唐派風で 本尊は釈迦(同上)
最明寺 北条時頼 中興す 真言宗の 御室派末寺(塩江最明寺)
明治期に 寺は移転し そのためか 諸堂調和し 寺観優れて(同上)
本堂は 入母屋平入り 細長く 本尊薬師 伝行基作(同上)
宝形の 観音堂は 白峯寺 護摩堂移築 復元せしと(同上)
鎮護社は 熊野権現 三所なり 本地垂迹 薄れて久し(同上)
法然寺 江戸寛文期 再興す 高松藩主 松平氏が(法然寺)
讃岐へと 法然上人 配流され 所縁の寺を 法然寺とし(同上)
総門を くぐると先ずは 十王堂 閻魔王らの 無言の裁き(同上)
黒門は 平成二年 再建で 極楽浄土 門から先に(同上)
仁王門 江戸延宝期 建立で 八脚門の 切妻造り(同上)
五年前 五重塔は 落成す 初代藩主の 悲願とも聞く(同上)
文殊楼 鐘楼兼ねた 入母屋で 江戸中期築 梵鐘昭和(同上)
寄棟の 来迎堂は 裳階付き 軒唐破風で 江戸中期築(同上)
堂内は 二十五菩薩 黄金色 楽器奏でて 浄土誘う(同上)
法然寺 松平氏の 菩提寺で 般若台には その墓所建つ(同上)
般若台 門は閉ざされ 思い見る 歴代藩主 八代の墓(同上)
宝形の 旧宝蔵は 校倉で 築年不詳 境内奥に(同上)
宝蔵は 霊宝館に 建替えて コンクリートに 重文四点(同上)
本堂は 明治後期の 再建で 入母屋平入り 江戸期合わせ(同上)
宝形の 三仏堂は 裳階付き 軒唐破風は 大きく前に(同上/寺院・神社148) 63歳
三仏の 他には釈迦の 涅槃像 三仏堂は 涅槃堂とも(同上)
経堂は 土蔵造り 宝形で 白一色の 壁美しく(同上)
伽藍数 二十四棟 その中で 十八棟が 本瓦葺き(同上)
惜しむもの 二尊堂の 焼失と 書院庭園 絵にならぬこと(同上)
松原に 白鳥神社 社殿建つ ヤマトタケルの 霊地とされて(白鳥神社)
能褒野にて ヤマトタケルは 戦死して 白鳥となり 讃岐の浜に(同上)
切妻の 随身門は 鶴の門 江戸前期築 白鳥は鶴(同上)
拝殿は 八棟造り 豪壮で 社殿の配置 権現タイプ(同上)
現社殿 明治前期の 再建で 銅板葺きに 統一されて(同上)
本殿は 神明造り 三間社 ヤマトタケルの 伝説偲ぶ(同上)
御神庫は 寄棟造り 白壁で 明治末期の 建立とされ(同上)
参集所 入母屋造り 壁白く 平屋の社務所 見劣りがする(同上)
湧水池 長方形の 石積みで 湯気が立つなら 正に露天風呂(同上)
御神木 八百年の クスノキで 他に九本 かおり風景(同上)
立岩の 八幡神社 創建は 江戸元禄期 生土神に(立岩八幡神社)
拝殿は 入母屋造り 二重破風 コンクリート造 近年築か(同上)
宝形の 観音堂も コンクリで 神仏習合 集落らしく(同上)
ガレの森 美術館には 空海の 美術館と 添え書きされて(鳴門妙見山)
鳴門市の 妙見山は 公園で 山頂西に 妙見神社(同上)
江戸後期 妙見神社 再建す 撫養城跡に 関係者らが(同上)
拝殿は 入母屋造り 千鳥破風 消火の桶は 備前焼かな(同上)
本殿は 入母屋造り 平入りで アメノミナカヌシ 祭神として(同上)
入母屋の 観月殿は 絵馬堂で 見晴台を 兼ねて建てられ(同上)
栄西が 紀州に禅寺 開山す 善福院は その塔頭で(善福院)
江戸前期 天台宗に 転宗し 明治初期から 善福院に(同上)
釈迦堂は 鎌倉期築の 国宝で 一重裳階 寄棟造り(同上)
鎌倉期 禅宗様の 仏殿は 他に国宝 功山寺のみ(同上)
禅寺の 七堂伽藍 夢と消え 釈迦堂一宇 蜜柑畑に(同上)
慈眼院 白鳳時代 開創で 真言宗の 御室派の寺(慈眼院)
日根神社 旧神宮寺 慈眼院 空海大師 中興せしと(同上)
金堂は 鎌倉期築 重文で 寄棟造り 本尊薬師(同上)
多宝塔 鎌倉期築 国宝で 大日如来 初層に安置(同上)
慈眼院 塀を隔てて 日根神社 創建不詳 古墳時代か(日根神社)
入母屋の 長屋造りの 集会所 前には摂社 五棟が並び(同上)
現社務所 旧神宮寺 塔頭で 分離は遠く 百五十年(同上/寺院・神社149) 63歳
拝殿は 入母屋平入り 二重破風 本瓦葺き 向拝銅板(同上)
拝殿と 本殿二棟 江戸初期に 豊臣秀頼 寄進によると(同上)
本殿は 春日造りの 唐破風で 木部は朱塗り 屋根桧皮葺き(同上)
祭神は ウガヤフキアエズ その后 神武天皇 両親とされ(同上)
孝恩寺 行基の開基 観音寺 大正時代 堂宇吸収(孝恩寺)
その堂宇 釘無堂と 称されて 国宝であり 本堂となる(同上)
孝恩寺 経緯は不明 浄土宗 寺は小さく 堂宇は五棟(同上)
本堂は 鎌倉期築 寄棟で 間口五間の 本瓦葺き(同上)
本尊の 阿弥陀三尊 重文で 他に十七 重文所蔵(同上)
水間寺 行基菩薩の 開創で 平安時代 天台宗に(水間寺)
水間には 行基遭遇 伝説の 聖観世音 出現の滝(同上)
シンボルの 三重塔 建立は 江戸天保期 大阪最古(同上)
本堂は 入母屋平入り 裳階付き 江戸文化期に 藩主再建(同上)
本尊の 聖観世音 礼拝し 西国霊場 最終となる(同上)
護摩堂は 寄棟造り 新築で 何処から煙り 出て来るのかと(同上)
本堂の 横の寺務所は 妻入りで 去年建てられ 新旧の不和(同上)
長弓寺 行基開基で 叡尊が 真言律宗 開き中興(長弓寺)
盛時には 二十院もの 塔頭は 法華院など 四院のみに(同上)
本堂は 鎌倉期築 国宝で 入母屋造り 間口が五間(同上)
桧皮葺き 大きな庇 すがる破風 四方の隅の 反り返り見事(同上)
十一面 観音像は 重文で 本尊納める 黒塗り厨子も(同上)
宝蔵は 白い土蔵の 切妻で 入母屋破風が 特徴的で(同上)
鐘楼は 昭和中期に 売却し 簡素ながらも 再建果たす(同上)
境内に 伊弉諾神社 建つけれど 分離前まで 牛頭天王社(同上)
現在も 神仏分離 そのままで 明治の歪み いつまで続く(同上)
長弓寺 本坊がなく 住職も 塔頭三院 輪番制で(同上)
塔頭は それぞれ宿坊 経営し 精進料理 好評と聞く(同上)
珍しき 円生院の 庫裡建屋 入母屋造り 裳階に搭屋(同上)
売却の 三重塔 目に浮かぶ ホテルの寄進 願う信仰(同上)
南門は 鎌倉期築 重文で 四脚門の 切妻造り(十輪院)
元興寺 十輪院は 旧子院 真言宗の 醍醐派の寺(同上)
本堂は 鎌倉期築 国宝で 寄棟造り 本瓦葺き(同上)
国宝の 堂宇に思う 事ひとつ はるか昔の 匠の器量(同上)
本尊の 地蔵菩薩は 珍しき 重文指定 石仏龕に(同上)
御影堂 江戸前期築 宝形で 空海大師 坐像を安置(同上)
仏堂の 不思議は一つ 法隆寺 千三百年 歴史を重ね(法隆寺/寺院・神社150) 63歳
斑鳩や 仏教伝来 法隆寺 木造最古 世界一なり(同上)
国宝は 十八棟で 重文は 二十九棟 比類なき寺(同上)
東院は 夢殿だけの 拝観で 本堂などの 伽藍をめぐる(同上)
蟹喰えば 金が無くなる 越前路 そんな替え句を 法隆寺では(同上)
中宮寺 聖徳太子 開創で 聖徳宗の 尼寺であり(中宮寺)
本堂は 昭和中期築 寄棟で 本尊国宝 如意輪観音(同上)
神社では 格式高き 二十二社 広瀬大社は 中七社なり(広瀬大社)
河合の 広瀬大社の 創建は 古墳時代に 水神祀り(同上)
拝殿は 明治期築の 入母屋で 平入り素朴 屋根桧皮葺き(同上)
本殿は 春日造りの 一間社 江戸中期築 極彩色で(同上)
祭神は ワカウメノメの 命とか オオイミの神 別称もあり(同上)
大和路の 北葛城に 鎮座する 風神龍田 水神広瀬(同上)
馬蹄石 八幡太郎 義家の 払田城柵 来訪記念(高梨神社)
真山の 高梨神社 創建は 平安初期で 城柵の守護(同上)
拝殿は 入母屋造り すがる破風 大正期築 村社合祀し(同上)
祭神は アマテラス他 十五神 さながら総社 知らない神も(同上)
本殿は 日吉造りの 一間社 拝殿含め 彫刻見事(同上)
保呂羽山 波宇志別神社 創建は 奈良天平期 権現祀り(波宇志別神社)
神楽殿 室町期築 重文で 切妻造り 屋根柿葺き(同上)
登拝路に 普賢を祀る 下居堂 修験時代の 面影残す(同上)
本殿は 入母屋造り すがる破風 築年不詳 山頂に建つ(同上)
祭神は 蔵王権現 廃されて 安閑天皇 他二十神(同上)
創建は 桃山時代に 安東氏 菅原神社 脇本城に(脇本菅原神社)
祭神の 道真公は 偉大なり 花を愛する 神様となり(同上)
拝殿は 軒唐破風の 入母屋で 昭和後期に 再建されて(同上)
本殿は 流れ造りの 三間社 拝殿ともに 銅板葺きで(同上)
浄蓮寺 浄土真宗 大谷派 北前船で 金浦港に(金浦浄蓮寺)
経蔵は 築年不詳 宝形で 軒唐破風に 彫刻精緻(同上)