歴史的名所その5
街道と宿場 短句(俳句・川柳)
城の下 亀山宿は 秋の風(亀山宿/街道と宿場1) 51歳
据え膳や 旅籠玉屋で 江戸気分(関宿)
秋風や 中庭抜けて 奥の間に(同上)
庭眺め 寛ぐ時間 旅籠屋に(同上)
銀行の 建物古き 旅籠風(同上)
熊野から 古関に鎮座 関神社(同上)
平入りの 家並連なる 関宿は(同上)
宿場には 欠かせぬ遺構 高札場(同上)
関乃戸の 餅菓子口に 秋を行く(同上)
珍しや 藤川宿に 青瓦(藤川宿)
うららかな 秋の陽射しや 垂井宿(垂井宿)
不破関 関ヶ原宿 継承し(関ヶ原宿)
関所跡 門には洒落た 犬矢来(同上)
平野屋は 森鷗外の 止宿跡(土山宿)
家並には 宿場の雰囲気 濃く残る(同上)
高札場 跡には紅葉 懸るかな(同上)
秋霧に 松尾の渡し 跡を偲ぶ(東海道)
扇屋の 本陣跡に 薬医門(日坂宿)
角長の 屋号が残る 古民家も(同上)
面影は 小沢本陣 跡一つ(石薬師宿)
信綱の 生家残され 資料館(同上/街道と宿場2) 52歳
石碑のみ 墨俣本陣 跡記す(美濃路墨俣宿)
美濃路行く 冬の旅人 我れ一人(同上)
本陣の 切妻の屋根 春の波(二川宿)
白壁に 枯山水の 庭白く(同上)
足洗う 蝋人形が 旅籠屋に(同上)
本陣の 土蔵ゆかしき なまこ壁(同上)
優美かな 御油松並木 曲り道(東海道御油)
本宿の 出入り口に 冠木門(本宿)
またいつか 和中散本舗 大角家(旧和中散本舗)
隠居所の 洗濯干しに 未練見る(同上)
六地蔵 草津石部の 間の宿(六地蔵)
宿場跡 火の見櫓が 懐かしき(大和街道島ヶ原宿)
島ヶ原 本陣跡に ユキヤナギ(同上)
望楼の 藤村生家 ユリの花(馬籠宿)
旧宿場 観光地へと 布石打つ(同上)
涼しさや 水車の響く 馬籠宿(同上)
夏雲に 恵那山霞む 宿の屋根(同上)
庭園に 明治天皇 行在所碑(草津宿)
宿場より 温泉有名 草津の名(同上)
二回目の 石薬師宿 秋を旅(石薬師宿)
信綱の 産湯の井戸に 散る紅葉(同上)
間の宿 富田に残る 常夜灯(東海道富田/街道と宿場3) 52歳
寂しさは 石碑に記す 一里塚(同上)
古民家の 壁は悲しき トタン張り(庄野宿)
秋風に 吹かれ自転車 中富田(東海道中富田)
ススキの穂 安楽川の 徒歩渡し(東海道安楽川渡し跡)
四日市 宿場の姿 秋の果て(四日市宿)
なが餅が 四日市宿 名物で(同上)
旧道が 途切れがっくり 四日市(同上)
時の鐘 七里の渡し シンボルで(宮宿)
風流な 堀川クルーズ 屋形船(同上)
明治期の 町家点在 宮宿(同上)
街角の 古き道標 江戸を指す(同上)
早馬の 駆け音遠し 伝馬町(同上)
山崎の 長坂ゆるく 短めに(同上)
呼続は 宮の渡しの 船出告げ(東海道呼続)
笠寺は 思いもよらぬ 秋祭り(東海道笠寺)
笠寺に 榎の巨木 一里塚(同上)
有松の 繁栄今の 町並みに(有松宿)
竹田家の 切妻屋根は 幾重にも(同上)
旧旅籠 粂屋名を変え 教材社(小諸宿)
越屋根の 豪華な町家 小諸宿(同上)
芦田宿 松並木過ぎ 常夜灯(芦田宿)
茅葺きの 接待茶屋が 建つ峠(和田峠)
中村屋 昔の備品 そのままに(妻籠宿)
江戸時代 タイムスリップ 妻籠宿(同上)
妻籠宿 一人悠々 師走行く(同上)
泊りたき 旅館いこまや 冬休み(同上)
雪積もる 東海道は パニックに(東海道朝日)
榎には 伊勢神宮の 常夜灯(同上)
振り向けば 火の見櫓は 木製で(同上)
冬寒の 天龍川の 渡船跡(東海道天龍川)
見付宿 面影一つ 道路幅(見付宿)
街道の 家並みゆかしき 見越し松(桑名宿)
文化財 ブロック塀が 寒々と(東海道朝日)
伊勢詣で 芭蕉の姿 寒空に(伊賀街道平松宿)
平松の 宿場雰囲気 家々に(同上)
冬の田に 古民家の屋根 群立す(伊勢街道富永)
白壁の 土蔵重なる 古道跡(竹内街道太子)
越し屋根に 切妻三重 大和棟(同上)
野ざらしの 旅の面影 竹之内(竹内街道竹之内)
芭蕉句碑 綿弓塚の 庭園に(同上)
絵画いた 古民家続く 大道に(同上)
中庭の 松は冬空 独り占め(奈良路今井町)
今井町 重伝建に 五百棟(同上)
芭蕉追い 伊勢長島に 句碑めぐり(伊勢長島)
輪中には 石垣高き 古民家が(同上)
街道の景色懐かし 宿場町(関宿/街道と宿場5) 53歳
関宿を 過ぎて鈴鹿の 山々が(同上)
坂道は いよいよ冬の 峠へと(鈴鹿峠)
宮宿 本陣跡は ひつまぶし(宮宿)
鳴海宿 本陣跡に 山車庫建つ(鳴海宿)
石畳 下駄の音遠き 梅雨の時期(北陸道武生)
旅籠風 旅館点在 武生かな(同上)
関跡に 昭和の石碑 松林(北陸道安宅の関)
七夕や 住吉詣で 今日の旅(同上)
部屋の窓 アルミの地肌 価値下げる(美濃町)
二階から 眺める通り 格別で(同上)
古民家の 間は涼し 路地の井戸(同上)
本陣の 石置き屋根も 秋の風(伊那街道宮田宿)
哀しみや 野麦峠の 草の道(飛騨街道野麦峠)
登り得た 乗鞍岳に 秋の雲(同上)
政井みね 飛騨が見えると 絶命し(同上)
木曽駒や 跳ねんとばかり 秋の空(同上)
石畳 暗峠 秋日和(暗越奈良街道暗峠)
森林に ポツンと棚田 峠道(同上)
晩秋の 熊川宿を ぶらり旅(熊川宿)
街道と宿場 長句(短歌・狂歌)
語り合う 友なきままに 日は過ぎて 一人夢見る 街道の旅(亀山宿/街道と宿場1)
消えてゆく 宿場の様子 撮影に 訪ねてみたり 五十三次(同上)
電柱と 電線がまた 邪魔をする 景観損ねる 電気に依存(同上)
五十路過ぎ 恋より旅に 時めいて めぐる宿場は 秋の夕暮れ(関宿)
大家が 滅び易きが 宿場町 宿屋の他に 糧がなければ(同上)
行楽期 関の地蔵は 閑古鳥 古き賑わい 知る術もなく(同上)
関と言う 名もなつかしき 宿場かな 旅した人の 名前も知らず(同上)
関宿は 東海道で 唯一の 重伝建で 古代三関(同上)
修復し 屋根と白壁 美しく 宿場を残す 心嬉しき(同上)
本陣の 跡は町家に 推移して 電気屋となり 屋号も変わり(同上)
千鳥破風 三つ並んだ 虫籠窓 脇本陣の 鶴屋ゆかしき(同上)
江戸期築 町家を保存 資料館 慎ましやかな 平入り二階(同上)
地蔵院 赤と黒塗り 鐘楼は 江戸前期築 国の重文(同上)
関宿や 江戸の風景 そのままで 駕籠に揺られて 眺めたきかな(同上)
本陣の 遺構を留む 資料館 東海道の 藤川宿に(藤川宿)
宿場町 ふと見渡せば 人形屋 城郭風の 三階建で(同上)
百キロを 超えたら遠く 思うかな 東海道の 自転車の旅(同上)
不破関 発掘調査 出土品 資料館建て 公開展示(関ヶ原宿)
関跡で 兜掛石 見る歴史 大海人皇子が 壬申の乱(同上)
鈴鹿越え 土山宿で 安堵する 東海道の 終盤の宿(土山宿)
本陣に 明治天皇 記念碑が 入母屋造り こみせ備えて(同上)
黄葉の 反野畷で 小休止 畦道ならぬ 東海道に(反野畷)
掛川の 小夜の中山 越え行けば 日坂宿に 旅籠が残り(日坂宿)
池田屋の 旅籠の風情 そのままに 割烹旅館 末広亭に(同上)
川坂屋 切妻造り 二階建て 江戸後期築 旧大旅籠(同上)
大須賀の 郵便局の 建物は 明治初期築 洒落た唐破風(大須賀)
寺の名が 石薬師宿 宿場名 東海道で 珍しきかな(石薬師宿)
文学者 佐佐木信綱 生誕地 行き交う人の 刺激を受ける(同上)
美濃路とは 東海道と 中山道 名古屋起点の 脇往還で(美濃路/街道と宿場2) 52歳
墨俣の 脇本陣は 再建し 往時の宿場 景観保つ(美濃路墨俣宿)
豊橋の 二川宿は 宿場村 本陣旅籠 復元されて(二川宿)
花の道 芭蕉と共に 歩みしか 東海道も 中山道も(同上)
壮大な 本陣遺構 資料館 平成中期 開館されて(同上)
通りには 町家点在 するけれど 重伝建の 候補にならず(同上)
豊川の 赤坂宿に 開館す 旅籠屋風の よらまいかんが(赤坂宿)
本宿は 東海道の 間の宿 赤坂宿と 藤川宿間(本宿)
本宿に 妻入り土蔵 点在し 宿場景観 様変わりする(同上)
六地蔵 和中散本舗 国史跡 建屋重文 庭は名勝(旧和中散本舗)
予約なく 見学できぬ 大角家 外観眺め 庭は覗き見(同上)
島ヶ原 大和街道 関所跡 藤堂藩が 幕末設置(大和街道島ヶ原宿)
憧れの 中山道の 馬籠宿 五十路を過ぎて 石畳踏む(馬籠宿)
大黒屋 旧造り酒屋 聞こえ来る 島崎藤村 初恋の詩(同上)
壮大な 脇本陣は 資料館 切妻造り 妻に大庇(同上)
去る人も 来る人もまた 旅人で 馬籠宿にて すれ違うかな(同上)
馬籠宿 大正期以降 再建で 時代遅れの 宿場再生(同上)
絶え間なく 観光客が 往来す 木曽路入り口 馬籠宿かな(同上)
苦しみは 知る人ぞ知る 峠道 芭蕉歩きし 跡また踏まば(馬籠峠)
草津宿 中山道の 分岐点 国の史跡の 本陣が建つ(草津宿)
本陣は 江戸弘化期の 再建で 最大級の 現存本陣(同上)
追分に 中山道と 東海道 記す灯籠 石垣に建つ(同上)
名ばかりの 東海道の 庄野宿 唯一残る 旧井上家(庄野宿)
切妻の 旧井上家 資料館 江戸末期築 大型町屋(同上)
ひっそりと 本陣跡に 佇むは 小沢家住宅 平屋建てかな(石薬師宿)
四日市 過ぎれば日永 追分で 伊勢神宮の 鳥居立つなり(日永の追分)
残されし 東海道の 常夜灯 ペダルを踏んで 街道を行く(四日市宿/街道と宿場3)
一里塚 復元されず 石の柵 榎植えれば 安上がりかな(東海道中富田)
供養塔 谷口法悦 建立で 日蓮宗の 題目刻み(亀山宿)
亀山の 和田一里塚 復元で 石碑見るより 嬉しきメモリー(同上)
亀山の 京口門は 珍しき 宿場と城の 番所を兼ねて(同上)
伊勢に行く 椋本宿に 旧旅籠 旅館角屋は 江戸後期築(伊勢別街道椋本宿)
橋過ぎて 街並み急に 狭くなる 四日市宿 旧東海道(四日市宿)
聞き慣れぬ 宿場外れの 志氏神社 祭神もまた 馴染み薄く(同上)
四日市 東海道の 道沿いに 江戸後期築 薬局が建つ(同上)
魚市場 跡に秋葉 神社建つ 扉を閉じて 参拝拒否を(宮宿)
宮宿 東海道で 最大の 宿場町なり また門前で(同上)
宮宿 一度は七里 船に乗り 桑名宿まで 渡りてみたき(同上)
ふと見れば 熱田神宮 末社建つ 鈴之御前社 東海道に(同上)
姥堂に 裁断橋が 名を残す 戦国時代 若武者の悲話(同上)
松巨島 熊野三社が 呼続に 江戸寛永期 遷座されたと(東海道呼続)
赤鳥居 黄葉染まる 参道は 清水稲荷で 名古屋十名所(同上)
有松は 東海道の 間の宿 宿場の名より 絞りで知られ(有松宿)
有松の 秋大祭は 豪華とか 会館に山車 三台保管(同上)
信州の 北国街道 小諸宿 本陣跡の 建物今に(小諸宿)
旧旅籠 一福処 濱屋建つ 長久保宿の 資料館でも(長久保宿)
重厚な 本陣跡の 薬医門 中山道の 長久保宿に(同上)
和田宿の 旅籠かわちや 国史跡 江戸後期築 出掛造りで(和田宿)
ゆっくりと 時代が流れ 行くような 中山道の 宿場群落(同上)
石置きの 屋根は大きな 切妻で 江戸後期築 本陣遺構(同上)
十五より 芭蕉一筋 この命 芭蕉おたくの 我れも旅人(同上)
石置きの 贄川関所 資料館 昭和後期に 復元されて(贄川宿)
究極の 木曽路の宿場 奈良井宿 重伝建の 家並一キロ(奈良井宿)
妻籠宿 中村邸は 櫛問屋 江戸末期築 公開されて(妻籠宿)
上問屋 伝馬人足 手配所で 江戸後期築 いま史料館(同上)
真っ白な うだつが目立つ 柏屋は 五平餅焼く 和菓子処で(同上)
本陣の 旧島崎家 冠木門 平成前期 復元と言う(同上)
珍しく 雪が降るなり 名古屋地区 朝日町では 殆ど消えて(東海道朝日)
多賀大社 東海道に 常夜灯 伊勢神宮に 抗する如く(同上)
磐田市に 東海道の 見付宿 価値ある遺構 見付けられずに(見付宿)
目を引くは 旧赤松家 記念館 レンガ造りの 米蔵と門(同上)
道路より 眺めるだけの 桑名宿 焼き蛤の 名物も消え(桑名宿)
資料館 旧朝日村 役場とか 寄棟二階 大正期築(東海道朝日)
石垣に 大塚地蔵 御堂建つ 伊賀街道の 平松宿に(伊賀街道平松宿)
芭蕉翁 平松宿の 街並みに ふと現れる 脳裏の奥に(同上)
真新し 芭蕉の句碑は 珍しき 植木神社の 鳥居の手前(伊賀街道平田)
富永に 木造三階 民家建つ 楼閣風の 洒落た造りで(伊賀街道富永)
奈良堺 結ぶ街道 竹内 日本最古の 古代官道(竹内街道太子)
大和棟 旧山本家 住宅は 茅と瓦の 調和が見事(同上)
白壁の 土蔵の屋根は 珍しき 一階の上 庇四方に(同上)
竹之内 綿弓塚の 休憩所 造り酒屋を 改修したと(竹内街道竹之内)
切妻の 瓦屋根には 茅の屋根 街道沿いに 花咲く如く(同上)
今井町 重伝建の 町並みに 重文九棟 県文三棟(奈良路今井町)
角地には 旧上田家は 二階建て 江戸後期築 土蔵造りで(同上)
今井町 浄土真宗 寺内町 環濠集落 土塁が残る(同上)
起点地の 鯖街道の 小浜には 北前船で 栄えた家が(同上)
関宿に 東海道の 面影が 色濃く残り 時代が宿る(関宿/街道と宿場5) 53歳
関宿で 鈴鹿峠を 遠望す 昔の人は 暗い気持ちに(同上)
地蔵院 寄棟造り 本堂は 江戸中期築 国の重文(関宿)
宮宿 二十五丁橋 太鼓橋 名古屋最古の 石造りとか(宮宿)
鳴海宿 秋葉神社の 常夜灯 江戸文化期に 平部に設置(鳴海宿)
越前の 北陸道の 武生地区 古き家並みは 石畳敷き(北陸道武生)
北国路 安宅の関に 冠木門 勧進帳の 舞台となりて(北陸道安宅の関)
関跡に 弁慶・義経 関守の 富樫泰家 三像が立つ(同上)
家々の 屋根は殆ど 切妻で 中山道の 大湫宿は(大湫宿)
美濃町に 重伝建の 商家町 うだつの上る 町並み続く(美濃町)
起り屋根 小坂酒造は 重文で 江戸後期築 平入り二階(同上)
紙問屋 旧今井家は 史料館 江戸中期築 外壁格子(同上)
日本の 音風景の 百選に うだつの町の 水琴窟が(同上)
浜名湖の 姫街道の 気賀関所 平成二年 復元されて(姫街道気賀関所)
全国に 関所復元 数多あり 最大規模は 気賀関所かな(同上)
国史跡 福島関所 復元し 中山道の 新資料館(中山道福島関所)
駒ヶ根の 伊那街道の 宮田宿 旧新井家の 本陣残る(伊那街道宮田宿)
切妻の 石置き屋根の 平屋建て 江戸中期築 三棟並ぶ(同上)
行く秋や 飛騨街道で 染み入るは 野麦峠の 女工の涙(飛騨街道野麦峠)
石仏が 十三峠 語り部で 業平ロマン 伝承するや(俊徳街道十三峠)
小浜から 鯖街道は 都へと 江戸さながらの 熊川の宿(熊川宿)
若狭町 熊川宿の 町並みは 重伝建で 名水百選(熊川宿)
洋風の 旧村役場 資料館 昭和初期築 歴史新たに(同上)
大湯には 在郷坂の 一里塚 遥か鹿角を 巡見使行く(来満街道)
弘前の 高岡街道 杉並木 藩政時代 植栽されて(高岡街道)
檜山から 西浜街道 弘前に 日本海沿い 鰺ヶ沢経て(西浜街道)
深浦に 大きな茅の 曲り屋が 西浜街道 重なる眺め(同上)
城下町 西国街道 龍野には 町家造りの 商家が続く(西国街道龍野)
史跡 短句(俳句・川柳)
道法寺 山門空し 寺廃れ(道法寺跡/史跡1) 50歳
大軍に 勝には奇襲 時の運(桶狭間古戦場)
古戦場 住宅街の 公園となり(同上)
哀しきは 義元の墓 供花もなく(同上)
石田陣 急ごしらえの 柵矢来(関ヶ原古戦場)
家康と 三成私闘 秋の風(同上)
井伊隊と 宇喜多隊との 開戦地(同上)
歌枕 古関で戦 血で染めて(同上)
頓宮に 川田神社の 小社建つ(垂水斎宮頓宮跡)
義を通す 浅井長政 また哀れ(姉川古戦場)
斎宮は 五百人ほど 百棟に(斎宮跡)
伊勢国府 政庁跡に 秋の風(伊勢国府跡)
跡地には 三百余り 礎石あり(紫香楽宮跡)
寒空に 半年間の 離宮跡(同上)
花を見て 浮かれる余呉湖 古戦場(賎ヶ岳古戦場)
兜脱ぎ 疲れた様子の 兵士像(同上)
掘立の 建物群が 荘家跡(東大寺領横江荘遺跡)
家康の 本陣石碑 石垣に(関ヶ原古戦場)
砦跡 展望台に 姿変え(荒山城跡)
雪積もる 荒山城址 登り行く(同上)
見渡せば 七尾周辺 雪はなく(同上)
積る雪 若者の恋 叶わずに(錦木塚/史跡2) 56歳
雪の中 菅江真澄の 足跡も(同上)
道祖神 抱擁醒ます 夏の風(中室田の道祖神)
予期もせぬ 西行庵址 街道に(西行庵旧跡)
作品に 人格光る 山家集(同上)
草庵の 跡には雪の 釈迦ヶ岳(同上)
景観に そぐわぬ施設 貯水槽(同上)
覚範の 首塚哀れ 吉野山(横川覚範の首塚)
覆屋に 建屋の一部 復元し(筑紫鴻臚館)
鴻臚館 古代筑紫の 迎賓館(同上)
貧弱な 門と柵の 台場かな(生地台場)
大砲の 筒は民家に 向けられて(同上)
砲台の 跡に夏草 石垣に(丸岡藩砲台跡)
小規模な 池泉庭園 残されて(聚感園)
風化して 読めぬ石碑に 秋の花(同上)
山頂に 順徳院の 祠建つ(同上)
弁慶の 手掘りの井戸は 予想外(同上)
板碑には 人それぞれの 思い入れ(関の古墳群)
熊坂の 峠に偲ぶ 真澄道(熊坂の峠)
七滝に 茅葺き屋根の 水車小屋(小坂七滝)
ロシアとの 戦い準備 函館で(御殿山第二砲台跡)
砲台は 発射されずに 草叢化(同上)
秋草に 塁道淋しき 御殿山(同上)
要塞は 約半世紀 闇の中(函館要塞跡/史跡3) 58歳
砲側庫 崩れたレンガ そのままに(同上)
廃墟でも 北海道の 遺産なり(同上)
正殿の 跡に巨大な 礎石群(太宰府政庁跡)
唯一の 建屋太宰府 展示館(同上)
史跡内 百七十本 桜咲き(同上)
桜には スミレの花が 色を添え(同上)
淋しきは 峠の茶屋が 消え失せて(木ノ芽峠)
大砲の レプリカ二基が 松ヶ瀬に(小浜藩台場跡)
黒船の 恐怖は飛び火 日本海(同上)
宮島の モミジは流れた 血にも見え(厳島合戦跡)
血佛は 陶軍死者を 供養して(同上)
表門 御典医らしく 薬医門(森鷗外旧宅)
藩医でも 森家禄高 五十石(同上)
釦鈕詩碑 佐藤春夫の 筆による(同上)
城を背に 鷗外胸像 庭に立つ(同上)
壇ノ浦 大砲五門 海峡に(壇ノ浦砲台跡)
名を馳せた 義経さえも 非業の死(壇ノ浦古戦場跡)
川無くも みもすそがわの 赤い橋(同上)
壇ノ浦 錨の先に 貨物船(同上)
側砲庫 アーチ型した シェルターで(火ノ山砲台跡)
砲台が 土木遺産に 評価され(同上)
円形の 砲床跡に 木が生えて(同上)
石積みの 掩蔽壕は 肌寒し(同上)
ロープウェイ 山頂駅に 弾薬庫(同上)
安国寺 恵瓊の名残り 愛宕池(旧国泰寺/史跡4) 60歳
土塁には 砲台八門 据え置かれ(鳥取藩境台場跡)
高尾山 分屯基地の レーダーが(同上)
政庁の 建屋の柱 杭が立つ(出雲国府跡)
大溝に 再び雨水 流れゆく(同上)
国府跡 復元される 兆しなし(同上)
草むらに 南門跡は また埋もれ(出雲国分寺跡)
出雲には 七重塔 聳えしと(同上)
国府跡 大伴家持 記念歌碑(因幡万葉の歌碑)
国庁に 面影山が 美しく(因幡国庁跡)
平安の 園路は一路 秋の空(同上)
円通寺 火災後廃寺 大正期(旧別子銅山跡)
集落も 大正期から 廃村に(同上)
建屋跡 植林されて 根が基礎に(同上)
学校は 運動場無い 環境で(同上)
鉱山に 娯楽不可欠 劇場も(同上)
住居地に 井ゲタ政宗 醸造所(同上)
黒橋の 足谷川は 紅葉期(同上)
渓谷に 崩れもしない 石畳(同上)
明治期の 溶鉱炉跡 木々の中(同上)
住友家 財の源 銅山で(同上)
東屋に ダイヤモンド水 枯れもせず(同上)
銅山の 跡は自然化 滝の音(同上)
トラス橋 橋は無くとも 名を残す(同上)
紅葉と 緑の苔が 岩肌に(同上)
分着点 渓流の橋 右左(同上)
裏門の 集落遠く 消え果てて(同上)
渓流は 元の姿に 回復か(同上)
東洋の マチュピチュの名も 東平に(同上)
トンネルに 電車の残影 浮かび来る(同上)
マチュピチェと 呼ぶより要塞 東平は(同上)
黒ずんだ 貯鉱庫染める モミジかな(同上)
通洞の 入口野暮な バリケード(同上/史跡5) 60歳
松林 海岸思わす 景観で(同上)
変電所 管理されずに 荒れるまま(同上)
人工の 滝の流れは 落葉乗せ(同上)
水路には アーチの隧道 潜むなり(同上)
閉山で 甦るかな 渓流美(同上)
病院の 跡の石垣 急斜地に(同上)
河床から 石垣高く 端出場口(マインピア別子)
架かる橋 坑道共に レンガ色(同上)
坑道の 入口レンガ 台形で(同上)
鉱石を 手にした人形 大笑い(同上)
洞内に 鍾乳擬した 景観も(同上)
粗削り 苦労の汗が 手掘り跡(同上)
腰掛けて 映像シアター 観る場所も(同上)
坑道の 出口はレンガ アーチ形(同上)
水よりも かんらん岩が 川を埋め(同上)
レンガだけ 取り残された 水路跡(同上)
龍尾石 切り崩されて 石垣に(石城山神籠石)
築地塀 一部復元 僧坊と(讃岐国分寺跡)
不明なる 掘立柱 建物が(同上)
僧坊で 暮らした僧は 二十名
史跡から 三角錐の 六ッ目山(同上)
井戸よりも 石碑立派な 産湯の井(吉田松陰生誕地)
基礎残る 二十六石 生家跡(同上)
生誕碑 山縣有朋 揮毫して(同上)
高台の 生誕地から 指月城(同上)
土饅頭 七基が並び 墓碑が立つ(萩藩主毛利家墓所)
名君は そうせい候と 卑下されて(同上)
毛利家の墓所は散り散り 四ヶ所に(同上/史跡6) 61歳
豊後岩 七ヶ国守護 置きみやげ(大内氏館跡)
毘沙門は 豊照神社に 名を変えて(求菩提山)
求菩提山 往時一山 五百坊(同上)
多宝塔 消えて基壇 春風に(同上)
参道の 古き鳥居は そのままに(同上)
石仏の 首は残され 安堵する(同上)
英彦山に 比べて哀れ 求菩提山(同上)
南門の 八脚門は 寺院風(肥前国庁跡)
古墳期の 遺跡発掘 国府跡(同上)
切妻の 粋な和風 資料館(同上)
展示する 瓦は奈良や 平安期(同上)
史跡には 寂れたベンチ 三脚が(伯耆国分寺)
伽藍跡 九千坪に 整備され(同上)
板塀と 四脚門が 甦る(法華寺畑遺跡)
西門を 入れば直線 東門へ(同上)
東門は 柱を立てて 規模示す(同上)
史跡には 案内板と 積る雪(大鳥井山遺跡)
浄土式 庭に欠かせぬ 広い池(無量光院跡)
冬枯れた 草木に宿る 春の夢(同上)
絵図見れば 七堂伽藍 並び建つ(観自在王院跡)
飛ぶ鷺は 浄土庭園 棲家とし(同上)
見学者 我れと白鷺 古き庭(同上)
甦る 金鶏山を 借景が(同上)
廃寺跡 千手堂のみ 入口に(金鶏山)
義経の 妻子の墓が 山麓に(同上)
雪積る 荘園跡は 静寂で(骨寺村荘園遺跡)
舘跡を 知らず今日まで 素通りし(白鳥舘跡/史跡7) 62歳
川臨む 本丸跡は 高台に(同上)
サンショウの 木には嬉しき 表示板(同上)
二ノ丸の 跡は広き 平坦地(同上)
空堀に 平山城の 原形が(同上)
川向う 経塚山と 里景色(同上)
入母屋の 古民家舘の 入口に(同上)
枯れ尾花 長者ヶ原の 寺の跡(長者原廃寺跡)
廃寺跡 束稲山の 石運び(同上)
日本海 荒波防ぐ 堤石(由利海岸波除石垣)
時は経て 海風活かす 発電所(同上)
梅の花 今年も咲きし 廃寺跡(信夫山)
受戒して 正規の僧に 任じられ(下野薬師寺跡)
復元が 次の世代の ステップに(同上)
伽藍跡 五重塔を 想起する(同上)
室町期 安国寺となり 再興し(同上)
講堂の 跡には欅 空高く(武蔵国分寺跡)
緑化して 国分寺跡 オアシスに(同上)
武蔵野を 歩く気分に 浸りたり(同上)
北東の 地区にマンション 史跡外(同上)
鏑川 吉井の里で 知る文化(多胡碑)
姫穴は 柵で覗き見 石室を(唐の御所)
玄室は 一戸の住居 厩穴(同上)
横穴の 古墳を眺め 興奮し(同上)
玄門の 丸太が何か 牢に見え(同上)
無念かな 古碑には上屋 架けられて(山上碑)
碑文には 家族構成 記すなり(金井沢碑/史跡8) 62歳
石質は 安山岩の 自然石(同上)
参道は 柵が築かれ 牧歌的(上野国分寺跡)
六角の ガイダンス館 屋根見事(同上)
築地塀 一部復元 第一歩(同上)
大基壇 七重塔 目に浮かぶ(同上)
塔跡の 礎石の大きさ 桁違い(同上)
曲水の 枯山水に 国府の碑(紀貫之邸跡)
思い出す 不朽の名作 土佐日記(同上)
住宅の 隣地の空き地 来住廃寺(久米官衙遺跡群)
金堂の 跡に哀れな トラロープ(同上)
春日山 石窟仏は 予想外(地獄谷石窟仏)
四百年 絶えぬ燈火 武蔵野に(猪俣の百八燈)
壮観な 堂前山の 燈火台(同上)
慰霊碑が 枯山水の 庭の中(畠山重忠館跡)
馬背負う 重忠像は 奇観なり(同上)
忠重の 空輪高き 五輪塔(同上)
五輪塔 六基並ぶ 覆い屋に(同上)
百回忌 板石塔婆 供養塔(同上)
重忠の 産湯の井戸に 屋根と柵(同上)
鎌倉の 道潅邸は 意外なり(太田道灌邸旧跡)
供花絶えぬ 宝篋印塔 五尺ほど(日野俊基墓)
生家跡 産湯の井戸に 散る紅葉(近藤勇生家跡)
井戸の横 近藤神社 小社建ち(同上)
眺め観る 一万坪が 国史跡(相模国分寺跡)
講堂の 礎石の回り 草紅葉(同上)
国府跡 相模国は 定まらず(同上)
積る雪 安倍館跡を また埋め(安倍館跡)
国史跡 大門跡は 雪景色(橋野鉄鉱山/史跡9) 64歳
空しさは 鉱山跡の 廃墟かな(同上)
水車場の 跡に流れる 橋野川(同上)
鉱山に 川は付きもの 融ける雪(同上)
フイゴ座は 高炉一座に 二基設置(同上)
橋野地区 遺産登録 除雪され(同上)
震災時 砲台場跡 津波寄せ(鎌崎砲台跡)
弥生晴れ 釜石湾に 貨物船(同上)
築地跡 外に大溝 めぐらして(陸奥国分寺跡)
鐘楼の 跡はそのまま 他に建て(同上)
塔跡に アラカシ立ちて 二百年(同上)
古地図には 勿来関に 松描き(勿来関跡)
義家の 鞍掛の松 切り株に(同上)
弓掛の 松は残るが 時代差が(同上)
塔跡に 七重塔 空想す(甲斐国分寺跡)
金堂の 基壇は未だ 土の中(同上)
講堂の 跡は淋しき ただ更地(同上)
史跡内 中途半端に 緑化され(同上)
中院は 三本杉が 目を引いて(戸隠神社遺跡)
奥院の 参道古き 鳥居立ち(同上)
御神体 戸隠山に 梅雨の雲(同上)
鬼無里には 鬼女伝説の 屋敷跡(内裏屋敷跡)
鬼女と化す 紅葉は哀れ 供養塔(同上)
国破れ 吾妻連山 秋の空(母成峠古戦場)
西行の 歌碑は崩れて 石くれに(国見山廃寺跡)
龍神の 像が出迎え 大悲山(大悲山の石仏/史跡10) 65歳
大蛇沼 大蛇のとぐろ 見る如く(大蛇沼)
大スギは 石仏共に 千年を(大悲山の大スギ)
複雑に うねる大枝 神憑り(同上)
粗末なる 小屋に石棺 安置され(慈徳寺石棺安置堂)
劣化して 顔の表情 曇り気味(慈徳寺薬師堂)
境内は 杉の古木の 競い合い(慈徳寺境内)
阿弥陀堂 上屋さながら 滑り台(慈徳寺阿弥陀堂)
磨崖仏 剥離激しく 岩拝む(同上)
坐像高 九メートルは 最大で(慈徳寺観音堂)
館跡に 愛宕神社と 東屋が(豊田館跡)
江戸後期 館跡記す 板碑あり(同上)
江刺米 稲穂は実り 黄金色(同上)
鷲之巣は 掘削岩塊 穴無数(秀衡街道)
閉山後 黄金の道 寒村に(同上)
姥杉は 仙人峠の 目印で(同上)
石仏に 和人の進出 思い観る(観音山)
アジサイが 義民記念碑 称えたり(佐藤仁左衛門屋敷跡)
保呂羽山 神門遥か 山麓に(波宇志別神社)
波宇志別 神社の当て字 難解で(同上)
石鳥居 観音様は 神となり(北向観音)
石仏は 地蔵の上に マリア像(同上)
流れ行く 役内川に キリシタン(同上)
前湯寺 十王堂が 寺跡に(前湯寺跡)
旭川 知らない間に 横手川(大鳥井山遺跡/史跡11) 66歳
夏花に 遺跡の道は 遮られ(同上)
小吉山 遺跡フェンスに 謎を秘め(同上)
珍しき 両部鳥居 参道に(同上)
風変り 光背を観る 石地蔵(同上)
清原氏 二代の夢が 草むらに(同上)
舘でも 戦時は城の 土塁跡(同上)
史跡から 眺める景色 千年後(同上)
空き地でも 秘湯の宿に 歴史あり(岩倉温泉湯元館跡)
湯元館 菅江真澄 絵の中に(同上)
番所跡 沓脱石が 石垣に(大沢口境目御番所跡)
本城の 跡は寺の 境内に(沼の柵)
庭園の 宝篋印塔 土塁下(同上)
岩屋堂 約二十畳 洞窟で(小野小町遺跡岩屋堂)
女滝にて 老婆小町は 行水か(同上)
珍しき 国の史跡が 田畑に(会津新宮城跡)
代官の 像の横には 男根が(塙代官陣屋跡)
墓前には 六角灯籠 一対が(会津藩主松平家墓所)
石碑には 藩主の業績 記されて(同上)
墓所配置 吉川神道 形式で(同上)
容保を 語れば尽きぬ 墓参り(同上)
藩主では 初代と九代 知るのみで(同上)
拝殿は 切妻造り シンプルに(同上)
小峠の 戦い奥州 猿芝居(小峠古戦場)
金山に 湧いた熱湯 温泉に(岩崎山金窟址)
坑道は 入口狭き たぬき掘り(同上)
国分寺 跡は小さな 公園に(摂津国分寺跡)
遠ざかる 禁門の変 革命児(天王山十七烈士の墓/史跡12) 67歳
阿倍寺の 塔刹柱が 移設され(天下茶屋公園)
御神木 伐採しても 小社建ち(同上)
天下茶屋 跡にクスノキ 土蔵立ち(天下茶屋跡)
石垣の 舎密局跡 大クスに(舎密局跡)
良弁墓 三昧尾山 遺跡中(良弁僧正墓所)
墓所周囲 崩れた墓石 数多あり(同上)
塔跡は 七重塔 建つ規模で(紀伊国分寺跡)
金堂の 跡の礎石 壮大で(同上)
国府跡 一万六千 坪更地(国府遺跡)
五輪塔 原敬による 建立と(伝藤原家隆の墓)
震災後 十人十色 集落に(唐丹の景観)
歩き旅 羽州街道 景勝地(羽州街道猿羽根峠)
峠道 見つけて嬉し 一里塚(同上)
杉並木 猿羽根峠の 旧道に(同上)
柵跡は 休耕田の 如くあり(城生柵跡)
水田に 古代窯跡 不易かな(日の出山瓦窯跡)
天平の 文化伝来 みちのくに(菜切谷廃寺跡)
史跡 長句(短歌・狂歌)
国史跡 鳥羽離宮跡 訪ねれば 安楽寿院 面影残し(鳥羽離宮跡/史跡1) 50歳
羽曳野の 道法寺跡 国史跡 河内源氏の 菩提寺であり(道法寺跡)
境内に 源氏館の 石碑立つ 源頼信 河内の初代(同上)
目の前に 誉田林の 古戦場 南北期から 室町期まで(誉田林古戦場)
桶狭間 古戦場跡 厳島 河越城が 三大奇襲(桶狭間古戦場)
関ヶ原 日本最大 古戦場 東軍七万 西軍八万(関ヶ原古戦場)
翻る 大一大万 大吉旗 今に思えば 哀れな軍旗(同上)
山を背に 西軍側は 布陣して 敵前突破 島津精鋭(同上)
関ヶ原 古戦場跡 国史跡 葵の旗が 天下平らげ(同上)
東軍は 魚鱗の陣 西軍は 鶴翼の陣 陣形図観る(同上)
西軍の 小西行長 開戦時 陣地の山で 烽火を上げて(同上)
国史跡 垂水斎王 頓宮は 伊勢参向 斎王宿舎(垂水斎王頓宮跡)
姉川の 古戦場跡 慰霊碑が 橋のたもとに 歴史を記す(姉川古戦場)
浅井軍 一万八千 織田軍は 二万九千 姉川挟み(同上)
白鳳期 十六年の 都あり 藤原京跡 特別史跡(藤原京跡)
宇治川の 堤に立ちて 眺めたる 水に悲しき 戦いの跡(宇治川古戦場)
伊勢明和 斎宮跡は 国史跡 指定範囲は 四十万坪(斎宮跡)
飛鳥期に 始まる伊勢の 斎宮は 南北期まで 約四百年(同上)
伊勢国府 二万二千坪 国史跡 鈴鹿郊外 田畑の中(伊勢国府跡)
国府跡 確定史跡 少なくて 六十ヶ国 二十四ヶ国(同上)
離宮跡 紫香楽宮 国史跡 聖武天皇 甲賀に築く(紫香楽宮跡)
内裏には 五重塔も 建てられて さながら寺院 七堂伽藍(同上)
賤ヶ岳 古戦場跡 眺めれば 猿と鬼との 因縁対決(賤ヶ岳古戦場)
遥かなる 明日香の里を 訪ねれば 清宮跡は 田畑の中(清宮跡)
国史跡 東大寺領 横江荘 造成地にいて 発見されて(東大寺領横江荘遺跡)
中能登に 荒山合戦 古戦場 前田利家 砦を攻めて(荒山合戦古戦場)
合戦後 利家勝利し 勢いで 石動山の 衆徒一掃(同上)
歌枕 錦木塚が 鹿角市に 文人墨客 訪ねた史跡(錦木塚/史跡2) 56歳
平城の 聖寿寺館は 国史跡 三戸南部氏 中世築く(聖寿寺館)
中室田 接吻をする 道祖神 江戸宝暦期 石造されて(中室田の道祖神)
舟型の 光背付けた 男女像 抱擁接吻 あまりにリアル(同上)
ムクノキは 四百年の 樹齢とか 横井也有の 邸宅跡に(横井也有宅跡)
尾張藩 横井也有は 重臣で 文人画家の 風流な武士(同上)
梅ヶ岡 西行法師の 跡を訪う 今も昔も 梅は変らず(西行庵旧跡)
草や木に 庵の跡は 埋もれて 古びた石碑 建つばかりなり(同上)
吉野山 紀州熊野に 高野山 我が心象の 果てぬ風景(吉野山)
昔見し 奈良の景色に 我れはなく 再び歩み その影を踏む(吉野朝宮址)
八角の 三重塔 珍しき 吉野朝跡 昭和中期築(同上)
吉野山 桜と和歌の 聖地なり ただ哀しきき 軍都となりて(如意輪寺)
鴻臚館 旧球場に 蘇り 平成中期 国の史跡に(筑紫鴻臚館)
発掘の 遺構に上屋 架けられて 鴻臚館の 展示施設に(同上)
加賀藩の 生地台場が 黒部市に 江戸嘉永期に 築造された(生地台場)
三国にも 丸岡藩の 砲台が 江戸後期築 国の史跡で(丸岡藩砲台跡)
五十嵐家 聚感園は 宅地跡 三千余坪 史跡公園(聚感園)
五十嵐家 北越支配 豪族で 平安初期から 明治期までを(同上)
史跡内 順徳上皇 行宮碑 佐渡配流時 滞在されて(同上)
吉野から 義経一行 北帰行 弁慶伝説 主君を凌ぐ(同上)
深浦に 関の古碑群 並び立つ 南北朝期 四十二基も(関の古墳群)
江戸の世を 旅する如く 心地する 菅江真澄の 絵を重ねると(小坂七滝)
御殿山 第二砲台 築造は 明治の後期 函館山に(御殿山第二砲台跡)
砲台は 四ヶ所山に 築かれて 第二砲台 最大の規模(同上)
ロシア軍 津軽海峡 通過時に 射程圏外 お役御免に(同上)
整備して 案内標識 立てなら 要塞跡も 理解深まる(函館要塞跡/史跡3) 58歳
アメリカの 函館空襲 被害なし この頃既に 機能失い(同上)
氷ノ山 登山途中に 目にするは 元伊勢参道 古道の標し(元伊勢参道)
太宰府の 政庁跡の 坪数は 九万七千 特別史跡(太宰府政庁跡)
太宰府は 飛鳥時代 創建で 鎌倉時代 役割終える(同上)
正殿の 前に脇殿 四棟を 復元模型 眺めるだけで(同上)
観光は 天満宮が 独占し 政庁跡は 花見時期のみ(同上)
史跡には 箱式石棺 三基あり 古墳の中の 居場所を追われ(同上)
笹原の 荒船山の 石碑には 皇朝最古 修武之地と(皇朝最古修武之地)
アマテラス 鹿島と香取 連合と 諏訪の神との 戦いを止め(同上)
越前の 木ノ芽峠に 浮かぶ顔 道元禅師 蓮如上人(木ノ芽峠)
小浜藩 台場の跡は 国史跡 敦賀以西に 三十ヶ所を(小浜藩台場跡)
厳島 瀧小路の 合戦地 毛利奇襲に 陶軍崩れ(厳島合戦跡)
陶軍は 一万人で 毛利軍 四千人で 劣勢反す(同上)
晴賢は 大元浦へ 退却も 船は焼かれて 山中に散る(同上)
津和野町 森鷗外の 旧宅は 江戸末期築 国の史跡で(森鷗外旧宅)
入母屋の 主屋は平屋 瓦葺き 玄関質素 式台もなく(同上)
鷗外は 上京するまで 十年を 炉の付いた 勉強部屋で(同上)
鷗外は 二歳も多く 鯖を読み 東京医学 予科に入学(同上)
西周 旧居は国の 史跡なり 寄棟茅葺き 江戸末期築(西周旧居)
藩医でも 西家禄高 百石と 森鷗外の 森家の倍で(同上)
後の世も 涙を誘う 物語 平家滅亡 壇ノ浦かな(壇ノ浦古戦場跡)
義経の 八艘跳びと 知盛の 錨を担ぐ 像向かい合う(同上)
下関 朝鮮からの 通信使 上陸掩留 石碑が浦に(同上)
本陣の 伊藤邸跡 下関 龍馬とお龍 滞在記す(本陣伊藤邸跡)
入母屋の 日清講和 記念館 コンクリ二階 昭和前期築(日清講和記念館)
下関 火ノ山砲台 築造は 明治中期で 海峡防備(火ノ山砲台跡)
大砲は 当時の主力 国産の 二十八センチ 榴弾砲で(同上)
砲台で 思い出すのは 文久期 高杉晋作 仏・蘭砲撃(同上)
広島の 旧国泰寺 愛宕池 被爆の跡に 原形残す(旧国泰寺/史跡4) 60歳
安国寺 福島正則 移封して 国泰寺へと 寺号を変える(同上)
振り向けば 日清戦争 開戦時 大本営は 広島城に(広島大本営跡)
国史跡 鳥取藩の 台場跡 境台場が 最大規模で(鳥取藩境台場跡)
海軍の 演習事故の 慰霊塔 砲台跡に 哀しく安置(同上)
六角の 木造灯台 復元が 桜並木の 上に聳えて(同上)
国史跡 出雲国府跡 松江市に 十三万坪 草地広大(出雲国府跡)
飛鳥から 平安までの 五世紀を 国府存続 律令国家(同上)
国史跡 国分寺跡 また古道 国府の側に 天平期築(出雲国分寺跡)
家持は 北は陸奥から 薩摩まで 国守の地位で 六度の赴任(因幡万葉の歌碑)
国史跡 因幡国庁 鳥取に 一万坪の 二割公園(因幡国庁跡)
掘立の 柱の建屋 十棟が 国庁跡で 発掘されて(同上)
旧別子 銅山跡を 観光化 足谷川の 遊歩道ゆく(旧別子銅山跡)
小足谷 集落跡の 石垣は 城を思わす 野面積みかな(同上)
料理屋の 接待館跡 レンガ塀 往時を偲ぶ 豪華な造り(同上)
明治期の 小学校の 生徒数 三百名弱 教師七名(同上)
土木課の 倉庫を代用 劇場に 明治時代は 歌舞伎公演(同上)
東平は 昭和中期に 閉山す 最盛期には 五千人住む(同上)
石段に レークラインの 跡偲ぶ トロッコ運ぶ ケーブルカーで(同上)
貯鉱庫は レンガと石の 構造で 明治後期築 産業遺産(同上)
採掘は 千メートルの 海面下 別子銅山 日本最大(同上/史跡5) 60歳
切妻の レンガ造りの 変電所 明治後期築 一部二階で(同上)
オレンジの 第三通洞 鉄扉 忍び返しは 当時のままに(同上)
道の駅 マインピア別子 登録は 平成五年 第一号で(マインピア別子)
上流の 集落跡から 端出場まで 足谷川の 歴史の流れ(同上)
坑道は 観光用に 整備され 平成三年 有料公開(同上)
坑内は 江戸から近代 ゾーンまで 工夫を凝らし 採掘再現(同上)
子供向け 遊学パーク 洞内に リフトバケット 運行休止(同上)
重厚な 第四通洞 レンガ造 トロッコ列車 レール残され(同上)
切妻の 旧水力 発電所 レンガ造りは 洒落た二階建て(同上)
珍しき バケットローダー トロッコ車 グラビンー鉱車 なおさら貴重(同上)
泉寿亭 数寄屋造りの 貴賓館 新居浜より 移築復原(同上)
石城山 神籠石とは 城跡で 白鳳期築 国の史跡に(石城山神籠石)
城壁が 鉢巻状に めぐらされ 総延長は 二.六キロ(同上)
朝鮮で 白村江の 戦いに 破れ築城 にわかに進む(同上)
国分寺 特別史跡 三ヶ所で 讃岐と常陸 遠江の国(讃岐国分寺跡)
讃岐では 二万三千 坪の中 七堂伽藍に 七重塔(同上)
僧坊を 覆屋の中 再現し 蝋人形が 修行伝える(同上)
回廊の 南大門の 先からは 伽藍四棟 一直線に(同上)
縮尺が 十分の一 模型でも 精緻な伽藍 見応えがあり(同上)
団子岩 吉田松陰 誕生地 松陰像に 金子重輔(吉田松陰生誕地)
松陰は 生家の墓所に 葬られ 質素な墓に 献花は絶えず(同上)
死後もまた 松陰門下 同じ墓所 高杉晋作 久坂玄瑞(同上)
玄瑞墓 贈正四位と 刻まれて 晋作墓には 東行暢夫(同上)
萩藩主 毛利家墓所は 国史跡 敬親始め 三代の墓(萩藩主毛利家墓所)
大内氏 館の跡は 国史跡 大内弘世 室町期築(大内氏館跡/史跡6) 61歳
滅亡後 館に寺が 移転して わずかに庭に 面影残す(同上)
求菩提山 修験の聖地 国史跡 神仏分離で 神社に移行(求菩提山)
山頂へ 八百五十 石段は 鬼のあぶみと 伝承されて(同上)
赤い屋根 国玉神社 上宮が イザナギ祀り 山頂に建つ(同上)
修験道 戦後復活 なるけれど 求菩提山には 山伏は不帰(同上)
幕末期 五十四坊 数えるも 岩屋坊のみ 何とか残る(同上)
安浄寺 求菩提山から 消え失せて 座主館跡 木々茂るなり(同上)
国史跡 肥前国庁 跡地には 南門土塀 復元されて(肥前国庁跡)
工場の 造成中に 出土する 国庁跡は 約二万坪(同上)
未調査の 国府は全国 数多あり 国の史跡は 二十ヶ国で(同上)
国庁の 模型の配置 眺めると 他の国との 違い少なく(同上)
倉吉の 国分寺跡 国史跡 伽藍配置は 他と異なり(伯耆国分寺跡)
塔跡の 基壇の規模を 見る限り 七重塔 説は疑問符(同上)
若草も 枯草となる 運命を 知る人は知る 国分寺跡(同上)
法華寺畑 遺跡に謎が 残される 国府の跡か 国分尼寺か(法華寺畑遺跡)
発掘の 復元模型 見る限り 殆ど平屋 伽藍に見えず(同上)
国史跡 大鳥井山 遺跡には 人訪れず 冬はラッセル(大鳥井山遺跡)
横手川 要塞とした 城跡で 平安後期 清原氏築(同上)
四代の 浄土の具現 平泉 金色堂を 残し消滅(無量光院跡)
観自在 王院跡は 水田に 埋もれた後 昭和期復原(観自在王院跡)
庭園は 飛鳥以来の 工夫あり 池泉回遊 原形を見る(同上)
池の中 三重塔 目に浮かぶ 二代基衡 妻が建立(同上)
格別の 庭に大きな 池泉あり この美しさ 誰が語らん(同上)
平泉 金鶏山を 中心に 黄金文化 花開くなり(金鶏山)
黄金の 雌雄の鶏を 山頂に 基衡が埋め 盗掘される(同上)
中尊寺 骨寺村の 荘園は 古絵図に描く 景観保ち(骨寺村荘園遺跡)
国史跡 白鳥舘 遺跡には 知名度低く 人影見えず(白鳥舘遺跡/史跡7) 62歳
舘跡は 北上川の 屈曲部 安倍則任 平安期築(同上)
二ノ丸に 白鳥神社 社殿建ち ヤマトタケルを 祀るのかなと(同上)
衣川 長者原の 廃寺跡 平安中期 安倍氏建立(長者原廃寺跡)
金浦に 江戸後期築 国史跡 由利海岸 波除石垣(由利海岸波除石垣)
石垣は 荒ぶる海の 波浪から 農作物を 守らんがため(同上)
二万石 本荘藩も 加担して それに因んで 万石堤と(同上)
信夫山 廿三夜塔 鎌倉の 板碑を江戸期 彫り直したと(信夫山)
下野の 薬師寺跡 国史跡 奈良期の日本 三戒壇で(下野薬師寺跡)
白鳳期 下毛野古麻呂 創建し 弓削道鏡 左遷の寺で(同上)
戒壇は 奈良東大寺 筑前の 観世音寺に 続く薬師寺(同上)
回廊は 平成中期 復元で 全体的に 東大寺風(同上)
薬師寺の 遺構の跡は 平成期 七千坪が 歴史広場に(同上)
武蔵では 国分寺跡 尼寺跡の 三万余坪 国り史跡に(武蔵国分寺跡)
合戦で 旧国分寺 焼失し 新田義貞 再建寄進(同上)
落雷で 七重塔 焼失も 百年近く 聳え建つなり(同上)
高崎の 多胡碑は日本 三古碑で 奈良期の建碑 特別史跡(多胡碑)
宝形の 校倉風の 石造に 千歳の形見 多胡碑を安置(同上)
角錐に 笠石載せた 全高は 五尺ちょうどの 牛伏砂岩(同上)
碑文には 上野国 三郡に 多胡郡新設 由来を記す(同上)
唐の御所 平将門 その娘 虚言出産 伝説による(唐の御所)
国史跡 横穴墓群 唐の御所 古墳末期か 飛鳥時代か(同上)
横穴は 凝灰岩の 急斜面 幾つも削り 築造される(同上)
高崎の 山上碑と また古墳 特別史跡 石碑は最古(山上碑)
この古碑は 上野三碑と 称される 他に多胡碑と 金井沢碑が(同上)
円墳の 山上古墳 埋葬者 黒売刀自父 その後に刀自も(山上古墳)
佐野三家 健守命 始祖とする 飛鳥時代の 地方豪族(同上)
高崎に 上野三碑 集中し 金井沢碑も 特別史跡(金井沢碑)
仰ぎ見る 金井沢碑も 上屋架け それでも窓で 石碑を覗く(同上/史跡8) 62歳
上野の 国分寺跡 国史跡 約二万坪 二市をまたいで(上野国分寺跡)
門四基 伽藍四棟 楼二棟 塔は一基で 七重塔(同上)
金堂の 跡の基壇 復原し 大国上野 先が楽しみ(同上)
尼寺跡も 発掘調査 進行し 伽藍の規模 徐々に明らか(同上)
土佐国司 紀貫之の 邸跡に 古今集の庭 築造されて(紀貫之邸跡)
久米官衙 遺跡群など 国史跡 白鳳期築 伊予松山に(久米官衙遺跡群)
松山に 名所旧跡 数多あり 先ずは古代史 訪ねて歩く(同上)
地獄谷 石窟仏は 国史跡 平安期作 春日の森に(地獄谷石窟仏)
色褪せぬ 釈迦三尊の 彩色に 凝灰岩の 線刻精緻(同上)
猪俣の 百八燈は 盆祭り 青少年に 参加限られ(猪俣の百八燈)
畠山 重忠公の 館跡 深谷郊外 史跡公園に(畠山重忠館跡)
重忠は 平家打倒で 活躍し 鎌倉幕府 御家人となる(同上)
英勝寺 太田道灌 邸跡の 石碑立つなり 築地塀外(太田道灌邸旧跡)
扇谷 上杉管領 屋敷跡 眺めて思う 幕府のその後(扇谷上杉管領屋敷跡)
城跡に 三浦道寸 墓石立つ 一族郎党 みな土くれに(三浦道寸墓)
源氏山 日野俊基墓 国史跡 処刑されては 敵地に眠る(日野俊基墓)
街角に 近藤勇 生家跡 わずかな敷地 井戸残るのみ(近藤勇生家跡)
相模では 国分寺跡 海老名市に 案内板に 七重塔(相模国分寺跡)
礎は 支える柱 失いて 苔をいだいて 再建を待つ(同上)
金堂と 七重塔 回廊に 伽藍配置は 相模独自で(同上)
将門の 首塚哀れ 大都会 五度の移転を 余儀なくされて(将門塚)
衣川 安倍貞任 館跡の 案内板が 田んぼの隅に(安倍館跡)
真新し 鉄鉱山の 看板が 世界遺産に 登録受けて(橋野鉄鉱山)
江戸期築 御日払所の 石垣が 安全祈願 面影残す(同上/史跡9) 64歳
石組みの 一番高炉 江戸後期 南部藩士に 築造されて(同上)
鎌崎の 砲台場跡 釜石に 南部領内 七つの一つ(鎌崎砲台場跡)
久々に 陸奥国分寺 訪ねれば ガイダンス館に 回廊復元(陸奥国分寺跡)
国史跡 二万七千 坪もあり 陸奥国分寺 ほぼ整理され(同上)
何故かまた 七堂伽藍 懐かしむ 陸奥国分寺 史跡の中に(同上)
古関跡 源義家 馬上像 昭和後期に ゆかりの場所に(勿来関跡)
後の世に 名こそ残れと 散る桜 関所を越える 西行法師(同上)
国史跡 甲斐国分寺 跡指定 一万四千 坪明らかに(甲斐国分寺跡)
勅建の 古道場石碑 入口に 大官大寺 記す意味合い(同上)
笛吹市 甲斐一宮 国分寺 国府の跡は 定かならずに(同上)
中門と 回廊跡に 遺構なく 甲斐は中国 三ランク目(同上)
北信濃 十三谷に 三千坊 戸隠神社 信仰遺跡(戸隠神社遺跡)
奥院と 宝光院と 中院が 筏ヶ峰の 戸隠三院(同上)
奥院の 跡に祠が 建つのみで 神仏分離 奥社新たに(同上)
名ばかりの 霊峰神社 国史跡 社殿消失 跡地に礎石(霊峰神社跡)
神社跡 鳥海山の 三合目 旧登拝路に 人影はなく(同上)
会津路の 母成峠の 戦いは 旧幕府軍と 新政府軍(母成峠古戦場)
兵力差 歴然とした 戦いで 新政府軍 若松城へ(同上)
国史跡 極楽浄土 国見山 平安中期 北上川に(国見山廃寺跡)
峠山 秀衡街道 一里塚 北上・横手 黄金の道(峠山一里塚)
大悲山 石仏群は 国史跡 平安時代 造立とされ(大悲山の石仏)
大岩の 鉄釘の穴 眺めると 大蛇退治で 打ち込まれたと(鉄の釘跡)
展望所 古峰神社の 石碑立つ 蛇巻山は 大蛇の棲家(蛇巻山/史跡10) 65歳
大スギの 樹高四十五 メートル 樹齢千年 伝承されて(大悲山の大スギ)
慈徳寺は 徳一大師 開山で 大悲山の 石仏を護持(慈徳寺本坊)
薬師堂 切妻造り 平入りで 越屋根二層 石仏覆い(慈徳寺薬師堂)
磨崖仏 砂岩に刻んだ 大仏で 如来四体 菩薩が二体(同上)
地元では 栃木大谷 臼杵入れ 日本三大 磨崖仏とか(同上)
幹上で 二つに分岐 夫婦杉 落雷のより 樹勢衰え(大悲山の夫婦大杉)
コロナ禍で 大悲山には 我れ一人 知名度低い 史跡が哀れ(大悲山の石仏)
震災後 観音堂は 改築し 素木の香り 石仏包む(慈徳寺観音堂)
磨崖仏 千手観音 中心に 小さな化仏 三十三体(同上)
岩谷堂 豊田館跡 高台に 藤原清衡 生誕地とか(豊田館跡)
清衡は 後三年の役 勝利して 平泉へと 拠点を遷す(同上)
血を分けし 絆はちぎれ 逃れ来る 平泉とて 安らぎはなし(源義経供養塔)
供養塔 判官桜 植えられて 義経伝説 岩谷堂にも(同上)
間をおいて 秀衡街道 歩くなり 檜峠を 東に向かい(秀衡街道)
金尽きて 鷲之巣金山 銅に変え 昭和中期で 閉山となる(同上)
岩沢は 秋田街道 標識に 秀衡街道 小さく記す(同上)
カムイシャシ 観音山に 記念碑が アイヌの戦 後世に記す(観音山)
大カシワ 観音山の 御神木 四百年の 樹齢とされて(同上)
事故供養 一石一字 塔が立つ 百人浜に 江戸後期築(百人浜)
青い色 観音堂の 花頭窓 海に面した 百人浜に(同上)
八沢木の 藩境には 番所跡 元禄時代 久保田藩設置(八沢木番所跡)
秋田領 院内銀山 最盛期 千五百人 鉱山町に(院内銀山跡)
久保田藩 羽州街道 院内に 関所を設置 銀山を守護(院内関所跡)
下笹子 名主屋敷跡 眺めると 鳥居が立ちて 崇める如く(佐藤仁右衛門屋敷跡)
横堀の 北向観音 御堂には 子供を抱いた マリア像あり(北向観音)
キリシタン 殉教慰霊碑 横堀に 院内銀山 潜伏先で(殉教慰霊之碑)
前湯寺 川原毛地獄 移転して 三途川から 更に稲庭へ(前湯寺跡)
根元から 二木に分れる 秋田杉 名前無いので 夫婦杉かと(同上)
横手川 羽州街道 片隅に 大鳥井山 遺跡が残り(大鳥井山遺跡/史跡11) 66歳
大鳥山 頼遠居館 阯の古碑 後三年の役 頼遠は死す(同上)
居館跡 神社の社殿 建つのみで 間口七間 館が浮かぶ(同上)
霊山や 神社の社名 石に彫る 板碑が多き 東北地方(同上)
秋田領 矢島領との 番所跡 二本の杉が 面影残す(大沢口境目御番所跡)
沼の柵 清原武則 築城で 後三年の役 戦場となる(沼の柵)
草むらに 水城跡は 埋もれて 兵の夢 何と聞くらん(同上)
戦国期 小野寺稙道 改築し 沼の柵から 沼館城に(同上)
美しき 小野小町は いずこにか ただ幻の 雄勝の里か(小野小町遺跡岩屋堂)
晩年の 小野小町は 岩屋にて 九十二歳 孤独死したと(同上)
国史跡 会津新宮 城跡は 新宮時連 鎌倉期築(会津新宮城跡)
幕府領 塙代官 五万石 陣屋の跡は 小さな寺に(塙代官陣屋跡)
往時には 千六百余 坪あり 枯山水の 庭に面影(同上)
会津藩 松平家墓所 国史跡 初代除いた 八基が並ぶ(会津藩主松平家墓所)
墳丘に 八角形の 鎮石 実質的な 墓石であり(同上)
松平 容保公は 九代目 京都守護職 最後の藩主(同上)
屋根付きの 碑石の台座 奇妙なり 亀形をした 亀趺坐とやらで(同上)
初代から 三代までの 親族は 中之御庭に 墓が築かれ(同上)
正之の 世嗣正頼 先ず始め 西之御庭に 埋葬されて(同上)
十文字 岳温泉跡 女郎塚 江戸末期まで 遊女百余名(十文字岳温泉跡)
昭和期に 農地開墾 した折に 遊女の歴史 発掘されて(同上)
振り向けば 明治維新は 徳川へ 恨みを晴らす 戦いとなり(小峠古戦場)
桑折宿 奥州街道 追分で 羽州街道 故郷遥か(奥州街道桑折宿)
国史跡 阿津志山の 防塁は 奥州合戦 古戦場跡(阿津志山防塁)
遠刈田 岩崎山の 金窟址 伊達藩により 採掘されて(岩崎山金窟址)
採掘中 熱湯噴出 死者も出て 金色観音 安置したとか(同上)
不明なる 摂津国分寺 跡示す 天王寺区に 瓦が出土(摂津国分寺跡)
宗鑑の 霊泉連歌 講跡碑 大山崎の 草庵近く(霊泉連歌講跡碑/史跡12) 67歳
禁門の 変に破れて 自刃する 長州藩の 十七烈士(天王山十七烈士の墓)
天下茶屋 公園ぶらり 訪ねると 是斎屋跡や 塔心礎あり(天下茶屋公園)
秀吉が 住吉大社 参拝時 利休の茶の湯 天下茶屋の名に(同上)
大阪の 舎密局跡 明治初期 化学技術の 研究機関(舎密局跡)
良弁墓 十三重の 石塔で 鎌倉期築 没五世紀後(良弁僧正墓所)
東大寺 良弁僧正 開山で 鑑真和上と 大僧都に(同上)
紀の川に 紀伊国分寺 存続し 真言宗の 寺院に移行(紀伊国分寺)
国史跡 一万三千 坪もあり 講堂跡に 本堂が建ち(同上)
国史跡 国府遺跡は 藤井寺 河内国は 意外な場所に(国府遺跡)
遺跡から 縄文石器 弥生土器 一万年が 国府の跡に(同上)
道明寺 五重塔は 礎石のみ 七堂伽藍 欠ける寺観で(道明寺五重塔跡)
幻の 難波宮は 前後する 飛鳥時代と 奈良時代とが(難波宮跡)
復原の 大極殿の 基壇上 親子が遊ぶ 秋の風景(同上)
偶然に 天王寺区を 散策し 藤原家隆 墓所を拝観(伝藤原家隆の墓)
家隆は 鎌倉初期の 公家歌人 夕陽庵を 晩年結び(同上)
水沢の 伊藤家墓所は 不思議なり 一族合葬 総墓と呼ばれ(水沢の総墓)
三段の 石垣上の 宝塔で 冬の間は シートで囲い(同上)
昭和初期 津波記憶碑 立てられて 平成津波 流失もせず(唐丹の津波記憶碑)
高台に 測量之碑と 星座石 江戸後期から 唐丹漁港に(唐丹の古碑)
測量家 伊能忠敬 来訪の 測量之碑は その記念碑で(同上)
国史跡 城生柵跡 加美町に 奈良期の遺構 官衙か否か(城生柵跡)
日の出山 瓦窯跡 国史跡 東北最大 奈良期の窯場(日の出山瓦窯跡)
加美町に 菜切谷廃寺 跡があり 出土の瓦 日の出山製(菜切谷廃寺跡)
御前井は 佐竹藩主が 大曲 陣屋で飲んだ 献上水で(大曲御前井)
古墳と遺跡 短句(俳句・川柳)
古墳観て 古代土木に 興奮す(御廟山古墳/古墳と遺跡1) 50歳
住宅の 空き地を見ると また古墳(三ツ塚古墳)
樹木生え 大鳥塚は 公園化(大鳥塚古墳)
石室を 覗けば石棺 手を合わす(桜生史跡公園)
可愛げに 円山古墳 桜咲く(同上)
墳丘は 十三メートル 踏み段が(瓢箪山古墳)
墳頂に 勝手社社殿 建てられて(勝手塚古墳)
墳丘は 山の景色に 様変わり(六呂瀬山古墳群)
御経塚 遺跡アパート 目の前に(御経塚遺跡)
桜谷 古墳はツツジ 花盛り(桜谷古墳)
第二古墳 帆立貝式 若草茂り(同上)
貝層は 縄文中世 複合で(朝日貝塚)
洞窟は 人去り神が 住む場所に(大境洞窟住居跡)
方墳の 石室二つ 海を向き(須曽蝦夷穴古墳)
和田山に 前方後円 五号墳(能美古墳群)
手取川 予期せぬ古墳 群立し(同上)
二つ穴 人の目と鼻 想起さす(法皇山横穴古墳)
花筏 落葉に変る 小池かな(同上)
丘陵に 上下と左右 横穴が(同上)
横穴は 半ば落葉に 埋もれて(同上)
擬木段 見慣れて来れば 悪くなし(同上)
遺跡には 有難きかな 歴史館(御経塚遺跡)
火焔型 縄文中期 土器主流(野々市町ふるさと歴史館/古墳と遺跡2) 55歳
石棒の 男根型は 祭具とか(同上)
取っ手付き 石器珍し 工夫され(同上)
土偶類 意外と少なき 歴史館(同上)
重そうな 石棒平たく 持ち手なし(同上)
真冬でも 鹿角の遺跡 眺め良く(大湯環状列石)
列石は 八百余個で 復原し(湯舟沢環状列石)
本物の 環状列石 地下保存(滝沢村埋蔵文化財センター)
雪残る 環状列石 庭に見え(大湯環状列石)
県道が 特別史跡 寸断し(同上)
高床の 掘立柱 倉庫かと(同上)
郷土館 環状列石 レプリカが(小坂町郷土館)
小坂では 環状列石 墳墓とす(小坂環状列石)
立石に 横石環状 配石し(同上)
掘立の 小屋に聳える ピラミット(大湯環状列石)
大湯川 昔は鮭も 遡上して(同上)
雪融けて 環状列石 芽吹く草(同上)
縄文の 暮らしは今も 自然愛(同上)
中心部 日時計型の 組石が(伊勢堂岱遺跡)
新遺跡 六万坪が 保護されて(同上)
洞窟は 百メートルも 続くとか(関谷洞窟住居跡)
貝塚は 環状集落 伴いて(大木囲貝塚)
松島を 縄文人も 眺めたり(同上)
資料館 貝層断面 展示して(同上)
遺跡には 竪穴住居 復元し(上白岩遺跡/古墳と遺跡3) 56歳
丘陵を 削った形跡 墳丘に(作山古墳)
琵琶湖涸れ 湖底遺跡が いずれ出る(湖底遺跡)
石室の 副葬品は 国宝に(宮地嶽古墳)
九州に 大和と関わる 権力者(同上)
予期もせぬ 環状列石 下呂で見る(禅昌寺遺跡)
古墳群 桜満開 華やいで(桜の里古墳公園)
墳丘は 公園風に 整備され(河田山古墳群)
方墳の 横には洒落た 展望所(同上)
石室に 凝灰岩の アーチ石(同上)
資料館 横穴石室 復元し(同上)
ジオラマは 航空写真 見る如く(三内丸山遺跡)
掘立は 柱基準の 想定で(同上)
大型の 住居は作業所 集会所(同上)
屋根置けば 六本柱 模擬となり(同上)
六本の 柱が遺跡 シンボルに(同上)
作業車で 高見の見物 する客も(同上)
様々な 竪穴住居 外観に(同上)
土掘れば 四千年の 匂いする(同上)
展示室 縄文美人 土器磨く(同上)
模擬住居 縄文家族 寛いで(同上)
出土品 約二千点 重文に(同上)
十字形 板状土偶 言いたげに(同上)
今もなお 遮光器土偶 モニュメント(亀ヶ岡遺跡)
遺跡には ストーンサークル 模造され(大平山元遺跡/古墳と遺跡4) 58歳
旧石器 時代に神社 赤鳥居(同上)
Ⅱ遺跡は 旧石器期の 出土場所(同上)
Ⅰ遺跡 縄文初期の 出土場所(同上)
直径は 五十五メートル 四重でに(小牧野遺跡)
中心の 立石の影 横石に(同上)
配石は 小牧野式と 称されて(同上)
住居跡 復元されず 夏木立(同上)
古塚に 昔ながらの 蝉しぐれ(同上)
植栽の 樹木は六種 種実類(同上)
遺跡から 青森市内 一部見え(同上)
墳丘の くびれ馬の 背の如く(手繰ヶ城山古墳)
片隅に 一輪だけの ユリの花(同上)
古墳下 永平寺川 田畑に(同上)
ガジュマルの 木には遺跡が 埋もれて(湯浜遺跡)
残雪が 三号墳の 草飾り(三ツ城古墳)
二号墳 米塚を見る 景観で(同上)
墳頂に 形象埴輪 めぐらして(同上)
古墳には 杉より桜 似合うなり(瓢山古墳)
花咲かぬ 方墳寂しき 木々ばかり(甲塚方墳)
発見者 私費で建てたる 記念館(星野遺跡)
縄文の 遺跡で一人 花見かな(同上)
後円部 一面落葉 墳丘に(牛塚古墳)
基壇には 不揃いながら 杉木立(同上)
円墳は 三段式に 周溝を(車塚古墳)
周溝に 咲く花もなき 寂しさも(同上)
江戸中期 愛宕神社が 前方に(愛宕塚古墳)
墳丘の 雑木林は 如何かと(同上)
前方と 後円とのみ 桜咲き(小見真観寺古墳/古墳と遺跡5) 62歳
奥の山 古墳の松が しおらしく(さきたま古墳群)
二つ山 眺める如く 景観で(同上)
古墳群 特別史跡に 指定され(同上)
墳頂に ズラリと埴輪 並べられ(同上)
石室の 内部再現 被葬者も(同上)
国宝の 鉄剣出土 稲荷山(同上)
円墳は 丸墓山の 古墳のみ(同上)
忍城が 墳頂からは 良く見えて(同上)
開墾で 小円墳は 姿消し(同上)
壮大な さきたま古墳 二世紀史(同上)
稲荷山 城壁風の 垣根見え(同上)
愛宕山 菖蒲が二輪 咲き初め(同上)
墳丘の 段に葺石 帯描き(塚山古墳)
後円部 ドウタンツツジ 花盛る(同上)
遺跡には 稲荷神社の 幟立つ(岩宿遺跡)
ローム層 サンプル展示 施設内
マンモスの 骨の住居の 模擬展示(同上)
馬の皮 屋根に張られた 住居建ち(同上)
古代蓮 一本開花 古里に(同上)
南方の 民族の舟 海に見る(唐人駄場遺跡)
亀石は 巨大男根 見る如し(同上)
鏡石 海上からは 輝くと(同上)
鬼使う 包丁石は 名の如し(同上)
亀の背や 竜宮城を 思う石(同上)
瓜二つ 祭壇石は 花崗岩(同上)
陰石と 陽石二つ 奇妙なり(同上)
四国にも ストーンサークル 摩訶不思議(同上)
松山に 新たな名所 古墳とは(葉佐池古墳)
珍しき 長方形の 古墳観る(同上/古墳と遺跡6) 62歳
葉佐池は 冬でも秋の 佇まい(同上)
墳丘の 下は田んぼの 風景が(同上)
見渡せば 石墨山の 晴れ姿(同上)
御三戸奥 中学生の 発見と(上黒岩遺跡)
投げ槍の 刺さった腰骨 女性とか(同上)
石棺は 天神山の 移設とか(八堂山遺跡)
道路から 眺めた屋根は 考古館(同上)
杉の木は 踏まれ踏まれて 根が露わ(同上)
住居跡 フェンスの中に 保存され(同上)
山頂は 東屋が建ち 広々で(同上)
高床の 倉庫珍し 円形で(同上)
弥生式 竪穴住居 戸に屋根が(同上)
木の間には 石鎚山の 片鱗も(同上)
遺跡でも 侮れないな 市の史跡(同上)
鶯塚 四世紀末 築造と(鶯塚古墳)
眼下には 高層ビルなし 奈良市街(同上)
百穴は 二百十九基 現存し(吉見百穴)
墳頂に 平屋の民家 一戸建ち(同上)
見渡せば 東松山 市街地が(同上)
玄室に 独自の棺座 設えて(同上)
玄室の 平面形態 七種類(同上)
百穴の 景観正に 団地墓地(同上)
玄門の 形状概ね 六種類(同上)
戦時中 軍需工場 地下壕に(同上)
ヒカリゴケ 発生地なり 国天記(同上)
横穴に 希少な苔が 寄生して(同上)
城跡の 崖にも百穴 続くかな(同上)
復元の 竪穴住居 六棟も(与助尾根遺跡)
住居内 石囲い炉が 中央に(同上)
遺跡内 雑司久保堰 江戸期築(尖石遺跡)
住居跡 三十三棟 尖石(同上)
尖石 注連縄結ぶ 磐座に(同上)
馬の背に 四つの顔の 埴輪立つ(芝山古墳群)
移設した 石棺二基が 寒空に(龍角寺古墳群/古墳と遺跡7) 63歳
大型の 竪穴住居 復元も(同上)
古墳より 株立の木が 美しく(同上)
貝殻が 怒気も抜くほど 夥し(加曽利貝塚)
千葉県は 遺跡が多く 道遠し(同上)
墓所跡は 案内板の 標のみ(同上)
縄文の 暮らしはいつも 心根に(同上)
祝福の 特別史跡 幟立つ(同上)
住居跡 縄文全期 一同に(同上)
舟着場 跡ともされる 遺構あり(同上)
貝塚は 一万年の 食の跡(同上)
墳頂を 形象埴輪 囲い込む(森将軍塚古墳)
俯瞰する 千曲川先 浅間山(同上)
後円部 石室上に 杭印(同上)
純白の 北アルプスが 空に映え(同上)
岩山の 絶壁仰ぐ 古墳上(大室古墳群)
石舞台 思わすような 石室も(同上)
オリジナル 合掌形の 石室は(同上)
悠々と 鷲は知らんと 古墳飛ぶ(同上)
杉林 積石塚が 群在す(同上)
背丈より 高き玄門 横穴に(同上)
朽ちかけた 土石墳には 桜咲き(同上)
住宅地 三千坪が 貝塚で(下船渡貝塚)
珍しき 墳丘のない 土壙墓も(桜井古墳)
墳丘は 三段方形 周壕も(同上)
被葬者は 浮田国造 豪族か(同上)
遺跡下 改築された 家ばかり(上の町B遺跡)
墳丘に 池が築かれ 破壊され(角塚古墳/古墳と遺跡8) 65歳
前方部 形象埴輪 数点が(同上)
円山の 砂岩がキャンバス 線刻画(フゴッペ洞窟)
描かれた 人や動物 八百個(同上)
三棟の 竪穴住居 添景に(北黄金貝塚)
円形の 巨大貝塚 露出して(同上)
貝塚は アイヌと和人 分岐点(同上)
驚愕す 巨体ヒグマ 剥製に(同上)
出土した 土器や石器が センターに(同上)
貝層の 断面剥離 展示され(同上)
竪穴も 住み替わるかな 木が生えて(春採台地竪穴群)
春採湖 擦文時代 遠く観る(同上)
湿原に 一万年の 暮らし見る(北斗遺跡)
三笠山 縄文人の モニュメント(忍路環状列石)
海峡を 文化は渡り 忍路へと(同上)
明らかに 縄文後期 墓地の跡(地鎮山環状列石)
中央部 木枠の下に 被葬者が(同上)
穴からは 燐分検出 墳墓とも(西崎山ストーンサークル)
謎めいた 配石何を 物語る(同上)
傾いた 立石数基 意味あり気(音江環状列石)
道央に 環状列石 ある不思議(同上)
列石は 四基に分れ 塀の中(曽我北栄環状列石)
二ッ森 奪衣婆像は 小町とか(小野小町遺跡)
お稲荷に 第二洞窟 明け渡す(岩井堂洞窟)
第一は 半洞窟の 岩屋なり(同上/古墳と遺跡9) 66歳
墳丘は 一面落葉 石代わり(会津大塚山古墳)
後円部 木棺二つ 調査され(同上)
甲塚 名に相応しく 兜型(甲塚古墳)
二代目の 八方にらみ まだ小松(同上)
古墳跡 花壇の如く 成り果てて(梅塚古墳)
古墳には 門塀フェンス 立ち入れず(野見宿禰古墳)
御勝山 代替登山 歩道橋(御勝山古墳)
前方部 公園となり 銅像も(同上)
気象台 建てられた日も 前方部(同上)
墳丘に 円筒埴輪 すき間なく(私市丸山古墳)
墳頂で 眺める由良川 夏の田に(同上)
眼下には 舞鶴道路 山をぬい(同上)
後円部 葺石隠れ 土の中(今城塚古墳)
石室を 支えた石組 露呈して(同上)
地震にて 壊れた墳丘 痛々し(同上)
南北に 石敷き詰めた 造出(同上)
造出 儀式の場とも 称されて(同上)
内濠を 囲む堤は 芝を植え(同上)
内濠の 護岸石組 よく保ち(同上)
様々な 人物埴輪 表情で(同上)
家形の 埴輪大きく 美しく(同上)
荘厳な 円筒埴輪 堤上(同上)
惜しまれる 墳丘全体 森林化(同上)
五世紀が 二十一世紀 住宅に(鈴山古墳)
知らぬ間に ビジターセンター 百舌鳥に建つ(百舌鳥古墳群ビジターセンター)
漢字のみ 万葉歌碑は 読みづらく(仁徳陵歩道)
大仙陵 陪塚最多 十二基が(狐山古墳)
墳丘の 草と樹木は 邪魔なだけ(銅亀山古墳/古墳と遺跡10) 67歳
草叢に 古墳の形 消え失せて(樋の谷古墳)
周濠の 外には洒落た 散歩道(大仙陵)
後円部 管理するには 宮内庁(丸保山古墳)
丸保山 帆立貝形 長大で(同上)
周濠は 堺市史跡 意味不明(永山古墳)
立ち入れぬ 古墳に興味 薄れ行く(同上)
大安寺 領地に陵墓 吸収し(大安寺山古墳)
塚廻 二段築成 円墳で(塚廻古墳)
周濠は 道路に変り 魅力消え(収塚古墳)
百舌鳥古墳 どこもかしこも 雑木で(長塚古墳)
標柱が 無ければ古墳 気が付かず(旗塚古墳)
鳶塚の 古墳埋没 低くなり(鳶塚古墳)
原山の 墳丘は消え 平坦に(原山古墳)
寺山は ミサンザイ古墳 陪塚か(寺山南山古墳)
舟浮かび 遊べるほどの 東濠(いたすけ古墳)
亀や鴨 橋脚跡で 日を浴びる(同上)
淋しきは 水鳥寄らぬ 北の濠(御廟山古墳)
珍しく 石橋跡が 周濠に(ニサンザイ古墳)
唐櫃山 古墳は半ば 破壊され(唐櫃山古墳)
説明文 あっての古墳 土師ノ里(某古墳)
桃山期 古墳の側に 神社建つ(古室八幡神社)
立入りの 自由な古墳 秋の空(同上/古墳と遺跡11) 67歳
墳丘に 桜数本 植えられて(同上)
墳頂で 眺める景色 新未来(同上)
横並ぶ 中山塚も 方墳で(中山塚古墳)
高架下 赤面山の 方墳が(赤面山古墳)
巡る塚 殆どフェンス 魅力欠く(二ツ塚古墳)
陪塚の 曖昧表示 宮内庁(野中宮山古墳)
周濠は 埋め立てられて 半濠に(同上)
惚れ惚れと 眺める古墳 見当たらず(向墓山古墳)
墳丘は 二段築成 広大で(浄元寺山古墳)
築造は 中期中葉 最盛期(同上)
藤ヶ岡 ポケットパーク また古墳(ポケットパーク)
陪塚の 標柱あれど 名無し塚(同上)
フェンスには 有刺鉄線 過剰かと(割塚古墳)
立ち入れる 古墳親しみ 倍増す(鉢塚古墳)
室町期 古墳に築城 城の名が(津堂城山古墳)
出土品 ガイド施設で 公開し(同上)
珍しい 衝立形の 埴輪見る(同上)
墳丘の 一部低木 梅林に(同上)
濠跡は 園路を設け 公園化(同上)
周濠に 宅地化の波 押し寄せず(峯ヶ塚古墳)
枯れ芝を 葺石と見る 古墳かな(小白髪山古墳)
宮内庁 三重にもタケル墓 比定して(白鳥陵古墳)
弥生期は 二十二万坪 広大さ(安満遺跡)
住居域 環状集落 五ヶ所とか(同上)
環濠は 白い敷石 土手に芝(同上)
見渡せば 二万七千 坪芝生(同上)
平坦地 大阪平野 独占し(同上/古墳と遺跡12) 67歳
竪穴の 復元中の 住居見る(同上)
平屋建て 遺跡紹介 資料館(同上)
地層には 未だ見ぬ歴史 埋もれて(同上)
杵と臼 弥生期らしき 展示品(同上)
弥生期の 田んぼ復原 発掘地(同上)
用水路 井堰も復原 田んぼ側(同上)
墓地跡に 大きな壺の モニュメント(同上)
土盛りした 小円墳が 新鮮で(同上)
藁葺きの 屋根は弥生の 時らしく(地蔵田遺跡)
炉には 時代に合わぬ ドラム缶(同上)
出入口 庇設けぬ シンプルさ(同上)
火棚には 鮭の燻製 目に浮かぶ(同上)
墓地跡に 土器棺を埋め 再現す(同上)
稲作の 跡地に天日 地干し法(同上)
出土品 展示施設 併設し(同上)
ジオラマに 吸い込まれ行く 理想郷(同上)
見る土偶 縄文時代 偲ばせる(同上)
細口の 土器に花でも 生けたかと(同上)
秀作の 土器のレプリカ 不可欠で(同上)
土壙墓で 勾玉・管玉 出土して(同上)
貝以外 獣骨魚骨 出土して(崎山貝塚)
貝塚に 縄文人の 暮らし見る(同上)
貝層は 加曽利貝塚 及ばざる(同上)
配石は ストーンサークル ミニサイズ(同上)
南北の 貝塚跡に 草芽吹く(同上)
配石の 遺構に残る 石一つ(同上)
竪穴の 住居復元 喜ばし(同上)
山形に ストーンサークル 波及して(庭月観音堂遺跡)
舟形に 縄文の女神 花と咲く(西ノ原遺跡)
二百基の 土壙もありき 西ノ原(同上)
国宝の レプリカ展示 資料館(同上)
縄文の 土偶最大 女神像(同上)
国宝の 土偶は五点 仲間入り(同上)
遺跡から 四十余点 土偶出て(同上/古墳と遺跡13) 68歳
様々な 土器や石器が 出土して(同上)
深鉢の 土器は大きく 精巧で(同上)
後円部 被葬者祀る 鎮守社か(念南寺古墳群)
宮城県 前方後円 墳希少(同上)
古墳見に 訪ねる客は 我れ一人(同上)
完全な 遮光器土偶 唯一で(大崎市田尻支所展示品)
石皿に 木の実潰した 磨石が(稲庭城縄文期展示品)
両足が 異常に膨らむ 土偶見る(同上)
石器類 木部復元 よりリアル(同上)
何となく 土偶に思う 宇宙人(同上)
古墳と遺跡 長句(短歌・狂歌)
みちのくに 縄文文化 ミステリー 亀ヶ岡遺跡 遮光器土偶(亀ヶ岡遺跡/古墳と遺跡1)
京都奈良 またその先を 訪ねれば 摂津大阪 古墳に至る(丸保山古墳)
増えてゆく 世界遺産の 認定に 古墳時代も 標的となる(百舌鳥古墳群)
藤井寺 三ツ塚古墳 国史跡 方墳三基 住宅街に(三ツ塚古墳)
大阪の 古墳時代を 旅すれば 近つ飛鳥の 史跡近付き(近つ飛鳥風土記の丘)
桜生 史跡公園 国史跡 野洲川右岸 丘陵にあり(桜生史跡公園)
甲山 古墳中規模 円墳で 古墳前期の 四世紀築(同上)
天王山 古墳前方 後円墳 古墳後期の 六世紀築(同上)
瓢箪山 古墳前方 後円墳 滋賀県下では 最大規模と(瓢箪山古墳)
勝手塚 古墳は名古屋 守山に 帆立貝式 国の史跡で(勝手塚古墳)
メスリ山 古墳前方 後円墳 四世紀築 国の史跡に(メスリ山古墳)
桜井の 山の辺の道 訪ねれば 小さな森に 古墳は眠る(同上)
文殊院 石室露わ 西古墳 墳丘消えても 特別史跡(文殊院西古墳)
その昔 無料で入れた 石舞台 いつの間にやら 有料となり(石舞台古墳)
国史跡 六呂瀬山の 古墳群 丘陵尾根に 四基連なり(六呂瀬山古墳群)
今もなお 縄文人の 血が騒ぐ 山菜採りや 潮干狩りかな(御経塚遺跡)
桜谷 古墳九基が 国史跡 富山県では 最古の築も(桜谷古墳)
誓度寺の 朝日貝塚 国史跡 寺建立時 畑地の中に(朝日貝塚)
大境 洞窟住居 跡残る 縄文期から 鎌倉期まで (大境洞窟住居跡)
洞窟に 遠い先祖の 暮らし見る ここから人は 旅立てるかな(同上)
能登島に 須曽蝦夷穴の 古墳あり 高麗式は 極めて希少 (須曽蝦夷穴古墳)
加賀の里 能美古墳群 国史跡 五つの山に 六十二基が(能美古墳群)
法皇山 横穴古墳 国史跡 六・七世紀 築造とされ(法皇山横穴古墳)
古墳の名 花山法皇 由来して 古墳と共に 那谷寺詣で(同上)
八十基 年代ごとに 区別され 七世紀末 石室備え(同上)
雪積る 竪穴住居 御経塚 縄文後期 景色再び(御経塚遺跡)
御経塚 遺跡紹介 歴史館 土器や石器の 出土を展示(歴史館/古墳と遺跡2) 55歳
不安定 深鉢形土器 尖底は 熱効率を 考えてかと(野々市町ふるさと歴史館)
北陸に 御物石器を 多く見る 不思議な形 副葬品か(同上)
チャート石 黒曜石の ナイフ類 出土しないか 展示はされず(同上)
鹿角路の 太古に夢を めぐらして 毎朝通る ストーンサークル(大湯環状列石)
湯舟沢 環状列石 滝沢に 縄文後期 墓地の遺構と(湯舟沢環状列石)
茅葺きの 建屋八棟 復原し 他の遺構は 柱だけ立て(大湯環状列石)
指定内 七万五千 坪の中 列石二ヶ所 配石八ヶ所(同上)
様々に 環状列石 説かれたが 墓地とする説 今は定着(同上)
隣り町 小坂の地にも 小規模な 環状列石 戦後発見(小坂環状列石)
鹿角では 縄文時代 共存す りんご畑や 栗の実りも(大湯環状列石)
ゆっくりと 時代を下り 見たいかな 共存共栄 縄文時代(同上)
争いは 憎しみばかり 作るけど 争い知らぬ 縄文時代(同上)
魚釣り 山菜採りて 生きるなら 縄文人の 暮らしを具現(同上)
田園に 縄文人の 歴史知る 鹿角の里の 環状列石(同上)
遺跡には 浅間神社 小社建ち 富士信仰が この地に及ぶ(同上)
国史跡 伊勢堂岱 遺跡には 環状列石 四ヶ所もあり(伊勢堂岱遺跡)
工事中 貴重な遺跡 出土して 工事中断 橋脚残る(同上)
大船渡 関谷洞窟 住居跡 縄文初期から 古代にかけて(関谷洞窟住居跡)
隠れ家は 子供の頃は 押入で 大人になると 洞窟の中(同上)
国史跡 大木囲 貝塚は 七里ヶ浜の 丘陵上に(大木囲貝塚)
貝塚の 側には町の 資料館 大木式土器 出土を展示(同上)
ふるさとの 遺跡の多く 破壊され 唯一残る 大保中台(大保中台遺跡)
伊豆北部 上白岩 遺跡でも 環状列石 発掘されて(上白岩遺跡)
現存の 七百坪が 国史跡 縄文中期の 住居四基も(同上/古墳と遺跡3) 56歳
国史跡 作山古墳 総社市に 前方後円 墳丘広く(作山古墳)
珍しく 発掘調査 成されずに 五世紀半ば 築造と言う(同上)
琵琶湖には 湖底遺跡が 八十も 確認されて 一部復元(湖底遺跡)
草津市の 矢橋帰帆島 公園に 竪穴住居 倉庫復元(同上)
宮地嶽 神社の古墳 国史跡 古墳期末期 大型円墳(宮地嶽古墳)
石室は 全国二位の 長大さ 不動神社に 改修されて(同上)
縄文の 遺跡に建てた 禅昌寺 環状列石 移設復元(禅昌寺遺跡)
中能登の 石坂鍋山 古墳群 円墳六基 未調査のまま(桜の里古墳公園)
古墳群 桜千本 植栽し 桜の里 古墳公園に(同上)
河田山 古墳群には 様々な 墳形古墳 六十八基(河田山古墳群)
尾根上の 前方後円 墳丘は 一号墳で 四世紀築(同上)
方墳の 十二号墳 移築する 分譲団地 区画外へと(同上)
切妻の 和風建築 資料館 平成四年 古墳に開館(同上)
縄文期 最大級の 遺跡かな 三内丸山 青森湾に(三内丸山遺跡)
久々に 三内丸山 訪ねると 時遊館なる 巨大施設が(同上)
広大な 十三万坪 遺跡内 半分余り 特別史跡(同上)
寄棟に 切妻茅の 高床の 大きな倉庫 三棟復元(同上)
大型の 竪穴住居 復元す 前は入母屋 後ろ寄棟(同上)
縄文期 前期と中期 二千年 平和な暮らし 目に浮かび来る(同上)
三層の 六本柱 物見台 海を眺めて 漁労に出たか(同上)
ドーム内 実物の穴 保存する 径一メートル クリには疑問(同上)
亀ヶ岡 遺跡のブーム 遠ざかり 来訪者なく 寂れた様子(亀ヶ岡遺跡)
国史跡 大平山 元遺跡 旧石器期の 石鏃出土(大平山元遺跡)
史跡内 六千余坪 殆どが 神社の境内 民家の敷地(同上/古墳と遺跡4) 58歳
国史跡 小牧野遺跡 青森に 縄文後期 環状列石(小牧野遺跡)
史跡内 二万七千 坪の中 列石の他 住居の跡も(同上)
全国に 環状列石 四十余 北東北と 北海道に(同上)
兜山 古墳は円墳 国史跡 福井県下で 最大規模と(兜山古墳)
墳丘に 八幡神社 鎮座して 武勇に秀た 豪族なのか(同上)
松岡で 手繰ヶ城山 古墳見る 国の史跡で 四世紀築(手繰ヶ城山古墳)
福井では 前方後円 墳の中 第二の規模を 誇る巨体さ(同上)
越の国 大和政権 管理下に 手繰ヶ城山 最初の古墳(同上)
めぐり行く 八丈島で 遺跡見る 縄文初期の 湯浜遺跡を(湯浜遺跡)
南方と 縄文文化 融合す 丸太の小舟 太古の海に(同上)
国史跡 三ツ城古墳 西条に 三基の古墳 往時復原(三ツ城古墳)
葺石の 一号墳は 明瞭な 前方後円 形が優美(同上)
墳頂の 石棺三基 ガラス張り 一号墳は 古墳の鏡(同上)
小規模な 瓢山古墳 未調査で 前方後円 墳庄原に(瓢山古墳)
庄原に 七基の古墳 存在し 国の史跡は 一基もなしと(同上)
甲塚 方墳を見る 豊津にて 九州最大 規模の方墳(甲塚方墳)
方墳は 六世紀半ば 築造で 横の石室 しゃがみ観るなり(同上)
栃木市の 星野遺跡は 旧石器 期と縄文期 複合遺跡(星野遺跡)
遺跡内 竪穴住居 三棟が 復元されて 憩の森に(同上)
壬生町の 牛塚古墳 国史跡 古墳後期の 帆立貝型(牛塚古墳)
車塚 古墳も壬生に 国史跡 古墳終期の 大円墳で(車塚古墳)
横穴の 石室があり 入口は 凝灰岩の 巨石を据えて(同上)
愛宕塚 古墳も壬生に 国史跡 前方後円 墳後期築(愛宕塚古墳)
前方部 後円部より やや高き 典型的な 後期の形(同上)
石室は 発掘調査 成されずに 所在は不明 これも古墳か(同上)
行田市に 小見真観寺 古墳あり 国の史跡の 前方後円(小見真観寺古墳/古墳と遺跡5)
後円と 鞍部の二ヶ所 石室が 七世紀初期 築造されて(同上)
行田市の さきたま古墳 公園は 十一万坪 古墳九基が(さきたま古墳群)
瓦塚 古墳の名前 明治期の 瓦職人 住居に由来(同上)
三重の 堀は珍し 鉄砲山 古墳築造 六世紀末(同上)
二子山 古墳前方 後円墳 埼玉県下 最大規模と(同上)
将軍山 古墳前方 後円で 古墳後期の 築造とされ(同上)
馬具や武器 武具や須恵器が 出土して 将軍山に レプリカ展示(同上)
稲荷山 古墳築造 五世紀で 大仙古墳 縮小版と(同上)
忍城を 水攻めの際 築かれた 石田堤が 園地の中に(同上)
直径が 百五メートル 円墳の 丸墓山は 日本最大(同上)
墳頂に 石田三成 陣を張り 歴史遺産を 巧みに利用(同上)
柔術家 一源三流 名言が 銅像となり 立ち止まらせる(同上)
宇都宮 塚山古墳 中規模な 前方後円 墳一基あり(塚山古墳)
国史跡 岩宿遺跡 みどり市に 旧石器時代 最初の遺跡(岩宿遺跡)
石室の 入口風の 洞窟は 遺構保護する 観察施設(同上)
洞窟は 大きなドーム 構造で 発掘された 映像を見せ(同上)
旧石器 時代の住居 毛皮張り 今なら高価 建てるのは無理(同上)
多胡碑側 二基の古墳が 移設され 片山古墳 粘土槨なり(片山一号墳)
円墳の 南高原 一号墳 墳丘削れ 石室残り(南高原一号墳)
足摺に 唐人駄場の 遺跡あり 奇岩怪石 夥しきや(唐人駄場遺跡)
唐人は 異人の事で 駄場の名は 平らな場所で 移民定住(同上)
縄文と 弥生の石器 出土して 唐人駄馬は 複合遺跡(同上)
駄場思う 千畳敷石 平らさで 立てば松尾の 海岸見えて(同上)
国史跡 葉佐池古墳 意外にも 平成四年 発見されて(葉佐池古墳)
石垣を 四段築いた 墳丘で 築造年は 六世紀半ば(同上/古墳と遺跡6) 62歳
墳丘に 五つ石室 築かれて 一つ石室 上屋の中に(同上)
石室に 人骨及び ミイラの レプリカか置かれ 極めてリアル(同上)
国史跡 上黒岩の 遺跡観る 縄文早期 岩陰の中(上黒岩遺跡)
動物の 遺骨の種類 十五種と ニホンオオカミ 絶滅種まで(同上)
西条に 八堂山の 遺跡あり 弥生時代の 山岳住居(八堂山遺跡)
考古館 入母屋造り 三階で 弥生の住居 思わす眺め(同上)
山頂に 竪穴住居 高床の 倉庫を含め 二棟復元(同上)
弥生人 瀬戸内海を 渡り来て 八堂山に 定住したか(同上)
国史跡 若草山の 頂上に 鶯塚の 後円古墳(鶯塚古墳)
石碑奥 鶯塚の 前方部 石葺残る 二段築成(同上)
国史跡 吉見百穴 埼玉に 古墳後期の 横穴墓群(吉見百穴)
横穴の 玄室形状 様々で 単棺座から 二棺座もあり(同上)
与助尾根 縄文中期 環状の 集落遺跡 特別史跡(与助尾根遺跡)
遺跡内 竪穴住居 発掘は 二十八棟 縄文のムラ(同上)
与助尾根 含めた遺跡 二万坪 尖石入れ 特別史跡(尖石遺跡)
尖石 安山岩で 八ヶ岳 噴出の石 遺跡の名にも(同上)
縄文の ビーナスも見た 八ヶ岳 平和に満ちた 茅野尖石(同上)
国史跡 芝山古墳 群在す 千葉県東部 木戸川沿いに(芝山古墳群)
姫塚の 前方後円 墳丘に 大型埴輪 七基が並ぶ(同上)
国史跡 龍角寺古墳 群在す 房総のむら 風土記の丘に(龍角寺古墳群/古墳と遺跡7)
古墳群 百十五基が 有る中で 七十八基 風土記の丘に(同上)
様々な 形状をした 古墳群 六世紀から 七世紀まで(同上)
古墳には 長さと高さ 表示され 把握するのに 役立ちとなる(同上)
貝塚の 案内板を 目にしては 躊躇もせずに 車を向ける(加曽利貝塚)
貝塚の 断面保存 切通し 遺跡の中の 地下に設けて(同上)
貝塚の 特別史跡 日本初 四万坪も 日本最大(同上)
加曽利には 百十軒の 住居跡 竪穴住居 二軒復元(同上)
縄文と 弥生の住居 比べれば 竪穴式と 高床式で(同上)
鯉のぼり 棚引く上に 桜咲く 森将軍塚 古墳の下は(森将軍塚古墳)
葺石に 前方後円 覆われた 森将軍塚 古墳の鏡(同上)
長野県 前方後円 墳の中 墳丘最長 百メートルで(同上)
被葬者は 科野首長と 目される 古墳前期 築造とされ(同上)
松代の 四つの地区に 古墳群 約五百基が 国の史跡に(大室古墳群)
古墳群 大室古墳 最大で 二百四十基 積み石多く(同上)
風化して 古墳石室 栗石は 路傍の石に 混じりて並ぶ(同上)
国史跡 山ノ内町 佐野遺跡 縄文晩期 集落遺構(佐野遺跡)
佐野遺跡 亀ヶ岡式 土器も出て 縄文人の 交流広く(同上)
下船渡 貝塚痕跡 国史跡 大船渡港 丘陵にあり(下船渡貝塚)
貝層は 一メートル 前後とか 縄文後期 飼い犬の骨も(同上)
原町の 桜井古墳 国史跡 三十七基 前期の築と(桜井古墳)
一号は 前方後円 墳であり 東北地方 最大級と(同上)
古墳期の 大和政権 勢力下 南東北 限定される(同上)
上の町 B遺跡あり 富岡に 除染が進み 立入出来て(上の町B遺跡)
環状の 住居跡から 複式炉 縄文中期 後期の遺構(同上)
住居跡 スラスコ状の 土坑には クリやドングリ 甕に貯蔵か(同上)
休校の 小学校は そのままに 縄文人の 知らない被害(同上)
国史跡 角塚古墳 六世紀 前後築造 岩手胆沢に(角塚古墳/古墳と遺跡8) 65歳
角塚は 前方後円 墳の中 岩手唯一 日本最北(同上)
国史跡 フゴッペ洞窟 余市町 続縄文期 岩陰遺跡(フゴッペ洞窟)
線刻画 ペトログリフと 称されて 手宮洞窟 二ヶ所有るのみ(同上)
洞窟の 写真撮影 不許可なり 資料館にて レプリカ写す(同上)
北黄金 貝塚公園 国史跡 縄文前期 道南伊達に(北黄金貝塚)
貝塚は 四万四千 坪もあり 未調査含め 五ヶ所に分布(同上)
史跡内 情報センター 新築し 世界遺産に 推薦される(同上)
クジラ骨 加工の刀 祭祀用 世界最古の 刀と言われ(同上)
忠類に ナウマンゾウの 発掘地 全骨格の 八割出土(ナウマンゾウ化石発掘地)
産状の 化石の模型 眺めると 四十七個 分類されて(同上)
国史跡 春採台地 竪穴群 二百軒もの 擦文住居(春採台地竪穴群)
憧れの 釧路湿原 訪ねれば 北斗遺跡に 胸踊らされる(北斗遺跡)
旧石器 時代に起こり 擦文へ 北斗遺跡は 国の史跡に(同上)
円形の 竪穴住居 縄文期 続縄文期 百軒ほどが(同上)
四角形 竪穴住居 擦文期 アイヌ民族 二百余軒が(同上)
広大な 七万坪の 遺跡には 竪穴住居 五棟復元(同上)
国史跡 忍路環状 列石は 縄文後期 道最大で(忍路環状列石)
明治期は 環状石離と 称されて 意外と古い 遺跡の歴史(同上)
環状は 円形でなく 楕円形 立石多く 他と異なる(同上)
地鎮山 環状列石 また一つ 三笠山より 一キロ離れ(地鎮山環状列石)
小規模な 環状列石 楕円形 立石十二個 奇妙に並ぶ(同上)
余市にも 西崎山の 尾根の上 縄文後期 ストーンサークル(西崎山ストーンサークル)
ここもまた 小さな列石 楕円形 日時計型の 配石もあり(同上)
国史跡 音江環状 列石は 縄文後期 稲見台地(音江環状列石)
眺め見る 羊蹄山の 西方に 曽我北栄の 環状列石(曽我北栄環状列石)
遺跡から ヒスイ臼玉 人骨も 出土したとか 古墳の如く(同上)
二ッ森 大野小町と 深草の 少将古墳 伝承されて(小野小町遺跡)
洞窟に 遠い先祖の 暮らし見る 縄文人の 会話は如何に(岩井堂洞窟)
岩井堂 洞窟国の 史跡なり 洞窟四つ 凝灰岩に(同上)
良好な 第四洞窟 出土品 縄文期から 平安期まで(同上)
国史跡 会津大塚 山古墳 四世紀末 築造とされ(会津大塚山古墳/古墳と遺跡9) 66歳
大型の 前方後円 墳であり 福島県下 第二の規模と(同上)
円墳の 甲塚古墳 国史跡 未調査ながら 古墳後期と(甲塚古墳)
造成で 墳頂のみが 残される 梅塚古墳 服部緑地に(梅塚古墳)
高槻に 野見宿禰の 古墳あり 嘘か真か 龍野にもあり(野見宿禰古墳)
御勝山 古墳は前方 後円が 道路造られ 嗚呼真っ二つ(御勝山古墳)
大阪の 五低山である 御勝山 フェンスが張られ 登頂できず(同上)
大阪の 夏・冬の陣 秀忠が 布陣したのが 名の由来とか(同上)
帝塚山 古墳は前方 後円で 五世紀前後 築造されて(帝塚山古墳)
帝塚山 低山徘徊 叶わねど 国の史跡に 目に触れるなり(同上)
国史跡 私市丸山 円墳は 京都府下では 最大規模で(私市丸山古墳)
円墳は 三段構成 葺石で 五世紀中期 築造と言う(同上)
高槻の 今城塚の 古墳こそ 継体天皇 真の陵墓と(今城塚古墳)
長大な 前方後円 墳であり 戦後間もなく 国の史跡に(同上)
大王の 古墳公開 例かなく 宮内庁にも 比定のミスが(同上)
様々な 前方後円 墳観たが 手で触れられる 古墳は宝(同上)
様々な 埴輪がズラリ 祭祀場 数と出来ばえ 日本一かと(同上)
天皇家 応神天皇 傍流の 五代先なる 継体天皇(同上)
方墳は 百舌鳥エリアでは 珍しき 天王古墳 陪臣の塚(天王古墳)
削られた 鈴山古墳 墳丘は 反正天皇 陪塚とされ(鈴山古墳)
古墳群 世界遺産に なるとても 歴史解明 停滞したまま(孫太夫山古墳)
陪塚の 孫太夫山 古墳では 帆立貝形 周濠備え(同上)
竜佐山 古墳陪塚 柵の中 復原された 帆立貝形(竜佐山古墳)
狐山 古墳円墳 陪塚で 宮内庁管理 立入禁止(狐山古墳)
陪塚の 銅亀山の 方墳は 長方形で 規模最大か(銅亀山古墳)
円墳の 樋の谷古墳 不整形 大仙陵の 周濠沿いに(樋の谷古墳/古墳と遺跡10) 67歳
小規模な 帆立貝形 古墳消え 菰山塚は 名ばかりになり(菰山塚古墳)
珍しや 丸保山古墳 国史跡 陪塚管理 宮内庁でも(丸保山古墳)
陪塚の 永山古墳 周濠の 前方後円 墳は長大(永山古墳)
外濠に 茶山古墳は 張り出した 小さな陪塚 円墳式で(茶山古墳)
茶山の名 秀吉が狩り 陵でして 陵に仮茶屋 建てた事から(同上)
陪塚の 大安寺山 張り出した 古墳の一つ 中堤上(大安寺山古墳)
円墳の 源右衛門山 陪塚で フェンスめぐらし 立入拒む(源右衛門山古墳)
十二基の 大仙陵の 陪塚は 五世紀中期 築造される(塚廻古墳)
収塚 古墳陪塚 国史跡 小規模ながら 帆立貝形(収塚古墳)
国史跡 長塚古墳 独立の 前方後円 墳で百舌鳥群に(長塚古墳)
円墳の グワショウ坊は 木々の下 五世紀末が 百舌鳥群の中(グワショウ坊古墳)
百舌鳥群の 旗塚古墳 中規模な 帆立貝形 二段築成(旗塚古墳)
戦前は 百基の古墳 百舌鳥群に 宅地化により 四十余基に(同上)
国史跡 七観音の 円墳は 鉢巻状に 石垣築き(七観音古墳)
国史跡 寺山南 山古墳 方墳遠く フェンスの中に(寺山南山古墳)
周濠の いたすけ古墳 国史跡 前方後円 墳は広大(いたすけ古墳)
築造は 五世紀初頭 昭和期は 個人所有で 破壊の危機も(同上)
方墳の 善右ヱ門山 古墳のみ いたすけ古墳 陪塚とされ(善右ヱ門山古墳)
古墳には 墓のイメージ 遠ざかり 献花無ければ 御経も聞かず(同上)
御廟山 古墳の濠は 国史跡 前方後円 墳は大規模(御廟山古墳)
宮内庁 比定の古墳 史跡なし 文科省との 軋轢なのか(同上)
被葬者に 応神天皇 推定も ゆえ宮内庁 陵墓と比定(同上)
ニサンザイ 古墳も管理 宮内庁 反正天皇 陵墓と比定(ニサンザイ古墳)
墳形は 前方後円 墳であり 墳丘長は 三百メートル(同上)
自転車で 百舌鳥古墳群 めぐり終え 世界遺産の 評価問うなり(同上)
土師ノ里 衣縫塚古墳 円墳で 允恭天皇 陪塚とされ(衣縫塚古墳)
円墳の 宮の南塚 神社側 市ノ山古墳 陪塚治定(宮の南塚古墳)
五世紀の 鍋塚古墳 方墳で 古市古墳群 国史跡中(鍋塚古墳)
駅の前 直ぐに古墳の 土師ノ里 二日続けて 自転車で行く(同上)
古市の 古室山古墳 国史跡 前方後円 墳中規模で(古室山古墳)
古墳では 仏教よりも 神道で 被葬者の霊 供養すべきか(同上)
助太山 古墳方墳 築造は 中期中葉 国の史跡で(太助山古墳/古墳と遺跡11) 67歳
八島塚 中山塚と 助太山 三ツ塚古墳 周濠一つ(八島塚古墳)
国史跡 大鳥塚は 小規模な 前方後円 墳には秋が(大鳥塚古墳)
陪塚と 大鳥塚は 推測も 出土銅鏡 宮内庁へと(同上)
円墳の 誉田丸山 古墳から 国宝出土 金銅装馬具(誉田丸山古墳)
陪塚と 誉田丸山 治定され フェンスの中で 佇むばかり(同上)
二ツ塚 古墳は国の 史跡なり 前方後円 墳は林に(二ツ塚古墳)
方墳の 東馬塚 古墳では 住宅の屋根 墳頂の上(東馬塚古墳)
中規模な 栗塚古墳 方墳で 応神陵の 付属塚かと(栗塚古墳)
段丘に 野中宮山 古墳あり 前方後円 墳に半濠(野中宮山古墳)
後円部 野中神社が 墳頂に 平安以前 創建されて(同上)
はざみ山 古墳一重 周濠の 前方後円 墳は衰退(はざみ山古墳)
東山 古墳方墳 大規模で 五世紀初頭 高市群に(東山古墳)
宮内庁 向墓山 方墳を 応神陵の 陪塚治定(向墓山古墳)
国史跡 墓山古墳 大規模な 前方後円 墳は陪塚(墓山古墳)
方墳の 浄元寺山 古墳から 周濠消えて フェンスが立つ(浄元寺山古墳)
国史跡 割塚古墳 方墳で 築造古く 四世紀末(割塚古墳)
小規模な 前方後円 附属墳 鉢塚古墳 五世紀末で(鉢塚古墳)
国史跡 津堂城山 古墳には 八幡神社 墳丘に建つ(津堂城山古墳)
大規模な 前方後円 墳であり 二重周濠 面影残す(同上)
巨大なる 長持形の 石棺の レプリカ展示 施設の外に(同上)
羽曳野の 峯ヶ塚古墳 国史跡 前方後円 墳後期築(峯ヶ塚古墳)
小白髪山 古墳がポツリ 住宅地 前方後円 墳は小規模(小白髪山古墳)
羽曳野に ヤマトタケルの 伝説が 白鳥陵を 陵墓に治定(白鳥陵古墳)
大型の 前方後円 墳であり 周濠の中 史実を閉ざす(同上)
自転車で 古市古墳 群めぐり 知識深まり 今日も満足(同上)
高槻に 弥生時代の 安満遺跡 四万坪が 国の史跡に(安満遺跡)
切り出した 地面断層 五百年 環濠跡に 洪水土砂も(同上/古墳と遺跡12) 67歳
復原の 長方形の 墳墓には 死者との別れ イラストを添え(同上)
高槻の 古墳の多さに 驚いて また訪ねたい 知識蓄え(同上)
国史跡 地蔵田遺跡 旧石器 縄文・弥生 複合遺跡(地蔵田遺跡)
遺跡内 弥生時代を 再現す 千八百坪 弥生っこ村(同上)
三棟の 竪穴住居 復元す 弥生は広く 四十畳で(同上)
稲作の 技術と共に 土器もまた 遠賀川式 秋田の地まで(同上)
弥生式 土器の文様 眺めると 器面に縄文 要素を残し(同上)
湯沸しの 注口土器 デザインは 今に通ずる 大きさ形(同上)
国史跡 崎山貝塚 宮古市に 縄文の森 ミュージアム建て(崎山貝塚)
貝塚は 環状集落 形成し 出土品など 館内展示(同上)
貝層の 一部断面 剥離して 壁に掲げて 展示するなり(同上)
珍しき 巻貝形の 土製品 東北地方 独自の土器で(同上)
宮古にて 縄文遺跡 予想外 青春時代 過ごした地でも(同上)
縄文期 一万二千 年続き 崎山遺跡 三千年か(同上)
明確な 竪穴住居 定まらず 屋根の形状 材質推移(同上)
鮭川の 庭月観音 堂遺跡 縄文中期 配石遺構(庭月観音堂遺跡)
配石が 五群から成る 環状で ミニ列石の ストーンサークル(同上)
西ノ原 遺跡一躍 名を馳せる 縄文の女神 発掘されて(西ノ原遺跡)
竪穴の 住居九棟 大型の 住居三棟 集落の跡(同上)
腕の無い 女神の姿 摩訶不思議 抽象的な 縄文の神(同上/古墳と遺跡13) 68歳
色麻町 念南寺古墳群 二十余基 前方後円 墳一基だけ(念南寺古墳群)
大崎の 恵比須田遺跡 出土した 遮光器土偶 国の重文(大崎市田尻支所展示品)
中沢目 貝塚断面 剥離して 壁一面に 貝層展示(同上)
稲庭の 縄文遺跡 侮れず 土偶や土器に 独自の文化(稲庭城縄文期展示品)
刺突文 土偶も出土 稲庭に 縄文晩期 弥生初期かと(同上)
稲庭に 猪形の 土製品 北東北に 多く出土し(同上)
珍しき 人面付の 注ぎ口 備えた土器は 初めて目にす(同上)
箱の中 縄文時代 石器など 二十二点の 遺物模型に(同上)
石斧など 弥生期遺物 十五点 模型に加工 標本とする(同上)
勾玉や 古墳時代の 特色を 二十一点 模型で展示(同上)
火成岩 標本横に レプリカが 懐かしきかな 合掌土偶(同上)
天皇等陵墓 短句(俳句・川柳)
多宝塔 近衛天皇 陵墓前(近衛天皇陵)
築造の 原形遠し 陵墓かな(伝仁徳天皇陵)
周濠に 陵墓囲まれ 謎多き(伝履中天皇陵)
墳丘の 三段築成 木々覆い(允恭天皇陵)
始めなり 三兄弟の 天皇は(同上)
古陵墓に 鳥居と垣根 定番化(応神天皇陵)
陵墓には 石室二ヶ所 女帝の子(伝推古天皇陵)
閉ざされた 天皇陵墓 薬医門(花園天皇陵)
道長の 力に頼る 天皇も(後一條天皇陵)
短命な 平安前期 天皇で(陽成天皇陵)
滝組の 池も築かれ 古墳そば(能褒野王塚古墳)
宮内庁 伝説信じ 陵墓とす(同上)
古墳には 宮内庁式 鳥居立ち(同上)
憧れの 山の辺の道 陵墓観る(崇神天皇陵)
嵯峨陵墓 登山を兼ねた 墓参り(嵯峨天皇陵)
皇子の墓 杉数本に 姿変え(蜂子皇子墓)
親政の 後醍醐天皇 凄まじき(後醍醐天皇陵/天皇等陵墓2) 57歳
西行の 涙の跡が 石段に(崇徳天皇陵)
古墳群 世界遺産で 見直され(反正天皇陵)
厳重な 忍び返しが 痛々し(伝仁徳天皇陵)
大仙陵 航空写真 見るばかり(同上)
拝所にて 拝む対象 真実は(同上)
大仙は 天下の陵墓 詰所建ち(同上)
南濠 濠一面が 草筏(同上)
熱気球 空での散歩 古墳群(同上)
周濠の 古墳は盗掘 甚だし(伝履中天皇陵)
築造後 千五百年 樹林帯(同上)
拝所への 参道だけが 手入れされ(同上)
めぐる陵 拝所の構え ほぼ同じ(伝允恭天皇陵)
管理せぬ 古墳の生態 あるがまま(同上)
干上がし 周濠悲し 草叢に(同上)
宮内庁 案内板にも 屋根を架け(伝仲姫命陵)
周濠は 長すぎるため 自転車で(応神天皇陵)
コスモスの 花一面に 西の濠(同上)
葺石の 古墳は遠き 絵姿に(同上)
東側 陵墓ぎりきり 家並び(同上)
死してなお 古墳に残る 権力差(伝仲哀天皇陵)
被葬者の 雄略天皇 疑問視も(伝雄略天皇陵)
円墳の 規模は古市 最大で(同上)
この時代 皇位相続 暗殺も(仁賢天皇陵/天皇等陵墓3) 57歳
周濠の 前方部には 拝所架け(清寧天皇陵)
古墳から 学ぶは弔う 人の和で(同上)
謎めいた 古墳続きや 古市に(安閑天皇陵)
天皇等陵墓 長句(短歌・狂歌)
徳川家 世に消え久し 天皇家 伝説除く 百代となり(白河天皇陵/天皇等陵墓1) 50歳
安楽寺 鳥羽天皇の 陵墓には 宝形造り 法華堂建ち(鳥羽天皇陵)
百舌鳥の核 前方後円 墳である 大仙陵は 世界最大(伝仁徳天皇陵)
百舌鳥南 履中天皇 陵巨大 前方後円 墳は三位で(伝履中天皇陵)
ミサンザイ 古墳築造 古くても 履中天皇 陵墓と治定(同上)
市野山 前方後円 墳陵墓 十九代の 允恭天皇(伝允恭天皇陵)
昭和期は 天皇陵に 宮内庁 詰所設置し 守衛を配置(応神天皇陵)
巨大なる 前方後円 墳は二位 応神天皇 誉田御廟山(同上)
古市に 安閑天皇 陵墓あり 前方後円 墳は中規模(安閑天皇陵)
大規模な 春日向山 方墳は 用明天皇 陵墓と治定(伝用明天皇陵)
磯長谷 高松古墳 方墳は 推古天皇 陵墓とされて(伝推古天皇陵)
円丘の 仲恭天皇 九條陵 見晴らしの良き 月輪陵に(仲恭天皇陵)
最短の 天皇在位 哀れなり 仲恭天皇 七十八日(同上)
後堀河 天皇陵は 円丘で 泉涌寺内 観音寺陵(後堀河天皇陵)
崩御後は 土葬か火葬 いずれかで 江戸時代から 殆ど土葬(同上)
幕末の 孝明天皇 円丘で 泉涌寺内 後月輪陵(孝明天皇陵)
鎌倉期 花園天皇 円丘で 知恩院奥 十楽院陵(花園天皇陵)
後白河 天皇陵は 東山 法住寺陵 方形堂に(後白河天皇陵)
後一條 天皇陵は 円丘で 吉田山寄り 菩提樹院陵(後一條天皇陵)
真如町 陽成天皇 陵墓あり 八角丘の 神楽岡陵(陽成天皇陵)
亀山に 能褒野王塚 古墳あり ヤマトタケルの 陵墓に治定(能褒野王塚古墳)
明治期に 能褒野神社が 創建す ヤマトタケルの 終焉の地に(同上)
中規模な 前方後円 墳であり 白鳥陵の 半分程度(同上)
円墳の 山田上ノ山 古墳をば 孝徳天皇 陵墓に治定(孝徳天皇陵)
天皇が 象徴として ある限り 平和は続く 大和敷島(神武天皇陵)
畝傍山 神武天皇 神宮の 八角丘が 初代の陵墓(同上)
山の辺の 行燈山の 古墳をば 崇神天皇 陵墓に治定(崇神天皇陵)
大規模な 前方後円 墳高き 石段の上 拝所築かれ(同上)
山上に 嵯峨天皇陵 円丘が 十指に入る 大君であり(嵯峨天皇陵)
羽黒山 蜂子皇子 開山し 小さな陵墓 宮内庁下に(蜂子皇子墓)
猿投山 大碓命 陵墓あり ヤマトタケルの 双子の兄で(大碓命墓)
塔ノ尾に 後醍醐天皇 円丘が 夢に破れて 吉野で崩御(後醍醐天皇陵)
如意輪寺 世泰親王 陵墓あり 長慶天皇 第一皇子(世泰親王墓/天皇等陵墓2) 57歳
悲運なる 崇徳上皇 無念の死 遠流の先の 白峯陵に(崇徳天皇陵)
百舌鳥北の 田出井山古墳 中規模な 前方後円 墳は陵墓に(反正天皇陵)
被葬者の 反正天皇 疑問視も ニサンザイ古墳 陵墓説あり(同上)
森林と 化した古墳は 哀れなり 真実を知る 考古閉ざされ(伝仁徳天皇陵)
周濠は 一周三キロ 面積は 十四万坪 遺産最大(同上)
大仙は 世界三大 墳墓とか ピラミット墓と 始皇帝陵(同上)
長大な ミサンザイ古墳 百舌鳥南 履中天皇 陵墓は疑問(伝履中天皇陵)
鳥居立つ 拝所であるが 宮内庁 神社と区別 賽銭箱なし(同上)
周濠の 底には何か 新事実 埋もれたかと 思い観るなり(同上)
大型の 前方後円 墳などは 天皇陵と 見做してみたり(伝允恭天皇陵)
巨大なる 前方後円 墳土師に 仲ツ山古墳 被葬者は謎(伝仲姫命陵)
宮内庁 応神天皇 皇后の 仲姫の 命と治定(同上)
築造期 仲ツ山古墳 考慮して 仲哀天皇 陵墓有力(同上)
曖昧な 天皇陵を 宮内庁 見直す機運 殆ど見えず(同上)
古墳では 応神陵は 子でもある 仁徳陵に 次ぐ広大さ(応神天皇陵)
神格化 された天皇 多かれど 応神天皇 最大規模に(同上)
外堤 外濠含め 国史跡 古墳本体 宮内庁管理(同上)
母である 神功皇后 奈良の地に 九代陵墓 百舌鳥と古市(同上)
五世紀末 岡ミサンザイ 古墳築 仲哀天皇 陵墓は疑問(伝仲哀天皇陵)
古市の 前方後円 墳三位 嫁の古墳を 下回るとは(同上)
筑紫にて 仲哀天皇 崩御する 実在性の 低き天皇(同上)
島泉 丸山古墳 円墳で 雄略天皇 陵墓と治定(伝雄略天皇陵)
円墳は 二段築成 周濠も 五世紀後期 築造とされ(同上)
古市の ボケ山古墳 宮内庁 仁賢天皇 陵墓と治定(仁賢天皇陵/天皇等陵墓3) 57歳
中規模な 前方後円 墳であり 前方側は 民家密集(同上)
羽曳野の 白髪山古墳 中規模な 前方後円 墳が陵墓に(清寧天皇陵)
被葬者に 清寧天皇 治定され 在位五年 相応古墳(同上)
古墳観て 最初の古墳 思う時 箸墓古墳 目に浮かぶかな(同上)
古市に 安閑天皇 陵墓あり 高屋築山 古墳を治定(安閑天皇陵)
不思議なり 継体天皇 皇子である 安閑天皇 陵墓は孤立(同上)
芭蕉史跡 短句(俳句・川柳)
蕉風は 人それぞれに リレーされ(黒髪塚/芭蕉史跡1) 52歳
金沢に まだ人の住む 北枝宅(立花北枝宅跡)
明照寺 芭蕉眺めし 秋の庭(明照寺)
芭蕉・曽良 仲間に入れてよ 雪まるげ(如意輪寺)
金津には 雨宿り跡 雨夜塚(金津)
世に出でて 風雅を残す 旅人も(雨夜塚/芭蕉史跡2) 58歳
予期もせぬ 阿智神社には 芭蕉堂(阿智神社)
壱岐の島 春めぐり来る 曽良の墓(壱岐島曽良墓)
涼しさや 芭蕉の句碑に 雪の影(不忍池翁塚)
象潟の 古き写真は 家まばら(中尊寺積善院)
蕉翁の 涙の痕や 草の露(谷村桃林軒)
蕉翁の 眺める奇岩 我れも見る(三崎山/芭蕉史跡3) 60歳
雪かかる 鳥海山は 見ず芭蕉(同上)
我れも行く 芭蕉の後の 大師堂(同上)
雪も飛ぶ 能因島の 小ささよ(能因島)
ほととぎす 芭蕉を語る 時の声(荘山稲荷神社)
文学史 奥の細道 金字塔(象潟駅記念碑)
わが命 支える人は 芭蕉翁(日和山公園)
涼しげに 蕉風通過 銀山を(院内銀山跡)
夏草に 蕉翁塚は 荒れるまま(同上)
御堂筋 グリーンベルトが 終焉地(御堂筋)
関所跡 復元すれば 寄る人も(尿前の関)
ハンカチの 象潟の句が 額縁に(栗山池休憩所)
芭蕉史跡 長句(短歌・狂歌)
蕉翁の 面影偲ぶ 普賢院 一夜の宿り 江戸の時代に(高野山/芭蕉史跡1) 53歳
さわやかなさ 人の心を 潤して そんな風吹く 芭蕉の背中(同上)
わが夢は 芭蕉に始まり また終わる 旅と涙と 歌と笑いと(敦賀西福寺)
出雲屋の 跡地の上は アーケード 石碑の残る 敦賀の夢路(芭蕉翁逗留地)
船問屋 天屋玄流 邸宅は 駐車場へと 見る影もなく(敦賀天屋邸跡)
手取川 芭蕉の渡 名に石碑 おくの細道 すべてが遺産(手取川)
井波には 黒髪庵と 翁塚 門弟浪化 没後建立(黒髪庵)
世の中 艱難辛苦 囲炉裏端 めぐりめぐりて 深川八貧(芭蕉の辻)
金沢の 小坂神社に 芭蕉句碑 偽作なれども 下手でもあらず(小坂神社)
松岡に 芭蕉止宿の 天龍寺 北枝と別れ 一人の旅に(天龍寺)
彦根には 浄土真宗 明照寺 弟子の李由 住持の寺で(明照寺)
芭蕉句碑 北海道に 及ぶなり 松前城に 花詠みし句が(松前城)
那須湯本 温泉神社に 芭蕉句碑 奥州街道 逸れた寄り道(温泉神社)
伊勢の津の 四天王寺に 芭蕉翁 文塚建つも 供花はされずに(四天王寺)
凡人の 気づかぬ事に 目を止めて 自然を写す 芭蕉の瞳(総持寺/芭蕉史跡2) 58歳
来たからは 去らねばならぬ 運命を 平然とみる 奥の細道(南条サービスエリア)
語るなら 夜も尽きん 芭蕉譚 尽きなん旅に 今日もまた行く(満舟寺誰彼塚)
思い出は 月日を重ね 愛おしく 句を書き変える 芭蕉の心(太山寺)
名文に 酔いしれては 諳んずる おくのほそ道 平泉の記(中尊寺)
谷村の 桃林軒は 再建し 芭蕉の史跡 学ぶよすがに(谷村桃林軒)
幸せは 芭蕉の跡を 追い続け 北から南 走り行く時(同上)
身は乞食 振る舞う態度 俳聖と 松尾芭蕉を 慕う人らは(谷村陣屋跡)
物事に 執着せざる 心持ち 自然に帰る 芭蕉の軽み(江ノ島稚児ヶ浜)
尊ばれ 心に今も 生きている 笑いも誘う 芭蕉の名句(横須賀満願寺)
今ここに 自分を支える 道ひとつ 芭蕉に続く 風雅風流(三崎山)
万巻の 本を古希まで 読み尽くし 手元に残る 奥の細道(三崎山/芭蕉史跡3) 60歳
浮世には 執着せずに 旅の空 芭蕉を偲ぶ 奥の細道(同上)
芭蕉より 豊かな時代 生まれ来て 哀れなるかな 心貧しく(同上)
死んじゃえば 野ざらしとなり 消えてゆく 消えぬ命は 芭蕉の風雅(同上)
風流や 蕉風引きずり 一人旅 遠い元禄 尽きぬ憧れ(能因島)
何となく 生きても悲し 人の世を 一人愁いて 芭蕉を慕う(同上)
日和山 昔が今に 甦る 芭蕉と共に 旅を行くなら(日和山)
俳諧は 自己を売り込む 社交界 芭蕉の名も 世に知られけり(塩釜)
さわやかに 人の心を 過ぎて行く そんな風吹く 芭蕉の背中(同上)
伝え継ぐ 弟子いなければ 名は絶える 芭蕉翁も その一人なり(道の駅ねむの丘)
振り向けば 芭蕉の旅に 魅せられて 孤高のままに 早や半世紀(蚶満寺)
ともすれば 無名に果てた 俳人が 芭蕉を知りて その名を残す(不玉宅跡)
今日もまた 同じ一日 繰り返し 刺激は一つ 芭蕉の句集(本荘公園)
訪ねれば 芭蕉の旅は 夢の中 その夢の中 夢また生まれ(飯坂温泉)
人生の 味わい伝え 三百年 滅びぬ光り 句の美しさ(同上)
新しき 発見があると 来てみれば 寂れるばかり 尿前の関(尿前の関)
失われる民家 短句(俳句・川柳)
十和田湖の 古きを偲ぶ 茅の家(民具資料館/失われる民家)
曲り家の 古き農家は 珍しく(花巻市郊外)
入母屋の 楼閣天守 観る如く(岩崎石孫本店)
弘前に 店蔵哀れ 壁剥がれ(弘前旧商家)
堺にも 町家の家並み 残るなり(堺町家)
太子町 思わぬ豪邸 足止める(太子町民家)
軒並みに 春の優しさ 瓦屋根(米沢旧商家)
三菱の 電気屋哀れ 廃屋化(津島旧電気店)
廃屋の 安楽荘は 苦しそう(石水峡)
吉野山 廃屋哀れ 花の中(吉野山)
駒ヶ根の 真壁造りの 屋根聳え(駒ヶ根古民家)
廃屋に 蔦が絡まり 独り占め(四日市羽津)
茅葺きは 縄文時代 想起さす(葛川坊村)
茅葺きの 古民家ゆかし 百沢に(弘前市百沢)
切妻に 奇妙な煙突 屋根の載せ(湯殿山大網)
前庭を 壊した車庫に する家も(浅舞銭谷邸)
哀れかな 松は片側 枝切られ(浅舞斉藤邸)
失われる民家 長句(短歌・狂歌)
寄棟の 張り出し二階 珍しき 西木中里 茅葺き民家(西木村中里/失われる民家)
入母屋を 四棟合わす 茅葺きは 貴重ながらも 道路の下に(西木村深野)
軒先が 哀れなるかな トタン屋根 茅葺き屋根と そぐわぬ色で(西木村西明寺)
道ゆけば 茅葺き屋根が 目に映る 幼き頃に 貶した家で(同上)
ふるさとの 茅葺き家を 見るたびに いつか消えると 思う淋しさ(千畑町荒屋敷)
旭川 料亭山田屋 二階建て 蛇の崎橋の シンボルであり(料亭山田屋)
ゆっくりと 時代が流れ 行くような 造り酒屋の 木造二階(仙台天賞蔵元)
古民家の 消えゆく景色 立ちて見る 青森南部 倉石村に(青森倉石)
高ぶれば やがて傾く 人の家 廃屋となる 土蔵の家も(東山松川)
住む人も 茅葺く人も 減るばかり 家は傾き 人は移ろう(北上市更木)
重厚な 南部曲り屋 入母屋で 一部二階の 窓小さ目で(武田家住宅)
秋田にも 訪ねる里は 多かりし 茅の家々 木立の中に(田沢湖町抱返り)
黒塀が 百メートルも 続いてる 秋田に残る 豪農屋敷(雄物川町薄井)
花巻の 入母屋二階 旧庁舎 宮沢賢治 追悼場所で(花巻市民の家)
切妻の 屋根に美があり 歴史あり 漫画のような 今の屋根形(同上)
大家と 小家重なる 茅の家 これぞ日本の 原風景で(川辺町黒沼)
消えて行く 茅葺きの家 惜しまれる 快適さのみ 求める時代(北上市和賀)
茅葺きの 家並が消える みちのくを せめて写真に 残したいもの(同上)
通る度 誰が住むかと 気にかかる 時代に媚びぬ 茅葺きの家(千畑町田沢)
ブロックに 囲まれ茅は 色褪せる 立派な民家 無粋な面も(仙南村)
湯沢では 本棟造り 定番で 志ら菊の名の 酒屋もありき(高橋長助邸)
寄棟の 茅の棟には 換気屋根 南東北 独自の造り(米沢市)
トタン屋根 嫌いな民家の その姿 昔の茅を 思い出す度(田代旧長谷川邸)
寄棟の 三階建ては 木造で 田代の地主 豪邸残す(同上)
平入りの 寄棟二階 白壁の 土蔵珍し 刈和野町に(刈和野土蔵民家)
茅葺きに 草が生えたり 落ち目かな 香嵐峡の おちべ温泉(豊田市足助)
店閉じた きみまち坂の 食堂が 哀れに見える 芽吹く桜も(二ツ井町)
十和田湖の 緑の屋根の 東湖館 三十四年 経ても変わらず(民宿東湖館)
みちのくの 雪にも耐えて 二百年 車を停めて 写す古民家(弘前久度寺)
大家の 門の構えも 朽ちて行く 滅びる前に 写すたそがれ(浅舞大阪邸)
切妻の 一・二階には ガラス窓 典型的な 戦後の農家(平鹿町高野)

